4/24 イースター 使徒信条(12) 復活のキリストを信ず
マタイ28:1−10
十字架の最後の既述は、27章に墓で終わっています。 27章58節、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体の下げ渡しをピラトに願い出ます。 彼は、59〜60節、「それを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入り口には大きな石をころがしかけて帰った」。 イエスの身体は葬られました。
1)「死にて葬られ」
十字架の出来事が、暗闇、驚き、恐れ、不安、疑い、混乱であったとしたら、その出来事は「死、そして葬り」によって終わったのです。残されたのは、絶望と悲しみだけです。
1節「さて安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと他のマリヤが墓を見に来た」。 この「見る」という言葉は、「じっと見つめる」というような強い言葉です。女たちは、主イエスの葬られた墓を見つめるために来ました。
これは、すでに、27:61にも語られています。 アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を墓に収めていたとき、「マグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた」。 つまりここでも彼女たちは、主イエスの墓をじっと見つめていたのです。何かをするでもなく、墓をじっと見つめて座っている二人の女性たち。 愛する者の死の悲しみによって心が砕けてしまった、日常の生活の何にも手がつかなくなってしまった、そういう姿であると言えるでしょう。 この「もう一人のマリヤ」は主イエスの母マリヤではないか、という説があります。 愛する息子の死、しかも非業の死を嘆き悲しむ母親の姿がここにあると言うこともできるのです。
実に象徴的ではありませんか。墓を見つめる女たち。 マリヤたちが、墓に赴き、遺体に香料を塗り、丁寧に布に包み直したとしても、それ以上のなにものでもなく、イエスさまへの追憶を深めるだけのことです。それが終わったら、またしばらく墓を見つめているのでしょう。 人の人生は墓で終わります。そして、回りの愛する者たちは、亡くなった人を慕って、墓に向かう。しかし、墓を見つめる以外に何もできません。私たちは、そうして人生のさまざまな出来事に頓挫し、絶望し、あきらめ、墓を見つめているのです。
そこに、使徒信条は「よみに下り」と加えています。
2)「よみに下り」
「よみ」とは、日本語で言えば、死の世界、死者の世界です。原語では、ハダス(ハデス)で、これはもう一つのギリシャ語「ゲヘナ」とは異なります。 ゲヘナとは、最後に悪魔が裁かれて下っていく場所として、マタイの福音書でも黙示録でも教えられてい ます。 人はみな死にます。それがよみの世界です。 それを越えて、神の裁きを受け、永遠の刑罰を受ける者は、マタイ25:41の表現を借りれば、「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火」の世界、つまりゲヘナ(地獄)があります。
イエスが下られたのは、ハデス、死の世界、よみの世界です。
使徒信条の多くは、この「よみに下り」という表現に括弧をつけています。なぜでしょう? それは、最初に見つかっているローマの使徒信条にはないからです。 その後、325年のニケア信条にも出て来ません。ニケア信条は、こう記しています。 「ポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し……」。 390年頃のアクイエリア信条に「よみにくだり」という表現が入り、その後、三位一体の神という教えを決定したアタナシウス信条(450年)に「よみに下り」が入ってきます。 それは、おそらく当時の異端、キリストは身体は人間でも、魂は神で、本当の意味で人間ではなかった、だから、死を経験したとは言えない、という異端があったからです。教会はそれと戦っていたので、「よみに下り」、つまり人として、本当に死の世界に下られた、ということを明確にしたのであろうと言われています。
最初の使徒信条にはなかったかもしれませんが、「よみに下り」の一言は、初代教会の信仰にとって大切な告白でした。キリストご自身が死の世界に下り、そこからよみがえったとは、死の世界の内側から、死を滅ぼしたということです。それは、パウロが強調していることです。
3)「死人のうちよりよみがえり」
Tコリント15:20「キリストは眠った者の初穂として、死者の中からよみがえられました」。 キリストがハデスに下られたのは、26節「最後の敵である死も滅ぼされ」るためであったと。
