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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   ヒゼキヤの祈り
ヒゼキヤの病と祈り                          2004.6.27
    U列王20章全

●トライアル・ラン

 十数年前の大晦日のお昼でした。家族で溝口に行って帰ってくると、教会の角を救急車が曲がっていくところでした。前のおばさんが心臓を悪くしていらっしゃった頃でしたから、から、ああ、こんな日に救急車で運ばれるのは大変だね、と話しながら、帰宅すると、玄関に紙が貼ってありました。
 「おばあちゃんが倒れて、救急車で中央病院に運ば    れました」
  私は自転車で駆けつけ、行ってみると、症状から考えるとくも膜下出血だということ、大晦日で中央病院では手術の体制が整わないから、聖マリアンナの救急救命センターに転送すること、など聞かされました。
  あちらで担当のお医者さんから手術についての説明を受けました。動脈瘤が4つあり、その一つが破裂した。明日の元旦に手術を行い、残りの動脈瘤もクリップで留めますので、明日は一日病院で待機してほしいとのことでした。家族で打ち合わせをして、父と圭子が残って元旦礼拝をやり、私と姉が、病院の待合室にいることにしました。
 それはそれは、長い一日でした。朝九時に、手術室に運ばれていく廊下で、母の額に手を置いて、そのたましいを主の御手にゆだねて祈りしました。
 しばらくすると、四〇代、五〇代ぐらいのご夫婦が待合室に次から次へと到着しました。互いに知り合いではないようでした。順番に医者に呼ばれます。だんだんわかってきました。若者五人が初日の出に出かける途中で車の事故を起こし、全員重傷であるということ。亡くなってしまった若者もいました。重篤の方もいます。親たちは互いに一言も口をきかずに、じーっと座っていました。その重苦しい時間を、今でもはっきり覚えています。
 やがて、夕方になり夜になり、まだ母の手術は終わりません。一三時間の手術が終わって、峠を越えました。それからICUが二週間、リカバリールームが一週間ぐらいだったでしょうか。病棟に戻った頃は、水頭症で記憶も思考力もいっこうに元に戻りませんでした。
 私たち家族は、多くの祈りに支えられながらも、告別式のことを考えないわけはありませんでした。告別式に至る道のりを歩んでいたと言っても過言ではありません。
 感謝なことに。そのときは、告別式のリハーサルにとどまり、本番にはいたりませんでした。しばらくして、大内姉が聖マリアンナに入院されました。姉妹も厳しい病を越えて、生還されました。天国へのリハーサルを何度か体験している兄弟姉妹は、高津教会に決して少なくありません。マラソンで言えば、トライアル・ランです。八月のアテネオリンピックのために、念入りなコースや気候の調査と共に、選手たちは、なんどか試験的にコースを走ります。それがトライアル・ランです。高津教会で、この種のトライアル・ランを走った数が一番多いのは、高橋武兄です。その兄弟も支えられて、今年九月で定年退職を迎えようとしています。

●本番の通知

 U列王記二〇章の聖書の記事は、ヒゼキヤという王様のところに、告別式へのリハーサルの通知があった、というところから始まります。いや、それは本番の通知でした。
  「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。告別式の準備をせよ。直らない」(一節)。今で言うなら、末期の告知でした。
 ヒゼキヤは、ショックのあまり大声で泣きました。彼は強いたくましい王です。その彼が、顔を壁に向けながら大声で泣いているのです。
 「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを」
 この訴えは、うそではありません。一八章から、彼の信仰の生涯が描かれていますが、偶像を撤廃して、王国に信仰のリバイバルをもたらしたのです。しかし、病は病です、死は死です。
 ヒゼキヤの涙の祈りに、主は答えてくださいました。聖書の中の最もすばらしい御言葉の一つ
 「私はあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た」(五節)
 そして主は、ヒゼキヤを憐れみ約束してくださいました。
 「私は、あなたの寿命にもう15年加えよう」(六節)
 本番の通知が、リハーサルですんで、もう一五年猶予が加えられたのです。

