名前検索
メール送る

名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 533 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   4/8イースター説教「主はあなたの近くにおられる」ピリピ4:4〜7
4/8イースター説教「主はあなたの近くにおられる」ピリピ4:4〜7

☆春の教会コンサートのお知らせ(実行委員長木村兄)に付け加えて

小柳姉のオリーブが近々被災地でコンサートをする予定ができました。窪倉兄姉が手伝ってくださいますが、こういう時のチャリティー募金も全部そちらに行きますので、是非幅広くご案内いただければと思います。(入場無料ですが、席上献金が被災地への義援金として贈られます。)

☆酒居美津代副牧師、着任のご挨拶

皆さん初めまして。酒居美津代と申します。この4月から高津教会で奉仕させていただくことを嬉しく思っています。今は古川先生の後任ということで、神学院に住み込んで、こちらの教会に礼拝ごとに通わせて頂きます。
実は今私が新しい生活を起こして、神学院で始めまして、心に残っている聖書のみことばがあるのですけれども、それがちょうどこの週報の中、一番上に書いてあるみことばと一緒でした。
「わたしは初めであり、終わりである。」(黙示録22:13)
ちょっと箇所が違いますが、黙示録の最初の方のみことば、1章では
「わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。」(同1:17〜18)
復活節に、イエスさまのご復活をお祝いするこのイースターに、皆さんとともに礼拝を捧げることができること、また、最初であると言ってくださるイエスさまと一緒に、こうやって新しく始めることができることを本当に嬉しく思っています。これからもどうぞよろしくお願い致します。(大きな拍手)

☆酒居先生のためのお祈りとおことば

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(Tコリント15:58)

恵み深い天の父なる神さま、あなたご自身がこの小さな群れに酒居美津代先生を加えてくださり、私たちの羊飼いとして立ててくださいました恵みを心から感謝致します。
今日から家族です。今日から私たちのしんがりを行き、先頭を行く羊飼いでいらっしゃいます。どうか先生の健康を祝し、先生の心を豊かにし、決して無理をせず、しかし小さな力かもしれませんけれども、あなたに用いて頂き、この地にあって伝道に励むことができるように先生を助けて支えてください。
私たちも先生を支えます。私たちも先生のために祈ります。私たちも先生が持っておられるさまざまな賜物と信仰によって豊かにされたく願っています。ですから、深い絆に結ばれて、一つ教会となって進んで行くことができるようによろしくお願い致します。
引っ越されて働き場が変わりましたので、さまざまな労苦がありますでしょう。すべてのことを働かせて益としてくださる、あなたが先生を助けてくださることを信じていますから、私たちも温かな祈りを捧げることができるように励ましてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

私は先生と初めてお会いした時は、まだ(酒居)先生は大学生で、私たちの教会はKGKが多いのですが、KGKの講師だった時に参加してくださり、先生は彦根教会の出身ですよね?(はい。)関西に伺った時にも、熱心だったことをとっても思い出します。

☆始めのお祈り

どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。(この日の交読詩篇67篇より1節)

父なる神さま、さまざまなことがあった一週間でありました。厳しい風が吹いたことも、また雹(ひょう)が混じるような雨が降ったことも。中には引っ越された方も、全く新しい環境に移られた方も、職場が変わり多くの不安や苦労に遭った方も(いらっしゃいますでしょう。)
しかし私たちは今朝、それらの重荷をすべてあなたの御前に降ろします。あなたの御前に出ることさえできない私たちは、イエス・キリストの十字架を仰ぎ、あなたのあわれみを受け、座っているこの恵みを深〜く感謝致します。
どうか今朝はこの素晴らしい日差しで、日本を照り輝かしてくださったように、復活のいのちをもって私たちの心を、私たちが抱えている問題や、被災地の閉ざされたようなさまざまな問題課題の上に、あなたのさまざまな祝福が、御顔が光り輝いて(詩篇67:1)私たちを生かし、私たちを強めてください。
今朝初めてこの教会にいらっしゃった方、また今日はさまざまな用件でいらっしゃることができなかった方にも、あなたが等しく温かな恵みを与えてください。
今朝は聖餐式にあずかろうとしています。私たちの心を静め、これから聴くみことばが私たちの心の隅々にまで浸透し、一週間の疲れが取り去られ、新しいいのちに溢れゆくところの日曜日としてください。
あなたはいつもこの教会に小さな子どもたちを与えてくださいます。いのちの喜びで満たしてくださいます。どうかすくすくと元気で成長していくことができるように導いてください。
特別にお年寄りの方々、また病と戦っておられる方々を覚えています。その祈りを決して忘れることがありませんように。自分自身のことでも精一杯でありますが、しかしいつも教会家族のことを覚えることができますように、私たちに愛の心を与えてください。
しばらくみことばに耳を傾けますので、聖霊ご自身が私たちの心に語りかけてください。理解の鈍い、また心の固い私たちを励ましてください。主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆聖書個所     ピリピ4:4〜7

4いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
6何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

☆説教     主はあなたの近くにおられる

今朝は新約聖書のピリピ(人へ)の手紙の4章の4節から7節までを見て頂きます。

5あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

「主は近いのです」。そしてすぐその後に、

6何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

イースターの朝、私たちは、十字架にかけられ、息絶え、墓に納められたキリストが、3日の後に復活されたことを祝い、その恵みを味わっています。復活はイエス・キリストのご生涯でもっとも重要な歴史的な出来事であったと私たちは理解しています。

復活がなければ、救い主は十字架の上で死んだだけです。復活がなければ、イエスさまは昔の人に過ぎません。偉大なとてつもなく偉大な神の人に過ぎません。
そうではなく、キリスト教信仰の中心にあることは、イエス・キリストは人類の最大の敵である死を滅ぼし、死の力を打ち破り、今も私たちとともにいてくださる、主は近くにおられるということです。
やがて私たちが死からよみがえる、私たちの復活もあります。でもそれだけではありません。
                
復活こそは、地上における私たちの信仰生涯の、神との出会いのパターンを示しています。
十字架は暗闇であり、驚きであり、恐れ、不安、疑い、混乱、絶望を表わしているとしたら、十字架が金曜日と土曜日の現実であるとしたら、
イースターは、(そして日曜日の礼拝は、)主イエス・キリストが暗い世界に入って来られ、私たちと出会い、私たちの名前を呼び、私たちに語りかけてくださり、私たちの目を覚まさせ、私たちに力を与え、私たちに希望を注ぎ、私たちにいのちを注いでくださることを表わしています。

4月という新年度の独特な緊張感を味わっている方もおられるでしょう。自分に起こった急激な変化について行くのがやっとだという方もおられるでしょう。
暗闇、恐れ、不安、思い煩い、混乱――でも必ず、復活の日曜日がやって来るのです――それが私たちが味わう復活信仰です。復活されたイエス・キリストは、私の近くにいてくださる。

3つのポイントで短くまとめたいと思います。

1)人は、思い煩うものです。

6節の頭に「何も思い煩わないで」とありますが、人は皆思い煩います。そしてそれは往々にして、小さな思い煩い。小さな思い煩いは、心の中でふくらんで行きます。

トーマス・カーライルというイギリスの哲学者がいます。彼は、ロンドンのチェルシーに住んでいましたが、自宅を改造して、自宅の中に防音対策を施した部屋を作りました。部屋の中にもう一つの部屋を作って、道路から聞こえてくる騒音を極力シャットアウトして、静かな部屋で仕事をしたというのです。

ところが、向かいの家でにわとりを飼っていまして、それが夜中と朝方、けたたましい声で、数回鳴くわけです。
「コケコッコー」

カーライルは、にわとりの飼い主に談判に行きました。
「お宅のコケコッコーのおかげで、夜も寝られない」(笑)
すると飼い主は云いました。
「カーライルさん、確かに鶏は鳴きますが、夜中にはたった3回しか鳴かないんです」(笑)

「しかしだな」、カーライルは言います。
「わしは、そのにわとりが、今晩はいつ鳴くか、もう鳴くんじゃないか、次はいつ鳴くのか、そんなことばっかり考えて、全然寝られないんだ」(笑)
                  
