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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/6玉川聖学院聖歌隊の音楽礼拝と説教「エデンの東」
2/6音楽礼拝説教「エデンの東」創世記4:1~16 

☆玉川聖学院聖歌隊「みことばを歌う」
今日の礼拝は玉川聖学院の聖歌隊をお招きして、自作の10数曲の賛美をして頂いた音楽礼拝でしたが、聖歌隊は、週二回の練習と、毎朝の礼拝で歌っておられるとのこと。昨年、玉川聖学院の創立60周年記念の一つとして讃美歌のCD作成をされたそうです。その中に収録されている讃美歌を賛美してくださいました。

これらの讃美歌は卒業生と、現高校3年生で作曲されたもの。「高校2年生の音楽の授業で…。みことばと作曲者の思いが伝わるように、心を込めて賛美致しますのでどうぞお聴きください。」というような生徒さんのご挨拶がありましたが、素晴らしい自作のみことばのメロディーに、美しい歌声に聴き入ったひとときでありました。

帰りには、そのCDが35枚位1000円で販売され学院への献金となるということで、よいディボーションになりますとの関係者の姉妹のお勧めのことばもありましたが、感動してもう一度聴きたいと購入する姿も見られました。T・Yも購入することができ、自宅に戻ってわくわくして聴きましたが、CDには今日の礼拝で歌われなかった曲も沢山入っておりました。どれもよく信仰が美しいメロディに乗せて表現されており、こちらも清らかな声がよく響いておりました。CDの最後には、特別に玉川聖学院卒業のクリスチャン・デュオの「Olive」の賛美の1曲も入っており、かつて「Olive」のお一人としてご活躍されていた小柳姉と、そのご家族が現在高津教会におられることに神さまの摂理を感じて感謝でした。

●聖歌隊の皆さんに大きな拍手を贈って感謝をお伝えしました。長谷川綾子先生(伴奏・指導)からご挨拶いつも玉川聖学院の生徒がお世話になっております。ありがとうございます。今日はよい機会を与えてくださって、感謝申し上げます。本当に拙い賛美なのですけれども、みなさんとともに主を賛美する時を与えて頂き、本当に感謝でいっぱいです。どうもありがとうございます。これからも生徒たちをどうぞよろしくお願い致します。(大きな拍手)

☆説教
礼拝ではずっと使徒信条から連続で学んでいますが、今日は少し変えて、創世記の4章の聖書のことばを私(藤本牧師)の方で読んで参ります。創世記4章は4ページから5ページ。記された文体は今から四千年ぐらい前のものです。そういう文章だと思いながら、しかし聖書の一番初めにこの物語があることを覚えて、物語を理解するために、しばらくみことばを聞いてください。

【聖書個所 創世記4章1節~16節】******文章の前の数字は節を表します。(T・Y)

1人は(注***アダム)、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。2彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。4また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良の物を、それも自分自身で、持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。5だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。6そこで主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが、正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
8しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。9主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」10そこで仰せられた。「あなたは、いったい何ということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。11今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。12それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」13カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。14ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」15主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。16それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。

創世記の3章には、エデンの園でのアダムとエバの出来事が記されています。そして4章では、アダムとエバの息子たち、兄カインと弟アベルの出来事が記されています。出来事が記されていると言っても、そういう出来事がありました、という記録ではありません。
聖書は、一番初めに、アダムとエバ、カインとアベルを描くことによって、人間の変わらぬ姿、私たちの変わらぬ問題を描いています。その変わらぬ問題に、神さまがどのように応え、対応されるかが描かれています。3つのポイントで短く見て頂きたいと思います。

1)まず、描かれているのは私たちの身勝手さです。

物語は普通に、兄カインは畑を耕す者となり、弟アベルは羊を飼う者となり、そしてある時期になって、それぞれがその収穫、あるいは羊を携えて、二人とも神を礼拝するためにやって来ました。

ところが、神さまは4節の最後にあるように、弟アベルの捧げ物には目を留め、兄カインの捧げ物には目を留められなかった、とありますね。
弟アベルの捧げものが、神の御前に受け入れられて、兄カインは自分の捧げものが受け入れてもらえなかった。
         
するとカインは、憤りを覚えて、むしゃくしゃしますね。聖書では、カインは「顔を伏せた」(5節、6節)と記されています。なぜ顔を伏せているのか?

