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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/22神の人モーセ(10)淡々と使命を果たすモーセ
1/22神の人モーセ(10)淡々と使命を果たすモーセ

☆お知らせ
●来週(総会のため)10時ですので、どうかお間違えのありませんように、お願い致します。
●先週は私は急に徳島の教会に行くことになりましたので、父(藤本栄造牧師)が代わってみことばを取り次ぎました。86歳になりました父を、温かく励ましてくださることを心から感謝しております。
(***栄造先生がお取次ぎくださいましたUコリント4:7〜9「宝を土の器の中に」も、遅ればせながら、この一つ前に掲載させて頂きましたので、そちらもどうぞお読みください。T・Y)

☆聖書個所    出エジプト10:21〜11:3

21主はモーセに仰せられた。「あなたの手を天に向けて差し伸べ、やみがエジプトの地の上に来て、やみにさわれるほどにせよ。」22モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真暗やみとなった。23三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。24パロはモーセを呼び寄せて言った。「行け。主に仕えよ。ただおまえたちの羊と牛は、とどめておけ。幼子はおまえたちといっしょに行ってもよい。」25モーセは言った。「あなた自身が私たちの手にいけにえと全焼のいけにえを与えて、私たちの神、主にささげさせなければなりません。26私たちは家畜もいっしょに連れて行きます。ひづめ一つも残すことはできません。私たちは、私たちの神、主に仕えるためにその中から選ばなければなりません。しかも私たちは、あちらに行くまでは、どれをもって主に仕えなければならないかわからないのです。」27しかし、主はパロの心をかたくなにされた。パロは彼らを行かせようとはしなかった。28パロは彼に言った。「私のところから出て行け。私の顔を二度と見ないように気をつけろ。おまえが私の顔を見たら、その日に、おまえは死ななければならない。」29モーセは言った。「結構です。私はもう二度とあなたの顔を見ません。」1主はモーセに仰せられた。「わたしはパロとエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここから行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、ほんとうにひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。2さあ、民に語って聞かせよ。男は隣の男から、女は隣の女から銀の飾りや金の飾りを求めるように。」3主はエジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた。

☆説教

一回飛びましたけれども、前回、神さまがエジプトの王ファラオに、10のわざわいをもってご自身が神であることを彼にわからせる、という物語を見ました。
私たちもまた、ファラオのようです。自分の力で様々な状況を乗り越えようと思います。乗り越えることが可能な場合もあります。実際最初のわざわいにおいては、エジプトの呪法師たちは、いくつかは自分たちで同じことをすることができた。ファラオはますます心を強くし、何だそれくらいのことはできるじゃないかと思った。しかし、あるところから、まねのできない業は神さまの力をまざまざと見せつけられ、自分の限界を感じるのです。それでも、ファラオは神さまに屈服しない、非常に我の強い人間でした。私たちもまたそうなのでしょう。

しかし神さまは、10回でも、いや何度でも、ファラオのように我の強い私たちに、ご自身が神であることをわからせるために、時に試練を携え、時に祝福を携えて、私たちのところに来てくださる、という風に締めくくりました。

モーセは、その10回の間、ひたすらファラオの王宮に足を運びます。そして、何度も彼の強情さ、そのかたくなな心に対面します。ちょっと見てみましょう。

9章に出て来る災いは、第七番目のもので、雹(ひょう)のわざわいですね。9章の24節と25節をご一緒に読んでみたいと思います。

9:24〜25雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、また野の草をみな打った。野の木もことごとく打ち砕いた。

7年位前に、千葉の成田のあたりで、ゴルフボール大の雹が降りました。私はちょうどその日、アメリカから飛行機で成田に降り立ったのですが。ほんとに揺れに揺れて、格納庫の屋根が見えるまで飛行機は降下しましたけれども、もう一回急発進して、ずっと旋回してグラグラに揺れる中成田に着きました。
空港の周りが散乱して、そしてニュースで見ましたら、ゴルフボール大の雹だった。その時、東京基督教学園のS先生をご講演に高津教会にお招きしまして、S先生の白い車のボンネットから屋根からボコボコでしたね。当日、夕方でありましたけれども、道路を走っていた車、駐車場の車みんな、そのゴルフボール大の雹にやられたということがありました。

しかし、それよりさらに大きな被害だったのでありましょう。モーセの予告に心を留めていなかった者は、「しもべや家畜を野にそのまま残した」(21節)、そして被害は甚大でした。

