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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/28 Tペテロの手紙(31)不動の者としてくださる Tペテロ5:8〜11
☆聖書箇所      Tペテロ5:8〜11

8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
9堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
10あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
11どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。

☆説教     Tペテロの手紙(31)不動の者としてくださる

よくお付き合いくださいました。第一ペテロの手紙の31回目。今日をもって終わりにしたいと思います。神さまはそういう風に、ちょうどタイミングを合わせてくださいましたことを、私(藤本牧師)はとっても感謝いたしております。

最初の時に学んでしまったことを、もう忘れてしまいました(笑)。皆さんを責める気はありません。語った者でさえ忘れるんですから、皆さんは忘れて当然だと思います。インターネットをご覧いただきますと、T・Y姉が全部の説教を上げてくださっていますので、もしよろしければ復習と共に見ていただきたいと思います。

姉妹は毎週日曜日、このようにすばらしい花をこのように飾ってくださいます。今日は水盤の中にす〜っと挿している感じ、こちらの花を後でじ〜っとご覧になりますといいと思います。前に置いてありますので、割と皆さん礼拝が終わりますとさぁ〜っと帰ってしまわれますが、前の花をご覧になりますと、季節の楽しみがこんなに豊かに教会堂に溢れているのかと。特に姉妹は、私たち(牧師や司会者)のために、裏側も(つまりできる限り四方見で)綺麗に飾ってくださるので私(藤本牧師)はいつも感動的なのですけれども、是非ゆっくりご覧になるといいなぁと思います。

O姉がいつも教会のFBに花を上げてくださっているので、FBをご覧になっている方は、教会に上げられた花の写真はみんな見ることができます。

さて、Tペテロの手紙の5章ですが、前回8節と9章の前半を見ました。ちょっと読みますと――

8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
9堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

先週は「身を慎み、目をさまして」ということは祈りの姿勢であるということを学びました。
悪魔はこの世界を歩き回って獲物を捜し求めている、ということを知っておきなさい。わきまえておきなさい――そうペテロは語ります。

そのペテロは、かつて「(あなたは)麦のようにサタンに振るわれます」とイエスさまに言われ、そしてものの見事に、そのようにして獲物を捜している、獅子のような悪魔に無頓着であったペテロは、簡単に、麦のように振るわれて転んでしまいました。
十字架を前にして、「イエスさまのことは知らない」と三度否定し、大泣きをする経験をいたしました。

私たちには到底かなわない悪魔の恐ろしさを知っていて損はない。なぜなら知っているがゆえに、私たちは目を覚まして祈るからですね。
祈ることによって、私たちは神の力によって守られています。

それだけではなく、悪魔は吠えたける獅子のようですが、キリストはさらにはるかに強い獅子です。
サタンに簡単に縛り上げられて、家財のように捕えられている私たちをより強いイエス・キリストは解放することができるということを学びました。

そしてペテロは実際に2000もの悪霊を内側に宿していた男、不毛の地に縛られて、自分自身を傷つけて生きて来た男が、悪魔の支配から解放されて正気に返って神の御前に座っている姿を、彼は実際に見ました。

私たちが礼拝に来るたびに、私たちは様々な悪の力から解放されて、正気に返って神の御前に座っているんだ、ということを意識していただきたいという話をしました。
御前に静まり、平安を取り戻すときに、キリストの圧倒的な力が私たちを覆っている。
ほえたける獅子はキリストによって縛り上げられて、私たちは神の御前に静かに座ることができるという話をしました。

さて、今日はその続きであります。9節の半ばから、ちょっともう一回読んでいきます。

9……ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

ここから行きます。ポイントは3つです。先ず第一番目、ここ(9節)にあります「世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来た」というのは――

1)悪魔に立ち向かい、この世を傷だらけで生きているのは、ペテロだけではない。特定の信仰者だけではないです。

9節にありますように、「世にあるあなたがたの兄弟である人々はみな」同じ戦いをしているということを覚えてほしいと、ペテロは言っています。
キリスト者はみな、です。
私たちはみな、それぞれ自分の戦いがあり、その戦いにおいて、私たちの体力も経済力も家族環境も、境遇は一人一人みな違います。
しかし、サタンに立ち向かう、あるいはサタンと戦いを交えるという点では、古今東西、信仰者はみな同じだ、とペテロは教えます。

