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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/12ペンテコステ 使徒信条(17)我は聖霊を信ず(3)ヨハネ14:16〜18
6/12ペンテコステ 使徒信条(17)我は聖霊を信ず(3)ヨハネ14:16〜18

☆説教
ペンテコステの概略

ペンテコステというのは、50、キリストの復活から数えて50日目、第7週目の日曜日、弟子たちの上に聖霊が降り、キリスト教会が始まりました。これを祝っているのが、ペンテコステです。

この聖霊が降ることは、旧約聖書以来の預言が実現したことになります。ですから先ほどともに朗読致しました、使徒の働きの2章には、ペンテコステの日に、エルサレムの人々を前に、力強く説教をしたペテロが、預言者ヨエルの言葉(ヨエル2:28―29)を引用します。
「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ」(使徒2:16−18)

ペンテコステは、エルサレムの人々には、旧約聖書の預言の成就でした。
しかしそれは、イエスさまの弟子たちにとっては、イエスさまの約束の実現でした。
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受ける」(使徒1:8)

あるいは、その約束は、今日見ていただきましたヨハネの福音書には、もっと詳しく書いてあります。
ヨハネ14:16−17「父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるのです」
イエスさまが天に昇られ、栄光をお受けになったことの証しとして、聖霊が降りました。

ノルウェイの探検家、南極を発見したアムンゼンがいます。
彼は世界各地、未知の世界に探検に行くときに、伝書鳩を持っていたと言われています。探検の果てで、その伝書鳩を放ちます。しばらくしてそれがノルウェイの家に帰ってきます。すると、それを見て、奥さんは喜びました。「夫は生きている。目的地に到達したんだ」と。

イエスさまが天に昇られ、神の右に着座され、権威と栄光を帯びられ、今も生きておられます。ペンテコステはその証明でした。それは、イエスさまの約束が真実であったことを証ししました。
ヨハネ14:18「わたしは、あなたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」

これは独特な表現です。つまり、イエスさまは弟子たちを捨てて孤児とはなさらなかった、という証拠に、もう一人の助け主を送ることを約束されました。
前々回、「もう一人の」という表現が、イエスさまに代わる、イエスさまとは違う、別の人格を持った三位一体の第三の位格・聖霊という人格を持った神を意味していると申し上げました。別の位格、別の人格なのです。

ところが、18節をよくご覧ください。
「わたしは、あなたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」
戻って来るのは、「わたし」です。明らかに、「もう一人」とイエスさまは聖霊とご自身とを区別しながら、その聖霊はわたし自身である、あるいはわたしと一つである、とおっしゃいます。
ですから三位一体という表現を教会は使いました。
これが、今日のテーマです。聖霊はイエスさまと一つ、あるいはイエスさまの霊です。
                
イエスさまは、この最後の晩餐の席で、しばらく聖霊の独自の働きを説明されます。そして、それを今日は学んで行くのですが、学べば学ぶほど、聖霊の働きは、イエスさまご自身だ、つまりイエスさまの霊だ、ということがよくわかります。

●別の人格でありますが、聖霊は、14:26「わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせる」
●15:26「聖霊がわたしについてあかしします」
●16:14「御霊はわたしの栄光を現します」

この方は、(14章)16節「助け主」と呼ばれます。
「助け主」とは、ギリシャ語でパラカレオー(傍らに呼ばれた方)です。
 神さまが、イエスさまが、私の傍らにあって、私とともに歩むように、聖霊を送ってくださるというのです。

そして、傍らにあって、聖霊は具体的に何をしてくださるのでしょうか。イエスさまは、次の3つのことを聖霊の働きとして教えてくださいました。

1)傍らにあって聖霊は、私たちを真理に導く

14:26「助け主、すなわち、父がわたしの名によって(***わたしの代わりに)お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」

イエスさまは、まず聖霊を「真理の御霊」と呼んで(***17節)、すべてのことを教え導き、いやそれだけでなく、イエスさまご自身の教えを思い起こさせてくれると、おっしゃいました。
時に、私たちは聖霊と言うと、ペンテコステの時のような、大きな霊の現象を考えます。
しかし、イエスさまによって私たちの傍らに立たれる聖霊は、私たちを真理に導いてくださるお方です。

ジョン・ウェスレーが天に召されて17年後、1807年の5月、英国スタッドフォードの丘に、数千の人々が集まりました。賛美歌を歌い、祈り、証をし、説教を聞くリバイバル集会です。アメリカの開拓地で盛んに行われていた、いわゆるキャンプ・ミーティング形式の集会が、イギリスに入って来ました。

