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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/4神の人モーセ(14)前進せよ
3/4神の人モーセ(14)前進せよ

☆聖書個所      出エジプト14:21〜31

21その時、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
22そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。
23エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。
24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。
25その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それで、エジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」
 26このとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」
27モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。
28水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。
29イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
30こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
31イスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

☆説教         前進せよ

今朝は出エジプト記の14章の15節の聖書のメッセージが入っているところから学びたいと思います。

15主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。」

話を復讐して前回は14章の前半部分、今回は14章の後半部分です。昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれ、イスラエルの民は、ラメセスからスコテに南下し、スコテからバアル・ツェフォンに北上します。そういう経路を辿りました。

最初は意気揚々と出て行きました。しかし、百万を越えるような民は、やがて荒野で難民と化していきます。そしてバアル・ツェフォンで、正面は海、後ろからはエジプトの戦車の大軍が近づいて来るのが見えてしまう。
エジプトで奴隷の苦役に耐え、何とか脱出を願っていた民も、まさかここで、こんな窮地に立たされるとは夢にも思っていませんでした。
その時、臆することなく旅立って行った民は、大変うろたえたという話を先週致しました。

そして、14章11節にありますように、モーセに食ってかかりました。
「あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるつもりですか。殺すために私たちを連れて来たのですか」
その時でありました、モーセは13節で民に言います
「自分の足で踏ん張れ。恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」
  
うろたえる不平不満の心を脱ぎ捨てて、神さまの力に依り頼もうではないか。主が私たちのために戦ってくださる――そういう風にモーセは民に訴えます。

その時、主はモーセに「前進せよ」ということをおっしゃる。それが15節です。
前には大海原、後ろにはエジプトの大軍。その中で、前進せよ、それが神さまがモーセに、そして民に語られたメッセージでありました。

年度替わりでありまして、皆さんにとって、さまざまに環境が変わる時でありましょう。光楽兄は奥さまの実家のある○というところに、4月から転勤になるという風に伺いました。小柳兄はしばらくしたら△(大学)の方に引っ越されるでしょうし、(横溝家)H兄は秋田から大阪の方に出て行かれるでしょうし、もうさまざまな形で皆さん生活環境が変わって行きますが、今日のテーマは「前進」。

1)前進しなければ……

10節で民は非常に恐れた。一つ言えることは前進しなければ、恐れに飲まれるということです。前進しなければいけないのは、モーセだけでなく、民もそうですが、モーセが前進して、海に向かって杖を高々と差し伸ばして、神さまの奇跡を引き出すのです。   そのモーセが前進の姿勢を取らなければ、民は完全に恐れの中に飲まれていくのです。

この民は、小羊の血を家のかもいに塗ることによって、第十番目の災い、死の裁きが、自分たちの上を過ぎ越して行くのを体験した、救われた民です。救いの体験をした救われた民です。旅支度を調え、雲の柱と火の柱によって導かれて来た民です。神さまはモーセを指導者に立て、自分たちを約束の地へと導いてくださると確信して、ここまで来た民です。しかし、前進を止めてしまえば、いつでも恐れに飲まれていきます。それが人間です。

もちろん休むことは大切です。しかし、前進という勇気がなければ――もちろん休むということにも勇気は必要ですが――やがて私たちを後ろから追いかけて来るさまざまな困難は、私たちを恐れの渦の中に巻き込んでいきます。
もし前進しなければ、所詮、無理だったのではないだろうかと、モーセが疑い始めた途端、民の不満はものすごい勢いで噴き出していきます
泣き叫んでいる民は、簡単にエジプトに降伏し、奴隷であった道を失望と恥の鎖に縛られて帰っていくのです。そんなことは百も承知のモーセです。
     
だから彼は、前回ご覧いただきましたように、民に向かって言います。  

13〜14「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい……。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

そこからが今日の話ですね。そうは言うものの、モーセとて確証がありません。神さまはエジプト軍をどうされるのか?いったい、目の前に海が迫ったこの場所で、自分た    ちはどうなるのか?それもわからない。そのモーセの心境を実は聖書は詳しく記していない。でも一カ所記してある。それが今日、二番目に見て頂きたい所。これは感じとらなければならないですね。 

2)モーセの迷い

15主はモーセに仰せられた。「なぜあなたは私に向かって叫ぶのか。」

つまりモーセは、神さまに向かって叫んでいるのです。叫んでいる内容は――いったい、どうしろと言われるのですか?あなたの救いを見なさいと、私は民に言いました。しかし、あなたはいったいどのようにして救われるおつもりなのですか?打開策はあるのですか?目の前は海、後ろはエジプトの戦車、果たして救いは可能なのですか?