私たちの人生ってこいういう感じなのです。鶏は実は3回しか鳴かない。ところが、そのことを考え始めますと、いつ鳴くのだろうか、どのタイミングで鳴くのだろうか、と考えていく内に、小さな思い煩いはどんどんふくらんでいきます。そして一晩中寝られないで終わってしまう。

また、私たちは思い煩っているとき、その問題を自分の内側に抱え込んでしまいます。自分の中に抱え込んで、誰にも打ち明けない時が実に多いのです。打ち明ける相手がいる人は、幸せな人です。

しかし多くの場合、難しい不安な顔をして、問題を抱えたまま、親しい人にも打ち明けることができない、辛い状態なのに神さまにも打ち明けない。 

ですから、パウロが6節で、「何事にも思い煩わないで」と言った後で、「神に知っていただきなさい」ということは、神にも言っていないことが多い(ということです)。祈りをもって神に知っていただきなさい、神さまに打ち明けなさいと、パウロは私たちに教えるのですね。

逆に言えば、私たちが思い煩っているとき、あたかも神さまがおられないかのように心を閉ざしてしまいます。これが思い煩いの正体です。
よく人が、ちょっとした、小さなことで悩んでしまって、なぜこんなことが起こるのだろう、神さまはいないのだろうか、神さまは私のことを気にかけておられないのだろうかという証しを聴きますと、私たちは思わず、この人はなんて弱い人なのだろうと思います。
そんな小さなことで、神さまがおられないのだろうかと、そこまで悩むかと。でも同じように小さな事が自分の人生に起こると、私も同じように悩んでしまう。

そういう証しを聴くたびに、やっぱり思い出します。それは、思い煩う時、人は神さまを自分から追い出してしまう。
自分にとって、神がいなくなってしまった、自分しかいない、だからどうにか自分でしなければならない、どうしたらいいのか。
それはそれは苦しい。でもそれは結局、神がいないものとして、自分が神の役を演じているのと同じだと。

だからパウロが「神に知って頂きなさい」と言うのは、復活の主があなたのすぐそばにおられるということに気がつきなさい、そして、その方はあなたの祈りに耳を傾けておられる、というその事実に気がつきなさい(ということです)。

2)思い煩うのをやめろと言われても、やめられないのも現実

思い煩っている人を見ますと、私はいつも「美味しいものを食べて寝たら?」(笑)と言うのですけれども、思い煩っている人はなかなか食欲がない。寝ようとしても寝られないのですから、私の言うアドバイスは結局何の意味もないと思います。でもやっぱり、どこかでちゃんと食べる物を食べて寝たらいいのです。

スコット・ペックという、有名なクリスチャンの精神科医の話を私はよくしますが、彼はこんなタイトルで文章を書いています。『立ち上がれない理由』。人はなかなか立ち上がれないです。立ち上がれない理由を精神科医の視点から見ますと……。

話は、彼の患者のある女性なのですけれども、「うつ病」と診断されて彼のところに来るのですが、彼が診断するには、病気というよりは純粋に気の病。でもその人は一向に立ち上がろうとしない。立ち上がらない。いろいろな治療を試みて、カウンセリングを繰り返しますが、効果が全然無い。

ところがある日、その女性が、非常に明るい顔つきで彼のオフィスに飛び込んで来た。
「どうして、今日はそんなに上機嫌なんだ?」
「先生、実は今日ここに来る途中、大変すばらしいことがありました」

そこのオフィスに来る途中で、彼女の車が故障してしまいました。立ち往生して、そこでいろいろ考えて教会の牧師先生を電話で呼んだ。――そういうことが起こったら、私を呼ばないでください(大笑)。そういうことが起こったら、JAF(ロードサービスの会社)を呼べばいいのです(笑)。まぁそういう時代ではなかったのかもしれませんが、牧師を呼んだのです。何とか、そのオフィスまで連れてってくれないでしょうか、ということをお願いしたら、牧師の返答は、

「喜んでお連れしましょう。(奇特な牧師もいるもんだと思いますが、笑)。実は、これから、あなたのおられるそちらの方面に出る用事がある。そのあなたのオフィスに行く途中の病院に教会員が入院していて、お見舞いに行かなければならない。だからまず、そこへ寄って頂けます?そしたらあなたのおっしゃるところにお連れしますよ」

