名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 833 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   5/11小林武男兄告別式説教
※告別式後半部分

追憶のことばの中にありました、バリ島の万亀子・イスカンダールさまから、電報を戴いております。「小林武男兄の御凶報に接し心より哀悼の意を表します。生前のお姿を偲び、悲しみに耐えません。安らかに主のもとに召されますようにお祈り申し上げます」。

☆賛美 「主よ御手もて」(愛唱歌)
兄弟の愛唱歌でございました、2番目の「主よ御手もて 引かせたまえ ただわが主の道を歩まん」を座ったまま賛美しましょう。

☆式辞説教    『天の御国にふさわしく生きる』
式辞のみことばがプログラムの式次第の下に書いてありますので、賛美いたします。
詩篇119:97
どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。
これが一日中、私の思いとなっています。

少し気温が下がりました。雨の水曜日の夜、よく来てくださいました。1日に天に召され、5日に密葬を済ませております。そして今日、高津教会の方だけでなく、東戸塚エルシオン教会の藤冨明子先生、また教会員の方々も迎え、またご親族の方も迎え、ともに告別の時を持つことを感謝しております。

5月1日、小林武男兄はほんとに静かに天に召され、お昼に看護婦さんとこれからの治療のことで普通の会話を交わしていたのですが、容態が急変しまして、病院から田中姉と教会に電話がありました。私たち夫婦が先に到着し、その時点で、お話できるような状態ではありませんでした。息はしておられますけれども、そして心拍は80ぐらい、でも受け応えがない。反応が全然ない。お医者さんがいらっしゃいまして、そして容態を説明してくださいました。とても神妙な顔をして説明されるので、また数日前にそのお医者さんと話した時と話し方が全く違うので、とっても危ない状態なのだなぁということがよくわかりました。

私たちは最後のお祈りをしようと思いましたが、田中姉が来られるまで待とうと思いながら、私たちは心拍計の数を見ては、病室をうろうろしていました。40分ぐらいして到着されまして、「田中姉は小林さん、しっかりして。元気になるって言ってたじゃない」と涙ながらに数分話しかけておられました。私は、田中姉に「とにかく最後のお祈りをしましょう」と、詩篇の23篇を開いて読み始めた所、圭子が私の耳もとで、「心臓が止まりそうだから早くして」。そして、私は早く聖書を読みまして、それからゆっくり主の御手に小林さんのたましいを委ね、天国にお祈りするお祈りを終えたところで心拍計を見たら0になっていました。

そしてお医者さんと看護婦さんが入って来られて、死亡の診断をなされました。私はその時思いました。小林さんは意識がなかったのではない。田中姉が来られるのを待っておられたのだと解りました。恐らくイエスさまがもう少し前に来られて、でもきっと小林兄はイエスさまにお願いをされた。もう少し、もうちょっとだけ時間をくださいと。その願いを主イエス・キリストは聞いてくださり、牧師が来て、そして今までずっとお世話をしてくださった田中姉ガ来て、最後の別れを告げてくださった。

その時のこの上なく平安な顔。うっすら開いている瞼を私たち3人はそうっとさわって、瞼が閉じるように閉じるようにしました。イエスさまに迎えられて、天国の喜びを味わっている小林さんの姿が見えるかのよう。その意味で私たちは涙する以上に、最後の時まで待っていてくれた、そして待つことを許してくださった神さまに感謝しました。

晩年の小林武男さんがいのちを掛けて打ちこんだことが2つあります。それはすでに代読の中川兄から出たことで、その2つのことを申し上げて、今日の葬儀の式辞とさせて頂きます。

1)聖書の写本
いのちを掛けて打ち込んだことの一つは、聖書を写本することでありました。残念だなぁと思うのは、ギネスに申請しておけばよかったということ。ギネスに申請しておけば間違いなく通ったと思います。2000ページを超える聖書を大体10カ月に一冊の割で、調子がいい日で一日13ページ〜15ページ、病院でも一日9ページ。一日15時間ぐらい。あるときは「起きているときは全部聖書です」――こうおっしゃったとき、「病院に行っても、老健に行っても、聖書を写本されてる。すごいですね」とこう申し上げますと、必ず返ってくる答えが、もう何度聞いたか分からない――「僕じゃないんです。神さまが書かせてくださっているのです」。そのたびに思うのですね、そうだろうなぁと。それは人間業では不可能ですよ。一日聖書を15ページ書いたら必ず腰を痛めますよ。それを一週間しましたら、憔悴し切ってしまうと思います。

ここにある高津教会の講壇聖書を書いておられる途中に、小林兄は一度入院されました。それで少し書けない時期があった。私と田中姉は、「小林さん、書けなかったら、最後は二人で交替に書いて仕上げるからね」というようなことを小林さんに言ったことを後に後悔しまして、それはとてもじゃないけどできない。絶対にできない。

