名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 533 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   2/12 献堂記念聖日:主の御前の人間模様
2/12 献堂記念聖日:主の御前の人間模様

☆お知らせ

●小島神学生、小林神学生は卒業を間近で学院に帰っておられます。支えてくださった皆さんも、3/9の神学院の卒業式に出席できます。要連絡、古川先生。是非この日を覚えて、教団や神学生と関わる教会でありたいと願っています。
●10日〜11日に教団総会が開かれ、総会のためのお祈りをありがとうございました。(***藤本満先生は、教団代表に選出されました。おめでとうございます!任期は3年です。先生のおことばは、以下の通りです。)

――代表、代表って言って、そんなに大変なのって言われますが、ま一応大変です(大笑)。(インマヌエルは)ホーリネス関係でも群を抜いて監督制の教会なのです。今では人事関係も人事委員会があり、教団の運営委員会もありますが、牧師に按手礼を施すことができるのは代表だけですし、牧師を教会に任命することができるのも代表だけです。そういう意味で代表の霊的責任と言いますか、行政的責任のみならず、とっても重いものを感じています。

でも総会には加藤兄が出席して下さったり、また教団顧問に栄造先生がおられたり、○姉妹も総会の手伝いにボランティアで来てくださいました。そのように、高津教会がさまざまな教団的な責任をともに分かち合ってくださっていることが、私にとりましては何よりも励みであります。是非お祈り戴きたいと思います。

教会のある姉妹が「お祝い」と書いた、ハート形をしたピンクのおまんじゅう2つ入りの箱を用意してくださいました。私の代表就任のお祝いにだそうですが、皆さんの分もありますので、おまんじゅうに与れただけでもありがたい(大笑)。これは、単にそういう意味だけでなくして、これから私は海外を含めて、講壇を欠ける聖日も多いと思います。皆さんのお助けをいろんな形で戴かなければいけない場面もあるかと思いますが、それを共に、その重荷を分かち合いましょうという意味でのしるしですので、召しあがった方は是非お祈りに覚えて頂きたいと思います(笑)。帰り際に全員お持ちください。

☆聖書個所          ヨハネ12:1〜8

1イエスは過ぎ越しの祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
3マリヤは、非常に高価なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
4ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
7イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤは私の葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
8あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」

☆始めのお祈り
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
(この日の交読詩篇133篇より1節と3節後半)

恵み深い天の父なる神さま、2月のこの聖日、私たちは今集っております高津教会のこの会堂建築を記念し、また建物ではなく、あなたのみからだとして、多くの方々の信仰と犠牲、愛と奉仕によって建てられたこの教会に、今自分が座っていることのありがたさ、恵み深さを感謝しています。どうかこの日の聖日があなたの栄光をたたえ、あなたの慈しみに感謝あふれる聖日となりますように、この礼拝のとき、また午後のフェローシップを祝福してください。

今日もさまざまな用件でこの礼拝に集うことのできない方もおられます。(外の教会でギデオンの)奉仕をしておられます大山兄や、(オリーブのコンサートの)小柳姉、ガンと戦っておられます石井兄、また国家試験に臨んでおられますN兄とK姉の上に、あなたが格別な恵みを注いでくださり、持てるベストをあなたが引き出してくださり、さまざまな危険や弱さからお守りください。

今日は小林愛美(めぐみ)姉が御主人の実習(の高根)教会に(ホルンと証しの)奉仕に出かけております。しばらくしましたら、家族揃って教会の牧師となりますし、小島神学生はすでに教会を一つ預かっておられます。そのようにして私たちの教会から献身して行きました兄弟姉妹を、あなたが今日も祝福してください。やがて日本の教会を担う器とあなたが育ててください。さまざまな苦労もあると思いますが、それらを乗り越える力を授けてください。

今日も小さなお子さんから、小さなお子さんをお腹に宿しておられるお母さんのために、ご高齢の方々のために併せて祈ります。まだまだインフルエンザの猛威が収まらないような時期でありますが、どうか一人一人の健康を祝福してください。

今日は格別に午後献堂記念のフェローシップを行いますが、あなたが証しを祝福してくださり、また私たちの交わりを祝福してくださり、春に向けて旅立って行くことができるように、ひとときの安らぎを備えてください。

