題      名: アナロギア・フィデイとウェスレーの神学原則
氏      名: fujimoto
作成日時: 2004.04.05 - 20:27
アナロギア・フィデイとウェスレーの神学原則
                        藤 本  満
 
日本ウェスレー・メソジスト学会の学会誌『ウェスレー・メソジスト研究の1号(2000年)に掲載されたものです。ウェスレー研究の専門論文です。また結構長いです。
 
序 文
 
シカゴ大学神学部トレイシー教授(David Tracy)は、現代西欧文明を蝕んできた3つの大きな分離現象を指摘して、神学もこれらの分離現象に影響を受け続け、そして今後、この分離現象をいかに乗り越えるかが、神学の課題であると述べている。*1 それら3つとは、
(1) 感情(feeling)と思想(thought)の分離
(2) 表象(form)と内容(content)の分離
(3) 理論(theory)と実践(practice)の分離
トレイシーの考えでは、解放の神学・女性の神学などの、いわゆる「場」の神学(contextual theologies)が人間の私的・共同体的体験を神学のリソースとすることによって、神学的営為における感情と思想の「分離」は、より健全な「区別」へと癒されつつあるという。*2 しかし、(2)と(3)は、今後の課題として残っている。プレ・モダンの人々が、宗教的なシンボル・物語・儀式・教理・伝統という“form”に本質(内容)を重ね、表象の中に神と人の壮大な調和を見ることができたのに対して、モダン(近現代)にあって、われわれはもはや表象に内容を重ねることができず、表象を主観的考えの投影や具現化として考えるようになった。また、かつて哲学が、知恵の学であり生き方であったのに対して、今では哲学が実際的・日常的意味をほとんどなしていない。それと同じように、神学ももはや日常的・霊的意味をなしていないという。
トレイシーが述べている分離現象を、小論は、一つの例として取り上げたに過ぎない。「分離」「断片化」という文字は、80年代以降神学の世界で頻繁に目にするようになった。神学と聖書学の隔たり、解釈学における著者とテキストの分離、神学と教会との隔たり、教義学と日常生活、神学と霊性、等々。そして、断片化・分離現象を容認するのではなく、それらを健全な関係へと修復に努力しているのが、現代の神学ではないだろうか。かつて距離をとって互いを論じていた諸分野が、相互補完性(reciprocity)を考え、互いの関わりを論じる傾向が、神学に戻ってきたように思う。
この論文は、こうした「分離」「断片化」という問題を意識しながら、ウェスレー神学の「統合的」特性を浮き彫りにする試みである。そのために、小論は、ウェスレーの著作に頻出するアナロギア・フィデイという神学用語、またそれと共に「神が結び合わせたものを、人は引き離してはなりません」という聖句を、彼がどのように用いていたかを分析する。
第1章で、アナロギア・フィデイを教会史の中で概観し、この聞き慣れない用語の理解を深め、第2章で、ウェスレーがその神学営為において常に類比を求めてきた「フィデイ」(信仰理解)が何であったかを検証する。第3章は、諸々の対極的要素をアナロギアによって統合しようと試みが、ウェスレー神学に一つの方法論的特性を与えていることを明らかにする。
これまでのウェスレー研究においても、対極的な要素、あるいは異なった流れがウェスレー神学の中で統合されていることは、注目されてきた。高教会主義と福音主義*3、西方神学と東方神学*4というように、ウェスレー神学の中には、さまざまな異なった教会の流れが共存している。こうした異なった流れがウェスレーの中にある故に、ウェスレー神学のエキュメニズムへの貢献は高いと早くから注目されてきた。*5 確かに、これらはウェスレー神学が持つ独特の形態・内容を明らかにしている。
だが、小論はむしろウェスレー神学の「方法論」に注目している。対極的要素、あるいは分離していた要素を、ウェスレーは「神学者」として、主体的・自覚的に統合しようとしていた、すなわちそれは「神学者ウェスレー」の意識的試みであった、と小論は論じるものである。
 
