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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   fujimoto
Subject   ソロモンの祈り――祈りを人生の中心に据える
ソロモンの祈り――祈りを人生の中心に据える

 「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く。』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください」(T列王八・二八〜三〇)。

 列王記第一の前半部分には、ソロモンの生涯が描かれてい ます。若くして父ダビデの王位を継承したソロモンは、イスラエル王国を史上最大の繁栄に導きます。その背後に、彼の二つの祈りがありました。
 一つは、王位について間もなく、神が「あなたに何を与えようか。願え」(三・5)と尋ねられたとき、彼は、富や長寿や力を求めず、おびたただしい民を適切にさばく知恵を神に求める祈りをします。この祈りは、御心にかなっていました。彼の知恵は、世界が彼に謁見を願うほど卓越したものとなり、しかも神は彼が願わなかった、富と誉れも与えるのです。国は、ソロモン王の「御心にかなう祈り」によって繁栄しました。
 しかし、より恒久的・決定的な影響を神の民イスラエルに与えたのは、この祈りではなく、八章に記されているソロ モンの「第二の祈り」です。それは神殿が完成したときに捧げられました。
 「ソロモンはイスラエルの全集団の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を点に差し伸べて」(二二節)祈ります。「それにしても、神ははたして地上に住まわれるのでしょうか……まして私の建てたこの宮などなおさらです」(二七)と御前にへりくだりながら、彼は誠実な思いで一心に祈ります。それは、偉大な指導者の祈りです。

●神殿を人生の中心に据える
 「神さま、彼らの祈りを聞き入れてください」と訴えたソロモンは、民が祈るときの日常的な状況を一つ一つ考えています。隣人とのいさかいがあったとき、戦いに負けたとき、と続きます。
 具体例を一つ見ておきましょう。
 「もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、
 だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、
 あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。……」(三七〜三九節)。
 ソロモンが神殿を建設し、それを神に捧げたとき、イスラエルの国は反映の絶頂期を迎えているのです。国には内外の心配なは何もありません。神に祈るとしたら、感謝以外の事柄はないような状況でした。しかし彼は、繁栄のただ中にあるイスラエルに、やがて戦いがあること、干ばつが来ること、飢饉や疫病に見舞われることを、明確に予測していました。明確に予測した上で、神殿をイスラエルの営みの中心に据えたのです。
 干ばつが訪れ、ききんに見舞われ、疫病に打たれたとき、敵が町々を攻め込んだとき、いかなるときも、「だれでも神殿に向かって両手を差し伸べて祈るとき、主ご自身が天の御住まいにあって、それを聞いてかなえてください、と祈ります。
 一八四五年、イギリスから一三八名の有能な船乗りを乗せた2隻の船が、北極目当てに出航しました。イギリスから北西に上がって、カナダの上を抜けて、北極へというのが彼らが描いていたプランです。船長のジョン・フランクリン卿は、この航海が北極探検に多大な貢献をすることを信じて、出向します。そして、事実、多大な貢献をします。成功によってではなく、彼らの失敗によってです。
 船は出発した港に戻ってくることはありませんでした。一三八人全員の死亡が確定しました。そして、後に北極探検を目指すものは、全員、この航海から大きなことを学びました。それは、危険を予測しない愚かさです。明らかに船長のフランクリンは、その姿勢に欠けていました。蒸気エンジンを積み込んだ船には、その燃料となる石炭はわずか一二日分しかありませんでした。燃料は十分でない分、船にはホテルのような設備が積み込まれていました。船の中には、約一二〇〇冊を有した図書館がありました。オルガン、銀の皿にナイフとフォーク、ガラスの器。寒さに備えての防寒服は、用意されていませんでした。みなが、王室海軍と同じネイビー・ブルーの制服、ネイビーブルーのコートを着ていました。見た目は最高でも、何の役にも立たない服です。数日もしないうちに、船のデッキが凍るようになります。やがて、船は氷に取り囲まれて、身動き取れないようになってしまいます。
 理解に苦しみます。厳しい航海が予想されてしかるべきところ、どうしてこんなに軽装で出かけていたのか。燃料も十分に積まないで、しかしその洋服や内装にはそれほどまでに時間と財をつぎ込んで。当時の新聞には、彼らはまるで午後の紅茶を飲みに出かけるつもりだったのかと批判されていました。
 理解に苦しみます。それは私たちにも言えることで、この人生の航海にあらゆる厳しさが予想される中で、何を着ようか、何を食べようか、どんなことをして楽しもうか。クルーズ感覚で生きているのです。
 ソロモンは違いました。神殿は、見事な建造物でした。神の栄光を表すために、贅の限りを尽くしました。それは当時のイスラエルの財力・国力を象徴していました。神殿の完成は、巨大な王国の繁栄を映し出していました。しかし、ソロモンは、やがて戦いが来ること、敗北を味わうこと、干ばつや疫病がやってくることを心得――だからこそ、祈りを民の生活の中心に据えたのです。
 
