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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/15 栄造先生の説教「宝を土の器の中に」
1/15 栄造先生の説教「宝を土の器の中に」

☆聖書個所    Uコリント4:7〜9

7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。8私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。9迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

☆始めのお祈り

恵み深い天の父なる神さま、2012年もついこの間スタート致しましたが、すでに3回目の聖日を迎えることができました。厳しい寒さが続いておりますが、一同守られて今日の礼拝を守ることができましたことを感謝を申し上げます。

昨年は大きな災害に遭って、この寒空をしのいでおられる方も沢山いらっしゃいます。この経済的な不況の中にあって、なかなかうまくいかない方も沢山いらっしゃいます。ブータンの国王が来ましたときに、あちらの国では国民の幸福の感度を基本になっているということでございましたが、日本は未だに貧しい慌ただしい忙しさの中に立たされていることでございます。

神さま、どうかこの国を憐れんでくださいますように。善き政治が行われますように。多くの民意が建設的でありますように。それからこんな時代こそ、すべての教会に属する教会員たちが目覚めて、この国家のために真剣に祈ることができますようにお願いを致します。何としても立ち上がらなければならないこの時期であります。何としても、あなたの証しをしなければならないこの国であります。

こんな私たちに何ができるかと思いますけれども、みことばを開いてまいりますと、あなたの素晴らしいみわざが沢山あるではございませんか。教会が眠ってはいけません。小さなクリスチャンが眠ってしまってはいけません。大きい者も小さい者も目覚めて、懸命に闘わせて頂きたく存じます。インマヌエル綜合(伝道)団も大きな試練の中にあります。来月は総会があり、3月は年会がございます。この教団をどうぞ守ってくださいますように、お願いを致します。

今日、満牧師は徳島教会へ出掛けております。突然のことでありましたが、大きな犠牲でございます。この徳島の教会のために、何としてもしてあげねばならないという彼の使命が、使命感の思いで出かけてまいりました。無事用が果たせることができますように。高津教会も守ってくださいますように。月末に教会総会が開かれます。ひとつしっかりとまとまって、しっかりと信仰の腹をくくって、次に向かって前進して行くことができますように、この教会を祝してくださいますようにお願いを致します。病める兄弟方、寒さの中に闘っている方々を、格別に憐れんでくださいますように。主イエス・キリストの御名によって、お祈りを致します。アーメン。

☆説教         「 宝を土の器の中に」

5か月ぶりにここに立ちました。(笑)ここに立ちますと、……(笑)。

1月は教会総会が月末に開かれているという予定があります。あまりご関係のないという方も沢山いらっしゃると思いますが、教会の全体を知るために、教会総会はとても大切な役割を果たしています。皆さん、インマヌエルの高津の教会のメンバーです。それぞれ皆、担うべき責任がございます。そんな責任があるなら教会止めようかなと思う人も(笑)あるかもわからない。でもこの責任を負うことによって祝福を受ける責任です。是非教会総会を覚えてお祈りください。万難を排してこの日はご出席くださいますようにお願いを致します。

私はこの(2011年)8月ごろまでほとんど休まないで礼拝に出席しました。8月以降、少し休むようになりました。どうしようかと言うたら、満牧師が「休んだらいいよ(笑)。いつもの階段で倒れるとこっちが迷惑するから(大笑)。そっとしていた方がいいよ」と、こう言います。確かにちょっと体調が変でございまして、数回、脈の不正もあり休んだ時もありました。それも立ち直りまして、ここに来ております。

厚生労働省が発表した、人間の平均余命というものがあります。たとえば、70歳まで生きた人は、平均的に15年か16年生きられるそうです。71歳で亡くなる方もありますし、100歳まで生きる方もあります。70歳まで生きた人は15〜6年生きられるそうです。ご安心なさいますように(大笑)。85歳まで生きますと、あと6.25になります。私86歳です。もう一年切っちゃった(笑)。平均的に考えるとあと5年しかない。

この間の大震災で、ちょっとずつ、(手を)握り合いながら別れなければならなかったのでしょう。ああいうようなニュースを聞きますと、たまらないですねぇ。互いに手と手を握り合って、ぬくもりを感じながら、離さざるを得ない時が来るというのです。昨日まで何にもなかった家庭でしょう?あの震災であっという間に、親子が別々になり、別れてしまって、見つからないという人が今だに万という数がいらっしゃるということには、もう何もことばもありません。

もし礼拝中に関東大震災があったら、申し訳ないけど、この教会の屋根からパタンですよ。新聞に載るかもわかりません――インマヌエル高津教会200名、圧死(大笑)――隣のような鉄筋のビルならば、悠然と立っているのでしょうけれども。新聞に載った方がいいかもわかりませんけれども。何が起こるか分かりません。よほど気を引き締めてないと、信仰生活は無駄になってしまいます。

そんな時、今年の年頭に、新年を迎える時に、自分はどうしたらいいのだろうかと真剣に神さまに祈らされた。その時与えられたみことばが、コリント第Uの4章7節です。

1)私たちは、イエス・キリストの救いを持っているという自覚がありますか?

