名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
::: 高津教会 説 教 :::


394 133 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   キャンドル・サービスの説教:「救い主は私のために」ルカ19:1〜6
キャンドル・サービスの説教:「救い主は私のために」ルカ19:1〜6

クリスマス、おめでとうございます。(おめでとうございます)。世界中の人々がこのように、クリスマスを楽しみ、クリスマスを祝い、この12/24日の夕べ、高津教会に、救い主の生誕のために、共に集まり、賛美を聴き、また賛美をしたり、また聖書のみことばに耳を傾ける私たちに、救い主イエス・キリストは限りない恵みをもってこの年を締めくくることを許してくださり、また新しい年へと踏み出すことを許してくださると思います。
聖書のみことばは、式次第の一番下に書いてあります。ちょっと私の方で読んでまいります。

ルカ19:1それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
4それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

クリスマスのことを、日本語ではキリストの降誕あるいは聖誕と言います。降誕の方が一般的だろうと思います。降誕のこうは「降りる」という字です。たんは誕生日の「誕」。
降りるということは、神さまという方は天高く座しておられて、私たちの生きざまを見て嘆き悲しんでおられる方ではない。
神はこの世に降りて来られた。栄光の座を捨てて、私たちの中に降りて来られた。私たちの中に住み、私たちと同じ境遇を味わい、私たちの労苦と悲しみ、罪と恥を背負うために降りて来られた。
身を低くして、おとめマリヤより生まれ、ベツレヘムの家畜小屋、飼葉桶に寝かされた――それがキリストの降誕でありました。

降誕ということばが「降りる」という意味と、そして「(誕生)生まれる」というこの二つの文字からできているのですが、「神の御子がこの世界にお生まれになった」ということより、「神が私たちの世界に身を低くして降りて来られた」というテーマの方がより象徴として強いと言ってもいいと思います。

そして今晩一緒に見ていただきたいのは、いま読みました、ルカの福音書19章の5節「急いで降りて来なさい」。この世界に降りて来られた神が、一生懸命木の上に登ったザアカイに声をかけています。「ザアカイ、降りて来なさい」。

私(藤本牧師)の友人のインマヌエル長岡教会の勝間田先生が、クリスマスの劇を一度ザアカイを題材に創られたことがあります。もちろんその劇のシナリオには、創作部分が沢山入っているのですが、なかなかよくできています。
その創作部分はこういう出だしなのですが――ザアカイは、イエスさまのお父さん、ヨセフさんと同じベツレヘムの出身であったと――まぁ聖書には、そんなことは書いてないのですけれども(笑)――こう始まります。

そしてあのローマの皇帝から人口調査の命令が出た年に、彼もお母さんに連れられてベツレヘムに入ります。その頃ザアカイは小さな少年でした。お父さんはすでに亡くなっていて、母ひとり子ひとり、そういう設定でクリスマスの劇が始まります。

故郷に帰るのはいいですが、身を寄せるところはもうありません。近くの宿屋はみないっぱいです。途方に暮れて、お母さんの手に引かれたこの少年。すると、親切な宿屋のおじさんがやって来て、「そうだ、裏の馬小屋でよかったら空いてる。泊って行かないか?」と。行ってみると、その馬小屋には先客がいました。それがヨセフさんとマリヤさんでした。

その夜、小さなザアカイ少年は一時も眠れませんでした。家畜がうるさい。そして子どもは生まれる(笑)。羊飼いは礼拝しにやって来る。大騒ぎで、彼は一睡もできなかった。そのザアカイは決意します。「僕が大きくなったら、お母さんには二度とこんなところには泊らせない。僕が大きくなったら、立派なベツレヘム・プリンスホテルに(大笑)泊らせるようにする」――これが勝間田先生の創作劇ですね(笑)。

このザアカイという人間を見てみますと、もしかしたらそのような背景があったのではないかと考えさせられます。

2節を見ていただきますと、こう始まりますね――「ここには、ザカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった」と。1節には、エリコという町に、ザアカイという人がいたと。エリコというのは、大きな町です。取税人というのは、文字通り税金取りです。でもこれは今日の税務署の職員とは違います。

当時ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。植民地です。そしてローマの人々は頭がいい。橋を渡るにも、道路を行くにも、市場に行くにも、さまざまなところで税金を徴収いたします。でも自分たちで徴収すると、帝国が反感の種になる。そこで占拠政府は、直接税金を徴収するのではなく、現地の人の中から取税人を雇った。

ということは、取税人という職業は、ヘブル民族のプライドを捨てて、ローマにそのプライドを売り渡し、祖国の裏切り者となって祖国の人々から法外な税金を徴収する、そういう職業です。だれも好き好んでそんな職業に就いていたわけではない。きっと隠れた事情があったに違いありません。