ペテロは、サタンとの戦いに倒れて、傷ついて、疲れ切っている私たちに向かって言います。
「世にある信仰者は、みな、同じ苦しみを通ってきたのです。」

旧約聖書に、偶像神バアルの預言者たちと戦いを交えたエリヤが出て来ます(***T列王記18章)。
エリヤは、戦いのあとに孤独感でいっぱいでありました(***同19章)。
当時の王さまアハブと、その王妃イゼベルはエリヤの預言者の仲間をすべて殺してしまいました。
そして、イスラエルの人々はみな信仰を捨ててしまったと、エリヤは孤独感に浸ります。
エリヤは神さまに向かって、私一人残りました、私一人残りました、と2度繰り返して、神の御前に打ちひしがれています。
            
そのとき、神はエリヤに仰せられます。
「あなた一人ではない。私はバアルに膝をかがめない7千人の信仰者をイスラエルに残してある。わたしは、エリヤよ、あなたのために、後継者エリシャも取っている」(***T列王記19:18)と。

私たちは戦いに疲れると、自分だけが打たれた、自分だけが苦しみに会い、自分だけが転んだ、自分だけが病の中にいるという思いに浸りがちです。
戦いにおける孤独感は、私たちを追い詰めます。
孤独な私たちのために祈って支えてくれる兄弟姉妹がいるということを、覚えておかなければいけない。
でも、究極的にはそれだけではありません。2番目に――

2)ペテロはここはとても丁寧に説明をします。

ちょっと(Tペテロ5章の)10節を見てください。ちょっとここは一緒に読んでみましょうか?

10あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

《ここまでのおさらいポイント》
戦いで疲れ果てている私たちに対して、ペテロはまず第一番目に――
1)あなただけではない。世にある信仰者は、古今東西を問わず、皆同じ戦いをしているんだ、ということを述べて、第二番目に――
2)神も、あなたと共に立ち、戦っていてくださる(と言うのです)。

10節の頭に、「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神が」、「神ご自身が」、この長〜い主語に注目していただきたいと思います。
「この神ご自身が、私とともに戦っていてくださる。私の気持ちを理解し、私を守っていてくださる」と言うのです。
その神は「あらゆる恵みに満ち、私を永遠の栄光の中に招き入れてくださった」ということは、私を救い、私を永遠のいのちに導き入れてくださり、神の国を相続する神の家族として、私を招いてくださったその神ご自身が、あなたと共に立ち、あなたを守っていてくださる。

パウロという人物はあれほど多岐に亘って、伝道に励みながら、晩年は牢獄で過ごしました。
最初牢獄で過ごしているということはみんな知っていましたが、だんだんだんだん忘れ去られて行きます。
Tペテロの少し前に、テモテの手紙第二というのがありますので、ちょっとその4章を見ていただきたいと思うんです。
ペテロとは違う、同じように初期のキリスト教会を建て上げたパウロの言葉ですが、4章の16節を私(藤本牧師)が読みますので、皆さんで17節を読んでいただきたいと思います。

Uテモテ4:16〜17
16私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。
17しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

ここに「獅子の口」とあるのは、これは現実の話ですね。
ローマ帝国がクリスチャンを迫害し、そしてクリスチャンを飢えた獅子の中に放り込み、闘牛場で殺されるのをみんなで観戦するということをやっていました。
彼は「獅子の口から助け出された」と言うのは、まさに真実でその言葉通りなのでありますが、「最初の弁明の際には」と16節に始まりますけれども、ローマ帝国を前にして彼は裁判にかけられ、その時彼に味方する者は一人もいなかった(***使徒22:22)。
何とも言えない孤独です。
でも17節に、「しかし、主イエス・キリストは私とともに立ち、私に力を与えてくださった」とこう記しています。

キリストは勿論よみがえりのイエス・キリストですから、見ることはできません。
しかしパウロは心の中で、キリストは自分と共に立っておられるということを実感することができた(***使徒23:11)。
病院であるならば、キリストが私の病床のそばに立って、私を励ましていてくださるということを、パウロは実感することができた。
そのキリストは私を救いの恵みの中に招き入れてくださり、神の家族としてくださったということを、ペテロは忘れてはいけない(と言っているのです)。

私たちは試練の中にありますと、「この試練を戦っているのは自分だけだ。(自分は)忘れ去られてしまった」と思いがちだけれども、ペテロは言うんですね。
「あなたが通っている試練は別にあなただけではない。他に同じような試練の中にいる人たちは沢山いる。しかしそれだけではなく、神ご自身が共に戦ってあなたを守っていてくださるということを、忘れてはいけない」と。

私(藤本牧師)は、非常に主語が長いというのがTペテロの5章の10節には特徴的だと思います。
もう一回、Tペテロに戻ってきますので、Tペテロはちょっと伏せたままで結構ですが、
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神」(5:10)と非常に長いです。
自分と共に戦っていてくださるお方が、自分と共に立っていてくださるお方がどういうお方なのかということを、ペテロは覚えているかというように、その神の前に来る主語が非常に長い。