1 アナロギア・フィデイ概観
 
アナロギア・フィデイ(信仰の類比)という神学用語は、ロマ12:6に由来する。「私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて(ajnalogivan th'" pivstew")預言しなさい」(新改訳)。
アナロギア・フィデイという用語は、ロマ12:6の「信仰」を「使徒たちの信仰」と理解して、どのような預言も、それを使徒たちの教えの全体と照らし合わせて説かれるべきであると解釈したことに始まる。
この神学概念は、ロマ12:6から離れ、一つの原則を示すようになった。聖書釈義の世界において、アナロギア・フィデイは、不明瞭な聖書の箇所は、より明瞭な聖書の箇所との類比(アナロギア)によって解釈されるべきである、という原則を意味する。さらに一つの釈義原則を越えて、アナロギア・フィデイは、教会歴史の中で広義な神学原則として重用されてきた。すなわち、どのような教えも、聖書全体の信仰理解、あるいは教会が継承してきた信仰理解に応じて(照らして)理解されるべきである、という。
 アウグスチヌスは、聖書を解釈する者が、意味不明瞭な箇所に来たとき、「より明瞭な聖書の箇所、そして教会の権威からくる『信仰の基準』(regula fide/the rule of faith)を参照するように」(『キリスト教教説について』V・一・2)教えている。ここでアウグスチヌスは、聖書全体の教えの核心・要約としての信仰告白やカトリック信仰(fides catholica, V・x・15)というものを規定し、その地平で聖書を解釈し、その枠内で神学するよう説いている。
 聖書そのものとは別に、教会の「信仰の基準」を想定することは、早くはローマのクレメンスにはじまり、オリゲネス、エイレナイオス、テルトウリアーヌスなどにも引き継がれてきた。*6 そもそもこれら初代教父が論戦を交えていた異端教師たちは、テルトウリアーヌスが述べているように、「自分の嘘をでっち上げるための素材を真理(聖書)から手に入れたのである」。*7自分の主張に都合の良いように聖書を曲げて解釈をする異端教師に対して、教父たちは、どのような聖書の箇所も、教会が信仰するところの「基準」との類比によって解釈されるべきだと主張したのである。
 その後、ローマ・カトリック教会は、聖書は教会の伝統(tradition)に従って解釈されなければならないという強調から、聖書よりも伝統を重んじる傾向に陥った。これに対して宗教改革者たちがsola scripturaをもって立ち上がったことは言うまでもない。しかし第二バチカン会議に至るまで、アナロギア・フィデイはカトリック教会においては依然として大切な神学原則として強調されてきた。*8
 ルターの宗教改革は、ロマ1:17の「神の義」を巡る解釈に端を発した。ルターは、義認に関する中世教会の伝統によって苦悩を味わい、それとは別の神の義(信仰義認)を聖書から直接に見いだすのである。教会の伝統ではなく聖書から福音の再発見に至ったルターは、sola scripturaを説く。*9
 ここにおいて「信仰の類比」は、あらたな展開を見る。ルターにとって、類比の対象となる「信仰」は、教会の伝統ではない。それは、信仰義認の福音である。それはキリストであり、これこそが彼にとっての「信仰の基準」なのである。つまり、ルターにとってアナロギア・フィデイは、教会の伝統との類比の中で聖書を解釈することではなく、「聖書をもって聖書を解釈すること」、いや正確に言えば、信仰義認というキリスト論的使信をもって聖書を解釈することである。*10
このアナロギア・フィデイの原則をもって、ルターはヤコブの手紙を「わらの書簡」と呼んだことは、あまりにも有名である。ヤコブの手紙は、パウロと反する義認テーゼを述べ、また十字架と復活について沈黙していることから、聖書の主要な文章に数えることができないという。*11
プロテスタント正統主義の時代にはいると、宗教改革の福音理解は教理問答や信仰箇条という型にはめこまれていった。かつて中世カトリック教会が「伝統」に照らして聖書を解釈していたのに比して、プロテスタント正統主義は教理問答や一致信条をその「伝統」とし、それを基準に聖書を解釈するように教えるのである。ルター派のマティアス・フラーキウスは『聖書に対する(解釈の)鍵』(1567年)で次のように述べている。
聖書の洞察と解釈のすべては、信仰のアナロジーによって起こる。アナロジーは健全な信仰の一種の規範のようなものであるか、あるいは我々が外の嵐によってか、あるいは内部から来る衝突によって囲いの外の深みに陥らないための柵のようなものである。したがって聖書について、あるいは聖書から述べられるすべての事柄は、教理問答が教えるすべてのこと、すなわち信仰箇条と一致していなくてはならない(シュトウールマッハー・164参照)。
このように教義学が、アナロギア・フィデイの名の下に、聖書解釈をある意味で拘束していた状況に啓蒙主義は反発を感じた。例えば、ジョン・ロック(1632〜1704)は、ロマ12:6について以下のように記述している。
これは、人が聖書を解釈するとき、その人物が属しているところのグループのシステム、すなわちそのグループがそれぞれ、これが「信仰の類比」だと呼んでいる原則に従って解釈すべきだ、という意味では決してない。そのようなことを言えば、使徒の時代には未だ存在していなかったシステムを使徒にお仕着せることになる。そのようなシステムは、過ちを犯す人間の産物である。*12
 やがて近代聖書学の父と呼ばれるヨハン・ガーブラー(1753〜1826)は、聖書学の教義神学からの独立を宣言する。聖書学は、教義学上のアナロギア・フィデイの枠内で聖書解釈を進めるのではなく、歴史的な学として聖書の文章を分析研究すべきであるという。*13 さらにシュライエルマッハー(1768〜1834)は、解釈学は本文の読解を目指す文法的理解と、本文の前提をなしている歴史的状況の理解を目指す技術的理解との二本柱から成り立っていると主張し、教義学から独立した実証的研究の道を備えた。こうした流れが時代の思想的影響を受けて、唯物的になっていったことも否めない。ヘーゲル的な発展史観に基づいて、諸文書を発展段階的に再構成したヴェルハウゼン、聖書の文章の背景に口承伝承の時代があったことを想定して分析をするグンケルの「様式史研究」、オリエント文化やギリシャ文化の固有な価値に注目し、相対主義的な宗教史の観点を踏まえた上で、神学を構築しようとするトレルチに代表される「宗教史学派」など、いずれも聖書の内容を過去の宗教的文書として分析することに力点を置き、アナロギア・フィデイに見られたような神学と聖書学との密接な関わりは、18世紀後半から希薄になっていった。
 そして、再びアナロギア・フィデイを前面に出してきたのが、カール・バルト(1886〜1968)である。『教会教義学』の冒頭に以下の記述がある。*14
神についての語りは、それが教会の存在、換言すれば、イエス・キリストにかなっている時に、信仰のアナロギアに従って預言しているときに(ロマ12:6)、正しい内容を持っている。かなっているかどうかを問うこの問いをもって教義学はキリスト教的な語りを吟味検討する。
バルトは、歴史的・宗教史的聖書研究が、聖書本来の「主題」、すなわちキリストを問うことをしていないことを批判し、ルターやカルヴァンが捕らえていたような主題の追求に注目している。*15 彼にとってアナロギア・フィデイは、単なる聖書解釈の枠組みでも基準もでない。それは、使徒たちに語りかけた神が、歴史的なものを突き破って現在も語りかける、という啓示の同時性を意識した主題の確認であった。
 
2 ウェスレーによるアナロギア・フィデイ
 
 さてこのように歴史をたどりつつ、アナロギア・フィデイの異なった理解・用法を概観したわけであるが、ウェスレーに論を転じる前に、歴史の流れにおけるウェスレーの位置づけを試みなければならない。
 ロックなどの啓蒙主義者が、プロテスタント正統主義に反対して、聖書を教義学から切り離し、理性と経験の立場から合理主義的に解釈することを提唱したことは先に短く述べた。同じ17世紀に、敬虔主義の人々は、信仰体験と宗教的実践の立場から聖書を解釈することを提唱していた。敬虔主義の聖書学者の中で、ウェスレーに最も影響を及ぼしたヨハン・ベンゲル(1687〜1752)は、多くの写本を分類し、伝承本文(textus receptus)との異同を検討するなど、本文研究において業績を残し、同時に、敬虔主義の立場から、新約聖書全体を注解して、その指針を簡潔に読みとるという『グノーモン』(1742「新約聖書の指針」)を著した。これがウェスレーの『新約聖書略注』の基礎となった。
 『略注』の序文で述べているように、ウェスレーは積極的にベンゲルの本文批評にしたがってギリシャ語から訳出している(『新約聖書略注』序文、『著作集』T・§7)。例えば、ウェスレーが聖書本文をギリシャ語から英語に訳したとき、マタイの福音書1070節の中で、欽定訳がそのままになっているのは、わずか181節であるという。*16 しかし何と言っても、ウェスレーが『グノーモン』に惹かれたのは、ベンゲルが聖書全体を信仰と実践のための神の使信として理解し、注解している点であろう。
 本文批評に先鞭を付けたベンゲルは、聖書の言葉に対して不誠実であるという非難を受けた。それに対して、『グノーモン』の序文で以下のように釈明している。
 神の証言はただ単にそれぞれの部分が神にふさわしいばかりでなく、それぞれの部分の修正としても何らの欠陥もなく何らの誇張もない、まとまりのある、また完全な構成を示している(§1)。
 私の著作を考えた人は、私がただ単にその教説のみならず、その言葉においても、おそらくかなりの人にとって、ほとんど迷信と区別できないように思われる宗教性をもって、聖書の規範に従っていることを認めるであろう。……真理は一つである。その最も大きな部分と最も小さな部分において、真理は真理自身と関連している(§21/シュトウールマッハー・204〜205参照)。
ここに、聖書の全体性に基づいたアナロギア・フィデイの概念が明確に描かれている。上記の文書を引用しているシュトウールマッハーは、これをベンゲルの「ほとんど迷信じみた」聖書主義として切り捨てている。しかしハンス・フライは、こうした「聖書の全体性」の概念を、ただ単に敬虔主義の産物として切り捨てることをせず、逆にその意義を認めている。*17
すなわち、啓蒙主義以前の西欧のキリスト教は、この世界における諸経験を聖書というレンズを通して見ることができたのに対して、歴史批評学の登場以来、二者の立場は逆転され、人々はこの世界の諸経験というレンズを通して聖書を読むようになったというのである。かつて西欧のキリスト教は、創世記から黙示録に至る聖書の記述を、「単に教理的に信仰的に読んでいたのではなく、文字通りに聖書を解釈し、聖書を歴史的にとらえ、なおかつそれを非常に現実的なこととして理解できた」(Frei・1)。しかし、啓蒙主義以来、文字通りに、歴史的に聖書を読むことに集中した人々は、かえって聖書の現実感を失い、聖書全体を貫く物語性を評価する試みが、18〜19世紀の聖書解釈には欠如していたというのである。
 敬虔主義の神学者が聖書を読むとき、彼らの思考の中には常に、聖書は教理的な書物というだけではなく、そこに描かれている歴史的出来事の数々は、救いにおける神の経倫として一つにつながっており、一つの物語を形成していた。フライは、同じ物語性を、バニヤンの『天路歴程』や、罪からキリスト者の完全へと救いをたどるウェスレーの神学の中にも見いだしている(Frei・152〜153)。*18
 
