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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   「助けて助けられて」金持ちとラザロ)
礼拝「助けて助けられて」金持ちとラザロ)  2004.1.25
ルカ16:19−31


                            ●二者の対照

 あるところにお金持ちがいました。彼のスーツは、紫の衣で、彼のシャツは細布でした。富の象徴です。それとは似てもにつかない、病気の乞食が、金持ちの門前に寝ていました。正確には、置かれていました。だれかに運んでこられたのでしょう。彼は、金持ちの家の「食卓から落ちるもの」、つまり残飯を恵んでもらいたいと思っていたのですが、 ――それもかなわず。彼のおできをなめに来たのは、野良犬です。「犬」は複数形ですから、何匹もやってきたのでしょう。
 話の展開は、死です。貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムの懐に運ばれていきます。それは最も祝福された場所でしょう。金持ちは死んで葬られます。手厚い葬り、立派な葬式でしたでしょう。しかし彼を待っていたのは地獄の苦しみでした。
 この二人の明暗を分けたのは、なんだったのでしょう? 当時のエジプトに非常に似通った話があります。子どものいなかった夫婦に、息子が生まれるのです。赤ちゃんは、賢者の生まれ変わりでした。ある日、お父さんと息子が、道を行くとき二つの葬儀に出くわします。貧乏人のごろつきが集まって、死体を埋めています。それは、見る影もない、情けない光景でした。しばらくすると、もう一つの葬式です。村中の人が集まって、泣き女もたくさんいました。お父さんが息子に言いました。「おまえも、人生これからだ。どういう人生かは、気をつけなさい。」すると、息子は、にやっと笑って、おとうさん、ちょっと違う世界を見せてあげるよ、と死の国へ連れて行きます。そこではなんと金持ちは苦しみ、ひめいをあげています。そして貧乏人は、贅沢に暮らしていました。この予想もしない事態の説明は、貧乏人は、悪いことよりも、良いことをたくさんした、しかし金持ちは反対で、悪いことの方が多かったというものです。
 この種の話は、他にもあろうかと思います。しかし、イエスさまはまったく違います。エジプトの話のように、ラザロは何か良いことをしたのでしょうか? いいえ、何もしていないのです。ただ、一つだけポイントがあります。それは、彼の名前です。イエスさまのたとえ話で、名前が出てくるのは、これが最初で最後です。ラザロとは、「神が私の助け主」という意味です。イエスさまは、彼の名前だけで、その人生のすべてを語らせたのです。
 では、金持ちが何か悪いことをしたのでしょうか。確かに、「毎日、贅沢に遊び暮らしていました」とあります。勤勉をモットーにしたユダヤ人には珍しいでしょう。遊びほうけて、楽しんでいきていました。しかし、彼が悪人だったとは記されていません。むしろ、彼の問題は、何もしなかったことです。運ばれてきた、いや神さまが彼の門前におかれたラザロに、何もしなかったこと、それが問題なのです。
 門前というのが印象的です。すぐ近くにラザロがいたわけです。いや、もう少し現実的に考えましょう。もしかしたら、彼は世界の貧困には手を差しのばしていたかもしれません。多くの寄付を捧げていたかもしれません。しかし、門前にいるラザロと関わることを拒否したのです。近くにいる人と関わることを避けたのです。むしろうっとうしかったのです。

                            ●だまったままのラザロ

 さて、場面を移します。
23−24節「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』」
 今度、助けを必要しているのは、ラザロではありません。金持ちです。「ラザロが指先に水を浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてくださ」。私は、ここで奇妙なことが気になります。場面には3人出てきます。ラザロ、アブラハム、そして金持ち。ところが会話をしているのは、アブラハムと金持ちです。ラザロはひと言も発しないのです。私は思うのです。もし金持ちが、残飯の一つでもあげていたら、ラザロはここで立ち上がって、金持ちを弁護したのではないかと。さまざまな悪さをしてきた金持ちかもしれません。しかし、ラザロが立ち上がって弁護します。「父、アブラハム様。この男は、飢えていた私に食べ物をくれたことがあります。私はその恩を一生忘れませんでした。彼を憐れんであげてください」と。しかし、ラザロは沈黙です。
 私がなぜそんなことを考えるかと申しますと、9節でイエスさまはそのことを示唆されているからです。「そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」「不正の富」とは、世の富です。9節から考えれば、金持ちは、ラザロを友としませんでした。ですから、ラザロが永遠の住まいに迎えられたとき、ラザロは金持ちの弁護もせず、味方にもなりませんでした。
 金持ちがラザロと友だちになるチャンスはあったのです。それは、死んでからではなく、生きている間に、自分の家の門前に、そのチャンスは置かれていました。

