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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/5 神の人モーセ(11) 信仰生涯の原点   
2/5 神の人モーセ(11) 信仰生涯の原点   

☆聖書個所        出エジプト12:1〜14

1主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。
2「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
3イスラエルの全会衆に告げて言え。
 この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
4もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
5あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
6あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
7その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
8その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種をいれないパンと苦菜を添えて食べなければならない。
9それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
10それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。
11あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過ぎ越しのいけにえである。
12その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。
13あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
14この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。

☆説教     神の人モーセ(11)信仰生涯の原点

出エジプト記の12章を開いていただきました。今日は、神の人モーセの信仰生涯の原点として、この個所からお話をしたいと思います。
モーセとアロンは、足繁くファラオのもとに足を運びました。イスラエルの人々をなんとか行かせてくれるように訴えます。
最初の頃は相手にもされず、しかし行くたびに、神さまのしるし、わざわいを予告しました。王はその災難に遭うたびに、「行かせる」と言い、しばらくすると心を翻して「行かせはしない」と頑なになり、その連続でありました。

そのエジプトの王は、とうとう10回目のわざわいをもって、民を行かせます。これが一番大きなわざわいでありました。12章の12節をお読みします。

12:12その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。(***4:22〜23で予告11:4も同じ予告)

これまでにはなかった、この厳しい神さまの裁きによって、とうとう、あれほど頑なだった王は民を行かせることにします。

実際にこの災いが起こったときのことが記されています。31節を見てください。

31〜32パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」
        
とうとう、奴隷として捕えられていたエジプトから解放される出来事――これが出エジプト(Exodusエクソダス)――この出来事が起こっているのが12章です。

ここから簡単に三つのことを今日はお話したいと思います。

1)この出来事こそが神の民イスラエルの原点となる

イスラエルの原点は、アブラハムの信仰にありますでしょう。その孫ヤコブの息子12人からイスラエルの12部族が生まれます。ヤコブの別名はイスラエルーー神さまはヤコブが遜った時に、イスラエルという新しい名前をお与えになります。(***創世記32章)
しかし、このイスラエルが神の民となった、つまり民族全体が神の民となったのは、この出エジプトの出来事によります。

ヤコブの家族が、パレスチナの飢饉を逃れて、エジプトの宰相をしていたヨセフのところに移り住みました。(***創世記47章)
ヤコブが死んだとき、彼の家族は70名でした。(***出エジプト1:5)そこから数百年を経過して、いつの間にかヤコブの子孫イスラエル民族はエジプトの奴隷となり、その苦役の故に神さまに叫びます。
                  
神さまはモーセを指導者に立てて、彼らをエジプトから脱出させて、そもそもアブラハムに与えると約束された約束の地に連れ上(***ると語られ)ます。出エジプト記6章の6節と7節を交読します。

6:6それゆえ、イスラエル人に言え。
わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。
6:7わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。
 
贖うとは、奴隷に売られた者たちを、買い戻すということです。
そして、7節「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる」という契約が結ばれました。

神の民イスラエルは、この出エジプトの出来事で誕生します。
つまり、エジプトでの奴隷から贖われ、神の力によって救い出され、そして神の民となった、神は彼らの神となった、この出来事こそ彼ら旧約の民の原点でありました。

ですから、神さまは12章に戻って頂きますと、こうおっしゃいました。
12:2「この月(エクソダスの月)をあなたがたの月の始まり(正月)とし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」

あなたがたの暦は、歴史は、ここから始まる、ということです。
私たちクリスチャンの歴史はどこに始まっているのでしょうか。私の人生の原点はどこにあるのでしょうか。

私たちは太陽暦を使います。ですから、もはや、2節のこの月と呼ばれているのは、へブル人のニサンの月、3〜4月にまたいで存在していますが、年の初めにはなっていません。しかし、私たちは、ある意味、歴史の原点をイスラエルの民と同じように持っています。  

それは今年は、2012年ADです。ADとは、Anno Dominiアンノドミニ・主の年という意味です。イエス・キリストがこの世に来られて2012年。
つまり、キリストがこの世に来られ、この世の奴隷となっている私たちを贖い――出エジプトです――罪と死の力から救い出すために十字架にかかられ、私たちを神の国へと連れ上るために復活された、この(キリストの)出来事から数えて、2012年です。

旧約の神の民が、出エジプトの出来事を原点としていつも考えていたように、私たちはキリストの出来事を原点として考えているのです。

2)この出エジプトの出来事の中心に何があったのか?