いったい誰が自分と共におられるのか?だれが(自分と共に)戦っていてくださるのか?
それはあらゆる恵みに満ちた神である。
その方は、私を救いの恵みの中に導き入れてくださったお方なんだということが、わかっているんですね。

先ほどUテモテを開いて見てくださったので、1章12節をちょっと見てください。
非常に興味ある言葉があるんですが、一緒に読んでみたいと思います。

Uテモテ1:12
12そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。

牢獄の中における最後の手紙です。パウロは3行目に、「私は、自分の信じて来た方をよく知っている」――これだけは、彼の頼みです。
周囲の人物に彼は助けを求めているのではないです。
この長〜い投獄期間の中で、自分を支えるものがあるとしたら、私自身は、私が信じて来た方をよく知っていると。
神がいかなるお方であるのか、イエス・キリストがどれほどの愛をもって私に接していてくださるのか。
しかも、その方は私のお任せしたものを、かの日に至るまで守っていてくださる。
お任せしたのは、家族かもしれません。自分の教会かもしれません。自分のたましいかもしれません。
でも一旦自分が神さまの御手に任せたものを、神さまはず〜っと守っていてくださることを彼は知っているのです。

この方が、私のたましいを、戦いの中に於いて守っていてくださるということをペテロもよくわかっています。
人生にはいろんなことがあります。多くの失敗もありますし、しかし、私は私を召してくださった神を知っていますし、この方は憐れみに富んだお方であり、私が迷い出たとしたならば、この方は私を見つけて、義の道へと引き戻してくださるお方であるということを、パウロもペテロも知っています。
この方は一旦私が、愛する者をその御手にゆだねたならば、終わりの日までゆだねた者たちを守っていてくださるということを、パウロもペテロもよく知っているんですね。

イエスさまは仰いました。そしてペテロは確かにその言葉を聞きました。
「あなたがたは世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしは既に世に勝ったのです」(***ヨハネ16:33)と十字架を前にして仰ったイエス・キリストの言葉を、ペテロは実際に聞いたんですよね。
そのイエスさまが傍らにいて、励ましてくださるとしたならば、Tペテロに戻っていただいて、もうTペテロで終わりにしたいと思いますので、(5章の)10節の後半をちょっと見てください。

●「神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで“完全にし”」というのは、昔の口語訳では、「その方はあなたがたを“癒し”」となっています。
「完全にする」という訳の方がストレートな訳なんですけれども、しかし「癒してくださる」という訳も尊いです。
なぜなら、この世におけるサタンとの戦いによって、私たちは傷つくからですね。
様々に傷ついた私たちを神ご自身が癒してくださる。

●次の「堅く立たせ」という言葉は、岩のようにしてくださるという意味です。
この手紙を書いたペテロの、以前の名前はシモンです。
シモンという人物は、感情が様々揺れ動く人物でありました。
でもイエスさまは、「わたしはあなたをペテロとする」。ペテロというのは岩です。
「サタンによって麦のようにたやすく振るわれたのち、あなたをわたしは岩のようにする。
そして岩のようになったら、あなたは周囲の者たちを力づけなさい」(と仰った)。

●ですから、最後の、「堅く立たせ、強くし、」というのは、それは強くされて周囲の者たちを力づける者となる(ということ)。
周囲の者たちを力づけることができるのは、自分も同じような経験をした者だけです。

先日教会のある姉妹が、甲状腺の手術をなさいました。
非常に甲状腺を取るということに不安がっておられて、そして同じ経験をされたT兄と話しておられました。
「どうでしたか?」と聞いたら、「とっても安心しました」とほんとににこやかな顔をしておられました。
私たちも一生懸命励ましたつもりですけれども(笑)、でもその経験を通らない人間が励ましたのと、その経験を通った人が励ますのと、(強調して)こうも違うんだと思うぐらい。
特に手術はそうだろうと思いますね。どこにメスが入って、傷痕はどうなって、その後はどうなるんだろうと、みんな不安ですもの。
でも全く無事な手術を受けたのであれば、どれほど安心するかですよね。

