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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   聖餐式「大祝会に近づいている」
聖餐式「大祝会に近づいている」

 「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています」(ヘブル一二・二二〜二四)。

             ●聖餐と大祝会

 聖餐式は、言うまでもなく、イエスさまが十字架にかかる前の晩、弟子たちと共にした最後の晩餐に基づいています。英語では、ラスト・サパー(Last Supper)です。含蓄のある表現です。最後の晩餐――それは単なる別れの食事会ではありませんでした。それは地上生涯を送られた主との最後の食事でしたが、しかし同時に、それから後のキリスト教会の幕開けとなりました。 
 この食事の席で、イエスは、パンを渡しておっしゃいました。「これがわたしの身体です。明日、十字架の上で裂かれるわたしの身体です。これを食べなさい」。しばらくして、「さあ、この杯から飲みなさい。これは、明日、十字架の上で流されるわたしの血です」と。このパンを食べ、この杯から飲むということは、紛れもなくイエスの身体、イエスのいのちにあずかることでした。
 別れを惜しんでの悲しみの食事ではありません。イエスは、おっしゃいます。「あながたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか」(ルカ二二・一五)。主は、この食事を楽しみにしておられたのです。それは、イエスが御自身のいのちをもって、私たちを生かす晩餐でした。以来二千年、キリストの教会は、この聖餐によって、主のいのちにあずかってきたのです。
 この聖餐は、やがて幕を閉じます。天国の晩餐において完成されるのです。それをヘブル人への手紙の記者は、二二節の「大祝会」と称しています。この大祝会に向かって旅をしている私たちは、折に触れて聖餐にあずかります。聖餐にあずかるたびに、自分が天国の大祝会に向かって旅をしていることを思い出し、同時に旅するための力を得、いのちを新たにします。
 ヘブル人への手紙の記者は、この大祝会が、祝宴であることを強調しています。この大祝会と対照させて、一八〜一九節には、モーセがシナイ山で神の御前に出たときのことが記されています。
 「あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです」。
  かつてモーセがシナイ山に登ったとき、それは神に近づく旅路でした。しかし、それは、罪深い者にとっては、あまりにも恐怖と困難に満ちた、できることなら避けて通りたい  山だったのです。
 「また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、『私は恐れて、震える。』と言いました」(二一節)。

                ●血によって

 しかし、キリストの十字架を信じる者にとって、神に近づくことは、祝宴に近づくことです。それは喜びと感謝に満ちていることなのです。モーセではない、こんなに罪深い私たちでは、到底近づくことができない聖なる神の臨在に、謙って喜びをもって、近づいていくことができるのです。
 それを可能にしているのが、二四節の「アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血」、十字架で流されたキリストの血です。
 血というのは、不思議です。私たちはみな血に対する恐怖心を持っています。交通事故の現場などに、血が残っているのを見ると、恐怖心を抱きます。殺傷事件で、路上に血痕を見ると、恐ろしく思います。血液検査で、採決される自分の血を見て、体をすくませる人もいるでしょう。血に対する恐怖心は、血がいのちそのものであることを感じるからだと思います。血はいのちそのものと言っても過言ではありません。
 アベルは、嫉妬に狂った兄カインによって野原で殺されます。そのとき彼の血は、大地に流れます。この殺人の真相を、神はカインに突きつけられたとき、神はこうおっしゃいました。
 「聞け。あなたの弟の血が、その土地から私に叫んでいる」(創世記四・一〇)。
 血はいのちそのものです。そして流された血は、大地の中に消えてなくなるのではなく、神に向かって叫び声を上げるのです。アベルの血は、どのような叫び声だったのでしょうか。根拠もなくいきなり殺された故の無念でしょうか。兄弟でありながら、自分に憤りを覚える兄への悲しみ、痛みでしょうか。人生半ばでいのちを奪われた怒りでしょうか。流されたアベルの血の叫びを、神は聞いておられるのです。
 しかし、私たちがこの大祝会に近づくとき、さらにすぐれたキリストの血が、叫びを上げるとヘブル書は記しています。アベルよりもさらに優れたキリストの血は、何を語っているのでしょうか。

                ●血の語りかけ

 第一に、聖餐に近づく私たちに、キリストの流されし血潮は、私たち人間の罪について語っています。
 この世の中には、語ってもらわなければ、わからないことがたくさんあります。例えば、幸せ・不幸、喜び・苦しみ、悲しみ、孤独――これについてわからない人はいないでしょう。私たち日常的に体験しています。しかし、罪はそうではありません。罪は、ほとんどの人がふだんは全く意識していない概念です。
 「死の宣告」という言葉は、医学的には、医者が特定の末期の患者に出す言葉です。しかし聖書的には、すべての人にいま出されている宣告です。イエスはおっしゃいました。「全て罪を犯す人は、罪の奴隷です」「死体に、必ず禿げたかが集まるように、神の裁きは罪の上に訪れる」と。主が十字架の上で、引き裂かれる身体の痛み、その恥、そしりを受けながら、その血をもって語られたことは、私の罪深さでした。私たちは聖餐に現された裂かれた主の身体、流された主の血を前にする旅に、いつも新たに、さらに深く、自分の罪深さを知らされることになります。そしてこれは、聖霊の働きによって語ってもらわなければ、教えてもらわなければ、到底わからないものだと思ってください。
 第二に、キリストの血は、そこから救いを語ります。アベルの流された血は、「神様、どうか私に代わって裁いてください」と裁きを訴えています。キリストの血は、救いを叫んでいるのです。
 「父よ、どうか私に代わって、その人を救ってください」
 「父よ、その罪深い男を、女を、救ってください」
 「わたしは彼に代わって血を流し、彼のためにこのいのちを与えたのですから」

