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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   「何を与えようか。願え」(ソロモンの祈り1)
ソロモンの祈り(1) 「何を与えようか。願え」
                    
T列王三・五〜一五

 『神さまへの手紙』(Chirdlren's Letter to God)という本があります。谷川俊太郎さんが訳しました。本には子どもの字によるそのままの手紙と、訳が載っています。「Dear God」「神さまへ」と始まる手紙です。
 「神さま、ゆきがつもって、がっこうがやすみになったときのことを、おぼえていますか? またあんなふうにしてもらえませんか?」
 「かみさま あなたはおかねもち? それともただ、ゆうめいなだけ?」
 「かみさま あんたはきりんを ほんとにあんなふうにつくりかたかったの? それともあれは なにかのまちが?」
 なんと純真な手紙なんだろうと微笑みながら、これで良いのだと納得します。それは、私たちはどんなことでも神さまに祈ることができるということです。
 「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりありません」(U歴代一四・一一)
 全能の神の御前では、問題課題の大小は関係ありません。私たちは、あらゆることを祈りによって主の御前に持って行くことができます。事の大小にかかわらず、なんでもあるがままで主の御前に広げるような祈りの習慣をつけなければなりません。
 しかし同時に、願いを祈るとき、私たちは心の中身を神の御前に暴露することにもなるということを知っています。祈るとき、心の中にあるものが外に出るのです。
 ユダヤ教世界に有名な寓話があります。あるところに、プライドの高い商売人がいました。彼は、単に商売が成功することを目指していたのではありませんでした。いつも、通りの向こう側の角に店を構える同業者が気になって、そのライバルに勝つことだけを喜びとしてがんばってきました。ある日、天使が彼の夢に現れて、尋ねます。
 「何でも良い。何でも良いから。一つだけ願い事をかなえてやろう。しかし、覚えておきなさい。同じ願い事が、おまえのライバルの上には二倍になってかなえられる」
 しばらく考え、彼は迷いもなく言ってのけました。
 「では天使さま、私の片目をつぶしてください」
 もし彼の片目がつぶれたら、商売敵の目は両方つぶれるのです。願いがライバルの上に二倍にかなうとしたら、祝福よりも呪いを選んだ彼の祈りは、彼のプライドに満ちた心を表しています。
 祈り願うことは、私たちの心の質を、その中身を神の御前に出すことになります。卑しいことで心がいっぱいなら、卑しいことを祈るでしょう。欲でいっぱいなら、欲が満たされるように願うでしょう。

               ●一つの願い
 
 ユダヤの寓話ではありませんが、神はソロモンに現れて、尋ねられました。
 「あなたに何を与えようか。願え。」
  ソロモンにも願いはたくさんありました。でもここで、神はソロモンのさまざまな願いの中で優先順位のトップにあるものは何かと尋ねられたのです。これほど、たましいの奥底を探られる質問はありません。
 いまの世界、やっぱり繁栄と安心を求めて、お金でしょうか。自分の道を切り開き、多くの名声を得るための才能でしょうか。いや、何といっても健康第一でしょうか。ある晩、夢の中で、イエスさまが現れて、「あなたに何を与えようか。願え」と言われたら、何と答えますか。
 ソロモンの答を見てみましょう。彼は、父ダビデが受けた恵みの源泉がどこにあったかを知っていました。父ダビデは王として君臨し、富も任期も権力も卓越していましたが、その源泉は彼の人柄にあったのではありません。彼の才能にあったのでも、人脈にあったのでもないことを、子どものソロモンは知っていました。ダビデが受けた祝福の源泉は、彼が「誠実と正義と真心をもって、神の御前を歩んだ」信仰生活にあったのです。
 これは考えてみれば、貴いことです。私たちの信仰の家系が何代も続いたとして、同時に私たちが地上で多くの祝福を受けたとして、後の孫がおじいちゃん・おばあちゃんである私たちを振り返って、その祝福の源泉をどこに見いだすでしょうか。才能でしょうか。家系でしょうか。ソロモンは、父がなぜあれほど偉大な王であったか知っていたのです。それは、父ダビデが「誠実と正義と真心をもって、神の御前を歩んだ」からです。
 ですからソロモンは願いました。「善悪を判断して、このおびただしい民をさばくための聞き分ける心」(九節)を与えてください。王として、複雑な民の訴えを裁かなければなりません。身分の高い低いを見ず、訴える側、訴えられる側の言い分を正しく聞き分ける心が大切なのです。しかしそれは、単なる判断力ではありませんでした。聞き分ける心とは、裁きに関する神の判断、神の声を聞き分ける心です。申命記一・一七に「裁きは神のものである」と記されているとおりです。神よ、私がいつもあなたの御心を正しく聞き分けることができますように、いつもこの心があなたに向きますうに、とソロモンは祈ったのです。
 この願いを祈ったことを、主は喜ばれました。よくぞ、これを願ったとばかりにおっしゃいます。
 三・一一〜一二「「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」
 教訓の第一は、御心にかなった願い事を真剣に求めるとき、主はそれをかなえてくださる、ということです。富や長寿や権力を願わず、霊的な恵みを求めた。だからわたしは、あなたの願いを叶える、と神はおっしゃいました。
 そしてこのソロモンの祈りから教えられる教訓の第二は、正しい願いを祈ると、願わなかったことさえも、与えられるということです。
 一三〜「そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」
 主が私たちにも現れて、「願え」とおっしゃったら、たった一度の願いなら、あー、どれにしようか? お金も必要だし。頭も必要だし、健康も必要だし……、などと悩む必要はないのです。恵みのおおもとに心を集中すればいいのです。そのおおもとは、六節にありましたように「誠実と正義と真心をもって、あなたの御前を歩ませてください」という願いです。主よ、私に誠実さを、愛を、きよい心を与えてください。ダビデのようにあなたを慕う心を与えてください、と祈ることです。