7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。

土の器と言いましたら、私たちです。宝ものと言いましたら、皆さんはどう評価されるか分かりませんが、イエス・キリストの救いです。信仰という人もあります。福音という人もあります。この土の器の中に宝ものを持っているのがクリスチャンです。強盗が入っても奪って行くものはありません。宝を、この土の器に持っている。皆さん持っていますか?持ってなかったら、クリスチャンではないですよ。しっかり持ってますか?

自分のこの土の器の中に、宝ものを持っているということを、しっかり信じて、これはクリスチャンの信仰の第一歩です。どんな方であっても、受け方の、感じ方の強い弱いはあるかもわからない。しかし、今日も私は主イエスさまの救いに与っている――これを見失ったら、クリスチャンとして大問題ですよ。少し自動車を車庫から出す前に点検するように、ちゃんと(自分自身を)点検していかないとおかしくなります。

2)あなたは恵みによって生かされていますか?

イエスさまを信じて、救いの恵みに与りましたけれども、恵みによって生かされていますか?恵みによって生かされているということは、教会の生活をきちんと守り、自分のお祈りをし、自分でできる限りのクリスチャンとしての仕事ができていますかということです。

洗礼を受けて宝ものは持っているのだけれども、全く違う方に行ってしまったら、宝ものが宝ものでなくなってしまいます。宝ものが宝ものであろうとするならば、私たちはみことばに従って生き、教会生活を楽しむ。それこそ、むやみに怒らない。いらいらしない。ねたまない。ちゃんと恵みの中に生かされていることが分かります。
3つ目の点検があります。

3)目標をしっかり立てること

この目標はしっかりしている。はっきりしている。自分か神さまかどっちかです。ある人は、洗礼を受けてクリスチャンになりました。あらゆる機会に自分を立てようと致しますか、自分を伝え宣伝しようと思いますか?

クリスチャンであるとするならば、救われた者であるとするならば、あらゆる機会にキリストを証しし、キリストを宣べ伝え、キリストを人に紹介しようと致します。クリスチャンなのに、何か事があると、急に自分のことが中心になって、自分のことしか頭が動かない人がいる。

昨日も聞いていましたが、お父さんの信仰とお父さんの信仰に反動する子どもの(不)信仰というのがある。そういうことではなくして、お父さんの信仰に皆倣って行く。お母さんの信仰に皆倣って行く。お父さんは大変ですよ。やっぱり家の中においては、むしろお父さんがいらっしゃったとするならば、当たり前のことですが、何と言っても責任がある。お父さんの代わりにお母さんがいる。そういうことでもない。仕事によってはそういうこともあり得るでしょうけれども。やっぱりお父さんがしっかりしていないと、家の中が動かない。

私たちは自分の土の器に宝を入れているということは、私たちの生涯を自分に使うのか、神さまに使うのか、神さまのために働くのか、自分のために働くのか、戴いた賜物によって、自分を大きくするのか、神さまを大きくするのか、これはまさに私たちの信仰の目標を決める大事なところなのです。

もし、私の内に宝ものがあると致しましたら、どんな気がしますか、また自分の宝ものをどれほど大切と思っておられますか?今ごろはあまり聞きませんけど、昔はよく言ったものです。「私には子どもに遺してやる遺産は何もない。でも、信仰はこどもに遺して逝きたい」――最近、そういえば、こういうことはあまり聞きませんねぇ。昔の信仰の先輩は「俺は何も遺してないのだけど、俺は信仰を子どもに遺してあるんだ」(と言ったものです。)

救われた恵みの尊さというものを、皆さん、感じていますか?親は親、子どもは子ども、わしは教会に行くけどおまえは自由にしたらいい。そんな生き方になっていないか。今は子どものしつけ、育てる家庭というのがとても大事でしょう?誰が、何で、まとめるのですか?宝ものがまとめてくれるのですよ。

