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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/19 神の人モーセ(12)主が前を進まれる
2/19 神の人モーセ(12)主が前を進まれる

☆聖書個所       出エジプト13:17〜14:4
17さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」
18それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。
19モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ず、あなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない。」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。
20こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。
21主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
22昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。
1主はモーセに告げて仰せられた。
2「イスラエル人に引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。
3パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。
4わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。

☆説教    神の人モーセ(12)主が前を進まれる
神の人モーセ、前回の11回目は、過ぎ越しの祭りと十字架を学びました。今回はとうとう、その10回目のわざわいがエジプトに及び、エジプトの王はイスラエルの人々を行かせるという所から見て頂きました。それが17節ですね。(17と18を読まれる)

17さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」
18それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。

というところから、14章の4節まで見てまいります。
私は旅行がとっても苦手です。旅行そのものは良いのですが、移動がものすごく私にとっては苦痛なのです。どうしてだろうと考え、いつも考えます。
一つの理由は、完全に出不精で、日常生活のペースを乱されるのがとっても嫌なものですから、外に出かけることが好きではない。
でも、恐らくもっと深い意味があって、過去の嫌な経験が自分の内側に積み重なっているのではないかなぁと思うのです。

その過去の嫌な経験というのは、恐らく皆さんも味わったことがあると思うのですが、特に遠方に旅する時に、3日位前からリストを作って旅支度を整えます。昔、2週間ぐらい前にハッと気が付いたら、もうすぐパスポートが切れる寸前で、あわててその日に横浜パスポートセンターに行って、申請したのを覚えていますが、そういうチェックすることって沢山ありますでしょう。

そして当日になりますと、空港までの渋滞を考えながら、ずいぶん早めに家を出ますよね。そして最後の最後までパスポートは持ったのか、チケットはあるのか、忘れ物はないかとチェックをし、「行ってきます」と別れを告げて、万全の準備で出発しますでしょう。
Sさんもそうだし、来月になりますとMさん家族がロンドンに、ケンブリッジの方に研究で一年間いらっしゃることになりましたが、もう準備しなければならないことは沢山ある。

しかも、重いスーツケースを、もし電車で行きますと、乗り換えの間必死になって持ち歩いて、ようやく空港に着いてカウンターに並んで、(ああよかった。これで大丈夫だ。もうここまで来たら……)と、あちらの女性にチケットを渡します。

そこで、私たちは言われたことがあります。父が名誉博士号をもらいにミシシッピーの神学校に行ったことがありまして、向こうの航空会社の方が、
「お客様、申し訳ないのですけれども、このロサンジェルス行きのフライトはキャンセルになりました」と言われました。(笑)
頼むから、この便はキャンセルになりましたなどと言うなよ!(と泣きたい気分ですね?T・Y)それで向こう側は、
「2時間後のシアトル行きを出しますので、そこで乗り換えて行ってください」と言われて、私たち親子は、一緒に空港のカフェでコーヒーを飲みながら、
「なんだか大丈夫かなあ」(笑)と二人とも言葉少なげでした。

シアトルについて、デンバー行きの飛行機をゲートで待っているのですが、待てど暮らせど、その飛行機がやって来ません。大雨で来るはずの飛行機が向こうから飛ばないのですね。私たちは夜遅くデンバーに着きましたが、デンバーでまた乗り換える人たちは、そこで足止めを食らいます。
思い出します。父が、「おい、アメリカの飛行機って、こんな感じなのか?」(笑)「うん、こんな感じだと思う」(笑)と言った会話を覚えています。

私は、もちろんうまくいった体験も沢山ありますけれども、うまくいかなかった体験を(たとえば、荷物だけ別のところに行ってしまった、飛行機が遅れて乗り継ぎが間に合わなかったなど)沢山心の中に貯め込んでいまして、それが飛行機に乗ると考えただけで、ストレスを感じる。

