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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   6/25 やさしい出会い(19)出会いに寄り添う者  使徒9:1〜19
☆聖書箇所    使徒9:1〜19

1さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
2ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
3ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
4彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。
5彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
6立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
7同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
8サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
9彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
  10さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたので、「主よ。ここにおります」と答えた。
11すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
12彼は、アナニヤという者が入って来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
13しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
14彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
15しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
16彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
17そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
18するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
19食事をして元気づいた。
 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。

☆説教   やさしい出会い(19)出会いに寄り添う者

今朝はパウロの回心に手伝いましたアナニヤという人物を一緒に見ていただきたいと思います。使徒の働きの9章を読んでいただきました。
このアナニヤという人物は10節にありますように――

  10さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたので、「主よ。ここにおります」と答えた。
11すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。

このアナニヤに与えられた使命は、「サウロを助けよ」と。
このサウロという人物は先々週一緒に見ていただきました、教会を迫害しながら、イエス・キリストに出会った人物です。
教会を迫害し、イエス・キリストを迫害していた人物がイエス・キリストに出会ったというショッキングな出来事の中で、自らを見失ってしまった。
そこにアナニヤという人物が遣わされるんです。
で、少し状況を考えていただきたいと思います。

先週の午後、多くの方々が宗教改革の学びに残ってくださいまして、とてもよいお交わりをいただいたことをとても感謝しています。

今年は2017年、マルティン・ルターがカトリック教会を問いただすために立ち上がったのは1517年ですから、宗教改革500年。
一番これを祝っているのは、言うまでもなくドイツ、あるいはヨーロッパでございます。
宗教改革が始まりまして、ヨーロッパの宗教勢力は変わってしまいました。
特にドイツとスイスがカトリックから離れました。

その中で時代はほぼ同じ、スペインのイグナチオ・ロヨラ、そしてザビエルを中心にイエズス会というカトリックの修道会が生まれます。
後にこの修道会がカトリック教会の最大男子修道会になります。
そして初めて海外にキリスト教を宣教するために乗り出していく、というのがイエズス会です。
すでに大航海時代が始まっていまして、ポルトガルを中心とした交易商、日本もそうですね、鎖国時代でもポルトガルとの交易は続いていました。
でこの交易ルートに乗っかるように、スペインのイエズス会が世界に乗り出して行きます。
1541年にインドのゴア、1549年に日本に来ます。

そしてわずか25年で、日本というこの国が、ヨーロッパから出たカトリック教会の最大宣教地になります。
日本が一番大きな宣教地になります。
1582年には宣教師ヴァリニャーノは、彼に率いられた九州の三大キリシタン大名の名代として4人の少年がヨーロッパを訪問し、そしてローマで大歓迎を受けます。
カトリックのヴァリニャーノは、ヨーロッパから活版印刷機を日本に運んで来ます。
そして日本語に翻訳したキリスト教のパンフレットを印刷いたします。
そのうちの一つが「ひですの経」と呼ばれていました。
ひですというのは、ラテン語のフィーデス、信仰、キリスト教信仰のお経です。

20世紀の初めにドイツの書店の目録に載ったのが最後です。
その後、「ひですの経」を――日本語ですけれども――見た人は誰もいませんでした。
そこで長〜い間、これこそが幻のキリシタン文書と呼ばれていました。

これを実は――2008年でした?2009年でした?――そのあたりに、(OY姉)○ちゃんが、ハーバード大学の資料室で発見しました。
これは日本の歴史の発見で、50年、100年に一度か二度あるかないかの発見で、これを翻訳し一躍時の人となって慶応大学に引っ張られたという(次第です)。
ま、私たちの教会では、Aちゃんの方が有名ですし、Mちゃんの方が有名ですが(笑)、世間ではお母さんが有名だということですね。

この日本カトリック教会の最盛期であった、いわば16世紀後半ですね、切支丹人口は全体で60万、長崎を中心に40万と言われていますが、
ところが、1587年、豊臣秀吉のバテレン追放令が長崎のイエズス会責任者、コエリヨのもとに届きます。
それまで、長崎を中心に日本人がキリスト教に回心していたと言ってもいいと思いますけれども、
宣教師たちは平戸に集結いたしました。そしてこのバテレン追放令のもとで、公の活動を一切控えます。
(長崎の)教会堂は没収されました。