今朝初めて来られました(***静岡県の磐田教会から、藤本牧師が大変お世話になったと言われる、竿代忠一先生・まきば先生もお元気と聞き、たいそう懐かしまれて)H姉の上に豊かな恵みがありますように。またさまざまな意味で磐田の教会を懐かしく思っておられると思いますが、磐田の教会をあなたが祝福し、先生方の健康を守ってください。

しばらくみことばに耳を傾けますが、私たちの心を開いて、心を柔らかくして、あなたのメッセージを吸収することができるようお助け下さい。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆説教      主の御前の人間模様

ヨハネの福音書の12章を開いていただいて、12章の1節をご覧ください。こういう風に始まっていきます。

1イエスは過ぎ越しの祭りの六日前にベタニヤ(***エルサレムの下ったふもとの町)に来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
3マリヤは、非常に高価なナルドの香油三百グラムを取って、……

と、沢山の名前が出てくるということは、そこに沢山の人たちがいたということです。人間模様――これほどこの場面に適した表現はないと私は考えております。イエスさまはご自分の十字架が近づいて来ることを意識されました。その張り詰める、押し迫る緊張の中で、イエスさまは親しくしておられたベタニヤのある家庭のところに、食事に行かれたというセッティングなのです。

そしてそこには、マルタというお姉さん、マリヤという妹、そして弟のラザロがいた。ラザロは、イエスさまの力によって、死からよみがえった人物でありました。食事の席上というのは、人が集まります。人が語ります。人が交わりをします。話が弾みます。話が弾まない時もあるのです。(笑)そういう時に誰かが頑張って、いろんな話題を振ります。食事の席というのは、本当に私たちはいろんな人間模様を見ますね。

イエスさまが愛されたベタニヤの家族には、マルタがいたというのは大きなことで、彼女はもてなしの人物として知られています。ルカの福音書の10章をちょっと見てください。マルタとマリヤの記事が書いてありますので、38節から42節を交替に読んで行きましょう。

38さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
39彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
40ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
41主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

どこの教会にもマルタのような人物が必要です。一人でなく何十人というマルタが必要でしょうし、マルタの献身的な奉仕によって教会は支えられてきた。私たちは献堂記念の聖日を迎えていますが、その背後には沢山のマルタがいて、その奉仕の姿勢を見て、周りが刺激を受け励まされるのです。どの教会にもマルタは沢山います。女性だけとは限りません。男性もそうです。

私たちの教会の外回りの営繕を一手に引き受けておられる吉田兄ですが、あるいは昨年天に帰られました小林兄は、聖書の写本のみならず、皆さん覚えていらっしゃいますでしょう、一生懸命赤飯を炊いて、持って来られました。御自分の年金を殆ど赤飯に注ぎ込んで、彼の気持ちは一つでありまして、何かしたい。教会のために皆さんに喜んで頂けるなら何かしたい。朝4時半5時に起きてひたすら赤飯を炊く彼の姿。いつでも腕まくりをして、時間を惜しまずに、陰になって主を伝える。しかし教会というのは、奉仕団体ではない。(***慈善とか、社会に対して奉仕するという意味ででしょうか?)

マルタとともに、ここにはマリヤがいたと書いてある。そしてマリヤは同じくどうしても必要な存在で、マルタのように身体が動かなくても主の御前に静かに座り祈ると。ことさら小林兄を取り上げるわけではないですが、晩年教会のためにもう写本ができなくなったら、ひたすら教会のために祈る。お見舞いに行けば教会の皆さんのことを尋ねられる。

私たちの人生の局面で、ある時はマルタであり、またあるときはマリヤであるでしょうか。マルタとマリヤ、それはある意味で、私たちの中に同時に存在してなければいけないもので、よく言われます、マルタが動の信仰、マリヤが静の信仰。マルタはとにかく奉仕、活動、裏方作業、教会でも社会でも家庭にあっても、いろいろ段取りして動くタイプの人物で、マリヤはどちらかと言うと、静かに座って祈りに励まれる(タイプを言いますね。)

