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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   罪を取り除いて祈るサムエル
罪を取り除いて祈るサムエル

Tサムエル7:1−14

 前回、少年サムエルの祈りを見ていただきました。まさに少年、子どもの祈りです。真っ暗な神殿で、一人で寝ている少年に神さまはいきなり声をかけ、現れます。しかし、少年サムエルは、純粋に素直に主に心を許して、「お話しください。しもべは聞いております」と主の語ることを聞きました。
 大人はそうはいきませんでした。自分たちの言うことは、神さまに聞いてもらいたい。でも、神さまのおっしゃることに耳を傾けるつもりはありません。神との魂の交流は何もないまま、ただ神の力だけを期待して、神の箱を戦いの場に持ち出しました。それは、幼稚な祈りでした。機械的な信仰でした。その結果、イスラエルの人々は戦いに大敗し、神の契約の箱は敵の手に持ち去られ、祭司エリは死に、その息子ホフニとピネハスも殺され、そのとき、生まれた子どもには、すべてを象徴するかのように、「イカボテ」(栄光は去った)という名前が付けられました。

               ●暗黒時代の幕開け

 さて、今朝は、そのような背景から出てくる、次の出来事です
 二節「その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた」
 なんと、主の契約の箱を失い、イカボテの時代が二〇年続きます。この二〇年のことはほとんど記されていません。祭司の一家が全滅し、希望を失った暗黒時代です。ペリシテの仕え、生活も心も荒れ果てる暗黒時代です。しかし、その二〇年という歳月を越えて、二節に「イスラエルの全家は主を慕い求めていた」という時がやって来たのです。
 二〇年、契約の箱があってもなくても良いような、礼拝してもしなくてもどうでも良いような、それでもごく普通の生活を民は送っていたに違いありません。それが、突然、主を慕い求めるようになります。それは、暗黒時代からの夜明けでした。
 夜明けの宣言は、預言者サムエルの説教で始まりました。
 三節「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます」
 心を尽くして主に帰れ――それは、他でもない、「罪を取り除け」ということを意味していました。ここにある外国の神々は、いつ彼らの生活の中に入ってきたのでしょうか。もともと、神との魂の交流は薄かったような信仰です。しかし、神殿の中心から契約の箱が消えてしまったとき、他の神々が中心に居座るようになります。心という神殿に、いつのまにか偶像が居座るようになります。成功という神、欲望という神、楽しみという神が王座に座ります。

 クリスチャンドラマの分野で開拓者的存在であるハロルド・エーレンスペーガーという人物がいます。彼は、宗教ドラマの実感を体験しようとドイツのある村に有名な受難劇を見に出かけました。彼は、敬虔なルター派の家庭に滞在しました。受難劇の俳優たちは、地域のコミュニティーから選ばれます。ドラマの監督は人々をよく観察し、その人の人柄と最も類似していると思われる新約聖書のキャラクターを選びます。
 エーレンスペーガー氏が滞在した家に、ジョンという名の十代の青年がいました。ある日、この敬虔な少年は、先生に話しをしたそうです。「大きくなったら受難物語でヨハネ(英語でジョン)の役をもらいたいな」――彼が言いました。「ぼくは、イエス・キリストの役を演じるようにはなれないよ。でも、一生懸命がんばって、ヨハネが愛したようにイエスさまを愛するようになれれば、もしかしたら弟子ヨハネに選ばれるかもしれない」
 エーレンスペーガー氏とジョンは友だちになりました。彼がアメリカに帰ってからも、数年間文通が続いたそうです。それから大きな変化がドイツに起こります。ヒットラーが権力を握り、国の若者は、この「新しいメシア」に従い始めました。ジョンの手紙もまばらになり、とうとう途絶えてしまいました。
 数年間、ジョンからの便りは途絶えていました。そして戦争です。ある日、一通の手紙が届きました。それは、一九三三年一〇月、ポーランドの消印でした。喜んで封筒を明けるものの、中に手紙はありません。代わりに、ドイツの新聞の切り抜きが入っていました。大きな写真が載せられています。
 写真の中央で、笑顔で勝利に酔っているのは、手を高く挙げ、側近に囲まれたヒットラーです。エーレンスペーガー氏は、写真をじっと見つめました。「あり得ないことだ……。いや、確かにそうだ」
 疑いはありませんでした。ヒットラーの隣りに立っているのはあのジョンです。背の高い、成長したハンサムな青年でした。そして親衛隊の制服を着ていました。
 エーレンスペーガー氏は、その写真をじっと見て、それからペンを取り、写真のヒットラーに矢印を付けて、英語で「イエス・キリスト」と書きました。そしてもう一つの矢印をジョンに付け、同じく英語で「彼の愛する弟子ヨハネ」と書きました。

