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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/20礼拝説教「途方に暮れても、倒されても」Uコリント4:6〜10
3/20礼拝説教「途方に暮れても、倒されても」Uコリント4:6~10

☆お知らせ

●連日、報道されている東日本大地震関連のニュースですが、この日の高津教会の礼拝は、この日は「祈りの日」と教団が定めたということで、先週に引き続き、席の前後の人たちとグループを作って、心の思いを分かち合い、皆で心を一つにして祈るというものから始められました。
すでに、掲示板上では、藤本先生の書き込みがあり感謝ですが、インマヌエル教会の被害状況や対策を知るには、インマヌエル教団HP上で、12日に立ち上げられた災害対策室、それから他の教会については、いのちのことば社のHPであるJPNEWSなどで触れられていますので、そちらでご確認ください。
   http://www.immanuel.or.jp/shinsai.html
   http://jpnews.org/pc/modules/bluesbb/topic.php?top=1

●今日から高津教会でも義援金が始まります。これは長期的にアピールして実行し、対策室に報告することになります。インマヌエルの東北地域の教会を助けるだけでなく、JEA(日本福音同盟)や他の教会と連絡を取り合い、広く住民の方々を助けるために、私たちが何ができるかを考えて行きたいと、次の情報が週報に挟んだ紙に書いてあり、教えて頂きました。


☆説教       Uコリント4:6〜10
いきなり話をしますが3つのポイントで話をします。

1)現実は大きなコントラストの中で存在する

まず注目していただきたいのは、7節ですけれども、実際、新改訳聖書では、7節冒頭には訳出されていませんが、ギリシャ語の本文にはある【しかし】です。

7節「【しかし】私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」。

【しかし】を入れる代わりに、段落替えで表現したのでしょうが、どうしても必要な【しかし】です。

なぜなら、この【しかし】こそが、パウロの置かれている状況を、初代教会の人々の生活を、また私たちの置かれている世界を、私たちの人生を表現しているからです。

それは、6節を見たらよくわかります。
6節「『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです」。
 
この6節、今私たちは使徒信条の学びをずっと続けて来ました。ここ2回中断しておりますが、私たちが告白している神は、全知全能なる、天地の創造主なる神です。

その神さまは、この世界に光を与えてくださった。ですから、6節に「光が、闇の中から輝き出よ」というのは、創世記1章の天地創造の一番最初のことばであり、その神のことばは生きていて、今も私を支え、そしてその光を私たちの心の中に届けて、キリストを知る知識を教えてくださる。その知識によって、私たちは神の栄光が解るようになる。

つまり6節に描かれているのは、全能の神、創造主なる神、神の栄光、そして私たちの心に光を当て、私たちを栄光をもって輝かせてくださる神さまです。

でも、次の7節に大きな「しかし」があります。大きなコントラストです。
しかし、私たちは、この宝を土の器の中に入れているのです。この土の器とは、折れやすい私たちの心です。そして、土の器は、私たちの弱さを帯びたからだです。そして、「土」とあるように、これが私たちの住んでいる、この世界です。
片方で神の栄光を表現している。しかしそれは、土でできた脆い大自然。

元気であるはずの私たち、被災を経験したわけでもないのに、呆然とテレビの映像を見ているだけで、エネルギーが吸い取られて行くような虚脱感を感じる、人の心です。
全能の神、創造主なる神を信じ、その栄光の輝きを知りながら、現実に吸い込まれて行くのが、私たちの心です。

このギャップは自然の中にも表れる。
私たちが知っている宮城から岩手に広がる、あの三陸海岸というのは、日本有数の名勝地のひとつです。あの自然の美しさ、リアス式海岸の雄大さを感じる、独特な地形を持っている。しかしそこに津波が押し寄せるとその地形が却って災いし、町ごと壊滅状態に持って行ってしまった。

