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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/27 アドベント―1 ヨハネ=主の憐れみ
11/27 アドベント―1 ヨハネ=主の憐れみ

☆聖書個所     ルカ1:67〜79
67さてザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。68「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、69救いの角(つの)を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。70古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。71この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。72主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、73われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、7475われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。76幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、77神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。78これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、79暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

☆説教 
ルカの福音書の1章を見て頂きます。福音書はイエス・キリストの誕生、つまり、クリスマスの記事から始まっていますが、バプテスマのヨハネ、洗礼者ヨハネという人物の誕生から始まっています。そしてイエスの誕生となっており、この二つの記事が両方とも1章に記されていますが、その両方の誕生記事に共通していることがいくつかあります。たとえば、両方とも天使の告知であります。いわゆる受胎告知と言われますね。あるいは両方とも、神の力による特別な懐妊であったということも記されています。また、両方とも生まれてくる子どもに神さまが名前をつけておられます。

親は名前にこだわります。みなさんはどういう名前か、自分でその名前の由来を知っておられますでしょうか?私は『満』(みつる)と言います。両親は――使徒の働き(6:5)に、「信仰と聖霊に満ちた人ステパノ」を含めて7人の人物が選ばれているところがありますが――その「信仰と聖霊に満ちた人」ということで『満』という名前をつけてもらいました。だいたい人間の場合は名前を裏切るのが常でありますけれども(笑)…。

クリスマスの記事を読むと、どれも名前にこだわっています。このヨハネの場合やイエスさまの場合も生まれてくる前にすでに名前が決まっている。神の御使いがその名前を指定してきた。それはよほどの意味があり、その名前がすべてを象徴していると考えることができるわけですが、キリストには「イエス」という名前がつけられます。

マタイの福音書(1:21)には天の使いが「この方こそ、ご自分の民を罪から救う」(と言った)、「救う」という「ヨシュア」というへブル語が「イエス」です。キリストというのは、名前ではなくしてタイトルです。油注がれた者――特別な使命のために神の権威を受けた――そのタイトルが「キリスト」ですから、実は名前は「イエス」です。

そしてもう一人、ザカリヤという祭司とエリサベツという奥さんの間に生まれた男の子は、「ヨハネ」という名前がつけられました。私は今年のアドベントをこの「ヨハネ」に注目したいと考えています。彼の父の名前は「ザカリヤ」、旧約聖書では「ゼカリヤ」で、この名前も素晴らしい意味があり「主は覚えている」の意。神はあなたを覚えている。実は、この名前は旧約聖書で一番よく出てくる名前なのです。ゼカリヤという名前を持った人物が旧約聖書には21名出て来ます。とってもよくある名前で、でもそれは神さまの真実を表します。つまり神さまはあなたを覚えている。心に留めている。

母親の名前はエリサベツでありました。英語ではとてもよくある名前になりましたね。ベス、ベッツイ、いろんな愛称で呼ばれますが、全部もとはエリサベツですね。聖書には実は他に出て来ない名前が「バテ・シェバ」という女性の名ですね。バテ・シェバの「シェバ」がエリサベツの「サベツ」の中に入っています。「シェバ」というこのことばは「誓う」「誓い」という意味で、「エリサベツ」の「エリ」は「神」ですから、「エリサベツ」とは「神の誓い」という名前です。

神さまの摂理の中でヨハネの両親の名前は繋がっていました。父親はザカリヤ、ゼカリヤ「主は覚えておられる」、母親の名前はエリサベツ「神の誓い」、「主はご自身の誓いを覚えておられる」というのは、ちょっと今開けて頂きましたルカの福音書の1章の72節と73節を交読しましょう。途中で切れていますが。
72節「主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、」
73節「われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、」

この73節に、「われらの父アブラハムに誓われた誓い」、この神の誓いがエリサベツです。そして「覚えて」いるというのがザカリヤ。ここに両親の名前があり、72節の「主はわれらの父祖たちにあわれみを施し」のこの「あわれみ」ということばが「ヨハネ」なのです。