ソロモンは、こんな悲劇も予想していました。
 「彼らがあなたに対して罪を犯したため――罪を犯さない人間はひとりもいないのですから――あなたが彼らに対して怒られ、彼らを敵に渡し、彼らが、遠い、あるいは近い敵国に捕虜として捕われていった場合……」(四六)
 敵に負けるだけではありません。あなたが敵に負けて、遠い国に捕虜に連れて行かれるとき……と。
 やがて、イスラエルはバビロンに捕らわれていきます。ダニエルが祈ります。日に三度、自分の部屋の窓を開け、エルサレムの方向を向いて祈ります。ダニエルは何故そのような祈り方をするのでしょうか。それはソロモンが祈った祈りの故に、神殿を中心とする生活がイスラエルの民に染みついていたからです。たとえそれが、遠いバビロンの地にあっても、祈りは依然として生活の中心なのです。しかしソロモンが祈ったときには、想像もつかなかったことですが、ダニエルの時代、神殿は崩壊していたのです。ダニエルにとって、神殿が崩壊した後も、祈りの宮は健在でした。もはや神殿、すなわち祈りの宮は、建物ではありません。それは、心の中心にある聖なる場でしたものです。

●神殿を心の中心に据える

 あなたの心の中心に聖なる場所を作りなさい、ということです。この視点を理解するために、以下の恵みにあふれる聖書の箇所に目を留めましょう。
 「人の子よ。あなたの兄弟、あなたの同胞、あなたの身近な親類の者たち、またイスラエルの全家のすべての者に対して、エルサレムの住民は、『主から遠く離れよ。この地は私たちの所有として与えられているのだ。』と言った。

