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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/9礼拝説教「使徒信条(2)天地の造り主を信ず」創世記1:1~5
1/9礼拝説教「使徒信条(2)天地の造り主を信ず」創世記1:1~5

☆お知らせ
●明日10日(成人の日の祝日)関東教区新年聖会がございます。場所はインマヌエル中目黒教会で、中目黒の駅からわずか数分のところです。チラシがありますのでご覧頂き、午後に二つの集会がありますが、是非ご出席ください。
   http://www.igmtokyo.com/tract/2011/01/2011-01-10.pdf

●高津教会のパンフレットができ上がりました。とってもコンパクトですが、開けてみますと一目で教会が解るようになっています。テーマは詩篇の84篇です。渡辺兄が作ってくださいましたが、いろいろな用途でお使いください。

●みことばのしおりを160枚作りましたが、無くなってしまいましたので増刷しました。書いてあるみことばは元旦礼拝のみことばで、今年も私たちの一年間の標語聖句となります。

「私たちの神、主は、私たちと私たちの先祖たちを、エジプトの地、奴隷の家から導き上られた方、(私たちの目の前で、あの数々の)大きなしるしを行い、私たちの行くすべての道で、(私たちの通ったすべての民の中で、)私たちを守られた方だからです。」***ヨシュア24:17より抜粋して書かれた2011年のみことば。

●先週水曜日葬儀がありましたので、お休みになりました祈祷会、今週12日(水曜夜7時から)が新年最初の祈祷会になります。

●センター試験が今週末からです。受験生を抱えておられるご家族の上に、受験生おひとりおひとりの上に、お祈りをしています。特別に牧師に祈ってほしいということがありましたならば、また声をかけてください。

●今日は礼拝の後に「祈りの時」があります。
「祈りの時」というのは、なかなか祈祷会にいらっしゃれない方々のために、月一度第一日曜日の礼拝の後、二階のグレースルームで行われています。是非共に祈る時を持って頂きたいと思います。

●1月の礼拝は一番注目して頂きたいのは、やはり30日の教会総会のある聖日です。
私たちの教会では、礼拝の後すぐに教会総会をしてしまいたい。そこで一年の総決算と新しい一年の予算決算すべて話合われます。
教会の中身を知りたければ、教会総会には、教会員ではなくても出て頂きたいと思っています。
12時45分に総会を終わるためには、どうしても礼拝を10時に始めないと間に合わない。(注***つまり30分早く始まります)そこで礼拝は10時から大体11時まで。それから教会総会を始めます。
なお、教会員でありますと、これは宗教法人の法律に則って、参加される義務があります。だからと言って全員参加できるわけではないので、来週あたりから委任状を用意します。

●藤本牧師は日曜夜、月曜と、徳山で持たれる日本イエスの周南新年聖会でご奉仕。
主催する南陽教会に、昨年インマヌエル徳山教会の信徒の方々が通っている由。
礼拝後すぐに旅支度を急がれた、藤本牧師の健康が支えられ、善い説教が語られ、集められた人々をイエスさまのもとに導かれますように、すべてが守られ、来週の聖日、元気なお姿を見せてくださいますように、私たち一同お祈りしています。

☆始めのお祈り
私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。
(この日の交読詩篇8篇より1節と9節)

恵み深い天の父なる神さま、あなたの御名を賛美しあなたの御名が全地にわたり、そのご威光が天でたたえられているさまを、信仰によって見ることができる私たちはなんと幸いでありましょう。

この地上の世界では、私たちの人生はさまざまに移り行き、またさまざまな出来事に翻弄されるような小さな小さな小船のようなものであります。しかし私たちが信じ信頼している方は、この全地を支配し、全知を造られた方である、そのあなたが私のことを心に留めていてくださる。

ダビデが「ああ、人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」(同4節)と感動をもってこの詩篇を読みましたように、あなたは今年も私たちひとりひとりの歩みを見ておられ、導いてくださり、また守ってくださることを、心から信じ賛美致します。今日が新年初の礼拝でありましたならば、どうか今日の礼拝をその方のために特別に祝福してくださり、あなたの恵みを私たちに強く打ち出してください。