このときファラオは、モーセとアロンを呼び寄せて言います。「今度は、私は罪を犯した」(27節)。いつも罪を犯しているのですけれども、今度ばかりは参った。「主に祈ってくれ。神の雷と雹は、もうたくさんだ。私はおまえたちを行かせよう」(28節)。ところが、また同じなのです。

34〜35パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。 パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。

最初、ファラオはモーセの要求を相手にもしませんでした。
災いの三番目までは、エジプトの呪法師がそれを真似をして、大したことないじゃないかと高をくくっていました。

その後、呪法師が真似のできない災いが及ぶに至って、王は恐れて、一旦は行かせると約束し、災いが終わったら、心を翻して、かたくなにして、強情になって、行かせないのです。それが、何度も何度も続きます。

第八番目の災いは、イナゴの大群でした。
その時も王は、恐れをなして、モーセとアロンを呼び出して、折れます。10章の16節を読みます。

10:16〜17パロは急いでモーセとアロンを呼び出して言った。「私は、おまえたちの神、主とおまえたちに対して罪を犯した。どうか今、もう一度だけ、私の罪を赦してくれ。おまえたちの神、主に願って、主が私から、ただこの死を取り除くようにしてくれ。」
18彼はパロのところから出て、主に祈った。

そして、モーセは主に祈ります。しかし、結局、王はイスラエル人を行かせはしませんでした。

第九番目の災いは、暗闇です。3日間、闇がエジプトを包みます。
その時です。王は言います。
10:28「私のところから出て行け。私の顔を二度と見ないように気をつけろ。」          
モーセは言います。
10:29「結構です。私はもう二度とあなたの顔を見ません。」
果たして信用できるかなと思いながら、淡々と言いました。今日の課題はこういうことです。

7章に始まり、この10章の終わりまで、しつこいとは言わないまでも、災いの連続、そして王の強情さ、いったん約束しては、事が終わると翻り、もとの傲慢な王に戻っていく姿が描かれています。

同時に描かれているのは、淡々と仕事をこなすモーセです。神さまに王のところに行け、と言われれば行きます。王に呼びつけられると、王のところに行きます。王が許してくれ、祈ってくれ、と言えば、祈ってとりなします。二度と顔を見せるな、と言われれば、「結構です。もう二度とお会いすることはないでしょう」と返します。

いったい、これらのやりとりから神の人モーセ、イスラエルの指導者モーセは何を学んでいったのか。どうして、どうやって、何ゆえモーセは淡々と仕事をこなすことができたのかということを、ちょっと3つの区切りで学んでみたいと思います。

先ず第一にモーセは、この10のわざわいを通して、何度も心変わりをし、ますますかたくなになるこの王の姿を見て、彼には解った。それは物事の根本的な問題は人の強情さだと。人類最大の問題はかたくなな心だということを、モーセは改めて痛感します。

1)人は強情なもの。人の最大の問題は「かたくなな心」

モーセは問題の本質を見ました。それは支配国エジプトの中に取り込まれた、弱小民族イスラエルの弾圧の問題ではなかった。絶対君主制のエジプトの王の問題でもなかった。モーセが見た問題の本質、それは人の心のかたくなさでした。

昨年、日本ではそれほどでもありませんでしたが、アメリカでは空前のヒットをしました、「アメイジング・グレイス」という映画がありました。日本に入って来ましたときに、皆さんの中で観た方も多かったのではないかと思いますが、日本ではなじみのないキャラクターでした。

「アメイジング・グレイス」を作曲したのは18世紀英国のジョン・ニュートンという詩人です。詩人であり、牧師であり、彼は信仰を持つ前、アフリカの西海岸で狩られた奴隷が集められ、それをイギリスへ運ぶ奴隷船の船長でした。

彼はやがて自分のしていた悪事を悔い改め、牧師となり、奴隷売買反対運動を担うようになります。奴隷狩りと奴隷売買を禁じる、これが自分に課せられた使命だ、そして、これこそがイギリスが国家ぐるみでやっていた歴史的な悪事だということに、彼は気が付きます。
                  
アフリカ中で狩られた奴隷は、西アフリカに集められます。そこから、カリブ海域に、やがてアメリカに売られていきます。
イギリスがアメリカに進出した時に、頭を悩ませました。

例えば、スペイン・ポルトガルが南アメリカに進出した時に、銀という貴重な鉱物があったのです。銀をものすごい勢いでヨーロッパに持って行きます。ヨーロッパの港は、銀を積んだ船で何百年の間いっぱいになります。よく私たちは、フォークやナイフの銀器のことを、シルバーウエア(silverware)と言いますでしょう。西洋の食事文化に、このフォークやナイフがどうやって入って来るか、全部南米から搾取した銀で成り立っています。