よくわかります。二人の捧げものがあって、弟のものが受け入れられたのに、自分のものが受け入れてもらえなかった。顔を伏せますよ。
二人でテストを受けに行き、片方が受かったのに、自分が落ちた。実に私たちの人生のよくある局面です。

そしてそのことが問題ではない。それはだれかが選ばれる時に自分は選ばれない。それは、私たちの日常でありますけれども、受け入れてもらえなかったのなら、その原因を考え、改善して、自分もまた受け入れてもらえるような捧げものをすればよかったカインです。 
 
神さまは、彼の心をご覧になりました。
7節、「あなたがた正しく行ったのであれば、受け入れられる。(***つまり正しく行わなかったということです。)ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている(***あなたの心のうちのその憤り・イライラが噴出する寸前だ)。だが、あなたは、それを治めなさい。」と神さまはおっしゃった。

しかし、カインにはできませんでした。8節、弟アベルに「野原に行こう」と誘い出し、そして弟に襲いかかって、殺します。

私たちは人生のさまざまな場面にあって、受け入れられないという体験をする。勝てない、思い通りに行かない。私たちは恥をかき、いじけ、ふてくされる。
そしてどこかで自分の思い、自分のエゴを満たすために、自分を立てるために、今度は相手を抹殺する、相手を無視することをしかねない、それが人間だと(いうのです)。

礼拝に来て一方が受け入れられ、一方が受け入れられなかったというのは、ある意味で長い人生の中で小さな出来事です。
それは、受験というのは、受験する人にとっては、人生最大の出来事ですが、長〜い人生の中では私たちには小さな出来事ですね。でもその小さな出来事の中に、時に私たちは誰でも自分のエゴが出て、そして特にこういう場面では、―――つまりだれかが受け入れられ、自分は受け入れられないという場面では、私たちは相手を消そうとする、そういうつまらない身勝手さが誰の内側にもある、ということを聖書は伝えています。

南カルフォルニア地裁の裁判官であったアレックス・サンダーズが自分の娘にまつわる、興味深い話をしています。

それはまだ、娘が3才ぐらいの小さな女の子であった頃。ある日裁判から帰ってくると、娘が大泣きしている。飼っていたカメが死んだのです。お母さんは、一日かかって慰めてできることはすべてしたのですが、その悲しみは癒されません。帰って来たご主人に奥さんは言いました。「あなたの番だから」。

サンダーズは、ない知恵を絞って、3才の娘を一生懸命説得します。
カメは死んだんだから、すべての生き物はやがて死ぬんだから……。まだ娘は泣きやまない。お父さんは提案します。
「じゃあ、お葬式をしてあげようね」。
「お葬式って、なあに?」
  
「いいかい。お葬式ってね、お誕生日みたいなもんなんだよ。お友達を呼んでね、ケーキを作って、カメさんが天国に行けるように、みんなでバイバイするの」。(笑)
娘の目がきらっと輝いて言いました。
「わかった。じゃあ、お友だちといっしょにケーキを食べるんだね!」(笑)

と思ったら、カメの首がくーっと伸びてきました(笑)。何かの拍子で気を失っていたのか、ともかくカメは立派に生き返ってしまいました(大笑)。のっそ、のっそと歩いているではありませんか。

それを見た娘は、微妙な顔をして(笑)、お父さんのところに来て、耳元でささやきました。
「お父さん、このカメ、殺さないとだめだね」。(大笑)

