名前検索
メール送る

名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 633 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   1/8神の人モーセ(9)試練もわざわいも神に出会うために
1/8神の人モーセ(9)試練もわざわいも神に出会うために

☆聖書個所      出エジプト7:14〜25
14主はモーセに仰せられた。「パロの心は強情で、民を行かせることを拒んでいる。15あなたは朝、パロのところへ行け。見よ。彼は水のところに出て来る。あなたはナイルの岸に立って彼を迎えよ。そして蛇に変わったあの杖を手に取って、16彼に言わなければならない。
へブル人の神、主が私をあなたに遣わして仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らに、荒野でわたしに仕えさせよ。』ああ、しかし、あなたは今までお聞きになりませんでした。17主はこう仰せられます。『あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。』ご覧ください。私は手に持っている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、18ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌みきらうようになります。」
19主はまたモーセに仰せられた。「あなたはアロンに言え。
あなたの杖を取り、手をエジプトの水の上、その川、流れ、池、その他すべて水の集まっている所に差し伸ばしなさい。そうすれば、それは血となる。また、エジプト全土にわたって、木の器や石の器にも、血があるようになる。」
20モーセとアロンは主が命じられたとおりに行なった。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。21ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水を飲むことができなくなった。エジプト全土にわたって血があった。22しかしエジプトの呪法師たちも彼らの奇術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。23パロは身を返して自分の家にはいり、これに心を留めなかった。24全エジプトは飲み水を求めて、ナイルのあたりを掘った。彼らはナイルの水を飲むことができなかったからである。25主がナイルを打たれてから七日が満ちた。

☆説教  
実は昨年の9月からモーセの生涯を学び始めて、第8回目を説教致しましたのは、昨年の11月の20日でありました。随分間が空いて、第8回目のモーセの説教では出エジプト記の5章をご覧いただきまして、神さまの使命を受けて、モーセがいよいよ「イスラエルの民を、奴隷のエジプトから解放せよ」と、エジプトの王にアピールしに行く場面でしたね。

どんなに懇願してもエジプトのファラオは聞く耳を持っていません。そりゃそうです。ファラオは自分こそが最高権力者であって、いや、神であって、自分の上に神なる方がおられるという現実に彼は背を向けます。

聞く耳を持たなかったのは、エジプトの王ファラオだけではありませんでした。苦役で疲弊し、絶望の底にいた民も、無気力で、そのような夢のような話に耳を傾ける気持ちさえありませんでした。
私たちは我を通して神さまに背を向けるという点ではファラオのようです。あるいは、私たちは疲れて、失望して、神さまの愛と力に背を向ける点でも、今度は、私たちはイスラエルの民のようです。

しかし第8回の学びで勉強したことは、神さまは、

6:6わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、(わたしは)労役から救い出す。(わたしは)伸ばした腕と大いなる裁きによってあなたがたを贖う。
7わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。

ということばにあるように、王が背を向け、民も背を向けているのですが、神さまは一方的にわたしは〜わたしは〜と言って、ご自身のご計画を着実に実行していかれる。私たちが、神さまに背を向けていても、神さまの方で私たちに向かって、「わたしはをあなたを連れ出す、慰める、救う、連れ上る、民とする、わたしはあなたの神となる」とおっしゃったとき、それは実に不思議な方法、しかも圧倒的な方法でみこころを実現されていくというお話をしました。

今日と次回は、ではその不思議で圧倒的な方法というのはどういうものであったのかという記事を、いっしょに見ていただきたいと思います。出エジプト記の場合、神さまはこのエジプトのファラオ、そしてエジプトに10の災いを下されました。その災いの中で、とうとう王は民を解放するようになります。

第一の災いは、ナイル川の水が血に変わるという「血の災い」でした。第二は、蛙がナイル川にあふれて、そこら中が蛙だらけになるという「蛙の災い」でした。次にぶよが地の塵(ちり)のようにエジプト全土を満たすという「ぶよの災い」です。
今回は、初めの三つを見ていただきます。

1)    これらの災いはすべて何のためにあったのか?