もちろん、イギリスは中国からお茶、そして紅茶文化ができ上がり、やがて紅茶はイギリスは中国から持って来るには遠すぎる、もしかしたらインドの方が近くていいのではないか思って、大量な紅茶畑をインドに作り、ダ―ジリンやアッサムという紅茶をイギリスは集めます。やがてイギリスは、いや、もっと開拓できるのではないかということで、ケニヤに茶畑を創り、私たちが宣教師を送っている現地の周りは茶畑がいっぱいじゃないですか。

このようにして、オランダもフランスもイギリスも、植民地から得る物資、それが鉱物資源であれ、食料資源であれ、ありとあらゆるものをヨーロッパに吸収してヨーロッパは繁栄して行くのです。

ところが、アメリカからは何にも出て来ない。イギリスは考えました。何にも出て来ないのだったら、大きな畑を作り、そこで膨大な土地に、たばこのプランテーションと、コットン(綿)のプランテーション、そして中南米には砂糖きびのプランテーションを作ります。
誰が働くのでしょう?こんな広い畑で働く人はいない。そこで考えたのが、奴隷を買って来て奴隷にその仕事をさせよう、です。

18世紀の終盤、ウィリアム・ウィルバーフォースという若き英国下院議員が、奴隷売買の問題を追及し、奴隷売買禁止法を通すために議会で戦います。(***注 英国国教会の牧師であったジョン・ニュートンが、助言をしたのがこの映画の主人公で、若き国会議員の、ウィリアム・ウィルバーフォースでした。)

いったい、どれくらいの黒人が売られていったと思います?
奴隷貿易を始めたのはスペインやポルトガルで、やがてイギリスやフランスが中心となりますが、長い16世紀後半〜18世紀19世紀にかけての歴史の中で、1200万人以上のアフリカの人びとが家族を引き裂かれ、狩られて、祖国から連れ去られ、奴隷として売られていきます。正確な数はわかりませんけれども、1200万のうちの半数は船上で死に、海から捨てられたと言われています。

ウィルバーフォースは、奴隷(売買)禁止法をイギリス議会で通したほどのヒーローでした。先ほどの「アメイジング・グレイス」という映画は、このウィルバーフォースの生涯と働きを描いています。

驚くべきは、彼が議会でその問題を取り上げようとしますと、議員たちはこぞって、そんな事実は存在していないと否定するのです。そしてウィルバ―フォースは、笑い者になります。
やがて議会で調査委員会ができて、実際の奴隷船の見取り図が提出される頃に、ようやくその事実を認める方向に動くようになる。

今の私たちが考えると、ほんとにそんなものなのと考えさせられます。何百万人という奴隷が、狩られて、運ばれて、みんなイギリスを経由して、アメリカを植民地としてイギリスの経済が成り立っている、そのどん底を支えているのが、黒人奴隷なのです。
しかし、議会の250名全員が、奴隷船の存在と奴隷売買の事実さえも否定してしまうほど、人は心がかたくななのです。人は自分がやっている悪事を認めようとしない。(これは映画の話ではなく、事実がそうでした。)

ウィルバーフォースは、いったい何と戦っているのでしょうか?
奴隷問題でもない。奴隷売買の現実でもない。彼はイギリス議会と戦っているのです。非常にインテリな優れた、情報のすべてが集まってくる、この議会と戦っている。彼が戦っているのは、議員のかたくなな心、罪深い強情な心と戦っているのです。

モーセはだれと、どんな問題と戦っていたのでしょうか?
エジプトの奴隷問題でもない。ファラオの強権政治と戦っていたのでもない。モーセはそろそろ気がついたはずです。この世界のおおよそすべての問題は、人の心の中にある罪だと。喉元過ぎれば熱さを忘れる人の罪だと。事実を忘れ、罪深き行動に理由をつけて隠蔽し、あたかもそんな出来事がなかったかのように振る舞う、ファラオのかたくなな心。それは私たちの心だということにモーセは気が付く。
              
やがてモーセは、同じ心が、イスラエルの人々にも宿っているという現実にも直面するのです。

皆さんが社会で働いておられて、私が教団に関わって、日本のキリスト教会の古い体質に、時に社会の古い体質に頭を悩まし、その古い体質が長い間培われてがちっとした構造を持っていればいるほど、果たして自分はいったい何と戦っているのだろう。この自分の忙しさ、自分の努力の不毛さ加減、自分が描いてきたその夢がもろくも崩れ去って行くその問題課題はいったい何か?それはそれはさまざまな問題があるに違いありません。