                ●人の値打ち

 この心が一番大切なのです。なぜなら、神は心を測られる御方だからです。
 箴言二一・二「主は人の心の値打ちをはかられる。」
 確かに、ソロモンは神の恵みを受けて、富を増し加えました。イエスさまは、ソロモンの栄華ということばを使います。一世代の王で、これほど多くの富を手にした人物は歴史上にいませんでした。ソロモンが飲み物に用いる器は、みな金であったと記されています。王は、銀をエルサレムで石のように用いた、とも記されています。
  ソロモンの価値は、人の世界ではその栄華によってはかられることでしょう。人は、そのようなところで人を評価します。ソロモンを恋した女性に、シェバの女王がいます。遠くエチオピアからソロモンに会いに来て、その宮殿を見たとき、驚きに包まれていいます。「うわさには聞いていましたが、これほどだとは……」。
 それは、驚嘆するほどの富と権力でした。人は、能力や成功の度合いをもって、その人の価値を計ります。しかし、主が人をはかるのは、その人の能力や権力や富ではありません。「主は、人の心の値打ちをはかられる」。
 では、主は、どのような心を低く値づもり、どのような心を高く値づもられるのでしょうか。低く値づもりされるのは、箴言二一・四に記されているように「高ぶる目とおごる心」です。自分はできるという、思い上がった心でしょう。自分の力を過信する思いです。王になりたての時、「聞き分ける心」を願ったソロモンは、神さまの御前に告白しました。
 T列王三・七「私は小さな子どもで、出入りするすべを知りません。」
 出入りすることが分からないというのは、なんにもわからないということです。人は出入りぐらいできます。それさえも満足にできない――それがソロモンの初心でした。だから、あなたの知恵、あなたの力をくださいと彼は祈ったのです。ソロモンの王位で、この初心をほど大切なものはありませんでした。そのうち、彼は出入りするすべを修得して、人の上に立ち、一人前になったような気になります。だれでもそうでしょう。
 最近、私は神学校で教えるようになって一七年になりますが、最近自分は以前よりも神学生に厳しいなと自分でも思います。
 「あんなんで、牧師としてやっていけるのか? 本当にだいじょうぶか?」
 そんなことを、つぶやきます。
 先日、妻に叱られました。
 「大丈夫よ。あなただって、あんなんだったんだから。」
 そうなんです。いや、いまだって、現実は大差ないのです。あんなんなんです。かつて出入りするすべさえ知らない者が一生懸命に説教の準備をし、牧会に右往左往し、みなさんにご迷惑をかけてきました。本当はいまもそうなのです。しかし自分の中では、いつのまにか自信を得て、高慢になっていきます。そんな心を、主は低く値づもられるのです。
 では、心の値打ちは、どのようにして高められていくのでしょう。
 箴言二一・一「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」
 この箴言を記したのがソロモンだとすれば、王の心とは、自分の心です。それが主の手の中にあって、水の流れのようだといいます。水を四角い入れ物に入れれば、四角い形状になります。水を丸い入れ物に入れれば、丸い形状になります。水は、器にしたがってその形を自在にかえます。それと同じような意味で、水は、水路の流れにしたがって、その通りに流れていきます。その水路の流れが、一節の後半「神の御心の向き」です。
 ソロモンは、こういっているのです。私の心は、主の御手の中にある水のようだ。主の御心の流れにしたがって、その通りに向きを変えて進んでいく。主よ、私は自分の道を自分の思いで歩みません。私は、全能の神よ、あなたの御手の中に生きています。ですから、あなたの御心を探し求め、その方向にしたがって生きることにします。
 私たちの心が、主の御心に対して、いつも素直であれたら、どんなに幸いでしょうか。ところが現実は、主の御心と自分の願いをぶつけて、格闘ばかりするのです。屁理屈で自分の道を正当化します。そして私たちは、出入りするすべを身につけたと過信します。
 しかし現実には、私たちはどこまでも行っても、小さな子どもに等しい者です。足りない、弱い者です。ですから、主よ、私はあなたの声を必要としています。いつもそうです。どうか私に、あなたの声を聞き分ける心を与えてください。あなたの御心を探し求め、その方向に従って生きることを願います。

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DATE: 2003.10.20 - 14:55

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