7章の17 節をご覧ください。ご一緒に一回読んでみたいと思います。

7:17主はこう仰せられます。『あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。』ご覧ください。私は手に持っている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、

主は直接おっしゃいました。「あなたは次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。」つまり神さまは、何度でも何度でも翻るファラオの心にズバリと、「わたしが神である」ことをあなたに示すために、わからせるために、屈服させるために、わたしはあなたを何度でも苦しめる。不思議な圧倒的な方法で神さまはわざわいを送られます。

つまりすべて神こそが神であって、自分が神なのではない、天地万物を創造され、支配され、私のような小さき者の人生にも心を配っておられる神がおられるということを示すために、私たちに試練を送られる。もちろん神さまは試練だけでなく、祝福も与えてくださいます。私たちの人生が悩みごとに直面し、私たちの人生が窮地に追い込まれ、でもそれは、この神さまに出会い、この神さまを信じて、この神さまの御前にへりくだって生きるために、不思議な出来事をもって神は近づいて来られる。
  
先週、皆さんのもとに、どんな嫌な知らせが届いたか?あるいは昨年、私たちのもとにどういう出来事が届いたか?私たちは祝福は神から、そして災いはサタンからという単純な発想で、「サタンの妨害を私から取り除けてください」と祈ります。もちろん中には、サタンの妨害もあり、また人の為す悪事も沢山私たちのもとに届きます。
でもそのすべてをもって、「わたしこそが主であることをあなたがたが知るように」という、神さまの一大目的を、すべてのもとにあるその土台のような人生の目的を見誤りますと、私たちはひたすら問題課題に縛られ翻弄されるだけです。
 

2)10の災いというのは、ことごとく神さまは、ファラオのそして人間の奢り(おごり)を砕きながら、ご自身を現されていくという過程でありました。

昨日私たちはちょっとTVを観たときに、世界の冒険の話をしていまして、宇宙人がいると思う人は日本は24%。それでインドは半分以上の人が宇宙人はいると思っている。しばらく前に超古代文明というのが取り上げられまして、いわゆる考古学の世界からではなく、壮大な歴史ドラマの見直しであると。インカ文明があり、エジプト文明がある。それが宇宙と関連しているのではないかと。私は宇宙人否定派ではないです(笑)。この地球を創られた神さまは、この大きな宇宙に地球と同じような世界を創られても何ら不思議ではないと、私は思っています。

モーセの時代にすでに、あの巨大なピラミッドとスフィンクスの建造が終わっていました。しかもみなさんよくご覧になるでしょう、ギザのピラミッドですけれども、単なる建造物ではない。どうやって建てたか解らないほど複雑な建物だ、単にそういうことではない。あのギザのピラミッドは、天体の動きをよくとらえています。
 
歴史で初めて太陽歴を用い、一年を365日、12月、一日を24時間、一時間を60分と設定したのは、エジプトの文明でした。
ナイルの治水を発達させるために、農業・牧畜・人々の生活を守るために、天文学を研究したとも言われていますし、私たちの現代文明をもっても解明することができない文明がこのエジプトの王ファラオの後ろに存在しているのです。
科学や生物学の発展もミイラを創るほどの力がある。

そして、壁画に残っている芸術の発達、あるいは羊皮紙、パピルスを用いた文学の発展というものは、目覚ましいものでした。
私たちはその出エジプト記を含めて、聖書の一番最初の書物はモーセが記録したのではないかという風に受け取っています。私はもちろん編集が相当入っているという事実に立っていると思いますが、その大部分はモーセが記したものだと思います。
人は簡単に疑問を投げかける。これだけの膨大なページを、情報を、モーセ一人が書けるわけがないだろう。それはないでしょう。
ところが私たちは、エジプトの文明にはいわゆるプロの書記官がいつもいたことを知っている。モーセがエジプトの王家に育っていたときに、国のすべての歴史や事務をその書記官が統率していた。すると、モーセは最初からその書記官を自分のそばに付けていたとすれば、すべてモーセが書いたとしても何ら不思議はないという学者も沢山います。