 契約の箱が神殿から消えてしまったとき、民は他の神々に仕えるようになります。私たちの心から「主を愛する、主を信じる、主に仕える」というものが消えてしまったとき、その心に、他の俗的な神々が、邪悪な思いが居座り始めます。何にも居座っていないと言うことはないのです。何かがその心を支配しているのです。いつの間にか、従っていきたいというイエスさまがヒットラーに変わっても、一向に心を痛めず、満足していたジョンでしょう。でも、心の神殿には、イエスさまの愛とは、神の栄光とは、まったく関係もない、いや正反対のものが占めていたことは確かです。
 居座り始めて二〇年。民が、主を慕い求めたとき、サムエルが最初に求めたことは、「罪を取り除きなさい」でした。それまで、彼は祈っていません。
 四〜六節「そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。それで、サムエルは言った。『イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。』彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。『私たちは主に対して罪を犯しました。』」
 民は、素直でした。罪を取り除いて、「主に対して罪を犯しました」と正直に告白します。
 九節「サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ」
 罪を取り除き、罪を告白した人々に対して、サムエルは贖いのいけにえを捧げ、その罪の赦しを祈ります。それは、私たちが罪を離れ、告白し、そして十字架を仰ぐのと同じです。
 崩れていた神への祭壇をもう一度築くことを、やがてエリヤもヒゼキヤもヨシャパテも行います。恵みから落ちたものが恵みへ戻ろうとするとき、これ以外の方法はありません。本当にこれ以外にないのです。罪を悔い改め、それを捨て、そして真剣な祈りとともに、神を第一にする礼拝をする――それは国家にとっても、教会にとっても、個人にとっても、同じです。

              ●祈りの人サムエルがいる限り

 さて、今朝の箇所から、二点目を学びましょう。七節で、イスラエルの民が、ミツパに礼拝のために集まったことを聞いて、ペリシテ人は攻撃を仕掛けてきます。サムエルは主に叫び、それに対して勝利を得たとき、サムエルは、主に感謝の記念碑を建て、そして言います。
 一二節「ここまで主が私たちを助けてくださった」
 有名な言葉です。教会や個人の歩みの中で、区切りをつけるときには必ず、この言葉を引用するでしょう。「ここまで」とは、含蓄の深い言葉です。
  「ここまで」とは、この戦いの一部始終という意味にもとれますが、サムエルにとってはもっと先へとさかのぼることばでしょう。勝利だけではなく、この20年の敗北も含まれている。サムエルは純粋な、神の人でした。彼は、幼いころから、神殿の堕落を見て、民の偶像崇拝の話を聞いて、ホフニとピネハスのいじめにも遭いつつ、悲しみを覚えてきました。そして、大敗北からの20年の試練も、抑圧も、苦しみを、その目で見て、その身に受けてきました。とうとう、その苦痛が極限に達したとき、民は主に叫んび、主を慕い求めたのです。
 そのすべてを振り返ったとき、神の人サムエルの口から出てきた言葉が、これです。
 「主は、ここまで私たちを助けてくださった」
 敗北は、神の懲らしめであり、悲しみは神が備えられた悔い改めへの小道であり、それを全部ひっくるめての「ここまで」です。
 神の臨在の中を成長してきたサムエルには、そのすべてが見えていました。そして、奮い立って祈ったのでしょう。「ここまで主が、私たちを助けてくださった。」そして、主はこれからも助けくださいます。民の信仰はおぼつかないものがあったでしょう。しかしサムエルは絶対的な信頼を神に寄せました。
 この信仰と祈りのサムエルがいる限り、一三節にあるように、「こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた」のです。
 彼の信仰をより深く見てみることができます。それは、次なる登場人物サウルと比較すれば、すぐにわかります。イスラエルの第一代目の王サウルの生き様は一四・五二に記されています。
 「サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな、召しかかえた」
 これがサウルの生き方でした。人に頼り、人脈を作り、策を練るのです。そんなサウルに対して、激しい戦いが一生が続いていきます。
 それに対して、サムエルを見てください。彼は神を礼拝することを喜びとして、神を尊び、心の中心に神をおいたのです。それ以外に、彼の策はありませんでした。そのように祈るサムエルに、主は御自身の手を差しのばし、彼を祝福されたのです。

 スコットランドの町で、ある人が地方紙に不思議な広告を載せたことがある、という話しを聞いたことがあります。広告の前のページに大きな字で、読者がそのページの裏を見るように書かれています。読者がページをめくってみますと、なんとそこは真っ白です。目を凝らしてみると、右の端に小さな文字でこういう言葉が書いてありました。
 「あなたはまさか、こんなところに神を置いてはいませんか」。
  まさかこんなところに、といわれるようなところにサウルは神を置いていた。恐れもせず、愛すこともなく。サムエルの心の中には、いつも、あの祈念碑が。
 「ここまで主は私たちを助けてくださった」 

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DATE: 2003.08.18 - 00:21

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 次文 神を担ぎ出す愚かな大人と少年サムエル
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35現在参照中の文章です...罪を取り除いて祈るサムエル fujimoto 2003.08.18 10469
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