英国メソジスト教会は、教会の秩序を憂慮して、この集会を禁止しました。その結果、リバイバル集会の指導者であった、ヒュー・バウン(職業は大工)、そしてウィリアム・クローズ(瀬戸物の職人)は脱退して、「マジックメソジスト」という小さなメソジストのグループに加わる。
                
この奇妙な名前のグループには、特徴がありました。
@ 幻と夢を強調します。
 *神さまは、夢や幻を通して、直接に語られる。
 *文字や学問に頼らなくても、直接に神の声を聞ける
 ということで、一般大衆に魅力的であった。
 なぜなら、当時の一般大衆は文字を読めなかったから、惹きつけられるように集まって  来ます。

A 病のいやし/悪霊祓いの強調。
 サタンの直接的な目に見える働きに注意を向けるという点では、当時の民間宗教の魔 術師・魔女と共通していた。
 病を悪霊の働きとみなし、それを悪霊との闘争の中で癒す。
 いやしのために、はげしい悪魔払いの祈りをする
 ランターズ(熱狂的に騒ぐものたち)と呼ばれます。

もちろん、信仰的にはまじめで、伝道熱心です。夢や幻、預言、いやし、悪霊払い(みんな霊に関わること)で、吸引力のある宗教的な題材です。多くの人を集めます。しかしその中で、信仰や福音の本質が見失われていき、いつのまにか消滅してしまいました。

ジョン・ウェスレーの野外説教でも、何千人の中で、聴衆には失神する者、うめく者も、泣き出す者も、賛美する者も出て来た。ある意味、過激で、当時の国教会の牧師たちは、悪霊の働きだと怪しみました。
その現象に驚いたのはウェスレー本人です。
しかし彼は、これが悪霊の働きであるはずがないと確信していました。それは、聴衆が、教育のない、文字もまともに読めない人々が、福音の真理を理解し、罪を赦され、その人物が聖霊によって新しい人として変えられて行くことを、目の当たりにしたからです。
あたかも、イエスさまが人々の傍らに立ち、聖書を紐解いていてくださるかのように、福音が浸透して行きます。

2)聖霊は平安を与えてくださいます。

それは、ヨハネ14:27「世が与えるのとは違う平安」です。この平安は旧約聖書の時代から語られていました。
●神さまは、脅えるモーセにおっしゃいました。(出エジプト33:14)
「わたしがあなたとともに行き、あなたを休ませよう(***平安を与える意)」
●ダビデは詩篇23篇で歌いました。
「たとい死の陰の谷を行くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから」
●パウロは、見捨てられたようにローマに投獄され、裁判に引きずり出され、孤独に権力の前に立たされます。しかし、彼はUテモテ4:16―17でこう記します。
「私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。……しかし、主は私とともにたち、私に力を与えてくださいました」

モーセも、ダビデもパウロも、どれほど心細かったことでしょう。しかし、力強い方が傍らに立っておられるのです。その方が、私の手を握り、平安を与えてくださるのです。

チャールズ・ディケンズの『二都物語」という、フランス革命の話があります。
毎日、革命で処刑される人々がパリの町を引き回されます。投獄されていた一人の男、シドニー・カートンは、勇敢な男でした。かつて無法者の生活をし、しかしキリストに立ち返り、たましいの救いを得て、友人のために命を捨てるのです。

引き回しのとき、彼の隣に少女が立ちました。投獄されたときに知り合いました。少女は、彼の勇気と優しさに気がつきました。少女は言います。
「ご一緒させていただけませんか。手を握ってよろしいですか。恐くはありません。でも、私は小さくて弱いのです。勇気を与えてください」

そこで二人は、パリの街を引き廻されている間、行動をともにします。処刑場に近づいたとき、少女の目からは恐れは消えていました。そして少女は、しっかりとした男の顔を見上げて言います。
「ありがとうございました。神さまは、私に力を与えるために、あなたを私のもとに送ってくださったのだと思います」
            
少女の傍らにシドニー・カートンが、そして彼の傍らに聖霊が呼ばれ、伴ってくださる、それが故の平安です。私たちはみな、傍らに呼ばれた者の力強さをよく知っています。

私は病床を訪ねる時に、その病んでおられる方の額に手を置き、その方の手を握り、そして必ず言います。「やがて、イエスさまが迎えに来られる。今の私はあなたの手を握るけれども、やがてイエス・キリストがあなたの手を握り、そして死の陰を通る時、天の御国に連れて行ってくださる。何も心配することはない。それは握っている手が代わるだけ。それは私のか弱い手からイエス・キリストの手に代わるだけ」と。

