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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   12/25クリスマス礼拝説教「戸惑いを超えて、祝福へ招かれる」
12/25クリスマス礼拝説教「戸惑いを超えて、祝福へ招かれる」

☆聖書個所      マタイ1:18〜25
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。23「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)24ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

☆一年の終わりに感謝のお祈り(かすかに聞こえる伴奏は「望みもきえゆくまでに」)
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:1〜2)

恵み深い天の父なる神さま、2011年最後の聖日、そしてあなたのご降誕を祝うクリスマス礼拝をともに迎えることができた恵みを感謝致します。
今年一年さまざまなことがありました。もしかしたら、辛いことの方が多かったかもしれません。しかし、私たちが今日のこの日を過ごしているのは、今年一年の最後の聖日だけでなく、2011年、私たちがこの世に生れて今日に至るまで、あなたから戴いたさまざまな恵みを感謝するため、ここに集まってまいりました。
これから先、私たちの人生に何が待ち受けているのか、それはあなたのみがご存じであります。私たちはいつも人生の曲がり角にあって、あるいは苦悶の中にあって戸惑い立ち止まります。しかしあなたは明日へと私たちを迎えてくださり、そしてまたそこには今まで味わったことのない多くの恵みがありますが、人生素晴らしいことばかりではありません。しかしその戦いの中に、その苦しみの中に、必ず味わったことのないあなたの深〜い深い恵みを体験できると期待して、私たちは次の年に踏み出そうとしています。
どうかまずは、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)というこのみことばの通りに、あなたに感謝する思いをもって、みことばに耳を傾けることができるようにお導き下さい。
今日のこの日も、遠くにあって礼拝を守ることのできない方、あるいは病と闘っておられる方、あるいはY兄姉のように新しくいのちを与えられて、喜びとともに病院の内で過ごしておられる方々、仕事に出ておられる方々、さまざまでありましょう。しかし、同じ教会家族を今日すべてお守りください。私たちを通して、また私たちの祈りを通して、私たちの家を、子どもたちを、孫たちを、いつもあなたの恵みのうちに包んでください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆説教
マタイの福音書の1章を開いていただきます。18節からクリスマスの出来事が記されています。
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
こういう風に始まります。ルカの福音書は母親マリヤに注目し、マタイの福音書はヨセフに注目する。それが福音書のクリスマスの描き方です。

マックス・ルケードというアメリカの牧師の書いた小さなエッセーで、「ガブリエルの戸惑い」というのがあります。3ページぐらいのエッセーですが……。

聖書の中で、天使、いわゆる神の使いは、さまざまな場面に登場します。その中で、名前で呼ばれているのは、二人、ミカエルとガブリエルです。ユダヤ教の伝統の中で、ミカエルは戦いの使い、そしてガブリエルはみことばの使いと言われています。

ガブリエルはダニエルに幻を伝え、その幻の解釈を与えます。そして、新約の時代が始まるこの幕開けに、ガブリエルはザカリヤに現われ、ヨハネの誕生を知らせ、次にマリヤに現われ、受胎の告知を致します。

ルケードの小さなエッセイは、こう始まります。

この件に関して、ガブリエルは頭を抱えて戸惑ったに違いない。彼の立場は、神がお与えになった使命を忠実に遂行することにある。神が遣わされるとき、ガブリエルは行くしか他はない。

神が人となって、世に行かれると聞いたとき、ガブリエルは心が躍ったはずだ。彼は一瞬、こんなことを頭に描いたことであろう。救い主が、燃える火の戦車に乗って世に下って行かれる。王が雲に乗って、天の軍勢とともに降りて行かれる。そんな情景を彼は期待したはずだ。

しかし、彼が受け取ったのは、ナザレの住所と、一人の女性の名前、そして、伝えるべきメッセージは、「マリヤに告げよ。――ご覧なさい。あなたは身ごもっている。男の子を生みます。恐れることはない」と記されている一枚の紙きれであった。
ガブリエルは、かつて、神さまの考えを疑ったことはなかった。しかし、このとき、永遠の時の中で、彼は初めてその目を疑った。
「神が赤ちゃんの姿をとって、マリヤという一人の女性から生まれるとは」
……どういうことだろうか?

