名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 633 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   10/30召天者記念礼拝 「愛する者が私たちを応援する」
10/30召天者記念礼拝 「愛する者が私たちを応援する」

☆聖書個所   へブル人への手紙12:1〜2
1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

☆お知らせ
今年も召天者記念礼拝によくお出かけくださいました。天候も守られて、雨の中ではなく、午後には教会墓地へ行って墓前礼拝ができますことを心から感謝します。……
ひとつ基本としておきたいことがありますが、これから先、「雨の中、墓前の記念会に出るのはちょっとしんどい」という場合もあると思います。もし天候が悪い場合は午前の礼拝だけにしていただいて、もし(お墓に)直接いらっしゃる方も、牧師たちももちろん墓前に行きますけれども、決して足もとが不自由で、あるいは遠い中、無理して行かないようにしてください。
今日は、送迎があります。○○に1:15分に待機しておりますので、車を出していただける方、乗りたい方は一応古川先生まで申し出て頂きますようお願いします。

☆説教
へブル人への手紙12章1節をもう一度お読みします。
1節「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

これは恐らくへブル人への手紙の中で一番の中心の聖句です。信仰者の人生とはへブル人への手紙によりますと、マラソンです。一人一人辿るコースは違うかもしれませんが、一つ言えることは「楽な人生などない」ということです。別に脅かすわけではありませんが、今楽であれば後に苦しみがやってくる、というぐらい楽な人生などない。どんな人生も、それはここにありますように、「忍耐をもって走り続ける」というガッツが必要です。

たとえば3節を見てください。その最後に、
3節「それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」
ということは、私たちの心は元気を失って疲れ果ててしまう、それが多々あるということです。12節には、
12節「ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。」
ということは、やっぱり、私たちの人生のレースの途中で、投げ出してしまいたくなるほど弱ってしまうということがあります。
人の人生そのもの、あるいは信仰者の人生もまたマラソンです。そのような人生のレースで忍耐をもって走り続けるために、聖書は3つの重要なことを教えています。

1)「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いて」(1節)、応援していてくれる

「こういうわけで」というのは、11章を指していますが、そこには聖書の中で忍耐と信仰をもって人生というマラソンを走りぬいた、数々の人々が挙げられています。
たとえばノア、たとえばアブラハム、たとえばモーセ、中には遊女のラハブも出てまいります。そのようにして、忍耐と信仰をもって走りぬいた人々が、私たちを応援するために「私たちを取り巻いているのですから」という意味で「こういうわけで」です。

雲のように取り囲んでいる多くの証人とは、私たちの教会家族のお一人お一人のことです。天に送り、今日も語っている教会家族は信仰の人たちでありました。

―――昨年から人数が増えましたので、ご遺族全部を紹介するということはなかなかできません。それでお一人お一人を順番に行くということができないことはお詫びしなければならないことですが、今年、愛する者たちを天国に送った方々のご家族はご紹介したいと思います。―――中略

ケアハウス、特養、病院と、長く過ごされましたK兄、今年2月に天に召され、○○キングス・ガーデンで葬儀を致しました。

あるいは死をもってこの教会に加わられたM○兄というのは、この紙の裏側に記されています。今日はM○兄の奥様とご子息ご夫妻が来ておられます。ちょっと立って頂いて、ご紹介したいと思います。よく来てくださいました。奥さまは何度か婦人会や朝の祈祷会にも出席されています。

これらの方々が、私たちにとりましては、多くの証人なのです。何の証人か?信仰の証人であり、天国の証人であり、神さまの恵みの証人として大切なのです。大切なことは、これらの多くの証人が、私をこの教会を雲のように取り巻いているということです。死んで終わりではない。雲のように取り巻いている。マラソンランナーを沿道にいる私たちが応援しているように、雲のように私たちを取り囲んで今日も応援している。今も応援してくれている。

