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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   「主の熱い愛に触れて」――アドベント(1)
「主の熱い愛に触れて」――アドベント(1)

黙示録3:20「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」。


アドベントの第一週を共に迎えることを感謝します。アドベントというのは、「アド」(ある方向へ)「ベント」(行く)という意味です。私たちは日々、主の降誕に向かって進んでいきます。進んで行く間、私たちはアドベンチャー(冒険・試練)に出会い、新しい恵みを受け、主にお会いするのです。主は遠くではなく、すぐ近くで人生の戸に立って私を待っておられるのです。そして主は、思いもかけぬ時に外から戸を叩かれます。

                                       ●戸を叩くキリスト

 「戸をたたく」ということは、イエス・キリストのご生涯全体を指していると言ってもいいでしょう。クリスマスの記事で、マリヤは男子の初子を産み、布にくるみれ、飼い葉桶に寝かせます。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである、と聖書に記されています。お生まれになったのは、家の中にスペースがなくて、「外」でした。公の生涯で宣教されても、「人の子にはまくらするところがなく」と御自身でおっしゃいました。人類は、イエスさまに対して、神に対して戸を開けないのです。そして、地上生涯の最後は、エルサレムの「門の外」で十字架にかかられました。十字架ということは、人間がイエスさまを拒絶したということ、神を退けたということですが、その場所でさえエルサレムの外でした。
 イエスさまは、いつもこの世の外です。しかしこの方は、いつも私たちのうちに入ろうと戸をたたいてくださいます。外から内へと入ってくることを願われて、私たちに出会うために、私たちのうちにはいるために、心の戸をたたき続けておられます。
 中にはいるのは、ともに食事をするためです。食事と言うとき、それは単に空腹を満たすだけではありません。栄養のための食事ではありません。食卓には、交わりがあり、会話があります。主との交わりは、食卓の交わりのように暖かで、かつ日常的です。そこで主は私たちに励ましを与え、示唆を与え、勇気を与えてくださいます。主は、私たちの外から来て、私たちの心と生涯の中に入り、私たちの家族となって、私たちの傷を癒してくださり、生かしてくださるのです。

                                   ●戸を閉ざす人間

 人間はなぜ、心を閉ざすのでしょう。人はなぜ、自分の中に閉じこもるのでしょう。宗教改革者のルターは、人間の罪を「自分の中へと折れ曲がる姿」と表現しました。人は、何をしても、最後は自分のためというように、すべてが自分に向かって折れ曲がっているというのです。
 「自分勝手な子どもの祈り」という詩があります。シルバースタインという大人が書いた詩です。

ぼくはこれからやすみます。
神様、どうかお守りください。
もし寝ているうちにぼくが死んだら、
神様、ぼくのおもちゃを壊してください。
ほかの子が、ぼくのおもちゃで絶対に遊ばないようにしてください。

 「ロバートおじさんの贈り物」というクリスマスの物語がありますが、この話はもっと身近に私たちの内側に折れ曲がった姿を描いています。ある女性が、自分の子どもの頃のクリスマスの出来事を思い出して書いています。お父さんは、田舎の小さな教会の牧師です。クリスマスの時期は、何かと入り用な家庭に、ロバートおじさんから毎年一二月一日に、五〇〇ドルの小切手が送られてきました。今の貨幣価値で言えば、20万ぐらいでしょう。それがクリスマスに待ちこがれたボーナスだったのです。
 それを家族で分けて、みんな何を自分のために買おうか、楽しみにするのがクリスマスでした。ところが、あるとし、小切手の代わりに、ものが届きます。そこに手紙が添えてありました。
 「クリスマスに小切手だけ郵送するのは、何とも冷たいやり方のように思える。そこで今年はプレゼントを贈ることにした。みんなが気に入ってくれるように、祈る」
 受け取った家族は、愕然とします。しかし、送られてきた小包をツリーの下に置いて、何が入っているのか楽しみで、二五日の朝、それをみんなで開けて、さらに愕然とするのです。いかにも高価なもので、牧師の家庭には不向きなものばかりでした。
 お父さんは、洗礼式用に新しい靴を買うことを決めていたのに、受け取ったのはレジャー・ジャケットでした。レジャーなんてお父さんにはお金以上に無縁なものです。お母さんは、今年は手動ミシンに電気のモーターをつけたいと思っていたのが、もらったプレゼントは、鰐皮の高級ハンドバックでした。それは滑稽なまでも、不釣り合いでした。
 家族みんな、呆然として、言葉も出ません。そのとき、お父さんはそのとき、立ち上がってこう言いました。
みんな聞いておくれ。私たちが何を必要として、何をほしがっているのか、ロバートおじさんは、ちっともわかっていないとみんなは思っているだろう。だが、そうだろうか。お父さんはむしろ、わかっていないのは私たちの方じゃないかと思うのだ。みんな知っているように、おじさんは独り者だ。だから毎年クリスマスになっても私たちの家族のようにお母さんがいたり、みんながいたりするわけではない。きっと、とても寂しいことだと思うよ。ところが、今年は私たちのために買い物に行ってくれたのだ。そしてね、もし自分がグレースのように七歳の子どもだったら何がほしいかなあ、お父さんのような中年の牧師だったら何がほしいかなあ、と一生懸命考えてくれたのだと思う。お父さんがもらったジャケットは、忙しい生活の中で、少し自由な時間をとるように、考えてくれたんだよ。 
 話はもう少し続きますが、わかりますでしょう。私たちは、人からものをもらいますと、これはじゃまだ、これは不要だ、実は他のものがほしかった、などと考えます。しかし、それを贈ろうとした人の気持ちまで、ほとんど考えもしません。贈るものを受け取るときでさえ、自己中心なのです。
 こんな私たちは、キリストの熱き愛に触れる必要があります。私のために、この世界にお生まれになり、私の貧しさ、私の弱さ、私の罪深さに身を重ねるために、ご自分を無にして、ベツレヘムの片田舎の馬小屋で生まれ、私と同じ苦しみも悲しみも味わわれ、私を生かすために、仕える者の姿を取り、十字架の上で私の罪を背負い、ご自身のいのちを投げ出してくださった方の、熱き愛に触れるのです。そのとき、自己中心的な氷のような姿勢を溶けていきます。

