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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   2/26神の人モーセ(13)海の中を歩いた者たち
2/26神の人モーセ(13)海の中を歩いた者たち

☆聖書個所            出エジプト記14:1〜14

1主はモーセに告げて仰せられた。
2「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。
3パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。
4わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。
5民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」
6そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、
7えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。
8主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかし、イスラエル人は臆することなく出て行った。
9それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。
10パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。 
11そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。
12私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことは、かまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」
13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

☆始めのお祈り

私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに贖いだしてくださる。
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。
(この日の交読詩篇55篇より16節〜18節前半と22節前半)

恵み深い天の父なる神さま、夕、朝、昼、一日中私たちはことばにならない祈りがあります。自分のため息を、自分の頭の痛いさまざまな問題を、あなたの御前に何がしか繋がっていますが、そのときあなたはことばにならない嘆きを聞いてくださる。だから、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」(22節)イエスさま、どうか私のことを心配してください。

年度替わりであります。また将来のことで、さまざまな心配を持っている私のことを心配してください。時に私たちは、自分のことを心配しているのは自分だけだと、悩みの中に閉じこもってしまいますが、しかしあなたは、私のすぐそばにあって、私を導き、私を守り、私を心配してくださる。私の家族のことを心配してくださり、私の健康のことを心配してくださり、この教会のことを心配してくださり、そしてすべてを益に変えてくださる。

年度替わりで新しい道へと旅立って行かれる方、また友人と別れを告げる方、中には今日のこの日、国立大学の入試で苦労しておられる方もいらっしゃいますが、すべてを超えて、あなたは私たちを導き、約束の地へと連れて行ってくださることを今学んでいます。重荷を日々ゆだねることを私たちが体得することができますように。そしてあなたのおられることを実感していくことができますように、私たちの信仰を鍛えてください。

まだ寒い日が続いていますが、さまざまなインフルエンザやあるいはご高齢の方々を襲う風邪や、一切のことから守ってくださり、小さな子どもからご高齢の方に至るまで、共に健康で春を迎えることができますように、よろしくお願いいたします。

卒業を控えておられる小島兄や、また控えながらも、病院にいらっしゃる小林兄の上にあなたが届いてくださり、しっかりとリハビリして元気に退院することができますように、よろしくお願いいたします。

しばらくみことばに耳を傾けますが、私たちを助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆説教      神の人モーセ(13)海の中を歩いた者たち

新約聖書すべての中で一番大切なところはどこかと言われれば、やっぱり福音書の十字架と復活の記事だろうと思います。もちろん、好きなみことばはたくさんありますし、物語も沢山ありますが、どこが一番大切かと言われれば、イエス・キリストの十字架と復活であります。

旧約聖書でどこが一番のポイントかと言われれば、紛れもなくこの出エジプト記の14章、ですから今回と来週2回連続して出エジプト記14章から学びます。あまり余計な話は致しません。じっくりと聖書をご覧いただいて、あぁなるほどこういう風に描かれているのだという所を見ていただきたいと思いますので、出エジプト記の14章をお開きください。

ずっと学んでまいりました。10番目の災いの恐ろしさによって、あれほどかたくなであったエジプトの王が、ようやくモーセの要求に応えて、奴隷であったイスラエルの民を行かせることになった。最初から回り道であったということを先週学びました。最初から南下しておいて北上するという、あたかも迷った道のりを行かせられたという話をしました。でもそういう中でも、民もモーセも、昼は雲の柱、夜は火の柱を見上げて、その中におられる神さまを信じて旅をしていった。それが私たちの人生でもあるという話を致しました。

ラメセスからスコテへ南下して、再び、バアル・ツェフォンへと北上するというのは、神さまの指示でした。今日はそこから話をしていきたいと思います。一旦南下して、もう一度何百キロという道のりを北上せよと言うのは、あたかも迷っているような状況で、それはエジプト軍をおびき出すためでありました。14章の6節を見てください。迷っていると判断したパロは、急いで戦車を整えます。