出エジプトの出来事は、神さまがエジプトに下した最後の、10番目のわざわいと深く結びついていました。12章の12節をもう一度お読みします。

12〜13その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。(わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。)
    
救いは、エジプトにおける奴隷状態からの救いでしたが、同時にそれは、神さまがエジプトに下そうとしておられる、死のさばきからの救いでもありました。その死の裁きがイスラエルの人々の上を過ぎ越して行くのです。何故過ぎ越して行くのか、どのようにして過ぎ越して行くのかは、13節「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て」過ぎ越して行く(――つまり血の故な)のです。

その血は――6節に書いてありますように、(やりなさい。) 

6あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そして、イスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
7その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。

ニサンの月の14日目の夕暮れに、傷のない一歳の雄羊が屠(ほふ)られます。それは、いわば、裁きの対象となる初子の身代わりでした。その血が門柱に塗られた家を、神のさばきは、(神の裁きの使いは)過ぎ越していきます。
   
13わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。

神さまはエジプトのすべての初子を打つとおっしゃいました。それが神の裁きです。そしてイスラエルの人々は――もちろんイスラエルの人々の中にも初子はいる――その初子が守られるために、初子の身代わりとなるような羊を用意しなさい。その羊は傷のない羊でなければならない。でもニサンの月の十四日の後、夕暮れ時にその子羊をほふり、あなたの家の初子の身がわりとして、その血をあなたの家のかもいに塗りなさい。そのとき、あなたがたは死の裁きから守られ、救い出されることになる。

つまり、出エジプトの出来事というのは、単に奴隷となっていたエジプトから解放される出来事だけでなくして、おおよそ私たちが味わう、私たちがやがて体験する罪の裁きが、私たちの上を過ぎ越して行く、そのことの象徴でありました。過ぎ越しのために使われたものは血でした。そしてその血は、本来死ぬべき者の身代わりとして立てられた羊の血でした。

なぜ血なのかというのは、旧約聖書独特の考え方なのですが、皆さん、私たちは成人の体の中にどれだけの血液が巡っていると思いますか?大体3リットルですね。1分に、2度体内を循環します。1ミリ四方に550万の細胞があり、それぞれの血液細胞の寿命は、110―120日。毎秒、200万の細胞を作りつくり出しています――と本に書いてありました。

血液について、こういう医学的な解明がされるようになったのは、近代ですが、しかし血液の意味は、旧約聖書ですでに明らかにされています――レビ記の17章の11節に「いのちは血の中にある。」

***レビ17:11なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしは、あなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

つまり、血液というのは、いのちそのものなのです。ですから、子羊をほふって、その身代わりとなった羊のいのちそのものを、あなたのかもいに塗りなさい。その時主の裁きは、あなたの家を通り過ぎて行く。――裁きの対象となる初子の代わりとなって、子羊が屠られ、その血がその家庭のこどものいのちを贖う。

モーセから、約1500年経過した過ぎ越しの祭りの晩、イエスは、弟子たちと一緒に食事をされました。明日ご自身が十字架にかかることを意識された主は、過越の祭りの食事に出されたぶどう酒とパンを弟子たちに渡して、おっしゃっいました。

――このぶどう酒は、明日流されるわたしの血だ。このパンは、十字架の上で裂かれるわたしの身体だ。(***マタイ26:26〜28、マルコ14:22〜24、ルカ22:19〜20)

わたしを信じる者、そして杯とパンにあずかる者の上を、死の裁きが過ぎ越して行く。それは、あなたがたの真実さの故ではない、あなたがたの正しさの故ではない、あなたがたの生き方の故ではない。それは、わたしの恵み・わたしの憐れみだ。

主イエス・キリストはそう言われて、ご自身のいのちを、死に価する私たちの代わりに投げ打たれた。(***尊いご自身の血潮をもって、まとわりつく罪や悪の誘惑で滅びゆく私たちのいのちの贖いをするために)――それが十字架です。

イスラエルの人々のアイデンティティーの中心に、その歴史の原点に出エジプトの出来事があった。その出来事によって、彼らは奴隷としてのエジプトから解放されただけでなく、死の裁きから守られ、そして神の民となり、神は彼らの神となった。それと同じことが私たちクリスチャンに言えるわけです。

私たちクリスチャンの原点は、自分の誕生日でもない。結婚記念日でもない。自分が就職したその日でもない。私たちの原点は洗礼を受けたその日でもない。私たちの原点は2000年前のイエス・キリストの受肉、そして十字架、復活にある。それによって、私たちは、さまざまに私たちを縛る恐れ、心配、罪深さ、汚れ、弱さ、悩み、苦悶から解き放たれ、のみならず、私たちの罪の結果でなく、報いである死から解放され、私たちは神の民となり、神は私たちの神となり、私たちを約束された天の御国に連れ上る旅路が始まっている訳です。