なぜなら、私たち日本人の頭の中には、一つの前提があるからです。その前提というのは、自分はすべてのことを正しく整えた、全力を尽くした、全部予定通りに運んできた、だったら順調にいくはずだという前提が、私たち皆日本人の頭にあるんですね。
ところがそうはいかないのですよ。そうはいかないということを前提に動いておられるインドの方々(大笑)、こういう方々と一緒にいるだけで、イライラ、イライラしますよね。待てど暮らせど電車は来ない。「どうする?」って聞いたら、「そんなの普通だよ」(笑)と答えるこの人たち、どうやって生きているのだろうと(思いますね)。そういう意味で、旅は人生を象徴しているのです。

イスラエルの人々は準備しました。モーセから、さぁ、出かけるぞ、出かけるぞ、出かけるぞ、と何度も言われている訳ですから、ちょっと12章の37節を見て頂きたいと思いますが、ここにこう書いてあります。

12:37〜38イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。

男子が六十万人ということは、女性や子どもを入れると、百三十万人ぐらいでしょうか。難民のようですね。難民がありとあらゆる家財道具、持てるだけ持ちながら、もう道を埋めるかのように、川のごとくに流れて行く訳です。荷物はいつの間にか膨れ上がりましたが、彼らにしてみれば、準備万端で出発しました。そうして、出エジプトが始まるのですが、今日のお話の一番目は、

1)旅路は障害物だらけ

彼らがラメセスから、まっすぐに東に行かずにスコテに南下したということは、アラビア半島の方面を行くことになります。もう一度13章の17節を見て頂きますと、

13:17神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」

まっすぐ東に行けばこれは近道になります。そしてペリシテ人の国の方に向かうのです。
ところが、準備万端で出発した彼らに、神さまはまず回り道を命じられました。東にまっすぐに行けば、平地を行くことになり、子どもたちも女性も、家畜も、こちらのルートがはるかに楽です。

しかしスコテに下るということは、旅路の最初から、すでに予期せぬ回り道であり、しかも荒野の道を行くことになる。人間の目から見れば、明らかに損な、無駄なルートを神さまは示され、遠回りな、険しい道へと導かれました。
            
そこには、神さまの配慮があったということは、17節に示しています。――もし、ペリシテの国に行ったら、民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返す――400年エジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの人々に、戦う術はありません。難民のように途方もなく旅している群れに戦いはできません。ペリシテの国に入ったら、一網打尽に滅ぼされてしまいます。ましてやペリシテは、戦闘民族です。神さまは、最も負担のない道を行けと、彼らの力に合った道を行かせられます

でもモーセ以外は、神さまの配慮もろくろく知らずに、不平を言います。
「どうして最初から、こんな無駄なことをするんだ。」
私たちの予想と異なる次元で、私たちの人生は動いていくのです。

さらに次なる問題が出てきます。14章の2節を見てください。

14:2「イスラエル人に引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。

スコテに行ったイスラエル人に、引き返すように言えと、神さまは、南下させていた彼らを北へと移動させます。一旦南下しておいて、同じ道を北上して行くというのは、まるで行く道を迷っているかのようです。実はこれが、神さまの作戦であったというのが、3節に書いてあります。
   
3パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。

そのようにして、ファラオの心をかたくなにし、イスラエルの人々を追わせ、そしてエジプトの人々に裁きを下し、神の栄光を現わすというご自身の計画があったのです。

でも人々はわからない。最初は回り道、今度は南下して北上させられ、(まるで道に迷ったように)、いったい神さまは何を考えておられるのだろう――これは私たちがいつもよく口にする言葉です。

モーセという人物が偉大とすれば、どういう所であったのか。彼の指導者としての資質もあったでしょう。彼の学問・教養・能力もあったでしょう。でもモーセが偉大であったのは、そういう意味ではない。
彼は神さまと語り、彼は私たち普通の人間が知らない次元で、神さまの視点で状況を見ることができた。
私たちの心の中では、民の心の中では、どうして神さまはこういうことを命じられるのだろう、こういう道へと私たちを導かれるのだろうと、その疑問でいっぱいなのです。でもモーセはその理由を知っていたという所が、モーセの偉大な所です。