14:6〜8そこで、パロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。

こういう風に書いてあります。全軍勢をもって、この迷っているかのようなイスラエルの人々を、エジプトは追跡しています。9節をご覧いただきますと、

9それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。

まさに袋のネズミです。イスラエルの民は行き場を失います。前には、紅海が立ちはだかり、後ろからはエジプトの軍勢が戦車が砂煙を上げて迫ってきます。
そして、ここ出エジプト14章に旧約聖書における最も偉大な神の救いが記されているのです。

最も偉大な神の救いというのは、それが出来事としてのスケールもあります。皆さんが(よくご存じの)「十戒」という、昔まだCGが発達していない時代に、チャールトン・ヘストンがモーセを演じた映画がありますね。 紅海が二つに割れて、壁のようにそそり立ち、真ん中に乾いた道ができて、モーセが杖を上げているその写真がDVDのジャケットになっています。百万以上の民がそこを渡って行くのです。今の時代のCGを使えば、どれほど大きなスペクタクルを担うことができるでしょうか?
  
しかし最大の出来事と言っているのは、それだけでない。この14章に描かれている民が追い込まれた窮地、そしてモーセが示す解決、そこに現わされた神の救いは、実は私たちの人生そのものなのです。神の救いそのものを象徴しているから、これが最も偉大な出来事だと言うこともできると思います。

三つのポイントで簡単に見てみたいと思います。

1)まずは、うろたえる民です。
 
イスラエルの民は、意気揚々と出発しました。

8節(後半) しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。

彼らの神を恐れたエジプト人は、彼らに要求されるままに金銀を彼らに渡して、つまりお土産つきで、金銀財宝を手にして、イスラエル人はエジプトを後にします。まさに、自信にあふれて、堂々と胸を張って、旅を始めました。

ところが、追跡が始まるとどうでしょうか。聖書は、押し迫る危機を確認するかのように記しています。9節、10節をもう一回見ていただきたい。

9節の最後、敵の手はピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに「追いついた」とあります。10節の始めには、「パロは近づいていた」とあり、そして「イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか」――描き方は「追いついた」「近づいていた」「迫っている」と、どんどん距離感が縮まり、あとから追われている恐怖を彼らは感じました。

先週見ましたが、覚えておきたいのですが、今、この民は昼は雲の柱に導かれ、夜は火の柱に導かれ、神さまの臨在は彼らから離れてはいないのです。神さまの守りと導きは、目に見える形で、彼らの前にあります。
それでも、前には大海原、後ろからはエジプトの軍勢が迫ってくる中で、彼らは完全に恐れに飲まれてしまいました。
途端に彼らは、また私たちは、余裕を失います。そして口走ることばが、11節です。

11そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。」

と、モーセに食って掛かる。あれほど意気揚々と出て来た彼らが、荒野で私たちを死なせるつもりか、エジプトにも墓はあったではないか、私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだと、とんでもないことを言い始める。臆することなく始めた人生のステップに不安を感じて、なんとこんなことを言い始めるのです。

私は皆さんの祈りに支えられまして、(***教団の代表に選出されましたので、)先週礼拝の前に、運営委員会を終えて今度の年会で移動する先生方に電話を入れました。私が抱えている重荷というのは、ものすごく小さなものです。皆さんがこの世界で仕事に就いても、あるいは家族の中で重い気持ちになっても、小林君のように、卒業を目の前にして心筋梗塞を起こして、そしてこれから教会を牧会し、子どもたちを奥さんを養いという小林くんが味わっているストレス、重荷の方がはるかに大きいです。しかし、重荷・ストレスというのはそれぞれあります。

私は転任される先生方に電話をして、皆さん受けてくださり良かったなと、自分でも最初の仕事を済ませて、そして3月に開かれる年会の準備をしながら、昨晩、今朝方ですね、夢を見て、いつのまにか、矢木先生と田中進先生に「先生を解任する」と言っているのです(大笑)。どういう夢なのだろうか(笑)。「解任するって、勝手に決めるわけにいかないんじゃないの」って、正論で一生懸命答弁している夢を見た。

