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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   良きサマリヤ人
良ききサマリヤ人

ルカ10:25f

 読みました聖書の箇所は、「良きサマリヤ人」と呼ばれる有名なたとえ話です。エルサレムからエリコ、それは大都会を結ぶ街道でした。4時間ぐらいの道のりですが、標高差は1000mもあります。途中、人気のない荒れた岩場の道が続いていたようです。危険な道のり、追いはぎの名所です。今朝は、そこに出てくる登場人物に目を留めてみましょう。

1)先ず、この傷ついて倒れている旅人です。
 30節「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った」。
 強盗に襲われ、着物をはぎ取り、殴りつけ、道ばたに半殺しにされて横たわっています。まだ息はある。しかし、苦しんで、傷だらけで、血を流しています。その人の名前は分かりません。年齢も職業も分かりません。裕福な人か、貧しい人か、若い人か、年を召した人か。それでいいのです。そこに傷ついて横たわっている人は、誰かであり、ある時の私であり、皆さんなのです。
 エリコへの道は、人と人が行き交う生活の道です。そこで、人が様々に傷ついて、倒れていきます。人と人が行き交う生活の道に、私たちは傷ついて倒れていきます。家族の中で傷つき、倒れている人がいます。病に倒され、傷みにやつれ熱に苦しんでいる人がいます。頼れる人もなく、孤独に悩んでいる人がいます。
 木曜日に日帰りで高津に行きました。英兄姉といっしょです。行き先は、仁子姉の甥御さんが、闘病中の病院でした。まだ40代の後半ですが、肝臓ガンと闘っておられます。長い苦しみの果てで、お二人が信じている神さまに目を向けるようになりました。2月に星野富弘さんの『愛、深き淵より』をお送りして、よかったら病院に尋ねたいとのお手紙を書きました。心はイエスさまにむきかけていました。初対面でお会いした途端、その方の目から大粒の涙が溢れてきました。ガンと抗ガン剤に苦しめられながらから、一生懸命に私の話を聞き、声を振り絞って私の祈りを復唱し、主を信じました。洗礼が終わると、またどっと涙が溢れていました。彼は、倒れていたのです。人生の道で病に倒されていたのです。
 イエス様は、私たちにおっしゃいます。「あなたの生活は、あのエリコに下る道のようだ。その道端で、傷つき倒れている人、その人はあなたの隣人であり、時にあなた自身だ」。

2)この人生のかわいそうな光景を追いかけて、もっと現実的な光景が登場します。
 31ー32節「たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。」
 祭司も、レビ人も宗教人、エリートです。彼らは、傷ついて、倒れている人を確かに見ました。見た瞬間、様々な考えが頭をよぎります。関わりたくない、手を汚したくない、時間がもったいない。助ける余裕がない。忙しい。一瞬、目はそちらに行くのですが、そのときすでに、足は別の方向へ向いている。所詮、他人事なのです。
 イエス様は、今度は私たちにおっしゃいます。「ほら、あそこで、通り過ぎていくのは、あなただ。」あれは、自分のことに夢中で、回りの苦しみに目を向けない、あなたではないか。
 簡単ではありません。そこには人間の悲しさも含まれています。娘が高校2年の時に、こんなことがありました。本来中高一貫教育の学校に40名だけ高校から入って、なじめない人もたくさんいたようです。中学校からずーっと仲の良い友だちの輪の中に、なかなか入っていけない。サバイバルです。お弁当もどこのグループといっしょに食べるか、だれと移動教室に行くか、だれと帰るか、そんなこと一つ一つがサバイバルです。
 それでも、一つの輪につかず離れず――毎日のお祈りが、友人関係の問題でした。毎日母親と短く祈って出かけていきました。
 そんなある日。娘がひどく落ち込んで帰ってきました。聞けば、最近、いっしょに学校から帰る友だちがいないと。そんなとき、クラスでいつもひとりぼっちの女の子から声をかけられ、楽しく話したそうです。そしてその子が娘に声をかけました。「ねえ、いっしょに帰ろうか。」
  その時娘は、思わず「えっ?」と反応してしまいました。無意識に心が動いたのでしょう。この子といっしょに帰りはじめたら、もう二度と他の友だちは近づいてくれないと。娘は、そんな反応をした自分が情けなくて、恥ずかしくて、落ち込んで帰ってきました。
 私はその姿を見て、人間関係の悲しさ、暖かさ、そして難しさ、愛おしさ――そんなことを深く思い知らされたことを強烈に覚えています。
 この世界は、そんなに簡単ではないのです。レビ人にはレビ人の複雑な事情があったのかもしれません。そうも思います。

3)さて、この道に第三の登場人物が現われます。
 33ー35節ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
 良きサマリヤ人と呼ばれています。このサマリヤ人の中にイエス様はご自分の姿を重ねていかれます。「そこに来あわせると、彼を見てかわいそうに思い、近寄った。」イエス様が人々と接した多くの場合が、旅の途中であったことが、聖書に記されています。
 きっと、このたとえを話されたイエスさまの頭の中には、旧約聖書の有名な話しがあったに違いないです。エゼキエル書です。
 16:4 あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、へその緒を切る者もなく、水で洗ってきよめる者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。
 16:5 だれもあなたを惜しまず、これらの事の一つでもあなたにしてやって、あなたにあわれみをかけようともしなかった。あなたの生まれた日に、あなたはきらわれて、野原に捨てられた。
 16:6 わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ。』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ。』と言った。
 16:7 わたしはあなたを野原の新芽のように育て上げた。あなたは成長して、大きくなり、十分に円熟して、乳房はふくらみ、髪も伸びた。しかし、あなたはまる裸であった。
 16:8 わたしがあなたのそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたの年ごろは恋をする時期になっていた。わたしは衣のすそをあなたの上に広げ、あなたの裸をおおい、わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ。