―――中略
『千の風になって』という歌があります。――私は死んでなんかいません。眠ってなんかいません。千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています――アメリカで作られた詩ですけれども、まさにそういうことをへブル人の(手紙の)記者は言いたい。地上と天国が全くの別世界で、私たちはお盆の日に死んだ人を迎えることはしません。そうではなくて、日々彼らは、雲のように私たちを取り巻いている。そしてこの苦しい、悲しみの多い人生を、私たちがまた走り抜けることができるように、私たちの人生の沿道にあって毎日私たちを応援してくれていると教えています。

ご家族の方々は先に天に送った一人一人を温かくお世話して、介護して、最後本当に苦労しながら送り出したでしょう。でも今は、それをはるかに上回る励ましを、雲のごとくに私たちを取り囲んで、旗を振って声援を送っている。だから疲れ果ててはいけない。衰えた膝をもう一度まっすぐにして、あなたも忍耐をもって走り抜きましょうと愛する家族が私たちに語りかけているということです。

このリストには載っていませんが、I姉のご主人は病床で奥さまに導かれてイエスさまを信じ、そして私たちの教会墓地のすぐそばのI家の墓に納骨いたしました。最近姉妹は目がご不自由になりまして、でも礼拝を欠かすことは全くありません。かつて主の救いへと自分が導いたご主人は、今や人生の沿道に雲のごとくに取り巻いて声援を送っていてくれるのだと。
M△兄は57歳でK兄は45歳で、お二人とも奥さまと二人のお嬢さん、まだ学校を卒業していないお嬢さんを遺して天に召されました。いくらなんでも早すぎると思います。難病と闘っていたO姉は、40歳でお嬢さんを遺して天国に旅立っていかれました。

そういう方々が、天国から千の風となって、雲のごとくに私たちを取り巻いて応援していないはずがない。毎日私たちが仕事に出かける時に、毎日私たちが何かに取り組む時に、彼らもまた雲のように取り囲んで応援している。だからこそ、遺族はここまで来られたのだと。

先ほど圭子がK姉と話をしていましたが、○ちゃんがこんなに大きくなったのは、――23歳だと言う。ああ○ちゃん、きれいになったねぇ。よくここまで来れたと自分でも思うとおっしゃってました――よくここまで来れたというのは、周囲の支えがあったからでしょう。でもそれ以上に、愛する者が雲のごとくにあなたを取り巻き、あなたを励まし、声援を送って来たということを忘れてはいけない。

2)純粋な信仰一本で生きなさい。
信仰者の人生がマラソンであるならば、それを忍耐をもって走りぬく秘訣として、「いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てる」

・これは、がんと壮絶な戦いを越えて若くして天に召されたM◎兄、がんと分かって、「死にいたるまで忠実でありなさい」(黙示録2:10)という、そのみことばを戴きます。
・K○兄はがんと分かった途端――再入院された時に、病院のお医者さんが保険の診断書を書いてくれた。その封を医者が忘れたのか、敢えてしなかったのか、思わずそれを見ていたら、急性白血病と分かり、その封を持って教会に来られて一緒にお祈りをしたことを覚えています。
・K◎兄はがんの苦しみがますにつれ、信仰がどんどん純粋になっていく。
・M▲兄は、がんになって入院するまで教会に足を踏み入れたことはありませんでした。
・T兄は帝京病院を退院したその足で、教会の礼拝に来られました。お嬢さんがミッションスクールに通っておられたので、その関係でお嬢さんの聖書を持って教会に来られて二か月で天に召されました。
・F姉、壮絶な痛みの中で、どんどん信仰が研ぎ澄まされていきました。

こういう方々は物事に執着しなくなる。ただ幼子のように、キリストの救いに与りたい。
F姉は溝の口で美容室をしておられて、私の母がお客さんで、それがきっかけで教会に来られて洗礼に与りました。それから高津の駅前にご自分のお店を構えて、私を始め多くの教会員がお世話になりました。生きがいとしていたヘア・カットのお仕事は、がんが転移しても、自宅で美容室をしたいと自宅を改造することまで考えておられました。しかし最後は、ご主人の愛によって守られて、ただ一心にキリストの愛にすがるだけ、それだけの信仰で天に召されていきました。