人は不思議ですね。つまり、時に私たちは訳のわからない夢を見ます。どうしてこんな夢を見るんだろうと。時に、自分ではやっていけるなと思っていながら、自分の心の姿では、やっていけないと自覚している自分がいるのですね。それが夢の中に現われるというのは、私は思わず思いましたよ。あぁ、自分は素直だな、と(大笑)。素直にその通りの夢を見ているじゃないかと。私たちは皆、同じようなストレスを抱えているのだなと。それで、時に、そんなことストレスになっていないんじゃないの(と思いたいのですが)――いやいや、それは立派なストレスになる。

出て行く時には、エジプトの人から金銀財宝をもらって、もう意気揚々と。ファラオでさえ、もうあなたがたの顔を二度と見たくないと言って、そして出て行く訳ですよ。それは私たちの人生であり、もちろん最初は回り道させられ、迷い道させられ、でもどこにあっても、神さまの雲の柱、火の柱は導きです。信じて出て行ってみるのです。でもいざ敵が後ろから迫って来て、危機感を感じた途端に、彼らはうろたえる。都合の悪いことが起こると、それを全部人のせいにする。

私は、ある意味、これが彼らが長い間エジプトで奴隷生活をしていた本当の姿なのかもしれないと思った。奴隷は、命じられたことをするだけの存在です。奴隷は自由がありませんが、同時に責任もありません。主体的に決めて、その責任を自分で取ることもありません。モーセが行こうと言ったから彼らはついて行ったのでしょう。そして、  大喜びでついて行きますけれども、都合の悪いことが起こると、それを全部、モーセのせいにしてしまいます。
  
一旦調子を崩すと、モーセに対する信頼など消えてなくなります。そして自分の目の前にある、雲の柱も火の柱も、見えなくなってしまいます。単純に民は恐れによってうろたえたというだけではない。これから先にも何度も、こうした問題がモーセを悩ませますが、民はそして私たちは、自由な自立した大人として、なかなか生きることができていない。

モーセはある時、「民みなが預言者となったらいいのに」と言います(***民数記11:29)。それはみんなの不平不満が自分に集中するときに、こんな様だったら、皆が預言者となって、直接神に仕えたら良いではないかと。問題はどこまで行っても、民は民のまま。つまり、どこまで行っても、自分の足で歩こうとしない。判断をモーセに仰ぎ、問題があったらモーセのところに持って来る。自分たちの責任において、自分たちで解決しようという姿勢が、民の中に出来上がっていない。あぁ、なるほど彼らは依然として奴隷根性のままだった。

2)堅く立って
 
モーセはその民にこう言います。14章の13〜14節をご一緒に読みたいと思います。

13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

ここに大切なことが二つ記されていると思います。

a)しっかり立ちなさい。

うろたえて、信頼と信仰を失い、方向を見失い、言ってはいけないようなことさえ口走る中で、モーセは彼らに言いました。「しっかり立ちなさい」――自分たちが行こうとしている方向を見失ってはいけない。あなたがたは奴隷ではない。神はすでにあなたがたを解放された。ですから、自分の足で堅く立ち、踏ん張れ。人のせいにするな。恐れずに踏ん張れ。

b)主の救いを見なさい。

踏ん張って、自分の力で何とかしなさいと言っているのではない。主が戦ってくださる。主があなたのために救いをもたらしてくださる。だから、踏ん張って、主の救いを見なさい。

「主の救いを見なさい」とは、私たちにはいかようにも言い替えられます。うろたえずに、しっかりと踏ん張って、祈りなさい。うろたえずに、しっかりと踏ん張って、賛美しなさい。うろたえずに、しっかりと踏ん張って、みことばを握りなさい。しっかりと踏ん張って、礼拝しなさい。

これから先(***お忙しい藤本先生の代わりに)、古川先生が講壇に立った時に、先生が証ししてくださるのですが、ごめんなさい、先に(お話します)。先生は先日あることに迷っておられた。先生は迷っておられて、ある方に電話をされた。それをとても鋭く神さまに示された。「あなたはなぜ人に電話する前に、先ずわたしに祈らなかったのか?」と示されたと、この前圭子と一緒の時に語られました。なるほどなぁと思いました。