午後の時に教会の集会の様子を見て頂きたいと思いますが、やっぱり昨日圭子と一緒に見ながら、とても感慨深かったのです。藤井姉、長岡姉、そして横溝姉が座っている写真がありました。教会の一番前にやはり座っておられました。3人はいつも一番前の方に座っておられて、祈祷会伝道会に出席され、ひたすら祈っておられた。祈祷会が始まりますと、特にトップバッターは長岡姉、2番目は藤井姉、そしてこの二人のお祈りはとっても長かった(笑)。私は子どもながらにこのことをものすごく印象に覚えています。やがて、長岡姉が天に召されますと、相馬兄が祈りの筆頭に迎え入れられました。相馬兄はすべての祈祷会でまず最初にお祈りをしましょうというと、相馬兄が立って祈っておられたのを思い出します。

動に傾いても静に傾いても、不健全です。私たちの内側に両方が欲しいのですが、私たちは必ずどちらかに傾くものです。やっぱり皆さんもご自分を振り返って、自分はどちらかというと、マルタだと思われる方もいれば、自分はマリヤだと思われる方もいると思います。どんな家庭にも、どんな教会にも両方のタイプがいればこそ、バランスが取れる。同じ教会の中に両方のタイプがいるということはとても大切で、そしてここにはもう一人、ラザロがいます。ラザロがいったい何をしていたのか?

もう一回ヨハネの福音書の12章に戻って頂いて、このラザロが食卓の中に混じっていた(2節)とあります。ちょっと9節をいっしょに読んでみたいと思います。

9大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。

つまり、ラザロという人物は主の恵みを証ししている存在ですね。キリストの力をその身に直に体験し、人々にそれを証しした。彼の証しには説得力がありました。であるがゆえに、当時の宗教指導者は、キリストをにらむのであれば、ラザロもにらまなければならないと言って、10節を見てください。

10祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。

となりますね。最初申し上げましたように、描かれているのは、教会の人間模様でありまして、私たちはマルタであれば、信仰を持って仕えるべきです。時々仕え過ぎて、思わず不平不満が出てしまいますが、しかし、だとしたならば、少し仕える働きを少なくすればよい。じっと前に座っているマリヤを羨むことなく、もっと清々しい思いで自分の働きは素晴らしいと自覚しながら、裏方の仕事も、伝道の働きも、お掃除の仕事もみんな一様になさればいいのです。

忘れもしない、今は新居浜の教会の牧師をしておられます、板橋教会出身の津村先生という女性の方がいらっしゃいます。この方は40歳前半で献身なさいました。一度高津教会に伝道実習で来られた時に私たちに証しをなさったのですが、板橋教会で奉仕していた頃に一生懸命お手洗いの掃除をしていた。板橋教会には一つジンクスがあって――お手洗いの掃除をする人はやがて献身をする(笑)。自分は何とかしてそれを破ろうとしたけれども、やっぱり献身したと。私はとても尊いなぁと思いますね。

お手洗いの仕事ってやっぱりあまり好きではないですね。私たちの教会では役員さんが率先してお手洗いの掃除をするという、とても麗しい人もいますけれども、教会には、やっぱりそういう方が必要です。お掃除の仕事であっても、神さまの家族の中では聖書のみことばを取り次ぐのと同じように、賛美の奉仕をするのと同じように尊い。

イエスさまは先ずマルタを愛されました。でも私たちは同時にマリヤであるかもしれません。マリヤは主の膝下でみことばに耳を傾け、祈りに専念すべきです。マリヤは恐らく一番前の方に座っていたに違いない。そして一心に主のみことばに耳を傾けるという礼拝姿勢を後ろの方の人に見せたに違いない。

昨年の夏、日曜日一回休み(***牧師研修休暇)を皆さんから戴きまして、カトリックの礼拝に行ってきました。カトリックの英語の礼拝で、恐らく観光客の方もいろいろいらっしゃるのでしょう。週報のどこかに、書いてありましてね。「初めての方はなるべく前の方に座らない方がいいです」――あ、これはインターネットに書いてあるのでした。「初めての方は前の方に座らない方がいい」というのは、やっぱりカトリックですから、独特な所作がある、動きがあるのですね(笑)。それを何にも分からないで、前の方に座ってしまったら、人々の動きに合わせられないので、まぁ、やり方がよくわからなければ、真ん中の方に座ったらどうですか、というとっても親切なコメントがありました。