                 ●戸を叩き続ける

 主イエス・キリストが叩き続けておられるということは、キリストは、あなたを諦めていないと言うことでしょう。あなたのことは、どうでもいいとは思っていないのです。先日、近所を通っていたら、そのお宅をベルを鳴らしている男性を見かけました。返事がないので、ドアをたたいていました。それでも返事がないので、大きな声でその人の名前を呼んでいました。熱心な友人の方か?と思いましたら、「朝日新聞でーす。」新聞の集金なんですね。何度も来たんでしょう。「どうでもいいとは思っていない」のです。だから、何度も来ます。
 キリストは、以前、一生懸命だったけれども、今はあなたを諦めたというのではないのです。あつい関心をあなたに注いでおられます。
 なぜでしょうか。聖書の中に、人からは忘れられ、相手にもされない人が、熱心にイエスさまに声をかけられている場面があります。取税人のザーカイがそうでした。彼は町の嫌われ者でした。しかし主は、熱い関心を彼に注ぎ、彼のところに泊まるとおっしゃいます。その理由が、聖書にこう書いてあります――「この人も、アブラハムの子なのだから」。 「この人も、神の民なのだから、神の子なのだから」とは、だれも思っていません。だから放っておいたのです。しかし、イエスさまはそうは考えませんでした。「あなたも実は、神の民なんだ、愛されている神の子どものなのだ。だから、私はあなたの心を叩き続ける」と。

                                       ●熱くなれ

 この閉ざされた心を開いて、主の熱き愛に触れますと、私たちの熱くなります。
 一五節「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい」。
 どうして熱くないのでしょうか。それはぬるい世界に使って満足しているからです。
  一七節「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」。
 しばらく前、ポーランド連帯労働組合のワレサ委員長という有名な人物が日本に来ました。そのとき彼はこんなことばを残しています。
 「日本の労働者の顔はどうしてこうも暗いのか。日本の労働者のうち、自分の労働について息子に誇りを持って語り伝えるべきなにかを持っているものが一人でもいるのか。日本の高度な物質文明は少しもうらやましいとは思わない。われわれには伝統的な信仰がある」
 高度な物質文明という点では、世界一と言えるでしょう。狭い世界ですが、実に便利で何でも手に入るのが日本です。それをワレサ氏は、少しもうらやましいとは思わないというのです。骨身に染み込んだクリスチャン信仰に貫かれた彼には、日本人は語り伝えるべき何かを持っているのかと問います。私たちが物質的な豊かさの中で、その霊性と精神性が空洞化している現状を指摘しました。
 主は、ラオデキヤの教会の人々になんとおっしゃったのでしょうか。
 一八節「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい」。
 豊かな者になるために必要なのは、「火で精錬された金」、すなわち、試練に耐えうる強さです。「裸の恥を著さないために着る白い衣」とは、信仰的な純潔でしょう。そして、「目が見えるために目薬」とは、霊的な洞察力です。
 主は、それらを「わたしから買いなさい」とおっしゃいました。それは、「わたしから学びなさい」と言っても良いでしょう。イエスを心に迎えて、イエスと食事をして、イエスの熱き愛に触れたとき、私たちは自分の心のまずしさがわかります。その上で、主から学びましょう。試練に耐えうる強さを、信仰的な純潔を、そして霊的な洞察力を、主から買い求めましょう。

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DATE: 2003.12.02 - 11:44

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