写本の一冊は藤冨先生のところに、そして一冊は北海道の下川先生の所に行きましたが、下川先生という方は日本のキリスト教会の中でちょっと有名な方。一年に数回聖書を読むのですね。大体一年に3回〜4回聖書を読むことを自負しておられるのですが、その下川先生が小林さんの聖書を手にしておっしゃったことは、「読むだけでも大変なのに、それを全部書き写す人がいる」ということに本当にびっくりしておられました。

そうしますとですね、何ゆえ、神さまは小林さんにそこまで書かせたのであろうか?これは考えさせられますね。答えは、先ほど読みました詩篇の119篇のみことばにある、と私は思っています。――どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中私の思いとなっています。――神さまは私たちの前に、一日中その人物の思いとなるほど、聖書を愛している人物がこの世界に一人いてもいいんじゃないかという意味で、小林さんを立てられたのではないかと思います。

私の大先輩のクリスチャンで、先程来戦争の話が出てまいりましたが、満州で終戦を迎えてそれからシベリアに抑留されて行きました。その大先輩の方はですね、一冊の聖書を持っていた。しかし歩く途中、もうこの聖書が重くなって、聖書を破って1章ずつ捨て始めた。最後に残ったのが、詩篇と箴言でそれでも重かった。それでその先生は、詩篇を破って捨てて、箴言を手もとに置いた。

初代教会に遡りますとですね、聖書の写本を守るために、いのちを捨て殉教する人が出ます。中世の時代には、まだ活版印刷がない時に、いのちを掛けて聖書を写本する人がいます。私たちは今、どんな本屋さんに行っても聖書を手にすることができます。あるいはインターネットの中には、無料の聖書を読むことができますが、この聖書をそこまで愛し、一日中自分の思いとなるほどに読んでいる人がいるのか?

いのちの道を照らす光となり、知恵を与え、力を与え、神さまの御思いをその愛を教えてくれ、信仰を強めて希望を与える、この聖書のことばに中途半端に向かうのでなく、いのちを掛けて向かうことを教えるために、神さまから私は小林兄という方を戴いたと思うのです。この方も私たちと同じように、さまざまな欠陥を持った弱さを持ったひとりの人物でありました。私たちは特別に小林武男兄を聖徒として祀る思いはさらさらないです。

神さまはこの兄弟に特別な証しを授けられた。それが、そういう思いで、聖書に向かったらどうか?そういう思いでみことばを読んでみたらどうか?この写本聖書を見たら、私たちみんなですね、「私にはこんなことはできない」、それでお仕舞いですね。でも神さまは、「同じように写本しろ」とは、私たちに言わないですね。おっしゃることは、「私の教えが、聖書のことばが、一日中あなたの思いとなるほど、それほど私のことばに真実に向かい、それを糧として、生きてご覧なさい」と。そのために小林さんを立てられたのでしょう。

2)礼拝出席
晩年の小林さんにとって、一日中小林さんの思いとなっていることがあるとしたならば、先程の話にありましたように、それは礼拝ですね。小林さんほど礼拝を楽しみにしておられる方はいらっしゃらなかったと思います。それは入院中も外出許可が出れば、老健からは毎週ここにいらっしゃる。

讃美歌を歌い、熱心に説教を聴き、そして祈られました。そして教会では、いつの間にか小林さんの祈りは聞かれると、誰が言い出したのか知らないのですけれども、そして個人的に、とっても大変なお祈りは小林さんにお願いする方が出ました。どうして牧師にお願いできないのだろう?(大笑)と思いつつも、小林さんにお願いしました。

体調が弱くなってから、よくおっしゃいましたね。「先生、もしかしたら、今日の礼拝が最後になるかもしれない。今日が最後になるかもしれない。いつもそう思いながら来ています」。玄関のところで必ずそうおっしゃるのですね。実際、今日が最後だろうなと思う日が何日がありました。

「先生、もしかしたら、今日の礼拝が最後になるかもしれない」とこう言われるのは、牧師としてちょっとしんどいですね。それは、「そこまで真剣に礼拝に臨んでいる人がいるのだ。じゃあ、自分はそこまで真剣に礼拝を導いているのか?」という問いかけを受けるからです。私は正直、今日の礼拝が最後だと思って日曜日に講壇に立ったことはないです。でもこの方は、実際今日が最後になるかもしれないと思って、毎週来ておられる。それほど弱っておられた。私はよく皆さんに申し上げました。今まで末期がんの方は何人か見て来ましたけれども、末期がんの方でも小林さんほど痩せてはおられなかった。だから真剣に小林さんのために祈ってほしいということを申し上げておりました。

