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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/29 使徒信条(15) 我は聖霊を信ず(1)ローマ5:1〜5
5/29 使徒信条(15) 我は聖霊を信ず(1)ローマ5:1〜5

☆説教    
使徒信条の学びは、「全能の父なる神を信ず」から始まって、「イエス・キリストを信ず」で14回を重ね、そしてとうとうこの「聖霊を信ず」という一行に至りました。今日からペンテコステまで三回にわたり、「我は聖霊を信ず」ということを考えて行きたいと思います。

私たちが告白する神さまは、全能の神、御子イエス・キリスト、そして聖霊なる神、いわゆる三位一体の神です。最も古い形で残っている、この使徒信条では「三位一体」という教理はまだ形をなしていません。父、御子、聖霊の順番に「我は信ず」となっているだけです。

やがて、紀元381年のニカイア・コンスタンティノポリス信条になりますと、少し表現が豊かになります。「我は、主であり、いのちを与える主である聖霊を信ず。聖霊は、父と御子から出て、父と御子と共に礼拝され、父と御子と共に栄光を受け……」と、聖霊が父と御子と区別され、しかし聖霊が神であることを明確にしています。

そして、有名な450年のアタナシウス信条に、「我らは一つなる神を三位において、三位を一体において、礼拝する。しかも、位格を混同することなく、本質を分離することなく、御父の位格あり、御子の位格あり、聖霊の位格がある。しかし、御父と御子と聖霊との神性は一つであり、栄光は等しく、権威も等しく永遠である。」と告白されています。
キリスト教会二千年の歴史の中でずーっと刻まれて来た、アタナシウス信条が告白する「三位一体」の教理です。

1)三位一体は、頭で理解するに難しい教えです。

昔から、三位一体を説明するときに使われてきた、身近なたとえに太陽があります。
太陽は一つですが、そこには光と熱とエネルギーと、三つの現れ方をします。でも、太陽は一つです。
あるいは、水もそうでしょう。液体の水、それが固体になれば氷、気体になれば水蒸気と、現れ方も働きも違います。
  
しかし、この一見納得しそうな説明が、実は問題でもあります。
アタナシウス信条が三位一体を論じるとき、サベリウスという人物が唱えた「様態論」という異端を警戒してその三位一体論を作っていました。
サベリウスは、父・御子・御霊とは、一つの神の様態の変化、つまり現れ方の変化だと教えました。
一つの神が、旧約時代には父として現れ、後には人類の罪を贖う御子として現れ、キリストの昇天の後には、聖霊として現れたという考え方です。

この教えをキリスト教会は異端として退けました。
太陽も水による説明も、その現れ方が変化するという説明に近いので問題があると言われます。
いや問題は、そういうことではないでしょう。そもそも太陽にも水にも人格がありません。ですから、おおよそ別個の三つの人格を持っておられる神が、その存在において一つであるとは、私たちの頭では理解できないでしょう。

しかし、教会は、この教えに行き着くほかありませんでした。それは、聖書が紛れもなく、聖霊を一つの人格的な神として教えるからです。
●イザヤ63:10で、不信仰なイスラエルの民は、「主の聖なる御霊を痛ませた」とあります。聖霊は、心を痛められます。
●エペソ4:30には、私たちのうちにおられる、「神の聖霊を悲しませてはいけません」と記されています。

明らかに、聖霊は単なるエネルギーでも力でもないのです。悲しまれるお方、喜ばれるお方です。

●イエスさまが、最後の晩餐でおっしゃったことは決定的でした。
ヨハネ14:16「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」。

「もう一人」とは地上におられたイエスさまに替わる存在を意味しています。エネルギーではなく、イエスさまのように明確な存在です。

●使徒の働きで、ギリシャ人にユダヤ人的な慣習を押しつけるべきではないという重大な決定をしたとき、エルサレム会議は「“聖霊と私たちとは”、こう決めました」(15:28参照)と決定事項を記しています。
“聖霊に導かれて”こう決めたとは言っていないです。

2)つまり教会は、そして私たちは聖霊という神を明確に体験してきました。

三位一体が頭でわからなくても、聖霊、それが神の霊でありキリストの霊であり、聖霊という神を体験して来ました。

ウィリアム・バークレーという20世紀英国の聖書学者は、こう記しています。
「三位一体の教理は、キリスト者の体験から生まれて来たことは否定できません。まず、私たちは神を知っていますし、神が神である、明らかに神として存在しているお方を疑うことはありません。そして、この世界に、私たちの人生にキリストが来られました。この方を単に人間的な説明で片付けることができないことは、クリスチャンがみな認めるところです。この方は、神と同質同格で、そのカテゴリーで捉える以外にないのです」。

バークレーは続けます。
「そして、聖霊が私たちの人生に入ってきます。この方は、私たちを導き、支え、教え、支配し、光を与えてくださいます。
私たちは、聖霊を単純に神の力、神のエネルギー、神の影響力と片付けることができません。聖霊は、もっと直接的に個人的に私たちに歩み寄り、私たちと共におられることを、クリスチャンはみんな知っています」。

初代教会もその経験から、私たちもまたその経験から、父なる神、子なる神、そして聖霊なる神を告白すると、バークレーは記しています。

3)聖霊の働き
 
使徒信条には、聖霊がいかなる働きをされるか、記していません。
しかし、使徒信条のこの位置に「聖霊を信ず」という告白が出てくるには、とても意味があります。
つまり、全能の神を告白し、キリストの働きを告白し、それから私たちは「聖霊を信ず」と告白します。

16世紀スイスの宗教改革者の一人、偉大な神学者のカルヴァンは、『キリスト教綱要』を記しました。
おそらく、二千年の教会の歴史の中で、これこそが神学書の中の神学書でしょう。
カルヴァンは、神について、人間とその罪について、それからキリストについて、その十字架と復活について、何百ページも割いて説明します。
        
