名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 333 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   9/30 神の人モーセ(29)十戒(9)偽証をしてはならない
9/30 神の人モーセ(29)十戒(9)偽証をしてはならない

☆洗礼式   砂川はるか姉

●賛美 イ讃美歌450番「とうときわが主よ罪の身は」

●式の説明と洗礼授与
 ……ハイと答えること、アーメンと言うこと、この二つはこれからの信仰生活を送る上で、とても大切です。神さまはいつもあなたに目を留め、その名を呼んで導き出してくださいます。罪を示して、(悔い改める)勇気と力を与えてくださいます。いつでも神さまにハイと答えて、ありのまま神さまの前に立つことができるように、素直な心を持っていてください。
アーメンとはその通りに進みますという意味です。信仰生活では祝福ばかりではなくして、試練のときもあります。祝福には神さまによってアーメンと言います。そして試練をも、すべてのことを働かせて益としてくださる神さまに、信頼をもってアーメンと言って試練を通ります。
神の呼ぶ声にハイと答え、神がくださるすべてのことをアーメンと言って受け取るときに、私たちは聖霊によって変えられます。
砂川はるか、私は、父と、子と、聖霊の名において、(***頭に3回手で水をつける滴礼による)あなたにバプテスマを授けます。アーメン。

●藤本牧師より約束のみことばと祝福のお祈り

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Uコリント5:17)

恵み深い天の父なる神さま、今日は砂川姉にとって、地上における誕生日だそうです。あなたは姉妹に地上における誕生日を与えてくださったのみならず、今日神の子どもとして新たに生まれ変わることを許してくださいました。姉妹は人生の旅路の中で、ある時行き詰まり、自分の罪深さを感じ、あなたの御前にやってまいりました。
姉妹の信仰を導いてくださいましたチャーチ・オブ・ゴッド川崎教会の古波津百代先生をあなたは尊く用いてくださいました。やがてご主人と結婚され、今あらためて洗礼の恵みにあずかり、神の家族に加えられ、キリストのもとに成長しようと第一歩を印すことができました。
私たち教会員は姉妹を家族として受け入れ共に成長したく願っています。姉妹を受け入れるこの高津教会をも祝福してください。またグループを祝福してくださり、ご家族を祝福してください。「すべてのことが新しくなりました」というあなたのみことばを心から信じますので、日々新しい気持ちで毎日を精一杯生きることができるように、そして祝福も試練もすべてあなたに信頼し、感謝し、アーメンと言って受け取ることができるように、信仰を育ててあげてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

●(拍手)砂川姉のご挨拶
あのう、只今、ここで洗礼を受けさせていただきました砂川はるかです。よろしくお願いいたします。こちらの教会に昨年の12月から通わせていただいて、その間教会員の方々に本当によくしていただきましてありがとうございました。特に神さまが私をこの教会に導いてくださって、今日この日まで導いてくださったんだなぁということを感じています。どうかこれからもよろしくお願いいたします。(拍手)

☆お知らせ

●教会の非常食が12月で賞味期限を迎えますので、今日600食のうち200食を販売します。コンビニで150円を100円です。今月と来月で消化し、全部新しくしたいと思います。ペットボトルは500個用意してあります。これは5年間持ちますので、5年後に販売したいと思います。(笑)ぜひご協力をお願いいたします。

●来週の日曜日、明日から10月になり秋のシーズンに入りますが、第一聖日(7日)は聖餐式礼拝になりますので、ぜひ覚えてお集いいただきたいと思います。(***藤本牧師はJECA甲府教会でご奉仕のため、聖餐式の司式とメッセージは聖宣神学院院長・河村従彦先生になります)。

●今日「天の窓」が発行されました。編集の方、寄稿してくださった方々に感謝いたします。ずっと定期的に発行できている皆さんのご協力を心から感謝いたします。

☆新しいさんび (賛美グループのリード)

@教会福音讃美歌485「あなたの平和の」
A同405「御手の中で」

☆始めのお祈り

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Uコリント5:17)