●再び生かされて……

 私たちなら、この一五年をどのように生きるでしょうか。神に祈りを聞いていただき、涙を見ていただいて、あわれみの中に新しい人生を加えられたら、私たちなら、どう生きるのでしょうか。ヒゼキヤの場合を見てみましょう。癒されたとき、彼は国をあげて神に感謝しました。感謝の礼拝を捧げ、感謝の証しをし、国中で神の聖名をほめたたえたのです。平行して記されているイザヤ書三八章には、ヒゼキヤがそのとき歌った賛歌が記録されています。もう一度与えられたいのちです。しかも一五年という限られた年数です。「主よ。私はしいたげられています。私の保証人となってください」と祈りを残しています。
 しかし、その祈りが本当に身になっていたのかと、疑わざるを得ない出来事が、次の瞬間に展開されていきました。
 「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである。ヒゼキヤは、彼らのことを聞いて、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった」(U列王二〇・一二ー一三)。
 どういうことでしょうか。バビロンの国は、ヒゼキヤの病気を聞いて、大使に手紙と贈り物をもたせました。来てみると、ヒゼキヤは元気でぴんぴんしています。ヒゼキヤにとっては久しぶりの客で、しかも大国バビロンの大使でした。直って絶好調だった彼の心に、傲慢な思いがわいてきました。彼は、自分の国と、自分の力を自慢したくなってきました。
 ヒゼキヤは、大使を連れて、王宮中を回って、宝を見せるのです。ソロモンの時代に蓄えられた財宝の数々です。バビロンの大使は、「ほーっ、こいつはすごい、すばらしい」と感動を連発しながらも、うしろで「アホな王とは、このことだ」と不敵な笑みをうかべていました。大使はバビロンに帰って、詳しい報告書を書きます。王宮の地図、宝物倉の地図、冷蔵庫の中のキャベツのかたちをした金庫、からくりタンスの開け方、等々。どこに何があるか、何を隠してあるのか、全部書いて報告しました。
 やがて、ヒゼキヤが死んだとき、バビロンは一挙に攻めてきて、宝を全部奪っていきます。
 「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい」(一七節)。
 このときです。ソロモンの財宝が世界中に散っていくのです。
 「家を整理せよ、あなたは死ぬ」と言われたとき、ヒゼキヤは痛感したはずです。この世の名誉を求めても、この世の富を求めても、意味がない。やがて、整理しろといわれたとき、そんなものは、全部消えてなくなる。ヒゼキヤは、あの時、永遠の世界へ、神に国に目を向けて、神の恵みに渇いて、泣いて祈りました。しかし、そんなことは、いつの間にか忘れて、王宮の宝に傲慢なのめり込んでいきました。トライアル・ランはこの瞬間に無駄になってしまったのです。

 シェリー・チェイプンという、末期患者を中心に伝道している女性がいます。彼女自身、ガン患者、二年半前に医者から九カ月の生命と宣告されました。その後、すでに二年半生きているのです。いったいどのような伝道をしているのでしょうか。どのようなメッセージを運んでいるのでしょうか。自分自身が爆弾を抱えていますから、同じ状況の人々を同情できるのでしょう。その不安や絶望を理解できるでしょう。そして九カ月の宣告で、二年半ものあいだ生かされてきたのです。その間受けた神の恵みと力と希望を説いているに違いないと、想像します。
 ところが、そうではないのです。彼女のメッセージは、単純でストレートにこうです。
 「病というものは、苦痛の体験を通して、人生にとって最も貴重なレッスンを学ぶときです。そのレッスンとは、一時的なものと永遠的なものを区別することです。滅び去るものと、滅び去らないものとを区別することです。
 私が、末期の宣告を受けたとき、はじめ、一日を最大限に生きようと一生懸命でした。やり残したと後悔することがないように、一日で三日分ぐらいを精いっぱい生きたのです。でも、そんなことは長続きしません。そんなことは、良いアドヴァイスとは言えません。
 人生の大切なことは、すべて心にあるのです。私はガンの宣告を受けてしばらくして、貴重な人生にとって、一時的なものと永遠的なもの、滅び去るものと滅び去らないものとを区別することを学びました。そして、私の足は、絶対に滅びさるものの上に据えてはいけないことを」 
 ヒゼキヤの病の体験は、本当の意味では生かされていませんでした。彼は真実な涙を流しました。神は、憐れみによって彼の人生に一五年を加えてくださいました。そのとき、私たちの誰もがするように、ヒゼキヤも心からの賛美を主に捧げ、感謝にあふれました。
 しかし、考えさせられるのです。それが何日、何週間、何ヶ月、何年続いたのでしょうか。彼の病の体験は、苦痛と救いの体験ではありましたが、そこから彼は一時的なものと永遠的なもの、滅び去るものと滅び去らないものとを区別することを学ぶことができませんでした。やがて、日常の忙しさや楽しみに埋没していくのです。私たちの信頼と心の拠り所を、間違ったものに据えて、滅び去るものに目を見張ってしまいます。物・地位・財産・健康・仕事・教育、それらの上に足を据えてしまうのです。
 シェリー・チェイプンは、私たちみなが末期患者だと言います。その末期の病名は、人生です。みな、どこかで終わりが来ます。残された日数が三日でも、三年でも、三〇年でも、人生同じだけ貴く、同じだけ賢くなければならないのです。この足を滅びるものの上に置いてはなりません。

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DATE: 2004.06.30 - 11:26

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