私は土の器の中に宝ものを入れている。私はこの土の器だけれども宝ものを持っている。自分の技量は大したことはないけれども、そんなに価値あるものも持っていないけれども、私の内にはイエス・キリストの救いという宝ものを持っている――皆さん、そう自覚なさいますか?やっぱりそういう自覚をもって毎日の生活を営むことは、クリスチャンにとってはとても大事なことです。

土の器って何ですか?いいことばですね。土の器の中に宝ものを入れているということばに沢山の人が感動するほど、優れたことばのようです。いろんな人がいろんな所で用いていらっしゃいます。人間は土の器だ――短くしてこれほど的確に表現していることばもまた少ない。所詮偉そうなことを言っているけれども、人間はもろい。壊れてしまう。しっかりとした陶磁器ではなく土の器ですから、もろい。昨日まで形があったのだけれども、今朝はもう壊れてしまっているということもあり得る。

さまざまなことを経験しながら、私たちは思うのですけれども、人間の身体の弱さというものは、まるで土の器のようなものです。パウロはこの土の器に宝を入れているわけが書いてあるのです。何を意味するか。ちょっと聖書をご覧ください。

7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

パウロは伝道者です。特技を持っている。伝道という宝(賜物)を持っている。簡単なことではありません。彼はあちこちに伝道致します。そうしますと、あちこちで激しい迫害に遭うのです。彼が具体的に迫害に遭った経験は、Uコリント11章の23節〜30節まで細かく書いてありますから、お帰りになったらお読みになってください。

死の一歩手前まで、あるいは死んでるかと思われるような経験を何度もしますが、でもその都度死を打ち破って、キリストを証しして、キリストを宣べ伝え、キリストを人々に与えて、勝利をもって乗り越えている。あの大きな働きをしたのは、私ではない。私には到底できない。私のうちにある宝物がそうさせてくださったのだ。力は自分からではなくして、神から来るためだ(と言うのです。)すごいではありませんか。

私は土の器なのだ。見映えもしない。見かけも悪い。でも私の中には宝ものがある。いろいろ難しい局面になった時に、この宝ものが私に働きかけて、そして思わないほどの大きな働きを治めることができてきたと(言うのです。)そして、これは伝道者だけのことではないのです。キリストを信じるすべての人を励ますことばです。有名なところで、ちょっと8節と9節を一緒に読んでみましょう。

8私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

四方から悩みが来る。そういう経験はございませんか?四方から苦しめられますが、窮することはない。途方にくれますが、行きづまることはありません。倒されますが滅びません――私は若い時、このことばを何回読んだか分からない。いろんな面で、そういう中をくぐらされたことがあります。けれども、そこに書いてあることばで何度も慰められます――窮することはない。途方にくれていますが、行きづまることはない……。

さあ、今年私たちの中に、「四方から悩みを受けることはありません」と断言できる人はいますか?あんな大きな災害のあることを想像してみてください。想定外、想定外、全く想定外、多少の津波があったとしても、自分らに見えているものは、船が屋根に上がるほど、あんな大きな災害は見たこともない、聞いたこともない。四方より悩む。それから途方に暮れることだってあります。

受験期です。若い方が一生懸命頑張っておられます。あっちもだめだった。こっちもだめだった。あんなに自信を持っていたのに、だめだった。途方に暮れてしまうことがあります。でもみことばは――途方に暮れていますが、行きづまることはありません。迫害を受けていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

パウロは事実、宝ものを持っているために、福音宣教の実際の中で、さまざまな経験をしたのです。自分の力ではなくして、内にある宝の力によって、神さまの助けられる力によって、決して窮することはない、途方に暮れることはない、行きづまることはない、誰からも見捨てられない。

あぁ、天は私を見捨てたと悩む人があります。お父さんもお母さんも見離したと言われるかもわかりません。でも誰もあなたを見離さず、見捨てることはない。

この宝ものを経験した人をちょっと紹介したいと思います。皆さんもお正月になりましたから、お家のカレンダーが変わりましたでしょう。星野富弘さんのカレンダー。星野さんは洗礼を受けた時にこんな話をしておられます。ちょっと読みます。***注()の中は栄造先生の説明。

「……少し話をした。大勢の人を前にしてすっかり上がってしまった。向かいながら、私は母について語った。

私はけがをして失ったものも随分あるけれど、与えられたものはそれ以上にあるような気がした。(けがをして全部失ったものがあるけど、ちょっと考えられない、与えられたものがそれ以上にあると言う。)私が入院する前、母は昼は畑で四つん這いになって土を耕し、夜は薄暗い電灯の下で、金がないと泣きごとを言いながら内職をしていた。私にとっては、あまり魅力のない母だった。私がけがをした時、彼女は半紙を開いただけで貧血を起こし、気管支切開の手術の痕、それを見て、へなへなと座り込んでしまった。(そうでしょうねぇ……。)母が世間一般のように強い人であるとするならば、私を家に置いて帰る、私のために自分のすべてを犠牲にするようなことをしたかもしれない。