ということは、やっぱり前の方に座る方というのは、礼拝の姿勢でも一つの模範です。もちろん後ろの方に座っている方もそうなのかもしれませんが、ああ、ああいう風にして、聖書を開くのだ、ああいう風にして賛美を歌うのだ、あのタイミングで立ち上がって、そしてああいう風に静まるのだ。主は礼拝を何よりも尊ばれます。聖日は奉仕するよりも先ず礼拝を尊ばれるということを、マリヤは私たちに思い出させてくれます。私たちがラザロであるとしたならば、生き返され、主の恵みを証しすることを喜ぶべきですね。

私はある教会に行きましたときに、祈祷会に出させて頂いて、聖会の後だったものですから、盛んに聖会の恵みを証ししておられました。先生に「聖会が終わった後に、聖会の恵みを次から次に証しして素晴らしいですね」と言ったら、先生は「いや問題はあるんです。あの方々はいつも証しするんです」(とおっしゃる)。あぁ、なるほどなぁと(***どこでもあり得ることだと思い当たられたのでしょうか?)でも証しする人っていうのは、もう決まっていて、そして皆さんが「証ししましょう」と言ったら、その方々が率先して証しをするんだけれども、ある意味で、その方々が証しをするなり、他の方々は証しをしなくてよいと心に決めてしまうと(笑)。あぁなるほど、それも問題なんだろうなぁと(共感しました。)

私たちは今年、教会報であります「天の窓」を、今改善しようと思って、新しく委員に田中兄、今日(***礼拝前に)お願いしたんですけれども(大笑)、快く受け入れてくださいました(笑)。それからM姉が名乗り出てくださいました。2月いっぱい、何とかもう2人位、「天の窓」を創る方々を申し込み(募集)をしたいと思うのですが、今度は統一感のない「天の窓」を考えています。その人の個性によって、その人なりの「天の窓」をそれぞれ編集して――もちろん私の方で見て、私の方で印刷致しますが――でも少し個性豊かな「天の窓」がいろいろ出て来たらなぁという風に思っています。

その時皆さんの証しを出していただきたい。なぜなら人々はイエスさまを見に来ただけではない、ラザロを見に来た(9節)と書いてある。ラザロのうちに働いた主の恵みを見に来た。そしてイエスに反対する者はラザロに反対し、イエスを殺そうとする者はラザロを殺そうとした(10節)ということは、ラザロとイエスさまの働きは表裏一体であったということがよくわかります。

別にタイプはこれだけではないのです。この食卓にはペテロも座っていました。アンデレも、マタイも、ヨハネも、ヤコブも。別に一つのタイプに当てはまらなくても、もちろん理性的には私たち一人一人の中に、マルタ的な部分も、マリヤ的な部分も、ラザロ的な部分も(あります)。しかし一つ言えることがあるとすれば、それぞれが、つまりマルタも、マリヤも、ラザロも、ペテロも、ヤコブも、私たちの主の家族であったということです。イエスさまは皆を愛しておられ、主の食卓にそれぞれの席があった。

20年前にこの教会堂を増改築した時に、会堂を潰す必要はありませんでしたが、大規模な増改築でありました。土曜日の日に、もちろん大工さんも加わる訳ですけれども、私たちも手伝って教会堂を掃除するのですね。今振り返ってみると、状況から言うと転会されましたけれども、狛江からある姉妹が来ておられて、その姉妹は必ず掃除を手伝われた。私たちは土曜日の夜、夕方頃、大工仕事のカンナくず、その他を全部掃いて掃除しているのを、申し訳なく思いました。

声をかけて「遠い所から掃除に来て(くださって)申し訳ないですね」と言ったときに、姉妹は「こんなに楽しいとは思わなかった。今まで自分にとって、教会の居場所というのですかねぇ、でも私は教会のこの部分を掃除させていただくことによって、自分がこの教会員であるという新たな自覚に立つことができた」と(言われたことばを覚えています)。