ヨハネが生まれたときに、67節を見て頂きますと、自分の息子の誕生のときに預言して歌ったこの歌が『ザカリヤの賛歌』と呼ばれていますが、この賛歌の中に自分たち夫婦の名前と息子の名前を見事に入れ込んでいます。

ヨハネの名前は「主はあわれむ」。そしてご自身の誓いを覚えていて、その誓いを、ザカリヤ、エリサベツ、ヨハネのこの家族の人生を通して実現されていくのです。

皆さんにとって、クリスマスってどういう思い出が心を巡りますでしょうか?いくつもあると思いますね。クリスマスの思い出はという証しをなさったら、きっとさかのぼってこういうこともあった、あんなこともあったといくつも出されるでしょう。

私はアメリカで過ごした最初のクリスマスは、神学校の寮でした。アメリカ人全員が家族のもとに帰ってしまい、「いっしょに来ないか」と誘ってくれる友人がいましたけれども、1月2日に冬学期が始まるので、まだ英語がよくわからない。それで一人寮に残って、その準備をしたのです。あんまりにも友だちが哀れに思って、テレビを一台貸してくれました。そのテレビがものすごく役に立った。することもありませんから、ひもすがら、テレビを観ている訳ですね。その内にどんどん、英語を聞く能力が発達して来まして、私は9月から始まったアメリカの1学期を終えて、大体授業の理解力が60%ぐらい。でもテレビを毎日聞いている内に、冬学期が始まった頃には、英語が解るようになっていました。

クリスマス・イブの夜、一人で夕方過ごしていましたら、ある教授が訪ねて来てくれて、家のクリスマスに招待してくださり、ツリーを少し飾り付けを手伝ったりして、近所に散らばっていた、独身の一人で過ごしていた者が皆集められて、そこでクリスマスをお祝いしました。

小学生の頃、両親が、当時明治の板チョコでこ〜んなでかいのがあった。これをやったらこの明治の板チョコをくれると親に言われて、私はルカの福音書のクリスマスの場面を延々と暗記しました。それを暗記して皆さんに祝会で披露します。それができたら、この板チョコを上げるよと言われて(笑)、私は来る日も来る日も聖書のその個所を暗記していた自分を思い出します。

いろんなことがあります。いろんなことを温かな思い出とともに思い出すクリスマス。今年も、私たちは独特な、今年しかないクリスマスを迎えるに違いありません。しかし、当時のザカリヤとエリサベツにとって、クリスマスの出来事はもっと具体的なことを意味していました。それは温かな思い出ではない。それは彼らの名前の通り、神さまは私たちを覚えておられた、その誓いを覚えておられたということ、それがクリスマスでありました。

どういうことかと申しますと、旧約聖書と新約聖書には400年という歴史の隔たりがあります。かつてイスラエルの栄光と繫栄が満ちていた世界。その歴史でアッシリアとバビロンという帝国がその繁栄を全部切り取ってしまい、神の民としての輝きを失い、いつもどこかの植民地のように、影をひそめて、バビロンの下で、やがてメディアの帝国の下で、ペルシャの帝国の下で、ギリシャの帝国の下で、ローマの帝国の下で、400年という歳月を過ごしていきました。400年と言いますと、今から日本で言いますと、関ヶ原の戦いですね。長〜い歴史の沈黙、先の見えない長〜いトンネルを、イスラエルの人々はただひたすら神の救いと神の祝福を待って過ごしていたのです。

1952年の7月4日の霧の深い朝、若い女性が太平洋のカルフォルニア州に近いカタリラ島からサンジエゴを目ざして、遠泳に挑戦します。彼女はイギリスとフランスのドーバー海峡を初めて泳ぎ得た女性でありました。それでも海水の温度は低くて、サポートするボートが見えないほど、霧が海面に立ち込めていました。側に……ことも何度かあり、15時間泳いで彼女は断念します。トレーナーはボートから彼女を励まします、「岸は近いぞ」と。しかし、霧があまりにも濃くて、果てしなく続く冷たい海に気持ちが折れて、彼女は諦めます。後で分かったことは、岸までわずか1.5キロのところで彼女は断念します。後に彼女は言います。「言い訳するつもりはないけれども、もし陸地が見えていたら私は泳ぎ切れたと思います」彼女は濃い霧にやられてしまいました。