恵み深い天の父なる神さま、今朝洗礼を受けました砂川姉にとりましても、10年、20年、50年前に洗礼を受けた私たちにとりましても、その恵みは等しく変わらず、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」との、あなたの真実な約束は今日も変わらずに生きていることを心から感謝いたします。

私たちが新鮮な思いであなたの救いの恵みを受け取ることができるように、洗礼を受けた後の人生、紆余曲折があったとしても、あなたの御前に立つときにいつでも「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」との約束を確信するために、あなたは私たちに洗礼式を与えてくださいました恵みを心から感謝いたします。

今礼拝に座っている者の中には、これから洗礼の恵みにあずかる方々もいらっしゃいますでしょう。どうかあなたが最善のときを備えてくださり、私たちを神の国へと招き続けてください。

台風が通り過ぎて行きますが、明日の朝交通の混乱がありませんように。またいろんな所で秋の収穫を控えて、戦々恐々とこの台風を見守っておられる方々がいますでしょう。どうか日本の国の多くの方々の苦労を、あなたが支えて守って上げてください。

今日礼拝に来ることができなかった方々の上にも、同じ恵みをもって臨んでくださることを心から信じ、これからみことばに耳を傾けて行きたいと思いますので、私たちの心の目を開いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖書個所 (新改訳第三版)     

出エジプト20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

*司会者に読まれた個所    ルカの福音書23:33〜43    
 
33「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
34そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
35民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
36兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
37「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
38「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
 39十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

☆説教     偽証をしてはならない

開いていただきましたルカの福音書の23章ですが、そこに週報を挟んでいただいて、出エジプト記の20章を見てください。

「神の人モーセ」の生涯をずっと見ておりますが、十戒に入りまして第9戒目。
十戒の第1は見ていただきました3節に「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
第2戒は、4節にあります「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」
第3戒は、7節にあります「あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。」
第4戒は、8節の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」
第5戒は、12節の「あなたの父と母を敬え。」
第6戒は、13節の「殺してはならない。」
第7戒は、(14節の)「姦淫してはならない。」
第8戒は、(15節の)「盗んではならない。」
そして今朝は(16節の)あなたは身の周りの人に対して、「偽りの証言をしてはならない」――今日は、これと、洗礼式のメッセージをともに重ねてみたいと思います。

偽りの証言を隣人に対して為してはならない。
英語の格言に「人から名声を奪うことは、財産を奪うよりも痛々しいことだ」というのがあります。周囲の人の悪評をたてる・中傷する・陰口を言う、ということは盗みを働くよりも、その人にとって罪深いことだと(いう意味です)。
そして、これこそ最も身近な問題です。私たちは周囲の人の陰口を言います。英語ではバック・バイティングbackbitingと言いますが、背中から噛み付く――日本語では陰でその人の悪口を言う(ことです)。

メソジストの伝統はこれをとっても大切にします。それはジョン・ウェスレーという人が、メソジストの伝道者10名を集めて、自分たちは絶対に陰口を言わないという誓約書に署名したからです。そしてウェスレーは、それはメソジストの誇りだと言いました。
でも裏を返しますと、それほど彼は陰の批判によって傷ついてきたということです。自分がいないところで、自分の事をいかようにも非難される。そのようにして人は傷ついていく。
 
神さまが、特に口から出てくる罪を警戒しておられることは、見逃してはいけない。
それは十戒を見てもよくわかります。
口から出る罪には、ふたつある。一つは、「神の名をみだりに唱えてはいけない」という、十戒の第3番目です。

出エ20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

口のことばをもって、神を冒涜するのがそれだとすれば、十戒の教えのもう一つの罪は第9番目の「隣人に対する偽りの証言」です。

(出エ20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。)

これは、法廷を設定しての話だけではありません。23章を見てください。

出エ23:1偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。

レビ記19:16にこれは開きませんが、「人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。あなたの隣人の血を流そうとしてはならない。わたしは主である。」 

