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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/1元旦礼拝・聖さん式:「初めの日から」ダニエル10:1〜14
1/1元旦礼拝・聖さん式:「初めの日から」ダニエル10:1〜14

☆お知らせ

●先にちょっと新しい方々を含めて紹介しておきたいと思います。この後また、挨拶の時を持ちますので、(それぞれ拍手で歓迎)
・秋田から横溝道範兄のご家族が全員今日来ていらっしゃいますね。私は一番下のYくんに「顔が変わったねぇ」と、さっき失礼なことを言ったなぁと思います(笑)。Yくんにしてみれば、「先生こそ一番変わったじゃない」とそういう風に言われるんだろうなと思うのですが(大笑)失礼いたしました。
・柏から糸井兄姉が来ていらっしゃいます。クリスマスもいらっしゃったのですけれども、何といってもSくんが来ています。
・T姉、S姉のお二人とも、おめでたです(4月・5月の予定)。お祈りに覚えて拍手したいと思います。お二人とも大分目だって来ておられるので、私たちは少し前から知らされておりますけれども、母子の健康のために皆さんに祈っていただきたいと思います。
・今日帰省しておりますけれども、T姉のところにもちょうど同じ頃出産予定で、この春3人の子どもたちが教会に与えられることは感謝でございます。
・先ほど聖歌隊のメンバーとして歌っていただきました長澤姉のご主人拓さんは、病院に複雑骨折で入院しつつ年を越すということでございます。ぜひ覚えていただきたいと思います。
・昨年結婚式を挙げました長岡ようこ姉、ごめんなさい、苗字が変わっているのですね。御苗字なんでしたっけ?(笑)はい、田原さん兄弟とようこさんです。おめでとうございます。

●今日は週報の間に新年聖会の案内が入っています。場所は中目黒教会で、中目黒教会も高津教会と同じように駅からとっても近い教会で、東急東横線の中目黒駅から3分ぐらい。
是非聖会に、1/14の祭日、祝日でありますけれども、この日午後だけで2つ集会がありますので、どちらでも結構ですので、できたら両方ご出席いただけたらと思います。聖会では私たちの教会の高橋正義兄が証しをしてくださいます。

●私たちも随分新しい讃美歌に慣れてまいりました。でも節(ふし・メロディー)が違うということがちょっとありまして、それから先程のイ552番(くすしきかな救い主)のように、あまりにも歌い慣れているので、今更歌詞を変えるのはちょっとどうかなというのもあります。
どういう風にしてイ賛美歌を新しい讃美歌の中に組み入れるかは、いま検討中です。なるべく指揮者や週報の案内に従って、ご協力いただければと思います。

●では新しい讃美歌の(福450)「私たちは一つ」、この讃美歌の1節と2節を立って歌いますが、歌い終わりましたならば5分ほど挨拶の時間を取りたいと思います。
挨拶は「明けましておめでとうございます」は言う必要がない(笑)と思っています。第一に必要なことは自分の名前を言うことで、大抵7―8人には挨拶を交わしていただきたいと思います。お立ちいただいて450番を――(そのあと挨拶タイム)――

☆始めのお祈り

主に感謝するのは、よいことです。(詩篇92:1)
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。(この日の交読詩篇91篇より1節
それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。(同9節)

恵み深い天の父なる神さま、私たちはあなたの陰に宿る者たちです。私たちはあなたを避け所として生きている者です。あなたは私たちを敵の手から、病から、昼の危険・夜の危険から守ってくださいます。それでも私たちは倒れ、苦しみ、ゆるぎの危険にさえさらされます。その時にも、あなたは私たちに向かって、「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう」(同14節)と救いの手を差し伸べてくださいますから感謝いたします。

全能者の陰に宿るものは全く危険にさらされないということはあり得ません。私たちがこの世に住んでいる限り、今年もさまざまな出来事があるに違いありません。しかしいつでもあなたを愛し、あなたによって助け出されるところの高津教会でありますように。

