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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   失望の山を越えて祈る―ヨセフ(祈りのシリーズ11)
失望の山を越えて祈る―ヨセフ
  創世記40章


               ●悲惨な人生

 聖書の中にヨセフほど、複雑な波瀾万丈な人生をたどった人は他にいないと言っても過言ではありません。彼は、難しい家庭に育ちました。父ヤコブは、ラケルというひとりの女性を愛しました。しかしラケルの父の策略で、結局、姉さんのレアとも結婚することになります。はじめから複雑な夫婦関係の中、どちらの女性により多くの子どもが生まれるか、二人の女性の女奴隷も中に入って、熾烈な家庭の戦いがありました。
 そうして与えられた一二人の子どもの中で、ヤコブはヨセフを最も愛しました。いや、ひいきと言ってもいいでしょう。ヨセフだけ洋服も違えば、待遇も違うのです。その結果、兄十人は彼を殺そうとしますが、からくもいのちだけは助かり、代わりにエジプトに奴隷として売られていきます。
 一七歳の体験です。悲惨な人生でした。もう二度と家族と再会することはないでしょう。たった一人で大都会エジプトに奴隷として売られていきます。彼を買い取ったのは、宮内庁の役員ポテパルでした。

               ●聖書の記述の裏にあるもの

 聖書は淡々とその物語を描いていきます。
 「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た」(三九・二〜三)。
 主がともにおられ、幸運な人となり、成功を収めた、と記されています。
 いやいや、私たちはその影の彼の努力を知っています。その涙を想像できます。異国の地に売られ、どんなに苦労したことでしょう。ことばに慣れ、文化に慣れ、奴隷としての生活に慣れ、やがて主人の信用を勝ち取るまでに涙ぐましい努力があったのです。いやそれを前に、兄への憤り、望郷の念を断ち、そして涙をぬぐって立ち上がることなど、やすやすとできるはずがありません。背後にどんなに暖かな主の支えがあったとしても、それは大変なことです。
そう。
 いつの間にか、ヨセフは主人の家の会計を全て任されるにまで成長します。ようやくエジプトでの自分の立場を立てあげたその時、すべてが音を立てて崩れていきます。主人ポテパルの妻はヨセフを誘惑します。それを振り払ったヨセフは、逆上した妻に強姦されそうになったとでっち上げられ、訴えられて、投獄されてしまいます。
 こんな惨めな人生って、あるでしょうか。殺されそうになり、奴隷として売られ、そこからはい上がり、気がついてみたら牢獄です。
 私たちは横田めぐみさんの話しを聞いたり、また向こうでの生活を想像するだけで、胸が痛みます。親の愛を受けて、中学生活を楽しんでいた女の子が、ある日、忽然と姿を消します。拉致されたときの状況を、当時、そのことに関わった工作員から伝え聞くところ、工作船の底で一晩、お母さんと泣き叫んで、陸に上げようとしたとき、その爪は船底をひっかいてはがれていたというではないですか。どんな悲しみだったのでしょうか。まったくことばのわからない世界で、どんな涙を流していたのでしょうか。それがヨセフなのです。
 しかもヨセフはえん罪で投獄されます。オーストラリアのメルボルン事件をよくご存じでしょう。一九九二年に旅行で訪れたビクトリア州のメルボルン空港で、日本人観光客四人のスーツケースから一三キログラムのヘロインが発見され現行犯逮捕された事件です。一行は、途中で飛行機を乗り換えたマレーシアの空港でスーツケースが壊され、ツアーコンダクター的な役をしていた人物から二重底になって麻薬を仕込まれた新しいスーツケースを渡され、それをもっての入国でした。裁判で彼らは無罪を主張しますが、全員に懲役一五年から二五年の実刑判決が渡されました。当時のメルボルン日本語教会牧師スティーブ・ヤングさんを中心とした人々が、五人を訪問するなど、彼らの無罪を信じるクリスチャンを中心に支援活動を続けてきました。そして二人がキリストを受け入れ洗礼を受けるようになります。こうした支援団体があって、なんとか彼らは異国の地でのえん罪による投獄を生き抜いてきたのでしょう。それはそれは辛い体験でしたでしょう。それがヨセフなのです。
 人生に欺かれたという感情を押さえることはできないでしょう。運命に翻弄されるという空しさを禁じ得ないでしょう。平安時代に菅原道真という人物が右大臣として活躍していました。しかし彼は、当時勢力を伸ばしてきた藤原氏を押さえようとして、かえって太宰府に流されることになります。彼は、太宰府に移されてからわずか2年で死んでいます。太宰府で記した「大鏡」という書には、彼が毎日過去を顧み、自分を憐れみ、過ぎ去った出来事に対して悔いていることが歌につづられています。それほど辛かったのです。それは、自分を襲った悲劇的な運命を受け止めることができず、埋没していく苦悩の二年の足取りでした。
 ヨセフは立ち上がります。その鍵となったのが、彼の信仰であり、「主はヨセフとともにおられ」ということは、ポテパルの時代も、牢獄の時代もかわらず(二一、二三節)、主の臨在の事実の故に、ヨセフは、兄弟を恨んだり、ポテパルの妻を恨むというマイナス感情にのまれることなく、耐えることができたのでしょう。
 