皆さんがお医者さんに行くときにご主人に伴ってもらうとか、皆さんがとても不安になった時に、信仰の友人に電話を掛けるとか、私たちは日常生活を考える時に、だれかが傍らにいてくれることの素晴らしさを、ありがたさを、その力強さというものを、嫌という程知っているのです。
であるがゆえに、イエスさまは、聖霊をパラカレオー(傍らに呼ばれて立つ者)と言われたのです。

この方は神さまから呼ばれて、あなたの傍らに立つ人だ。立つ神だ。そして傍らに立っておられると思った次の瞬間、その方はあなたの心の内に入り、心の内側からあなたを強め、あなたを平安に包んでくださる。

3)傍らに立つ聖霊は、世を悔い改めに導く

ヨハネ16:7−8「わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」   

ペンテコステの日、エルサレムに集まっていた人々にペテロは、旧約聖書の預言を引用しながら、イエス・キリストのことについて話をします。長い説教の最後で、ずばり結論を突きつけます。
使徒2:36「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」
ペテロは、集まってきた敬虔な人々に、その罪深さを単刀直入に、はばかることなく指摘しました。
       
これまででしたら、彼らは逆上して、このペテロを同じように十字架につけたことでしょう。
ところが、このペンテコステの日の彼らの反応は違いました。
使徒2:37「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか』」
と深刻に尋ねたではありませんか。
        
彼らが心を刺されたのは、ペテロの説教が雄弁だったからではありません。後に、ペテロはヨハネとともに、江ルサレムの指導者から「無学な普通の人」と批判されています(***使徒4:13)。心を刺されたのは、世に罪を認めさせる聖霊の働きです。

ペテロは答えました。
使徒2:38「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」
ペテロは「悔い改めなさい」と言いますが、すでに心を刺された彼らには、内側に聖霊の働きがあって、悔い改めを持っていました。

そして、ここで心に留めたいことがあるとすれば、ペテロの説教は、まず第一に自分に対してなされた説教ではなかったかと想像します。
「あなたがたはイエスを十字架につけたのです」と言う前に、あの十字架にかかる前の晩、「イエスを知らない」と3度否んで、イエスを見捨てた自分が、先ず悔い改めたのです。
そして、そんな彼を主は赦してくださり、「わたしの羊を飼いなさい」と、再び彼を回復させてくださいました。
ペテロのうちに、まず聖霊が働き、自分の罪深さ、そして主の憐れみを理解し、よくよく味わっていました。
「悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、賜物としての聖霊を受けなさい」とは、世に対するメッセージではなく、まず自分が味わった恵みであったことがよくわかります。

ペンテコステの日、主よ、先ず私を悔い改めに導き、私に霊を注ぎ、私の心の内に住んでいてくださり、私のために呼ばれて、私の傍らに立っておられるあなたの霊を、実感することができますように。
今週、心騒ぐ出来事が起こる度に、平安を与えてくださいますように。
今週さまざまなことで迷う度に、真理の御霊は我にあり、今週私たちが間違ったことをしたんじゃないか、私たちのことばは滑ったんじゃないかと、私たちはこの世界のさまざまな罪を知るとしたならば、
主よ、まず私にその罪深さを教え、私を悔い改めさせ、そしてこの世界に悔い改めの霊を注ぎ、義の道へと導いてくださいと祈る1週間でありますように。また、この教会でありますように、御霊の祝福を豊かに注いでくださるようお祈りします。

☆終わりのお祈り
わたしが父のところから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。(ヨハネ15:26)

愛するイエスさま、あなたは十字架にかかった後、復活されて天に昇り、神の右に着座され、その父のもとからあなたご自身が聖霊を遣わしてくださいました。
その御霊は私の傍らに立ち、私の行く所どこにあっても伴ってくださり、真理に導き、平安を与え、罪を悔い改めさせ、信仰を与えてくださると約束してくださいました。
その約束が一番顕著に実現したのが、ペンテコステであるとするならば、主よ、どうか、それが高津教会の今日の日でありますように。
そして、そのペンテコステの恵みの中を生き続ける私たちでありますように、どうぞ祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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DATE: 2011.06.14 - 20:12
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