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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/29 アブラハムの生涯(14)同じ過ちを 創世記20:1〜18
☆聖書箇所     創世記20:1〜18

1アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、
2アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。
3ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
4アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。
5彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
6神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
7今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
 8翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
9それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」
10また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはどういうつもりで、こんなことをしたのか。」
11アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
12また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
13神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ』と頼んだのです。」
14そこで、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。
15そして、アビメレクは言った。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」
16彼はまたサラに言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたといっしょにいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」
17そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。
18【主】が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。

☆説教     アブラハムの生涯(14)同じ過ちを

久しぶり、あるいは初めて礼拝にいらっしゃった方にはちょっと申し訳ないんですけれども、今日の説教の箇所は一カ月ぶりでアブラハムの生涯に戻ります。
それで、読んでいただいたこの物語、創世記の20章は少し長いんですね。
そして皆さんにとりましても前回から1カ月ぶりに戻って来ていますので、少し物語に集中しなければいけないかなぁと思います。お許しをいただきたいと思います。

前回は19章に出て来るソドムとゴモラの町を神が滅ぼされる中、神の使いはロトの家族の手を掴んで助けてくださった、というこの場面から見ました。
そして今日は20章の1節からこう始まります。20章の1節に――

1アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、
2アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。

という事で、大変複雑な事情が発展していったということが記されています。

アブラハムはヘブロンのマムレの樫の木の下に20年住んでいました。
その彼が20年後になぜ引っ越したのか、理由は書いてありません。
ゲラル、ネゲブの地方に滞在している時、もしゲラルの王アビメレクが自分の妻サラに目をつけたら、自分を殺して妻を持って行かれてしまうんではないかということを恐れた彼は、2節にありますように、「私の妹(兄)です」とウソをつくように妻に言います。
そして、ゲラルの王アビメレクはサラを召し入れてしまいます。
召し入れたその夜、神さまは夢の中で、ゲラルの王アビメレクに現れて仰いました。3節――

3……「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」

それを聞いたアビメレクは仰天します。彼は神さまに訴えます。5節を見てください。

5彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして(を、いやそればかりか、と言い換えて)彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。……

6節で神さまは(夢の中で)アビメレクに答えます――

6……「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それで、わたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。(召し入れたその夜、何もする前に、この事をあなたに告げた、と説明を加えて)。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

7今、あの人の妻を返していのちを得なさい。……

「もう一回サラを夫アブラハムのもとに返しなさい」と、神さまは仰います。 
そして9節、翌朝ですね、アビメレクはアブラハムを呼び出して言います。
「あなたは何ということを、してくれたのか」
そして10節「どういうつもりで、こんなことをしたのか」
アブラハムは答えます。11節――

11……「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。

だったらこんな所に滞在しない方がよっぽどましだ(笑)と思いますけれども、アビメレクはアブラハムを許します。そして15節を見てください。

15……「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所(好きな所、と変えて)に住みなさい。」

と、非常に寛容な対応をしてくれます。

さて、ここから考えさせられることがあるというのが今日のお話です。まず第一番目に――

1)同じ過ちなのだろうか?

つまり今日20章で読んでいただいた展開は――異国に住んで妻を奪われるかもしれない。その時、私は殺されるかもしれない――こういう恐怖で自分の妻を妹と偽って大変な目に遭っているのは、実は2回目なんです。

1回目は随分以前に共に学びました。(***12章)
アブラハムの信仰生涯始まって間もなく、つまり神さまの召しを受けて、行き先を知らずに神さまが示してくださる地に出て行って、ようやく辿り着いたのがベテル、それからネゲブに移った時にネゲブが飢饉に見舞われます。
一回目はまだまだアブラハムの信仰生涯が始まったばかりでありましたけれども、彼は厳しい飢饉に、もはやそこで生きていくことはできないと判断して、二人してエジプトに渡って行きます。
その時も全く同じ状況になりました。エジプトでアブラハムはサラに言います。
「おまえは美しい。きっと人々は私を殺して、おまえを生かして妻にするだろう。だから、どうか私の妹だと言ってくれ」

