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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/18神の人モーセ(15)マラからエリムへ
3/18神の人モーセ(15)マラからエリムへ

☆始めのお祈り

あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。(この日の交読詩篇119:65〜72より68節)

恵み深き天の父なる神さま、あなたは私たちの弱さをよくご存じのお方です――「わが心は定かならず。吹く風のごとく絶えず変わる。主よ、御手もて引かせたまえ。さらば直き道踏みゆくをえん」(この日の特別讃美イ賛美歌565「主よわれをばとらえたまえ」2節)。「我が力は弱く乏し。暗きにさまよい道に悩む。(あまつ風を送りたまえ。)***天よりの風(聖霊?)を送ってください。(さらば愛の火は内にぞ燃えん)***そうすれば愛の火は内に燃えます」(同3節)。

今朝も弱い私たちが、ひまわりが太陽を向くように、まっすぐにあなたを見上げて輝くために、天よりの風を受け、愛の炎をこの心の内に燃やしていただくために、あなたの御前に座りました。今週も年度替わりですし、私たちの心にはさまざまな労苦が去来し、また新しき年度へと飛び出す勇気を求めつつ、あなたの御前に座ります。

特別にそこに引っ越しが伴うならば、心も魂も身体も疲れてしまうほど、忙しい日々を送ることでありましょう。転勤される方、職場が変わる方、新しい学校へと移っていく方、また新しい挑戦に取り組まれる方、お一人お一人の上にあなたの力付けを与えてください。あなたがその弱い手を引っ張ってくださり、守ってください。昼は雲の柱、夜は火の柱(出エジプト13:22)をもって導き整えてください。

「たとえ、しおれて、枯れ果て、倒れてしまっても、種は消えずに、またもう一度花を咲かせる」というこの(「ひまわり」という)讃美歌の歌詞のごとくに、私たちのたましいの内側にいのちを与えてくださり、倒れてしおれることがあったとしても、そのいのちに再び火をつけて、私たちを励ましてください。

しばらくみことばに耳を傾けます。どうか私たちの心に、直接にイエスさまが語りかけてくださり、背負ってください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

☆聖書個所        出エジプト15:22〜27

22モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
23彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
24民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。
 その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
26そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」
27こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。

☆説教       マラからエリムへ

「神の人モーセ」と題して今日は15回目です。しばらくしますと、受難週に入ります。イースターがありますし、モーセから少し離れますが、今日は最後ではないですが、「マラからエリムへ」と題してお話をします。22節を見てください。

22モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。

葦の海というのは、旧約聖書最大の奇蹟を体験した場面です。紅海が二つに割れて、その中にできた海の底の乾いた地を、百万のイスラエルの民がいのちを落とすことなく、老若男女皆無事に渡って行きました。それは、あまりにも劇的な祝福でありました。ですから15章の1節からちょっと見て頂きますと、ずっとそこには賛美の歌が書いてあります。

1そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。
  「主に向かって私は歌おう。  
  主は輝かしくも勝利を収められ、
  馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。(***以下18節まで続く)」

あまりにも大きな祝福を体験した彼らは、絶対にその感動と感激を忘れることがないように、その感動と感激が薄れることがないように、賛美の歌を残し、皆でこの賛美の歌を歌うのです。

しかし、そこから旅立って行った時に、わずか3日間、荒野で、しかも水がない。とうとう水が流れているマラという場所へ来たのです。百万の人々の中で最初に到着した人々は、恐らくその水をがぶ飲みしたに違いない。そしてそこでお腹を痛めて、うずくまってしまった。水が悪いのです。

田中さんご夫妻はバンコクから帰って来られて、3月4月が一番暑い。36度とおっしゃっていましたけれども、蒸し暑〜い。レストランに入りますとミネラル・ウォーターに気をつけます。必ずミネラル・ウォーターのペットボトルを持って歩く。至る所に南国の果物のジュースが美味しそうに並ぶのです。そして失礼かなぁと思いますけれども、「使っているお水はミネラル・ウォーターですか?」って尋ねるのです。すると、必ず「大丈夫」(笑)と言って瓶の水を見せてくれる。それで思わず、「じゃ氷はどうなの?」って聞くとあちらは必ず「大丈夫」(笑)、でも氷まではわからない。勇気を奮い起してそれを飲みますと、見事なまでにお腹を下すのです(大笑)。これはもうしんどい(大笑)。

荒野がいったいどれくらいの乾燥地帯なのか?どれぐらいの灼熱の状況であったのか。3日間水無き荒野をさまよい、持って来た少々の水を全部飲み干し、荒野の日照りで渇き切って肌もかさかさ、目も真っ赤、喉もカラカラ、水にありつくことができない。ようやくその水を飲んだら、お腹を一気に下して、彼らの失望は何倍にも大きなものになってしまうのです。そしてすぐに24節にこうつぶやくのです。

24民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。

「私たちは何を飲んだらよいのか」というのは、「もう飲むものが何もないじゃないか、この荒野で」(という意味でしょう)。このあたりからモーセは気が付いた。指導者と呼ばれる自分は、つぶやきを聞くばかりか?

