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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/18  2011年を振り返って「荒野の旅路」
12/18  2011年を振り返って「荒野の旅路」

☆聖書個所         申命記8:1〜5

1私が、きょう、あなたがたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、主があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。3それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。5あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

☆説教  「荒野の旅路」

アドベント(クリスマスに向かう)第一週は11月の最後の週でありました。なんだかもうずいぶん前の話のような気がします(笑)。アドベントの第1週と第2週、私はバプテスマのヨハネの働きに着目して、その二つの大きな働き、つまり、「悔い改めを迫る」ということと、「イエス・キリストを指さす」というヨハネの姿勢から、年末に向けて心を整えました。

先週はいわきの教会から金成先生を迎えて、改めてこの年が震災と津波そして原発事故の年であったということを、身にしみて感じることができました。このただ中にありながら、クリスマスを迎え、その課題を背負いながら今年を越して行く、日本の私たち、被災地の教会、地域の人々のために、神さまの助けと力づけを祈らなければならないことを改めて実感しました。

来週はクリスマスの礼拝で、これが今年最後の礼拝となりますので、私は今朝は一年を締めくくるにあたり、申命記の8章から、クリスマスとは違う、年末のメッセージをさせて頂きたいと思っています。
神の人モーセの学びを中断し、クリスマスの最中でありますけれども、ひとたび心を落ち着けて一年を締めくくるために、申命記の8章を見て頂きたいと思います。
申命記の8章の2節に、こうあります。(続けて4節まで読まれる。)

2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
3それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

以前お話したことがあります。谷昌恒(たに・まさつね)さんという、堀川愛聖園という福祉施設を創り、戦災孤児や浮浪者の世話をするようになり、その後北海道家庭学校の校長先生をなさった方がおられましたが、私はこの先生のこういうキリスト教理解がとっても心に残っています。谷先生はこうおっしゃいました。

「キリスト教の精神をひとことで言うならば、それは『砂漠に生まれた宗教』に尽きます。(砂漠に生まれたというのは、今日の説教で言うならば、『荒野に生まれた宗教』に尽きます。)それは灼熱の緑の国から生まれた仏教などには全くないものです。
宗教は心の平安を説きます。しかし激しく回っているコマが静かに立っているように、またせわしくペダルをこいでいる自転車が倒れずに走っているような、そういう平安をキリスト教は説くのです。
無事がいいのではないのです。試練がないことだけがいいのではないのです。
神の支配を信じながら、砂漠という、(あるいは荒野という、)厳しい条件のもとに置かれた民族の宗教は、もともとこのように激しいものだったのです。」

改めて気づかされます。聖書はエデンの園に始まります。エデンの園というからには、何一つ不自由なく豊かな緑があり、多くの動物たちに囲まれたエデンの園であったに違いない。それは素晴らしい世界、神さまが創造された素晴らしい世界でありました。しかしこの分厚い聖書で、エデンの園の記述というのはわずか5〜6ページですね。やがて私たちが帰る天の御国はエデンの園にたとえられることができますけれども、少なくとも言えることは、今の人生はエデンの園ではない。

聖書はその世界を中近東ですから、荒野として描いています。モーセがイスラエルの民を率いて旅した荒野は、地理的にはパレスチナの南に広がる荒野です。でもそれだけではなくして、聖書はこの荒野というテーマを題材に、私たちの人生の旅路そのものが、荒野の四十年であると言っています。

申命記8章で、モーセは荒野の行程を顧みて、人々に教訓を残しています。彼はここで荒野の四十年を要約して、その四十年をわずか2節から4節までで要約して、それから教訓を人々に与えています。それは、私たちの2011年を振り返った要約になることでありましょう。(2節を読まれる)

2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。

1)荒野の全行程は、試練の時、訓練の時

先ず第一に、その荒野の全行程というのは、試練の時、そして訓練の時であったということが語られています。非常に興味深いところです。
2節には3行目に「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み」と、(つまり)「この全行程は神があなたを苦しめ、あなたを試みられた」と、あるいは3節には「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて」とあります。