 11:16 それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。』
 距離的に神の聖所である神殿からどんなに離れていたとしても、「わたしは彼らが行ったその国々で、しばらく  の間、彼らの聖所となっていた。」
 歴史的な状況を簡単に説明します。バビロン捕囚のはじめで、ユダの王エホヤキムやエゼキエルは連れ去られたのですが、そのとき、残されたエルサレムの住民は、捕囚に取られる人々に何の同情も払わずに、冷たく言い放つのです。「主から遠く離れよ」――すなわち、さっさと行ってしまえ、ということです。「この地は、今後私たちが所有しよう」――われわれが、神の祝福を相続しよう。つまり、神殿から離れることは、神から離れるということです。
 神殿を離れて、遠い国に連れ去られる民は、こうした冷たい言葉を聞き、本当に神の祝福から離れてしまうようなおそれを抱いたことでしょう。しかし主ご自身は、それに対して、心配することはない、わたしがあなたが連れ去られる地にあって、あなたの聖所となる、とおっしゃったのです。
 神殿のすぐそばに住んでいても、神の祝福とは全く関係ない人々もいます。逆に、エルサレムから遠く離れていながら、神ご自身が聖所となって、ともにいてくださることができるのです。神に向かって心を開いて、心の中心に聖なる場所をもうけ、そこを祈りの宮とするなら、神ご自身があなたのうちに住んでくださるのです。神殿はもはや、建物ではないのです。神殿は私たちが、自分の心の中心にもうける聖なる祈りの宮です。
 繁栄の絶頂期にあってソロモンは全集団を前にして、祈り訴えました。「この豪華な神殿に圧倒されて、喜びに満ちているあなたがたよ。いまは喜びと楽しみの中にあっても、やがてあなたの人生はどん底を味わうときが来るかもしれない。しかし、そのときも変わらずに神殿に来て、神の御前に祈れ。そのとき神はあなたの祈りをかなえてくださる」。そして、やがて本当にイスラエルが他国の侵略を受け、神殿が崩壊し、人々が異邦の地にとられてしまう時が来るのです。しかしそのようなときでも、「心配するな。神はあなたの聖所となり、あなたの心のうちに住み、そこが祈りの宮となり、あなたはそこで私と語らうことができるのだ」――そう、ソロモンは祈ったのです。
 高津教会はインマヌエル教会です。この教団は、現在、日本に一二五の教会があり、世界七カ国に宣教師を派遣しています。戦後誕生した教団ですが、実際の誕生期は創設者の蔦田次雄先生が、軍事政権下の弾圧を受けて、拘置所に捕らわれていたときに教団の産声を聞くことができます。
 ある朝、先生のところに警察がやってきて、そのまま連れて行かれます。はじめて板橋署の留置所にたたき込まれた日のことをこう記しています。
 半円の動物園の檻のごとく、コンクリートじきの小部屋が一二、一三と連なっている。帯を取り上げられ、ネクタイもカラーもはずされて、二階中央の部屋へ連れて行かれた。朝からの雨で、天上近くの小さい光線窓から入り来る光もほのぐらく、檻りの中に何が入っているのか判別できない。前を通ると何だかごそごそとうごめている。見るともなしに見れば、髪も乱れ、帯も取られて、藁のようなものの上にうずくまる女である。明るい、自由な、広い社会のひとすみにこんなところもあるのか。監視の叱り飛ばす言葉も常識を越えたものである。こんな言葉を持って扱わねばならぬ人々もあるかと思うとともに、毎日、毎日、職業とはいえ、こんな言葉を使わねばならぬ者たちに心を暗くした。目に見えるもの、耳に聞こえるものすべてが異常。
 やがて、蔦田先生は日本橋の久松署へ、そして巣鴨の拘置所へ移されていきます。夏はノミに、冬はシラミに悩まされ、二年半。蔦田先生は、はじめての夏を越え、秋もふけたころ、こう記しています。
  「どことなくさもしい拘置生活にも、このころは慣れてきた。朝祈り、昼祈り、夕祈る。ここではただ心の暇なき営みあるのみである」
 拘置所の中では、祈りだけが、心に暇の与えぬ営みとなっているというのです。朝祈り、昼祈り、夕祈る。教会の礼拝から遠く離れていても、そして一切の情報がとぎれ、教会はどうなっているのだろう、家族はどうなっているのだろう、とどれほど気がかりだったでしょう。しかし、この先生の心の中心に聖なる場所が作られていました。それが神さまご自身であって、祈りの宮となっていたのです。そのほの暗い、さもしい拘置所の中にあって、先生は祈りを心の暇なき営みとなっていました。 
  牢に入れられた蔦田先生にも、異国の奴隷にとらわれたエゼキエルにも、神の約束は変わりません。拘置所が祈りの宮となるのなら、どんな場所もどんな体験も祈りの宮となります。家庭でも、病室でも、仕事場でも……。大切なことは、大切なことは、祈りを人生の中心に据え、そして心の一番大切なところに野心や欲望を置かないということです。心の隙間をねらって、様々な思い、心配や憤りや、あらゆる感情が入ってきます。しかしそうした雑念を心の中心からどけてしまうのです。そのために、私たちは礼拝にやってくるのです。「あさ祈り、昼祈り、夕祈る。ただ心の暇なき営みあるのみ」という境地に一歩でも近づくことができるなら、それは大いなる恵みです。

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DATE: 2004.08.18 - 11:25

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