 ウェスレーの聖書観を主題とした最近の研究書で、最も優れているのはS・ジョーンズによるJohn Wesley's Conception and Use of Scriptureであろう。小論のこの項はジョーンズの研究に大きく助けられていることを認めなければならない。ジョーンズは、ウェスレーによるアナロギア・フィデイの言及を、著作の中で少なくとも11箇所において確認している(Jones・47)。11箇所の中で、この用語に対して最も総合的に論が及んでいるのは、『新約聖書略注』ロマ12:6である。
聖ペテロは言う。「神のみことばを語る者にふさわしく語り」と。それは、神のみことばの大意にふさわしく語ることであり、また原罪、信仰による義認、現在の所有である内面的な救いなどに関する主要な教理の構成にふさわしく語ることである。これらのものの間には、驚くばかりの類似(アナロギア)がある。すなわち「聖徒にひとたび伝えられた」信仰の数々の重要な主題の間には、非常に緊密な関係がある。故に少しでも疑わしい項目は、この規則によって決定されるべきであり、すべて疑わしい場所は、聖書全体を貫いている数々の大いなる真理にしたがって解釈されるべきである(『ウェスレー著作集』U、松本卓夫訳)。
 ここで二つの点に注目しなければならない。ひとつに、ウェスレーは聖書の「全体性」を根拠にアナロギア・フィデイを理解しているということである。今ひとつは、その全体性に基づいて聖書のあらゆる箇所が「主要な教理」(grand scheme of doctrine)に貫かれているという理解である。
 第一にウェスレーは、聖書には「大意」(general tenor)があり、聖書はすべての部分において一貫しており、それぞれの主題は緊密な連関の中にあると考えた。説教62「キリスト到来の目的」の中で、彼はキリスト教の本質的な教えは、「聖書のはじめから終わりまで、一つの鎖として首尾一貫して流れており、そのどの箇所をとっても、他のどの箇所と一致しているという意味で、信仰の類比が成り立っている」(V・5)と述べている。
 全集のインデックスによると(BE Works W・651〜87)、ウェスレーは150の説教の中で新約聖書から7635回、旧約聖書から2455回、という驚くべき回数で聖書を引用している。しかも聖書66巻中で引用がないのは、ルツ記、オバデヤ書、ヨハネの手紙第三だけである(Jones・156)。あらゆる事柄を論じながら聖書を縦横無尽に引用するウェスレーは、みずから宣言するとおりの「一書の人」(homo unius libri、説教集序文・5)であるが、それは単に聖書に熟知しているとか、聖書を神学と実践との第一規範としているという証しだけではなく、聖書があらゆる箇所で首尾一貫しているという神学的な確信のあらわれである。時に、それぞれの聖句が直接の文脈を無視したかたちで引用されることもある。しかし、そうした個別の文脈理解を超えた「聖書の全体性」が、そのような引用を許していたのである。
 第二にウェスレーは、こうした聖書の全体性は、聖書のあらゆる箇所を貫く「主要な教理」に支えられていると考えていた。上記の『新約聖書略注』箇所の他に、以下にウェスレーがアナロギア・フィデイという用語を用いながら、聖書の主要教理を説明している箇所を列挙する。
・『旧約聖書略注』の序文(1765)――(神の事柄について聖書から学ぶとき)「常に信仰の類比、すなわち原罪、信仰義認、新生、内的かつ外的ホーリネスという主要かつ根本的な教理の間に存在する結合性と調和とに絶えず目を留めなさい」(Works XIV・253)。
・説教122「キリスト教の非効率性の諸原因」(1789)――「信仰の類比という概念、すなわち聖書の真理が鎖のようにつながっていて、互いに関連しているということを、いささかでも理解している人のなんと少ないことよ。それらの真理とは、自然のままの人間の罪による腐敗、信仰による義認、新生、内的かつ外的ホーリネスのことである」(6)。
・説教62「キリスト到来の目的」(1781)――「真のキリスト教は……単に神の好意への回復だけでなく、神の像への回復である。それは罪から解放されることだけを意味するのではなく、神の満ち満ちた恵みに満たされることである。……この教えは聖書のはじめから終わりまで、一つの鎖として首尾一貫して流れており、そのどの箇所をとっても、他のどの箇所と一致しているという意味で、信仰の類比が成り立っている」(V・5)。*19
 これらの資料から明らかなように、ウェスレーは、アナロギア・フィデイの「フィデイ」に相当する主要な教理を救済論的視座でとらえていた。彼は説教集の序文(§5)の中で、自分自身の神学姿勢を明確にしている。人間は「神から下ってきて、また神へと帰っていく一つの霊」である。人間の生涯の願いと目的は、「天への道、あの幸福の岸辺に無事に上陸すること」であり、「その道を教えるために、神ご自身が天から身を低くして降りて来られ……神は、その道を一つの書に記された」でのある。したがって、ウェスレーは「天への道を見いだす目的で、神の臨在の中で、神の書を開く」と宣言している。こうした神学的自覚で聖書を開くウェスレーが、聖書の主要な教えとして救いに関わる事項を挙げるのは当然のことである。
さらに、聖書が記しているのは天への「道」であるとウェスレーが表現しているように、彼は、主要教理である罪、信仰義認、新生・聖化をこの順番で、いわゆる「救いの順序」(ordo salutis)を意識して列挙している。この順序には当然、目的論的指向性がある。すでに引用した「メソジストの原則」にあるように、ウェスレーにとって、悔い改めはキリスト教のポーチであり、義認が扉であるとしたら、宗教そのもの(実質)は、ホーリネス・聖化・神と人への愛である。それは、失われた「神の像」の回復である。*20
真のキリスト教とは何であろうか。それは、人間の回復である。……神の好意の中へと回復されるだけでなく、神の像への回復であり、単に罪から解放されることだけでなく、神の満ち満ちた神のいのちに満たされることである(説教62「キリスト来臨の目的」・V・5)。
 ウェスレー神学の聖化論的強調や、彼の解釈学の聖化論的方向性は、小論で今さら証明する必要はないほど研究されてきた。*21 ただ、アナロギア・フィデイとの関連で考えれば、ウェスレーは原罪・信仰義認・聖化を主要教理とし、この救済論的流れの中で聖書を解釈し、神学を構築していくのであるが、その中でも聖化に関わる聖書の教えは、ウェスレーにとっての「正典のなかの正典」と呼ぶことができるであろう(Jones・157)。
 