Y姉が成人式を迎えられます。また私たちの家族や友人の中にもきっとそのような方がいるはずです。20年間あなたは、その生涯を祝福し守って導いてくださいました。しかしこれから待ち受けている、その長き人生はさらに大きな課題との格闘となって行くことでありましょう。あなたがともにいてくださることを感謝致します。ひとりひとりをあらゆる事故や災いから守ってくださる、あなたの恵みをさらに深く知ることができるように導いてください。

受験生のために祈る季節となりました。どうか健康を祝してくださり、特別にインフルエンザなど悪い風邪から守ってくださり、ベストな体調で試験に臨むことができるように、健康もこの一週間整えてください。緊張もありますでしょう。しかし、私たちはさまざまに思い描きますが、私たちの道を決めてくださるのはあなたでありますので、先ずあなたに深く信頼することを学ばせてください。

しばらく聖書のみことばに耳を傾けます。どうか私たちの心を捉えてくださり、私たちが日々日曜日ごとに告白致します、使徒信条から学びを進めて行きますが、心から告白できる者としてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆元旦礼拝の説教について
元旦礼拝では、これから始めて行きます使徒信条とはどのようなものか、なぜ教会で使徒信条を合唱するのか、という話を致しました。

いわば使徒信条の序論でございまして、元旦礼拝にさまざまな用件でいらっしゃることのできない方もおられましたでしょう。元旦礼拝のCDが販売されています。一枚200円ですので、取って頂いて聴いてみてください。

またインターネットの上では、すでにT姉が全文の原稿をアップしておられるので、読んでくださると、何度か読んでくださると、これから共に学んで行こうとすることが、道筋が少し解ると思います。(***こちらもよろしくお願いします。感謝。T・Y)

☆説教

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。――――というこの一文で、特に今日集中したいのは、「我は天地の造り主を信ず」、この一文です。言うまでもなく、この一文は聖書の一番最初のページ、この分厚い聖書の第一文がこれです。創世記の1章の1節をちょっと見てください。

創世記1:1「初めに、神が天と地とを創造した」。

現代人が聖書を手にして一番最初に開く、聖書のその一行「初めに、神が天と地を創造した」、これを読んだら、どういう印象を受けるのでしょうか?私はクリスチャン・ホームで育ちましたので、これを当然のこととして受け取りますけれども、もしそうでなかったら、この一番最初の一文をどういう風に受け取るのでしょうか?

たとえば、もし皆さんが進化論に染まっていたとしたら、まあ普通、染まっているだろうと思います。世界中の人が染まっている訳ではないです。でも進化論が展開する中で、恐らく一番染まったのは日本人だろうなぁと思いますが、そういう精神性の人種だという人たちが、このことばを読みますと、ああ、やっぱり聖書は昔の無知な人が書いた、神話の世界だと思うのか?そして、これがキリスト教だとしたら、自分はついて行けないと呆れてしまうのか?

私たちはこう言います。いえいえ、この世界には科学の世界の最先端を行きながら、なおかつ天地の創造主なる神を信じている科学者は大勢いますよと。ですから、あなたが科学の道に精進しているということが、信仰の世界を否定していることには全然ならないです。神を信じていたら、科学をやめなければいけない訳ではないでしょうし、また逆も然りで、科学を信じていたら、信仰を捨てなければいけない訳ではないでしょう。

仮に科学というものが、この世界に働いている原理を明らかにし、その成り立ちを説明し、どのような因果関係によって、現在の世界の姿があるのかということを解明しようとします。しかし、この世界の成り立ちや働きを解明したからと言って、この世界を創造された方を否定することにはならないでしょう。

今日は、詳しく創世記の創造の物語を見て行くことはしません。創造の物語を読みますと、神は六日間で世界を創造されたという風に単純に書いてありますが、私は六日間を24時間×6とは解釈しません。解釈するクリスチャンもいますが、私はそういう風には理解していない。創世記の記述というのは、もっと実は神秘的に巧妙に書かれていて、私たちの単純な数字計算では合わない、当てはまらない部分が沢山ありますし、何よりも創世記は世界の成り立ちを解明しようとするために書かれた書物ではない。これは天地万物を創造された神がおられるということを伝えるために書かれたことで、創世記では科学ではまだまだ究明できないこともあれば、あるいはまた逆もまた然りで、創世記は科学が語ろうとしていることを語ってはいないのですね。

1)科学は信仰を否定するのか?

初めに神は天と地を創造されたとすると、今の進化論的な私たち日本の世界と、この信仰告白がどういう風に合致するのか?