モーセはイスラエルの民に神さまから言われたことをそのまんま伝えて、そしてこう言います。12章の14節をご一緒に読んでみたいと思います。

14この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。

ここからイスラエルの人々は、もう何千年も過ぎ越しの祭りを祝っているのです。

3)モーセはこのことを、イスラエルの人々の記憶に、その心に、その人生に何とかして刻み込みたい。

この出エジプトの出来事はいっときのことではない。あなたにとっては一生のことです。民族にとっては子々孫々のことです。この日をあなたがたは記念しなさい。そのためにあなたがたは祭りを定め、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝いなさい。
 
私たち新約の神の民にとっては、これが聖餐式になります。イエスさまが、おっしゃったとおりです。イエスさまは、「わたしを記念して、これを行いなさい。」(***Tコリント11:24〜25、ルカ22:19)とおっしゃいました。

地上に生きている限り、天国にたどり着くまで、わたしを覚えていなさい。わたしを記念しなさい。わたしの十字架と復活、それは、あなたの存在を規定している。あなたが何者であるのか、あなたの人生そのものを規定している。
  
あなたは、罪の奴隷だ。死に価するほど罪深い。しかし、わたしはあなたを憐れむ、あなたを捨てない。わたしはあなたを愛している。だから、あなたの身代わりとなって、神の子羊となって、十字架の上で血を流す。その血をあなたの人生に塗るとき、主の裁きはあなたの上を過ぎ越して行く。だから、十字架を見るとき、それは『私のため』であることを、忘れないようにしなさい。

十字架はそこらじゅうにあります。私たちはさまざまな十字架を見ます。教会によって十字架はこうも違うかというくらい、本当にさまざまです。

今年3月に年会があります。今年(教団の)総会の年、私たちの全国大会が開かれます。(***インマヌエル全国大会 「わっと青山」・・・話(WA)・輪(WA)・和(WA) 2012年3月20日(火・祝)10:00〜15:30、会場:青山学院講堂)皆さんは3月20日のお休みの日ですけれども、久しぶりに青学の講堂にいらしてください。年会の真ん中の日ですけれども、その日はインマヌエルの全国大会として、全国から信徒の方々が集まります。全員が入っても1800人位しか入れませんから、でもそこが満場になることもありますし、北海道から沖縄に至るまでどこの教会も、先生一人と最低でも信徒一人を送れるように教団は交通費を援助して、全国の教会の信徒が一堂に集まります。

皆さん、短大の講堂で、以前私たちは合同礼拝を持っていました。あの短大の講堂の十字架は、独特ですよね。線路の枕木のような、茶色の木を無造作に組み合わせているだけですよね。私たちはああいう十字架を見ますと、おお、変わった十字架だなぁとか、味がある十字架だなぁとか、すっきりした十字架だなぁとか(思いますね)。この前ある教会に行きましたら、十字架が宙に浮いていました。ピアノ線か、鉄線か何かで吊ってあるのですけれども、いやぁ怖いなぁと思いました(笑)。あれが落ちてきたらどうするのだろうとか……。十字架を見るときにさまざまに見ますよ。なかなかいい色合いだなぁとか、自分の教会の十字架が一番すっきりしているなぁとか、さまざまに思いますよ。だけれども、イエスさまがおっしゃったのは、そうじゃないですね。

過ぎ越しの祭りを祝う時に、あなたは大切なことを覚えておきなさい。それは神なるお方は忠実であるがゆえに、真実であるがゆえに、アブラハム・イサク・ヤコブの契約を忘れずにイスラエルの人々を顧み、奴隷の苦労から救い出し、のみならず、初子の身代わりの死を見たときに、死の裁きが彼らの家を超え、神は彼らの神となり、民は神の民となるという契約を結ばれたのです。

過ぎ越しの祝いをする度に、あなたがたはいったい何者であるのかという、そのアイデンティティーを明確に自覚しなさい。私たちが十字架を見るときに、あるいは聖餐の恵みに与るときに、自分が何者であるのかということを明確にしなさい。十字架を見るとき、それが『私のため』であるということを忘れてはいけないと。主を十字架に追いやったのは、私の罪です。