ものの言い方は同じで、「人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない」、出エジプト記では「偽りのうわさを言いふらしてはならない」とあるように、私たちが誰かを批判し誰かの陰口を言う時に、それは流れて行くということです。

私たちは、そういう陰口を言っている時に、往々にしてそれを流そうとしているのです。人の間にそれが行き廻ろうとしていますよね。そしていつの間にか、尾ひれはひれがついて、だんだんその人に対する批判の度合いが増していきます。
それは、レビ記にあるように、「血を流す」という罪に等しい。後ろから人を斬りつけてはならない。

さて、今朝は、この視点から、キリストの十字架の出来事をルカの福音書に見ていただきたいと思います。ルカの福音書の23章に戻っていただいて、もう一度23章を33節から読んで行きます。

33「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

ゴルゴタの丘に十字架につけられたのは、イエス・キリスト一人ではありませんでした。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に、合計三つの十字架がありました。

34そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」

そして(周囲は)いろいろ話して(***侮辱・嘲弄して)います(***ルカ23:11、35〜38)。そして39節(〜42節)。

39十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

イエス・キリストが十字架に追いやられていく場面、今日は詳しくそれを見ることはいたしませんが、一番最初に大祭司が七十人の全議会を集めて、この人物が死刑に値するかどうかということを審議した時に、マルコの福音書には、人々は偽証を立てて、イエスを死刑に追いやった。しかし偽りの証言がくいちがって、とうとう裁判としては死刑という所にはいたらなかったと書いてあります。(マルコ14:55〜59)

イエスは偽りの証言によって、十字架に追いやられて行きます。そして(ルカ23章)39節にイエスの隣で十字架にかかった犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。自分を救って、私たちを救え」(と言ったことが記されています)。

「あなたはキリストだ」というのは、皮肉にも真実です。偽りではありません。しかし、この悪人は、真実を言うつもりでではなく、馬鹿にするつもりで「あなたはキリストではないか」――つまり、「もしおまえがキリストなら、自分を救って私たちも救ってくれ」と、侮辱を込めたことばを吐きます。

そのとき、反対側の犯罪人が真実を告白しました。その真実は二重の真実でありました。もう一度40節、41節を見ていただきたいと思いますが――(***40,41節をもう一度読まれて)

@自分の罪深さ、つまり私たちは罪深い者たちで、ふさわしい罰を受けている。
Aこの方は全く無罪で、十字架はこの人にはまるでふさわしくない。

3番目の真実がある――(***42節を読まれて)イエス・キリストは神の御子であるということを告白します。

自分の罪を告白し、イエス・キリストは十字架に値することは何一つなさっておられないということを告白し、そして、イエス・キリストが天の御国の鍵を握っておられるということを告白する。

今日はこの場面から、2つのことをともに学んでみたいと思います。

1)真実にいのちをかける人がいる

偽りの証言をしてはいけないということは、真実を語れということですが、その真実を語ることにいのちをかけている犯罪人です。

この犯罪人は、十字架にかかっているその苦しみの中で死を迎えています。十字架の上で、身体が裂ける苦痛と、今までの人生の後悔に苦しんでいる彼。
しかし、その彼は、苦痛の中から、最後の勇気ある行動に出ます。それは、人々が主イエスさまに浴びせる中傷に抵抗する。イエスさまの無実を、自分のいのちの最後の一滴を振り絞って立証する。
全世界が、イエスさまを中傷する中で、彼だけは、この犯罪人だけは、イエスさまは悪くないと、イエスさまの側に立つ。
イエスさまが感激されたのは、彼の信仰だけではないでしょう。彼の勇気です。

ちょっと、これを私たち自身に当てはめて考えてみたいと思います。
十字架を巡って、人は右と左に分かれていきます。右側に、主を中傷し、罵って、嘲って、偽証を立てている人がいる。左側に、最後の力を振り絞って、イエス・キリストの無実を訴えている人がいる。