3 ウェスレー神学の「アナロギア」的な方法論
 
 これまで小論は、ウェスレーにとって「フィデイ」は何を意味していたのかを検討してきた。彼にとっての「フィデイ」は、聖書に一貫する救済論的・聖化論的主題である。ウェスレーはその他の教えをこの主題との類比によって解釈しつつ、自らの神学を構築した。
この第3項で、われわれはウェスレー神学の持つ「アナロギア」的な方法論に注目する。ウェスレーは聖書の全体性を常に意識し、教会歴史の中で様々に対立的に位置づけられてきた様々な神学テーマを、全体との類比、互いとの類比で理解しようと努めた。例えば、神の主権と人間の自由、義認と聖化、福音と律法、心と生活、個人と社会など、ウェスレーはこれらを対立するものとしては扱わず、常に聖書の全体性から鑑みて、信仰のアナロギアの中で統合し、主題間の「緊密な関係」(『略注』ロマ12:6)を把握することを試みた。
先にウェスレーが「信仰の類比」に直接触れつつ聖書の主要教理を説明している箇所を並べて3つ引用したが、そこに「結合性と調和」「真理が鎖のようにつながっていて、互いに関連している」「一つの鎖として首尾一貫している」という表現があった。これらと関連して「全体性」の概念に直接関わり、ウェスレーにとって、神学方法論のモットーとも言える聖句がある。それは「神が結び合わせたものを、人は引き離してはならない」(マタ19:6)である。
真理の全体ではなく、その断片を、また実践の全体ではなく、その断片をそれぞれに握っては、キリスト教会が幾重にも分岐してきた状況に対して、「これら引き離された様々な断片(fragments)を集め、可能な限り一つの全体(one scheme of truth and practice)へと結びあわせること」こそ、メソジストの使命である、とウェスレーは自覚していた(Works X・466)。さまざまな要素を切り離し、断片を追求していくところに、神学や実践の深化があるのであろう。しかし、そこにゆがみも派生する。そのようにして、神が一つに結び合わせたものを人の手が引き離してきた、と彼は考える。
ジャクソン編『ウェスレー全集』をデータ・ベースで探ってみると、上記の3箇所を含めて、25箇所でウェスレーは「神が結び合わせたものを、人が引き離してはならない」という原則を述べている。*22 その中で、この聖句のそもそもの文脈である結婚について言及しているのはわずか1箇所であり、他の24箇所は神学的な理解と捉え方を論じている。
しかも、ウェスレーは自らの神学的特色が浮き彫りにされるような箇所でそれを用いている。例えば、彼は真理と愛を結び合わせている(説教90「本当のイスラエル人」・U・5)。愛を離れて真理を追究するとき、それはかならず争いと分裂になる。自己の確信と主張を譲らずとも、相手を受け入れ、愛することができ、愛と分離した真理はキリスト教の真理ではないという。*23 またウェスレーは、喜び・幸せと義・聖を引き離してはならないと教える(Works \・498)。happinessとholinessが結び合わせられているウェスレー神学に、野呂氏は啓蒙主義精神の現れを確認し(野呂・555〜556)、アウトラーは、カントと同じ時代に生き、カント以上に「規律」と「修練」にこだわったウェスレーが、常に喜びと幸福を追求し、それにあふれていたことに驚きを禁じ得ないという。*24 さらにウェスレーは、祈り・断食・聖餐といった「敬虔の業」と社会における慈善的な「慈愛の業」とは、神によって結び合わせられたもので、これを引き離してはならない、と教えている。*25 これもまた、彼特有の強調である。
これらの例だけでも、「引き離されていたものを結び合わせること」にウェスレーは神学的な使命感を抱いていたことが理解できるが、以下、さらにこの原則によって結び合わせられている主要な事柄四つを挙げることによって、ウェスレー神学の「アナロギア」的な方法論を確認する。
 
A. 神の主導と人の応答
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません」(ヨハ15:5)「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリ4:13)――ウェスレーは、この二つの原則を引き離してはならないと述べている。ヨハネ15:5をもって、ウェスレーは、神の恵みなしに、われわれは一歩たりとも神に近づくこともできないという、神の恵みの絶対的必要性と主権を説いている。同時に彼は、ピリピ4:13をもって、神の恵みの故に、われわれにはなすべき働きがあり、それをすることが「できる」という、人の応答の必要性と可能性を説いている。ウェスレーは、この二つを引き離してはならないと、「必然性について」(Works X・478)、そして説教85「自分の救いを全うすることについて」(V・5〜6)の中で記しているが、両方とも、彼が予定論に対抗して議論を展開している箇所である。
 ウェスレーがはじめて予定論に神学的な疑問を抱いたのは、1725年、国教会助祭の按手礼を受けることを決めた年であった。この問題で母スザンナは、神が永遠の昔からある人物を救いに、ある人物を滅びに定めているという極端なカルヴィニストの教えを退け、ロマ8:29に基づく予知による予定を説明している。その後で、スザンナはこれこそが神の主権と人間の自由の両方を健全に保つ「アナロギア・フィデイに準じた解釈である」と助言を与えている(手紙、1725.8.18)。後にホイットフィールド率いるカルヴァン派と予定論論争を始めたとき、ウェスレーが一貫して主張したことは、このアナロギア・フィデイである。カルヴァン的二重予定論は、人間の道徳性と罪の責任を問う「キリスト教啓示の全体」と、「聖書全体の物の見方と大意」とに合致しない、わけても滅びへの定めは、「神は愛である」との大原則に合致しない、というのである(説教110「無代価の恵み」・§20)。
ウェスレーがモラビア派と決別したのも、同じ種類の問題意識からであった。モラビア派の「静寂主義」は、義認は徹底的に神の業であり、人間はそれに対して何もせず、ただ受け身となって、信仰が与えられるのを待つべきだと教えた。これに対してウェスレーは、待つにしても、神が備えてくださる恵みの手段を主体的・積極的に活用し、その中で人は自己放棄を学び、信仰が与えられるものだと主張した(説教16「恵みの手段」・U・7)。
ウェスレー神学において、恵みは人のすべての働きに先行するものであり、あらゆる段階で神が主導権を握っている。しかし、恵みは先行するが予め定めることをしない。救われて義とされるまでの道で、人は常に恵みを拒否することも、恵みを受け入れて、それともに自らが働く(concur with)こともできるのである(Works X・229〜230)。救われて神より生まれた者のたましいの中に、神は息を吹き込まれる。そして人は神から受けたものを神へと吹き返すことが求められている。すなわち、キリストに留まるためには、常に「神のアクションと人のリアクション」が結び合わされていなければならない(説教19「神より生まれた者の偉大な特権」・V・3)。このようにウェスレーは、神の主権と人間の応答とを結び合わせることによって、救いにおいて、社会において、「人間がなすこと」の意義を見いだしたのである。
 