しかし母は私を置いてきぼりにしなかった弱さがあった。今の母を支えている最も強い力なのではなかろうか。(息子さんの病、けがを見て、お母さんが逃げ出さなかった。放っておかなかった。その激しい、厳しいけがを見て、却ってお母さんは励まされたようだったと言う。)もし私がけがをしていなければ、この愛に満ちた母に気付くこともなかっただろう。(自分が元気だったら、田舎の汚い母親で終わってしまっただろう。)私は母を薄汚れた一人の百姓女としてしか見ることができなかっただろう。一生を傲慢な気持ちで過ごしてしまう、不幸な人間で終わってしまっただろう。」

もし星野さんが元気だったら、自分は母の愛に気づかないで、母って汚い女だなぁと思いながら、傲慢な気持ちで終わってしまっただろうと言う。彼はとてつもない大きなけがをした。再起不能です。わずかに唇が動いて、唇に筆を挟んで、字を書いたり絵を描いたりする力がある。どん底にたたき落とされた。沢山のものを失った。それでも彼はその中で、母の愛を知り得た。それは私の人生に勝利をもたらすような明るい、それは私の人生をすっぽり変えてしまうほどの力のある、神の力だった。

今年、皆さんの人生に何が起こるか?まぁ、悪いことの予想はあまりしない方がいいと思っていますが、私この間本屋さんに行って、あの東日本の大災害の写真集を、大枚をはたいて買ってきました。あの津波の様子をよ〜く見ておりますと、ノアの洪水のような感じもする。恐ろしいものです。自分は関係なかったし、その場に居合わせなかったけれども、写真だけ見ると恐ろしいものです。

静かに礼拝を終わろうとしている時に、皆さんガタ〜ンといったら何でしょう?突然お医者さんが診たら、あなたこの辺にガンがあります、と言われるかもわからないです。何が起こるか、皆さん解りませんよ。決して脅かしている訳ではありませんが(笑)。

でもその時、コリントのみことばを私たちは読んで、「われら四方より悩みを受くれども窮せず、為ん方(せんかた)尽くれども望みを失わず、責めらるれども棄てられず、倒さるれども滅びず」(文語訳8〜9節)、まさに土の器に宝ものを握っている者の強さです。イエス・キリストは救いです。キリストはいのちを注いで私を救ってくださろうとした。有り難いことではありませんか。尊いことではありませんか。それなのに、私は私のために一生懸命にならないで、もっと主のために、もっと主のために、もっと主のためにお仕えしてよいのではないでしょうか?できるのではないでしょうか?もっと主のためにお仕えしたら、自分のうちにある宝ものの尊さがもっと分かる。そうすればもっと働く。宝ものの尊さが分からないから、皆さんちっとも使わない。

私は土の器の中に宝ものを入れているクリスチャンです。もう私も老いぼれて来ました。何もやっていません。でもやっぱり宝ものを入れている器、薬がけのない器だけど、宝ものをもっている器ですよ。皆さんも持っているんですよ。顔は貧弱な顔かもしれないけれども、お金持ちの相ではないかもしれないけど、宝ものを持っているんですよ。この宝ものは優れた神の働きです。

☆終わりのお祈り

神さま、この一年スタート致しました。一寸先のことは分かりません。もう皆さんお帰りの道に立った時に大地震があるかもわかりません。今は静かですけれども、夏には大雨が降るかもわかりません。大飢饉が来るかもわかりません。いつどんなことが起こるか分からないのが世の常であります。

パウロもそういう苦しみを沢山経験しました。けれども彼は叫びました――四方より悩みを受くれども窮せず(8節文語訳)、途方に暮れても行きづまることはない(8節後半)。迫害されても、見捨てられることはない(9節)。なんと力強いことばなのでしょう。四方から悩みを受けても窮することはない、為ん方尽くれども、望みを失わず――クリスチャンの信仰です。主イエスさまの救いの勝利です。弱い私たち、壊れ易い土の器でありますが、主イエスさま、あなたの力強い恵みをこの器にも注いでくださいますように。イエス・キリストの御名によってお祈りを致します。アーメン。


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DATE: 2012.01.23 - 00:49
LAST UPDATE: 2012.01.24 - 10:21

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