あの古き、良き時代はどこへ行ってしまったのか。ソドムとゴモラの町が、神の力によって、一瞬にして硫黄の火で焼き尽くされたあの日は。天からバケツをひっくり返し、大洪水で大地すべてを覆ったあの時代は。

ガブリエルは、釈然としない思いを飲み込んで、ナザレのマリヤの所へ出かけた。きっと特別に高貴な女性に違いない。しかし、彼を待ちかまえていたのは、ごく普通の田舎の娘であった。そして、ヨセフも素朴な大工であった。

神は何を考えておられるのか……、ガブリエルは戸惑った。

これが「天使ガブリエルの戸惑い」という小さなエッセーの始まりの部分です。言うまでもなく、ガブリエルの戸惑いという流れは、聖書には記されていません。今申し上げましたのは、マックス・ルケードという人物の創作です。

しかし、クリスマスの出来事は、人々の戸惑いで満ち溢れています。天使ガブリエルのお告げを聞いたマリヤは、あり得ません、と反論します。
「どうして、そのようなことがあり得ましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(ルカ1:34)

単純な驚きです。しかし、その許嫁(いいなずけ)であったヨセフは、その知らせを聞いたとき、彼は驚くというよりは愕然とします。許嫁とは、両親たちが子どもの結婚相手を小さい頃に決めてしまう制度です。今はユダヤの世界でもそのようなことはありませんけれども、日本でも昔はありました。結婚を前にして、二人の1年間の交際期間が始まったその時期に、マリヤは妊娠します。本来ですと喜びにあふれたその恋愛期間に、その最中に、自分の相手が自分の知らないところで妊娠した、というそのニュースをヨセフは聞かされるのです。

マリヤの驚きはしばらくしますと落ち着きます。なぜなら、そんなことはあり得ないと思ったマリヤですが、しかしやがて、つわりを感じ、おなかが大きくなります。しばらくしたらおなかの中で赤ちゃんが動くなるようになります。それは、確かに自分が聖霊によって身ごもったという(神さまが働かれた)ことの疑い得ない、確実な証拠となってマリヤのうなずきとなります。

しかし、そのマリヤの様子は、ますますヨセフの心に疑いを起こさせるようになる。そしてヨセフはだんだん絶望にたたき込まれていきます。マタイの福音書は、このヨセフに目を向けます。

ヨセフは、私たちと同じ、生身の人間でした。決して裕福ではありません、大工の職について、何よりも現場の世界、技術の世界に生きる人です。空想や夢見ごととはほど遠い、しっかりと地に足をつけて、実証的に生きてきた人だと思われます。
          
とすると、この事態にあって、許嫁のマリヤが他の男性と関係していた、それ以外の考え方は出てきませんでした。(マタイ1章)19節を見てください。
19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

この事件を知った瞬間、もう結婚はあり得ません。彼は、その場でマリヤの妊娠を公にして、非難してマリヤを辱めて、婚約を破棄することもできました。しかし、彼はマリヤを愛していました。そんなことをしたら、彼女が社会から締め出されてしまう。それはかわいそうだ、せめて密かに別れよう……。
            
戸惑いながら、決断がつかずに、でも選択を迫られていた、その時です。主の使いが彼に現れて言います。それが20節ですが、ちょっとご一緒にお読みしたいと思います。

20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないで、あなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」

「迎えなさい」という選択を迫られた。そして御使いのことばは、23節に「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(イザヤ7:14)という風に、旧約聖書のことば、旧約聖書の預言を引用して、いよいよそれが成就するときが来たことが語られます。「救い主がお生まれになる。だからその名前をイエス(ギリシャ語で主は私の救いの意)と名付けなさい。」(21節)恵みの世界が到来すると。

それでもヨセフは戸惑ったに違いない。私だったら戸惑いますもの。だいたい救い主とはどういうお方なのか、救い主は、天の軍勢と共に雲に乗って来られるのではないか、そういう風にダニエル書には書いてあると、ヨセフは重々承知なのです。恵みの世界に何が待っているのか、そしてマリヤをこの状態で受け入れることによって、自分の人生はどういう風に展開していくのか……、これから自分の仕事も社会的な立場も、あるいはマリヤと共に歩むはずであった自分たちの人生も、いったいどういう風に変わっていくのかと、ヨセフの頭はもう戸惑いでびっしり詰まっていた。一歩先に踏み出すことが、どんなに難しいことか。

ヨセフは、考えに考え、思いを巡らしに巡らし、結論に到達するまで悩みに悩んでいました。そして、最後に、天使が告げた恵みの世界に飛び込んでいきます。――24節「ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、……その子にイエスと名付けた。」(24〜25節)

私はこの短い記事の中に、私たち皆に共通する、生身の人間の姿を見ることができると考えます。普通に誠実に生きてきた、自分に与えられた道を、人並みに普通に生きてきた、その彼が、戸惑いの門に立ちすくんでいるのです。わからない、どうしよう。天使のことばは真実なのか?救い主とは、どういうお方なのか?いや、それ以上に、この道を進んでいくことによって、自分の人生はどのように展開していくのか?
       