 『キリストの血潮』という本の中で、ロバート・コールマン先生は、お医者さんから聞いた話を引用しています。

 医者が小さな少年に言いました。
「君が妹に血をあげれば、君の妹のいのちは助かるんだよ」
 6歳になる妹は、死の危機に瀕しています。この少年も二年前に同じ病気にかかり、死の淵から見事に生還しました。少女を助けるには、同じ病気に感染し、それを克服した人からの輸血しか道がありません。幼い兄妹は同じ血液型でしたから、少年は最善の血液提供者でした。
「ジョニー。君の血をメアリーにあげてもいいかい?」
 医者が尋ねます。 
 少年は躊躇しました。その下唇がわずかに震えていました。それから彼はほほえんで言いました。
「もちろん、先生。ぼくの血を妹にあげるよ」
 ほどなくして、二人の子どもは同じ手術室に運ばれていきました。メアリーは痩せて蒼ざめていましたが、ジョニーは血色も良く健康そうでした。兄妹は言葉を交わすことはありませんでしたが、目が合うと、ジョニーはやさしく妹を見つめました。
 少年の血が妹の静脈に流れ込み、まさに新しいいのちが、病める肉体に入っていくのが見て取れました。輸血も終わりに近づいた時、沈黙を破って、ジョニーは小さな、しかし勇敢な声で尋ねました。
「先生。ぼくはいつ死ぬの?」
 その時、この医者は思い出しました。彼の一瞬のためらいを。その下唇がかすかに震えていたことを。小さなジョニーは、自分の血を妹にあげることは、いのちをあげること、つまり自分は死んでしまうと思っていたのです。そしてほんのわずかな瞬間に、彼は妹のために大いなる決断をしたのです。(『キリストの血潮』福音文書刊行会、四九〜五〇頁)

 血を上げるということは、いのちを上げることなんだ、自分のいのちを注ぎだして、自分のいのちを妹のために差し出すことなんだ、少年はそう考えたのです。その考えは、間違っていません。イエスは、最後の晩餐で、杯をかかげおっしゃいました。「これは、あなたのために流される、私のいのちだ。これを飲んで、生きなさい」と。
  その血は、いまでも語っています。この大祝会に招かれるたびに、その声が私たちのために叫び声を上げるのを聞きます。
 「父よ、どうかわたしに代わって、その人を救ってください」

               ●拒まないように

 最後に、ヘブルの記者は、一つ強調しています。
 「語っておられる方を拒まないように注意しなさい」(二五節)
 大祝宴に近づいているのです。そこで近づくとき、私たちは語りかける声を聞きます。私たちの罪深さを知らしめる声。同時に、それを背負って、いのちを注ぎだし、私たちを生かしてくださる主の救いの声。 
 万難を排して、聖餐式にあずかりなさい。様々な事情で日曜日の礼拝を逸してしまうこともあるでしょう。しかし主の招きがあれば、聖餐の卓に必ず進み出ようと心に決めることです。でも、それだけではありません。拒むということは、当然、出席していても、あずかっていても、心の中で拒むこともあり得るのです。ヘブル四・三に以下のように記されています。
 「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」
 これを聖餐式に言い換えることができます。
 「聖餐の恵みにあずかるという点では、私たちも彼らと同じなのです。ところが、食したパンも、飲んだ杯も、彼らの益にはなりませんでした。聖餐が、それを受けた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」
 と言い換えたら、これから受けようとする聖餐が「信仰によって」わたし自身のこととして受けること、つまり、キリストの十字架の血から響いてくる主の語りかける声を、自分への声として受け取ることの、大切さがよくわかります。
 信仰によって語られていることが自分に結びつかないなら、主がどんなにその血を通して語ってくださっても無意味です。
 「取って食べなさい。これはわたしのからだです。……みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」
 十字架でわたしはあなたのためにいのちを与えました。それを覚えて聖餐にあずかりなさい。あなたが食するとき、わたしのいのちはあなたのいのちとなります。
 十字架でわたしはあなたのために血を流しました。それを覚えて聖餐にあずかりなさい。あなたが飲むとき、わたしがあなたのために流したがあなたを覆う義の衣となるのです。

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DATE: 2003.04.06 - 20:49

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宮浦京子 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 210.149.190.139
日々、気がつかないうちに 、罪を犯しているだろうのに、大きな顔をして生きている自分が許されているのに、他人の罪を、許すことが、なんと困難なことか、祈りしか、答えが見つかりません。
2003.04.08 - 00:00 
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