なんとサラはエジプトの王に迎え入れられてしまいます。
そして兄と称したアブラハムのもとに、王さまから沢山の羊の群れ、牛の群れ、らくだ、奴隷たちが贈られて、アブラハムは一気に裕福になります。
これは大変な事態でありました。
しかし神さまは、嘘をついて人生が複雑になってしまったアブラハムですけれども、お見捨てにならず、却ってエジプトの王に災いをもたらします。
王は何かがおかしいと思いまして、アブラハムを問い詰めます。同じ言葉です。
「おまえはいったい何ということをしてくれたのか!」
これが第一回目の出来事にも出て来ます。

それから何十年も経っています。
サラは年を重ねて、いくら何でも異国の地でも、それほど魅力的ではなかったかと思います(大笑)。
だってサラは90歳ですよ。90歳。
今更90歳のあなたに――と言うとちょっと語弊があるかもしれませんけれども――だれが目を留めて(大笑)、おまえを奪おうとして私を殺すからと言われても、ちょっとこう納得がいかない部分が私たちには十分あるわけです。

そうなりますと、旧約の学者はこういう風に考えます。
そもそも出来事は一回しかなかったと。
その一回の出来事は別々の資料で、別の形に描かれていて、それを創世記を編集した人々は、二回の出来事があたかもあったように記したに違いないと。
これは普通の発想ですね。そう結論するのもわからないわけではないですね。

しかしよく読みますと、同じ出来事ではないです。
アブラハムとサラは、エジプトにおいては、追い出されてしまいます。
しかし、エジプトでは追い出されたところ、今回は「あなたがたはここに住んでもいい」という風に(アビメレクが)20章の15節で言っていますでしょう。
ですから前回とは、状況もセッティングもかなり違っています。
(***ここ20章では、ゲラルの王アビメレクのもとに、神さまは夢の中で現れました。また、王としての彼の正しさも神さまによって評価されています。)

だとしたら、同じような物語が違うセッティングで描かれていて、実は物語には共通している部分がある。
それが、アブラハムは真実をごまかしたことのゆえに、複雑な人生の展開へと巻き込まれて行く――これが共通しているのですね。
セッティングは確かに似ています。でも全部同じではない。
でも共通している点があるとすれば――アブラハムは自分の妻を妹と呼ぶことによって嘘をつき、そして妻にも自分にも周囲の人にも「おまえはいったい何ということをしたのか」という非常に難しい状況に追い込まれて行く――ということは、共通しています。

自分の人生の危機が訪れた時に、策を人間は講じます。私たちは誰でも策を講じます。
そしてその策が素直でない時、私たちはどこまでもごまかそうということで切り抜けようとしていく時に、アブラハムの姿と私たちの姿は重なります。
それは、一回目のアブラハムも二回目のアブラハムも、私たちの人生で起こる様々な困難な出来事にあっても、割と実はその部分は共通しているんですね。

すると、改めて考えてみる必要があるんです。
それは創世記を編集する際に、同じ一つの出来事が二つの資料から出て来た。だからそれをつなぎ合わせたのか?
それとも、人間というものは、同じような過ちを何度も何度も繰り返すのか?という問題。

で、私たちは恐らく皆思うと思うんです――これは同じ出来事ではない。
むしろ人間というのは、しつこいばかりに同じ(ような違った?)出来事を、同じ過ちを繰り返す。
それが二回であろうが、三回であろうが、私たちは繰り返す――そちらの方にはるかに大切なメッセージがある。

二番目に注目していただきたいのは――

2)この出来事は、アブラハムの人生の後半に起こったということです。

一番最初はエジプトでこの問題が起こった時に、アブラハムはまだまだ信仰生涯の駆け出しでありました。
でもこの20章では、彼は信仰を持ってからもう何十年も経過しています。
そして後半部分の、例えば17章の初めで、神さまはアブラハムに仰いました。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と。
その時彼は割礼を受けて、つまり自分の肉の一部を切り捨てて、神さまと契約を結びます。