私たちは、慌てる時に、先ず情報を得るために人に電話したりします。でも先生が分かったことは、後に神さまに示されて、まず神さまに祈らなかった自分を悔い改め、祈った時に全然違ったことを示してくださったということ。なるほど神さまは全然違うことを示してくださるのだ。

私たちが慌てる時に、慌てていろんなものをつかみます。「恐れないでしっかり立ちなさい。そして、今日、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」というのは、私たちが苦境に立たされ、困難の中であればある程、「先ず踏ん張ってわたしに祈れ、わたしを礼拝しなさい」という神さまの願いです。

すると、妙な気負いも、人の責任にする逃げ根性も捨て去り、恐れも克服して、神さまに依り頼むことができる――それが信仰者の姿です。祈るのを、後回しにすることが何と多いか。私たちの一般的な姿と言ってもいいと思います。もちろん世の中の人は祈ることさえしない。でも信仰者でさえ、祈りが後回しになることが多いです。

例えば、ダニエルは同僚の罠にかけられ、絶体絶命のピンチに陥った時に彼は何をしますか。何をしたかは、聖書にこれしか書いてない。彼は家に帰って、いつものように、エルサレムに向けた窓を開いて祈ったと。それしか書いてないじゃないですか?ダニエルが絶体絶命のピンチに陥った時に、彼は1、祈った。2、同僚に連絡した。3、作業をしたとは書いていない。一つのことしか書いてない。絶体絶命のピンチにあって、彼は家に帰った。いつものように祈った。なるほどそれしか(聖書には)書いてない。

エルサレムの城壁の建設に当たったネヘミヤという人物がいますが、さまざまな妨害が入りますが、何をするにも彼はまず主に祈って、王に答え、まず主に祈って、敵に対して備えをなします。
何をするにも、先ず「主に祈って」という枕詞が、聖書の中に出て来ます。それがひとりの自由人として、自由な信仰者として、踏ん張って危機に直面している私たちの姿です。 

恐れを沈めるために、うろたえるのを止めて先ず踏ん張る。でも、踏ん張ってなすことは、よく考えることでも、思いを巡らせることでもなく、私たちは祈る。主の救いを見ることを願って、祈ります。

14節にそのことを強調するかのように、こう書いてあります。

14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。
 
うろたえることばをぬぐってしまいなさい。自分たちで何かをしようと相談するのを止めなさい。あなたがたがこれからの人生の、これからの荒野の旅路の中で、絶対に覚えておかねばならないことがある――大きな必要がある度に、踏ん張って祈りなさい。踏ん張って静かに黙って、主が働かれることを見届けなさい。

私たちはおおよそ、そういうことをしない人間なのです。私たちは、だからネヘミヤを読む。私たちは、だからダニエル書を読む。私たちは、だからパウロを学ぶ。何のためにやっているのかと言うと、彼らが踏ん張って、自立した一人の信仰者として立っている姿を、私たちは見なければいけないからです。

3)海の真ん中を通った民

ちょっと21節と22節をご一緒に読みましょう。

21そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
22そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

私たちは22節「海の真中のかわいた地を、進んで行った」者です。イスラエルの人々はどういう人々なのかというと、「海の真ん中を通った民」です。私たちもそうです。ちょっと説明します。

イスラエルの人々は、奴隷のエジプトから解放されました。まだまだ旅路は長いのです。始まったばかりです。これから荒野を行きますが、約束の地にたどりつくのは、遠いのです。その信仰の幼さも、自立していない姿も、実はこれから先も(解放される前と)大して変わっていません。

しかし、彼らはこの出来事を通して、決定的に変わるのです――彼らは、「海の真ん中を通った民」となる――これは強烈なアイデンティティーとして、彼らに刻まれます。
神の救いをその目で見た者たちと変えられます。生きている限り、この日の出来事は忘れることがない。生きている限り、この日の出来事が自分を決定づけます――私は、神の救いの力を味わった。海が割れていくのを見た。そして、その中を歩いて渡ったことがある。

新約聖書に、このような出来事はあるのでしょうか?その出来事を境に、自分が何者であるのかを決定されるような出来事があるのでしょうか?

