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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   金持ちの農夫
金持ちの農夫

ルカ12:13−21

 「ある金持ちの畑が豊作であった」と話しは始まります。どれくらいの畑をもっていたのでしょう。種蒔きに収穫にどれくらいの人を雇ったのでしょうか。収穫の背後にあったのは、天の恵み、そして人の労でした。収穫されたものはどんどん出荷します。倉に収めます。それでも、広大な畑からどんどん収穫物が集められてきます。かつて、凶作でどん底を味わったこともあるでしょう。苦労がすべて報いられたかのように、一生贅沢できるほどの大豊作がやって来たのです。
 この農夫は、金持ちであったこと、成功したことで、とがめられているのではありません。聖書においては、きちんと稼いだ収穫・報酬は賞賛の対象にはなっても、非難の対象になることはありません。彼がまじめに一生懸命働いた分、収穫を得たのです。その意味で、この年の豊作は、彼の血と汗の結晶でした。
 しかし、成功を収めた農夫の心にどん欲が芽生えてきます。新しい大きな倉を建て、そこに全部しまいこんで、これから先は、楽しもう。
  19節「さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」
   私も一度でいいから、そう言ってみたい。そう思いませんか? しかし、夢と共にどん欲も育っていくのです。どん欲というは、金持ちだけでなくすべての人の心に巣くうものです。イエスさまが、このたとえを話された背景には、13節の出来事がありました。
 「群衆の中のひとりが、『先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。』」
 親の財産をめぐって、骨肉の争いをしている兄弟のためにイエスさまはこの話をされました。私は遺産の分け前をもらえない、兄弟に説教してくださいとイエスさまに詰め寄った彼の心に、いつしか正当性よりもどん欲が支配していることをイエスさまは見抜かれました。どん欲は、一般的にお金と関わります。ですから、私たちも気をつけなければなりません。
 アンケートがあります。「今の自分の仕事に対して、給料は不当に低いと不満を抱いているか?」――アンケートを取ると、80%は「イエス」、と答えます。でも、それどころではないのです。「今の夫の給料には、情けないほど不満を抱いているか?」――その質問を奥さんにすると、今度はなんと95%は「イエス」です。もっと働け、ということです。どん欲というのはお金持ちだけを襲うものではありません。お金のない人をも襲います。遺産の分け前が少ないと訴える男にも、仕事が成功して、大金を手にした農夫にも。
 豊作を向かえた農夫は、夢をふくらませ、どん欲をふくらませて言います。
  18ー19節「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」
  その晩、神さまは彼に言われました。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる」。
 このイエス様のたとえを読んで、それを絵にしたフランスの画家がいるそうです。その絵は、キャンバスの両面に描かれている、珍しい絵です。まず、表側に彼は描きました。太ったおとこが、目をぎらつかせて机に座っています。彼の前には、金のいっぱい入った袋が幾つも積んであります。窓の外には、かりとりを終えた一面の畑と、建設中の大きな倉があります。男の表情は、「さて、これからどうするかな」とにんまり笑って考えているのです。
 この絵を描いた後、画家は、キャンバスを裏返しにして、同じ絵をまた描きました。男、机、窓、倉、金の袋・・・・・全部同じです。しかし、今度はその上に薄い膜をかけて、全体をぼかしたのです。そして、座ってほほえんでいる男の背後に、天使の絵を描きました。天使は、男の肩に手をかけています。唇が少し開いて、何か言っているのです。「愚か者」です。