モーセは後ろの民に向かっては、雄々しいことばを言います。「黙って神の救いを見なさい。今日神は救われます、今。」と言います。しかし、自分の前に大海原が立ちはだかっているその様子を見た時に、モーセは神さまに向かって泣き叫ぶ。泣き叫んだ、そのことばは記してない。でも神さまは明確に「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか」(と、言われたことからわかる)。そして神さまは策をおっしゃっいます。その打開策はとても単純で――ちょっと16節をご一緒に読んでみたいと思います。

16あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ

これが神さまの打開策ですね。「海を分けて」と言っても、海が分かれるのか(笑)、最大の疑問です。モーセが何の躊躇もなく、海に近づいて、杖を持った手を海に差し伸ばしたと皆さん思います?それはあり得ないですね。
もちろん、これまで、モーセはいくつもの奇跡を見てきました。でもさすがに、ことばにならない抵抗があったはずです。手が伸びないでしょう。モーセは手に杖を持っていますが、それを海に向かって差し伸ばすというのは、持った状態からここへ行くのに、いったいどれほどの時間がかかるのか、どれほどの躊躇があるのか。そんな簡単に海が分かれるはずがない。

「なぜあなたはわたしに向かって泣き叫ぶのか」――神さまはそうおっしゃいますけれど、私たちは叫びますよ。海とエジプトの軍隊に挟まれ、意気揚々と出て来た私たちの人生は、一遍で障害物に出会ってしまい、私たちは不平不満を言い、神さまのその試みに疑いを感じ、いったいどういう打開策をあなたは用意しておられるのですかと。

神さまは単純に、「泣き叫ぶのは止めろ、そして前進をせよ。その手を海に向かって差し伸ばせ」(とおっしゃる。)しかし、そう簡単に手は伸びない。

第二次世界大戦、オランダで時計屋さんを営んでいたテン・ブーン家の話を以前にもご紹介したことがあります。今日はちょっと違う話ですが……。
お父さんはユダヤ人をかくまい、ナチス・ドイツに抵抗して、収容所で亡くなります。二人の娘、コーリーとベッツイーは、レベンスブルックの収容所に入れられました。
やがて、戦争は終わり、ベッツィーは収容所で死に、生き延びたのは姉さんのコーリーだけでした。有名なのは、“The Hiding Place”(私の隠れ家)という本です。

1947年に、コーリーは、オランダから神さまの赦しのメッセージを携えて、焦土と化したドイツを訪問します。彼女の頭の中には一つの聖句がありました。それは旧約聖書のみことばで、「神さまは私たちの罪を海の深みに投げ捨てる」(***ミカ7:19)――私たちの罪を海の深みに投げ捨てる。沈めてしまっては、誰も見えない所に。

コーリーはなぜそのみことばが自分に与えられたのか、自分はオランダの海で育った。自分は何度も海の力を見て来た。もし神さまが私たちの罪を海の深みに投げ捨てるとおっしゃるなら、本当に私たちが見えないところに投げ捨ててくださるのだろうという、そういうみことばをもって、彼女はミュンヘンの教会で証しをするのです。

彼女の文章を読んでいきます。ちょっと聞いていてください。

――集会が終わって、一人の男が近づいて来た。男はコートを着て、茶色の帽子をかぶっていた。が、次の瞬間、その男が青い制服を着て、どくろの頭蓋骨に骨が十字に切られている帽子をかぶっている姿を思い出した。

一瞬にして思い出した。電球がまぶしい大きな部屋の中央に、哀れにも衣服と靴が山積みされ、私たちはこの男の前を裸で歩いていた。私の前を歩いていた妹のベッツイーはやせ細った脇腹に肋骨がリアルに浮き出ていた。

教会で男は、私に手を伸ばして言った。
「お嬢さん、証しをありがとうございました。私たちの罪がすべて海の底に投げ込まれていることを教えていただき、感謝します。」

「私は戦争が終わってクリスチャンになりました。自分がして来た数々の残酷なことどもを神さまが赦してくださると知ることができました。でも、もしあなたの口からそれを聞くことができたら、私も本当に赦されるのだと(実感があります)。」
男は、さらに手を伸ばして言った。
「私を赦してくださいますか?」