1)つぶやきの人になってはいけない

一つ心得ておきたいと思います。確かに人生は大変です。葦の海から旅立って、葦の海の奇蹟を見て、大変な讃美の歌を残す。でもそこから旅立って、わずか3日、シュルの荒野に水は無く、たどり着いたらマラの水は飲めない。それは私たちにとってよくある人生の場面です。

大変大きな祝福を受け、そしてその次の瞬間にお金がない、時間が足りない、体調が今いち。理解してくれる人はほとんどいない。これは無理だ。あれは難しい。自分はしんどい。そして延々とつぶやく人もいる。静かなつぶやき、止まらないつぶやき、それを聞く人はモーセでなくともしんどいです。

私たちはつぶやくものなのだろうと思います。でも言えることはつぶやきの人になってはいけない。なぜなら、つぶやくことは周囲の気持ちを暗くし、自分の内側から喜びと感謝の力を消し飛ばす。でもそれだけではない。25節の最後にこう書いてありますが、ちょっと読んでいきます。

25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。
 その所で、主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。

民の代表であるモーセに神さまは語りかけています。「わたしは彼らを試みている」というのは、「どういう信仰なのか、わたしは彼らを見ている」ということです。荒野は神さまが私たちを試みられる場所。どういう信仰なのか、彼らを見ている。つぶやきの人になってはいけない、というのはそういう意味です。

2)契約に対する神さまの真実は、つぶやく彼らに対しても変わらない。

神さまはマラの水を、木の枝一本で甘い水に変えられます。ここは2つに分けて考えてみたいと思いますが――

●神さまはつぶやく民に対しても、その民と結んだ契約の真実さのゆえに、彼らを捨てることはしない。

つまり紅海が分かれて多くの奇蹟が起こり、神さまの救いのものすごさを体験したにもかかわらず、次の試練がやって来ますと、すぐに不平を口にする民を、お捨てにはならない。このことがまさに神さまの真実です。
この真実がなければ――私たちの不真実、不誠実、情けなさを、はるかに上回り勝っている主の真実がなければ――私たちは到底、信仰の民として歩みを続けていくことはできないでしょう。
私たちが不真実であっても、傲慢であっても、不信仰であっても、それでも私たちを捨てずに助けてくださる――ここに契約の神の深いあわれみがあります。

●神さまはここで枝一本をもって苦い水を甘く変えておられます。しかしそうではない場合も聖書には記されています。

ルツ記にナオミという女性が出て来ますが、また出エジプト記に戻って来ますが、ルツ記をちょっと開けて読んでください。

そこにルツというモアブの女性とナオミというルツにとっては姑がいた。話の始めはパレスチナで飢饉が起こり、ベツレヘムに住んでいたナオミとご主人エリメレクというこの家族が、ヨルダン川を渡った向こう側のモアブの地に飢饉を逃れて避難するのですね。ところがナオミはそこで夫を失います。ふたりの息子を失います。残されたのは、息子たちの嫁二人です。

その嫁の一人、ルツは飢饉が去ったベツレヘムに、ナオミと一緒に戻って行くという場面が、この1章なのです。戻った時に、ベツレヘムの人々は久しぶりにこのナオミと会うのですが――1章の20節をご一緒に読みましょう。

ルツ1:20ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。」

ここに“マラ”が出て来るのです。苦い、辛いという意味で、「私をもうナオミと呼ばないで、苦い体験に染まった女と呼んでください。神が私をひどい苦しみに会わせられたからです」と言って、このルツ記は始まっていきます。そして始まって行く舞台は、ルツ記の1章の22節にこう記されています。

22こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。

というのは、一面、黄金の大地です。自分がかつて去った時には家族が一緒だった。でもそこは飢饉で地面が地割れしていた。今戻って来た時に、夫がいない。二人の息子もいない。その嫁のルツと二人だけだ。自分は苦しみでいっぱいでこの地に帰って来るのですが、その地は黄金の大地が広がっています。そしてこの大地の世界で、ナオミは癒されて行きます。