でも私たちは、究極的に直面する問題はいつも同じです。それは、人の心のかたくなさです。日本の体質がそうだとか、あるいは日本の社会、自分が所属している世界の体質がそうだ、ではない。人の心、一つ一つの心の中に、まことにもってして、自分の現状を維持し続ける強情さ、そして自分の落ち度を認めようとしないかたくなさが存在し、自分より上の権威を認めたくないとする強情さが存在する。ですから、何度やってもうまくいかない。ことごとくひっくり返されていきます。

2)淡々と前進して行くモーセの原動力は、すべてを支配しておられる神

ではそんな民たちを前にして、モーセが淡々と生きて行くその理由、その原動力はどこにあるか?それは、すべてをご覧になって、支配しておられる神がモーセを導いておられるから、彼は勇気をもって淡々と仕事をこなしているのです。
 
モーセに「行け、ファラオに告げよ」とおっしゃるのは主です。結局、事態はひっくり返って何度やってもうまくいきません。
でも、10:1〜2で、神さまはうまくいかない理由をモーセに説明されます。ちょっと読んでまいりますね。

1主はモーセに仰せられた。「パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行うためであり、
2わたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行ったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることを、あなたがたが知るためである。」

理由
@1節の後半「わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中で行うためである」
A2節の前半「災いの奇蹟を、あなたが息子や孫に語って聞かせるためである」
B2節の後半「わたしが主であることを、あなたがたが知るためである」
                
神さまはモーセにおっしゃる――何度でもパロは心を翻して、最初のうちにわたしは10も力あるわざを、彼らの中で行うことになる。
わたしが彼の心をかたくなにして、一発で事を行わない、一発で解放させない理由はまず1番目にわたしがわざを行うためだ。
2番目にそのさまざまな出来事は、あなたの息子や孫の記憶に留まるためだ。わたしの力あるわざが語り聞かせられるようになるために、わたしは敢えて数多くの奇蹟をする度に、彼の心をかたくなにする。
3番目に、2節の最後にありますように、わたしが主であることをあなたが知るために、わたしはあえて難しい状況をあなたの周りに起こす、と。

神さまは必ずしもエジプトやファラオを相手にしていたのではない、ということがわかります。
神さまはモーセにおっしゃいました――
何度もファラオの心がイスラエルにかたくなになるのに対して、わたしは次々にさまざまな試練を与える。それをあなたは見て、それらに遭遇して、めげるな、へこむな。わたしは必ず力を働かせる、その力は後に語り継がれるようになる。それによって、あなたがたが(モーセもイスラエルも)わたしが神であることを知るようになる。
         
試練に直面して、しつこいばかりの人の強情さに直面して、めげるな、へこむな。わたしは、それに対して力ある働きをする。それは明確に歴史に残る、それは確かに記憶に残る。そうして、あなたがたは、わたしが神であることを知るようになる。

わたしはすべてを支配している。モーセよ、おまえはわたしの使いに過ぎない。だから気落ちせず、淡々と進んでゆけ。

こういう高い視点に立たないと、人の心のかたくなさ、強情さに私たちは顔を向けることができない。こんな人と話をしているのだ、こんな職場環境でやって行くのなら、もう私はほとほと自分の人生が嫌になった(ということもあるでしょう。)モーセがそうでしょう。10回やって、10回ともファラオは否定して来るのですよ。モーセがその10回を乗り越えて行くには、彼は高い視点に立たなければいけない。

その高い視点というのは、神さまはおっしゃる。――わたしはすべてを見ている。すべてを支配している。そしてそれらの難しい状況の中で、わたしは必ず力を表わす。わたしが表わした力は、歴史に残り、あなたの記憶に残る。そしてあなたは、わたしが神であることを知るようになる。

先ほどのウィルバーフォースに宛てて、ジョン・ウェスレーは手紙を出します。ウェスレーの生涯で記した手紙は8,000通と言われていますが、それがその最後の手紙となりました。
それは、ウィルバーフォースが、初めて議会に、奴隷売買禁止法案というものを提出して、あっさりと否決された後のことでした。あっさり否決されて、気落ちしていたウィルバーフォースに、あと2週間でこの世を去るというウェスレーが、筆を執ってウィルバーフォースを励まします。ちょっとその手紙を読んでいきますね。

「神があなたを立てているのでなければ、英国の、人類のスキャンダルである、この忌まわしい悪業に反旗を翻すという、栄光ある計画を完遂することはできないでしょう。

神がまさにこのことのためにあなたを立てられた(***使徒13:47、エステル記4:14後半を思い出すのですがT・Y)のでなければ、あなたは人と悪魔の反対によって摩滅してしまうでしょう。