田中姉が車で連れて来てくださることがなければ実現しなかったことではありますけれども、でもお元気な時は一度電車でいらしたこともある。何回か電車でいらっしゃったこともあるのです。「先生意外と近いのです。あざみ野まで出て、そして乗り継げば意外と近いのです」。礼拝を休むという概念がこの方は頭の中にはないのですね。病院で小林さんに「辛い事は何ですか?」と言えば、特別に痛みがあれば、足が痛いとか言いますけれども、「辛い事は何ですか?」と言えばいつも同じですね。「この部屋では写本ができない」こととか、「礼拝に行けない」ことしかないのです。

5月1日に神さまは小林武男兄を肉体の束縛から解き放って、天国に連れて行ってくださっいました。私はそれは、小林さんの信仰生涯を振り返りますと、もうひとつ老健につないで無理やり何かこうされることよりも、もう今この時期天国に連れて行って頂くことが小林さんにとっては最もふさわしい、本人にとっては一番願っておられたことではないかと思います。なぜなら、この方はそのように生きて来られた。神さまのみ声を聞くことを喜びとし、神さまを礼拝することを喜びとし、地上の生涯を生きて行く人でありましたから、天国に行くことが一番ふさわしい状態でありました。

高津教会の墓石の正面には『復活』という2文字、そして墓石の裏側に、『我らの国籍は天にあり』と書いてあります。『我らの国籍は天にあり』――ピリピ(人への手紙)の3章20節ですけれども、小林兄を見ていますと、国籍が天にあるにもかかわらず、自分がその国籍にふさわしく生きていない。『我らの国籍は天にあり』と言いながらその天国人として生きていない自分というのを反省させられますし、時にはもう自分の国籍を放棄してしまったかのように地上に縛られている姿を考えさせられます。そんな私たちを励ますために、私はイエスさまは小林兄を高津教会に送られ、東戸塚エルシオン教会に送られて、またその写本をさまざまな教会に送られて、みことばに真実に向かうことと、礼拝することを一番の喜びとする、我らの国籍は天にありという生き方をするように教えておられるように思えてなりません。

☆お祈り
どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。(詩篇119:97)

恵み深い天の父なる神さま、その在りし日の姿を偲ぶことが容易にできるほど、つい先日まで私たちとともに礼拝し、私たちと共にいました。その兄弟をあなたが召された時に、その肉体はもはや私たちの目に触れることはできません。しかし、今あなたの御前ですべての痛みや不自由さから解放され、あなたの御声を聞き、あなたを賛美し、そしてあなたを礼拝しておられる喜びにあふれた兄弟を見ますと、それが慰めとなり、またそれが励ましとなり、私たちもまた地上の人生を生きて行きたいと願います。

厳しい壮絶な戦争のその苦しみを、意味を持って生き抜いて行かれた兄弟。そして、地上の人生において、愛する奥様を天に上げ、72歳の時にイエス・キリストの福音を信じて洗礼を受けられ、そしてその人生がさまざまな曲がり角を経ながら、あなたの御手の中で、一つの物語となって天に召されていく、その様子を今日は愛する教会の兄姉とともに味わうことができましたことを感謝致します。どうか私たちを励まして、小林武男兄に倣う聖書に向かう姿勢と礼拝の姿勢を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2011.05.19 - 20:54
LAST UPDATE: 2011.05.19 - 21:09

175.133.12.55 - Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 9.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; BOIE9;JAJP)

Name   E-Mail   Password

 前文 5/29 使徒信条(15) 我は聖霊を信...
 次文 4/24 イースター 使徒信条(12) ...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
310Simple view *^^*7/3使徒信条(19)我は聖徒の交わりを... [733] T・Y 2011.07.05 29193
309Simple view *^^*6/19 使徒信条(18) 我は聖なる教... [10] T・Y 2011.06.22 11940
308Simple view *^^*6/12ペンテコステ 使徒信条(17)我... T・Y 2011.06.14 7455
307Simple view *^^*6/5 使徒信条(16)我は聖霊を信ず(... T・Y 2011.06.09 4935
306Simple view *^^*5/29 使徒信条(15) 我は聖霊を信... T・Y 2011.06.09 5342
305現在参照中の文章です...5/11小林武男兄告別式説教 T・Y 2011.05.19 5357
304Simple view *^^*4/24 イースター 使徒信条(12) ... [6] T・Y 2011.04.25 1707
303Simple view *^^*4/17パーム・サンデー使徒信条(11)... [4] T・Y 2011.04.18 6954
302Simple view *^^*4/10使徒信条(10)悪霊を追い出すイ... T・Y 2011.04.12 5816
301Simple view *^^*4/3使徒信条(9) 奇蹟を命じるイエス... T・Y 2011.04.04 2546
300Simple view *^^*3/27礼拝説教 使徒信条(8) T・Y 2011.03.30 16965
299Simple view *^^*3/20礼拝説教「途方に暮れても、倒され... [2] T・Y 2011.03.27 1793
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*