                                       ●「愚か者」

 何がそんなに愚かなのでしょう。少なくても二つあります。第一に彼は自分の人生に無知でした。彼は、「自分の魂に言おう」と言っています。飲んで食べて、楽しめと。たとえ彼がこの先何年も生きていたとしても、そんなことが彼のたましいに本当の満足を与えるものだったのでしょうか。それが彼に生き甲斐を与えるのでしょうか? 彼の魂は、そんなに安っぽいのでしょうか? 
 のみならず、彼は知りませんでした。まさか、自分の生命は、今晩でも取り去られるもろいものだ、ということを。倉は建つ。何年分の食料を保証する倉は建つ。しかし、魂は明日とられるかも知れないのです。その魂については、彼は無知でありすぎたのです。今日の生活に余りにも一生懸命で、明日にもくるかも知れない、やがてというときに、彼は無知でありすぎたのです。
 第二に、彼の愚かさは、自己中心な生き方に出ています。彼は、自己中心な生き方をしてきました。自分以外の存在は、それが神であろうが、人であろうが、彼の眼中にありませんでした。日本語の訳にはすべて出てこないですが、原語では、一人称単数の「私は」が6回、「私の」が5回でてきます。わずか、数行の言葉の中に、なんと11回です。そして、登場するのは、一人称単数だけです。眼中にあるのは、自分のことだけでした。それが、どん欲で愚かなのです。
 どこまで行っても、彼の会話はこうだったのかもしれません。「ぼくは、こう思った」。「ぼくは、こうだと思う」。世界は、私の周りを回っているのです。と思った瞬間、神が私の背後に立たって言われます。「愚か者」。

                                  ●神の御前に富む者

 さて、この金持ちの農夫は、最終的にイエスさまによって「神の前に富まない者」と言われています。では、神の御前に富む者とは、どのような人たちなのでしょうか?
 最近、私たちがかつて学びましたアメリカのアズベリー神学校は大きく変わりました。建物と施設全部が新しくなたそうです。教室も住宅施設も数が増えました。10年ぐらい前に、ある篤志家が遺言で自分の遺産をすべて神学校に捧げられました。その額は、常識をはるかに超えていました。なんと二千億円です。神学校の歴史を変えるような額でした。
 もともとアズベリー神学校は、私たちがいた頃で、神学生八百人の大きな神学校でしたが、いまではフロリダにも神学校を建てて拡大しました。それだけの寄付が入ったら、新しいキャンパスでも建てない限り、使い道がないでしょう。そういう恵みもあるのだなと思います。遺産全部を捧げると言われるまで、惚れ込まれた神学校は幸せだと思います。
 しかし、この神学校の魅力は、もっと地道なところにあります。私は神学生だったとき、奨学金をいただきました。二人の方が支えてくださっていて、年に二回感謝のお手紙を書きました。おひとりは、米国聖書教会の理事も務められた、立派な学者さんでした。この方は神学校の理事もしておられて、一度、我が家に寄ってくださったことがあります。もうお一方はおばあさんでした。住所は老人ホームです。手紙のやりとりの中でわかったことは、ごく普通のクリスチャンで、普通のお仕事に就かれて、普通に貯金をされ、決して多くはない老後の資金の中から、私の学費を出してくださいました。特別な財産をもっておられるわけではなく、普通の老後の生活費の中から、若い牧師を育てたいという思いで、その一部を犠牲的に捧げられるこのおばあさまの信仰こそ、神の御前に富むものです。死んだときに遺産をどのように処するかは、聖書に問われていません。聖書が訴えるのは、私たちが生きている間に自分の生活をどのように処するかです。
 イエスさまは、富める農夫のたとえを話され、最後におっしゃいました。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と。だとしたら、私を支えてくださった方は、主はなんとおっしゃるのでしょう。「あなたは賢い。自分を支え、なおかつ人を支えることも知っている、神の前に富める者だ」と。私は、あの神学校の魅力は、このように神の前に富める方々であふれていることだと思っています。
 小さな牧師である私の誇りとするところは、高津教会にはこのような方々が満ちていることです。私たち家族は、留学中、このおばあさんだけではなく、高津教会の多くの兄弟姉妹によって支えられてきました。今でもみなさんはそのような方々です。
 「どうしよう? こうしよう。ああしよう。我が魂よ、飲んで食べて楽しめ」ではありません。自己中心から解放されて、主に感謝して生活し、愛に富み、神の御前に富んでおられる方であふれている教会、それが高津教会です。

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DATE: 2004.02.12 - 11:20
LAST UPDATE: 2004.02.12 - 14:18

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