そう思いますと、イエスさまを一目見ようと願いながら、人垣でイエスさまを見ることができずに、4節「前の方に走り出て、いちじく桑の木に登った」というのは、何ともザアカイの人生を象徴しているに違いない。
登る。登り詰めてやる――それが彼の人生だったに違いありません。人から何を言われてもいい。どうせ取税人になったならば、そこでもかしらになるまで、彼は登りつめて行く努力を重ねて行くのです。
なんとか彼は自分の価値観をこの世界に証明しようと一生懸命だったに違いありません。
私たちもまた、そうして登って行きます。がんばって、一段と上を登ります。自分の存在価値をみんなに見せてやる、そういって自分の価値を稼ぎまくっているうちに、心も人生も歪んで行きます。

イエスさまは彼に声をかけました。大きく2つ。先ず第1番目に――

1)降りて来なさい

栄光の座から降りて来たキリストは、人を蹴落として人生を登り詰めて行ったザアカイに対して、「降りて来なさい」(と声をかけられました)。
大丈夫だよ、降りて来て。わたしは栄光の座を捨てて、身を低くして降りて来た。だからあなたも降りて来なさい、と。

一昔前、バスケットボールのスーパー・スターにマイケル・ジョーダンという選手がいました。彼は小さい頃バスケットが下手で――彼が語っている話なのですが――ある日、友だちから馬鹿にされて落胆して家に帰って来ます。
すると、お父さんが言います。
「よし、これからお父さんといっしょに毎日バスケットを練習しよう」
お父さんは少し大きめのリングの輪っかを作って、それを竿の上にくっつけて、竿を手に持って、息子に言います。
「さぁ、どんどんシュートを打ってごらん」
お父さんはシュートが外れそうになりますと、リングを動かして這いつくばって(笑)、なんとかそのボールがリングの中に入るように(笑)整えてあげるのです。
マイケル・ジョーダンが言うには、そうやって練習していく内に、バスケットが楽しくて楽しくて仕方がなくなった。

お父さんはリングを高〜く上げて、「さぁ、あのリングがお前の目標だ。さぁ、あそこにシュートを決めて、お父さんを喜ばせてくれ」と、息子には言いませんでした。「お父さんは、おまえがミスするどんなシュートも受け止めてあげる」と、地に這いつくばるようにして低くなるお父さんの姿に、彼は自分の人生を楽しんでいく、ということを学んでいくことになります。

イエスさまは、ザアカイに向かい、また私たちに向かい、「だめじゃないか、こんな人生では」とはおっしゃいません。「降りておいで。そんなに高く昇り詰めないで降りておいで。わたしのところに降りておいで。そのままのあなたを受け止める」(と言われます)。
そうしてザアカイはキリストのもとに降りていきます。あるがままの姿で、私たちの罪深い人生を受け止めてくださることになっています。

2番目は、イエスさまがこのザアカイに声をかけた2番目のことばは、「泊る」。

2)泊る

――あなたのところに、今日、泊ることにしてある。
独特な言い回しです。この日まで、ザアカイはイエス・キリストのことを知りません。でもイエスさまが来られるということを知って、一目見たいと思って人垣をかき分け、それがだめで木の上に登り、そして目が合った、というこれ以上の偶然はないのです。ところがイエスさまは、「それは偶然ではない。神の摂理の中にあって、それは予定されていた。そう決められていた」というものの言い方をされます。

わたしはあなたのところに泊ることにしてある――この独特な表現は実はルカの福音書には、他に4個所出てくる。それを全部紹介しませんが、その4個所とも英語では“It is necessary〜”とか、あるいは”I must〜”。 necessary とかmustという表現が使われています。そうせねばならない。そうせねばならない、というのは、義務として強制的にそうせねばならないという意味ではなくして、必然の問題。あるいは必要の問題。わたしは、必然的にあなたのところに泊らなければならない。そういう定めになっている。その必然性というのは、あくまでイエスさまの側から見た、神の側から見た必然性であって、わたしはあなたのところに泊ることになっている。泊らねばならない。

ザアカイにしてみれば、別にその必然は感じなかったでしょう。私たちにしてみれば、救い主イエス・キリストの誕生も私のためにあるという、これは必ずしも必然性を全く感じない場合もあるのかもしれない。
でも神さまの側からみれば、わたしは、あなたを救うために世に来た。わたしはあなたのところに泊ることにしてある。
そして、この泊るという動詞は、実に密着性の強い動詞です。

聖書の中で非常に密着感のある動詞は、「共に食事をする」ということばと「泊る」ということばです。
食事をするときに様々なものをいっしょにお腹の中に入れます。ですから汚れていると思われる人とは、一緒に食事をしない。
一緒に食事をするというのは、温かな交わりに入ることで、それ以上に人を泊める、あるいはその人の家に泊るというのは、あなたのうちに入る、あなたとともにいる、あなたと一緒にいるという概念です。