8年前の2月に、「パッション(受難)」という映画が封切りとなり、世界中を巡りました。ハリウッド映画としてはとっても珍しい宗教映画そのものでした。字幕は英語で出るか、日本語で出るか。なぜなら、会話はすべてアラム語です。キリストが十字架にかかる1日を徹底して描いた映画で、忠実に再現しています。監督は敬虔なカトリック、メル・ギブソンでした。彼は映画には出演していませんが、彼のこだわりで、一カ所だけ出てきます。それは、ゴルゴダの丘に十字架が横たえられ、その上にイエスが縛られ、その手首を抑えて、太い釘を置き、上から振り下ろすハンマーを握った手、それがメル・ギブソンの手でした。

映画は、十字架の場面を克明に描きますが、イエスを十字架に磔にした、その人物は出てきません。手しか出てきません。その手を、メル・ギブソンは自分の手としました。でも顔は出しませんでした。なぜなら、それは誰の顔でもあるからです。主を十字架に追いやったのは、メル・ギブソン本人の罪です。また私であり、皆さんです。

十字架を受け止め、ほふられる子羊のように黙して(***イザヤ53:7)私の罪を背負われるのは、私を愛するイエス・キリストです。それがわかるときに、私たちは神の民になります。それがわからなければ、十字架はただのシンボルです。

アメリカの神学校で教えているカルヴィン・ミラーという牧師が、”Until He Comes”(主が来られるときまで)というなかなか良い本を書いていますが、その本の中で、こんな話を記しています(p.139)。

小さな女の子の話です。お母さんの顔にはひどい火傷の痕(あと)がありました。小さい頃は、それでも大好きなお母さんの顔です。しかし成長と共に、周囲の人々の目が気になり、だんだん、こんな顔をしているお母さんといっしょに道を歩くのを避けるようになります。

あるとき、お母さんにどうしてそんな火傷をしたの、と聞きましたら、お母さんは悲しそうな顔をするだけで、答えてくれませんでした。

娘は、大人になり、結婚して、別の町に住みます。どんどん疎遠になります。

ある日、娘はふとしたことから(亡くなった)母親の古い日記を見つけます。そして火傷の事実がわかります。――まだ女の子が赤ちゃんだった頃、家が大火事になり、赤ちゃんは家に取り残されます。お母さんは、消防隊の制止を振り切って、燃える炎の中に飛び込んで行きます。子どもが寝ていたベッドの所まで走り、洋服に火が燃え移り、髪の毛が燃えながらも、娘を抱きかかえて、重度の火傷を背負いながら救い出します。

娘は、ようやくお母さんの顔のひどい火傷の痕(あと)が、自分のためであったということに気がつくのです。

それは私たちと同じで、あぁ十字架だ、十字架も讃美歌もいろいろあり、十字架の種類もいろいろあり、教会には十字架があり、世の中の人は十字架のアクセサリーをつける、そういうことではない。

過ぎ越しの祭りを祝う時に、あなたはいつでも自分自身の原点を確認しなさい。十字架を見る時にそれが私のためであったことがわからなければ、私たちには十字架の意味はわからないでしょう。どれほど、イエスさまが私を愛していてくださるか、わからないままでしょう。しかし、このことがわかるなら、私たちは自由にされます。身勝手な人生から、罪深き愚かさから。そして罪の報いである死が、私たちの上を過ぎ越して行くというこの恵みがわかるようになる――それが、私たちの出エジプトです。

私たちにも出エジプトがある。モーセは何とかしてイスラエルの民に、この出エジプトの意味を教えよう教えようとし、イエスさまは何とかして私たちにこの十字架の意味を教えよう教えようと、聖餐の恵みも私たちに与えてくださいました。

のみならず、キリスト教会はその意味を込めて、どんな所にも十字架を立てる。あの、まだ瓦礫の原の宮城県の海岸沿い、津波で流された仙台のシーサイド・バイブル・チャペル、あの十字架。どんなところでも十字架を立てるということは、それが私たちの原点であり、それが私たちの存在意義であり、存在価値であるということを、私たちが忘れないように。

☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、日頃から十字架を見、日頃から十字架を眺め、日頃から十字架を賛美し、しかしそれが私のためであるということを、強烈に自覚するときがやって来ます。今日がその日でありますように。

あなたを十字架につけるために振りおろしたハンマー、そのハンマーを握った手が自分の手であったことに気がつくことができますように。しかし、黙々とその裁きを受けつつ私を赦し、「もしあなたがわたしの十字架を信じ、あなたの人生にわたしの十字架の血を塗るなら、まさに死の裁きはあなたの上を過ぎ越して行き、あなたは神の民となる」というこのお約束を自分のものとすることができますように、私たちを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

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