男は私のことなど覚えていない。何千という女性がこの男の残虐な手にかかったのだ。男が手を伸ばしたのは数秒間だったが、私にとっては何時間にも感じられた。その間、私は自分の人生でこれほど難しい課題に取り組んだことがないほど、悶々とした。

コーリーは、戸惑いに包まれて、しかしキリストの十字架、キリストの愛を覚えてとっさに手を伸ばします。

その時の彼女の心の思いも書いてありますが、ちょっと読んでいきます。

――私はがちがちになって、機械的に手を伸ばして、男の手に触れた。その時、驚くべきことが起こった。熱い流れが、私の肩から出て、腕の中を駆け抜け、男の手へと流れていくのがわかった。そして、この赦しの温かな気持ちは、私の全存在を貫き、涙が出て来た。そして私は彼に言った。「兄弟、私は心から、あなたを赦します。」

私は、神さまがモーセに「海に向かって手を伸ばせ」とおっしゃった、その聖句を読んだ時に、思わずこのコーリー・テン・ブーンの話を思い出しました。手を伸ばそうと思っても、伸びない問題、それはさまざまにある。
コーリー・テン・ブーンにとって、この男性に手を伸ばすということは、「私は自分の人生でこれほど難しい課題に取り組んだことがないほど、悶々とした。」

神さまがおられれば、私たちはどんな難関も乗り越えて行くことができるとか(信じているつもりですが)、そりゃそうでしょう。(でも自分が納得する)何の理由もないという瞬間、モーセは神さまに泣き叫んでいる。自分はしなければいけないことはわかっている。でもどうやってしたらいいのか解らないし、何の保証もない。本当に自分は、神さまの召しとは言え、百万を超える民を、この荒野で全滅させるために連れて来たのだろうかと、きっとそんなことを考えたに違いない。

モーセが信仰をもって、動き始めます。動き始める、前進し始めると、いったいどういうことが起きるか、ちょっと見て頂きたいと思います。18節で神さまのことばが終わりますが、19節からちょっと読んで行きます。

19〜20ついでイスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移って、彼らのあとを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち、エジプトの陣営とイスラエルの陣営との間にはいった。それは真暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことはなかった。

こうして、神さまは後ろからのエジプトの追撃を防いだ。その時、モーセは勇気をもって、その手を伸ばします。海の上へと差し伸ばします。いきなり差し伸ばすのではなかった。神さまはモーセに「泣くのは止めなさい。前進しなさい」と言われ、前進した時に、神さまのみわざは一端が見えた。それは前にいた雲の柱が後ろに移って、敵の手を防いだ。そしてそれを見て、勇気を得たモーセは、神さまがおっしゃったように、その手を伸ばし、海に向かって杖を差し伸ばすと――

21主は一晩中力強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。

想像もしない、信じられない出来事が起こるのです。コーリー・テン・ブーンが手を伸ばした瞬間、人には到底できないであろうその赦しの感情が、心の内側を駆け巡った。
それはすべて、モーセも、コーリー・テン・ブーンも前進して、勇気をもって困難と絶望の壁と思えた海に、その手を差し伸ばした時です。

私たちを待ち受けているのは、いったいどういう壁なのか、どんな海なのか。恐らくどんな壁が飛び出しても、呆然と立ち尽くし、神さまに向かって叫ぶ以外にないでしょう。でも神さまは、「前進せよ、手を伸ばせ」とおっしゃいます。その勇気に、主は応えてくださいます。絶対にできないと思うことも、一歩踏み出しますと、神さまはそれに応えてくださいます。

3)一つとなって前進する

単純に海が二つに分かれたから、その真ん中を歩いて渡ったという話ではないでしょう。この見事さは、一人として落ちることがないように、互いに支えて、励まして、困難を極めての前進だったのです。一人として漏れることがなかった。

海が二つに分かれるというのは、一大スペクタクルです。しかし、それは道ができただけで、依然として民は命がけで、全勢力を傾けて前進しなければいけない。渡らなければいけない。そこに神さまの見守りと祝福がありました。そのことを達成するためには、民は百万を超える民は一つとなって渡る以外、老いも若きも男も女も、病める者もひとつとなって渡る以外に渡り切る方法はなかった。

私は3年前の礼拝で、「ディファイアンス」という映画を紹介したことがあります。覚えておられる方もいらっしゃいますでしょう。

ナチス・ドイツに追われるユダヤ人がベラルーシの森に逃げて、しばらく生活します。最初は勇ましい男性が数名、しかししばらくすると、女性も子どもたちも老人も病人も逃げ込んで来ます。
 