私はいつもこの話を使いますが、昔聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、何度聞いても意味があると思いますので、聞いてください。

誰かが南太平洋の孤島の上を、飛行機で夜こっそり飛びました。文明と接触したことが、未だかつてない、まさに原始的な人々が住む孤島に、夜中すさまじい飛行機の音とともに、浜辺に腕時計を落として去って行きました。

翌朝、村の部落の一人が、小屋から出て来ると、そこに輝く腕時計が落ちているのを見つけました。誰もが、未だかつてそんなものを見たことがありません。
あっという間に、ニュースが村中に広がって、村中の人がこの小さな腕時計の回りに集まって来ました。初めは、やはり怖い。見たことがないですから。離れたところから、みんなこわごわと眺めていました。少しずつ、興味津々と近づいて来ます。

とうとう、誰かが勇気を出して触ってみました。触った男は、にんまり笑いました。谷川の石よりももつるつるしている、谷川の石よりも硬い、冷たい。耳に当ててみるなり、ギョっとして、思わず落としてしまいました。チック・チック、音がします。

朝の仕事が始まる時間です。誰もがそこに座り込んで、この時計を眺めていたわけではありません。でも、どこの世界にも、暇人と、好奇心の旺盛な人間はいるものです(笑)。彼らは座り込んで、この未知の物体を研究し始めました。
 
時計は、この村に何年もとどまることになりました。そのうち、少しずつ研究の成果が上がり、情報が集まってきました。長い方の針が、一定の周期で一回りすることは、簡単に発見しました。しばらくすると、だれかが、長い針が一周すると短い針が一つ分動くことを見つけました。

しばらくしてだれかが自慢げに言いました。
「おい、昨日の朝と同じところを指してるぞ」。
これは、もう大発見でした。明らかに、この物体は、太陽と一緒に行動していることに気が付いたのです。もしかしたら、この時計が、太陽を動かしているかも知れない。
「やった。とうとう、あの太陽をコントロールする物体を見つけたぞ」。

この理論は、誰かが、変則的にも、でも、実は月も一緒に行動していることを発見すると、ますます強い理論となって行きました。

村人は、どこかこの時計に恐怖を感じました。そういえば、時計を発見した前の晩に激しい爆音を聞いたのです。この物体は、いったいどこから来たのだろうか?

「巨大な蜂が落として行った。羽のはえたライオンが、天から飛んで来て落とした。恐ろしさの余り、この時計を隔離した方がいい。そして、呪い師に管理してもらおう。もしこれが、太陽や月をコントロールしているとすれば、もしこれが巨大な蜂が置いて行ったものだとすれば、これは大変なことになる。」

もう一つの研究グループは、もう少し冷静でした。そして、もっと真剣に時計を研究しました。彼らは、この時計を見ながら、この時計を作った者に関して、この時計の背後でこの時計を創造したものに対して、いくらかのことを発見したのです。

「時計は、規則正しく、その動きを予測できる。でたらめには動かない。この時計は、耐久性がある。作った者は、その機能をよく考えている。それは、美しさを持っている。輝きがある。これを作った者は、美しさを好む。
そうして見ると、少なくとも、これは巨大蜂が作ったのでも、羽のはえたライオンが作ったものでもない。
作った者は、この世界全体を捕らえているものだと考えられる。少なくとも、太陽と月の動きと時計を、つなぎ合わせる発想があったに違いない。」

さて、おもしろいことは、この部落の人の中には、この時計を作った者はいないと考えた人は一人もいません。つまり、この時計は、何もないところから朝突然に浜辺の砂の上に生まれ出たと考えた人はいないのです。

しかし、ごく最近になって、ある人々は考えるようになりました。それは私たちですけれども、いまたとえて言いました、あの南太平洋の人々が絶対に考えなかったことです。
世界を観察できるようになった、いくつかの理論を考え、仮説を立てて、証明することもできた、そして、いきなり論理が飛躍するのです。
説明でき、解明できるようになった。だから、時計がどのように動いているかだんだんわかって来た、だから時計を作った者などいない。時計はいきなり進化して、今この砂浜にある。つまり論理がいきなり(飛躍して)、天地を造られた神を否定する人もいるのです。

もっと単純に言ってしまえば、こうです。
「私のお父さんは、家を建てた。でも私は、その家をよく研究した。その家がどの様にして建てられているのか、とうとう突き止めた。実際に、今では自分で家を建てることもできる。だから、お父さんは存在しない」。          

いや、そんな乱暴なことを科学が言う訳はないです。でも科学万能主義の人はそういうことを言うでしょうね。敬虔な心を持っている科学者であれば、この世界の成り立ち、仕組みを研究して、より深いことを考えるではないですか?