ザカリヤはイスラエルの民の、そして私たちの象徴として、ルカの福音書に描かれています。私たちも長〜い深い霧が立ち込めた、試練というトンネルの年月の中で、ひたすら待つ。詩篇の130篇「私は待ちます」という詩篇。私たちはクリスマスに向かって、さまざまな願いがあり、あるいは出来事があり、しかし主が来られ、私たちを困難から救い出されること、悲しみの中を励ましていただくことをひたすら待つ。その深い霧の中で信仰を失わない人物の象徴として、ザカリヤとエリサベツという人物が出てくるのです。

「私たちは真実でなくても、主は常に真実である」というのは、Uテモテ2:13のことばです。あるいは「イエス・キリストに信頼する者は、失望させられることがない」というのは、Tペテロ2:6のことばです。神さまは真実な方です。私たちはいくら何でも400年は待てません。私たちはとても400年は待てない。しかし、クリスマスに向かって再び神さまの真実への期待感を高めていく。この方は私たちの心の中にある祈りに答えてくださる。私たちを祝福すると言った誓いに忠実であってくださる。私たちを助けてくださるという、神さまの真実への期待感を高めていく、これがアドベントですね。

さて、もう一回このヨハネに戻って頂きたいと思います。先ほど読んでいただきました72節に「主はわれらの父祖たちにあわれみを施し」、ここにヨハネが出て来ます。
78節に「これはわれらの神の深いあわれみによる。その憐れみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」
このすべてのところを、77節でこう言います。
77節「神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。」

ヨハネという人物は救いの知識を私たちに与える。それで、今日は救いの知識の第1を、来週は救いの知識の第2をヨハネから、バプテスマのヨハネからお話したいと思います。
バプテスマのヨハネはいったい何をしたのか?彼は基本的に二つのことしかしなかった。@私たちを悔い改めに導いた。これが救いの知識の第一です。Aイエス・キリストを指し示した。イエス・キリストを証ししたということです。つまり私たちがイエス・キリストを信じるようにヨハネは導いた。

今日は救いの知識の第一、ヨハネがなしたことの第一番目、私たちを悔い改めに導くということを学びます。
ヨハネという人物は荒野で過ごします。80節を見てください。
80節「さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。」

荒野の人として、逞しく育ちます。孤独に耐え、そして少し荒々しい形相で人々の前に立った時に、バプテスマのヨハネの第一声は「まむしの末たち」でありました。つまりバプテスマのヨハネが今日この講壇に立ったら、私は「おはようございます」と話をする訳ですけれども、彼は「まむしの末たち」と私たちを呼ぶのです。
「まむしの末たち」と呼んだ時に、私たちは思わずこう言うのです。イスラエルの人々はこう言いました。
「いやいや、私たちはまむしの末たちではない。私たちはアブラハムの子孫だ。神さまが愛され、神さまがアブラハムと契約を結ばれた、とこしえの祝福の中にいるその子孫である」
するとバプテスマのヨハネはこう言います。
「アブラハムの子孫と言うな。神は石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができる。アブラハムの子孫と言うなら、アブラハムの子孫らしく生きてみてはどうか?」

とっても厳しい人物でありました。もしここに現れるなら、「まむしの末たち」と私たちに語りかけ、「いえいえ、ヨハネ先生、私たちはイエス・キリストを信じ、神の子どもです」と言った瞬間、彼は同じように言うでしょう。
「神はご自身の子どもを石ころからでも起こすことができる。神の子どもと言うなら、神の子どもらしく生きてみたらどうか?」――これを『悔い改め』というのです。