この右左の流れの中で、たとえばローマの総督ピラトという人物は、はじめはイエスの無実を主張した側にいました。(ルカ23:14、22)
彼は、イエスさまの無実を知っていました。ちょっとこの(ルカ)23章の14節15節を見てください。13,14,15と私の方でちょっと読んでいきます。

13ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆を呼び集め、
14こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。
15ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。

ピラトはイエス・キリストの無実を知っていたのです。そして民衆を前にそれを堂々と宣言しました。しかしこのピラトに対して、「イエス・キリストを十字架につけろ」(マタイ27:22,23、マルコ15:13,14、ルカ23:21,23)という民衆の怒号に、彼は徐々に負けていくのです。

マルコ福音書を見ますと、彼は「群衆のきげんをとろうと思い」(マルコ15:15)と書いてあります。
そうしてピラトは、だんだん偽証を立てて、イエス・キリストを十字架につける側に傾いて、やがてキリストを十字架につけろという決定をすることになります。(ルカ23:23〜25)

私たちが、気をつけなければいけないのは、こういうことです。
つまり、自分自身から中傷が出て来なくても、中傷の側に、いつの間にか、立っていることが往々にしてあるのです。
自分はその人に罪がないと思うのだけれども、周りがその人を責める中で、徐々に自分の立場を変えて行く。
無実を知っていながら、この人に責任がないのを充分知っていながら、その批判が該当しないのを知っていながら、その場を穏便に済ませよう、周りの機嫌をとろう、周りの流れに合わせよう、どうせ自分には関係がないから……。
そうして、気がついてみたら、周囲の中傷を受け入れ、中傷に乗っかっている自分がいるのです。

犯罪人の一人は、そういう意味で、ピラトと見事なまでに対照を描いています。彼はイエス・キリストの無実に執着します。
彼は自分を悪者に回しても、イエスさまの無実だけは、その真理だけは、いのちをかけて守ると主張したかったのです。
彼は、イエスさまが救い主であることを、いのちをかけて証ししました。
自分の罪深さ、イエスの無実、そしてイエスが神の御子である、というこの真実だけは、いのちをかけても守り通したい、と告白したこの犯罪人に対して――2番目に――イエスさまもまた真実を尽くされます。

2)イエスさまを真実に告白する者に、イエスさまは真実を尽くされる

それがルカの福音書の(23章)43節。

43イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

驚くばかりのコメントです。犯罪人はイエス・キリストを初めて見ました。イエス・キリストはこの犯罪人をこの日初めて見ました。でも人の心の中にあるものをすべて知っておられる主(***使徒1:24、15:8、ロマ8:27、エレミヤ17:10、Tサムエル16:7)は、この人物が何をして来たか良くわかっておられたはずです。この人物が十字架にかかるのにふさわしいほどの罪深き行いをして来たことも、全部知っておられました。

しかしイエスさまは、彼の信頼に答えられました−−きょうあなたは、わたしとともにパラダイスにいます。
「良い羊飼いは、羊のためにいのちを捨てます」(***ヨハネ10:11)とおっしゃったイエスさまは、彼のためにもいのちを捨て、彼をご自身といっしょにパラダイスに連れて行くと、約束されました――まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。

洗礼というのは、こういうことです。さまざまな事情があって病床で洗礼を受けるようになる方もいらっしゃいます。でもそこに家族や友人たちが立ち会います。
洗礼というのは、自分の信仰の告白を神さまだけにするのではない。
自分がイエス・キリストを救い主だと信じている、この事実をなるだけ多くの人たちの前で、堂々と宣言することが洗礼です。

初代教会はローマ帝国によって迫害を受けていました。そしてローマ帝国はキリスト者をあぶり出すために、礼拝にこっそりと、憲兵のような警察を送り込んでいたという記録があります。そしていったいだれがキリストを信じているのかということを判断していく中、教会は信じている者と信じていない者の区別を明確にしていきました。