つまりマラと呼ばれる女性が、「私をマラと呼んでください」という苦しみにあった女性は枝一本では癒されない。さまざまな時間を要し、その労苦を徐々に喜びへ感謝へと変えて頂く。荒野でマラの水は枝一本で甘い水に変わりました。でも神さまがなさる奇蹟は別にそれだけではないですね。

私は昔一度だけ、東京見物というのをしたことがある(笑)。はとバスに乗って、これはもう海外から来た聖会講師を案内して、いろいろ行くのは面倒くさい(笑)。はとバスに乗せてしまえば、連れてってくれるだろう。英語のガイドさんも付いているし。私もとっても勉強になりました。私が皇居に行ったのは、それが最初で最後です。あぁ、バスってこういう所に連れて行ってくれるんだ(と思いました)。東京ツアーの最後は、なるほど外人ツアー、なるほどここだ、それが田崎真珠だった(笑)。

それで銀座の裏側にある真珠の加工工場のある所に向かって、いきなり真珠を売り込んだとしたらシャレにならないじゃないですか。ですからまず、真珠屋さんが来て、充分造り方の実演をしてくださる。実演が終わった頃におもむろに「買いませんか」となる訳で(大笑)、実演が興味深かった。

ツアーの方がおっしゃっていました。真珠を養殖するために3つのものがあればよい。それはあこや貝、小さなメス(カッター)、そして真珠貝の殻を小さく砕いたかけら。この3つがあればよい。貝の殻をほんの少しこじ開けて、メスで中の貝に小さな傷を入れるのです。その小さな傷の間に貝殻の破片を差しこんでしまう。

その状態で3年4年、海に沈め、それから貝がいかにこの小さな異質な邪魔者と戦うかが始まるのです。入れた異物を貝は手足がありませんから、自分で振りほどくことができません。邪魔者はとげのように、砂のように、岩のように、傷口と周りを痛々しく刺激し続けるのです。

貝は徐々にその傷口から、ある種の液体を出し始めるのです。時間はかかりますけれども、異物はその液体で囲まれ、そして癒されていくのです。同時に異物が無くなるわけではありませんけれども、やがてそれは丸くなり丸くなり、やがて真珠に変わる。

田崎真珠の説明してくださった方は、誇らしげにおっしゃっていました。
「この素晴らしい宝石は、長い間に癒された傷の産物です。」

私たちにもそうです。自分はマラな地に招かれたと思うことが多々あります。それは職場かもしれないし、学校かもしれないし、3―4年ごとに新しい所に行っておられる方もいらっしゃいます。傷がなければ、混入したストレスの原因が無ければ、その苛立たしい邪魔者がいなければ、真珠はできないのです。

神さまは私たちを苦い水から甘い水に必ず変えてくださろうとするならば、私たちはひたすらナオミのように、ルツのように、神さまが置いてくださった黄金の大地で、それなりの苦労をしながら、神さまの絶対的な契約に信頼して進んで行く訳です。

3) 私たちを必ずマラからエリムへ導いてくださる癒しの主

しばらくして、これが(15章の)最後の段階になりますが、一行はエリムに到着します。ちょっと(出エジプト記の方の15章の)26節から、26節を私が読みますので、皆さんで27節を読んでください。
                       
26そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」
27こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。

26節の最後の一文――「わたしは主、あなたをいやす者である」。こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった――オアシスです。荒野に広がる大きなオアシス。神さまは荒野の試練から、やがてオアシスへと彼らを導いていかれた。そこで力を取り戻し、暑さをしのぎ、改めて主がともにいて守り導いてくださったことを感謝したことでありましょう。

私はこれがとっても大切だと思います。荒野で辛抱しているばかりが私たちの人生ではない。オアシスがどうしても必要です。一日働いて、精神的にも肉体的にも疲労の限界に来たら、その延長でどこかでお茶をしようか――そう思ったらいいじゃないですか。静かな音楽を聴いて心を休めることもよし、好きな飲み物を飲まれることもよい。よく言うじゃないですか、疲れたら「あぁ」ってため息をつくだけでもストレスは引いて行くのです。オアシスを知らない人、オアシスのない人――そんな人になってはいけないのです。

私たちの人生は確かに荒野の旅路です。荒野の旅路を彼らはずっと続けて行くのです。でも神さまは、いろんな所でエリムを備えていてくださる。必ずオアシスを設けていてくださる。都会の喧騒から離れて、自然に触れることも、忙しい一日の最後に夕焼けを眺めることも。