それから10年、1596年、さらに状況は難しくなります。
宣教会の活動が挑発的だと判断した秀吉は、京都奉行の石田三成――この人物がまた悪知恵が働いたんですが――この石田三成に命じて、京都に住む修道士たちとクリスチャンを縛って、処刑するように命じました。
24名が京都の堀川通りの一条戻り橋で、左の耳たぶを切り落とされ、市内を引き回され、やがて歩いて京都から長崎に向かうことになります。
途中2名が加えられて、合計26名、長崎の丘で皆十字架にかかります。
中には12歳の少年もいました。
これが、有名なキリスト教の歴史に残る「26聖人の殉教」であります。

当日、この丘に4千人の人々が見物に集まっていました。
その一人が皆さんだとします。
皆さんはかつて礼拝に行きました。聖書の話を聞きイエスさまについて行く決意をしていました。
しかし、それから時代がこれほどキリスト教に迫害の矢を向けて行くとは想像していませんでした。

26聖人の清らかな顔、同時にその残虐な処刑、それを楽しむ4千人の人々が記憶から離れないですね。
家に帰りました。その夜、寝つくことができません。
朦朧としていたら、夢を見ました。

その夢の場所はどうやら奉行所のようです。周囲に沢山お寺がある、恐らく京都の奉行所だろうなと。
その奉行所の奥で顔を覆ってうずくまっている人物がいました。それが石田三成です。
目を凝らしていると、天から声が聞こえて来ました。
「アナニヤよ。あの男のもとへ行け。わたしは、あの男を用いる」

びっくりして(飛び)起きました。寝汗をかいています。
今の夢はいったい何だったんだろうか?あの声はいったい誰だったんだろうか?
そうなると、解っていただけると思います。このアナニヤが見た幻というものが、どれほどアナニヤを仰天させるものであったのか?
あの人物のもとに行け、と言われているこのサウロという人物、9章の1節をご覧ください。こう書いてありますよね。

1さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
2ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば(クリスチャンであれば、と説明)男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。

皆さん、エルサレムとダマスコって、東京と名古屋ぐらい離れていますよ。いやもっとですかね。大阪以上に離れていますかね。
彼はキリストとクリスチャンを迫害する殺害の意に燃えていたんです。
そしてそれが男性でも女性でもいいから、見つけて来ては全部エルサレムに引っ張って来て処刑するんです。
もうエルサレム近辺には処刑する人物がいないんですよ。
ですから彼はクリスチャンがその数多いであろうという、わざわざ異国のダマスコに行って、「私はしょっ引いて来て処刑しますので、どうかその許可証をください」とわざわざ大祭司のところに行って、その手紙を書いてもらっているんです。
大祭司がサウロに、「おまえに手紙を渡すから、その許可証を持って引っ張って来い」と言ったんじゃない。
彼の方から大祭司に願い出て、「ありとあらゆるクリスチャンを世界中から引っ張って来ますので、処刑しましょう」(と言った程なのです。)
サウロの狂暴ぶりというのは、恐らく石田三成以上だったと思いますね。
徹底的にキリスト教とクリスチャンを弾圧するんです。

イエス・キリストはアナニヤに現れました。
そして「このサウロを助けよ。わたしはサウロを用いる」
「わたしは石田三成を用いる」と言ってるのと同じですね。

そんなこと、幻で、夢で見て信じられたのでしょうか?
そしてアナニヤは出かけて行くんでしょうか?
今度は自分が捕えられて殺されるかも知れない、という恐怖がアナニヤにあったに違いありません。

サウロはクリスチャン狩りの陣頭指揮を執っていました。
その彼が、ダマスコの途上でキリストに出会った。
突然光りに照らされ、声を聞きました。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか?とげのついた棒を蹴って、痛くはないのか?」と。
これを先々週一緒に見ていただきました。使徒の働きの26章でした。

サウロという人物は熱心に神に仕えるというつもりで、それが自分の人生のベストであると確信して、しかし実際は神さまのみこころを否定して、神さまに背を向けて歩んでいました。
イエス・キリストはそんな彼に出会い、やさしく労わるように仰った。
このみことばはもう一回見ていただきたいと思います。(使徒)26章ですね。
26章の14節に、イエスさまはサウロに声をかけられました。
ちょっと14節、一緒に読んでみたいと思います。

<使徒26:14>
14私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』

この何とも言えないやさしさ。
殺害の意に燃え――クリスチャンであるならば、男性も女性もということであれば、それは大人も子どももということでありましょう――みんな引っ張って来て殺害する、あなたのその生き方は、とげのついた棒を蹴るようなものだ。
最終的に痛い思いをしているのはあなただ。
そんなに怒りに燃え、そんなに欲に燃え、そんなに成功願望に燃え、周りを振り切って突っ走り、あなたのその人生は、痛くはないのか?空しくはないのか?という神さまの私たちに対する問いかけです。