病院に着きますと、牧師先生は、彼女に(言います)。
「よかったら、君も一緒にお見舞いに付き合ってくれないか?」
彼女は、先生の後について行って一緒にお見舞いします。その病気で苦しんでいる人、気落ちしている人を、何とか励まそうと彼女も一生懸命声をかけた、と言うのです。

二人が帰ろうとすると、その患者さんは、本当に有難うございましたと感謝をした。特に牧師だけにでなく、牧師と一緒に来てくださったその女性に感謝をした。わざわざ来て下さいまして、励まされました、ありがとうと、涙を浮かべて感謝をしていたそうです。
        
これが、うつ病と診断されていたこの女性の心を持ち上げたのです。何か神さまのためにできた、ものすごく有意義な一日を過ごした、と。
 ペック先生は、それをうなづきながら聞いていて、そして言いました
「それはよかったねぇ。そういう一日、それは君を励ましたねぇ。本当にそういうもんだねぇ。そういうことが、本当に君の心を持ち上げるんだよ」

すると、その女性は、先生を見ながら、暗〜い顔をしてこう言いました。
「先生、でもまさかそんなことを私に毎日やれって、おっしゃるんじゃないでしょうね……」(笑)
彼女はまた暗〜いうつの世界に閉じこもって行った(笑)。『立ち上がれない理由』です。

神さまは私たちが立ち上がるような出来事を、そこかしこに置いてくださる。それでパウロは言うのですね。(ピリピ人への手紙)4章の4節を見てください。

4いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

本当に落ち込んでいる方にこういうことを言いますとね、喜べる要因は他にいくつかあるのですが、だけど、やっぱり立ち上がらないのです。それはこの人生いいことばかりではないから。そして、その目は悪いことの方に思い煩いの要因を全部向けさせる。

神さまは私たちが感謝できるような事柄をいくつか置いてくださる。道端に石ころのように置いてくださる。それが道端に咲くタンポポかもしれない。そこにふっと心を寄せた時に、あぁ春が来た、あぁ道端にこんなに素晴らしく咲いている花もある、と思うのですけれども、次の瞬間に、また自分の心が辛い辛い問題に持って行かれて、心が落ち込む。だから立ち上がれないのです。

希望の光は確かに見た。味わった。でも自分が引きずっている現状が、あまりにも行き詰まっていて、あまりにも重たくて、先に進む力が湧いて来ない。まだ無理、全然無理です、と(立ち上がらない)。

しかしパウロが言いたいのは、目に見える現実があるのであれば、もう一つ、信仰の目によって見えてくるもう一つの現実があるよと(言うのです)。(その霊的な現実に目を向けるように、私たちに勧めています。)
      
それが、5節の「主は近いのです」、口語訳聖書では「主は近い」。新共同訳聖書では「主はすぐ近くにおられます」。実は「すぐ」ということばは、原語のギリシャ語にはないです。だから一番簡単な訳は「主は近い」です。
でも往々にして、近いと言いますと、私たちは主の再臨を信じていますから、主はもうすぐ来る、お出でが近いという風に理解してしまいます。これが解釈が分かれるところです。

新共同訳聖書は、あえて「主はすぐ近くにおられます」という風に訳した時に、それは「再臨の主がもうすぐ来られる」という意味ではなくして、「復活の主はあなたのすぐ近くにおられる」という意味だよということを、解釈的に訳の中に入れ込んだのです。私はあまり入れ込むのは好きじゃないですけれども、とてもいい訳だと思います。

★エルサレムからエマオという町へ向かっていた、あの二人の弟子の姿がルカの福音書に出て来ます(24:13)。十字架の出来事が終わった後、失意のどん底で二人の弟子たちが街道を旅していました。暗い顔つきで、希望をかけていたあのメシアであるキリストが十字架の上で死んでしまった、(とすっかりしょげ返って)とぼとぼとぼとぼ歩いて行く弟子たちに、彼らが知らない間に、いつの間にかともに歩いておられたように、主は近いのです。