笑い話のような実話なのですけれども、上手に問題を捕らえています。
私たちはいのちを尊びますし、相手の存在も尊重します。それが家族であれ、兄弟姉妹であれ、そうしますよ。でも、一旦それが邪魔になると、自分の身勝手さにとって邪魔になると、その存在を疎ましく思う。妹がいなければ自分だけがどんなに愛されたか…。これは誰彼ではない。私たち人間は誰もがそうだと。自分の身勝手さに疎ましさを感じますと、その対象を、無視し、排除し、叩きつぶします。

カインは身勝手でありました。有島武郎という文学者が「カインの末裔」という小説を書きました。ひとことで言えば私たちみんなが、カインの末裔です。(私たち人間は皆身勝手です)。

2)次に描かれているのは、身勝手な私たちの孤独です。

9節を見てください。
神はカインに問いかけます。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
その問いかけに、カインは答えます。
「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか」――なんとこの一言をもって、カインは弟との関係を切り捨ててしまいます。――「そんな奴のことは知らん」。

神さまはそんなカインにこうおっしゃいました。12節の最後、「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる」。どういうことか?

「あなたの弟アベルはどこにいるのか?」と問われた神さまに、「知りません。私は弟の番人ではありません」とこう言ったカインに、神さまはおっしゃいました。
「寂しいね。とっても孤独だね。そうして君は自分の身勝手さを周囲にまき散らして、周囲を傷つけ、自分のわがままを通すために自分の殻に閉じこもって、それでは君はさすらい人だよ。地上をさまよい歩くさすらい人だよ。」―――神さまはカインに、そして私たちにそうおっしゃる。 

私は今日の説教題を「エデンの東」としました。「エデンの東」ということばは皆さん誰でも知っていますでしょう。聖書を読まなくても知っていますよ。
ジョン・スタインベックの「エデンの東」という小説、それが映画になり、主演の名優ジェームズ・ディーンが演じて話題になり、アカデミー賞を取ります。
その後、スタインベックは、ノーベル文学賞を授与されます。それは、家族の物語です。家族の中で傷つき、傷つけ、家を出る青年の話です。
         
スタインベックの「エデンの東」というタイトルは、聖書のここ、16節から来ています。「それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住んだ」。
つまりこの出来事以来、私たち人類は皆、エデンの東に住んでいる。身勝手に人を傷つけ、いやそればかりか自分を傷つけて、それでも自分のエゴを通して、神の御前を去り、孤独なエデンの東にさすらう。それが人間。
  
3)神のあわれみ
 
今になってカインは嘆きます。自分のしたことを嘆きます。
13節「私の咎は大きすぎて、担いきれません」。
14節「ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」

自分のしたことのゆえですけれども、しかし一つの出来事で、人生を大きく狂わせてしまったカインです。私たちも一つの出来事で人生が狂ってしまいます。しかし、それでも神さまはカインを、あるいは私たちを孤独と暴力にあふれたエデンの東に放り出すことはなさいませんでした。

神さまはカインに恵みのしるしをお与えになりました。15節の最後、「そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしをくださった。」――これが身勝手で、孤独でエデンの東に住んでいる私たちに与えられたしるし恵みです。そして聖書は、そのしるしが何であるのか、まったく教えません。これは私たちにはわからない。神さまはどんなしるしをカインに与えられたか、でも、何となく(推測しますと)、例えばですね、17節を見てください。次にこう始まりますね。「カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ」。

いったいエデンの東で、身勝手であり孤独でもあり、しかし生き延びている時、その恵みのしるしって、いったい何だろうって思いますね。
もしかしたら、そのしるしは、17節から始まる彼の家族かもしれません。「カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ」。
あるいは、身勝手で孤独で、しかしこのエデンの東で生き延びて行く恵みのしるしは「友情」かもしれない。
身勝手で、孤独な私たちにも家族が与えられ、あるいは友が与えられ、仲間が与えられる。