それは衝撃的な体験でありました。劇的な出会いでありました。
私たちは必ずしも、サウロのような劇的な出会いをイエス・キリストとするのではないのかも知れません。
しかし主イエス・キリストと出会うなら、そこには、サウロと同じような劇的な意味合いを持っているということは同じです。
そしてその意味合いを私たちもまた明確に咀嚼できない、明確に消化できない、よくわからないという点では同じで、サウロがその家でうずくまっていたように、私たちもうずくまってしまう。
イエス・キリストとの出会いが自分の人生をどのように変えて行くんだろうか、私たちは解らずに。
イエスさまがパウロのために備えておられたのは、アナニヤという人物でありました。

皆さんが初めて教会にいらっしゃった時に、緊張の思いで初めていらっしゃった時に、二回目も行ってみようと思ったのはどうしてですか?
聖書の話がわかったからですか?それとも、教会で歌われる讃美歌に自分の心が惹かれる何かがあったからですか?
恐らくそうではないのではないかと私(藤本牧師は)思っています。
恐らく皆さんは教会の中で、この教会にもう一回行ってみようと思うような、アナニヤのような人物と出会った。

アナニヤのような人物に声をかけてもらった。
自分はひとりでこっそりと教会に行こうと思っていた。
でも誰かが自分に声をかけてくださり、誰かが自分のような者に誘ってくださり、そしてもう一度教会に行ってみようと思った。

自分の抱いていた信仰が、いったいどういう意味があるのかわからず、私たちは人生の壁に当たります。
でもそんな時に、イエスさまはアナニヤのような人物を私の隣りに送り、そして私が受けている試練、私が受けている困難に対して、イエスさまの声を聞くようになった。

ダマスコにいた弟子は――(使徒)9章(10節)に戻っていただいて――

  10さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。……

これしか書いてありません。ということは、彼は小さな人物であったでありましょうし、クリスチャンとして、信仰者として、詳しい素性は全く解りません。

さて、ここから3つのことを考えていただきたいと思いますが――

1)出来事全体を包んでいるのは、神さまのご計画です。イエスさまのご計画です。そしてそのご計画は驚きに満ちていました。

私たちはサウロ――後にパウロと呼ばれるようになりますが――このパウロがあまりにも偉大だと思いますが、
パウロは繰り返し繰り返し、使徒の働きでも三回、他の書簡では数回、
「自分はかつて教会を迫害していた者だ」と「自分は狂暴な人生を送っていた」ということを何度も証ししていますよね。
そんな自分が、イエス・キリストに突然ダマスコの途上で出会った、というこの自分の人生に起こった最大の驚きですよ。


アナニヤにしてみましたら、夢の中でその『サウロのもとに行きなさい』ということはさらに驚きです。
9章の13節と14節を見ていただきたいと思いますね。私(藤本牧師)が13節を読みますので、皆さんが14節を読んでみてください。

13しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
14彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」

「イエスさま、サウロという人物のことをあなた本当にご存じなんですよね?
長崎に住む切支丹も、<石田三成のもとに行け、京都奉行所の石田三成のもとに行け>と、言われているようなもので、とんでもありません。
あの26の聖人を耳たぶ切られた状態で、京都から引きずり回して来た<あの男のもとに行け>と言うのですか?
あの26の聖人、12歳の少年も含めて、長崎の丘で十字架にかけられて、死をも遂げた、その死を遂げさせた石田のもとにあなたは本当に私をお遣わしになるのですか?」
と、アナニヤは抵抗しました。

しかしイエスさまは、その抵抗を圧倒して15節で仰いますね。

15しかし、主はこう言われた。「行きなさい。……

「行きなさい」――圧倒的な主の権限です。「行け、わたしの計画だ」と。

行ってみますと、サウロは(主と出会った時の)ショックで、食事も摂れませんでした。寝ることもできません。
同じようにアナニヤも不安です。彼も寝られなかったのではないでしょうか?
彼も考え込んでしまったはずです。
「どうしてこんな人物に出会われたのですか?」
「どうしてこんな人物をあなたは救おうとされたのですか?」
「彼をこれからどうしようとするのですか?」と。
15節に――

15……「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

そうしたら、アナニヤでしたらですね、
「イエスさま、あなたの御国を宣教する人物は他にいくらでもいるじゃないですか。どうして選りに選って、これほど教会を迫害して来たサウロを選ばれるんですか?」と(言いたいところでしょう)。