現代の知識をもっても解明することのできないエジプトの文明が、このファラオの背後にいるとしたならば、それは単なるファラオのおごり高ぶりではなく、もう少し肯定的に言えば、エジプトの力強さです。イスラエルの存在なぞ、モーセが語るところの神なぞ、気にもかけない力強さがエジプトにあった。

そして神さまはファラオに近づいて行かれます。ご自身の存在を明らかにしようとされます。最初は力比べのような様相を呈していました。そして10の奇蹟が次々と迫っていく中、徐々に、栄華と、人間の力を結集した巨大文明が、壁にぶち当たり、やがて、神の前で完全に崩れていくのを、なんと聖書は6章もかけて、ゆっくりとその姿を説いていきます。

その象徴的な部分だけを見ておきましょう。

最初の挑戦を見てください。7章の20〜21をご一緒に読んでください。

7:20モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。
21ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水を飲むことができなくなった。エジプト全土にわたって血があった。

22節に「しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。」――どうやってしたのか分かりません。そういうことができる力をエジプトの呪法師たちが持っていたのか?その呪術はあのピラミッドを創った建築文化を解明することができないように、私たちにはわからないです。でもモーセとアロンが主の力によって為したと同じことを、エジプトの呪法師たちが行ったということがここに書いてあります。

第二番目(の挑戦)は、8章の5節〜7節、これは私の方で読んで行きます。

8:5主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの手に杖を持ち、川の上、流れの上、池の上に差し伸ばし、かえるをエジプトの地に、はい上がらせなさい。」
6アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。
7呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにかえるをエジプトの地の上に、はい上がらせた。

またも、人間の力を結集したエジプト文明は、そのチャレンジを受けて立ちます。受けて立つことができればできるほど、エジプトの文明もファラオも胸を張ります。恐らくファラオは力強く言ったに違いない、「何でもやってみろ、どんな挑戦も受けて立つ。」その弱さを見せることなく、微動だにせず、そそり立っているのがエジプトの文明です。

しかし、第3番目の神の挑戦を見てください。8章の16節(〜18節。)

16主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの杖を差し伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプトの全土で、ぶよとなろう。」
17そこで彼らはそのように行った。アロンは手を差し伸ばして、杖で地のちりを打った。すると、ぶよは人や獣についた。地のちりはみな、エジプト全土で、ぶよとなった。
18呪法師たちもぶよを出そうと、彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。

これから先はずうっとできない、できない。つまりある程度のところまで、私たちもエジプトの文明も、自分の力で何とかなる。だから、モーセに対しても、神に対しても、エジプトの王は傲慢でいられたのです。

エジプトに降りかかる10の試練、それは私たちの人生に降りかかる10の試練です。
そのうちのいくつかは、きっと私たちの自分の力で何とかなるでしょう。何とかなるから、神さまに背を向けます。そこまでは、よしとしましょう。何とかなるのですから。

ところが、何ともならない時が来ます。自分の力の限界を必ず痛感する時が来るのです。その時こそが、神を神として崇めなければならないと、自分は一人の人間に過ぎないと認めるべき時がやって来る。
      
その時、エジプトの王はどうだったのかという所を見ていただいて、締めくくりたいと思います。

3)究極の傲慢――挫折が神との出会いにならないファラオ

8章の19節、ご一緒に読んで行きましょう。

8:19そこで、呪法師たちはパロに、「これは神の指です。」と言った。しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。

何ともならない時が来た。呪法師たちは、パロに、「これは神の指です」ということを指摘します。「 王様、ただならぬ事態ですよ。これは人間業ではありません。これこそ、神の世界です。」

それでも、王は聞き入れません。傲慢は、こういうところに出てきます。つまり呪法師の助言は、常識的なことでした――こんなこと人間にできるわけがない。いや、それだけでなく、古代の呪法師ですから、霊的な感性もあったと思われます――その呪法師たちが「彼らはまことにこれは神の指だ。自分たちは初めて神の力を見た」と。
それに基づいて、何をすべきかを助言しているわけです。しかし、王は聞く耳を持っていない。

エジプトの王だけではありません、私たちもそれと同じようなところがあります。とっても強情で、常識的なアドバイスも蹴散らします。神さまの恵みの中に生きていながら、神さまに屈服するのを嫌がります。どこまでも、自分の力のなさを認めようとはしません。