私は、それが素晴らしい証しであっただけでなくして、それがひとことで言うと、イエス・キリストという方は、私たちひとりひとりに席を用意していてくださる(、ということを教えられました)。そして自分が座った席を恥じることはない。それは小さなお掃除の席かもしれない、賛美の席かもしれない。でも同じようにみな主は尊んで、席を用意してくださる。

今日の話のポイントは一つでありまして、皆自分の席を持っているのですが、

1)一人だけ自分の席を持っていない人物がいた。

ここを逃してはならない――ここ、そのベタニヤの家で、イエスさまを囲んでいる食卓で、一人だけ自分の場所を持っていな人物がいた。その人物は実際のところ、イエスさまと多くの時間を過ごし、イエスさまの側にいて、イエスさまのいらっしゃるところにいつもお供した人物でありました。そして彼はイエスさまのすぐ側に座っていました。しかし心は、イエスさまから遠いところにありました。それがユダです。

マリヤが非常に高価なナルドの香油三百グラムを取って、壺ごとそれを割ってイエスさまに注ぎます。3節からちょっと読んでいきます。

3マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
4ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

三百グラムのナルドの香油は他の福音書では二百デナリと書いてあります。ということは約二百万円。二百万円のものをよく貯めたなぁと思いますが、当時の習慣を考えますと、結婚に向けて女性はこういう風に貯金をしていたという、そういうデータもあります。部屋いっぱいに、いやそれどころではないでしょう。昔日本橋三越の一階にシャネルの5番の大びんがありました。私はある時、その大びんの前で立ち尽くしましたけれども。あまりにも大きくて、それは2メートルぐらいの瓶です。そして、大きなシャネルbTとラベルが書いてあって、下に¥2.000.000と書いてある(大笑)。それを見たときに、あっ、これがナルドの香油、二百万円だと(思いました)。

もちろん当時の感覚から言えば、ナルドの香油の壺は恐らく何百万しますでしょう。でも誰かが来て、シャネルの5番2百万円分を瓶ごとここで割ったら、私たちはもう使えないと思いますね、もう会堂は、ね(大笑)。あの匂いが抜けないでしょうね。どんなクリーニング屋さんを呼んでもダメです。

マリヤのなした行為というのは、ある意味で大きな犠牲ですけれども、常識的に考えれば無駄です。マルタが給仕していた料理の香りは、このナルドの香油一発でオジャンです。もう食事も匂いも判んなくなっちゃう(笑)。美味しいんだか、美味しくないんだか。そして異様な香りが、家中立ち込め、そして他の福音書を見ますと、イエスさまの頭の上で壺を割りますので、身体中にその香りが付いてしまいます。イエスさまは後に、「これはわたしの埋葬の準備だ」(7節)とおっしゃいますけれども。

イエスさまはその次の日に大祭司の官邸で裁判にかかりますが、そこで集まる70人の全議会の議員たちは、この人物が入ってくるのを見て異様に感じたのです――何だ、この匂いは? イエスさまの十字架の記事を見ますと、イエスさまの上着・下着を、ローマの兵士たちがくじ引きで取り分けますよね。取り分けながら、何だ、この匂いは?(笑)と皆、言っていたはずです。

イエスさまを十字架に裸で掛けた人物も、「誰がこの香油をこの人物に塗ったんだ。死んでからならまだ解るけど、生きている内に何でこんなことをするのか?」のような会話が延々とあったはずです。

そう考えますとね、ユダが言っていることは誠に正論です。「何も三百グラム全部捧げる必要はない。せいぜい十グラム、じゃ二百九十グラムを売って、貧しい人に施せばいい」と口では言うのですが、6節にイエスさまは彼の心を見抜いておられます。(***6節はヨハネの記述で、7節でマリヤの好きにさせるように言われ、8節ではマリヤを支持する理由もおっしゃっています。)

6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れをいつも預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

これが美し〜い話の原点に登場する醜〜い人間の姿です。主が座っておられる晩餐の席での人間模様、そこにはマルタのように奉仕をする人がいて、マリヤのように礼拝する人がいて、ラザロのように主の証しをする人がいて、しかしそこにはユダがいる。受けるばかりで与えることをしない者もいる。ユダの心は主からすでに離れていました。言うことはまともなことです。一生懸命なマリヤを傷つけたときに、ユダの心は完全に主から離れていきます。そしてユダは主の恵みの食卓にふさわしくない人物へと一気に変わっていきます。