先週、ご一緒に見ていただきました。キリストは十字架の上でご自身のいのちを犠牲にされ、罪に対する裁きを受けてくださり、罪を赦す贖いを成し遂げてくださいました。そのキリストは、「三日の後に」、つまり、それに続いて、罪の最終的な代償である「死を」「最後の敵である死を」滅ぼされました。 キリストは死者の世界に下り、ご自身が死んだ者となり、その中から、死の世界の内側からよみがえられました。 パウロは、キリストは、死の世界から復活することによって、死のとげをのみ込まれたと言うのです。 Tコリント15:55「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。
ある日、お父さんと女の子が、田舎道を車を走らせていました。暑い夏の日で、窓を開けて、風を入れて走っていました。 突然、大きなスズメバチが窓から飛び込んできてパニックになります。女の子は、蜂の毒に極度のアレルギーで、刺されたら呼吸困難、やがて意識がなくなります。蜂を追い払おうと、叫ぶは暴れるはで車の中はパニックになります。
お父さんは、急ブレーキで車を止めて、女の子を抱き寄せて暴れる手を押さえて、それから蜂に向かってゆっくり手を伸ばして捕まえます。蜂は鋭い針でお父さんの手を刺します。そして、お父さんは、窓の外に蜂を放り出しました。 女の子は泣きじゃくって、なかなか静かにはなりません。しかし、お父さんは優しく、女の子を腕に抱き留めて言いました。 「大丈夫だよ。蜂のとげは、父さんが奪ったから」。
パウロが言いたいことはそういうことでしょう。 死のとげはどこにあるのか。死の現実は、消えていません。そこにあります。私たちにも襲いかかります。 しかし、主はご自身の死をもって死のとげを奪い、その力をもって死の現実を覆してくださった。私たちが信じているのは、そのイエス・キリストです。 「わたしはよみがえりです、いのちです、わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」とおっしゃるイエス・キリストを信じているのです。
3)キリストは死を打ち破り、復活されただけではありません。復活の主は、私たちと出会ってくださいます。
聖書の中で、繰り返し繰り返し、復活の主が弟子たちと出会っておられる出来事が記されています。それは、確かによみがえられた、ということを歴史的に実証する意味もあるでしょう。でも、それだけではありません。 復活の主は、今も生きておられ、私に語りかけてくださる、私に触れてくださる、私を導いてくださる、私とともにいてくださる――これこそがキリストの復活を告白する大きな意味だと私は思っています。
墓の中で泣いているマリヤに、「マリヤ」と語りかけます。 復活なんて信じられるか、と思っていたトマスに、「さあ、あなたの指をわたしの手の釘の跡に入れてごらん。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語られます。 エマオの途上を暗い顔をして絶望して歩いている二人の弟子に現れ、彼らのために聖書を解き明かし、一緒に食事をされました。 イエスさまを知らないと否んで離れて行ったペテロに、「わたしの小羊を飼いなさい」と新しい使命を与えられます。 やがて、キリスト教徒と教会を迫害するために、執念を燃やしていたパウロには、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒を蹴ることは痛いことではないのか」と優しく語られます。
私たちは墓に閉じこもり、暗闇に横たわります。マリヤは悲しみという暗闇でした。トマスは失望と疑いという暗闇です。ペテロは、主を裏切ったという挫折です。 その一人一人に、復活の主は出会っておられます。わたしだ、わたしだよ、と出会ってくださいます。 そして出会ってくださる主は、十字架の主です。苦しみと悲しみを越えて来られたイエスさまです。
これが私たちの希望です。終わりの時に、死を越えて、よみがえりのからだをいただき、神の国を相続するだけではありません。 地上の人生にあって、何度も倒れ、墓に押し込められる私たちです。しかし、主は墓に横たわる私たちに出会ってくださる。その復活の主は、私を愛し、私のためにご自身のいのちをお捨てになった十字架の主です。
仙台の海岸沿いのシーサイドバイブルチャペルという教会がありました。津波で、牧師館兼教会堂は流されてしまいました。流出した教会の跡地に、十字架部分はなくなりましたが、十字架の塔だけが斜めに倒れて残っていたそうです。
この教会の内藤智裕先生はブログでこう述べていらっしゃいます。 「4月5日、関西方面から来た韓国の牧師先生方を含む男性10名の人力で、十字架の塔を再建しました。今後、十字架の塔がクリスチャンはもちろん、地域復興の希望の光となってくれることを願っています」。 出会ってくださるのは、十字架の主です。十字架の主が被災された多くの方々を招いて、語りかけ、慰め、力づけ、光を与えてくださいます。それが私たちの信仰告白です。 私たちも今朝、この主と出会うために、聖餐のテーブルに集まっています。 主は、失望や疑いや悲しみに身を横たえている私たちに触れてくださいます。そして希望へと導いてくださいます。
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