またこの教会の裾野をどんどん広げてください。ある意味、あの方の名前が分からない、あの方は久しぶりだ、ということが私たちの教会の誇りとなることができますように。いつでもみんなの顔といつでも会うメンバーが同じの教会ではなく、さまざまな意味で入れ替わり、時に旅する者も私たちの教会にいて、時に様々な問題を抱えている方々が新しく私たちの教会に来て、しょっちゅう新しい方々を紹介する教会と為し得てください。

元旦礼拝の恵みを感謝いたします。今日のこの日、働いておられる方もいらっしゃるに違いありません。どうかその方の上に同じ恵みが注がれますように。またお出かけの方もいらっしゃるに違いありません。どこに居ても、行くと帰りを守ってくださる神が守ってくださり、初聖日にともに礼拝をささげることができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

☆聖書個所          ダニエル10:1〜14

1ペルシャの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。
 2そのころ、私、ダニエルは三週間の喪に服していた。
3満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。
4第一の月の二十四日に、私はティグリスという大きな川の岸にいた。
5私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
6そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがき上げた青銅のようで、そのことばの声は群衆の声のようであった。
7この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人々は、その幻を見なかったが、彼らは震え上って逃げ隠れた。
8私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。
9私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。
 10ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。
11それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。
12彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
13ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
14終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

☆説教         初めの日から

ダニエル書の10章を開いていただきました。10章に入る前にちょっとしばらく説明のことばを聞いていただきたいと思います。
ダニエル書というのは、ネブカデネザル王のバビロニア帝国を舞台にしています。バビロニア帝国というのは今のイラクですね。以前のフセイン大統領が一番尊敬していた王はネブカデネザルでありました。
時代は紀元前7世紀後半、バビロニア帝国はアッシリアを征服して、地中海東海岸全域を支配するに至ります。
紀元前586年、バビロンはエルサレムを攻め落とし、エルサレムの神殿は火で焼かれ、民は捕囚として遠いイラク、バビロンの地に連れ去られて行きます。
そこで彼らを待っていたのは、彼らの信仰を全く理解しない異教の社会でありました。

特にダニエルにとっては厳しいもので、彼はバビロンの社会の中枢に入ることになります。
バビロンのネブカデネザル王は、捕囚の民の中から優秀な青年を選んで、バビロンの大学に行きなさいと命じます。
そのようにしてダニエルは、青年の頃から、自分の信仰を全く理解しない人々に取り囲まれて、彼は一生、バビロンの帝国は途中で滅びますから、当然メディアの帝国、最終的にはペルシャの帝国と(いう風に国の支配が何度も入れ変わっていた時代)、自分の信仰を全く理解しない人々の中で、(異教社会で)生きることになりました。
              
私は聖書の中で、ダニエル書が一番日本人キリスト者にふさわしいと思っています。
私たちもまた、キリスト教信仰を全く理解しない社会に少数派として生きています。
ザビエルによってキリスト教が日本に伝来して以来、未だに教会は社会にあって居場所を見つけようと必死です。
ミッションスクールは確かに定着しました。しかし、教会はそうではありません。
そして、私たち日本人キリスト者は、ダニエルのように、自分の信仰を理解しない社会にあって、苦闘していると言ってもいいと思います。

(私たちクリスチャンは)どこまで行っても少数派。
しかし、ダニエルのように神さまに守られ、力を与えられ、ダニエルのように正直に誠実に生きていくことで、希望と平和に生きることで、この世にあって輝くことができると信じているのが私たちですね。

私(藤本牧師)はダニエルを考える度に、有名な「屋根の上のバイオリン弾き」という映画を思い出します。
映画は、夕暮れ時に、屋根の上でバイオリンを弾く男から始まります。そしてユダヤ教の結婚式で始まります。
屋根の上でバイオリンの弾く曲は、映画の主題歌 "Sun Rise Sun Set"(日は昇り、日は沈む)というあの曲ですが、弾いている場所は、いつ滑り落ちてもおかしくないほど鋭い傾斜の屋根。でもその上で、なんとも暖かく、なんとももの悲しい、バイオリンを弾く男。
実際バイオリンを弾いているのは、アイザック・スターンというユダヤ人の有名なバイオリニストですね。