17章の後半、それから18章にかけて、100歳にして待望の息子イサクが与えられるという記事が出て来ます。
それから18章の後半では、神の使いを必死で健気にもてなし(***前半)、神さまがこれからソドムの町にしようとしていることを、思わずアブラハムにだけは、この事は知らせておきたいと、ご自身のご計画をアブラハムに話すほど、神はアブラハムを友と考えています。
そしてその計画を聞いたアブラハムは懸命に、ソドムの町の人々とロトの家族のために、とりなしをするんですね。

その「わたしの前を歩んで、全き者であれ」と言われた、その召しに従ったアブラハムは、実に高いレベルの信仰生活を送っていたにもかかわらず、
この20章で、初心者に戻ったかのように、彼は自分の妻を妹と偽り、若かった頃と同じ過ちを繰り返しているんです。
彼は思ったに違いないです――「ああ、またおんなじ自分か」
「自分の身を守ろうとして、妻に迷惑をかけ、却って周囲の人を複雑な事情に巻き込み、そして、もしかしたらゲラルの王アビメレクは神の裁きを受けていのちを落としたかもしれない。
そして、自分の妻サラはゲラルの人々によって殺されたかもしれない。
自分だけは何とか生き延びようとしたけれども、結果、自分も含めて周囲の者に絶大な迷惑をかけてしまった。
ああ、これは自分がかつてエジプトでしたことと何ら変わりはない」

私たちは誰でも、同じ過ちを違った状況でありながら、繰り返して人生を複雑にしてしまうものなのだ、というメッセージがここに込められている。
資料が二つあった。同じ出来事を違う方向で書いていたから無理とは思ったけれども、両方とも入れ込んで纏めてしまった、というのではないでしょう。
人間というのは、同じような状況に置かれてしまった時に、同じような過ちをしてしまうものだ。
「全き者であれ」と言われたアブラハムは、ずっと初心者の頃と同じ過ちをしてしまう。

3)そう思いますと、改めてアブラハムにとって救いは、神さまの憐れみにすがる以外にない。

信仰によって神の救いをいただくのみ。
自分が全き者であるから、神の御前に救いを得たのではない。
「全き者であれ」と言われ、そして純粋に高いレベルの信仰生活を送っていたアブラハムであるにもかかわらず、
いとも簡単に転んでしまう彼が、神さまの御前に義とされるとしたならば、神の憐れみによる以外にない。
私たちにとりましては、イエス・キリストの十字架の贖いの恵みによる以外にない。
確かに私たちは成長している。確かにアブラハムも成長している。
しかしそれでも私たちは、姑息な手段で困難を切り抜けようとして、どこかで神さまに対する全き信頼を忘れてしまう。

ですから、ここでパウロの言葉が響いて来ます。
もう少しで終わりにしますので、ロマ書を開いていただきたいと思うのですが――
新約聖書のロマ書の4章、1節から3節までを交替に読んでいきたいと思います。

<ロマ書4:1〜3>
1それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。
2もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
3聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。

行いによって義と認められたのではない。
アブラハムはひたすら神を信じた。ひたすら神の憐れみにすがった。それが神の義となった――神さまの御前で救いを得ることができた。
神さまはアブラハムに仰いました。
「わたしの前を歩んで、全き者であれ」と(***創世記17:1)。
それ以来、アブラハムは自分の肉の一部を切り捨て、ベストを尽くし、神さまのみこころを探り、みこころを求め、それに従って生きることを務め、とうとうアブラハムは神の前に認められた、とは聖書は書いてない。
またしても彼は同じ過ちを犯し、周囲の者たちに大きな迷惑をかけ、神さまは一瞬「またか」と呆れるほど、アブラハムは自分にも失望し、しかし神さまは彼を助けてくださった。

先週祈祷会で、詩篇の130篇を読みました。
で今日の礼拝(交読)で、皆さんは詩篇の130篇を読んでくださいました。
実は私(藤本牧師)は、今日の礼拝の最後の讃美歌を、この教会福音讃美歌の200番を歌おうと思いまして、祈祷会でみんなで歌ってみたんですね。
それで、何しろ私(藤本牧師)が知らないものですから、まともに歌えませんでした。
それで、ちょっと200番を見ていただきたいと思いますが、「福200 深き悩みより」なんですが――
(***日本基督教団の讃美歌にも、讃美歌21にも載っています)