                        ●互いを必要とし

 ここに、このたとえ話の中心があると言っても過言ではないでしょう。この世で、ラザロは金持ちの助けを必要としていました。しかし、実は金持ちもラザロの助けを必要としていたのです。自分が自己中心にならないために、自分がどん欲にならないために、自分が悪魔のようにならないために。苦しみながらも、貧しいながらも、「神こそ我が助け」と信じて生きているラザロから、彼は学ぶ必要があったのです。それに気が付くのが遅すぎました。
 イエスさまのご覧なっている世界では、金持ちもラザロも、互いが互いを必要としているのです。この教会もそうです。自己中心にならないため、自分の門前に主が置いてくださった兄弟姉妹を受け入れ、共に生きることを学ぶのです。教会だけでなく、この世界で学ぶのです。多くのラザロから学ぶのです。

 マリー・アントワネット、贅沢の限りを尽くしたフランスの王妃です。彼女は自分の結婚式のパレードを計画したとき、パレードが通る大通りから、乞食をすべて排除しました。私の祝福の日に、そんな見苦しい光景や、醜い人々は見たくない、と。しかし、そうすることで、彼女は真の祝福を逃したに違いありません。なぜなら、その貧しい軽蔑された人々の間に、私は立っている、とイエスさまがおっしゃったからです。
 こんな実話があります。時は、第二次世界大戦。ポーランドの小さな村にすんでいたユダヤ人の数家族がナチスによって処刑されるという事件がありました。壁にそって、彼らは自分の手で葬られる溝を掘り、それから壁に一列に並び、一斉に銃殺されました。その中に一〇歳の少年が混じっていました。
 銃のはげしい音とともに、みなの身体が溝をめがけて崩れ落ちました。少年は、両側に立っていた両親の血を浴びたものの、不思議に何十発も放たれた銃弾の一つも彼の身体をかすめることはありませんでした。打たれたという衝撃を感じた彼も、溝の中にうずくまり、そして、ナチスの兵士は死体を埋めるために、土をかぶせました。溝は浅く、被された土はわずかで、銃弾を免れた少年は、土の隙間から漏れてくる空気を吸い込み、暗くなってからそこから這い出してきました。
 血と泥が顔にも身体にもべったりとついています。少年は、助けを求めて、民家を歩きました。ところが、ナチスによって殺されるはずであった、この少年を見たとたん、ドアはぴしゃりと閉じられてしまいました。こんなことが数件続きました。ナチの秘密警察への脅威は、少年に対する憐れみに勝っていたのでしょう。血だらけで、泥にまみれ、少年は寒さで震えて、次の家へと足を向けました。
 そのときです。ユダヤ人の少年には考えられないような、不思議な思いが彼の心の中に湧いてきました。彼は、次の家のドアを叩きながらこう叫んだのです。「わたしです。わかりますね。あなたが愛するといっているイエスです。」
  しーんとした緊張の後、ドアは開けられ、中の婦人は少年を抱き抱えるように迎えて、家に入れました。その日から、この少年はその家で家族の一員として過ごし、成長したそうです。その婦人が証しです。
 マリー・アントワネットと逆です。この世界の道ばたに、小さな者たちに、私たちの中に、私たちの門前に、隠れるようにイエスさまが立っておられます。一見すると、祝福とはほど遠いような人々。排除した方が祝福のように思える人々の中に、姿を変えた主イエスさまが立っておられるのです。そして、主を迎えるように、助けるとき、それは私たちの祝福につながるのです。私たちは助けることによって、助けられていることを、忘れないことです。

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DATE: 2004.01.27 - 20:32

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