映画は、第二次大戦前、帝政ロシアを追われていくユダヤ人を描いています。
屋根の上というのは、ユダヤ人の歴史を表わしている。彼らは平坦な地に住んだことはない。
旧約聖書を見れば、バビロンに滅ぼされ、アッシリアに滅ぼされ、やがてギリシャ、ローマに支配され、そして新約聖書に入って、紀元後70年に国を失います。ロマア帝国によって国を失い、放浪を強いられ、迫害され、いつも危険と隣り合わせに生きて来た。
しかし、そんな場所で、いつでもユダヤの人々は、滑らず、流されず、あんなに美しく、バイオリンを弾くことができる。

なぜだろうか?というのが今日の礼拝のテーマです。
私たち日本の教会もいつも危険と隣り合わせて、しかしそんな場所で滑らず、流されず、美しく、賛美のメロディーを奏でることができるのは、なぜだろうか?

1)心に定めていることがあるからです。

今日はこの10章の12節に集中したいと思いますので、10章の12節は先ず最初に読みたいと思います。

12彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。

「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から……」ということは、ダニエルには、心に定めていることがある(と解ります)。

実は、「心に定める」という動詞は、ダニエル書で2回しか出て来ません。
最初は1章の8節に出てきますので、ちょっとそれは見たいと思うのですが――。
ダニエルは捕囚の民の中から、バビロンの大学に入って、将来が約束されている人物として選抜されました。

1:8ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

ここに「心に定める」という動詞が出て来ます。場面はこういうことです。
ダニエルは、完全に王の世界に入ることになりました。でもその時自分は、王の食べるごちそうや、王の飲むぶどう酒によって汚されまいと心に定めます。
つまり、「信仰者として、クリスチャンとして、これだけは、譲れない」というものがあって当然なのです。

ソルジェニーツェンという、ロシアの現代のキリスト教文学者がいますね。私は大学生の頃に、ソルジェニーツェンがソビエトに捕えられ、彼が解放されるように、そしてノーベル文学賞を受けにスウェーデンに行くことができるようにという、署名運動をした覚えがあります。彼はノーベル文学賞を受け、もう一回ソビエトに戻って、やがてアメリカに亡命していきます。

ソルジェニーツェンという人物は、現代社会にあって、「知らないでいる権利」というものを主張した人です。
現代の人々は押し並べて「知る権利」を主張する。その頃まだインターネットはありませんでした。しかし、マスメディア、文書、そして週刊誌、新聞、書物、TV、ありとあらゆる情報をバケツで水を被せられるように、受けている。それは当然私たちが知るべき真理だと。権利だと。

有名なところでは、アメリカの裁判所にはTVカメラが入るのです。そして全ての裁判が、特に有名人、芸能人の裁判であればある程、どんな家庭でもその裁判の様子を見ることができる――これもまた知る権利の一つなのでしょう。
 
ソルジェニーツェンは、現代の人間にとって、知る権利よりも、むしろ知らないでいる権利の方が重要だと言った人です。
私たちは何でもやってみたい、知ってみたい、別にいいじゃないかと、それを当然の権利として提供する大衆社会があって、その罪と汚れを「拒む」権利が、実は私にはある。

ダニエルたちは何の引け目もなく、堂々とこの「知らないでいる権利」を主張します。 
その一線というものを、ダニエルは、「王宮のごちそうとぶどう酒を食べない、飲まない」というところに引きました。
勿論、実際に食べ物で、たましいが汚れるということはないです。
私は、お酒を飲んだら天国に行けない、などとは全く考えていません。私は考えていない。
イエスさまが仰ったように、「人は食べるもの、外から入ってきたもので心が汚れることはない」(***マルコ7:15)。イエスさまは明確に仰いました。

では、なぜダニエルはその一線を考えたのか? それには二つ理由があると思いますが――
理由@自分の同胞が奴隷生活に苦しんでいる、自分の仲間たちのことを考えたら、自分だけが、こんなごちそうを食べ、高価な飲み物を飲んでいいんだろうか、と考えたのです。
クリスチャンは、自由です。しかし、その自由を用いて色々なことをするときは考えます。他のクリスチャンは、どうするだろうか。いや、イエス・キリストならどうお考えだろうか?