世界は、あの時計と似ています。そこには、秩序も規則もあります。また美しさもあります。雄大な山からタマネギの皮の細胞に至るまで、不思議な美しさがある。鳥には羽があり、亀にはこうらがあり、魚は、何億という卵を生むという。
人間の歴史のページのどこを開いても、人間はこの自然に驚き、その背後にこの自然を創造した「何か」に思いを馳せたのです。

さて、話を聖書に戻しますと、創世記1章の3節を見てください。天地創造はこのように始まって行きます。(注***ここでは新改訳聖書第3版を使用し、新しい訳で語られています。T・Y)

2節「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」。
3節「神は仰せられた。『光があれ。』すると、光があった」。

この3節の“神は仰せられた”というのは、独特です。それは、聖書が教える神は、“ことばによって”この世界を創造した。でもことばによって創造したという時に、創造の仕方・やり方を説明しているのではない。
“ことばによって”ということが意味しているのは、そこには神さまの明確なご計画・御心・意志―――神さまのロゴス、ロジック、論理、それがあったということです。しゃべったから、話をもって何かを創造したという以上に、そこにあるものは、神さまがこの世界をご自身のご計画と意図をもって創造されたということです。

神が創造された世界は、以前の混沌とした、意味もない形もなしていない荒涼とした世界と違って、意味をもって一貫して、規則的で、美しい世界が誕生した。私は無秩序な世界に無意味に存在している生命体ではない。
私たちは使徒信条を通して、「私は天地を造られた父なる神を(創造主を)信じる」と言った時に、同時に私たちが告白していることは、この歴史の連続、不連続、偶然、偶発、さまざまな出来事と出会いの中で、この小さな私は何の意味もない存在ではないということです。
神は秩序と計画と意図とをもって、この世界とその中に住む私たちを創造してくださった。この世界は神さまの恵みによって、造られ、支えられ、私の人生は神さまの恵みによって守り導かれ、という風に、一見何の価値もないように見える私の人生でも、神さまは価値をもって見ていてくださるという意味を込めて、天地の創造主である神を告白しています。
 
2)これは日本人クリスチャンの告白であるということがとても大切。

私たち日本人は、このことを立ち止まってじっくり考えてみる必要があると思います。

先ほど申しました。進化論というのは、日本人に不思議なほど浸透して、今はちょっと傾向が違いますが、恐らく1970年代80年代の青年というのは、ほとんど無宗教に走りますね。どうしてそういう風に日本人はなってしまったのか?

私たち日本人は、一見すると、とても敬虔な宗教心の篤い人種のように思えます。
何しろ、侍や学者、政治家、英雄や偉人は皆神さまになる人ですから(笑)、こんなに宗教心の篤い国はないですよね。猛威をふるう自然も、高い山も深い森も、狼も狐も皆神さまに祀られる精神風土の国日本って特殊ですよ。
八百万(やおよろず)の神々といいますが、それは鰯の頭も信心からで、自然界のありとあらゆるものが神々として祀られるような文化が今も生きています。
ところが、やおよろず(八百万)の神々がいる反面で、日本人の多くは、とっても無宗教的に生きているのです。

私たちはよく言いますよね。生まれた時はお宮参りに行って、そして毎年初詣は欠かさず、でも親は妙にミッション・スクールに子どもを入れたがる(笑)。そのミッション・スクールに子どもを入れたがる神経というのが、私にはわからないですね。
ミッション・スクールは毎日礼拝ですよ。私たち(キリスト教徒)でさえ週に一回しか礼拝しないのに(大笑)、毎日礼拝するミッション・スクールってどういう訳か…私はねぇ、ごめんなさい、ミッション・スクールではないので、公立学校なので、ミッション・スクールの感覚が私にはわからないこともあるのですね。

