名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 933 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   3/13礼拝説教「そこから学ぶこと」ナホム1:1~8
3/13礼拝説教「そこから学ぶこと」ナホム1:1~8

☆お知らせ

●さて、皆さん、金曜日のあの地震があった時にどこにいらっしゃいました?どこにいらっしゃって、その動揺とともに、何を考えたのか?その夕べ帰宅困難になり避難した方もいらっしゃいますでしょうし、今頭に思い浮かびますけれども、それでしばらくお祈りのときにしたいと思います。いいですか、前から行きます。一番前の人が振り向いて後ろの席の人とそれを少し分かち合って欲しいと思います。そして少し自分の心のうちにあるいろんなものを兄姉とともに、分かち合いたいと思います。自分の名前、知られていなければおっしゃって頂いて、5分から7分ぐらいどんなに大変だったのか

☆説教 ナホム書1:1~8

さて、今日はこのナホムのことばを開きましょう。先ほど皆さん、地震があった時何を考えられたのか、是非分かち合ってくださいという話をしました。
この世界が安泰だと思っている人は、世界が終るかもしれない。主のお出でが近い。主のお出でが遠いと思っている方は、主のお出では近いと、そう恐れを抱いた方がいいと思います。私はことさら恐れをあおるようなメッセージは今日は致しませんが、でも大丈夫だと思っていたら、明日をもわからないと、聖書に明確に書いてあるのですから、明日をもわからないように私たちは生きるべきだと思います。
災害に対する危機管理にうとければ、やっぱりできるところから話し合った方がいいと思います。携帯が一発で電源が効かなくなる訳ですから、日頃から緊急時のダイヤルのやり方位マスターしておくべきなのだろうと思いますし、教会としては耐震構造を含めて、対策委員会をこの前の役員会で設けたばかりです。少なくとも分かった事はこの建物は震度5強の地震に耐えられるということで、(笑)果たして6に耐えられるのかということは全然違う問題でありますね。

この地震の後持たれている教会の礼拝で、多くの教会でこのみことばが引用されていると思いますが、それが、ナホムの1章の3節「主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方」。その次ですね。「主の道はつむじ風とあらしの中にある」。

ナホム1:3「主の道はつむじ風とあらしの中にある」。

ナホム書は、ニネベの滅びを預言した書物です。ニネベは当時世界最大の帝国アッシリア帝国の首都でありました。アッシリアはなんと北のイスラエル帝国を滅ぼし、そしてエジプトに中近東一帯を征服しますけれども、ナホム書というのは、アッシリア帝国の首都ニネベの滅びを預言しています。北のイスラエルを陥落させてしばらくして、ニネベは滅びます。二ネベはチグリス川のほとりにある町で、発掘が進んでいますので、大体わかっていますが、周囲約15キロ、そして川と運河の町で、分厚い城壁に囲まれていました。

ヨナという預言者がニネベに行って、滅びを預言します。その時には、人々は悔い改めます。アッシリア帝国の町ですから、全然イスラエルとは離れて異教の町です。そしてイスラエルからわざわざヨナが預言者として行って、それを信じて悔い改めるのですが、150年後その町は不信仰の中に滅びて行くのが、紀元前612年です。バビロンとメディアの連合軍がニネベを取り囲んだ時に、チグリス川は洪水状態になります。洪水によって逃げ場を失い、洪水がニネベの城壁を崩します。それが8節で

(8節「しかし、主は)、あふれみなぎる洪水で、主に逆らう者を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる」。

洪水によって神さまはこの町を滅ぼされます。自然の猛威とはかくもすごいものだ。

地震が来たとき、神学校の卒業式の最中でした。ちょうど野田秀先生が祝辞を述べておられて、私も含めて皆座っていました。ところが長い長い揺れで、私は司会をしていましたので、避難しましょうと、立ち上がってマイクに近づいたのですが、立っているのが難しいほどでした。そして駐車場に避難したのですが、皆さん気分が悪い。揺れている中を歩くということで、それだけで気持ち悪くなりました。
戸塚姉もちょうど山に登っていて、山から下りようとした時に、大きな岩が転がり落ちるのをいくつも見たと言っていました。
しかし、津波は恐ろしいです。あれほど車が押し流され、家の基礎のコンクリだけを残して、跡形もなく町ごと海に持って行ってしまう。

そういう自然の猛威の中で、ナホムは「主の道はつむじ風とあらしの中にある」と言ったのです。人の力ではどうしようもない「つむじ風とあらしの中」で、人は改めて神の事を思う、だから「神の道はつむじ風の中にある」と言っているのです。自然の猛威を肌に感じて、改めて自然を支配されている神さまのその道をナホムは、つむじ風の中に見たと言うのです。すると、私たちが、地震という、自然の猛威・災害の中で、どのような意味で神の道を見たのか?それを今日ともに、短く2点でありますけれども、見て頂きたいと思うのです。