理由A王のご馳走や酒を避けるとは、単に食べ物の問題ではありませんでした。
それは、ご馳走と酒を取り囲んでいた文化ですね。日本でも時にあてはまりますね。宴会にまつわる道徳的廃退を意識していたはずです。最初は控えめに、でもだんだん引き込まれて、最後にはバビロンの文化に呑まれてしまう――ということを意識した。
                  
そこで、ダニエルはこの一線を心に定めました。心に定めるとは、強い意思決定です。それを、10:12の視点から言えば、ダニエルはこのとき、「神に向かってへりくだる」事を心に定め、自分の生きて行く指針を神さまのみこころとすることを、定めた。 

私たちの生活には、その場で臨機応変に対応すべき事柄も沢山あります。
何が何でもクリスチャンの原則をすべてのことに貫く――そんな厄介なクリスチャンにはなりたくないと私は思う。
しかし、譲ってはならないこともあります。その譲ってはならないことは絶対に譲らない、と最初から線を引いておかないと、いつの間にかその誘惑に呑まれてしまう。
              
ダニエルにはそういう自覚があったからこそ、彼は心に定めたのです。

2)そんなダニエルに、イエスさまは触れ、愛してくださいます。

ダニエルには、青年時代、順調なときがありました。苦しいときもありました。
特に、この青年時代の物語1章には、例えばこう記されています。1章9節、

9神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

神さまが彼の人間関係を計ってくださり、おおよそのことがうまくいくようにしてくださったということですね。17節を見てください。

17神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。

神さまは知識とあらゆる文学とを知る知恵と能力とをお与えになった。つまり、1章のこの段階において、神さまはダニエルの人間関係を祝し守られ、ダニエルに特別な能力と才能を与えて彼を用いてくださった。
                    
もちろん、彼はやがて政府の仕事に就きますと、周囲にねたまれ、罠にかけられ、そんな中でも、神さまが彼を守っておられる場面がいくつも出て来ます。
そんな力強いダニエル、そんな勇気あるダニエルが、実はここ10章では倒れているのです。

ここから10章に戻っていただきたいのですが、10章の8節を一緒に読みます。

8私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。

人生そういう時が必ずやって来ます。ここしばらく、ダニエルは断食ばかりしていました。
9章では、ダニエルは先祖の罪を強く示され、それを自分のこととして受け止めて、断食します。
10章では、1節の4行目にありますように、「大きないくさのこと」を示され、2節で、「3週間の喪に服して」います。
具体的にはよくわかりません。しかし歴史に起こる、自分の人生に降りかかる様々な困難を目のあたりにして、彼は、3節を見ますと――

3満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。

だけでない。彼は力が抜け、顔の輝きもうせ、そして力を失う。

私たちも一年の間に、こういうことは何度もやって来る。一晩中寝られないという日もあれば、そしてほとんどやつれてしまうような場面もあれば、別に断食と思ってなくても、食欲が無くてどんどん痩せて行くような日もあれば、順調な時、逆境な時、逆境の中でも神さまに守られながら、しかし最終的には、倒れてその顔の輝きを失ってしまう日もやって来るでしょう。

本来能力もあり、人間関係にも恵まれ、おおよその危機を乗り越えてきたダニエルでありますが、そんなダニエルが、力を失い、首をうなだれるだけの苦しい体験もあったということです。