私は青山学院で教鞭を執っていますから、よく学生から相談を受けます。その相談もほとんどが恋愛(笑)。その次が真理。
まあ、常識の限り私は答えますけれども、信仰や人間の生きる目的や、人生の意義や神さまについての相談がなぜ来ないのか(笑)。「そもそも私は牧師だ」と皆の前で公言してある。そして「相談があったら何でも持って来なさい」と言ってあるその相談の中に、人間の生きる目的や、人の人生の虚しさ、それに思い悩みながらやってくる相談がほとんどない。
人間はどこまでも、良識ある常識的な判断を好むのです。

次にあぶが現われます。21節をご覧ください。

21もしもあなたがわたしの民を行かせないなら、さあ、わたしは、あぶの群れを、あなたとあなたの家臣とあなたの民の中に、またあなたの家の中に放つ。

あぶがやって来ました。その時ファラオは28節

28パロは言った。「私は、おまえたちを行かせよう。おまえたちは荒野でおまえたちの神、主にいけにえをささげるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」
29モーセは言った。「それでは、私はあなたのところから出て行きます。私は主に祈ります。明日、あぶが、パロとその家臣とその民から離れます。」

実際、1匹も残らず、あぶは離れて行くのです(31節)。でも離れると、もう一回強情になり、やっぱり民を行かせなかった(32節)。

さすがのパロも悲鳴を上げて、モーセに祈ってくれと言うのです。でも、あぶがいなくなると王は撤回し、やっぱり民は行かせないことにする――この姿、まさに私たちです。

試練の中で苦い思いをし、一旦は神さまに屈服します。しかし、それが終わった瞬間、まさにのど元過ぎれば、もとの自分に戻るのです。ファラオの姿は、私たちを映し出しています。試練も挫折も、彼には神の御前にへりくだる機会にはなりませんでした。      

やがて、エジプト全土に雹(ひょう)が降ります、イナゴの大群がやってきます、3日間闇がおおいます、死の霧が立ちこめます。
神さまは、ファラオに10回のチャンスをお与えになりました。ファラオ自身の無力さに直面させるために10回のチャンスを与えてくださいました。しかし、最後まで、王は、神に屈服することはありませんでした。

今朝、高津教会に転会されましたH姉のご友人でMさんという方が、昨年、天に召されました。
H姉のお友達で、オルガンを姉妹から習い、とっても元気で活動的な方だとお聞きしていました。
5年前に膵臓ガンが見つかります。かなり進行した状態だったそうです。インターネットを駆使してご自分で調べて、化学療法を断り、自分が納得する方法でガンと戦います。だからこそ、1年のところが5年だったのかもしれません。この方はブログを始めて、インターネットを通して、自分を奮い立たせるように、ガンと闘っています。

やがて、H姉の影響で教会に通われます。しかし、信仰を持つには至りませんでした。いや、持っておられたのだろうと私は思います。神の救いにすがりに教会に来たのです。でも、タイミングがそのようには運ばない。病の追っ手の方がはるかに速いです。そして信仰を持つ前に、最後の入院となってしまいました。
  
この方は、H姉にぽろりとこぼされたようです。「私、洗礼、受け損ねちゃった。」なんとも残念な思いです。
イエスさまは、この方がすがるように教会に足を運ばれたのをご覧になっていたはずです。しかし、最後の最後で、自分に降りかかる試練の方が追い越して行くのです。「私、洗礼、受け損ねちゃった」と言う姉妹を、最後の最後で、イエスさまはご自身のふところに引き寄せられました。

