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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   あなたの人生は神のぶどう園
棕櫚の聖日 あなたの人生は神のぶどう園 
マルコ12:1−12

 聖書の中で、イエスさまが話されたたとえのなかで、旧約聖書の歴史から新約聖書に至るまで、すべてを総括した、壮大なたとえ話です。ぶどう園というのは、イスラエルの象徴です。それは神さまがご自身で準備されたものです。ぶどう園を造って、垣をめぐらし、酒ぶねを掘り、やぐらを建てとあるように、神さまはその他、イスラエルに必要なものをすべて用意されました。 
 ここに出てくる「農夫」とは、イスラエルの宗教指導者たちのことを指します。そのぶどう園の管理を、宗教指導者たちに任せて、しばらく旅に出かけたのです。やがて、収穫の時が来ると、ぶどう園の主人はしもべを遣わして、収穫の負け前を受け取りに来ます。すると、農夫は、やってきたしもべを袋だたきにします、次のしもべの頭を殴り辱めます、3番目のしもべを殺します。イスラエルの民は、このようにして預言者たちのことばに耳を傾けず、神から離れていったと言うことでしょう。最後に出てくるのは、殺されたバプテスマのヨハネかもしれません。その邪悪さ、愚かさは度合いを増していきます。
 神さまは、最後に「私の息子なら、敬ってくれるだろう」と御子イエス・キリストを遣わしますが、「あれは跡取りだ。殺してしまて」と捕まえて殺します。8節に、殺した後に「ぶどう園の外に投げ捨てた」とありますが、エルサレムの外のゴルゴダの岡で十字架にかかられるご自身を予見されてのことでしょう。
 そこで、物語は終わりではあるはずがありません。ぶどう園の主人は、農夫を滅ぼし、ぶどう園は他の人たちに与えます。すなわち、イスラエルから新約の教会へとぶどう園の所在が変わっていきます。こうして誕生した新しい神の民、すなわち教会の礎石は、10節「見捨てられた石」、十字架にかけられたキリストなのです。
 短いたとえ話の中で、イエスさまは一気に、救いの歴史を総括されました。そして、物語の構図は、イスラエルに当てはまるだけではありません。これは教会に当てはまり、私たちにも当てはまるのです。私たちの生活に必要なものを神さまは備えていてくださいます。私たちの人生とは、いつも神のぶどう園なのです。あなたがたが植えなかったぶどうの木、あなたがたが掘らなかった水路、あなたがたが積み上げなかった石垣――それは神さまの恵みで成り立っているのです。
 さて、そのようにこの物語を自分自身に当てはめて、受難週が始まる、棕櫚の聖日この物語から三つのポイントから学びます。

1)主人と心の通っていない農夫です。
 大切なポイントは、農夫たちは怠け者ではないということです。彼らは働き者でした。以前学びましたタラントのたとえでは、主人からあずかったタラントをまったく活用せずに、叱られる「怠け者のしもべ」が出てきます。しかし、このたとえでは、そうではありません。表向きは勤勉で、正しい、一見、主人の期待通りに働いている農夫ですが、決定的に心が主人と通っていないのです。「主人が、旅に出かけた」とありますが、神は、私たちの人生で、いろいろと干渉しない距離をとっておられるようにも思えることも多々あります。「それは、君の自由だよ」と。
 私は牧師になってこの方、講壇から律法的に聖日を厳守しなさいと申し上げたことは一度もありません。確かに旧約聖書には礼拝に関する律法規定はあります。しかし、それは新約聖書にはないからです。福音は、曜日に関する規定を、また礼拝に関する律法を解きました。什一献金といって、与えられたものの十分の一を神に捧げる、献金するという貴い信仰者の生き方があります。しかし、それもまた律法的に決められた規則ではありません。新約聖書にはその規定はないのです。「それは、君の自由だよ」と。
 しかし「自由」という言葉を、農夫は自分勝手にしても良いと解釈したのでしょう。主人の留守が長引けば、長引くほど、錯覚します。この土地は、このぶどう園は、俺たちの自由だ。この人生は私の自由だ。そのそも私のものだ。
 私たちは、この人生が、神の物と知りつつ、自由が許されていると、だんだん、それが自分のものと錯覚するほど、愚かなのです。