 これが神の姿。これがイエスさまのお姿です。私たちは自己中心な人間です。傷ついている人がいても、自分の都合で見てみないふりをして反対側を行くような人間です。しかし、そんな私たちが、道端で、傷を受けて、苦しみ、倒れているとき、助けもなく孤独で苦しんでいるとき、主は、私たちをあわれんで、近づいて、介抱して、面倒を見てくださるのです。その場限りの助けではありません。このサマリヤ人のように、最後まで責任を持って、面倒をみてくれます。

 そして、そのようにして助けられた私たちに、主はおっしゃいます。
 37節「あなたも行って、同じようにしなさい。」
 わたしは、あなたの隣人となりました。愛が、どんなものか示しました。今度は、あなたが行って、同じようにする番です。
 「幸福の王子」というオスカー・ワイルドの童話を御存知でしょう。町の真ん中に、空高くそびえている石の柱があって、その上に幸福な王子の銅像がたっています。生涯幸福に暮らした王子の銅像です。身体じゅうを金でつつまれ、二つの目にはブルーのサファイア、腰の剣のつかには、赤くて大きなルビーがはめ込まれています。
 ある秋の夕べ、南の国へ行く途中、一羽の燕がやってきて、王子の銅像の下で、一晩を過ごします。眠りかけたとき、上から大粒の滴が落ちてきます。
 「おや、雨かな」
 それは、銅像の王子の目から流れる涙でした。「どうして泣いているのですか」。銅像が答えます。「私は幸福な王子と呼ばれ、生きているときには、一度だって泣いたことがなかった。でも、死んで銅像になったら、世の中の悲しいことばかりが見えてきて、ひとりでに涙がこぼれるのだ」。
 それから、この燕は、王子の幸せの遣いになります。「ほら、あそこの窓の中、病気で寝ている男の子が、オレンジをほしがっている。でも、お母さんは貧しくて、水しか飲ませられないのだよ」。燕は王子の言われたとおり、剣のつかのルビーをくちばしにくわえて届けます。
 燕は、つぎの日に、南の国へ出発しようとします。王子は、ツバメを引き留めます。「もう一晩、手伝ってくれ。ほら、あそこに、苦学生がいる。一生懸命勉強しているのに、身体を暖める火もなければ、食べるものもない」。燕は、王子の右目のサファイアをえぐり出して、それをくわえて、届けます。左目は、マッチ売りの貧しい少女のところへ届けます。
 王子は、二つの目を失いました。燕は、南の国へいくことを諦め、目の見えなくなった王子のそばにいる決意をします。燕は、王子の目となって、かわいそうな人たちのことを報告します。今度は、からだにはりつけられた金を、少しずつはがして、届けます。金がはがされた銅像は、みすぼらしい灰色になります。
 やがて、雪が降り、霜がおり、氷がはります。しかし、燕は、王子のそばを離れません。物語には、「燕は、心のそこから、王子を愛していたのです」と書いてあります。
 オスカー・ワイルドは、敬虔なクリスチャンです。彼が描いている「幸福の王子」は、キリストの姿。キリストは、神のみ姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にし、仕えるものの姿をとり、最後、十字架の上でご自分のいのちを捨てて、私たちを罪と死から、悩みから救ってくださったのです。
 では、オスカー・ワイルドが描いている燕は何を現しているのでしょうか。王子の手足となり、王子の目となり、そして王子を愛して、死ぬまで王子のそばにいたいと願う燕。これこそ、キリストの心がわかるクリスチャン。「行って同じようにする」クリスチャンです。
 冬の寒い日、弱っていた燕は、とうとう死んでしまいます。燕が、王子の足元に落ちた瞬間、パチンと音がして、王子の鉛の心臓も二つに割れます。つぎの日に、町の人々は、銅像の変わり果てた姿に目を留め、みすぼらしい銅像を倒してしまいます。人の目には、王子の愛も、燕の犠牲も、わからなかったということになりましょうか。
 この物語、みなさん、ここぐらいまで覚えていらっしゃるでしょう。でも、実は、この先、まだ話しがあるのです。幸福な王子の銅像は、引き下ろされ、工場に運ばれて、火で溶かされます。でも、どうした訳か、鉛の心臓だけは、少しも溶けません。工場の人は、しかたなく、そのかたまりを、燕が転がっているゴミの中に投げ捨ててしまいます。
 
 物語の最後の部分は、そのまま読みます。「町の中で、いちばん大切なものを、二つもってくるように」神様が、天使の一人に言いました。そこで、天使は、鉛の心臓と死んだ燕をもってきました。「よいものをもってきてくれた」。神様がいいました。「天国の庭で、この燕がいつまでも歌えるようにしてあげよう。そして、私の黄金の町で幸福な王子が私を誉めたたえるようにするつもりだから」。
 町の中で、いちばん大切なものは、二つあると神様はご覧になりました。自分を徹底的に空しくして、みすぼらしくして、人に与えようとする王子の心。クリスマスの晩に馬小屋に生まれ、最後は十字架につけられた、イエス様です。
 神様がご覧になったいちばん大切なものが、もう一つあります。それは、キリストの心をいただいて、王子に仕える燕です。私たちは、この燕です。最初は、王子の足元で、翼を休めにやってきます。そのうち、王子が、見てご覧といわれた情景を見るようになります。王子の涙が、だんだんとわかるようになります。王子に仕え、王子の愛を運ぶ燕。王子を愛し、最後まで王子のそばを離れない。この燕こそ、私たちではないでしょうか。

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DATE: 2004.03.31 - 23:46

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