B. 福音と律法
第二に、人の手によって引き離され、ウェスレーが意図して結び合わせているのが、内的宗教(inward religion)と外的宗教(outward religion)である。この二つを引き離す在り方としてウェスレーが批判しているのには、さまざまなタイプがある。制度と儀式といった外的要素に比重を置く英国国教会の礼典主義、また逆に、内的宗教の追求に終始する神秘主義。さらに、敬虔の業と呼ばれる宗教的活動には熱心であっても、慈愛の業と呼ばれる慈善的活動へと手を差し伸べることをしない内向的キリスト者、信仰義認という内的体験だけに固執し、断食などの霊的修練や恵みの手段を軽視するキリスト者、あるいは霊性と日常性を引き離して使い分けている世的なキリスト者など、特に「主の山上の説教」を見ると、さまざまな角度からウェスレーは内的宗教と外的宗教の統合を訴えている。*26
内的宗教/外的宗教を、信仰/行い、あるいは福音/律法と置き換えていくことが可能である。神が結び合わされたこれら二つを引き離す傾向は、キリスト教の本質を損うものである。
世界のはじめから、悪魔は、神が結び合わされたものを引き裂く努力をしてきた。外的宗教と内的宗教を切り離し、互いに一致させないようにしてきた。……あらゆる時代を通じ、律法の義、外側の義務を行なうことに固執するあまり、内的な義、すなわち「信仰によって神から与えられる義」にまったく無頓着であった。そして多くの人々は、その逆を走り、すべての外的な義務を無視してきた……。*27
ウェスレーは、キリスト教の根が内的信仰にあることに、何の異存もない。心に根を張らないキリスト教、すなわち信仰体験のない、心の中にキリストを宿していないキリスト教は、それがどんなに重厚な儀式や伝統に培われていたとしても、真の宗教ではない。「信仰こそ依然として、すべてのものの、すなわち未来の救いと現在の救いとの根源である」(説教30「主の山上の説教X」・27)。そしてこの信仰という根が掴んで放さない岩がイエス・キリストである。「現世においても、永遠においても、神のあらゆる祝福の大いなる基礎は、主イエス・キリスト――その義と血潮――であり、キリストのなされたこと、私たちのために苦しみを受けられたことにある」(説教28「主の山上の説教VIII・28)。
 だが、「宗教の根が、心の中、たましいの最も深い部分に存在し、それが神とたましいとの結合であり、人のたましいの中にある神のいのちである」とすれば、それは外に向かって「枝を生ぜずにはいられない」。ウェスレーは、「この枝こそ、実際に行われる様々な外的服従であり、これらの枝は、根と同じ本質を分与されているから、単なる宗教の表徴やしるしとなるだけでなく、宗教の実質的な(substantial)諸部分である」(説教24「主の山上の説教W」・V・1)と考える。キリスト教の全体は、岩だけで語ることはできないし、まして根や枝や実だけで語ることはできない。ウェスレーが見つめているのは、不変の岩を捕えた生ける信仰、そして神と人との前に姿を現している木のたくましい、生き生きとした存在である。
 内側の信仰が外側に現れて行いという実を結ぶ。しかし、流れは一方通行ではなく、ダイナミックスは逆方向にも流れる。外側の実質を修練によって培うとき、内側の信仰は強められる、すなわち「信仰は行いによって全うされる」(ヤコ2:22)というのが、ウェスレー神学である。*28 行いを通して、信仰はさらに強められる。律法は常に人の罪深さ、無力さを指摘する要因となり、人はより密接にキリストの福音に信頼するように導かれ、その結果、福音から律法を全うする力を受けるという。このように、律法は人を福音へ導き、福音は人を律法の成就へと導く。*29
 
C. 義認と聖化
1738年アルダスゲイトにおいて、ウェスレーは信仰義認を体験し、「キリストのみによって」そして「信仰のみによって」を神学の原点とした。だからといって、彼はそれまで追求してきた「聖い心と生活」という関心事を捨て去ったわけではない。この二つを結びつけることが、彼の神学的な課題となった。
16世紀の宗教改革者たちは、「外なるキリストの義」(alien righteousness of Christ)「われわれの外なるキリスト」(Christus extra nos)という標語を掲げ、目を注ぐべきは人間ではなく、歴史に現れたイエス・キリストであり、救いを人間の外にあるキリストの事実にかけた。しかし、これに続くプロテスタント神学が「外なる」という標語を振りかざすと、「内はどうでもいい」という傾向が派生してくる。それは「信仰のみによって」という標語を誇張すると、「行いはどうでもいい」という行き過ぎが生まれるのと同じである。ウェスレーと会話を交わしたモラビア派のツインツエンドルフは、人がキリストを信じたとき、キリストの義が転嫁され(imputed righteousness)、それだけで救いに必要なすべてが満たされ、よって、信仰者の〈固有の義〉(inherent righteousness)を認めないという立場をとった(『日誌』、1741.9.3)。またカルヴァン派との論争の中でも、同じ感触をウェスレーは得る。信仰義認とキリストの義を強調するあまり、キリスト者の心と生活とが聖化される過程を周辺的・末梢的な問題とする、いわゆる信仰至上主義(sola-fideism)である(手紙、to James Hervey. 1739.3.20)。
「外なるキリスト」の行き過ぎた強調に対して、ウェスレー次のように主張した。キリストにある神のみわざは、罪を赦すばかりか、罪人を神より生まれ変わらせる新創造の力があり、信仰者は、罪の赦し(pardon)を受けるだけでなく、神のいのちに参与し(participation)、キリストの義は、転嫁される(imputed)だけでなく、分与される(implanted)ということ、すなわち人と神との関係を回復させるキリストの働き(Christ for us)のみを教えるのではなく、人の内に神の像を回復させるキリストの働き(Christ in us)を忘れてはならない。*30 また信仰至上主義、すなわち「信仰のみによって」という教理が聖化を推進するためではなく、聖化と矛盾するかのように、または否定するかのように使われている傾向に対して、*31ウェスレーは信仰のメカニズムを以下のように説明している。
私たちの救いの根拠(cause)は、ただキリストの義(キリストの血潮)です。そしてその救いを受けるため条件は、ただ信仰のみ、行いを全く考慮に入れない信仰、行いの功績を除いた信仰のみです。(かつて私はこの点に関して誤っていました。)しかし、その信仰は、私がそこに根ざして留まり続けるなら、必ずあらゆる聖きと良き行いを生み出すものです(手紙、to James Hervey, 1739.3.20)。
信仰がキリストに対して生きている限り、信仰だけに終わらず、必ず愛によって働き(faith working by love)、聖化を生み出していくという(Works IX・415〜416、説教39「公同的精神」・14)。
したがって、「義認が聖化を取って代わる(supersede)かのように語ることも、逆に聖化が義認に取って代わるかのように語ることも」、神が結び合わせたものを引き裂くことである。*32 また「神のみことばの全体を語る」、「福音の全体」を語る者は、この二つを結び合わせたものとして語る務めを負っている(Works X・456)。
 