奏楽をしてくれた圭子(夫人)が、見事に弾いたんです、これを初めて。
見事に弾いたんですが、私(藤本牧師)は曲が全然わからなくて、(横溝)恭一兄は調が分からない、何調なのかわからない。
実はですね、これがプロテスタント教会の一番最初の会衆讃美なのです。
会衆讃美をコラールと言いますけれども、一番最初のコラール。
マルチン・ルターが宗教改革を始めて1517年――来年500年記念になりますけれども――そして彼が中世のグレゴリア聖歌から離れて、プロテスタント教会のために、ルター派の教会のために作詞作曲した一番最初の讃美歌です。
ですからどおりで歌いにくい。まだ中世のグレゴリア聖歌の感じが残っているんですね。
でもこの讃美の中には、今日学ぶべきメッセージがびっしり詰まっています。
ちょっと2節を見てください。

     2  世にある人々 力の限りに 
                主の道を求め いそしみ励めど
                神のみ恵みに ふさわしき者は 
                ただ一人もなし。
           3  おのれの業には 少しも頼らず、
                おのれの力に 救いを求めず、
                疑うことなく 神のみ言葉に 
                望みをおくのみ。
           4  朝を待ち望む 見張りにもまして 
                われはひたすらに 神を待ち望む。
                (***詩篇の130篇です、と説明)
                疑いの闇は いかに深くとも 
                み力 現れん。

「疑いの闇は」というのは、自分自身の愚かさはいかに深くとも、神のみ力は必ず現れると。

            5  われらの罪をも すべてつつみたもう 
                 主のいつくしみは 豊かにあふれて、
                 み民のそむきを(***私たちのそむきを、と説明) あがなう牧者の 
                 恵みはつきせじ。

私たちの罪を贖うイエス・キリストの恵みは尽きることがない、というルターの讃美歌がプロテスタントの歴史一番目、第一号の讃美歌であるということは、考えてみたら私たちはしかと受け留めなければいけないと思います。
(***ルターの神学そのものです)。

一番最後(5節)に「恵みはつきせじ」とありますよね。
これも詩篇の130篇なんですけれども、人生の難しい局面にあって、私たちは何度となく同じ過ちを犯しながら、神さまによって助けていただいているアブラハムなんです。
私たちがアブラハムなんです。またしても同じような姑息な手段で、周囲の人々に迷惑をかけてしまう私たち。
それが仕事の問題かもしれない。人間関係の問題かもしれない。愚かな自分の言葉で人を傷つけるというような出来事なのかもしれない。
でも自分の力の限りを尽くして歩んだら、私たちは神さまの御前に到底立つことができない。
少しは成長している――神さまの前で全き者となりたいという願いも、私たちは尊く胸の中にしまってある。
にもかかわらず、私たちはこれでもかと思うぐらい何度も転ぶ。
神さまの恵みにふさわしき者は、ただ一人もなし(2節)。
しかしおのれの力に救いを求めず、疑うことなく 神のみ言葉に望みをおくのみ(3節)。
私を贖ってくださった羊飼いイエスさまの憐れみは尽きない(5節)。
それによって、私たちは支えられている。
ああ、信仰生涯とはなんと感謝に溢れているものか。

という実感をアブラハムも感じ、ダビデも感じ、また私たちも感じているんだろうと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、アブラハムはその人生において、聖書に記されているだけで、全く神さまを信じていないような人々から、「あなたは何ということをしたのか」と2回言われています。

だとすれば、私たちは自分自身に対し、また周囲の者から、自分は何ということをしてしまったのだろうかと、何という愚かな言葉を発し、何という姑息な手段に手を染め、何と多くの人に迷惑をかけ、自分の情けない存在をいやという程味わったのか。これほど成長して来たにもかかわらず、自分はあまり変わってないと打ちひしがれます。

しかしルターが歌ったように、あなたの恵みは尽きない。そしてあなたのみ言葉に私たちはただただこの望みをおき、そしてあなたが私たちを見捨てず、私たちをキリストの義によって真っ白な衣を着せてくださり、神の御前に立たせてくださる、そのことに信頼を置いている私たちをどうか支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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