                ●さらに大きな失望の山

 そうして四0章は、「これらのことの後」と始まります。獄中での出来事でした。王の宮廷の料理長と献酌官長が投獄されてきます。この二人があるとき、奇怪な夢を見ました。同時に似たような夢を見たのです。自分たちの運命をどう予兆しているのか、不安な顔つきで朝を迎えました。
 「朝、ヨセフが彼らのところに行って、よく見ると、彼らはいらいらしていた。それで彼は、自分の主人の家にいっしょに拘留されているこのパロの廷臣たちに尋ねて、『なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか。』と言った。ふたりは彼に答えた。『私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。』ヨセフは彼らに言った。『それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。』」(四〇・六〜八)
 ヨセフは彼らの夢を解き明かします。献酌官長は、ヨセフの解釈通り、釈放されて王宮の仕事に復帰していきました。そのときでした。そのとき、ヨセフは彼に望みを託します。
 「あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください」(一四節)。
 私のことを覚えて、王様に恩赦をお願いしてください、と頼みました。
 彼はヨセフにどれほど感謝したことでしょう。しかし、外の世界に出てみたら、幸せな思いと仕事の忙しさの中で、彼はすっかりヨセフのことを忘れてしまうのです。四〇章の最後は、こう締めくくられています。
 「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった」。
 イギリス人で、はじめてオーストラリヤ大陸を探検したハミルトン・ヒュームという人物がいます。探検隊は、シドニーからメルボルンへ向かいました。途中、山脈が連なるところがあります。今は、彼の名前をとって、ヒューム山脈と名付けられています。次から次へと、続いていく峰の数々に行く手を阻まれて、一行はシドニーへ戻ろうと、挫折します。そこを隊長のヒュームが説得します。
 「あそこに、一際高い山がある。あれを登ろう。あそこの上に立てば、海が見えるはずだ。そして、戻って報告しよう。『我々は、あの山の先を見た。海が見えた』」。
 一行は最後の力を振り絞って、とうとう山頂に立ちました。が、そこから見えたものは、ただ一面の山、山、そして谷でした。えんえんと続く山脈です。ヒュームはその山を「失望の山」(Mount Disappointment)と名付けました。
 また駄目だった。まだ駄目だ。またじゃまが入った。いつ出れるかわからない。どんどん延長されていきます。それがヨセフの牢獄の焦りでした。先がまったく見えないのです。