『悔い改め』というのは、必ずしも自分自身の罪深さを神の御前に懺悔する、告白することだけではない。『悔い改め』というのは、私たちの生き方の問題です。そしてその生き方というのを一言で言うと、「自分の本来あるべき姿」を見つめ直さないといけない。自分の本来あるべき姿というのが、人間にはある。あるいは、クリスチャンにはある。でもどこかで私たちは「自分の本来あるべき姿」を見失って生きていくのです。

例えば聖書によりますと、人間というのはどういうものか?人間というのはアダムです。
アダムというのはへブル語でアダマー、土という意味です。神さまは人間を土から造られ、ですから人間は死ぬと土に戻るという。しかし、神が天地万物を創造され、最後に人間を創造された時に、人間はそれだけではなかった。神はアダムを土から造り、その鼻にご自身の息を吹き込まれたとある。息を吹き込まれたというのはどういう意味か?一言で言いますと、私たちの内側に人格を与えられた。

なぜ神さまは私たちの内側に人格をお与えになったのか?それはご自身が人格を持っておられるからです。ご自身が神であり、神は何かというと、エネルギーや力ではない。神はご自身のご計画をもってこの世界を創造され、ご自身の愛に答える存在として、私たちは愛が解る、愛に応える人格として私たちを創造された。だから人間は特別なのです。私たちには愛が解る。ですから、愛が裏切られた時の悲しみを私たちは知っている。私たちは信頼することができる。ですから信頼が裏切られた時の悲しみがよく解る。

その「本来あるべき姿」というのは、人間としてだけでなく、神の御前を生きる人としての、「本来あるべき姿」がある。神を信じる者は神に祈る。神を信じる者は、神が善にして善をなされるお方であることを信じる。神を信じる者は、神がその誓いを、約束を、全うしてくださることを信じる。私たち人間はどこかで「あるべき姿」というものを教えられ、あるいは自分の内側で想像し、他に似てる似ていないは別として、自分はこういう生き方でありたいなぁと思うものですが、どこかでそこから外れて行くのですね。外れて行かない人はいないです。

イエス・キリストのたとえで、『放蕩息子』(ルカ15:11〜32)というのがあります。息子は裕福な家に育った。父親に、あるいは家の環境に、縛られるのは困ると、やがて父親の財産を前借りにして、分捕って、お金に変えて、出て行きます。人生のどん底を味わう。人生のどん底を味わった、豚小屋の果てで、ある日彼は我に帰る。我に帰った時に彼が言ったのは、「父親のところには(パンのあり余っている)あんなに多くの雇い人がいるのに、私はここで飢え死にしそうだ」ということば。それは「父親のところではあんなに豊かな祝福があるのに、私はこの豚小屋で飢え死にしそうだ」ということは、「本来あるべき自分」と今の自分のギャップに気が付いたということ――それを『悔い改める』と言います。

バプテスマのヨハネが私たちのために救いの知識を教えてくれる。その救いの知識っていったい何だ?今日みなさんにお伝えしたいのは、「本来あるべき自分の姿」を見つめてほしい。そしてその「本来あるべき自分の姿」というのは、たとえば父親として、母親として、夫として、妻として、社会人としてだけでなく、神の御前に、神の息を吹き込まれた人間としての生き方を求められているのです。

1987年にスティーブン・スピルバーグが『太陽の帝国』という映画を監督します。英語のタイトルは“Empire of the Sun” 文字通り太陽の帝国、それは日本のことですね。多分皆さんはこの映画を観ない。観ないから、映画のネタばらしを全部してしまいます(笑)。

場面は上海の上空を零戦が飛ぶところから始まります。上海がまだイギリス領だった頃、零戦が飛び交い、やがて本当に日本軍が上陸して行く、その中で11歳の少年が両親とはぐれる、それが最初の場面です。子どものための収容所はなかった。この少年は大人と一緒に空軍基地のそばに容れられてしまった。何年も過ぎた。最初の頃は零戦が珍しくて、将来零戦に乗ってみたいななどと思いますが、収容所のベッドの中で涙を流し、どこかだんだん思春期の少年が大人びて行く。友だちは大人しかいない、大人のような口を利き、大人のような冷たさを持ち……。