カインはアベルのいのちを奪ったことで、自分自身のいのちをも傷つけてしまいました。でもその彼を守っている恵みのしるしがあるとすれば、もしかしたらそれは優しく温かな家族であるかもしれない。あるいは友情であるかもしれない。それは、神さまがこのエデンの東に住む私たちに与えてくださる、恵み、憐れみですね。

聖歌隊の方々を見ていますと、先生を中心に、OGも含めて皆で支え合って、ひとつの賛美を作り出しているその姿、私たち教会そのものであると言えますね。私たちの教会家族は皆、ひとりひとりが傷つき、傷つけあいながら、身勝手で、孤独にエデンの東に住んでいるのです。私たちの家庭もエデンの東の中にある場合もある。教会も若干、エデンの東的なところがあるかもしれない。でも私たちに神さまは恵みのしるしを下さる。それが隣に座っている兄弟姉妹であり、それが隣に座っている仲間であります。

丘を登っていくと牧場がありました。たくさんの馬が駆ける中、その一角にわりと小さめの囲いがありました。その中に二頭の馬がいます。遠くから見ると、二頭は他の馬と全く同じですが、しかし車を止めて、近くに行ってよく見ると、二頭の馬は特別でした。

一頭の馬の目をじっと見ると、あっ、その目は見えないんだと、見えていないことがわかります。馬主は安楽死させることも出来たのでしょうが、その馬を大切にしたのでしょう。安楽死にはさせなかった。
 
その馬をじっと見ていると、鈴の音、小さな鐘の音が聞こえて来ました。その音は、もう一頭の馬の方から聞こえて来ます。よく見ると、その馬の首に鈴が付けられていました。私が近づいて行ったので、その馬は気にして、こちらにやって来たのです。

目の見えない馬は、その相手の鈴の音を聞いて動きます。なるほど、二頭は友だちなのです。目の見えない馬は、鈴の音を頼りに、囲いの中を一緒に走ります。一緒に走ろうと、近くまでやって来て、目の見えない馬を首で押しながら、一緒に走ります。そして、きっと夜になって納屋に戻る時には、その鈴の音を頼りに一緒に戻るのでしょう。

そのようにして、目の見えない馬に友だちを用意されたのは、馬主でした。その温かな心を持った馬主でした。

その話を読みながら、私は神さまの憐れみというものはこういうものかなと感じました。
時に私の首に神さまは鈴をつけて、傷ついた仲間を導くことをされる。
時に、私は傷つき、見えなくなり、しかし友人の鈴に導かれる。
そうして家族があり、友情があり、神さまの恵みが、エデンの東に住んでいる私たちを生かしておられる。

聖書はまだ、ほんの5ページです。やがて聖書を読んで行くと、イエス・キリストが来られる。エデンの東にさすらう私たちを、神の御前にもう一度引き戻してくださる。神の御前を去って行ったカインと、そのカインの末裔を、もう一度神の御前に引き戻してくださり、私の友となってくださり、私とともに歩んでくださり、愛することを教えてくださる。
私たちには、何重にも神さまの恵みのしるしが与えられていて、こんなにしんどいエデンの東の中でも、喜びと感謝をもって生かされていることを、もう少し感謝しましょう。

☆終わりのお祈り
神はカインに一つのしるしを下さった。(創世記4章15節参照)

恵み深い天の父なる神さま、この2月の第一の聖日、玉川聖学院の聖歌隊を迎え、卒業して行く神学生を迎え、あるいは受験するために出て来た高校生の兄弟を迎え、小さな子どもたち、ご高齢の方々と共に礼拝をささげることができた恵みを感謝致します。

「強くあれ、雄々しくあれ。あなたの神がともに進まれる。強くあれ、雄々しくあれ。主はあなたを見捨てない。主ご自身があなたの先を進んでおられるから。」(注***申命記31:6,8・最後に聴きました畔柳美玖さんという方の作曲の讃美歌を引用されて)どうかこのみことばをもって、エデンの東にさすらう私たちを導き、私たちを強め、私たちを励ましてください。愛する主イエス・キリストの御名によってお祈りを致します。アーメン。

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