神さまは不思議に私たちを選ばれますね。
どうして私がクリスチャンになったんだろうか?
どうして教会に来るようになって、どうしていつの間にか、私がイエスさまのことを伝えるような人物になったのだろうか?
私が伝えようとすると、周囲の者たちは却って妨げになる。
「イエスさま、あなたがキング牧師を選ばれたのはとっても自然なことです。
あなたがマザーテレサを選んだことは、誰にでも解ります。
でもどうして私をお選びになったのですか?私はろくな人生を歩んでいません」

いやいや、わたしはあなたを選んだ。
そしてパウロは、後に言いますよね。
「『どんな人でも恵みによって救われる』ということを証明するために、イエス・キリストはあえて私を選んだ。
私を見本にするために、キリストは私を選んだ」とサウロは告白しているじゃないですか。(***Tコリント15:3〜11)
それと同じように、キリストは私を選んだんですね。
とてつもない神さまのご計画です。

サウロが回心して、キリスト教の迫害をやめた、と言うのでありましたら、まだ理解できますね。
イエスさまが出会って、サウロに「手を止め、やめなさい。もういい加減にしなさい。棒を蹴るのはやめなさい」(と仰り、)そこで、サウロは教会を迫害するのを止めましたって言うのなら、まだ解りますよ。
そうではないんですよ。
(イエスさまは、)彼を『福音を運ぶ選びの器としている』(と仰るのです)。
そんなことを聞いたら、サウロ自身も(イエスさまのご計画に)仰天です。
そしてそのサウロのために、アナニヤに、
「さあ、行きなさい。わたしの計画はあなたの想像もつかないことだ」
(と主は圧倒的な権限で、アナニヤを行かせられたのです)。
そうしてイエスは、サウロと出会われたのです。

2)パウロ、サウロはショックのあまりに食事もとれない。
神さまのご計画に自分の行く手を阻まれて、どうしたらいいのかわからない。

ちょっとこれ、もう一回ごめんなさい。26章を、もう一回見ていただきたいんですね。行き来して申し訳ないですね。
使徒の働きの26章、この仰天して食事ものどを通らないパウロですが、
彼が後にアグリッパ王の前で、自分の回心の弁明をしているんですが、
18節からちょっと読みますね――

<使徒26:18〜20>
18それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』
(証しをこれで終えるんです、と説明)。
19こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
20ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように(とこれまでず〜っと、と説明)宣べ伝えて来たのです。

ひと言でいうと、「天からの啓示にそむきませんでした」
私の人生にストップをかけ、私の想像、アナニヤの想像をはるかに超えるような出来事が私に起こりましたが、起こりましたが(と繰り返す藤本牧師)、
それを通して教えられたことに、私はそむきませんでした。
あなたのご計画のままに、あなたのご計画に寄り添うように、私は人生の方向転換をしました、ということです。

多くの方々がイエス・キリストに出会っているに違いないと思います。
別に教会に来る人だけがイエス・キリストに出会っているわけではない。
時に映画を観て、時に小説を読んで、時に偉大なクリスチャンを見ながら、時に自分の人生に挫折を体験しながら、キリストに出会っています。
でもほとんどの人は、その神のご計画に添うように、方向転換はしないですね。
パウロは言いました。「私は天からの啓示にそむかず」

それはアナニヤにとっても同じでした。
「どうして、あんな男のところに私を行かせるのですか?
本当にあんな男があなたを信じたのですか?」
アナニヤは、自問自答を繰り返したに違いないです。
しかし、最後、彼は主に言われた通りにします。

サウロもアナニヤも、決して神のみこころに背きませんでしたね。
神さまのご計画に寄り添うという柔らかな表現を私(藤本牧師)は使いたいと思うんですけれども、
解らないことは沢山ある。沢山あるんです。
しかし、イエスさまを信頼して、「行け」と仰るイエスさまに信頼して、アナニヤはイエスさまと、サウロに最後に出会うように、サウロがいる家に足を向けます。

3)アナニヤは初対面の迫害者サウロにどのようにして近づいたのか?

これが何と言ってもすばらしいですね。初対面です。17節。9章の17節をこれはご一緒に読みたいと思います。

17そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」

18節に有名な――

18するとただちに、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになった。……

こういう風に続いて行きますね。
アナニヤがサウロに会うなり、非常に温かい言葉をかけます――「兄弟サウロ」。「兄弟サウロ」ですよ。
彼はこれまで何百人、何千人というクリスチャンを殺して来た。
それの何倍ものクリスチャンを縛り上げてエルサレムに連れて行ったんですよ。
その事実をよく知っているんです。
でも家に入って彼を見るなり、困り果てて、そして目の見えない状態で、食事もとれない、寝られないサウロに、彼は最初にひと言いいます――「兄弟サウロ」と。
迫害者の面影もない、今は不安におびえ、どうしていいかわからないでじっとうずくまっているサウロに近づいて、「兄弟サウロ」と。
三日間も目が見えず、食事も喉を通らない。
人生があまりにも大きく転換してしまったがゆえに、どうしていいかわからない。
キリストに出会ったということが自分の人生をこれからどういう風に変えて行くのかもわからない、そんな彼に「兄弟サウロ」と。