ヨセフは、きっと旧約聖書の信仰の人に自分を重ねてみたでしょう。
アブラハムは、神さまに召され、招かれ、行き先知らずして、自分の故郷を離れて、(自分が導かれる世界がどんな世界なのかわからずして、)ただ神さまの祝福のことばを信じて、遠い国に旅立って行くのです。
ダビデは、羊飼いの少年でありました。しかし、その人物が神さまに召され、取り上げられ、多くの山坂を越えて、祝福の人に変えられていきます。
ヨセフはそのアブラハムやダビデと自分を重ねて、自分はそのように神さまに守られ、導かれ、どんな試練も乗り越えていくようになるのだろうか?神さまが招いてくださるとき、そこに飛び込んでいいのだろうか?本当に大丈夫だろうか?祝福はあるのだろうか?戸惑う中、選択を迫られているのがヨセフです。

今年一年、被災の年であり、そう考えますと一番活躍したのはK兄姉ではないかなと思います。何度も被災地を往復され、私たちのその思いと祈りを届けてくださいました。昨日のキャンドル・サービスでは、ご夫妻に聖書の個所を読んで頂くお願いをしました。もともと○県に住んでおられ、○の教会で結婚式。ご主人が溝の口のご出身で、お父様の老後のことを考え、家を考え、こちらに戻って来られた。奥さまの抵抗は激しかった(笑)という風に聞きました。こちらに来られてからも、何度○に戻ろうかと思った、という風におっしゃっておられました。そうだろうなぁと思いますね。

私たちはアメリカで七年過ごしました。今、娘が七年目に入るのか、六年目なのか、を思いますと、そんなに長くはない。私たちはケンタッキーに住み、ニュージャージーに住み、ケンタッキーで息子が生まれ、ニュージャージーで娘が生まれました。私はアメリカの神学校から教えないかということばを戴きましたし、アメリカに留まるという道もありました。でも高津の皆さんが待っておられるし、最後ドリュー(大学院)から友だちに乗せてもらって、ニューヨークのJFK 空港に向かう中で、圭子が泣いていました。その涙を見ながら、人生の決断ってそういうものだなぁと。

時に自分の決断ではない。伴侶者で、家族であるならば、親が引っ越す時には自分も引っ越し、親が施設に入れば子どももその重荷を背負う。あるいは教会家族の中で出す決断もある。私たちは自分たちの人生の中で、何度となく、その戸惑いの門の前で立ち尽くす。

戸惑う中、選択を迫られているのがヨセフです。きっと、今日洗礼を受けた石井兄も、同じように戸惑われたはずです。いずれ受けたいとずっとおっしゃっておられましたが、問題は、今がその時なんだろうか?ということです。
いつも車いすで礼拝に出ておられた奥様を天国へとお送りした年でした。先に洗礼を受けていた、愛する人に手を引かれて、戸惑いの門をくぐって、主の恵みの世界へと踏み出されました。

2012年というこの新しい世界に踏み出して行く私たちも、さまざまな時に、本当にこれでいいのだろうかと、戸惑いの門の前に何度も立ち尽くすことがあるに違いありません。でも、神さまが招いてくださる世界は、たとえそれが試練にあふれていたとしても、恵みの世界です。それは憐れみの世界です。この世にあっては患難があっても、神さまの愛は絶対にあなたを離れない。善にして善をなしたもう神さまは悲しい時にもあなたとともにおられ、あなたに恵みを与えてくださる。

ヨセフは、信仰をもって一歩踏み出していきました。信仰とは、神さまの招きに応える信頼です。そしてそれは、惑いに打ち勝つ勇気です。人は時に、戸惑いの門の前に5年も10年も立っています。

私たち生身の人間にできる最大のこと、聖書が教える最大のことは、明日を導かれる神を信じて、神の力、神のご計画、神の恵みを信じて、自分の疑いも、絶望も、悩みも、戸惑いも、すべて主にゆだね、来るべき世界が恵みと憐れみにあふれた世界である、という約束を信じて、飛び込んでいくことです。だから「恐れることはありません」と神さまは、私たちにも、マリヤにもヨセフにもおっしゃっておられる。

デンマークの作家アイザック(イサク)・ディネーセンによる「バベットの晩餐会」という有名な小説があります。映画化もされまして、1987年にアカデミー賞の外国語映画賞を取りました。それは新書版で、皆さん読むことができます。インターネットで「バベットの晩餐会」を開いていただきますとすぐに出て来ます。

舞台は、ユトランド半島(デンマーク)にある侘しい海辺の村です。そこにルター派の敬虔なクリスチャンの二人の姉妹が住んでいました。牧師であったお父さんが教会を創設して、その父の亡き後の小さな教会を姉妹が守ってきました。

そこに、フランスのプロレテリア革命で夫も息子も殺され、革命の追っ手から逃れて来たバベットという女性が召使いになるという風に物語は始まります。バベットは、以前はパリの有名なレストランの料理長を務めていました。侘しいデンマークの村の食事を、二人の姉妹はバベットに教えます。バベットはフランスの料理を全部忘れて、自分の身分を隠して、ひたすら仕えます。