私たちがいつも考えなければいけないのは、このユダが私の心に住んでいないかとか、神の近くに座り、一生懸命奉仕し、礼拝し、証しし、しかし心の中で、神から遠く離れ、周りの者のしていることにケチをつけるユダが、自分の心の中に住んでいないだろうか?いかなる形でも潜んでいないだろうか?私たちはこのユダ的な面に警戒しなければいけないのです。

高津教会は特殊な教会です。特に原点は特殊です。勝間田 忠(かつまた ちゅう)という人物が、日本橋で木工所を営んでいました。日本橋で信仰を持ち、やがて空襲を逃れて木工所を日本橋から、この多摩川の畔の高津、すぐそこに移します。とっても信仰熱心な家族で、日本橋から蔦田二雄先生、――まだインマヌエルができる前で、日本基督教団の牧師でいらっしゃいましたが――蔦田先生を招いて、家庭集会を致しました。それが高津教会の原点で、今の折井兄のお家のすぐそば。

戦後の木材のない時期でありましたから、ある意味で木工所は繁盛致しました。勝間田先生は沢山の講壇を作りました。今でもインマヌエルの色んな教会で使われています。神学校の本館のチャペルの講壇も勝間田先生の手によります。一級品の講壇です。やがて彼はこの地に教会を建てることを決意します。以前息子さんで、後に高津教会の中心的な存在となりました勝間田保生兄が証ししておられました。ある朝お父さんが書斎から聖書を抱えて出て来た。書斎と言っても屋根裏部屋のような秘かな奥まった部屋。その様子からすると、一晩祈っていたように感じた。そして朝、家族全員を集めて、「これから教会を建てる」と、その信仰の決意を語られた。奥さんがいて、お子さんがいて、皆さん愕然とされます――教会を建てる、1947年ですよ。

そうして建ったのが、今の週報の内側に印刷してあります立派な教会堂です。1947年に。(***1957年生まれの藤本先生ですが、その写真は1976年と刻まれ、「旧会堂にて最後の礼拝」の横断幕が写っています)。私は覚えています、その塔の部分がありまして、当時二階建てというのは一つもありませんでした。私が子どもの頃、1960年代で、多摩川の花火がきれいに見える頃、全部平屋の中、この教会は立派な塔、そして畳にして全部で約100帖ぐらい。1947年、戦後間もない時期に、これだけの教会がここに建つとしたら、どれほど立派にここに輝いていたことでありましょう。

やがて勝間田忠先生は献身して牧師になります。そして大宮の教会を建てます。この卓越した人物に、高津教会の原点があります。そこから30年を経過した1977年、高津教会は手狭になった古い教会堂を取り壊して、新しい教会堂を建てます。それが週報のおもてにあります、建築途中の1976年(の会堂の写真)。そして翌年の1977年の2月1日に献堂式を行いました。私が大学2年生の時です。

その年以来、2月の第2日曜日を高津教会の献堂記念聖日としています。なぜか?それは教会員の信仰と犠牲、奉仕と主に対する愛が結集した記念(だからです)。
かつての教会堂も素晴らしい。でもそれは勝間田忠先生お一人の、独立の信仰と犠牲によって建てられた教会で、教会員はまだいない。でも勝間田家の家族の方だけを中心として、「まず最初に教会ありき」と建ちました。

しかしその後の教会は、皆苦労の中から、あるいは必要多き中から、お捧げ、祈り、一つとなって、つまり、多くのマルタ、多くのマリヤ、多くのラザロが結集して出来た教会が、2回目に献堂した1977年の教会でありました。さらに時を経て、1992年、週報に書いてありますけれども、2階のギャラリー、母子室もできました。2階のグレースルームもできました。ロビーも新しくしました。印刷室も作りました。トイレも大きく広げました。教会堂そのものも、床暖房も入れ、空調を整えて、全く新しい教会として生まれ変わって今がある。