サウロも思ったでしょうね。この人はなんでこんなに自分に対して「兄弟」と言うんだろうか?
兄弟というのが、当時の習慣だったんだろうか?(笑)いえ、そんな習慣はないです(笑)。

アメリカに行きますと、よく黒人の方々は「兄弟」って言いますよね。
Brother なんですが、省略形で“Hey, Bro!”って言いますよ。
道ですれ違った途端に、“Hey,Bro!”と言われたら、怪しいと思った方がいい(大笑)ですね。
何か売りつけられるか、ね、あまり声かけないでくださいっていう方々が、そういう表現をしますが(大笑)……

アナニヤはサウロの上に手を置いて、「兄弟サウロ」――このやさしいアプローチによって、18節に「目からうろこ」です。
「目からうろこ」――それはもちろん現象的なことではありましたけれども、しかし、むしろ心情的な意味の方が強くて、彼の心を覆っていた様々な暗やみが、この言葉一つで落ちた。

パウロは9章の5節を見ていただきますと、地に倒れたその瞬間、
「主よ。あなたはどなたですか」と言う。
「私はいったい誰に出会ったんだろうか?」――これが彼の最大の疑問ですよ。
「とげのついた棒を蹴るのは痛くはないのか?」と言われ、
「私はいったいどういう存在に出会ってしまったのだろう?その日以来、私は目が見えない」

私(藤本牧師)はこの日、アナニヤはサウロに様々に説明したと思いますね。
恐らくアナニヤは、イエス・キリストの十字架と復活の話に集中したんだろうと思います。
「イエスが十字架にかかったのは、彼が罪深く、神のさばきが彼に降ったためではない。
十字架こそ、イエスの生涯の最大の汚点ではなく、イエスはあなたの罪を背負って十字架にかかられた」
この十字架が――ピリポがエチオピアの宦官の悩みを説き証したように(***イザヤ53章を)――イエス・キリストの十字架っていうのはわからない。
でもそれをアナニヤはパウロに説明した。
「彼こそは神のしもべである。
あなただけではない。人類すべての罪をイエス・キリストは荷い、十字架にかかる。
そしてこの十字架の赦しを最も必要としているのは、パウロよ、あなただ。
あなたが罪赦されて神の子どもとなるために、イエス・キリストはあなたに出会った。
あなたの人生は不安にとりつかれ、殺意にとりつかれ、成功にとりつかれ、そこら中の棒を蹴って歩いて、周囲の人々を吹き飛ばすような人生を送って来た。
しかしイエス・キリストはこれから後、あなたを変える。
あなたを神の子どもとし、私があなたを『兄弟サウロ』と呼んだように、
イエス・キリストは『兄弟パウロ』とあなたを呼ぶ。
十字架と復活の福音をあなたにゆだね、あなたはこれから異邦人の世界を回るようになる」

18節に「パウロは立ち上がった」と書いてありますが、これはアナニヤと共に立ち上がったということでしょうね。
覚えておきたいことは、私たち誰一人として、一人で立ち上がってイエス・キリストを信じるのではないです。
私たちが共に立ち上がって賛美を歌い、共に立ち上がって信仰告白をし、共に献金をし、共に祈る。
礼拝がたとえ少数であったとしても、共に立ち上がる。共に祈り合う。
時に私たちの人生に起こることはあまりにも驚きに満ちています。
私たちは驚き、おじ惑います。
しかし周りには、信仰と勇気をもって、想像もできない主のご計画に寄り添ってくださる兄弟姉妹が沢山いる。沢山いる。
私たちはサウロがアナニヤと共に立ち上がったように、互いを励まし、互いを慰め、互いに賛美し、互いに立ち上がる。
そういう聖日でありたいと思います。

☆お祈り――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、サウロがどんなに孤独であったのか?いきなり光に自分の行く手を阻まれ、自分の価値観・人生を粉々に叩き砕かれ、その日以来、イエス・キリストに出会ったということの意味も解らず、呆然と暮らしていた彼のもとに、
これまた事情もよくわからない、しかし十字架の意味と神の真実さをよく知っているアナニヤが現れ、彼を導いたことによって、サウロは勇気を得ました。

どうかそのように、私たちも時にサウロに、時にアナニヤのようになって、主の御前に共に立ち上がることができますように、私たちを用いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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