あれほど美しくのどかな田舎町の風景が、一転してがれきの山に変わってしまった。人々の平和な暮らし、日本に戦争の危機があるわけでもなく、私たち日本が飢餓に見舞われている訳でもありません。日本の米の備蓄量というのはどれほどありますか、ものすごい量でしょう。石油の備蓄も日本はものすごいですよ。しかし米がなくなり、石油が届かない。一転して、どん底にたたき落とされる、この現実のギャップ(の中に私たちは生きているのです)。

6節に描かれているのは、神の栄光と神の全能なる力、それを反映して輝いている私たちと大自然。しかし、7節に描かれているのは、私たち自身が土の器であり、この大自然がまた土の器であり、私たちが作りだした原発がどれほど頑丈であれ、それもまた土の器なのですよ。
 
2) 一見、押し寄せる波の方が大きいのです。

8節「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」。

9節「迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません」。

ちょっと難しい。ちょっと丁寧に説明しますとね、四方八方から苦しめられるとは、さまざまな力がパウロをつぶそうとして、彼を押しつぶそうとして、あらゆる方向からやって来るというのです。

私たちは先週、「未曾有の大地震」と何度も聞きました。みぞうとは「未だ(いまだ)曾て(かつて)有らず(あらず)」で、未曾有です。
地震、津波、原発、倒壊、余震、食料がない、医療施設が動かない、電話が通じない、電気が来ない、ガソリンがない、冬が来た 、それで仕事に行く―――未だかつてないという、まさに四方八方からさまざまな種類の波が私たちに押し寄せて来る。

・「四方八方から苦しめられますが、窮することはありません」というのは、脱出の道が必ずある(ということ)。四方八方からさまざまな苦しみが押し寄せて来ても、神さまは必ず脱出の道を備えてくださるというのが、これがパウロの確信です。

・「窮することはない」というのは、完全に苦しみの中に閉ざされてしまうことはないという意味です。

・「途方にくれている」とは、どちらの方向に動いたらいいのかわからない、ということです。
あの原子力発電を冷やすために、さまざまな有識者たちが結集して、あらゆる機材を用意して、でもどちらの方向に動いたらよいかわからない。
でもパウロは8節の後半見てください。「途方にくれていますが、行きづまることはない」というのは、絶望して立ちつくすことはないという意味です。
どちらの方に動いたらいいかわからない、それほど迷いのどん底にたたき込まれる。しかし、それでも絶望して立ちつくすことはない。

・9節に「迫害されている」とは、原語を忠実に訳すと、狙われているという意味です。
私たちのいのちはあらゆる方向から狙われている。ところが、見捨てられることはないとは、神さまがお見捨てにはならない、ということです。狙われている訳ですから、追い詰められる。でもどんなに追い詰められても、神さまは自分をお見捨てになることはない。    ちょっとヘブルの手紙の13章5節を一緒に読んでみましょう。実際は5節の後半ですが。

へブル13:5「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」。

昨年私たちはパウロを学びました。パウロはいたる所で狙われ、狙われてどんどん追い詰められて行く。しかしイエス・キリストは彼を助けて行く。そして寸前の所で彼を救い出すという所を学んだのではないかと思います。

・Uコリントに戻って頂いて、4章9節の後半、「倒されますが、滅びません」。

保守バプテストの福島第一バプテスト教会は、佐藤彰(あきら)先生という先生が牧会しておられる大きな教会ですが、地震と津波の被害、そして原発の危機の中で、しばらく離散状態になります。200名ぐらいの大きな教会です。3日ぐらい前に佐藤彰先生は、その教会のホームページを更新されて、「私たちは流浪の旅に出ます。流浪の旅はまだ始まったばかりです」と記しておられます。

信徒の方々が、親戚を頼りながら他県に出て行きます。もちろん住む所を失って、避難所に住んでおられる方もいる。もはや一つの家族となって、同じように同じ場所で礼拝を持つことはできない。私たちは皆流浪の旅に出る。でも流浪の旅はまだ始まったばかりだと。