2)そんな私たちに向けられる、神の熱意です。
 神さまは、何度しもべを遣わされたでしょうか。3回ですよ。それも回を重ねるたびに、農夫たちの悪質さは増してきます、そして最後の農夫は殺されます。それでも、6節で愛する息子を送るとき、神はなんとおっしゃいましたでしょうか。「私の息子なら、敬ってくれるだろう」。今度こそ、わたしの言葉を重んじてくれるだろう、という神の熱い思いです。
 神さまは、それだけ遣わしたしもべたちが、傷つけられて、侮辱されて、それでも懲りないのでしょうか。それほど邪悪に自己中心にしか物事を考えない私たちに対して、繰り返し繰り返し、ご自身のしもべを送り続け、最後には御子をさえ惜しまずに送ってこられる理由は何なのでしょうか。それは、神の愛です。神の情熱です。神の忍耐です。
 私たちは、すでに神から遣わされた神の僕を、何人辱め、抹殺してきたのでしょう。神の使いの言葉を、何度封じてきたでしょう。そんな私たちですが、神さまは、私たちを見捨てず、私たちに期待をかけて、もう一度、またもう一度、恵みのチャンスを与えてくださいます。この神の愛と情熱と忍耐によって、私たちは支えられているのです。

3)12節「彼らは、このたとえ話しが、自分たちを指して語られたことに気がついた」ので、悔い改めた、とは記されていません。
 逆に、イエスを捕らえようとしたのです。いわゆる、「逆ギレ」です。もと東京神学大学の学長で高崎毅先生という牧師がいますが、彼があるところで、こんな質問を受けて、答えています。
 「牧師としていちばんうれしいことは何ですか」。
  「自分の手で洗礼を授けるときです」。
 「牧師としていちばんつらいと思うことはなんですか」
  「一度でいいから、私が悪いのではなくて、君が悪いんだ、ということばを言ってみたい」。
 偉い先生ですね。「私なんか逆で、悪いのはおまえだ、俺は悪くない」と言いそうですね。この先生は、イエスさまのように耐えたのでしょう。指摘すると逆ギレする人々に耐えたのでしょう。そして、私たちはみな、自分のことを言われていると気がつくと、それに反発するようなかたくなな傾向があるのです。
 棕櫚の聖日のこの日、人々は大歓声をもってイエスさまをエルサレムに向かえました。この人物こそ、ローマ帝国の支配から私たちを救い出してくれると。もし、イエスさまが、エルサレムに入って以来、ピラトの批判、ローマの批判ばかり展開していたら、エルサレムの人々はますますイエスさまを歓迎したでしょう。もし、イエスさまが、神殿をきよめる代わりに、ピラトの官邸をきれいにして、ローマの兵士をエルサレムから追い出していたなら、祭司長も長老もイエスさまを歓迎したでしょう。
 しかし、棕櫚の聖日から始まって、数日間、イエスさまが指摘されたのは、ピラトのことでもローマのことでもありません。当時の宗教家の心の中の問題でした。イエスさまは、彼らを指して、話しをされていたのです。
 そう考えますと、このたとえを通してイエスさまが語っておられるのは、二千年前のユダヤの人々のことではありません。同じように、主の恵みによって人生を整えられ、すべての良きものを主から託されていながら、それをいつのまにか、自分のものとし、自分の自由にし、神さまの介入を徹底的に拒むような、私を指して語っておられるのです。
 自分のことを指して言われていることが分かったとき、どのような態度に出るのでしょうか。「逆ギレ」に出るのか、いや、私たちの場合は、むしろ無視する、放っておくとい  うのが多いのかもしれません。それを放っておくといのは、言うまでもなく、御子イエス・キリストに何の尊敬も払わない、当時のユダヤの人々と同じです。それは、キリストを十字架につけたのと同じ自己中心です。
 自分を指して語られていることに気がついたら、悔い改めて、主の御心の通りに生きようと、踏み出すことです。「それがあなたにはできる、きっとできる。だから、わたしは、あなたに恵みのチャンスを送り続ける」――神さまは、そうおっしゃるのではないでしょうか。それが聖餐の恵みです。そして問いかけは、今朝、主はあなたを指して、何を語っておられるか、です。

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DATE: 2004.04.07 - 17:18

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