D. 直接的・内的・体験的「知」と間接的・道徳的・理性的「知」
 ルターが、「神の義」と「義人は信仰によって生きる」という聖句の結び目を理解したとき、「私は生まれ変わって、天国の門をくぐったと感じた」(WA 54・185)と記している。アルダスゲイトで信仰義認を体験した晩、ウェスレーはルターと同じように「私はキリストを、ただ一人の救主であるキリストを信じた、と感じた」(『日記』1738.5.24)と記した。「またキリストは、私の罪を、私の罪さえも取り去って、私を罪と死との律法から救ってくださったという確証が与えられた」というのである。
この確証は、自分は救われているであろうというデータを論理的に整理することによって得られる間接的、理性的な確証ではない。それは、聖霊の内的な証しによるもの、すなわち「キリストを信じる信仰によって神が心のうちに働いて起こしてくださる変化」(『日記』同日)であった。ジョージアでモラビア派と出会うまで、こうした確証が存在することさえ知らなかったウェスレーであったが、モラビア派の手引きを受け、聖書に描かれている回心劇を調べて納得し、とうとう自分自身がその体験に立った。
「救われた」という聖霊の直接の証しこそ、キリスト教が真理であることの最も強力な証しとなるが、同時に、これが主観的勢いや心理体験に取って替わられ、独断に染まった熱狂に成り下がる危険性があることを、ウェスレーは承知していた。そこで彼は、理性による間接的な証しを内的直接的証しに組み入れた。たましいに直接に与えられる聖霊の確証を、聖書という客観的基準に照らし、理性を用いて検証する、すなわち、過去の罪を悔い改めたか、新生によって人生全体が変わりつつあるか、御霊の実を持っているか、他のクリスチャンの体験と比べ自己吟味することで、内的印象が思い込みでないことを明確にしなければならない。
ウェスレーの意図は、一方で、直接的な聖霊の証しを否定する理性主義と、他方で、内的証しへ疾走して、客観的啓示と理性とを否定する熱狂主義者との、「二つの極端の中道を舵取る」ことであった。*33 中道とは両者を間引いて与えられるものではなく、両者が結び合ってなされる共同作業によって得られる。*34 「私たちが神の子どもである」(ロマ8:16)ということを確証するために、神は、聖霊ご自身と私たちの霊による二つの証しを結び合わせたのであって、人はそれを引き離してはならないという(説教11・W・7)。
さて、聖霊による直接的内的な印象という教理は、当時の英国国教会から激しい批判の火矢をあびることになった。それに対して、ウェスレーも丁寧な教理的応答を試みているが、清水氏はこれらのやり取りを分析し、ウェスレーと国教会側、両者の基本的な宗教知識体系の違いを明らかにしている(清水・125〜149)。さらに同氏はそこからウェスレーの神学方法論に言及していることは(同・140〜144)、小論にとって興味深いことである。
国教会は、従来、宗教知識の把握に際して、聖書・伝統・理性の三つの証言を重要なものとして受け入れてきた。言うまでもなく、聖書こそがその頂点にあるが、その理解の集大成である伝統、またその健全な理解を助ける理性もまた、重要な要素である。しかし、この三角形による宗教知識は、あくまで客観的・理性的・道徳的知識形態であり、その観点からすれば、主観的宗教知識・内的印象に基づく宗教知識の形態を(・)も(・)説くウェスレーは熱狂主義者に映ったわけである。ここでウェスレーは、聖書・伝統・理性という三点に加えて、経験(experience)という新しい要素を宗教知識形態に入れた。後のアウトラーは、これをウェスレー神学方法論(theological method)の「四辺形」と呼び、そしてウェスレーがどのように四つの要素を基準に神学を構築してきたかが、その後も論じられてきた。*35 しかし、ウェスレーが論じた二種類の確証、またそれを「二つの宗教知識形態」として分析する清水氏の論を熟考すると、四つの要素を統合するというのではなく、二つを一つに統合すること、すなわち先の三つ(聖書・伝統・理性)に「経験」を加えること、理性的方法と実存方法とを統合し、客観的理解と主観的体験を互いの類比で論じ、実証的確信と体験的確信とを共同で働かせること、これがウェスレーが意図していたアナロギア的方法論であったことがわかる。
 