であるがゆえに洗礼を受けるならば、堂々と皆の前で受けてほしい。その信仰の告白を自分自身の口で捉え、そしてだれが洗礼を受けたクリスチャンであって、だれが洗礼を受けていないのかということを明確にするために、洗礼式を礼拝の中で行いました。
当時洗礼を受けるということは、もしかしたら自分もまた十字架にかかるかもしれないという、その弾圧の脅威の中で、初代のクリスチャンは皆洗礼を受けていました。

洗礼は、自分自身の罪深さ――自分が神の子どもとされるのに、何ら資格がない(***ルカ15:21、ロマ7:15,19,20,24)という――その告白であり、イエス・キリストは私の罪の代わりとなって十字架にかかってくださった(***Tペテロ2:24、イザヤ53:5、ロマ4:25,5:8)という告白であり、イエス・キリストこそが、天国の鍵を持っておられる(***マタイ16:19、黙示録1:18,3:7)この方こそが全権を握っておられ(***マタイ28:18、エペソ1:21、コロサイ2:10)、この世界を支配しておられる神の御子である(***ヨハネ1:3,3:31,35、Tペテロ3:22)ということを告白する(ことです)。

それを勇気を奮い起して告白した人物に対して、なんとイエス・キリストはさらりと、何の問題もなかったかのように、さらりと、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」とおっしゃいます。

イエスさまは彼の真実な告白に、真実に答えてくださいました。
主の愛の真実が彼を包んで、死の苦闘にあって彼を守り、彼を抱えるように、イエスさまはこの犯罪人を天国の旅に連れて行ってくださいました。

私たちは誤った対象にいのちをかけてはいけない。時にそれが自分の財産であり、時にそれが自分の家族であるかもしれない。ましてや、偶像に自分のいのちをかけるな。もしいのちをかけるなら、あなたのためにいのちを捨て、あなたを抱きかかえて、どんなことがあってもパラダイスにともに連れて行く、とおっしゃるイエス・キリストにかけなさい。そういう人生を送りなさい。
  
ソビエト時代に有名なパステルナークという小説家がいました。余り知られていないかもしれませんが、有名な作品は知られています。「ドクトル・ジバゴ」でノーベル賞受賞の作品で、ソビエトはこの小説を革命批判に値すると受け取り、パステルナークに受賞を断るように強要します。
パステルナークはノーベル賞作家として決定いたしますけれども、ソビエトから出ることも、ノーベル賞を受賞することもありませんでした。

やがて「ドクトル・ジバゴ」は(映画になり、)アカデミー賞を取ります。1965年の古い映画ですが、「ララのテーマ」という主題曲だけは、誰もが知っているでしょう。
映画は、こんなシーンで始まります。

革命の後、ソビエトの幹部であったエフグラフ・ジバゴ将軍は、ダムで働く一人の若い娘トーニャと出会います。
彼女は、幼い頃、モンゴルで迷子になった自分の姪に違いないという風に、将軍は確信します。
        
もしそうだとしたら、彼女の母親はラーラ、父親はユーリ・ジバゴ(つまりドクトル・ジバゴ)なんです。
でも、トーニャには両親の記憶もなく、名前も知りません。
そうして将軍は、若い娘の親であるドクトル・ジバゴとラーラの苦節に満ちた物語を語り始めるということで、物語は展開します。

将軍は、なんとかトーニャに幼い頃のことを思い出させようと話をします。
「トーニャ、どうして迷子になったの?」
彼女は答えます。
「うん、いつの間にか迷子になっていたの」
でも彼は、また尋ねます。
「いつの間にって、おかしいじゃないか。どうやって迷子になったんだ?」
「革命が始まって、町に火がつけられて、私とお父さんは逃げようと走っていたの。そして、気がついたら迷子になっていたの」

「そこだよ、気がついたら迷子になっていたというのは、どういうことなの?」
将軍はトーニャを追い詰めるように尋ねます。
とうとう彼女は泣きながら言います。
「街に火が放たれて、みんな一斉に逃げて、私もお父さんも逃げて、それからお父さんが私の手を離したの。そして、気が付いたら迷子になっていたのよ」