私がご一緒させていただいて、私は初対面でありましたけれども、病床でお祈りをし、洗礼を授けて、数日後に天に召されました。
「イエス・キリストを信じ、その十字架の故に罪を赦していただき、神の子どもとされるというその約束を信じて、洗礼を受けますか?」
とお尋ねしますと、息も絶え絶えに、「はい」と返事をされました。
私は洗礼は何であるかということを姉妹に伝えておりませんでした。ベッドの脇にあった湯飲みを洗って、そこに水を入れて、洗礼を授けた途端に、姉妹は頭に水が掛ったのを気付いて、目も明きませんから、「何か冷たいものが…冷たいものが…」と。私はあわてて、「それが洗礼です」と(笑)言ったんですけれども、それほど、姉妹の信仰は熟していなかった。
でも受け損ねた状態で最期を迎えることは、何とも、本人のみならず、H姉妹にとっても、私にとっても無念です。時に試練は間に合わない速度で私たちに襲いかかる。
姉妹は受け損ねた状態ではなく、はっきりと救いを自覚して、信仰を持って、神の子どもとして天の御国に迎えられて、良かったなぁと思います。

神さまは、どれほど忍耐深く、何度も何度も、私たちの心の扉を叩いてくださることか?ファラオの場合は10回で終わりでした。
しかし私たちは自分の人生を振り返りますと、主は時に祝福を携え、時に試練を携え、10回どころではない。何度も強情で頑固に閉められたこの扉を叩いてくださる。時に私たちもファラオのように喜んで開けながら、でも問題が解決してしばらくすると、また扉を閉めてしまう。
  
私たちの祈りは――神さま、あなたの救いを受け損なう、そんなことが起こりませんように、私を憐れんでください。私に真実な信仰を与えて、あなたを神とすることができますように。ファラオのようなかたくなな思いで、最後まで決して神さまを退ける、そんなことが決してありませんように。素直で従順な信仰を私の心の中にお与えください――これが私たちのお祈りです。

☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、「これは神の指です」――呪法師たちでさえ、それを認めました。自分の人生に危機が起こると、「モーセよ。私のために祈ってくれ」とエジプトの王は懇願します。
でもどうにもならない。神を信ぜず、自分の人生は自分で何とかなる、できる、するものだと、頑丈に扉を閉めていたファラオのような私たちであります。

あなたは私たちを憐れんで下さり、救いの恵みを与えてくださいました。
どうか私たちの人生の窓口に、扉に、何度も来てください。時に祝福を携え、時に試練を携え、時に喜びを携え、時に悲しみを携えて。
でもどんな時にもこれらすべてをもって、「わたしが主であることをあなたがたが知るためである」(ということを教えてください。)――人生の出来事は、それらすべてを支配しておられる「初めであり、終わりである」イエス・キリストに目を向けるために存在する、ということを心に留めておくことができるようにお助け下さい。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2012.01.09 - 14:39

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

prolleyreandy 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 192.151.156.234
www.shopforexperiencejp.pw,ム・オ,・ウ・ヌ・」・ヘ・ネ ・ヨ・ト
2013.08.17 - 15:09 
Name   E-Mail   Password

 前文 1/15 栄造先生の説教「宝を土の器の中...
 次文 2012年元旦 わたしは初めであり、終...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
334Simple view *^^*1/29教会総会 「主イエスは教会を見て... T・Y 2012.01.30 3973
333Simple view *^^*1/22神の人モーセ(10)淡々と使命を... [4] T・Y 2012.01.24 10334
332Simple view *^^*1/15 栄造先生の説教「宝を土の器の中... T・Y 2012.01.23 3855
331現在参照中の文章です...1/8神の人モーセ(9)試練もわざわいも... [1] T・Y 2012.01.09 9133
330Simple view *^^*2012年元旦 わたしは初めであり、終... [1] T・Y 2012.01.04 5614
329Simple view *^^*12/25クリスマス礼拝説教「戸惑いを超... [2] T・Y 2011.12.26 1531
328Simple view *^^*12/18  2011年を振り返って「荒... T・Y 2011.12.20 3655
327Simple view *^^*12/4 アドベント―2 救いの知識(2... T・Y 2011.12.07 4310
326Simple view *^^*11/27 アドベント―1 ヨハネ=主の... [2] T・Y 2011.11.30 2142
325Simple view *^^*11/20 神の人モーセ(8)神に背を向... [1] T・Y 2011.11.21 4582
324Simple view *^^*11/6幼児・児童祝福礼拝「イエスさまは... T・Y 2011.11.08 3986
323Simple view *^^*10/30召天者記念礼拝 「愛する者が私... T・Y 2011.11.02 5281
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*