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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   主の御手に陥らせてください(ダビデの祈り3)
「主の御手に陥らせてください」(ダビデの祈り3)

           Uサムエル24:1−14

 この箇所が、実質上、ダビデの最後の祈りと言えるのではないでしょうか。最後、二五節の祈りと礼拝で、サムエル記は閉じられていますが、それでも、一四節の「主の手に陥りましょう」が、彼の人生を集約した祈りに聞こえます。
 時は、ダビデの人生の終盤でした。人生の大きな山や坂を越えての出来事です。息子アブシャロムに謀反を起こされ、一度都落ちしたこともありました。しかし、それも解決して、彼は再び王座につき、国は繁栄の時期を迎えます。二〇章では、ダビデの右腕ヨアブが軍を率い、近隣諸国との戦いに勝利を収めています。
 ダビデは、自分が今まで築いてきた国を眺めながら、ある日、人口調査をしてみたくなったのです。ヨアブと側近の部下を呼び寄せていいます。
 二四・二「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」
 ダンは北端の町で、ベエル・シェバは南端の町です。全国民の人口調査です。人口調査は、政府の一般的な仕事だとも考えられるでしょう。しかし、ただの人口調査ではありませんでした。平行箇所のT歴代二一・一には「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた」と記されています。Uサムエルでも、軍人のヨアブでさえ、「王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか」と抵抗しています。
 ダビデは、何を思ったのでしょうか。出兵できる男性の数を数えて、自己満足に浸りたかったのでしょうか。ともかく、ダビデはヨアブを説き伏せ、彼らは九カ月と二〇日間、イスラエルをめぐって帰ってきます。
 報告を聞いて、終わったとき、自己満足に浸るはずのダビデは苦々しい重々しい良心のとがめを感じました。
 二四・一〇「ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。『私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。』」

               ●突きつけられた選択枝

 翌日、預言者ガドは、神のメッセージを携えてダビデのところにやって来ます。神の裁きは、残酷なまでに厳しいものでした。
 大きなものでした。
 一三節「七年間のききんが、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたは仇の前を逃げ、仇があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。」
 七年間の飢饉があれば、国の力は存続しないほど衰えてしまいます。三か月間、敵の脅威にさらされて持ちこたえるほど、ダビデは若くはありませんし、また可能であったとしても、国はその勢いを失うことでしょう。そして最後の選択枝は、三日間の疫病です。疫病の猛威、そのこわさは、現代の私たちはあまり体験しないのですが、しかし二〇〇三年の春にアジアを襲った「サーズ」という肺炎を考えても、国が壊滅的な打撃を受けるのです。
 私事で考えれば、不随になるのがいいか、家族を失うのがいいか、教会を失うのがいいか、ということでしょう。そのような選択を迫られるほど、悲しくつらく、どうしようもないことはありません。預言者ガドは、このつらい選択枝をダビデに突きつけに言いました。
 一三節「今、よく考えて、私を遣わされた方に、何と答えたらよいかを決めてください。」
 T歴代二一・一一では、選択枝を言う前に、ガドが最初にダビデに発した言葉は、「受け入れよ」でした。これから、途轍もなく厳しい現実を突きつけます。それを、あなたは受け入れるしかないのです。ガドは、神が出された選択枝が、選ぶことに何の意味もない、選べない、決められないものであることを知っていました。だから最初にダビデに言ったのです。「受け入れよ」。
 二〇年ぐらい前に、アメリカでベストセラーになった神学関係の本があります。フラー神学校の教授、ルイス・シュミード先生による「赦して忘れなさい」(forgive and forget)という題名の本でした。生きていく上で、私たちがさまざまな傷を受けます。そしてそれを乗り越えて明日に進むために、どうしても必要なことは相手を許して、その出来事を忘れることだという意味で、この題名がついていました。特にキリスト教会で話題になったのは、この本に「神を赦す」という章があったからです。主権者なる神を赦す、というような考え方はおおよそ神学的に正しくないことは想像できます。しかし、この章の内容は見過ごしにはできません。
 シュミード先生は、そこで自分たち夫婦の証しを記しています。結婚して、子どもを待ち望んで与えられず、肉体的精神的苦痛を乗り越えて不妊クリニックに通い、海外にまで行き、待望の出産に至ります。ところが、生まれてきた子どもが数週間で元気を失い、医者に「今夜が峠です」というところまで悪化します。ご夫婦も、また教会も命がけで祈ります。そうして、次の朝、「もう大丈夫でしょう」と朗報を聞いて安堵するのですが、しばらくしていのちを失います。シュミード先生は、神に対して怒りを覚えてたといいます。最後に天に取り上げてしまうのなら、そもそも子どもができなかった方が良かった。いや、「今晩が峠です」というその晩に召してほしかった。なまじ「もう大丈夫でしょう」と言うところまで回復して、それから急転直下で死んでしまうとは……。
 しかしこれは、シュミード先生が受け入れなければならない現実でした。そして、この現実を受け入れる過程で、どこかで自分は「神を赦した」とおっしゃったのです。もちろん、これが問題ある表現であることは先生も意識しておられたでしょう。でも、先生が伝えたかったことは、神を赦す・神を赦さない、というそんなレベル問題ではなく、人生どこかで神によって突きつけられた厳しい現実に苦悩し、しかしそれを乗り越えるためには、その現実を受け入れる他ない、ということではないでしょうか。
 先生は、時間はかかりましたが、自己憐憫にふけり、現実に対して無益な不平を言い、哀しみに縛られている状態から、抜け出して、現状を受け入れて、人生に欺かれたという感情を振り払って、進んでいったのです。