私たちはキリストの誕生、その生涯、またことさら十字架と復活が、歴史的な出来事であったことを信じています。そう説明して、カルヴァンは決定的に重要なことを記します。
「もしそれらの歴史的な出来事が、私たちの外にあるなら、つまり二千年前の一つの出来事にすぎず、私たちの内側に及んでこないのなら、聖書が約束している恵みは、私たちのものにはならない」。

二千年前の、私たちの外側で起こった歴史的な出来事、その恵みを、私たちの内側へと及ばせる――それが聖霊の働きです。

先週の5月24日、メソジスト教会やそれに関わる群れは、ジョン・ウェスレーという偉大な信仰者の回心を記念しました。18世紀イギリス、そしてその後のプロテスタント・キリスト教に最も大きな影響を与えた人物の一人です。

ジョン・ウェスレーは英国国教会の司祭の家に育ち、オックスフォードで神学を学び、聖職者となり、やがてホーリークラブという、聖なる生活を追求するためのサークルを設立し、神の御心と思われることを全力で実行するのです。刑務所で不遇な環境にいる人々を訪ね、貧しい子どもたちのために学校を作り、聖く生きることを目指します。
            
あまりにも規律正しく、修道士のような生活をしている彼らに付けられたあだ名が、メソジスト(注***規律屋という意味で名前の由来)でした。
それでも満足できなくて、さらにきよめられることを求めて、ジョン・ウェスレーと弟のチャールズは、アメリカのジョージアに宣教師として渡ります。
しかし、そこで様々な挫折を通して、自分の罪深さを味わい、失意のどん底で帰国します。

帰国の船がイギリスの港に着いた日、彼は日誌にこう記しています。
「私が地の果てに行って学んだことは、自分は神の栄光を受けるにはふさわしくないもので、……私自身の行ないも、苦しみも、義も、神の怒りをやわらげることはできず、罪の中で最も小さいものさえ、自分で贖なうことができず、神の義なる裁きの前で私はとうてい立ちおおせることができない」。

自分で自分の罪を贖うことができない、それほど罪深い自分を分からせてくれたのは、聖霊です。聖なるプライドを着込んでいたウェスレーの心を砕かれたのは聖霊です。

しかし、同じ聖霊は、それから三か月、彼のたましいをキリストの十字架へと導きます。
「5月24日、夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、アルダスゲイト街の集会に行った。そこである人がルターの『ローマ人への手紙』の序文を読んでいた。9時15分前頃であった。彼が、キリストを信じる信仰を通して神が心のうちに働いてくださる変化について説明していたとき、私は自分の心が不思議に熱くなるのを覚えた。私は、救われるためにキリストに、ただキリストのみに信頼した、と感じた。神が私の罪を、この私の罪さえも取り去ってくださり、罪と死の律法から救ってくださったという確証が、私に与えられた」。

気の進まぬウェスレーを、アルダスゲイトの集会へと押し出したのは聖霊です。司会者が、特別な意図もなく、ルターの言葉を読んでいたとき、十字架を信じる信仰を、ウェスレーの心の真ん中にすーっと授けてくださったのは聖霊です。

そのとき、ウェスレーは、その心が不思議に熱くなるのを覚えました。聖霊が、彼のたましいに神の愛を注いでくださったのです。
その夜、ウェスレーは気が進まない暗い顔をして、アルダスゲイト通りの集会に足を運び、夜遅く帰って行くウェスレーの顔は、感謝と喜びで輝いていました。聖霊が、彼の心を、赦されて神の子どもとされた喜びで満たしてくださったのです。

なぜ、メソジストの信仰に立っている人たちは、ウェスレーの回心記念日を祝うのでしょう?それはまぎれもなく、聖霊が同じ事を、今の私たちにしてくださることを信じているからです。
二千年前の出来事を、その恵みを、私のたましいに注いで、私を神の子どもとしてくださることを知っているからです。
 私たちの罪深さを悟らせてくださり、十字架にすがる以外に救いはなしという信仰を与えてくださり、神の子どもとされた喜びを与えてくださる聖霊を、ともに告白するのです。

今日は最後にお祈りをする代わりに、ともに讃美を歌いたいと思います。203番の讃美歌を歌い、今日の私たちの祈りとしたい。その折り返しの部分、「ああ恵み!計りしれぬ恵み!ああ恵み!我にさえ及べり」、恵みを我にさえ及ばせてくださる聖なる神さまを、私たちは礼拝し、この方に栄光を帰したいと思います。
  罪は海のごとく わが心おおえど
  神はさらに強き めぐみもて救えり
   ああ めぐみ!はかりしれぬめぐみ!
   ああ めぐみ!われにさえおよべり   
(注***インマヌエル讃美歌203番『罪に満てる世界』全4節のうち2節のみ掲載)

☆終わりのお祈り

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
(ローマ人への手紙5章1節と5節)

イエスさま、わたしたちの人生には、患難もあれば、それによって忍耐も生じ、忍耐は練られた品性を生み出します。しかし時には患難に圧倒され、私たちは倒れ、失望し、絶望し、分けても自分自身の罪深さに頭を抱え、心を痛めます。しかしそんな私たちが主イエス・キリストによって、神との平和を持っており、そんな私たちの罪が赦されているのは、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。
主よ、どうか、今賛美しましたように、聖霊によって、すべての恵みが計り知れない恵みが我にさえ及べりと、心から告白する信仰者になることができるように、イエスさま、聖霊の働きをどうか私たちの心の隅から隅まで強めさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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DATE: 2011.06.09 - 13:44
LAST UPDATE: 2011.06.09 - 13:52

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