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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   「この子どもたちを祝福してください」(敬老の聖日)
「この子どもたちを祝福してください」(敬老の聖日)

 日本は、本当に長寿大国になりました。敬老の聖日、何歳以上からその対象になるのかと教会でもいろいろと考えているようです。私たちの教会では七0歳が区切り目ですが、しかし 最近では七五歳としている教会もあります。百歳を越えた方々が、なんと二万人いるのですから、 七〇歳ぐらいで壮健な方々をお年寄り呼ばわりするのは失礼かもしれません。
 教会では、そして聖書の考えでは、お年寄りはいたわる存在ではなく、なんと言っても尊敬の対象です。有名なレビ記一九・三二「白髪の老人の前では、起立をしなさい」とあります。それは、立って、席を譲りなさい、という意味ではなくて、尊敬を払いなさいという意味です。あるいはヨブ記一二・一二には、「老いたものには知恵があり、命の長いものには悟りがある。」
 大学生ぐらいに、何歳まで生きたいか?と尋ねると、かなりの人が六〇歳ぐらいまで、と答えます。八〇歳以上と手を挙げさせると、数人いて、みんなから「おまえ、本当にそんなに長生きしたいのか?」とからかわれます。私は今年天に召された、相馬兄や横田兄、そしていまもお元気な大橋姉などを見ていると、やっぱり八〇歳は越えたいな、と思います。正直、八〇歳を越えて、礼拝を守りたいな、と思います。
 有名な禅の哲学者に鈴木大拙という人物がいます。九〇歳から亡くなるまでの六年間、日野原先生が主治医となりました。鈴木大拙さんが若い秘書の方に語った言葉が、『生き方上手』という本の中に記されています。
  「君、長生きはしたまえよ。九〇歳にならないとわからないことがあるからね」
   喜びも、祝福も、人生の厚みも、神の恵みも、長生きしなければ分からないこともあるでしょうね。この視点は、実に旧約聖書に多く語らえています。長生きは神の祝福です。

             ●人生の旅路を振り返り
 
 ヤコブは創世記四七・二八にありますように、一四七歳まで生きました。晩年彼が、エジプトの王の前に立たされたとき、王は尋ねます。
  「あなたの年は、いくつになりますか?」
 「私の人生の旅路は、一三〇年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせでした……」
 「不幸せ」というのは、あながち間違ってはいません。兄のエソウから逃げて、遠くの国で生活し、そこで愛したラケルと結婚をしようと思ったら、姉のレアとも結婚させれ、やがて子どものことで、家族がぎくしゃくし、ラケルがベニヤミンを出産するとき、子どものいのちと引き替えるようにラケルは他界します。息子一二人の中で、ヨセフは兄たちから憎まれ、エジプトに売られ、死んだ者と聞かされて、しかし、その十数年後に、エジプトで総理大臣となったヨセフに、年老いたヤコブは会いに行き、そしてエジプトで暮らすようになるのです。ヤコブの一生は、時にわざわいに振り回され、人の策略に苦しみ、子どもたちの勝手な生き方の犠牲となり、生きた年数を重ねた分だけ、苦しみもあったのです。
 しかし、いま振り返ったとき、「神は、きょうのこの日まで、私の羊飼いであられた」と告白します。先日、宣教師のロス先生が詩篇の二三篇を紐解いてくださいましたが、ああ、なんとこの先生にふさわしい証のようなメッセージであったことか、と痛感しました。先生は、神学校を卒業されて日本にいらっしゃいます。しばらくして、再びアメリカに戻り旧約学の博士号をとられました。そして日本にいらっしゃいますが、やがて拠点をインドに移して、ネバールでも伝道されます。アジア地域を広く回るようになり、異国に入るたびに病気になり、だんだん消化器系も弱くなり、とうとう宣教しての働きを打ち切って、アメリカの神学校で教えることになりました。それでも、インドへの情熱は衰えず、アメリカが夏休みになるとインドにいらっしゃっていました。ところがです、一昨年の夏、インドに到着され、空港のパスポートコントロールを通過しようとしたとき、突然、入国を拒否されたというのです。インドでは、一般の人が外国人に対して「問題あり」という申し立てを政府にすることができるそうです。そして、一旦それがなされたら、コンピュータに入ってしまい、何の理由もなく入国の際に拒否されてしまうというのです。つまり、何者かによってはめられたわけです。そしてそれがだれであるか、何の理由であるかも分かりません。ご夫妻は、狐につままれたような気持ちで、意気消沈してアメリカに戻りました。そして次の夏、主は先生ご夫妻に対してモザンビークの門戸を開かれました。あれほど広範囲を旅して、世界各地で障害に遭いながらも、それを乗り越えて、振り返って、先生もまたヤコブと共に「神は、きょうのこの日まで、私の羊飼いであられた」とおっしゃったのです。