★十字架の上で息を絶え、墓に納められ、その遺体に香料を塗りに来たマグダラのマリヤ(マルコ16:1、ヨハネ20:1)。イエスの遺体が墓にないことを発見します。呆然とそこに立ちすくんでいるマリヤ。どうしたらいいのかわからないマリヤはただ泣いているだけです。そのマリヤに向かって、やっぱり後ろから復活の主イエス・キリストは「マリヤ」と呼びかけておられます(ヨハネ20:16)。復活の主はすぐ近くにおられました。

だから思い煩わないで、主に打ち明けなさい、とパウロは教えています。一人で抱えて、孤独に苦悩していないで、誰にも打ち明けられないで、孤独に心病んでいないで、私に打ち明けなさい、と主はおっしゃる。

3)そうすれば、人のすべての考えにまさる主の(神の)平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(7節)

いきなり気づけば、いきなり癒されるかもしれない。しかし往々にしてそうではない。今日の「天の窓」に古川先生(この4月から十和田教会牧師)の「聖書の効能」というの(題)があって、これはなかなか上手に書いてあるなぁと思います。

真ん中の欄の3行目、先生は聖書に出会う前、ちょっとしたことでイライラして、上手く人間関係が築けない性格でした云々と書いてあります。
次の段落には、「聖書は上記のような症状によく効きます。しかも、副作用がまったくありません(笑)。ただ、症状が改善するまでには、漢方薬のように少し時間がかかります。ですから、途中で聖書を読むことを止めてしまうと症状の改善にはいたりません。毎日毎日、読み続けてくださることを心からお願いします。」
(次の段落には、)「一年読み続けますと、イライラが改善します(笑)。2年で見栄っ張りが改善し、楽に生きられるようになります。3年すると、いつの間にかよい人たちに囲まれていることに気づきます。また、人を自然と許すことができるようになります。4年すると、神様の気持ちがジンジンと伝わってくるようになります。まさしく聖書は生きた神のことばです。」(会衆からアーメンの声)

漢方薬だけは妙に熱心に飲んでいて、薬だけは飲むのを忘れない人が、聖書は全く読まない。結構あるでしょう。聖書を全く読まない。聖書を開くと真っ白。ボロボロなのは大事に扱ってないからボロボロなのであって、よく読んでいるからボロボロなのではない。どれぐらい聖書を読んでいるのだろうか?漢方薬を熱心に飲むように、聖書を読んでいるのだろうか?

パウロが言うには「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださる」(ピリピ4:6〜7)と言う、それくらいに届こうと思うならば、この聖書のことばを暗記して、自分に繰り返し繰り返し言い聞かせていくことがとっても大切です。それをしないなら、スコット・ペックが言うように、いつまで経っても立ち上がれないです。

伝説のアメリカ人宣教師ラッセル・モールスは、20年ぐらい前にアメリカのタイムマガジンが、最も献身的な宣教師5人とその家族の特集を組んだ時にも、取り上げられた人物です。
彼は中国の奥地からチベットにかけて伝道し、中国が共産政権になった時に捕えられます。ある日、彼のところに警察がやって来ます。
「いっしょに来てもらおう」
「では、衣類を整えて来ます」
「その必要はない、そうしたことはわれわれが面倒を見る」 
          
彼は、18ヶ月投獄されます。そのうちの15ヶ月は独房だったそうです。独房は何のためにあるかというと、廃人にするためにある。独房には窓はなく、壁の上の方に小さな穴が開いていて、そこから光が漏れ、空気が入って来ただけです。ベッドもなく、地べたにわらが敷かれているだけ。

彼は15ヶ月間、誰とも話すことを許されず、日に一回だけ、ドアの下の扉が開いて食事のトレイを渡される。それだけ。15ヶ月間、聖書もなく、何を読むこともできない。だれとも話すこともできない。ましてメガネを取られた彼は、ほとんど何も見えない。その暗〜い暗〜い空間に、ただ一人置かれていた。

彼は来る日も来る日も、自分の記憶から聖書を読みます。自分の親しんだ讃美歌を口ずさみます。このラッセル・モールスが、記憶の中から一日に何度も復唱して、思いを寄せた聖句がこの6節なのです。