申命記の4章の29節、旧約聖書の初めの方ですね。創世記から始めて5番目、申命記4:29~31を交読いたします。

29節「そこから、あなたがたは、あなたの神、主を慕い求め、主に会う。あなたが、心を尽くし、精神を尽くして切に求めるようになるからである」。

30節「あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、主に立ち返り、御声に聞き従うのである」。

31節「あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず 、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない」。

4章の29節にこう始めますが、「そこから」というのは、私たちにしてみればこの地震からということでしょう。
イスラエルの人々にしてみると、「そこから」というのは「どこから」なのでしょうか?
イスラエルの人々はこの申命記で、荒野の厳しさからやがて約束の地の喜びに入ろうとしている、その場面です。

でもモーセは彼らが約束の地に入った時に、その豊かさ、繁栄の中で、傲慢になり神を忘れ、そしてかつて体験した神の恵みを全部忘れてしまった時に、神さまは、一つのつむじ風を送ると、一つの地震を送ると、その試練を味わったときに、29節、「そこからあなたがたは、あなたの神、主を慕い求め」るようになると(言います)。

何時間も歩きながら何を考えたのか?停電の中で、いったい何を学ばれたのか?津波で家や家族を失っている、あの映像から、原発の建物が吹き飛んだ映像を見ながら、皆さんは何を考えられたのか?学んでいるのか。

イスラエルの国の始まりは、民族の全体がエジプトで奴隷として苦しんでいた時に始まる。神さまは、彼らの叫びの声を聞いてモーセを指導者として立て、エジプト脱出させ、彼らに約束の土地として、カナン、今のパレスチナを与えます。旧約聖書はそういう風に語る。
イスラエルは、私達人類を代表して、一つの事を学ぶために、何千年も前に選ばれて、エジプトを出て、荒野をさまよい、神さまに養われる。ところが、イスラエルは荒野の教訓と受けた恵みを忘れて行くようになります。このイスラエルの姿はまさに私たちの姿です。4:25を見てください。

25節「あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、あなたの神、主の前に悪を行ない、御怒りを買うようなことがあれば」、

ということをモーセは予測しているのです。その時必ず、つむじ風とあらしをあなたがたの生活のど真ん中に、神さまは送られるぞと警告をしている。

27節「主はあなたがたを国々の民の中に散らされる。(しかし、ごくわずかな者たちが、主の追いやる国々の中に残される)」。

という、そういう試練をあなたがたは、味わうぞ。そして29節(以降に続くわけですがその試練の中で)、そこからあなたは何を学ぶのか?

で今日は、私は2つのことをお話します。

1)人生のあらしとつむじ風の中から、本当の神を求めるようになる。

30節「あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが(***災いが)後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、主に立ち返り、御声に聞き従う(のである)。」

31節「あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、(あなたを)滅ぼさず、(あなたの先祖たちに誓った契約を)忘れない」。

このニネベの歴史を振り返ってみますと、私たちときっと重なるのですね。
戦後日本は、もちろん進駐軍マッカーサーの方針もありましたが、生きる方向性も目的も失い、そして教会に人々は来ます。日本の教会が一番エネルギーを持ち得たのは、1970年代。
日本の歴史が犯した過ちと、その代償として受けた敗戦という大地震の中から、神に立ち返ることを学んだ人は多くいました。私の父も私の母もその戦火の中から、信仰を持つようになります。
しかし、高度成長とともに、教会はまたかげりを見せ始めます。天地万物を創造された神、私たちの罪をあがなう神ではなく、人は幸せを与える神、成功させる神、お金儲けを、偽の神々へと心を移して行きます。
そして日本の国民は、真理よりも成功を追い求めるようになるんですね。

ある牧師の言葉に、このようなものがあります。
「私たちの国における最大の未開発の資源は、信仰である」。

未開発の資源と言った時に、持っていないのではない。信仰というものがこの日本に存在していないのではない。でもそれは、きわめて未開発で、私たちは成功や繁栄を求めるあまりに、その資源を地に埋めてしまった。でもそれは埋もれていて、掘り出す者がいれば、掘り出すことができる」。

石井米子姉のご葬儀で、最後ご主人が挨拶をされ、私はできるだけ詳しく、証しのようなものをしてくださいと(お願いしておきました)。とっても感動的でありました。

ご主人は、現役で仕事をしていた頃は、奥さまがいろんな趣味やあるいはボランティア、社会貢献ということを、とても積極的になさった方であったそうです。しかしそれを見て、自分はとても無関心だった。自分にとっての人生は、政治と経済がすべてであって、趣味あるいは社会貢献ということは、自分の頭の中にはなかった。