ザアカイも私たちも一生懸命自分の何かを証明するために、人を押しのけ、往々にして大切なものを犠牲にし、人生を歪めて来た。
でも神さまの必然性というものは、あなたのところにわたしは泊らなければならない。留まらなければならない。

申し上げましたように、ザアカイはそうは思っていなかったでしょう。一目イエスさまを見ればそれで満足だったに違いない。しかし、神さまはそうではなかった。
気が付いてほしい――あなたはわたしを必要としている。解ってほしい――わたしはあなたの必要のために、この世界に降りて来た。しかもそれは、今日降りてきた。

ルカの福音書を見ていただきますと、「きょう、あなたの家に泊ることにしてある」(19:5)。まさに一瞬の出会いでありましたけれども、その出会いでイエス・キリストはザアカイを離しませんでした。――救いの歴史を動かすという非常に大きな動きの中で、今日はあなたの家に泊る計画だ、今日はあなたの人生と共に時を過ごす予定だ。

人々に押しのけられて、冷たい目で見られていたザアカイを、ここまで心にかけて、追いかけて、泊るとおっしゃった主の愛。主の愛が、この夜ザアカイの心を温め、ザアカイの人生を変えました。

そこには記してないのですが、9節に「この人もアブラハムの子なのだから」という、イエスさまの表現があります。
ザアカイは、ローマ帝国にたましいを売り飛ばしてしまった売国奴だと、みんなからつまはじきにされていた、そのザアカイに向かって、みんなの前でイエスさまはおっしゃった――「この人も神の子なのだから」。だれもそうは思っていない。恐らくザアカイはもちろんそうは思っていなかったでしょう。

しかし、イエスさまは、そうは考えませんでした。(***つまり売国奴とつまはじきされている孤独な人間とは考えないで、神の子だと考えてくださったのです。) 
「あなたは実は神の民だ。愛された神の子どもなのだ。あなたのためにわたしは生まれ、この世に降りて来て、そしてあなたのために十字架を背負った。【この人】も神の子だ」。
【この人】の中に私が入っていますように。今晩私もその中に入っていますようにというのが、私たちの祈りです。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、あなたのご愛は天から単に私たちの現状を見つめ、慰め、声をかけられたのではなく、あなたご自身がこの世に降りて来て下さり、私たちに向き合ってくださる。そして小さな小さな人生を、上に登り詰めようと一生懸命努力している私たちに、「そのままのあなたをわたしは受け止める」と、「降りて来なさい」と、声をかけてくださいましたことを、心から感謝いたします。

今日の礼拝が私たちの人生にとって特別な礼拝となりますように。ザアカイのように、喜んであなたを心に迎えるクリスマスでありますように、よろしくお語りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2012.12.25 - 22:10

175.133.12.55 - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; Trident/5.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30729; .NET4.0C; OfficeLiveConnector.1.5; OfficeLivePatch.1.3; BRI/2; BOIE9;JAJP)

Name   E-Mail   Password

 前文 12/30 年末礼拝:「救いを腕に抱き」...
 次文 みことばと共に行くアドベント(4)
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
394Simple view *^^*2/24神の人モーセ(32)契約の血 出... T・Y 2013.02.26 9453
393Simple view *^^*2/17 選ばれた人生を行く 創世記13:... T・Y 2013.02.18 7446
392Simple view *^^*2/3転会式と説教:神の人モーセ(31)... T・Y 2013.02.04 7391
391Simple view *^^*1/27教会総会聖日:「へりくだった主に... T・Y 2013.01.28 9531
390evergreen.pdf [1.2 MB] ダウンロードSimple view *^^* エバーグリーン・子どもゴスペルコンサ... [371] T・Y 2013.01.28 43522
389Simple view *^^*1/20 あるものとないもの 使徒3:1〜1... [1] T・Y 2013.01.21 6662
388Simple view *^^*1/6初聖日礼拝:「再生はあり得るのか?... T・Y 2013.01.07 792
387Simple view *^^*説教音声ファイルがダウンロードできます 牧師 2013.01.03 5759
386Simple view *^^*1/1元旦礼拝・聖さん式:「初めの日から... [1] T・Y 2013.01.03 13918
385関東新年聖会.jpg [663 KB] ダウンロードSimple view *^^*関東新年聖会のお知らせ T・Y 2013.01.02 7355
384Simple view *^^*12/30 年末礼拝:「救いを腕に抱き」... T・Y 2013.01.01 5383
383現在参照中の文章です...キャンドル・サービスの説教:「救い主は... T・Y 2012.12.25 5755
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前の頁はありません 次頁
前へ戻る 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*