結 び
 
「神学者」というタイトルが、もし教義学者を意味するのであれば、ウェスレーはそれを望んでいないであろう。わけても、プロテスタント正統主義以来、組織神学が試みてきたように、神学を一つの「サイエンス」としてみなし、自然科学者が自然界の事実を収集し、一つの体系を考えるように、聖書にある真理の事実を収集し体系化する「学」と考えるなら、*36 もちろんそうした営みの必要性は認めたとしても、ウェスレーの方で「神学者」と呼ばれることを願い下げたのではないだろうか。
しかし「序」で述べたように、分離し断片化傾向にある神学を反省し、神学に統合的働きを求めるなら、ウェスレーはわれわれに「神学者」として多くを語りかけてくる。ウェスレー神学の中では、組織神学の「キリスト教は何であるか」という課題が、「キリスト者はいかに生きるべきか」という倫理の課題や「キリスト者はいかにあるべきか」という霊的な課題と結び合わされて論じられている。それらを結び合わせ、互いの連関を明確にしていく中で、ウェスレーはキリスト教の「全体性」(wholeness)を理解し、キリスト教諸問題の「緊密な関係」(analogy)を意識して神学的営為を進めた。
歴史的批評学的な成果を忘れて、プレ・モダン的に聖書を読むというのは現代のわれわれには無理がある。しかし、バルトのように歴史学、宗教史的方法による研究を「予備的作業」と捕らえ、それらを踏み越えて、聖書本来の主題に集中する姿勢は、ルターやカルヴァンばかりか、ベンゲルやウェスレーからも学ぶことができる。聖書が何のために書かれ、聖書を何のために開くかを、彼らは明確に意識していた。ウェスレーは救済論の視座から、聖書の一貫性・全体性を主張し、諸書のメッセージを基本的に人間の罪、キリストの贖い、信仰義認、聖化という観点から解釈し、すなわち、神の像に創造された人間がその像を回復し、完成に向かうという流れに聖書の主題を置き、この主題とのアナロギアにおいて聖書を理解しようと努めた。
この主題とのアナロギアに置かれているのは、神学の諸問題だけではない。炭坑夫ひとりの人生から、アメリカの独立戦争、奴隷制度、英国の経済問題や流行文化に至るまで、この主題との連関の中を動いているとウェスレーは見ることができた。極端に断片化され高度に専門化された現代にあって、世界を神の御手の中にある一つの物語として見る努力が神学に求められているのではないだろうか。
神の主権と人の応答・人の責任を結び合わせたウェスレーは、神の主権を語りながら、同時に奴隷制・貧困・教育・文化・政治という社会問題を神学的に考えた。宗教があまりにも「心」の問題に限られ、「わたくしごと」になり、信仰生活と日々との現実との間に大きな溝ができてしまっている世界にあって、ウェスレーは両者がどのように神学的につながっているかを考えた。今日、信仰義認について、ルター教会とカトリック教会が合意声明を出すような歩み寄りが許されたわけであるが、では道徳的・社会的カオスに陥っている現代にあって、プロテスタント教会は聖化の教理、敬虔の修練、霊性について、信仰義認と緊密な関係において、カトリックほど、いやウェスレーほどに神学的理解に努めているのだろうか。あるいは、モルトマンは80年代を迎えたドイツを「宗教体験渇望の時代」と称したが *37(そして彼の判断は世界的に妥当であったわけであるが)、われわれの神学は果たしてそのような体験的知を提供しているのか。またモルトマンは、そうした人々が得ている宗教体験がきわめて「怪しげ」であると述べているが、われわれの神学は、理性的知によってそれらの体験を検証しているのだろうか。
ウェスレーは様々な対極にある要素を結び合わせているが、必ずしもそれらが論理的な整合性をもって結ばれず、どちらかに傾いていると見えるかもしれない。かつてJ・H・ニューマンは「中道(via media)とは、机上の論理以外には存在せず、実践にまで至った試しがない。中道路線は、両極にあって対抗する信条との違いから否定的に評価されるだけで、そのもの本質の意義において積極的に評価されることはない」と批判した。*38 あるいは17世紀のピューリタンのように、via mediaそのものが神学的に不徹底であると評したことも考えさせられる。
しかし、小論で考えたことは、両方の極端を差し引いて一つに融合することによって中道を得るウェスレーではなく、対極にある概念を崩すことなく、緊張関係を保ったままで結び合わせ、その密な関連性を論じようとした方法論である。結果的に彼の神学がどちらかに傾いていたとしても、あるいは不徹底な部分があるというのはわれわれの評価であって、ウェスレーは、神の主権と人間の責任、義認と聖化、律法と福音、理性的知と体験的知という対極が、互いに矛盾するかのように論じることを避け、二つのものが両輪的存在であり、相互補完的であり、二つのものを行き来するなかに健全なキリスト教が存すると考えた。
 
                  (インマヌエル高津教会牧師) 