でもクリスチャンがミッション・スクールに子どもたちを送りたいという気持ちはよくわかるじゃないですか?よくわかります。でもそうでない方々が、毎日礼拝があって聖書のみことばを聞かなきゃいけないミッション・スクールにどうして子どもを入れたがるのだろうというのが、今一つ分からない。これはもちろんミッション・スクールのステイタス、その教育の高さ、とくに人格教育の意味合いの深さにあるのかもしれません。

そして、結婚式はキリスト教ですけれども、死んだら仏教で葬式をする。(どうしてそのような感覚で、宗教と接することができるのでしょう?)
よく言われるように、日本人はもともときわめて現世的な御利益のために神々を祭る人種で、家内安全・合格祈願・縁結び・大漁・豊作と、現世の豊かさと結びつけて神々を信じて来た、それが日本人です。
すると、役に立ちそうな神々であれば、御利益があると言われれば、何でも味方になってもらう。そうして神社は御利益をうたい、お彼岸のこと、つまり死後の世界の事は全部お寺に任せて来た、というのがキリスト教が入って来る前の日本でした。
  
そうした日本に近代科学が入って来て、あたかも現世のことは科学で証明できるかのように言われました。
進化論で地球を考えることができる。心理学で人間の行動パターンを、あなたの人生を、性格を、人格を考えることができる。大脳生理学で人間の感情を説明することができる。
それで説明したら、もはや神と世界を、神と人間を結びつける理由はない。現世の御利益だけのために神を信ずればよい。神を祀ればよい。でも後は全部、科学と学問でこの世界を取り仕切って行く、という傾向がしばし日本の社会に見られました。

私たちはそういう日本の文化風土の中にあって、「我は、天地の造り主である神を信ず」と告白しているのです。これは福音の第一声です。聖書の一番最初のことばというのは、恐らく日本人にとっては最も衝撃的で、つまり、現世御利益で幸せを考え、近代科学で世界と人間を説明してしまう、神なき精神性の中で、聖書の一番最初の「初めに、神は天と地を創造された」というこのことばほど、衝撃的で、このことばほど福音的なことばはないのではないかと思う。

その意味で、使徒信条を告白する度に、私が申し上げました第一番目のポイントは、神はご計画と意思と意図とをもって、目的をもってこの世界と私を創造されたということ。これは科学では言えないことです。科学の原理原則では、今申し上げた目的だとか、意義だとかそういうことは見ない。

2番目に、恐らく衝撃的な「我は天地を造られた神を信ず」というのは、この日本であればある程、声を大にして告白しなければいけないですね。

3)この告白は私たちの人生の夜明けです。

1968年、だいぶ前の話です。1968年12月21日、アポロ8号は、サターンV型ロケットで打ち上げられ、初めて月の軌道を周回します。8回か9回周回して地球に戻って来るのです。つまりこの(時のクル―)3名は、初めて月の裏側を見て来た人々となりました。月はいつも片面しか地球に見せていませんから、私たちは裏側を見たことがなかったのですね。
彼らが月の軌道に乗ったのはクリスマスイブでした。16時間、裏側の軌道を回って、後半に地球との交信がはじまり、また映像を送り始めました。地球からは見たことがなかった、月の裏側はいったいどうだ ったか?皆さんインターネットで検索すると出ていますから、一回見てください。

船長のフランク・ボーマンが応えます。
「月の裏側の印象は、広く、孤独で、あらゆる生命の存在を排除しているように見えた」。
クルーのひとり、ジム・ラブウェルは、
「この月の空虚さは、見ている人間に畏敬の念を起こさせる。そういう風景を見ていると、改めて地球の豊かさに気付かされるね。ここから見る地球は、まるで広大な宇宙の中にぽつりと存在する楽園だ」。

もう一人のクルー、ビル・アンダーズが言います。これが有名な話。
「さあ、もうすぐ地球の日の出です(Earth Rising)」。地球の日の出というのは、月から見て、地球が向こうから上がって来るのです。地球が日の出のように上がって来るのです。そうして送られてきた映像は、ブルーに輝く美しい地球の日の出です。

そしてビル・アンダーズはこう言います。
「私たちアポロ8号のクルーから地球の皆さんにメッセージを送ります」。
「はじめに、神は天と地とを創造された。地は茫漠として、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光はできた」。(注***これこそ感動的な創世記1章1節~3節です!T・Y)

そして、そのアースライジングの映像が地球に送られて来て、私たちは今ネットでその映像を見ることができます。世界的に有名な映像で、そして歴史に刻まれている一瞬ですが、私はまた今日の学びにとっても意味があると考えます。