私たちの日常生活の中に、実はオアシスたるべきものは、いくつもあるのです。そこで感慨深く、あぁ、ほとほと大変だったなぁと、嫌な人と付き合ったら、そのオアシスで、あぁ、ほとほと嫌な人だったなぁと思うと(笑)、それで気持ちは楽になるのですね(笑)。二度と会いたくない(笑)、ほとほと嫌な人(笑)と今日は会ったなと思いながら、コーヒーを飲むととっても楽になるのです(大笑)。それがね、「あぁ、どうか主よ、彼を受け入れることができますように」とか祈り始めますと、悶々とし始めて(大笑)しまいますが、ほとほと嫌な人だったなと思いますと、あぁこれもまたよしと、彼らはマラにいつまでもこだわらない。それは神さまがオアシスを、エリムを用意してくださるから。

ナオミはモアブの体験というのを自分の人生で忘れることはないと思います。しかし一生モアブだったら、それは哀れですよ。神さまはモアブの世界から、「ほんとうにあなたは苦労したね。しばらくここで、またあなたの人生はベツレヘムへと展開して行くんだ」と、ベツレヘムに導いてくださるお方なのですから、私たちもマラの体験をいつまでも引きずってないで、これからはもう少し違う視点で生きてみよう、と思ってもいいじゃないですか。神さまは必ず、私たちにそのような癒しの体験を与えられます。

ですから26節の最後に、「わたしはいやす者である」(と主はおっしゃいました)。荒野でおなかを壊して、水がない上にお腹を壊してさらに衰弱し、熱も出したでしょう。生死をさまよう所を通ったに違いない。しかし、主は彼らを癒された。そして、オアシスで、さらに彼らは癒される。
ですから、どんなにマラで苦い水を味わっても、絶望してはいけない。なぜなら、必ず私たちはエリムへと導かれる、それが私たちの信仰です。

先日、ある男性の証しを聞きました。彼は本当に可哀想でした。
自分の人生は数年前で止まっていた、と。それは、小学生のお嬢さんを病気で亡くされたから。それ以来、自分の人生は悲しみと失望の部屋に閉じこもってしまったまま、一歩も前進しない。つまり、マラでおなかを壊した人が、ず〜っとその衰弱を引きずって旅をしているようなものです。

あるとき、その男性は、道を歩いていたら、小さな女の子が、家の中にいる母さんに向かって、「開けて、開けて」と自分の家のドアを外から叩いていたのを目にします。
お母さんはなかなか現れてくれないものですから、女の子は泣き出します。
しばらくして、玄関の扉が開いて、お母さんが出て来ました。そして言います。
「泣くことはないでしょう。開けてあげるんだから。」

それを見ていた男性はふっと気がついたと言うのです。ドアの向こう側にはずーっとお母さんはいたんだ。自分自身閉じこもった悲しみと失望の部屋。でも、その部屋の扉の向こうにずーっと愛なる神さまはおられた。自分は扉の開け方を知らなかった。でも、神さまはそんな私のために、扉を開けてくださる。そのことにふっと気がついたときに、自分はそろそろこの悲しみの部屋から出ないといけないと思った。そんな証しだったのです。

私たちはなかなか一旦そういう部屋に入ったら、自分で開け方を知りません。でも神さまはさまざまに、エリムの体験を与えてくださる。そうして、そこで私たちが味わうことは、「わたしは癒す者である」と言われる主が癒してくださらなければ、私たちのこの苦労、この悲しみはどうしようもない。でも主が癒してくださるならば、私たちはまた癒されて、人生の次のステージに必ず進んで行くことができる――そのことを期待しているのを信仰者といいます。

☆お祈り

わたしは主、あなたをいやす者である。こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。(出エジプト15:26の最後〜27)

父なる神さま、私たちにエリムを紹介してください。私たちの信仰ははなはだ弱いものです。大きな祝福を受けて3日でもう不平不満を言うほど、私たちの信仰は弱いものです。どうかつぶやきの人になることのないように、私たちを支えて、私たちを励ましてください。

でもじっと我慢しているだけでなく、私たちの日常の至る所にエリムを備えていてくださり、紅茶一杯で、コーヒー一杯で人は元気を吹き返すことができる、疲れているなら、疲れているなりに、その自分をいたわることができる、ということを覚えておくことができるように、助けてください。

そして同時に、時間をかけてかもしれませんが、あなたは悲しみや苦労の扉に閉じこもっている私たちを、やがて引き出してください。たとえ、部屋に閉じこもっていたとしても、あなたは扉の向こうにいつもいてくださり、扉を開けてくださるお方であることを覚えておくことができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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DATE: 2012.03.20 - 15:32
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