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1 David Tracy, “Traditions of Spiritual Practice and the Practice of Theology,”
 Theology Today (1998, July), 235〜241.
2 いわゆる神学知のパラダイムの転換であるが、参照、栗林輝夫「マイノリティーの
 解放と神学方法の転換」『総説現代神学』熊沢義宣・野呂芳男編、日基版、1995年。
3 野呂芳男『ウェスレーの生涯と神学』日基出版局、1975年、633頁。
4 清水光雄「エキュメニカルなウェスレー」静岡英和女学院短期大学紀要28(1996)。
  「ジョン・ウェスレーにおける西方・東方―1人間論」同紀要30(1998)。
5 Colin Williams, John Wesley's Theology Today, Abingdon, 1960.
6 J.N.D. Kelly, Early Christian Doctrines (Harper & Rows, 1978 ed.), p.31〜41.
7 『プラクセアス反論』8、キリスト教教父著作集13、教文館。
8 「聖なるテキストの意味を正しく伝えることは、教会全体の生きた伝承と、信仰のアナ
ロジーを考慮しながら、聖書全体の内容と統一に、十分念入りに注意することを求め
ている」(第二バチカン基本法第12項、P・シュトウールマッハー『新約聖書解釈学』
斎藤忠資訳、日基出版局、1984年、35頁)。
9 ヤロスラブ・ペリカン『ルターの聖書解釈』小林泰雄訳、聖文舎、特に四章「聖書
 と伝統」を参照。
10 ルターの同僚メランヒトンは、『弁証論』において、「罪の赦しの教理」こそが、
「全聖書を明確かつ正統に理解することを助け、これのみがキリストにある宝とこの御方についての正しい知識への道であり」と述べ、この基準なしには、「聖書は理解できず無用」となり、この基準に照らしたとき、それぞれのテキストが正しい意味を開示すると説いた。Edmud Schlink, Theology of the Lutheran Confessions, tr. by P.E. Koehneke et al., Fortress Press, 1961, p.7. 橋本昭夫「ルター主義における釈義原理」『福音主義神学』30号、p.54に引用されている。
 カルヴァンにも、ルターのような基準テーゼがあったのであろうか。それは、彼がアナロギア・フィデイに言及するとき、明らかになる。『キリスト教綱要』の「フランス王への献呈の辞」のなかで、以下のように記している。「パウロは『すべての預言は信仰の類比に一致してなされるように』と望んだとき(ロマ12:6)、聖書の解釈をたしかめる最も確実な定規が何であるかを示しました。そこで、もし私たちの教理がこの信仰の規範によって吟味を受けるなら、勝利は我が手にあるのであります。……わたしたちは神から着せていただくためにいっさいの徳をはぎとられ、……わたしたちは神ご自身のみが輝かしくあがめられ、神においてわたしたち自身を誇るためのいっさいの誇りを奪い去られているのを自ら知ること……」(『キリスト教綱要』渡辺信夫訳、T・22〜23)。「信仰の基準」をルターほど鋭く浮き彫りにして描くことはないにしても、明らかにsoli Deo gloriaは、カルヴァンにとっての「信仰の基準」であり。またカルヴァンもルターのように、共観福音書を理解するための「鍵」として信仰義認の明確なヨハネの福音書を持ち上げている。Calvin, The Gospel according to John, 1−10, ed. D. and T. Torrance; Eedmans, 1959, p.6.
11「ワイマール版」ルター訳ドイツ語聖書第7巻、384。
12 John Locke, A Paraphrase and Notes on the Epistles of St. Paul to the Galatians,
1 and 2 Corinthians, Romans, Ephesians, ed. A. W. Wainwright, 2 vols. Oxford :
Clarendon Press 1987, 2:585.
13 木田献一・高橋敬基『聖書解釈学の歴史』日基出版局、1999年、63頁。
14 カール・バルト『教会教義学』I/1吉永正義訳、新教出版、1995年、22〜23頁。
15「ルターがその注解の中で直感的な確信をもって用いたあの活動、カルヴァンが明
らかに方法論的に自らの釈義の目標としていたあの活動……『そこに書かれてある事柄』を学的に確定した上で、きわめて活発に自己のテキスト追求をし始める。すなわち1世紀と16世紀との間の障壁が素通しになり、原本と読者との会話がことごとく主題的な事実に集中するまで、彼はテキストと議論を交わすのである」。(カール・バルト著作集14「ロマ書」、第二版序言、新教出版、9〜10頁。
16 Scott J. Jones. John Wesley’s Concept and Use of Scripture, Kingswood Books,
 1995, p.211.
17 Hans Frei, The Eclipse of Biblical Narrative――A Study in Eighteenth and
   Nineteen Century Hermeneutics, Yale Univ. Press, 1974.
18 フライの物語神学とウェスレーについて、東方敬信氏も「ジョン・ウェスレーの
キリスト教倫理」において言及している。『ジョン・ウェスレーと教育』青山学院
大学総合研究所・キリスト教文化センター、1999年。
19 アナロギア・フィデイには言及せずとも、主要教理を同様に解説している箇所は
他にもある。1746年の「メソジストの原則――さらなる説明」には次のようにある。「私たちの主要な教理は、他のすべてを包含するのであるが、三つ、すなわち悔い改め(罪の確信)、信仰(義認)、そしてホーリネスである。最初ものは、いわば宗教のポーチであり、次のものは宗教の扉、そして第三のものが宗教の実質である(W・4)」。また1764年には、様々なリバイバルの流れを一つにし、国教会の中でメソジストが生き残るために、ウェスレーは教会連合的な一致を呼びかけて、50名ほどの牧師に手紙を書いている。その中で彼は、意見や表現の違いを許容し合い、「原罪、信仰におる義認、心と生活とのホーリネス」という主要教理における一致を説いている(『日記』1764.4.19)。1770年のホイットフィールドの葬儀における説教でも、ホイットフィールドが説いてきた主要教理が原罪、義認、新生との三つにあったと自らの理解を明らかにしている。
20 この視点は、初期ウェスレーの神学を代表する説教18「心の割礼」(1736)に明確
に論じられ、1738年にアルダスゲイトにおいて信仰義認の体験をした後も、晩年
の説教127「婚礼の礼服について」(1790)に至るまで、聖化による「神の像」の回
復こそがキリスト教の目的である、と一貫して強調されている。
21 ウェスレーの解釈学的観点から
・ Carl Michaelson, "The Hemenuetics of Holiness in Wesley", in The Heritage of Christian Thought: Essays in Honor of Rovert Lowry Calhourn, ed. Robert Cushman and Egil Grislis, 127-41, Harper and Row, 1965.
・ 野呂芳男「聖化を鍵とした聖書解釈」『ウェスレーの聖書解釈』(ウェスレーとメソジズム双書6、1972)日本ウェスレー協会, 7〜30。
・ Timoty Smith, "John Wesley and the Wholeness of Scripture, " Interpretation 39(1985), 246〜262.
・ 松本卓夫氏は「新約聖書略注への解説」『ウェスレー著作集』U・541〜542で、ウェスレーがベンゲルから離れて自分の信仰を力強く解説する箇所は、神の恵みによる救いと、聖霊の働きによる成聖(聖化)の二大教義にあるとしている。
  ウェスレー神学の全体像から
・ Harald Lindstrom, Wesley and Sanctification (Stockholm: Nya Bokforlags Aktiebolaget, 1946)、野呂芳男訳『ウェスレーと聖化』新教出版。
・ Clarence Bence, "John Wesley's Teleological Hermeneutic", Emory University Ph.D. thesis, 1981.
・ 藤本・109〜121。
22 ちなみに、この聖句と同じような聖書の全体性を指す意味で、ウェスレーが好んで
用いた聖書の表現がある。使徒20:27「みおしえの全体」(the whole counsel of God)     
であり、同じ方式で調べると35箇所見つけることができる。
23 説教92「情熱について」序・1、説教39「公同的精神」U・4、説教集・序文・10。
24 Albert Outler, Theology in Wesleyan Spirit , Nashville: Tiddings, 1975, p.81. 
25 説教92「熱心について」V・10、説教27「主の山上の説教Z」・序・3。坂本誠「ウ
ェスレーにおける自己愛と社会的な愛――敬虔の業から慈愛の業へ」『神学思潮』(ナ
ザレン神学校神学研究会)XV(1999.4)参照。
26 参照、『ウェスレー説教53』(インマヌエル教学局, 1996)中巻、主の山上の説教「訳
 者ノート」96〜100頁。
27 説教23・三・3、参・説教27・序・1。ウェスレーの説教集の序文に、彼の神学
的意図は明確に記されている。「そしてここで特に私が意図していることがあるとす
れば、第一に、いま顔を天に向け始めている人々(神の事柄についてほとんど知識が
なく、道から逸れてしまう傾向がより強い人々)を、心の宗教(heart religion)をこの世界からほとんど抹殺しかけてしまったような形式主義・単なる外側だけの宗教から守ることです。そして第二に、心の宗教、すなわち愛によって働く信仰を知っている人々が、いつのまにか信仰によって律法をむなしくしないように、そのようにして悪魔の罠に陥ることのないように警戒させることです」。
28 『新約聖書略注』ヤコブ2:22。行いについて、藤本・245〜246を参照。
29 説教25「主の山上の説教V」・U・3。「この律法という神の恵みの至福の管(blessed
instrument of the grace of God)を軽んじてはいけない。キリストに密着していよう
とするなら、律法に密着していなさい。それを固く守って、放してはならない。それ
によって贖いの血に導かれ、絶えず希望があることを確認しなさい。最後には、すべ
ての律法の義があなたの内に成就され、神に満ちているすべてをもって満たされるよ
うになる(説教34「律法の原型」・W・8〜9)。
30 説教5「信仰による義認」・U・1、説教19「神より生まれた者の偉大な特権」・序・2、
 説教20「主、我らの義」・2、説教43「聖書における救いの満ち」・T・4など。
31 “Using faith rather as contradistinguished from holiness than as prodauctive of
 it”(手紙、to Thomas Maxfield, 1762.11.2).
32 説教107「神の葡萄畑について」・T・8、説教62「キリスト到来の目的」・V・5〜6。
33 説教10「聖霊による証し(T)」・序・3、説教11「聖霊による証し(U)」・T・2。
34 説教10・序・3、説教11・W・6。
35 Albert Outler, “The Wesleyan Quadrilateral”, Wesleyan Theological Journal 20
(Spring, 1985). Donald Thorsen, The Wesleyan Quadrilateral: Scripture, Tradi-
tion, Reason & Experience as a Model of Evangelical Theology (Grand Rapids:
Zondervan, 1990). 
36 こうした傾向に対する批判について、参照、David F. Wells, “An American
Evangelical Theology: The Painful Transition from Theoria to Praxis,” in
Evangelicalism and Modern America, ed. George M. Marsden (Eerdmans, 1984)。
あるいはStanley Grentz, “Revisioning the Theological Task,” in Revisiong
Evangelical Theology: A Fresh Agenda for the 21st Century (IVP, 1993).
37 J ügen Moltmann, “The Challenge of Religion in ‘80s,” Theologians in Transition,
 ed. By James M. Wall (NY: Crossroad, 1981), p.108.
38 John Henry Newman, Lectures on the Prophetical Office of the Church (1837),
 p.20.