そのとき、ちょうどその時――このことばがいいのです。10節――

10ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。
 
触れるというのは、とってもパーソナルなことです。
小さな子どもは、お母さんのほっぺたを触ったり、自分のほっぺたをお母さんのほっぺたにくっつけたりします。
一度翔太(藤本牧師のお孫さん)が機嫌のいいときに、孫がお母さんにキスをしていました。そして思わず、おばあちゃんにもおじいちゃんにもしたら?(笑)みたいな話になりまして、おばあちゃんのほっぺたにキスをしていました。それで、はい、おじいちゃんと出した時に、翔太はしばらく考えて(大笑)とうとう(笑)。どこに違いがあるんだ(大笑)と思いますけど(笑)、その子どもなりの躊躇の仕方……じーっと考えて、あ、この人は違うなと(大笑)止める……。
この触るとかくちびるをつけるとは、とってもパーソナルです。

「触れる」ということば――イエスさまが何度も触れておられますけれども、これはパーソナルです。

 それから、彼の耳元で語られたことば――これは独特ですよ。11節――
11「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。」
これに尽きますよ――「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばを聴け。」

ちょっと簡単に3つに分けて、心に留めていただきたいと思いますが――

@11節の3行目「私は今、あなたに遣わされたのだ」ということばがあります。
     
つまりダニエルが顔の輝きを失い、力うせたその時に、父なる神がイエス・キリストをダニエルのところに遣わされる。イエスさまが私のところに来てくださる。私のために来てくださる。特別な形で来てくださる。その目的は一つ――私が元気になるために父なる神さまより遣わされて来られる――明らかですよね。

Aもう一つ解ることがあります――「何度も触れてくださる」ということでしょう。

「触れる」という言葉は、(次の3個所に出て来ます)。
10ちょうどそのとき、一つの手が私に「触れ」、私のひざと手をゆさぶった。
16ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに「触れた」。
18すると、人間のように見える者が、「再び私に触れ」、私を力づけて、

顔の輝きが戻るまで何度でも触れてくださるイエス・キリストです。

Bもうひとつあります。触れてくださる度に、一つのことが繰り返して語られます。
それが先ほどの11節「神に愛されている人ダニエルよ」あるいは、19節「神に愛されている人よ」。
触れるたびに、「あなたは神に愛されている」というメッセージが語られているのです。

以前、お話ししたことがありますが、アメリカの医学雑誌に、娘に超未熟児の子どもが生まれたお父さんの投稿記事が載っていました。
超未熟児はわずか600g。初めて対面したときのもうびっくりしてしまいました。
自分の指輪をとってその子につければ、腕まで肩まで入ってしまうのではないかと思うぐらい細かったと。

その子にはお父さんがいなくて、お母さんである娘もショックで、(赤ちゃんと)上手に接することができない。
その時、看護婦さんから言われたそうです。
「この子の背中を指先でそっとなでてください。そして、触れるたびに言ってください。
『愛しているよ。大切な大切な赤ちゃん』と。
赤ちゃんは、触れられている感触と、愛情を注ぐ声を一つのこととして理解します」と。
      
苦しみの中にあったときに、ダニエルのところに神さまはイエスさまを遣わされますね。遣わされたイエスさまは何度もダニエルに触れて、「神に愛されている人よ」と何度も声をかけてくださる。

私たちは、2013年の元旦礼拝で、まず第一番目に
1)今年、神の声を聞き、この世を生きることを心に定めます。この世を生きる原則は、神の声を聞くということを第一とする、ということを心に定めて私たちは2013年に踏み出します。
2)苦しみの時に主に触れていただく。格別に、今日のように聖餐にあずかるときに、主の愛の声を聞くのです。

主に触れていただくというのは、その手で平手打ちを食らうということではないです。主は必ず私たちの傷に手を差し伸ばして触れてくださる。
そのとき、私たちは自分の傷が何であるのか、解っていた方がいい。
自分の心の傷を何度も何度もいじり回して、そこにおぼれているのは愚かなことです。
イエス・キリストはその傷に触れてくださる。そして言ってくださることは、「あなたは神に愛されている」。

私たちは人生の中で人に裏切られ、親に虐待を受けることもあるのかもしれない。
でも、一番尊いのは、神に愛されている自分をイエスさまの口から聞くことです。その度に自分の厄介な思い出を何度も何度もいじり回すことのないように。イエス・キリストにあって、自分は配下に生まれ変わっているのだという現実に気が付くのですね。