6何事も思い煩わないで、あらゆるばあいに(というのは独房に入っていてもです)、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事(その悩み、思い、暗闇、絶望、失望、落胆、そのすべて)を神に知っていただきなさい。(神に打ち明けなさい。)

思い煩うな、というのが無理です。何事もと言われても無理です!どんな場合にもと言われても無理です!でも彼はこのみことばを、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせていく内に、人のすべての考えにまさる神の平安が、彼の心を守ってくれた、と言います。

これが聖書の効能です。人のすべての考えにまさる神の平安がなせる『奇跡』です――神の愛が『奇跡』をもって彼の心を守った――彼は15ヶ月の独房生活を終わって、正気を保ったまま出て来ます。

あぁ、主は近いのです。主はあなたのすぐそばにおられるのです。ですから、主にすべての思い煩いを打ち明けて、この弱く、しぼめる心を守ってください(と祈りましょう)。

☆終わりのお祈り

恵み深い天の父なる神さま、本当に小さな思い煩いが、いつの間にか気球のように(膨らみ、)心の中をすべて占めて、善いことが沢山あったとしても、感謝すべきことがらが道端に転がっていたとしても、目もくれることもなく、自分の世界に閉じこもってしまうのが私たちであります。思い煩うのを止めろと言われてもやめられない。立ち上がることも立っていることもできない(弱い私たちです)。

だとしたら、「あなたがたの願い事を祈りによって、神に知っていただきなさい。神に打ち明けなさい。」(とおっしゃるなら、)神に打ち明けよう(と思います)。「どうか私たちのすべての考えにまさるあなたの平安を、私たちの心に満たしてください」と、何度も何度も、このみことばを一日の中で繰り返し、自分に言い聞かせるように、読み取ることができるように(私たちを助けてください)。

一年読み続けるとイライラが解消し、2年読み続けると、見栄っ張りが改善すると、3年すると、いつの間にかよい人たちに囲まれ、4年すると、神さまの気持ちがジンジン伝わるようになると(古川先生も実感を込めて)言うこの聖書に、もっと親しむことができるように(私たちを導いてください。)

そして、よみがえって今も生きておられるイエス・キリストが、私たちのすぐそばにおられるということを実感することができますように、私たちを助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

☆聖餐式

聖餐式の讃美歌393番「しみもとがも」を賛美、パンとぶどう液の聖さんに与る

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2012.04.09 - 20:28

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

h2a4m2 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 178.159.37.111
<a href=http://SlammaTep.com>SlammaTep</a>
4mael2qjsq77j4epau
2017.06.25 - 12:13 
Name   E-Mail   Password

 前文 4/15神の人モーセ(16)マナ 
 次文 4/22午後は教会コンサートです
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
346Simple view *^^*4/29神の人モーセ(18)主の御座の上... T・Y 2012.05.01 3721
345Simple view *^^*4/22神の人モーセ(17)マサとメリバ [1] T・Y 2012.04.24 4925
344Simple view *^^*4/15神の人モーセ(16)マナ  [15] T・Y 2012.04.17 4739
343現在参照中の文章です...4/8イースター説教「主はあなたの近くに... [1] T・Y 2012.04.09 1939
342CCF20120408_00000.jpg [1.7 MB] ダウンロードSimple view *^^*4/22午後は教会コンサートです [2] T・Y 2012.04.09 5451
341Simple view *^^*みことばとともに歩む受難週 T・Y 2012.04.02 3769
340Simple view *^^*3/18神の人モーセ(15)マラからエリ... T・Y 2012.03.20 3777
339Simple view *^^*3/4神の人モーセ(14)前進せよ T・Y 2012.03.05 4940
338Simple view *^^*2/26神の人モーセ(13)海の中を歩い... [2] T・Y 2012.02.28 4569
337Simple view *^^*2/19 神の人モーセ(12)主が前を進... [1] T・Y 2012.02.21 4899
336Simple view *^^*2/12 献堂記念聖日:主の御前の人間模... T・Y 2012.02.14 4821
335Simple view *^^*2/5 神の人モーセ(11) 信仰生涯の... [2] T・Y 2012.02.06 4680
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*