しかしもし神があなたの味方であるなら、誰があなたに抵抗できましょう(***ロマ8:31)。彼らが一束になってかかってきても、神に勝てるはずはありません。

善をするのに疲れないでください(***ガラテヤ6:9)。神の聖名において神の力によって前進してください。そして史上最悪のアメリカの奴隷制度さえをも撲滅されるまで前進してください。」
                      
神があなたを立てている。だとしたら、彼らが一束になってかかってきても、神には勝てるはずがない。――モーセは、まさにその事実を身をもって味わっているのです。まさに神さまがおっしゃったとおりです。なるほど、ファラオのかたくなな心はすさまじい。しかし、それもまた神がなさることで、神のご計画の一部。

あの(***迫害に遭った伝道者パウロの書いた)ローマ人への手紙8:31「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」――モーセは、この10の災いを通して、このことを悟っていったのです。

私たちは人の中にある、かたくなさにぶつかりますと疲れてしまいます。そんな時、私たちは少し高い視点に立って世界を見つめます。――神さまはすべてを見ておられる、神さまは私たちの味方でいらっしゃる。神さまは必ずこの事態の中にあって、力ある働きをなさる。それが私の人生に残る。そして私は生涯、この方が私の神であることを忘れない。
モーセは淡々とこの仕事をこなしていきます。

3)神の支配に淡々と生きるモーセの魅力

問題の中心が人の心にあるのを見抜き、神さまが味方であるなら、だれが敵対できるでしょうという確信に立ったモーセです。
しつこい問題を前にして、淡々とやるべきことをやっていることに徹するモーセです。
モーセは淡々とこの仕事をこなしていきます。

3番目に出エジプト記の11章の3節を見て頂きたいと思います。このようにして進んで行ったモーセですが、11:3をご一緒にお読みしましょう。

3主はエジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた。

いつの間にか、彼は尊敬されるようになります。しかも、エジプトの民とパロの家臣から尊敬されるようになりました。次第に、敵の目から見ても、尊敬を受けるようになります。
モーセは何度ファラオが心をひるがえしても、取り乱すことがありませんでした。ファラオが心をかたくなにしたら、モーセはその現実を受け止めて帰ります。ファラオが祈ってくれと言われたら、祈ります。ファラオに呼び出されたら、また裏切られることを覚悟しながら、出かけて行きます。
              
時には、あきれるでしょう。時には、人間の現実に嫌気がさしますでしょう。しかし、彼は神さまの支配の中を淡々と生きていきました。その姿勢に周囲の者たちは、魅力を感じるようになります。

ウィルバーフォースが、英国下院議会に、奴隷売買禁止法の最初の法案を出したのは1791年でした。やがて1807年に英国議会で可決させます。20年間尽力してきたウィルバーフォースへの感謝と賛辞が、議会を埋め尽くす中、法案は283対16で可決されました。最後、ウィルバーフォースは尊敬の的となって、20年の働きを終えて、次のステージへと進んで行きます。

批判が賛辞に変わることがある。それはモーセもウィルバーフォースも同じです。そもそも、この世界の本質的な問題のすべては人の心の中にあると覚悟しておくこと。しかしそれらすべてをご覧になって、力ある働きをしてくださるという約束を、神さまがしてくださっている。時に裏切られ、時にひっくり返されながらも、淡々と神さまの支配に信頼して進んでいく、そういう姿勢でこの人生に向かうことができたらなと思います。

「アメイジング・グレイス」という映画を是非ご覧頂きたい。そうやっていのちを落とした人もいる。しかしそれを超えて、勇気を得て、神さまの後押しを受けて、人の為す悪事と戦って行く人物が沢山いるということも、私たちのよき模範であり、勇気となります。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、モーセの心の中に、何も10回もやらなくてもと思うぐらい、何度やっても心をひるがえすこのファラオの姿、しかし後でモーセは、そのファラオの強情さをイスラエルの民の中に見出すようになります。私たちもそうですが、私たちの周りの人もそうで、おおよそ人間のさまざまな問題は人間の強情さでありますが、時に本当に嫌気がさしてしまいますが、でもあなたはそれをご覧になって、あなたのご計画はさらに高い所にあると(教えてください。)

どうか私たちが人の強情さで負けてしまうことがありませんように、その上を生きて行くことができますように。モーセのように淡々と、あなたの力ある働きを、待ち望みながら進んで行くことができるように、信仰者の姿勢を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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