ペテロは3年半、自分が主と仰ぎ、そして何もかも捨てて従って来たイエス・キリストに対して、イエス・キリストが逮捕されたあとに、「私はあんな奴は知らない」と、いのちをかけて誓うほど、彼はキリストを裏切るんですね。
でもイエスさまは裏切ろうとしている彼に仰いました。
「あなたは必ず立ち直る。わたしが立ち直らせる。そして、もし立ち直ったら、あなたは岩のように堅くなり、しっかりし、そして周囲の者たちを励ますという責任を負いなさい」(***ルカ22:33)。
ですから、ペテロの手紙は励ましに満ちていますね。
それはペテロ自身が転んでしまったからです。
絶望に屈せず、再び招いてくださるイエスさまに従おうではないかと、(そういう者だけが、周囲を力づけることができるのでしょう)。

●そして4番目に神ご自身が不動の者にしてくださる。
不動の者にしてくださるってどういうことなんだろう、と思います。
どういうことなんだろうと思うっていうのは、私たちはそれほどまでに揺れ動くからです。

この教会には不動の信仰を持っておられる方がおられます。
私(藤本牧師)もその方を頼みにします。
で、私は自分自身が不動の信仰を持っているとは思えない程、弱さを感じます。
でも沢山の試練をくぐって来られた方は、なるほどこの方は不動の信仰を持っておられる、というのがよくわかります。

よく言いますよね「あなたは打たれ強いですか?」って。「打たれ弱いですか?」って、よく言われますでしょう?
私もよく言われますね。「先生、批判されて落ち込むことはありませんか?いろいろ人に言われて、ぐったりすることはありませんか?」――しょっちゅうです。
「それで、先生、それを乗り越える秘訣は何ですか?」って言われますと、私(藤本牧師)の場合はちょっと情けないんですが、昼寝します(笑)。
ま、言うならばふて寝ですね。私はふて寝しますとね、おおよそのことは忘れられます。おおよそのことは。
そして振り返ってみて、そうやって批判した奴を見て、「あいつは本当に嫌な奴だな」(笑)と、それであっさり忘れられるんですね。

それと、もう一つ――これは自分でも、よくほめられるんですけれども、特技を持っていまして――批判しそうな人から手紙が来たら読まない(大笑)読まないでメールはすぐ捨てる。
そして後ほど、その方から「メールを送ったんだけれどもお読みになりましたか?」って聞かれるような場合は、読まずに「いろいろご指摘をありがとうございました」で一行で返してしまうんです。
「ご指摘をありがとうございました」で――何を指摘されたかわからないんですけれども――それでもう済ましてしまうんです(大笑)。
つまり読んだら最後、毒にあたる(笑)。ね、それで、読まずに捨ててしまう。

そんなことはできないと仰る方々もおられると思います。
でも同じような経験を通って来た方々、そして不動の信仰を持っているような方々は実は教会の周りには沢山おられる。

3)そして最後に、不動の信仰の秘訣を皆さんにお話して、このシリーズを全部閉じたいと思いますけれども……。

不動って言葉は新約聖書に出て来ますよね。
それは、「不動の礎(いしずえ)」――開きませんが、Uテモテの2章の19節です。
不動の礎というのは、言うまでもなく、イエス・キリストです。
あるいは、Tコリントの3章の11節に、こういう言葉があります。これも聞くだけで結構です。

Tコリント3:11
(というのは、)だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

つまり不動の方はキリスト以外にいないんです――これはよ〜く覚えていた方がいい――不動の方はキリスト以外にはいない。

さて、この礎石とか土台とかいう言葉はこのTペテロにも出て来ますので、これは見ていただきたいと思います。
2章の6節をちょっと見てください。一緒に読んでみましょう。

Tペテロ2:6
6なぜなら、聖書にこうあるからです。
  「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、
  尊い礎石を置く。
  彼に信頼する者は、
  決して失望させられることがない。」

私たちが不動な者たり得るのは、これ以外にないです。
不動は教会の礎石であるイエス・キリスト以外にないです。
そして私たちは、彼に信頼するときに、決して失望させられることがない。
不動でいられるとしたならば、この不動なイエス・キリストに信頼する以外にない。

様々な試練の中で、不動のイエス・キリストに信頼している人が見える時、私たちはその人が不動であると感じるんです。
私たちはみな弱い者です。揺れ動いてばかりです。しかし不動の神に信頼するということの大切さです。
ペテロは――4節を見てください。(同じくTペテロの手紙の)2章の4節。

同2:4〜5
4主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
5あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。……

とあるように、私たちは生ける石として教会の中に築き上げられて行くときに、私たちもまた不動の者になるというのが、ペテロの信仰です。
おおよそ揺れ動いているばかりいる私たちが、この教会の中に組み込まれていくときに、イエス・キリストを信じてこの方に依り頼んでいくときに、「決して失望させられることはない」(同2:6の最後)。
様々に心配して、もうだめだという時でさえ、キリストは私たちをもう一回救い出してくださる。