やがて、ユダヤ人大勢がこの森に隠れていることが発覚して、ナチスは軍隊を送り込みます。小さな共同体は、食料をまとめて逃げます。数名のものたちが銃を手にして、追っ手を食い止め、そこで死んでいきます。

ところが、逃げた者たち20―30人を待っていたのは、広大な湿地帯でした。うしろにはナチス、前には広大な湿地帯。これは、紅海を前にして、後ろからはエジプト軍が迫っている、絶体絶命のイスラエルの民と重ねて、映画は展開しているのだなぁというのがよくわかります。

人々は、指揮官トヴィアの指示を仰ぎます。彼はモーセです。打つ手はありません。トヴィアは、戦う以外にないと考え銃を手にします。しかし、勝てるわけがない。疲れ切った共同体は、女性も老人も子どもも、呆然と立ち尽くします。いや、一番呆然と立ち尽くしているのは指揮官のトヴィアです。

そのとき、ナチスを食い止めていた青年が、後方から走りついて来て、言います。
「こんなところで、何をしているんだ。早く渡るんだ。みんな、ズボンのベルトを集めろ。それで、互いの身体をつなげ。おぼれると思う者は、それで誰かとつながれ。」
そして、言ったことばは、
「モーセの時には、神は紅海を二つに分けてくださった。しかし、今回、その奇跡は起こらないぞ。だから、互いをつなぎ止め、みんなで一つとなってこの大湿地帯を渡ろう。必ず渡れる、絶対に生き延びる。」

呆然と立ち尽くす人々は、この言葉に励まされて、互いをベルトでつなぎ止めて、広大な湿地帯を渡って行きます。
 
私たちは、さまざまな湿地帯や海の前で、それが二つに分かれて乾いた道が真ん中に出来上がった――という話があったら、ぜひ教えてください(笑)。そんな話はどこにもないです。
神さまは、前進するたびに必ず秘策を教えてくださる。必ず私たちを勇気づけてくださる。
海を分けなくても、神さまは私たちから離れることはない。私たちに力を与える。
でも私たちは、これを渡ろうと思ったならば、一つとなる――これが最も大切なことかもしれません。

私はこの映画によって、旧約聖書の語る「民」という表現がわかったような気がしました。同じ言葉を話す者、同じ歴史を共有する人々、前回学びましたように、同じ海を渡り、同じ洗礼を受けた人々、と言うだけではありません。
民とは、神に救われ、神に導かれ、森の中を湿地帯の中を、川の中を、困難を極めながら前進する共同体です。そこには、子どももお年寄りも、勇気ある者もない者も、力ある者もない者も一緒。
しかし、『互いを一つにつなぎとめて、一つとなって前進して行く』ということです。わずかな食料を共有し、悲しみも希望も共有し、祈りを一つにして、前進します。先頭にいる者も、最後尾にいる者も、互いに一つになって、一人として失われることのないように互いを支えて、この人生という川を渡っていく、それが教会です。

ですから私たちは、自分自身を愛する兄弟姉妹とつなぎ合わせることの大切さ、祈られているということのありがたさ、そして自分はもう群れから落ちないというこの決意、その前で海が分かれて行くのです。その前で、私たちは約束の地へとつながれて行きます。

☆お祈り

主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。」(出エジプト14:15)

恵み深い天の父なる神さま、モーセがあなたに向かって泣き叫んだように、人々に対しては「恐れてはいけない。しっかり立って……」と言いながら、いったいどうしたらこの窮地を脱することができるのか、と訴えに出た気持ちもよく解ります。海に向かって手を伸ばせと言われても、いったいそれが何になるのかというモーセの疑いもよく解ります。

しかし彼が前進した時、雲の柱は後方に向かい、思わず、怖がって、機械的だったかもしれませんが、手をすっと挙げた瞬間、強い風が吹き始め、人々は互いに助けながら、支えながら、海を渡って行ったに違いありません。

どうか私たちも、このようにして前進する教会でありますように。このようにして、互いを祈りによって支え合う教会でありますように。一人も漏れることなく、互いをつなぎとめて、さまざまな困難や試練を渡り切る教会でありますように、助けてください。

3月4月をもって、生活自体が変わっていく愛する兄弟姉妹もおられますけれども、私たちは彼らのために祈ります。どうか勇気をもって進んでください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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DATE: 2012.03.05 - 20:49

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