パウロは、「ある」と教えています。そこの聖書を読んで終わりにしたいと思います。
Tコリントの10章1節〜4節を交読致します。

1そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
2そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、
3みな同じ御霊の食べ物を食べ、
4みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

1節の終わりに、「私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました」、そして2節に「そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け」と言うのは、ここでパウロは、キリスト者とはいかなる者なのか、つまり、私たちのことを説明しながら、私たちと出エジプト記の14章とを重ねて説明しています。
彼らは皆、雲の下におり、皆、海を通って行ったのです。パウロは、この「海を通り抜けた」という体験をパウロは「洗礼」と重ねています。

イスラエルの民にとって、「海の真ん中を通る」という体験が決定的なものになったように、私たちクリスチャンにとって、「キリストの十字架と復活」と自分を重ねるバプテスマ、「洗礼」というものは、その事実を境に、私たちの人生を決定的に変えてしまう力がある、と言うのです
イスラエルの人々が紅海の真ん中を渡って行き、「モーセに属する者となる洗礼」を受けたように、十字架と復活を見上げる私たちは「キリストに属する洗礼」を受けたのです。

私たちには、順調なときには意気揚々としていて、事態が一変すると周囲を責め、神に対する信仰も何もあったものじゃない、という弱さが残っているかもしれません。しかし、私たちはすでに海の真ん中を渡ったのです。どういうことか?それが私たちの人生に決定的な意味を与える。

私たちはキリストの十字架にあずかるバプテスマを受けました。それは、罪の奴隷とされ、罪に支配されている私たちが、赦され、罪から解放されるためでした。
同時に、私たちはキリストの復活にあずかるバプテスマを受けました。それは、神に対して生きるように、新しい霊的な息吹を吹き入れていただくためでした。

それは、海が割れて両側に壁となり、その真ん中に乾いた道が出来上がり、海を渡ったのと同じくらいの、神さまの偉大な救いのみわざをあなたは既に体験したのです。私たちは依然としてうろたえる民なのでしょう。依然として試練を前に、自立できずに、時に神さまを責めるような未熟な者たちです。 

しかし、私たちは変わりました。この出来事を境に、私たちは神の民となりました。雲の柱、火の柱に導かれているからだけではない。確かに海の真ん中を渡り、キリストにつくバプテスマを受けたという、救いの体験を自分のものとしているからです。

やがて、ある日、自分の前に立ちはだかる海が割れて行く。毎日でない方がいいと思います。毎日でしたら、波乱万丈で疲れてしまい、ボロボロになってしまいます(笑)。きっと振り返って見たら、十年に一度は海が割れて、その中をただ黙って主に祈りながら渡って行く。これから先に何度かある。前に海、後ろからエジプトの軍隊が砂ぼこりを上げて、私たちを食い尽くさんばかりに追いかけて来る。

その時、過去にも海は割れた。それはこういう形で割れないかもしれない。時には神さまが船を用意してくださるかもわからない(笑)。でも私たちは、すでにキリストにつくバプテスマを、海の中を渡ることによって受けている。私たちは神の子どもです。そして父なる神は、私たちを放っておくことは絶対にない。それは私たちの人生の境目です。そのことを信じて、新しい人生へと踏み出して行くことができることは感謝です。

☆終わりのお祈り

恵み深い天の父なる神さま、イスラエルの人々は、海が割れ、真ん中の乾いた土地を踏みしめながら渡って行ったというこの出来事を、生涯忘れなかったに違いありません。

それは私たちが洗礼を受けた日を忘れない、あるいは自分の人生のさまざまな葛藤の中で、ただあなたに祈ることしかできず、しかしそれが信仰者にできる一番純粋な姿であるということを確信し、その何らかを歩いて行った事を忘れやしません(が、そのことと同じ意味です)。

一向に生長しないようなところもありますし、また同じようにして袋のねずみになった時に、あなたには言ってはいけないようなことを口走るような愚かな私たちかもしれませんが、しかしそれでも、あなたにつくバプテスマを受けたという自覚を失うことはありません。

どうか私たちをどこまでも導き、どこまでも育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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