冷静にモーセは認めています。この四十年、この年、何でも感謝、何でもハレルヤ、何でも素晴らしいと言えるような不平不満の一つもない、エデンの園のようではなかった。私たちはエデンの園の外に住んでいる。私たちを取り巻く厳しい現実というものを実感させられた一年でありましたし、イスラエルの人々はそういう四十年間を過ごしていた。

私は決して「千年に一度の巨大津波が神さまの裁きだ」と言っているのではありません。しかし、言えることは、私たちの住むこの世界、そこにはしょっちゅう地震があり、しょっちゅう津波がある。温泉大国日本は、言うまでもなく、地震大国日本である。日本だけでなく、ヨーロッパでも南米でも、地震、災害、台風――先週のニュースでは、フィリッピンで数百名の方々が、台風の被害で亡くなったというニュースを聞いて、あぁ、フィリッピンは今頃台風かと。言えることは私たちの住むこの世界は、自然も社会も人間関係も、私たちに関わる多くのできごとを通して実感することは、ここはエデンの園ではないということです。
そしてそうした試練の起こることを神さまはお赦しになりますし、またその中で、私たちは練られるということをモーセは民に伝えています。

2節をもう一回見ますと、「この四十年間、神が荒野であなたがたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない」とあります。私たちは、何一つ忘れないでいたいと思いますが、同時に苦しい事は早く忘れたいと思います。もちろん当事者は何一つ忘れないでしょう。しかしその当事者もしばらくすれば、世代が代わり、その実感は消えていくのです。

旧約聖書の民イスラエルが特筆して素晴らしい、ある意味有能であったとすれば、それは忘れないことです。私たちは大戦中、太平洋戦争の最中、日本という国は、多くの迷惑を、そして多くの犠牲を、東南アジア諸国に強いていました。そして歴代の首相、あるいは多くの方々も、それを謝罪してきました。ときどき私たちの内側から出る声は、「もうあれだけ謝ったのだから、忘れてくれ。何回謝れば気が済むんだ。」謝って済む問題ではない。しかし決して、忘れてはならない出来事です。

旧約聖書の民イスラエルは、自分たちが犯した過ち、自分たちがバビロンに捕囚になった出来事、やがて紀元70年に散り散りばらばらになってしまったあの惨事(エルサレム陥落?)、そしてアウシュビッツの出来事というもの、口にはしなくても彼らの心から離れたことがない。モーセの出エジプトの出来事というものを、彼らは何千年も繰り返し繰り返し、このことを反復し、祭りとして祝い、教えとして学び、心に刻み込んできた民族です。彼らはこのわずか四十年の出来事を、今に至るまで記憶し実感し――民族の歴史が、私たちの人生が、神が私たちを練られて来た荒野の旅路――それを忘れることがないようにと教えています。

2)試練の中で新しい恵みを知るようになる

2番目に、しかしその苦難と試練の状況の中で、モーセが振り返る第2の点は3節にあります。

3それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。

荒野にあって、神さまはマナという特別な食べ物、天からの恵みを供給して、あなたを飢えさせることがなかったというだけではない。ここに記されているのは、あなたも知らず、あなたの先祖も知らなかった神の恵みを、新しい恵みの味わいを、その試練の中であなたは知るようになったということ。

今年もし私たちが、未曾有の災害の苦しみに出会ったとするならば、同時に私たちは計り知れない神の恵みにも出会ったはずです。今年私たちが自分の人生で一番苦労したその苦労を忘れないならば、私たちは同時に、この年に与えられた新たな恵みの味わいを忘れないでしょう。荒野の試練の中で初めて与えられ、飢えて初めて味わう恵みがある。