                 ●最悪の二年間をしのぶ

 そう考えると、ヨセフの心の中に冷たい暗い鉄格子ができてもおかしくないほど、彼は辛いところを通過しているのです。おそらくヨセフの生涯の中で、この忘れ去られた二年間ほどしんどい時期はなかったのではないでしょうか?
 エジプトに奴隷に売られて、やがて彼がエジプトの宰相に抜擢されるに至るまで、なんと一七年かかります。この時期、ヨセフはどうやって支えられてきたのでしょうか。実は、ヨセフ物語には「ヨセフが祈った」という文章は一度も記されていません。もちろん、「神はヨセフとともにおられ」というのは、紛れもなく、祈りを通して神との交わりにあったということを意味するのでしょう。
 しかし、私は思うのです。そんなヨセフでも、さすがに牢獄の最後の二年はしんどかっただろうと。つまり、四〇章最後の二三節から次の四一1章一節の間に存在してる、空白の二年です。頼りにしていた人が彼を忘れ去って、一人牢獄に残されての二年です。その間に、一言も記されていない沈黙の二年です。

                               ●黙り込んではならない

 もしこの二年を埋めるみことばを聖書の中から見つけてくるとしたら、私はイザヤ書六二章六節を選びます。
 「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない」
 イザヤ書は四〇章以降、神の力と愛のこもった約束のチャレンジが続きます。しかし、そう簡単に預言者のことばで励まされることができないほど、バビロン捕囚七〇年の疲れは重く民にのしかかっていました。彼らからなかなか神に期待する信仰を汲み出すことができません。それだけの信仰の信仰のエネルギーが残っていないのです。
 それは、祈りの問題として現れます。旧約聖書の世界で、祈るとは、叫ぶこと、叫び求める、心を注ぎだして求めるということです。捕囚の民は、苦難の地で、試練の中で、叫ぶことをやめまてしまいました。いつの時代も希望を失った人は、叫ぶことをやめると言われます。失望の峰峰を長めながら、信仰が萎えていくのです。それが一番明確に現れるのが、祈りの衰退です。だんだん、口をつぐんでしまいます。
 この状況に対して、神は立ち上がられます。
 「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは」(六二・一)。
 低迷して、沈んでしまったイスラエルに対して、周囲は、イスラエルは、もう終わりだ。見捨てられた、と決めつけていました。それに対して、神は御自身の心を明らかにされます。
 「あなたはもう、『見捨てられている。』と言われず、あなたの国はもう、『荒れ果てている。』とは言われない」(四節)。
 ヨセフは、二年間、人からは忘れ去られました。しかし、神は「わたしはあなたを見捨てていない」とおっしゃるのです。
 先ほど、横田めぐみさんの話を少しいたしました。お母さんは本を出版されます。その内容もさることながら、題が感動的です――『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』。日本の政府も警察も、北朝鮮による拉致ということを認めていない時、時が経つに連れ、事件のことが世間から忘れ去られ、見捨てられていく中、お母さんはそうではないという意思の表れです。この本の題には、お母さんの決意を感じます。どんなことがあっても、忘れない、見捨てない、お母さんがきっと助けるから、と。先ほどのイザヤ書六二・一や四には、それと同じような神の決意を感じます。
 同時に、横田早紀さんの書物の題名は、どこにいるかわからない我が子に対して、「だから、あなたもがんばりなさい」という呼びかけが込められています。お母さんはきっと助けてあげる、だからあなたも負けないで生きて、という叫びです。
 六二・六は、それと同じような神の側の叫びです。主に覚えられている者よ、主に覚えられているヨセフよ、黙り込んではならない。祈りをやめてはならない。そう、聖霊に励まされて、聖書が沈黙する、最もしんどい2年間、ヨセフは祈ってきたのではないでしょうか。

  イエスは、「主よ、私を覚えていてください」と願った、あの十字架の犯罪人をさえ、暖かなあわれみのうちに覚えて、「今日、あなたはわたしとともにパラダイスにいます」と約束してくださったのです。主は、ヨセフを忘れなかったように、あなたを忘れません。だから私たちは、失望の山を越えて祈るのです。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2003.03.17 - 11:41
LAST UPDATE: 2003.03.31 - 23:24

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