私たちは先週(教団の委員会で)さまざまな意見を交換した。特に郡山の教会の牧師と福島の教会の牧師をどのように避難させるか。特に福島の教会は女性の先生がひとりで牧会されていますから、私たちは神学校で部屋を用意しました。そして「先生よかったら、いつでも来てください。政治から避難(勧告)が出たらもうバスもほとんど出ない。だから今はチャンスだということも覚えておいてください」と。福島の先生は福島の教会員と話をしました。郡山の先生も教会員と話をしました。

郡山の教会は半分ぐらいの方が外に避難しましたけれども、しかし避難ができない方がいらっしゃった。郡山の教会では身障者の方々をしばらく預かっておられました。教会はいつも一つですと言って、実際この小さい会堂で礼拝をしていますけれども、もはや教会は倒されてしまった、津波で会堂ごと持って行かれた教会がいくつもあります。倒されてしまった。しかし滅びません。

神さまは見捨てません。佐藤先生はこう書いておられました。
「主よ、漂流を始めたこの群れと、各地に散って行ったレムナント(残された民)を、あなたのひとみのようにお守りください」。
漂流はまだ始まったばかりなのです。でもどうか、この漂流の群れと、各地に散って行った残された民を、あなたのひとみのようにお守りください。これが、倒されますが、私たちは守られているというパウロの信仰なのです。

3)パウロは、秘訣を語ります。

つまり私は、第1番目に神の栄光、神の全能と、その土の器のギャップを話しました。そしてその土の器に四方八方から押し寄せる波の方が、実は土の器よりはるかに強いのです。私たちの心がどんなにしっかりしていても、私たちの健康がどんなに壮健であっても、一旦四方八方から波が襲って来たならば、それはあぁ土の器なのだと納得せざるを得ないほど、実は波の方が大きいのです。しかしパウロはそれを乗り切って行く秘訣を語ります。7節をちょっとご一緒にお読みしたいと思います。

7節「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」。

秘訣はあなたではありません。この測り知れない力。土の器に襲いかかる、四方八方からの波が土の器を脆くも砕いて行きます。
しかし、土の器の中にある測り知れない力、その力が私の中に、皆さんの中に入っている。こんなに弱い、呆然と災害を前に立ち尽くす私の中に、この力が入っている。
2度と復興が不可能であろうかと思う、東北の町々の中にも、そして救援しておられる方々の中にも、この神さまのその測り知れない力が入っている。
        
そして、それは、当然、7節「私たちから出たものではない」。この測り知れない神の恵みの一部は、クリスチャンに限らず、すべての人に与えられている。
ジャン・カルヴァンという人は、これを『一般恩寵』と呼びました。一般に与えられている恵み、という表現を使いました。私たちには、慈しむ心があります、私たちには困っている人を助けようとする思いもあります。私たちには理性を用いて救援のために協力して、対策を練って、実行する力があります。それは、神が人に与えられた恵みです。

ジョン・ウェスレーという人はそれを『先行的な恵み』と呼びました。どういう意味で先行的なのか、それは、あなたがまだ神さまを知らなくても、神さまの方ですでにあなたを知って、与えていてくださる恵みです。だから先行なのです。神の恵みはいつも私たちの先を行くのです。『一般恩寵』というか『先行的恵み』というか、カルバンもウェスレーも神の恵みの一部というのは、聖書を知らない人、聖書を読んだことのない人の中にも、すべての人に与えられている(と言います)。

皆さんは昨晩、あの消防隊員の会見をじっとご覧になったと思います。家族に支えられながら、命がけで給水作業を行う方々や、それによらず、昨日ですか、186時間ぶりに自衛隊の方によって救出されたその男性の話がニュースに出て参りました。現地の方々はすでにボランティアに入っている。やがてこの教会からも、ボランティアにいらっしゃる方もお出ででありましょう。
  