3)三番目、これで最後で、ポイントの内容は短いです。

それはもう一度10章の12節に戻っていただくと解るのですが、あるいは拾い読みをしていただくと解るのですが、
それは、そのように神に愛されたダニエルには、最初の日があったということです。
その最初の日以来、彼が意識していようがいまいが、いつも彼の祈りは聞かれていました。

12「ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれている。」
                  
その初めの日は、いつだったのか。
もちろんダニエルにとっては、青年時代の王のごちそうを断った、「あの日」でありましょう。

以前、教会のある兄弟が洗礼を受けて間もなくして、お仕事でとっても難しい局面に立たされたことがありました。
その兄弟は、果たして相手が理解してくれるだろうかという、緊張の日、鞄に聖書一冊を入れて、その面談に臨みました。
そしてその面談が成功したということを、後の祈祷会で証ししておられました。

私たちは今だったら、鞄の中にいろんなものを入れて行くのでしょう。でもその兄弟は、聖書一冊を入れて面談に臨んだのです。
もしかしたら、それがその兄弟にとって、「初めの日」だったのかもしれません。自分は神以外、頼みとするものはない。
私たちには皆、神のみを第一とした、第一とする「初めの日」があるはずです。ないという人はない。少し忘れている人もいるかもしれない。

でもそれだけではない。礼拝は、いつも「初めの日」です。
以前、礼拝で、スコットランドの西にアイオナ島という小さな島の教会の入り口に記されている言葉を紹介したことがあります。
This is the first day of the rest of your life.
今日という日は、あなたの人生の残りの第一日目、「初めの日」である。
      
神の御前で礼拝を捧げようとするとき、聖餐にあずかるとき、心を定めて御心を悟ろうとするとき、神の御前でへりくだろうと決めるとき、その日はいつでも、最初の日、「初めの日」になります。
そして、今日は2013年の初めの日です。私たちは、心を定めて、主の御前にへりくだり、聖餐の恵みにあずかり、雪よりも白くなって、この年に進んでいきます。  

そして今日、私たちは、心を定めて神さまの御前にへりくだるのなら、その「初めの日」から、主は私の祈りを聞いていてくださる。今年の私の祈りを聞いてくださる。
どんなに倒れて顔の輝きを失い、力を失って失望してしまったとしても、主は何度もやって来ては、ご自身の愛を教えてくださる。
このことを心に留めて元旦をスタートしたいと思います。

☆お祈り

「神に愛されている人ダニエルよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。
彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。」(ダニエル10:11〜12)

恵み深い天の父なる神さま、今日が再びその「初めの日」となりますように。あなたを第一とし、あなたを恐れる者としてください。

今日の「初めの日」があるからこそ、この年いかなる出来事があったとしても、私たちが厳しい状況に立たされれば立たされるほど、父なる神はイエス・キリストを私たちの傍らに立たせてくださり、「恐れるな。あなたは神に愛されている」そのことばを聞かせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖餐式

では聖餐式に移ります。福261(しみも咎も)の3節に入りましたら、聖さんの分餐をしてくださる方は前に出てください。

*******(役員の男性が前に出て藤本牧師よりきよめられる)

これから私たちは救い主イエスが定められた聖さんの礼典にあずかりたいと思います。
ダニエルのように神を第一にすること、そして神に仕えるこそ私たちの人生の最大の喜びと心に定めようではありませんか。今年一年間、皆さんの人生に、日本に、またこの教会に、心を留めます。でもどんな不安の中でも、神がイエス・キリストを私たちのもとに遣わしてくださる。私たちを励ましてくださることを心から信じましょう。

この聖さんの礼典において、私たちはイエス・キリストの十字架の死とみ苦しみを覚えます。また霊において私たちがキリストの中にあり、キリストも私たちの中におられて、私たちとキリストとは一つであることを告白します。