二時間もの長〜い映画です。何のための映画か、反戦の映画か、映画の意味は全然わからないのですが、クライマックスは、戦争が終わって、母親が子どもが収容されている孤児の収容所を訪ね歩いて、とうとう見つけるのです。その場面はこれくらいの部屋の中で、訪ね歩いたお母さんとその大人びて来た息子の目が合うのです。目が合った瞬間に息子はあっと思い、お母さんに駆け寄り、息子を抱きかかえる。ラストシーンは、カメラは息子の顔をアップにするのです。アップした息子の顔というのは何がなんだかよくわからんという顔をしています。そしてゆっくり180度回って、母親の顔を写しますと、母親は泣きに泣いているのです。ボロボロに泣いて、失われた息子に出会った喜びに、笑顔に変わって行く。そしてまたゆっくり回りまして、息子の顔に、あの11歳の頃の、あどけないほっとした表情が戻ってくる。そこまで行きますと、映画の意味がよくわかります。

アメリカという国は、1980年代に入りますと、母親が仕事に出ます。父親が家に帰って来なくなる。そして離婚率のピークが50%。それから子どもによる銃の乱射事件が始まった。そんな時代です。つまり家庭がどんどん崩壊して行く時代の映画で、スピルバーグが描きたかったことは、人間というのは、どこかである時姿を外れるのだ。どんなに忙しくても、父親として母親としてあるべき姿があるでしょうし、いやもう少し深く言えば、同じように人間として「本来あるべき姿」がある。それに気が付いて、イエス・キリストをこの世界に送られた、父なる神の愛に気が付いて立ち戻ってくるというのが、救いの知識です。

私たちがどこかで考えねばならないことです。よく思います。人間どこから生まれて、どこへ行くんだろう?その問いかけは、私たちは普通はカバンの中にしまい、地面の中に埋め込み、あまり考えないようにしている。だけど人間、どこかでその質問は必ず芽を出し、やがて根を張り、自分の中心に育って行くのです。

聖書が語る救いの知識は、私たちは土から生まれ土に帰って行く、単なるアダマーではない。神の息が吹き込まれていて、私たちは神の愛を感じ、神の愛に応え、神の愛の中を生きることができる。にもかかわらず、私たちはそのず〜っと世界の果てで、父なる神の愛から遠ざかって生きている、そのあなたの悲しみ、罪深さ、あるいは人の愚かさ、人間の醜さ、神から離れてしまうこの姿を見つめ、「本来あるべき姿」に戻って行ってほしいなぁというのが、バプテスマのヨハネが本当の意味で伝えたかったことです。

☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、私たちの中には、洗礼を受けてあなたの愛の中に生かされてもう何十年という人物もいれば、もしかしたら今日初めて教会に来たという人物もいます。神の愛、人間の本質、自分の内側にある小さな信仰を育ててもらおうと思って、教会に通い続けておられる方もおられるでしょう。イエスさま、どうか、ヨハネが伝えたかったこの救いの知識を、自分自身のものとするクリスマスでありますように。

それゆえ、まず私たちが、自分自身には、あるいは人間には、「本来あるべき姿」があるのではないだろうか?悲しみに暮れ、罪深さに埋もれ、愚かな世界に迷い込み、醜い自分に絶望し、でもそんな私たちかもしれませんけれども、本来は神の愛を100%存分に受けて神と共に歩むべき者なのではないだろうか?主よ、どうかあなたに対する信仰を抱く前に、この『悔い改め』から始めるアドベントでありますように。

そして振り返れば振り返るほど、あなたを見上げることができますように、人間としてクリスチャンとして、「本来あるべき姿」を見つめ直せば見つめ直すほど、神を見上げることができますように私たちを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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