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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   イースター:主はあなたを見守っておられる
イースター:主はあなたを見守っておられる
 

コロサイ3:1ー4
 3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
 3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
 3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
 3:4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。

 コロサイ人への手紙は、言うまでもなくパウロの手紙の一つです。パウロの手紙には、十字架と復活がどこにでも出てきます。この二つを切り離すことはできません。しかし、彼は特に主の復活を意識して生きていた信仰だといわれています。パウロは、復活信仰に生きていたのです。
 それは、ある意味で、当然でしょう。パウロが、初めてキリスト教に心を開いたのは、人生に息詰まったからでもない、病に苦しんでいたからでもないのです。彼の信仰の原点にあるのは、復活の主に出会ったという出来事でした。そのことによって彼の人生は180度転換して、クリスチャンとなりました。
 では、その復活信仰とは、何でしょうか?さまざまな表現、側面があるでしょうが、コロサイの手紙では、それは「復活のキリストと共にある生活、いのち」なのです。
  ・・・1節「キリストとともに」よみがえらせられた
  ・・・3節「キリストとともに」神のうちに隠されている
  ・・・4節「キリストとともに」栄光のうちに現れる
            
 3回連続です。私たちのいのち、私たちの人生、私たちの日常生活、それは端的に言えば「復活のキリストともにある」のです。しかも、この3回を見てみましょう。1節で、「よみがえった」というのは、洗礼を受けたときの、過去の出来事。過去の自分です。3節は、今の自分です。そして4節は、やがての自分です。クリスチャンの人生は、最初の洗礼を受けたときも、今も、そしてやがての時も、復活のキリストと共にある人生です。
 そして今朝、一番、私たちにとって身近な、「今のいのち、今の人生、今の生活」を見て頂きたいと思うのです。3節「あなたがたのいのちは、キリストともに、神のうちに隠されてある」と。=聖書で、「隠されている」とは、大きく二つの意味があります。

                                 ●隠れていてるものは、いまだ明らかでない

 たとえば詩篇の中に、「人の思い、人のはかりごとは、神の御前に隠れてはいません」。神様は、何でもお見通し、何一つ、神様の前に隠れることができないのです。心の中の動き一つに至るまで、明らかにされています。隠れるというのは、明らかにされていない状態を指します。ですから、私たちのいのちが、今、キリストとともに神のうちに隠されている。まだ、この復活のいのちの本当の力は、十分に外に出てきていない。病気もする、疲れる、調子も悪くなる、悩む、失敗もします。キリストともによみがえった私たちのいのちは、まだ隠された状態、十分にすべて現れているわけではありません。外側はボロボロです。しかし、4節にありますように、やがてのときに、キリストと共に神の御前にそのいのちがすべて現れるのです。
 あるイギリスの作家が、自分の父親の死について語っています。彼の父親は、年老いて、病の床にありました。ある朝、その作家は、父を起こすために、部屋には行ったところ、年老いて、痩せて、力をなくした父親が言ったそうです。
  「ブランドを挙げてくれ。朝の光が見えるように。」
 息子は言われるとおりにしました。朝日が部屋の中にさーっと入ってきました。そして、老人は、朝日とともに天に連れ去られるように息を引き取ったそうです。最後の言葉と、その日の朝の出来事が、見ていた彼の頭に深くこびりつきました。隠されていたよみがえりのいのちが、老いた病の身体を突き破って、主とともに天国へ旅立ちました。幼虫が殻を破って、蝶になって羽ばたくように、ぼろぼろの身体を脱いで、天国へ昇っていった、というのです。 

                                ●隠されているものは、守られている

 もう一つの意味があります。「隠れている」とは、守られているということです。詩篇27:5はこう記しています。「それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ」。神の御手の中に隠されているとき、外の敵から、外の患難から、しっかりと守られている状態です。
 非常に興味深い考え方ではありませんか。一方で、私たちは、病気もする、疲れる、調子も悪くなる、悩む、失敗もするのです。キリストともによみがえった私たちのいのちは、まだ隠された状態で、すべて現れているわけではなく、世にあっては患難があり、外側はボロボロです。しかしもう一方で、そのいのちは、キリストともにあって、神の御手の中で守られているというのです。ぼろぼろの状態でも、傷ついた状態でも守られているのです。
 そして、その守りは鉄壁です。なぜなら、キリストはあなたのもとを離れないからです。「見よ、わたしは世の終わりまであなたがたとともにいます」とおっしゃった主は、パウロとともにいつも立ってられました。