・I○姉も、私が9時頃電話しますと「もう寝てました」と。「私はもう朝日の出とともに起きて、畑仕事と聖書を読むことだけ。それだけが生きがいです。」
・U兄は、あれだけ教会に通い聖書をよく知っている方でしたけれども、「自分はまだ旧約聖書をよく知らない」と、痛める体を鞭打ちながら、病室のベッドで一生懸命旧約聖書を読んでおられる姿を見て、それはそれは涙が出ました。

「いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てて」レースを走れという、この言葉ですが、そう簡単には捨てられないこの世界のしがらみもあれば、この世界に対する執着もあれば、やり残している仕事もあれば、家族のこれからの将来のこともあるかもしれない。
でも私たちの先輩たちはみ〜んなそれらを捨てて、最後、家族に対する愛情と感謝と、それからキリストの十字架にすがるだけの信仰者に変えられて天に召されていった。
私たちはどこかで愛する者たちのその模範に倣う必要がある。それは、マラソンを走り抜くには、重たいものを抱えては走れない。

3)イエスから目を離さないでいなさい
離したら、走り抜けないぞと。今年天国に召された小林武男兄がそうでした。今教会のロビーに、皆さん、これを見てください。この聖書はお送りしなければならないので、しばらくしたらこの聖書はなくなりますが、今教会のロビーに展示されている、小林兄が写本された聖書は、あれは22冊目。創世記の1節から全部写本すると、この厚さになるのです。それを全部手書きで22冊写本なさいましたけれども、あそこにある一冊は病室と老健で書かれたものです。病室と老健でひたすら聖書に向き合う。

兄弟には2つの喜びがあった。礼拝に来ることと、主のみことばを書き写すこと。そしてこの2つが奪われた時に、自分は天国に行くのだろうと腹を決めておられた。そしてこの2つが奪われ、これ以上できないと、最後に入院された病院でも、田中姉がお見舞いして写本一式持って来てくれとお願いしておられました。

でもさすがにそれができないと、自分で自覚され、自覚された途端に、食べるのを止めたというのもおかしいですけれども、もうこれ以上先に行こうと思わなくなったというのが、私の印象です。それは実際はわかりません。周りの者がもっと食べたらいいと言うのですが、自分にとって礼拝ができないなら、聖書の写本ができないなら、天国に行くことがベストだと。そして神さまはそのベストを叶えてくださった。それを見事な方法で叶えてくださった。

私たちはこういう証人に囲まれて、心くじけながらも、手足を弱まりながらも、腰を痛めながらも、ひざが痛くても、忍耐をして走り切る。それは私たちの愛する者たち、教会の先輩、愛する兄弟姉妹たちが、みんなあなたのわきに、風となり、雲となり応援しているからです。私たちはイエス・キリストに目を上げ、苦労を背負いながら、礼拝の度に十字架を見上げます。それは私たちの愛する者たちが、主の真実と恵みの証人であり、そして彼らが雲となって私たちを取り巻き、私たちを励ましてくれているからです。

彼らの声は「イエス・キリストについて行ったら違わない。患難を希望に変えてくださる。このイエスさまについて行きなさい」という声です。私たちの傍らでいつもささやいてくれるのが、先に天に送った者たちの声です。励まされて生きたい。また一年励まされていって、そしてまた一年、もう少し天に召される方の数が増えているかもしれない。でもまた一年私たちも頑張って、来年の召天者記念礼拝に皆で顔をそろえたいと思うのです。