その素晴らしい恵みの世界にあって、自己中心なユダ的な心が入ってまいりますと、その新しい恵みの世界は一遍に飛んでいきます。ですから私は、私も含めて、献堂記念の聖日には一つの祈りを捧げます――「ユダ的な心をきよめてください。」

ユダ的な心は、実はマルタの中にも入ります――奉仕をしながら不平を言う。マリヤの中にも入ります――自分だけがこんなことさせられてと。ラザロの中にも入ります――いつしか主から受けた恵みが、自分の勲章のようになって、証しが自己中心になっていったら、ラザロの心にユダが入ったと思えばいいのです。

ベタニヤの家にも、この村にも、この教会にも、いろんなことがあります。失敗や欠けが無限大にあります。そして、その人間模様は、神さまが笑っておられるぐらい、さまざまなトンチンカンやちぐはぐさが、私たちの中に生まれます。
でもユダのような冷たいことばを言っておいて、主よ、温かな恵みと交わりのうちに、私たちを、マルタにし、マリヤにし、ラザロにし、しかし不平を言いケチをつけるような、ユダにはしないでください。それによって守られる教会でありますように。
そしてもっと多くのラザロが、もっと多くのマルタが、マリヤがこの教会に送られてくるように、生まれるようにともに考え、お祈り致します。

☆お祈り

人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロはイエスとともに食卓に着いている人々に混じっていた。
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。
(ヨハネ12:2〜3前半)

恵み深い天の父なる神さま、自分が高津教会のために何をして来たのか、沢山の出来事を思っている方もいれば、今日初めていらっしゃった方もいらっしゃるでしょう。しかし、ツバメさえもその住みかを見つける(詩篇84:3)高津教会に、イエスさま、あなたは私たちの席を用意していてくださいます。

もしかしたら、私たちの出番はまだ来ていないのかもしれませんし、あるいは、すでに陰ながらこの教会のために祈っている方もおられるでしょう。ここに今日座っておられるお一人お一人が、イエス・キリストから招かれた、私たちの教会家族です。どうか私たち一人一人の内から自己中心な思いをぬぐい去ってくださり、小さな奉仕を尊び、下部の方々を尊び、表に出ておられる方々はますます遜って、麗しいベタニヤの家族のように、あなたをともに礼拝することができるように助けてください。

そのようにして多くの犠牲を払いながら、今は年老いて高津教会から離れておられる方々もおられます。どの施設にあっても、どのような境遇にあっても、あるいは病床にあっても、同じ恵みをもって届いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。



掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2012.02.14 - 11:18
LAST UPDATE: 2012.02.16 - 00:58

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

Name   E-Mail   Password

 前文 2/19 神の人モーセ(12)主が前を進...
 次文 2/5 神の人モーセ(11) 信仰生涯の...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
346Simple view *^^*4/29神の人モーセ(18)主の御座の上... T・Y 2012.05.01 3720
345Simple view *^^*4/22神の人モーセ(17)マサとメリバ [1] T・Y 2012.04.24 4925
344Simple view *^^*4/15神の人モーセ(16)マナ  [15] T・Y 2012.04.17 4738
343Simple view *^^*4/8イースター説教「主はあなたの近くに... [1] T・Y 2012.04.09 1938
342CCF20120408_00000.jpg [1.7 MB] ダウンロードSimple view *^^*4/22午後は教会コンサートです [2] T・Y 2012.04.09 5450
341Simple view *^^*みことばとともに歩む受難週 T・Y 2012.04.02 3768
340Simple view *^^*3/18神の人モーセ(15)マラからエリ... T・Y 2012.03.20 3777
339Simple view *^^*3/4神の人モーセ(14)前進せよ T・Y 2012.03.05 4939
338Simple view *^^*2/26神の人モーセ(13)海の中を歩い... [2] T・Y 2012.02.28 4569
337Simple view *^^*2/19 神の人モーセ(12)主が前を進... [1] T・Y 2012.02.21 4898
336現在参照中の文章です...2/12 献堂記念聖日:主の御前の人間模... T・Y 2012.02.14 4821
335Simple view *^^*2/5 神の人モーセ(11) 信仰生涯の... [2] T・Y 2012.02.06 4679
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*