私たちキリスト者のみならず、私たち自身から出たものではない。しかし、神から出た測り知ることのできない力、それが土の器に宿っています。私たちが受けた未曾有ということばをこの7節の訳語にあてはめることができますよ。この未曽有の力が神のものであって、この日本が未曾有の大艱難に遭っているとしたならば、この日本が未曾有の神の力に気が付いてほしい。どんな形であっても気が付いてほしい。別に教会の門をくぐらなくても、きっと自分の内側に眠っていた、その人を憐れむ気持ち、何かしなければいけないというその気持ちが、心の内側から溢れ出て来ることができるように。でもそれは自分から出たものではない。それは私のような土の器の中に、神さまが入れてくださった宝だったということをわかってほしい。

先ほど申し上げました、あのビリー・グラハムの息子フランクリン・グラハムの伝道団体の関係で、「サマリタンズ・パース」 という救援隊が、ジャンボ機を横須賀にぶっ飛ばして、そして93トンの救援物資が昨日到着しました。そして、今日開きました仙台空港にそれを置いて、一旦ミッションスクールに全部移して、仙台の教会を中心に被災地にそれを配給して行くのですね。

93トンの援助物資を一気に持って来るその財力はすごいですね。
私は名前が気に入った。「サマリヤ人の財布」です。(笑、ルカ10:30〜37参照)
あの良きサマリヤ人が(歩いていて通りかかった)、道端に倒れていた人が、何の面識もない人だけではなく、日頃は何の交流もない民族であった。にもかかわらず、道端に倒れている人を(可哀想に思い)自分のろばに乗せて、宿屋に連れて行って、介抱して、翌日財布からお金を出して、宿屋の主人に「この人を介抱してあげてください。足りなければ、また帰りにお支払いします」というあのサマリヤ人の財布って何だ?それはアメリカの人にしてみれば、自分は遠く助けには行けない。でも財布を開いて物資の支援をすることはできるという名のもとに、まぁワールド・ビジョンや国際飢餓対策機構と同じように、世界中で救援の働きを広げているのですね。
    
なるほど、良きサマリヤ人の財布とは、良いネーミングだと思いました。
どうか主よ、私の財布を使ってください。それは今日だけのことではない。
先週まで私たちはワールド・ビジョンを通して、ニュージーランドの地震のために、義援金を集めました。これはその目的通りに、クライスト・チャーチに送ります。
今日、新たな募金箱がロビーにあります。これはずーっとあります。そして定期的に集めて、教会でそれをどのような救援に用いるか、そして教団も災害対策室と相談して、私たちはどうするべきなのか、一緒に相談して行きます。

でも、実際は「財布を使ってください」ではない。「私の心と私の信仰を使ってください」です。あんな膨大な災害の前に、千円1枚が何になるかと思います。でも、神さまがその未曾有の力を、土の器である多くの日本人の心の中に入れてくださるならば、それは膨大な支援額となって被災地の人たちに行くことになります。この小さな心の中に、あなたは測り知れない力と恵みを入れていてくださるのですから、それは私から出たものではない。あなたが入れてくださったこの恵みを、用いる勇気を私に与えてください。これが今日の私たちの祈りです。

☆終わりのお祈り

恵み深い天の父なる神さま、四方八方から苦しめられ、途方に暮れ、狙われ倒され、その押し寄せる苦難の波を、到底土の器では耐えられる者ではありませんでした。しかしパウロは、実はその土の器の中に測り知れない力が神から与えられていて、そして苦しめられても窮することはなく、どこに行くかわからず途方に暮れていても、必ず脱出する道を備えていてくださる、狙われ追い詰められていたとしても、あなたは私を見捨てることはないと、彼は倒されても、しかし私たちの信仰は滅びない。

主よどうか私たちにも同じように力を授けてください。いや、授けてくださる以上にその力が自分の心の中にあることを、気付かせてください。また日本の多くの方々、その方々の内側にも同じような恵みが宿っていることを気付かせてくださり、この災害に対応することができるように、私たちの小さな力を用いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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