今年の漢字というのは毎年12月に発表され、皆さんもニュースでご覧になりましたでしょう。京都に本部を置く、まぁいろいろ法律的には問題がありましたけど、日本漢字能力検定協会、これが決めて、京都のお坊さんが大きな書を見事に描き上げる。今年の書には味わいがありました。『絆』という漢字でした。何重にも意味のあることばです。そして私たちはその『絆』を味わいつつも、その『絆』に欠けていたという反省もありますでしょうし、自分自身がどういう風にこの『絆』を築いて行くのかという課題も込められていますし、まさに2011年から出て行くこの日本の歴史は、『絆』ということばに集約されるような歴史でなければいけない。

今年、秋に高橋正義兄姉の一番下の息子さんが天に召されました。私は礼拝でも話したことがありますし、慰めることばも見つからない中で、教会の多くの方々が、Nくんの家族のために、小さなお子さんを抱えた奥さんのために、また高橋兄姉のために祈っておられました。高橋兄が属しているギデオンの仲間も祈ってまいりました。

11月のある聖日、お二人は初めに来て、その席に座っておられたのですけれども、礼拝が始まる前しばらくして、お子さんたち3人がご夫妻の後ろに座った。私は講壇から話しながら、何とも言えない温かい思いがあった。他のお子さんたちはもちろん高津教会で育ち、今はもういろんな所にいらっしゃるわけですから、なかなか教会にいらっしゃることもできないのですけれども、お父さんお母さんが一番悲しんでいる時に、「僕らがいるよ」という顔をして、後ろに座って礼拝を守っていらっしゃる姿を見て、私はまるで天使がお二人をガードしているように見えました。なかなか日頃、そういう絆というのは育てることができないのです。

私は今日は父(栄造先生)が来ていますけれども、地震があって、まぁもちろん電話はなかなか通じないということもあったのですけれども、連絡さえしませんでした(笑)。まぁしばらくしてからしたんだろうと思いますけれども。9月に訪問した時に、父が私にこう言ったんですね。私には桑名にいとこがいるんです。たっちゃんというのですね。このたっちゃんとは夏休みよく遊んだ。私は桑名に住んでいたこともありますし、たっちゃんとは1つ2つ違いで、ずっと小さい時いっしょに育ったんですが、「地震があった時すぐにたっちゃんから電話があった」と。まぁ、津波のこともあったり、原発のこともあったのでしょう。「何も持たずに、全部こちらで用意するから桑名に引っ越して来い、と言われた、それがとても嬉かった」と父に言われて、そんな電話、ぼくはしなかったなぁ(笑)、と改めて反省もさせられる訳ですね。皆さんもそういうことも多々あるだろうと思います。

ほんとにそのような絆を育てて来たのだろうかというその反省もあるのですが、しかし私たちはこの年を締めくくるにあたり、改めてその全行程を思い起こし、全行程をですよ、そしてこの年を覚えておかねばならない。それは生かされていることの恵みです。それは4節に書いてあります。

4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

いったいどういうことか?荒野を旅してきたのですから、着物はすりきれたはずです。足ははれたはずです。でもモーセが言いたかったのは――この四十年間、神の恵みがあなたを守って来た――そのことを忘れてはいけない。民は一度死に瀕した出来事がありました。詩篇の106篇の23 節、それをご一緒に読みたいと思います。

23それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす。」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。

この四十年間、イスラエルの民は、神さまに対する不平不満の言い通しでした。あまりにもその不平不満が山積みにされ、神さまは、彼らをご自身の民とすることをあきらめるとおっしゃった。そんなに不平不満ばかり言うのであれば、荒野で死に絶えるのが良いだろうと。しかし、その時神の人モーセが御前の破れに立って、破れのはざまに立って祈ったのです。

私がこうして、皆さんがこうして、感謝のうちに年を締めくくることができるのは、背後で私と家族のために、私のために、皆さんのために祈ってくださった方々がいるということです。そういう方々が、私の危機にあって、破れのはざまに立って祈ってくださった。「荒野の全行程を覚えておかねばならない」という時に、私たちは恐らくその苦しみは忘れないでしょう。恐らくその悲しみは忘れないでしょう。でも同時に、「この一年、四十年間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった」(申命記8:4)という神さまのみ守りと、あなたのために祈ってくれる人がいた。そして、私もまた誰かのために祈っている――この事実を忘れてはいけない。