将軍は言います。
「わかるだろう。ぼくはそこを言いたいんだよ。トーニャ。
君の手をつかんで走っていた男は、君のお父さんじゃないんだよ。お父さんなら娘の手を離すもんか。
トーニャ、ドクトル・ジバゴが君のお父さんだよ。もしあのとき、この人が君の手を握っていたら、君の手を離すことはなかったんだよ」

私たちはみな、人生に迷います。そして、私たちはどうして迷ったの?と言われますと、いや気が付いたら迷ったの、というものの言い方をします。考えて見たら、私たちは、間違った人の手をつかんでいたら、その人はいつの間にか、手を離してしまいます。いざというときに手を離され、戦火の町のど真ん中で私たちは迷子になって、そして、「気がついたら迷子でした」(と言う)。
でも父なる神さまは、そして「良い羊飼いであり、羊のためにいのちを捨てます」とおっしゃったイエスさまは、私の手を離すことはない。だから、私たちは間違った人の手を握ってはいけない。

イエスさまはおっしゃいました。「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(***ヨハネ6:37)「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)
わたしはあなたを神の国へと、あなたの手を握って連れ上る。わたしはあなたを離れない。(***へブル13:5、申命記31:8、出エ13:21,22)

イエスさまについて真実に証しした者を、イエスさまはその御手から離すことはありません。いのちをかけて守っていてくださる。(***イザヤ41:10)これが偽証を立てずに、イエス・キリストに対する真実を貫いた私たちの姿、そして真実に信仰を告白した者を、生涯離さず天国に連れ上ってくださる主の愛の真実であります。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、私たちは神の子とされる資格が何一つないことを知っています。それは真実です。あなたの十字架が私たちの罪の身代わりであったことも真実であり、あなたにはこの世界を支配し、この世界を刷新する力(***Tペテロ1:3)があることは私たちにはよく解っています。

今日、公に洗礼の恵みにあずかりました砂川姉とともに、私たちも自分自身の信仰を新たにし、あなたに対する真理の告白を新たにしたいと思っています。
どうか私たちのたましいの中にも、「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」「わたしのところに来るあなたを、わたしは決して捨てない」というその声を、私のたましいに響かせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2012.10.01 - 20:34
LAST UPDATE: 2012.10.03 - 17:29

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

Name   E-Mail   Password

 前文 洗足学園音大チャリティ・コンサートのお...
 次文 9/16 敬老の聖日:信仰生涯の深み―本...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
370Simple view *^^*10/28召天者記念礼拝:信仰の杖一本で... T・Y 2012.10.30 15899
369Simple view *^^*十戒(10)むさぼってはならない [2] T・Y 2012.10.23 4655
368Simple view *^^*10/14 キリストに見つめられる ルカ... T・Y 2012.10.16 4464
367KSC.pdf [1.1 MB] ダウンロードSimple view *^^*第27回 関東聖化大会のお知らせ [1] T・Y 2012.10.07 2231
366CCF20121007_00003.jpg [1.1 MB] ダウンロードSimple view *^^*洗足学園音大チャリティ・コンサートのお... [1] T・Y 2012.10.07 5381
365現在参照中の文章です...9/30 神の人モーセ(29)十戒(9)... T・Y 2012.10.01 3848
364Simple view *^^*9/16 敬老の聖日:信仰生涯の深み―本... [1] T・Y 2012.09.18 5147
363Simple view *^^*9/9神の人モーセ(28)十戒(8)盗ん... T・Y 2012.09.10 3860
362Simple view *^^*9/2 『キリストの愛に取り囲まれて』U... T・Y 2012.09.03 8585
361Simple view *^^*8/26 『手を伸ばしなさい』 ルカ6:1... T・Y 2012.08.27 5022
360Simple view *^^*8/19 神の人モーセ(27)十戒(7)... [3] T・Y 2012.08.20 8057
359Simple view *^^*8/12 神の人モーセ(26)十戒(6)... [1] T・Y 2012.08.14 5406
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*