しかし、自分が退職を迎えた時、自分もまたすぐに区役所に行って、自分に何かできることはないかということを一生懸命聞きながら、ボランティアを始めるようになったということを証ししておられました。  

そして石井米子姉はしばらくして、難病の脊髄小脳萎縮症に倒れます。ですから私たちの教会では、車いすで来られ、最初は真っ直ぐ座っておられましたけれども、だんだん斜めに座るようになって行かれたのですね。

ご主人は一生懸命車いすを押して教会に来られ、奥さまが入院中には代わって礼拝に来られ、退院して礼拝にいらっしゃれなくなってからは、ご主人が礼拝に出席なさって、今日は教会でこんなことがあったと奥さまに報告なさった。奥さまは、頭の方はきちっとしておられますから、それを頷いて聞いておられた。「そういう妻の姿を見て、私は信仰ということの素晴らしさを学んだ」というご挨拶をなさったのですね。

あぁなるほどなぁと(思いますね)。仕事一本で現役でやっていた頃は、政治と経済のことしか考えず、そのボランティアや社会貢献ということにも目が向かなかった。でも退職してその事に目が向くようになり、でもそれを超えて、奥さまが難病にかかって、その中で礼拝の恵みを大切にしておられる姿を見て、信仰というものの大切さを考えるようになった。

これが、「つむじ風の中の神の道」です。「つむじ風の中の神の道」というのは、私たちは人生の試練の中で、いったい神は何を語っておられるのか、その語りかけを聞くということです。
モーセは言いました。「そこからあなたがたは、あなたの神、主を慕い求めるようになる。そこからあなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして切に求めるようになる」と。(***申命記4:29参照)

私たちは数週間前に、ニュージーランドの地震のために祈り、しかしそれよりはるかに大きな地震を、反対側の日本でこの地震を体験するのです。これで世が終わるかもしれないと言われても、いやそんなことはないとは言えないですよ。
そんなことはない、いや、世が終わるかもしれない、なんてのは、いつでも主の再臨は夜、盗人がやって来るように来る(注***Tテサロニケ5:2、黙示録3:3、Uペテロ3:10参照)と、イエスさまは明確に宣言しておられる。
それを心の中にしまいつつ、全然違うことをするわけですけれども、その心の中にしまってあった信仰を掘りだせと。未開発の資源――自分の内側にある、あるいは日本の国の中にある、かつて存在していた――未開発資源を、あなたは埋めてしまったのだ。それをもう一回掘り出すことが「つむじ風の中の神の道」です。

2)この地震から学ぶことがあるとすれば、助け合うことのすばらしさを知っている特別な自分を発見することです。

それを少し発見して頂くために、さっき分かち合ってお祈りして頂いた。助け合うことを知っているのが私たち。助け合うことを知っている特別な日本人。

キリスト教国アメリカであの程度の地震が起こったら、皆さん何が起こると思います?略奪ですよ。日本は自衛隊が出動して救援に回るじゃないですか。アメリカだったら軍が出動して町を守りますね。そこら中のコンビニからスーパーから、カートごとテレビから何からみんな持ちだすことしか考えないような人々があの国にはあふれているのですよ。私たちは今日改めて日本の素晴らしさというものを、考えなければならない。

小さい事から言いますとね、金曜日の夜、一番歩いたのは、光楽兄だろうと思います。今日はまたあっちに行ってますから、大宮の方に。だったら帰って来なくてもよかったのに…(大笑い)。

彼は歩きながら何度も壮年会のメールに状況を送ってくださいました。自分は歩いている。そして教会は大丈夫か?インマヌエルの教団の皆さんは大丈夫か?歩きながら何度もメールを送り、祈りを送り続ける。

加藤兄はまず教会の建物を見に来てくださいました。土曜日すぐ出勤なのですけれども、まず教会の建物を見に来てくださった。

インマヌエルの鰍沢(かじかざわ)教会のご夫妻は、お孫さんを連れて慈恵医大に行った。そして地震が来てそこから帰れなくなり、何とかバスを乗り継いで溝の口まで来た。そして、「そうだ溝の口のそばに高津教会がある」ということで、公衆電話で高津教会に電話して来られました。その夜、お三人で牧師館に一泊されました。

伊礼兄は、金曜日の夜でしたかねぇ、「中村くんはどうなっているんですか?」と。私は一瞬「中村くんって誰のことだ?」と思いました(大笑)。岩手に行った中村君だ。伊礼兄は自分の知る限りにおいて、安否が取れている人を教えてくれました。

Bさんからも連絡がありました。「仙台に家族がいる木村さんが心配だ。いったい、どうなっているんだ」。皆誰も自分のことを心配してる人はいない。周囲の人のことを心配しているのです。