ビクトル・ユーゴー(1802〜1885フランスの詩人・小説家・政治家)原作のレ・ミゼラブル(「ああ、無情」1862)という小説を、皆さんよく知っておられる。
物語の始まりは、わずか一切れのパンを盗んで、なんと19年間刑務所に服役していたジャン・バルジャンが出獄した日から、レ・ミゼラブルの物語は始まっていきます。

どこへ行っても水一杯飲ませてくれない、パンを買うお金もない、そんな彼が、教会を訪ねます。
教会にはミリエル司教がいて、初対面の彼を出獄して来た人物だと知った上で、一緒に食事をし、そして彼を教会に泊めます。

夜中、目が覚めたジャン・バルジャンは、夕食の時にご飯が載っていた銀の食器が気になり始めます。
そして彼は間が差して、司教の寝室に潜り込み、銀のお皿を盗んで、逃亡します。
翌日、うろついていた彼は警察に捕まり、そして教会に引っ張って来られます。

「司教様、こいつ泥棒です。この銀の皿は、お宅のものですよね。ふてぶてしいにもほどがあります。こいつは、この皿を司教様からもらったなどと言っています」

ミリエル司教は、そばにあった銀の燭台を持って来て、ジャン・バルジャンに言います。
「どうした、君。この燭台もお皿と一緒に上げると言ったのに。遠慮したのか?燭台の方は忘れてしまったのか?」
ジャン・バルジャンは再び牢獄に入ることはありませんでした。

刑事が去って行った後、司教はジャン・バルジャンに(言います)。
「忘れてはいけません。決して忘れてはいけませんぞ。……あなたはもう正しい人になられたのじゃ。あなたの魂は、すでに神に捧げられていますのじゃ」

これですね。ペテロが言いたいのは、まさにこれですね。
「どんなにサタンの戦いが激しかったとしても、あなたはすでに神ご自身によって救いの栄光の中に入れられ、あなたの兄弟姉妹も同じ戦いを経て、神ご自身はあなたの傍らにおられて、あらゆる必要な恵みをあなたに与え、あなたが迷い出たら、再びあなたを連れ戻すことがおできになり、あなたのたましいは既に神に捧げられているということを忘れてはいけない」

物語は、まだまだ始まったばかりで、いろいろ展開していきますね。
ジャベルという刑事は、しつこいんです。
ジャン・バルジャンの尻尾を捕まえようと何度も彼を追いかけて来て、彼の有罪を証明して、刑務所に引き戻そうと必死にかぎ回ります。
ジャン・バルジャンは、最初は名前を変えます。名前を変えて正しく生きて、彼はなんと市長にまで選出されます。
それでも、ジャベル刑事は、サタンのようにしつこく、彼を追いかけて来ます。

でもこの長〜い物語の中で、ジャン・バルジャンは最後まで元に戻ることはしません。
「あなたのたましいは、神に捧げられた」という、あのミリエル司教の言葉を彼はず〜っと覚えていて、二度と刑務所に戻ることはないです。
殴られても、悪に対して悪を報いず、善をもって返し、隣り人を愛し、右の頬を打たれれば、左の頬を差し出していくんです。
あの日、ミリエル神父の言われた言葉を忘れない。
「あなたの魂は、すでに神に捧げられています」

私たちは決して不動の者ではないです。何度も転びます。
でもそのようにして転んでしまったペテロが、私たちに忠告を与えるんですね――サタンはしつこい。ジャベル刑事のようにしつこい。最後の最後まで、たとえ私たちが市長になっても、追いかけて来る。
でももし私たちが、私たちを救いに導いてくださった、招き入れてくださった方がどういうお方であり、この方は私たちが託したものすべてを、かの日に至るまで守ってくださるということを解っているなら、私たちは不動の者として守られる、ということを覚えておきたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい」(Tペテロ2:5)――まさに、迷える羊のような私たちをあなたは見出してくださり、何の取り柄もない私たちを、霊の家の中に築き上げていてくださることを心から感謝いたします。
私たちはそれでも揺れ動きます。でも、不動の礎は私たちとともにあり、私たちを捕えて、私たちを助けて、導いていてくださることを心から信じます。
Tペテロの手紙をこの手紙を記したペテロの思いを込めながら、何とか私たちは汲み取ろうとしました。機会がありましたら、もう一度ゆっくりこの手紙を読むことができますように、私たちを導いてください。このようにして教会に於いて、最後まで全うして読み切れたことを心から感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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