                ●最後の仕事

 ヤコブは、いま一四七年の生涯を閉じるに当たり、人生最後の仕事をしようとしている。それが、子どもを祝福することです。ヨセフが自分の枕べにやってくると、ヤコブは「力を振り絞って床に座った」(二節)とあります。そして、ヨセフに語りかけます。
 三節「ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福された……」
 そしていま、ヤコブは自分が祝福されただけでなく、祝福の源となって、ヨセフを祝福し、そして孫を祝福したいと続けます。
 九節「彼らを私のところに連れてきなさい。わたしは彼らを祝福しよう」
  これがヤコブが自分の人生を締めくくるに当たって、どうしてもしたかったことです。力を振り絞って、床に座って、今日のこの日まで自分の羊飼いであってくださった神に祈って、息子を祝福してください、孫を祝福してください、と祈るのです。
 以前、祈りのシリーズで、モーセの祝福の祈りを学びました。約束の地カナンに自分は入っていくことはできません。その代わり、モーセはイスラエル一二部族ごとに、その直面している課題、その部族の負い目、さまざまなことを考えながら、一つ一つの部族にふさわしく、神の恵みを祈っていきました。
 ヤコブは、人生の最後に、力を振り絞って、自分に出来る最大のことを実行します。
 「きょうのこの日までずっと私の羊飼いであられた神よ。すべてのわざわいから私を贖われた御使いよ。この子どもたちを祝福してください」
 財産を残すことではなく、何かの教えを残したいのでもなく、自分が信じてきた神への信仰を残したいのです。今日のこの日まで、ずっと私を養い、導き、助けてくださった神こそ、おまえたちの神だ。主は私の羊飼いであってくださったように、おまえたちの羊飼いであってくださる」――ヤコブはそういって、「この子どもたちを祝福してください」と祈りました。

               ●父の思い

 先日、こんな話しを雑誌で読みました。将来を有望視された青年が大学を卒業しようとしていました。最終学年の彼は、大学のそばにあるショールームで、かっこいいスポーツカーに目が留まりました。何ヶ月も、その前を通り、その車を眺めてきました。父親は裕福な実業家です。青年の口からでる言葉は、その車のことばかりです。
 「あのスポーツカーがあれば、ぼくは幸せだ。どんなに幸せだろう」
 大学の卒業式の夜、父は、息子を自分の書斎に呼びました。父は話しました。どんなにか優秀な成績で卒業した息子を誇りに思っていることか、どんなにか愛していることか。そうして、きれいに包まれた贈り物の箱を彼に手渡しました。
 青年は、目を輝かせてその箱を開け、そして失望にくれます。中から出てきたのは、革張りの聖書でした。表には、彼の名前と大学を卒業した年が、金文字で記されていました。青年はがっかりして、かっとなって聖書を父親の机にたたきつけました。
 「大金持ちの父さんが、ぼくの卒業式に聖書をくれるとは思わなかった。ぼくがほしかったのは、あの車で、聖書なんかじゃない」
 息子は、これを機に家を出ることにしました。年老いた父親の顔など見たくもないと、出ていきます。それから何年も父親に会うことはありませんでした。ある日、電報が届きます。それは、お父さんの弁護士からでした。
 「お父さまが亡くなりました。あなたにその全財産を残されましたので、つきましては、手続きのために……」
 息子は、びっくりして飛んで家に帰ります。卒業式の日の、あんなことでどうして家を出てしまったのか、その後、どうしてそんなことを引きずってしまったのか、後悔の念でいっぱいです。
 彼は、お父さんの書斎に入って、いろんな重要な書類に、遺言に目を通しました。そして、その机の上に、あの日、たたきつけるように置いた聖書が、そのままで置いてあるではありませんか。めくってみると、表紙の裏に御言葉が記されていたのです。
 マタイ七・一一「してみると、あなたがたは悪い者ではあっても、自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求めるものには良いものをくださらないことがありましょう」
  親であるならば、人間的には立派な親でなかったとしても、子どものためには良いものをと、考えるではないか。だとしたら、天の父は、なおのこと、あなたに良いものをと考えておられる。そして、聖書の間には、車の契約書が挟まっていました。あの、彼がほしかった車の契約書が。
 お父さんは、大学を卒業していく息子にこのことを教えたかったのです。父親として、何でも良いものをと、願ってきた。それを与えてきた。この車もそうだよ。しかし、天の父なる神は、さらに良いものを、最善のものを、備えてくださる。これから先、おまえの人生は、神が祝福してくださる。このことを伝えたかったのです。
 実話かどうかは、わかりません。しかし、その気持ちは良く伝わっているではありませんか。親として、いつも子どもには良いものをと願ってきた。それを与えてあげられるときも、そうでないときも。しかし、一番分かってほしいのは、神の愛なのです。一番残したいのは、自分の信仰なのです。
 今日に至るまで、いつも私の羊飼いであられた神よ。すべてのわざわいから私をあがなわれた主イエスよ。どうか、この子どもたちを祝福してください。この祈りこそ、お父さんお母さんの祈り、おじいちゃん、おばあちゃんの祈りです。

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DATE: 2003.10.02 - 00:05

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