 Uテモテ4:16−17
  4:16 私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。
  4:17 しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました……
 自分の仲間が自分を見捨てて、一人孤独にローマ帝  国の裁判を受けるのです。6節で、「私は今や注ぎの供え物となります」と記していますが、その通りに彼は殉教していきます。しかし、パウロは、イエス・キリストによって守られて、与えられた使命を全うするのです。17節の真ん中から「それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私はししの口から助け出されました。主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。
 獅子の口とは、円形競技場で、クリスチャンを悔い殺す獅子の口です。危険にさらされ、ぼろぼろになって、何度か救い出されても、やがて、注ぎの供え物となって世を去っていくパウロです。しかし、主は彼と共に立ち、彼のいのちをすべての悪のわざから守り、彼を天の救いに入れてくださるのです。復活の主は、ぼろぼろのパウロと共に立ち、そのいのちを一時たりともまどろむことなく、見守っておられるのです。

 『こころのチキンスープ』の13巻に、こんな実話が載っています。話しは、こう始まります。
 「バスの乗客は、白い杖を持った美しい若い女性が慎重にステップをのぼってくるのをはらはらしながら見守っていた。彼女は手探りで座席の位置を確かめながら通路を歩いて、運転手に教えられた空席を見つけた。座席に腰を下ろすと、ブリーフケースを膝に載せ、杖を脚によせて立てた」。
 彼女の名前はスーザン、34才。視覚を失ってわずか一年。人一倍独立心の強かったスーザンは、一瞬にして闇と怒りと苛立ちの世界に突き落とされてしまいます。夫は、なんとか彼女にもういちど力と自信を取り戻させよう、独立心を回復させてやろうと決意します。そして、仕事に復帰できるように整えます。でも、どうやって職場に通ったらいいのでしょう?
 初めは、夫が彼女を職場に車で送っていました。ところがしばらくすると、夫はこのままではいけないと気づいたのです。スーザンはひとりでバスに乗ることを覚えなければいけないんだ。でもそのことをスーザンに言うことに躊躇を覚えました。予想どおり、一人でバスに乗ると考えただけで、スーザンは怒鳴りました。「私は目が見えないのよ!」
 そこで、夫はスーザンに毎日、朝晩いっしょにバスに乗ってやると約束した。彼女がひとりで大丈夫と思うまで、どんなに時間がかかっても。まる2週間、毎朝、2人はいっしょにバスで出かけ、それから夫はタクシーでオフィスに向かいます。
 そしてついに、ある月曜日、スーザンはひとりでバスに乗ると言いました。月曜日、火曜日、水曜日、木曜日……。
 金曜日の朝、スーザンはいつものようにバスに乗りました。料金を払ってバスを下りようとしたとき、運転手が言います。 「あんたはいいねぇ」
 スーザンは、まさか自分に言われたのではないだろうと思います。いったい誰が目の見えない女性をうらやむというのでしょう。いや、自分のことだ。彼女は、運転手に尋ねます。
 「どうして、いいねぇなんて言うんですか?」
 運転手はこう言いました。
 「だって、あんたみたいに大切にされて、守られていたら、さぞかし気分がいいだろうと思ってさ」
 さらに謎です。
 「どういう意味なの?」
 答えが返ってきました。
 「ほら、今週ずっと、ハンサムな軍人が通りの向こうに立って、あんたがバスを下りるのを見守っていたんだよ。あんたが無事に通りを渡って、オフィスの建物に入っていくのを確かめているんだよ。それから、彼はあんたにキスを投げ、小さく敬礼をして去っていく。あんたはほんとうにラッキーな女性だよ」

 パウロは実感したのです。復活の主は、私とともに立っておられる。私は見守られている、私は神の手の中に匿われている。どんな患難の中でも、円形競技場でも、難破した船の中でも。
  最初から、パウロには共におられる復活の主がわかったのでしょうか? いや、そんなはずはありません。次第に、霊的な目が開かれ、通りの向こう側に、自分の傍らに共に立っておられる主がわかるようになったのです。私のいのちは、昔も、今も、やがての時も「復活の主とともにある」と。

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DATE: 2004.04.12 - 11:34

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