光楽兄から聞きました。宮本さんは銀座から狛江まで5時間歩いたそうです。私はとっさに思いました。5時間歩くぐらいだったら、銀座にいればいいのにと。だけど宮本さんのその思いが光楽さんのそのメールにありました。宮本兄は、ゆうき君が家に一人でいると思うと、自然に足が速くなった、と。

皆、互いを助け、家族を大切にし、困っている人のために力を注ぎ出す、自分(を見つけるのです。)あぁ、そんな自分がいるのか!?と。今日も警察も消防も自衛隊も、そのようにして全力を挙げて、一人のいのちを助けようとしている。それが日本国民の姿なのだ。

ちょっと申命記に戻って見ていただきます。モーセがこんなことを言いますね。4章の33と34を交替に読みましょう。

33節「あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生き続けていた民があっただろうか」

34節「あるいは、あなたがたの神、主が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力とをもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか」。

二つとも疑問文ですけれども、あなたがたのように、こんなに神さまの愛を受けて、神さまの賜物を与えられて、期待されている民は他にあるのか?と。そういう自分に気が付けというモーセのメッセージです。
やがて神さまは数々の試練を地震をあなたがたに送られる。その時あなたがたは、自分の傲慢さに気が付き、そして切に、心を尽くして、神を慕い求めるようになる。そして神に出会う。
そればかりでなく、自分がいったいどういう存在なのか、神さまに選ばれ、神さまに愛され、神さまに期待されている、実は素晴らしい民だ。その事に気が付いて、むなしい生き方を捨てなさい。

それがナホムが見るところの、「つむじ風の中の神の道」です。私たちは1週間かけて、救援活動されている方々のために祈らなければいけない。あるいは、壊れてしまったものを立て直している方々のために、祈らなければいけない。期待された教会のために、集会のために、そして、さらに祈るとすれば、改めて日本は互いを愛する、助け合う国だということ、しかしそれを超えて、人生の目的、人はやがて皆死ぬということ、そして神さまの存在というものに目覚めてほしい。その生き方の中にある、神の位置をナホムのように見い出してほしいと思います。

☆終わりのお祈り

そこから、あなたがたは、あなたの神、主を慕い求め、主に会う。
あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。(申命記4章29節前半と33節)

恵み深い天の父なる神さま、恐らく神戸の震災当時そこにいなかったのであれば、人生で一番揺れたあの地震を体験しました。それでも家も守られ、いのちも守られ、教会も守られました。
どうか、必死になって救援活動をしておられる方々の健康を支え、あの原発の熱をあなたが完全に冷却してくださり、その危険が周囲に広がることがありませんように、人の力を超えた大きな大きな出来事ではありますが、あなたが手を伸ばして支えてください。
被災された教会、または教会家族、私たちの教会では小林愛恵姉の実家が住めるような状態ではないということを聞きました。どうかあなたの恵みがそこにも豊かにありますように、よろしくお願い致します。小杉姉のことも心配です。どうか姉の家族の安全が、あなたの御手の中に納められて、守られていることができますように。
もう余震を止めてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2011.03.27 - 01:19
LAST UPDATE: 2011.04.02 - 22:07

219.45.134.199 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 6.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6; SLCC2; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; Media Center PC 6.0; .NET4.0C)

Name   E-Mail   Password

 前文 3/20礼拝説教「途方に暮れても、倒され...
 次文 3/6礼拝説教「使徒信条(7)我は、聖霊...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
298現在参照中の文章です...3/13礼拝説教「そこから学ぶこと」ナホ... T・Y 2011.03.27 5003
297Simple view *^^* 3/6礼拝説教「使徒信条(7)我は、聖霊... [1] T・Y 2011.03.27 6995
296Simple view *^^*2/27礼拝説教「使徒信条(6)我は、独り... [1] T・Y 2011.03.27 5722
295Simple view *^^*2/20礼拝説教「使徒信条(5)我は、イ... T・Y 2011.03.27 4899
294Simple view *^^*2/13献堂記念の聖日、蔦田就子師宣教報... [4] T・Y 2011.03.27 8575
293Simple view *^^*2/6玉川聖学院聖歌隊の音楽礼拝と説教「... [1] T・Y 2011.03.27 6080
292Simple view *^^*1/30教会総会の日の説教「耕地を開拓せ... T・Y 2011.03.27 6854
291Simple view *^^*1/23礼拝説教「使徒信条(4)父なる神... T・Y 2011.03.27 5964
290Simple view *^^*1/16礼拝説教「使徒信条(3)全能の神... [1] T・Y 2011.03.27 5930
289Simple view *^^*1/9礼拝説教「使徒信条(2)天地の造り... T・Y 2011.03.27 39111
288Simple view *^^*1/1元旦礼拝説教「使徒信条(1)私たち... [2] T・Y 2011.03.27 2184
287Simple view *^^*12/26礼拝説教「パウロ(38)目標を... [1] T・Y 2011.03.27 6241
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*