昨日、高橋正義兄と和子姉の4番目のお子さん、Nくんの納骨式を致しました。9月21日に、関東を久しぶりの台風が襲った朝、突然天に召されました。Nくんは、仕事で沖縄に行き、そちらで○子さんと出会い、私が溝の口の式場で司式しました。お子さんが二人(今小学校一年生と2歳)生まれるたびに、「家族が増えました」と、高津教会の礼拝に出席して元気な姿を見せてくれました。沖縄が大好きで、38歳ですから、奥さまにとっても、二人の子どもにとっても、またお父さんお母さんにとっても、兄弟にとっても、昨日は大学と高校時代の友人たちが集まって来ましたけれども、悲しみのどん底です。悲しみのどん底って、みんなどこかで味わうんだなぁ、私もやがて味わうんだろうなぁと……。
そして昨日、納骨の後で、高橋さんご夫妻が中華街で食事を用意してくださって、食事の最初に、こんなご挨拶を戴きました。

「東日本大震災の時、迫ってくる津波の知らせを聞いて、漁師さんたちはどうしようか迷います。頑張って、津波に向かって船を出した漁師さんたちは、命も船も助かった。でもやってくる津波を受け止めるだけの漁師さんたちは、船も命も失った。だから自分たちはこの襲いかかった津波に向かって行きたい。信仰をもって向かって行って、それを乗り越えていきたい。」

そういう力強い挨拶をされました。寝込んでも仕方がないでしょう。津波が大きければ大きいほど、逆に、それを受け止めるだけでなくして、信仰をもって津波を乗り越えて行くんだという姿勢が私たちを助ける。そのためには、私たちは覚えておかねばならないことがある。それは私たちの愛する者が、雲のごとく風のごとく、私たちを取り巻いて、私たちを励ましている。そのことを絶対に忘れないでいたい。

☆お祈り
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(へブル12:1〜2)

恵み深い天の父なる神さま、私たちはどこかで自分の頑張りでここまで来たという思いもあれば、自分たちの信仰で今のこの教会があると考えてしまいますが、実は私たちの信仰の先輩、私たちの愛する家族が風となり、雲となり、私たちを取り巻いている、私たちを励ましている、私たちを応援している、というこの事実を受け止めることができますように。

そして彼らの最期に倣って、さまざまにまつわりつく思いを捨て、時に自分の人生をものすごく単純に考え、幼子のようにただイエス・キリストにすがるだけ、信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストにすがるだけの人生へと変えられる、そのようにして私たちもまた、弱った手と衰えた膝とをまっすぐにして、もう一度津波のように襲いかかる悲しみや苦難に向かって行くことができますように、強くしてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2011.11.02 - 16:26
LAST UPDATE: 2011.11.04 - 17:27

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

Name   E-Mail   Password

 前文 11/6幼児・児童祝福礼拝「イエスさまは...
 次文 10/23 神の人モーセ(7)歩み出すモーセ
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
334Simple view *^^*1/29教会総会 「主イエスは教会を見て... T・Y 2012.01.30 3973
333Simple view *^^*1/22神の人モーセ(10)淡々と使命を... [4] T・Y 2012.01.24 10333
332Simple view *^^*1/15 栄造先生の説教「宝を土の器の中... T・Y 2012.01.23 3854
331Simple view *^^*1/8神の人モーセ(9)試練もわざわいも... [1] T・Y 2012.01.09 9132
330Simple view *^^*2012年元旦 わたしは初めであり、終... [1] T・Y 2012.01.04 5613
329Simple view *^^*12/25クリスマス礼拝説教「戸惑いを超... [2] T・Y 2011.12.26 1531
328Simple view *^^*12/18  2011年を振り返って「荒... T・Y 2011.12.20 3655
327Simple view *^^*12/4 アドベント―2 救いの知識(2... T・Y 2011.12.07 4310
326Simple view *^^*11/27 アドベント―1 ヨハネ=主の... [2] T・Y 2011.11.30 2141
325Simple view *^^*11/20 神の人モーセ(8)神に背を向... [1] T・Y 2011.11.21 4581
324Simple view *^^*11/6幼児・児童祝福礼拝「イエスさまは... T・Y 2011.11.08 3986
323現在参照中の文章です...10/30召天者記念礼拝 「愛する者が私... T・Y 2011.11.02 5281
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*