3)人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべてのもので生きる。

3番目にもう一度(申命記8章)3節を見ます。これがモーセが四十年間の荒野の全行程で絶対に忘れてはならないということ――それは3節、3行目から、「それは、人は
パンだけで生きるのではない。人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにもわからせるためであった。」

この一年を振り返り、荒野の四十年を振り返り、私たちが覚えておかなければならないことは――人はパンだけで生きるのではない。人は主の口から出る神のことばによって生かされる――イスラエルの民はこれを学ぶのに四十年を費やしました。

2011年、それは日本にとって歴史に残る試練の年でありました。でもそれは前の年もその前の年も、そして来年も、地上にいる限り、荒野の旅路を私たちは行くということは間違いなく来る。訓練と試練、そしてその中で、新しい恵みをまた味わう。でも人は、私は、主イエス・キリストのみを信頼し、主のことばによって生きているというこの実感を私たちは忘れてはいけない。

聖書は荒野の世界ですから、実はめったなことに洪水はないのです。しかしイエスさまは人生における危機を洪水にたとえているということはとっても興味深い。ちょっと新約聖書のマタイの福音書の7章の24節を見て頂きたいと思います。24節から27節までを交替に読んでいきます。

24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

改めて興味深いですね。日本は洪水はしょっちゅうです。でも中近東に洪水ってのはめったにないです。でもイエスさまは、敢えて人生に訪れる危機をその中近東の洪水にたとえられたということは、めったに来ないかもしれない、しかし押し寄せる危機は自然災害だけでなく、人間関係の問題であったり、あるいは心身の健康であるかもしれない、でもそれはみな私たちの生活と命をもって行くほどの勢いで私たちを襲う。

今年ちょっと調子がよかったかもしれない。でもそれは突然来る洪水のように、一つの人間関係で、一つの身体の不調で、一気に私たちの家を持って行ってしまうような洪水が、必ず来るよ。あなたの家を砂の上ではなく岩の上に建てなさい。その岩とはいったい何かというと、(マタイ)7章の24節、「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、(聖書のことばを聞いて、それを行なう者はみな、)岩の上に自分の人生を建て」ていくことになる。

洪水が来ないという保証はしないとイエスさまはおっしゃっている。洪水は来るぞと。あなたの予期していない時にやってくるよと。所詮自分の人生がエデンの園ではない、荒野の旅路だということは覚えておきなさい。私たちは来年もまた、自分の家を、自分の人生を、自分の将来を、賢く岩の上に建てていきたい。みことばによって生きていくことを学んでいきたい。みことばを真実にとらえ、みことばによって励まされ、みことばによって慰められ、みことばによって教えられ、みことばによって正されるような人生を生きていきたいというのは真実な私たちの願いです。その願いを心に秘めて、新しい年に踏み出して行く自分自身を、信仰によって思い描いていきたいと思います。

☆お祈り

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。(申命記8:2)

恵み深い天の父なる神さま、一年どんな出来事があったか、年末の一年を総括するようなニュースを見て、初めて一年間を振り返るような私たちでありますが、このように機会を捉えて、私たちが味わった苦しみや、試練、涙を改めて心に捉えると同時に、そんな一年でも「あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった」と、あなたの恵みと見守りは確かであり、また私たちの人生の破れのはざまに立って、祈ってくださった方々がいることを覚えて心から感謝致します。

どうか、今年もそうでありましたように、来年もまた私の家を、みことばという岩の上に建てることができますように。その土台からずらすことがありませんように。そして必ずやって来るであろう何らかの予期せぬ洪水の中にあっても、しっかりと守られて生きていくことができるように私たちを導き、助け、支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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DATE: 2011.12.20 - 08:08
LAST UPDATE: 2011.12.20 - 15:52

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