さて、話を元に戻しますと、私たちの人生で、その旅路には障害がある。時にそうした障害は、神さまの配慮から来る場合が多いのですが、私たちにはその理由も分からずに、いきなり出発した時点で「飛行機は跳びません」と言われるようなものです。(――これが一番目のポイント)

2)しかし、回り道をしていると思う民も、迷っていると思う民も、そして私たちも前進します。
彼らはエジプトには帰りません。前進し続ける。なぜでしょうか。ちょっと(13章の)20節から読みましょう。20節を私が読みますので、皆さんが21節を読んでください。

13:20〜21こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

なぜ戻らないのか?回り道をさせられ、そして南下したのに、迷っているかのように、北上させられ、130万の民はさざまな不満に満ちていたにもかかわらず、なぜ彼らは戻ろうとしないのか、前進し続けるのか?それは、21節にありますように、自分たちの前に、雲の柱、火の柱があるから。

もし、民が退却してエジプトに帰ろうという思いにかられたとき、彼らは前方を見れば、そこには、昼も夜も、はっきりと見届けられるように、「雲の柱」「火の柱」がそこにありました。天からのしるしです。そして、そのしるしの中に神さまはおられる。

今日はSさんと(結婚なさった)折井姉がおられますが、結婚をしたいと導かれていると話を受けまして、私は折井姉にドレスとか着たらいいじゃない。難しくないよ。大体、大山街道沿いにドレスのレンタルショップが2件あると(笑)。みんなで集まったらいいじゃない。でも、折井家だけが集まって、スペインと日本と両家が揃うのはむずかしい。そうしてやり取りをしている内に、姉妹が望まれたのは、一つのことだけ――神さまの祝福とみことばをください。私はすぐに聖書を見て考えて、圭子に「何をしているの?」と言われると「いや、みことばをくださいと言われたから、聖書をめくっている」と。(笑)

「みことばをください」というのは、紛れもなく出エジプトの信仰です。
どんなに準備を万端整えても、万全を期しても、最初から回り道、迷い道なのです。
私たち(高津教会)は、もうすぐTくんが筑波大学に進んで行く。Mさんもケンブリッジに引っ越されて生活が始まる。「M君、君だけ行って、家族を置いて行けば」(笑)と言うのですが……、でも幼い時にイギリスで過ごせると言ったら、こんな特権ないです。 
どんなに準備を万端に整えても、「申し訳ありません。飛行機はキャンセルされました」という時が来るのです。どんなにこちらが万全を期しても、「飛行機は3時間遅れます。従って、乗り継ぎはうまくいきません」と、こういう展開がやって来るのです、人生には。

ですから出エジプト記は、22節で念を押すように言われています。
  
22昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

離れない――神さまの臨在は目に見える形であなたのそばにあり、神さまの臨在は、どんな状況でも、私たちが荒野を旅している間、いつも、このしるしが伴います。そのしるしの中に、神さまはご自分を置かれました。それは単に、私たちを導き、私たちを守るためではない。
 
この雲の柱の中に、この火の柱の中に、主ご自身がいてくださるという約束です。これから先の人生、あなたはエジプトを出て、約束の地に行くという歩みの中で、「みことばをください」と言うのは、「雲の柱を私に下さい。火の柱を私にください。そして、私がどこへ行っても、どういう人生の局面にあっても、あなたがともにいてくださる――たとえ飛行機が3時間遅れても、たとえ飛行機が飛ばなかったとしても、たとえ病で病院にいても、雲の柱、火の柱は、私を離れない――という約束をください」(と言うのと同じです)。

3)もう一つ、人生の荒野の旅路で大切なことがあります。

それは、神さまの視点に立っているモーセにとっても大切でした。21節にこうありますね。ここから今日の説教題を取りました。

21主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

「主は……彼らの前を進まれた」――この意味を知るために、いくつかの聖句を見てみましょう。出エジプト記から同じく23章のいくつかの節を見ます。ちょっと私の方で読んで行きます。

23わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをエモリ人、ヘテ人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導き行くとき、――→『わたしの使いが、あなたの前を行く』

27わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこにはいっていく民のすべてをかき乱し、――→『わたしは、わたしへの(神に対する)恐れをあなたの先に遣わす』

28わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。――→『先に遣わす』

また出エジプト記の32章の34節を見てください。

34今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け、見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。――→神さまは『先を行く』のです。

これがものすごく印象的に記されている聖書の個所をご一緒に読みたいと思います。イザヤ書の52章12節からご一緒に。

イザヤ52:12あなたがたは、あわてて出なくてもよい。
逃げるようにして去らなくてもよい。
       主があなたの前に進み、
       イスラエルの神が、
       あなたがたのしんがりとなられるからだ。

これは人生の聖句として覚えておいてほしいと思います。
「あなたがたは、あわてて出なくてもよい」――これは3行目に繋がります――「神さまが、あなたがたの前に進む」からですね。
「逃げるようにして去らなくてもよい」――これは4行目と5行目に繋がります――「イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるから」ですね。
あわてて出るな、なぜなら、神さまはあなたの先に行くから。遅れたから焦るな、なぜなら、神さまがあなたの後ろにおられるから。

私たちの傾向性を見事に表現しています。私たちは、遅れまい遅れまいと先手を打ちます。そして先手を打っている内に、いつの間にか神さまの前を行く。モーセは出エジプトの一番最初の段階で、神さまから厳しく言われた――絶対に雲の柱を追い越すなよ。火の柱の先を行くな。

皆さんの性格によって違うと思うのですが、私はどちらかというと、雲の柱の先を行く(方です。笑)雲の柱の向こう側が見たいという気もありますし、何でも先に行っておいた方が得だろうと言う前提から、あらゆることに先手先手で考えます。ましてインターネットが普及しますと、先ず調べる。先ずお祈りせずに、先ず調べるということを考えてしまいます。

雲の柱の前に出るな。なぜなら、神さまはあなたの先を行くという前提で私たちは動かなければいけない。神さまは単に導いてくださるだけでなく、神さまはあなたの先を行って、先に準備していてくださる。KちゃんとHちゃんがイギリスに行くなら、神さまは先に行って必要なことを整えていてくださる。

もう一つあるとすれば、遅れたからと言って、絶望してはいけない。遅れを取ったと言って、焦ってはいけない。なぜなら、あなたの後ろに神さまはおられる。遅れたということでパニクるな。わたしがあなたの後ろにいるではないか。

こればかりは、さすがのモーセにもわからないことではないかと私は思います。さすがのモーセもこのことだけは、きちっとこの段階で学んでおかないと、100万を超える民を率いて荒野を旅することは到底できない。モーセは自分が先頭に立って、どうしたら一番後ろまでカバーできるか、到底できない。彼はどこか、神さまに委ねることを覚えた。自分たちの一行の前に神さまはおられる。そして神さまはそのしんがりとなっておられる。神さまは守っておられる。だから私たちは、パニックにならない。

さまざまな恵みで移動が多いこの3月4月でありますけれども、主は私たちの前を進んで行かれると言うのは、単に導いて道を示してくださるということだけではない。遣いを先に出して行く。そして(私たちが遅れてもしんがりとなって)あなたを守っていてくださることを、心に留めていただきたいと思います。

☆お祈り

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。(出エジプト13:21〜22)

恵み深い天の父なる神さま、新しい人生の門出、あるいは曲がり角を迎える方々が沢山、私たちの家族に(おられますが)、どうか火の柱、雲の柱が私から離れることがありませんように。その中にあなたのおられるということを実感することができますように。ましてや、あなたの前を行こうと思いませんように。ましてや遅れたからと言って、軽く退却しませんように。

なぜなら、あなたがこの旅路を導きだしてくださる、あなたがこの旅路を終えるまでともにいてくださる、あなたが私たちの神だからです。その信仰を私たちのたましいに、人生の底にしっかりと叩き込んでください。前に進んで行くことができますように導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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