さらに私たちは先ほどの挨拶ではありませんが、この聖さんにあずかると、兄弟姉妹とも一つにされて、キリストが私たちを愛されたように、互いに愛し合い、心を一つにして主に仕えることを証しします。

どの教会に属する方でも、洗礼を受けてこのような信仰に立っているならば、是非ともに聖さんにあずかってください。もしまだ洗礼を受けていない方の上に、心からの祝福をお祈りいたします。ここに座しておられるだけでも、大きな祝福です。そしてまた神さまの最善のときを用意してくださり、洗礼の恵みにあずかることを心から祈ります。
讃美歌の4.5.6節、歌詞の場合は4.5.6と書いてありますので、歌って少し心を静めたいと思います。

*******(パンが回る間、今日の聖書個所を朗読)

私は、ひとり残って大きな幻を見たが、私はうちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ちあがれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。アーメン。
(ダニエル10:8〜12 アーメンを唱和して、一同一緒にキリストの裂かれた肉であるパンをいただく。)

*******(ブドウ液が回る間、いつもの聖書個所を朗読)

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。(ですから)わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:1〜5)
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(同15:7)
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。アーメン。(同15:12 アーメン唱和して、一同一緒にキリストの流された血であるブドウ液をいただく。)

しばらく奏楽を弾いていただいて、その間にカップを回収いたします。終わりましたら、中村康之兄に聖餐式の感謝の祈りをしていただきます。

●中村兄の祈り(アーメン・その通りに信じますの意)は牧師や兄姉たちの声かけ

天の愛する神さま、今日の素晴らしい最初の日、新しい日、私たちは昨年受けた沢山の恵みの感謝をもってこの場に座し、また新しい年への期待と願いとをもってこの場に座しております。しかし当然、私たちの心からは、不安や恐れや迷いも消えることはありません。

神さま、私たちのこの世界には決して正義や公平ばかりでなく、不正や悪もあり、また私たちの肉体にも、いつも健やかであるわけでは決してなく、病や衰えや疲れがあることを私たちはよく知っています。

けれども神さま、そのような私たちが弱い時こそ、主のみ手が私たちの上に力強く働いてくださることも、私たちはまた確かに知っており、信じております。(アーメン)。いや、むしろそのような私たちが苦しむとき、試練の時こそ、私たちは心から主を礼拝し、主に祈り、あなたの前にへりくだり、主を恐れかしこむ者となることができます。そのようにして、本当に心からの信仰、真剣な本当の信仰を学ぶことができますから心から感謝します。(アーメン)

そのために私たちの主イエス・キリストは、我々の弱さも、罪も、汚れもすべてその身に背負ってくださり、十字架にかかってくださいました。この十字架の愛のみわざ、心から感謝します。(アーメン)。そして主は死に打ち勝ち、闇の力に打ち勝って、栄光の座についてくださいました。この栄光の勝利を心からたたえます。いま私たちの上に御霊が宿っていてくださり、私たちがたとえ気づかなくても、その上にとどまっていてくださいます。どうぞシメオンにしてくださったように、私にも大いなる希望の約束を御霊が与えてください。(アーメン)。待ち望んでいた希望を与えてくださいますように心からお願いします。

神さま、今日は聖さんの恵みにあずかれましたことを心から感謝します。イエスさまの流された血と、裂かれた肉とをもって、私たちを格別にきよめてくださり、霊肉を強めてくださいましたことを心から感謝します。(アーメン)
どうぞ今年も礼拝に出席する力を神さまが私たちに与えてください。そして主の愛の声をこの耳にはっきりと聞くことができますように。どうぞ礼拝を通して、主が私たちの心の奥底にある一番善いものを呼び覚ましてくださいますように働いてください(アーメン)。そのようにして、どうぞ我々が自分の最良のものを、最善のものを世に与えることができますように、主にささげることができますように、今年どうぞ助けてください。イエスさまの御名を通して、この聖さんに感謝してお祈りします。(アーメン)

☆賛美    福460「約束の地に」

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DATE: 2013.01.03 - 00:25
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