村の生活は変化がありません。教会はますます侘しくなっていきます。そんなある日、バベットは宝くじを当てます。そして彼女は、その金額を全部使って、この少し傾いてしまった教会を創設した、亡くなったお父さん牧師の聖誕百年の晩餐会を開きたい、と提案します。

バベットは、休みをもらって、フランスに食材の買い出しに行きます。ところが、バベットは、デンマークの村の人々が見たこともないような、うずらやウミガメを運んで帰ってきます。
二人の姉妹の家は騒然となります。お姉さんは夢を見ます。それは、魔女となったバベットの料理を食べた信者たちが、次々に倒れるという夢で、晩さん会の食事は絶対に食べてはいけないと言います。
でも一生懸命奉仕するバベットの前で、せめて教会員みんなで取り決めたことは、食べながら食事に関しては一言も話すまいと。
    
晩餐会の当日、皿やろうそく、ナプキンがきれいに並べられ、次々に見事な御馳走が並びますが、誰ひとり、おいしいとは言いません。

ところが、その晩餐会に出席していた立派な将校がいました。うずらのパイが出てきたときに、彼は自分が若い士官だった頃、パリの高級レストラン「カフェ・アングレ」の女料理長(実はそれがバベットなのですけれども)の創作料理を食べた。それがこのうずらのパイとそっくりだ。まさか、そんな名作がこんなデンマークの侘しい村で食べられるとは想像もしなかった!と皆の前で一人感激します。すると、集まってきた人々は、なるほどこの料理はうまいと、みな口々に料理の見事な味わいを堪能するようになります。

すばらしさよりも戸惑いに心を奪われている村人の前で、将校がこんなスピーチをします。
「目先しか見えぬ人間は、人生の選択をせねばと、その危険に震えおののく。・・・しかし、私たちの選択など大した意味を持たない。
    
神の憐れみは無限にある。信頼して憐れみに迎えられ、感謝してその憐れみを受ければ良い。」
        
料理の味わいだけではない。先細っていく信徒の皆が、このことばによって生き返ります。そして教会は次の世代へ希望をつないでいきます。

洗礼を受けて、クリスチャンの生涯を踏み出した人にとっても、坂を下るような一年であった人にとっても、先が見えずに戸惑うだけの私たちであったとしても、どうしたらいいかわからないほど戸惑っているヨセフにしても、このディネーセンのことばは、胸に響きます。
「目先しか見えぬ人間は、人生の選択をせねばと、その危険に震えおののく。・・・しかし、所詮私たちの選択など大した意味を持たない。

神の憐れみは無限にある。信頼して憐れみに迎え入れられ、感謝してそれを受け取れば良い。」
          
洗礼を受けた後の、神さまの憐れみは無限大にあるのです。洗礼を受けている皆さんの先にいろいろある。キリスト者の人生はさまざまな問題課題があるでしょう。しかし、私たちが覚えておくべきは、神の憐れみは尽きないという聖書のみことばは無限にある。つまり私たちの人生のいかなる局面にあっても、信頼して神の憐れみの中にゆだね飛び込むならば、私たちの人生は味わい深いものに変えられて行くのです。

それが目先に見えるものだけに心を奪われていると、美味しい料理がおいしくない。あるいはその料理に手を付けることさえも怖がってしまう。それが私たちの人生であってはならないと思います。

こうして、私たち生身の人間は、信仰を抱いて、神に向かって窓の扉を開ける。私たちが戸惑いの門をくぐるときに、自分の決意でくぐるのではない。私たちが戸惑いの門に立った時に、私たちは神に向かって信頼の窓を開ける。それが、生身の人間に与えられている最大の可能性、それは最も大切なことです。――はい、主よ、あなたは必ず私に納得を与えてくださいます。私を助けてくださいます。あなたの憐れみは無限にあります。信じて飛び込んで行きます。そのようにして一週間過ごし、元旦礼拝をともに迎えたいと思います。

☆お祈り
ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。(マタイ1:20)

恐れないで新しい年を迎えることができるように。恐れないで自分に与えられた苦難の挑戦を迎え入れることができるように。なぜなら、その中に聖霊がくださる沢山の祝福が込められていると、ヨセフは意を決して身使いが命じられた通りに、マリヤを迎えました。    
私たちもこれまでの人生、どれほど多くの人生の決断をしたことでありましょう。しかし今このようにして振り返ってみると、どれほど多くの祝福をあなたから受け取ったことでしょう。それは言うまでもなく、あなたの憐れみは尽きない、無限にあることの証しです。
イエスさまどうか、私たちを憐れんで下さり、特に不安のるつぼにはまっているような私たちを引き出してくださり、恐れず神に向かって行きなさい、と私たちを力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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