人類で初めて月の周回軌道に乗った三人は、16時間、月の裏側を周回している間、交信が途切れます。不安に思ったはずですね。果たして、月の軌道から抜け出して、地上に戻ることができるのだろうか?そういう不安は、流れている世界が荒涼としていて、あらゆる生命を排除している孤独な闇の世界であればある程、不安になるに違いない。

しかし、やがて彼らが目にするのが、広大な宇宙の中にぽつりと存在する楽園のような地球、それがいのち豊かに輝いています。その時に、彼らの口から出てきた言葉は、

「初めに神が天と地とを創造された」(創世記1:1)でした。

それは科学技術に驚嘆する言葉ではなく、しばらくしたら月の軌道を出て地球に帰還する訳ですが、その不安の言葉でもなく、うっとりと見つめたのは、この世界が神によって創造された豊かな世界である、それを伝えたかったのです。

私たちの人生というのは、いつの間にか、月の裏側に入り込みます。傍で見ていて、何もそんな所に行かなくていいんじゃないのと(笑)思うぐらいに、私たちの人生は月の裏側に回るのです。そして、現世の御利益を得ることができなければ、もはや人生の目的、生きる価値、試練の意味、そんなものは存在しない。欲しいものが手に入らなかった。あるいは普通の幸せを味わうことができなかった。もうそれだけで月の裏側にずーっと入って行きます。   

しかし、私たちが「我は、天地の造り主、父なる神を信ず」と告白した時に、それは人生の夜明けなのだ。その信仰によって、この世界を見たときに、荒涼とした無意味な世界に光が射して来て、この世界の無数の出来事、無数の出会い、その中で翻弄されている、私という小さないのちの存在、その意識、その意義を造り出し、導き出し、支えておられる神がいます。

もし宇宙に行くことができたら、何を見たいのか?宇宙に行くと言っても、ほんのちょこっと、すぐそこなのですけれどもね。けっして銀河系のずっと奥に行くわけではないのですけれども、宇宙に行くことができたら、何をそこに見たいのか?深淵で広大な闇の空間、そこに輝く星をより間近に見たいのか?

でも、私たちは何よりも、闇に輝く地球を見てみたい。なぜなら、それは神さまが創造されたいのちと恵みにあふれる世界だから。そして、そこに生かされている自分自身というものを、改めて実感して告白したい。
「我は、天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と。

人生の夜明けのことばが信仰告白の最初以来、それが聖書の一番最初の一行であることはまことに意義深い事です。

☆終わりのお祈り
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1章1節)

恵み深い天の父なる神さま、私たちの人生が月の裏側に行ってしまう時、茫漠として、何も感じられないほど、混沌とした闇の世界に漂う時、主よ、どうか、天地を創造された神を捉えることによって、私たちの闇の世界に光をもたらしてくださり、そして闇の人生に夜明けを与えてください。

物事が好転したから夜明けではなく、まだ闇の中に住んでいながらも、天地を創造された神を信じるがゆえに、その神の愛に生かされているがゆえに、私の人生に夜明けが来たと告白できるほど、この(聖書の)みことばの第一言にこだわるキリスト者とさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆感想をひとこと
使徒信条の学びの2回目はとても神秘的で感動を受けました。難しいことばや教義ばかりの説明では、とてもついていけない、しかし大切な信仰の知性の面ですが、とても感動をもって説教を初めから終わりまで聴くことができて、しかもソフトにそのキリスト教信仰の神髄を、誤まり易い私たちに向けて考えるよう教えられたと思いました。

アポロの月計画の時代は私も高校生でしたから、そのころ文通していた米国人とも、話題によく出ました。 an astronautという英語の単語を覚えたのもこの頃でした。胸を躍らせて読んでいたことを懐かしく思いだします。
宇宙飛行士に、深遠なる宇宙を見て帰ってきた後、回心の経験をする人が多いということも聞きました。それで私の中では、やはり生活文化の中にある宗教は強いなと思ったことでした。

創世記の初めのことばはヨハネの福音書の書き出しとも似ており、何か格調高いものを感じます。それは私たちがそう信仰告白するときに、神さまが、私たちをすでにご自分のものとしてこの世から取り上げてくださっているからだろうと思いました。感謝です。

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DATE: 2011.03.27 - 01:03

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