                 ●ダビデの祈り

 ダビデは、必ずしも受け入れられたとは言えません。勿論、選べない、決められないのです。そこで彼は、祈りともとれることばを伝えます。
 一四節「それは私には非常につらいことです。主の手に陥ることにしましょう。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません。」
 私は、ある意味で、これがダビデの人生の最後を飾るにふさわしい、ダビデの生涯の究極の祈りだと思うのです。この祈りが祈れたのは、ダビデが神さまのきびしさとあわれみの両方を知っていたからだと思います。ダビデは、生涯を通して、この二つ、すなわち、神の罪に対するきびしさと、悔いた者へのあわれみを深さを学んできました。
 ダビデは、罪に対して神が妥協されないことを知っていました。神に捨てられたサウルの最後を思い出します。敵に追われて、剣の上に伏して、彼は自害するという哀れな最後を遂げました。自分が罪を犯してバテシバとの間に設けた子どもは、七日間断食して祈  っても、帰ってきませんでした。あの姦淫と殺人の罪が原因となって、ダビデの家族は崩壊していきます。長男のアムノンは、母親の違うタマルを強姦します。そのアムノンはタマルの兄であったアブシャロムに殺されます。ダビデは、そのアブシャロムに裏切られ、エルサレムを逃げ落ちていきました。そのアブシャロムの長い髪が木の枝に引っかかったとき、彼の首を取りにいったのは、ダビデの腹心の部下ヨアブでした。ダビデは、これがみんな、自分の蒔いた種から出たことを知っていました。ダビデは、罪に対する神のきびしさを知らされてきたのです。それは、ごまかすことのできない現実でした。
 しかし、同時にダビデは、神の慈しみ深さも知っていました。自分を牧場から取り、イスラエルの王としてくださったのは神です。ゴリアテに向かっていったとき、一撃で倒すところの力を与えてくださった神です。神殿を建てることを許してはくれませんでしたが、代わりに永遠の王座を約束してくださった憐れみは、神のものです。そして何よりも、悔いた心をさげすむことをなさらない、悔いた心を見捨てることをなさらないのが、神であるとダビデは告白しています。
 詩篇五一・一七「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
 「裁きを選択しなさい」と言われたとき、ダビデはこれが現実であることを知りました。現実から逃げられない、必ずやって来ると確信しました。裁きがどんなにつらい体験であったとしても、逃げまどわず、うろたえず、神に逆恨みすることもせず、それを受け入れるダビデの潔さを感じます。同時に、ダビデは主の憐れみを知っていました。しかも、常に、主の憐れみは主の厳しさよりも大きいことを知っていました。だから祈りました。「主の手に陥らせてください」と。

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DATE: 2003.10.20 - 14:54

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