☆聖書箇所 マタイ5:43〜48
43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 45それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 46自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。 47また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。 48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
☆藤本牧師の説教 平和の祈り:あなたを迫害する者のために祈れ
日曜日、よく来てくださいました。日曜日の礼拝に私ができることがあるとすれば、せめて説教を短くする(笑)ということ位で、それでも爽やかな賛美を歌うことができ、ともに祈ることができることを心から感謝しています。
今朝はマタイの福音書の5章に、ちょっとメッセージを切り替えましたので、特別にその聖書の箇所だけ見ていただきたいと思います。5章の43節と44節です。 この44節を心に刻むためにお話をしますので、私(藤本牧師)が43節を読みますので、皆さんが44節を読んでいただいて、この聖書の言葉だけを心に刻む思いで聞いてください。 交読をいたします。
43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
解りますね。43節に『自分の隣人を愛し、(愛する者を愛し、と説明)、自分の敵を憎め』というのは、一般的なことだと。 もちろん旧約聖書(***レビ記19:18・ただし「敵を憎め」とは書いてないので、ユダヤ人が付け加えた)にそういう言葉があるわけですけれども、旧約聖書だけでなく、これは一般的なことです。私たちも普通はそうです。 でも44節に、「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と。
1931年に日本が満州を侵略しまして満州事変で、そこから戦争体制に入って行きます。日本、あるいは東アジアにとりまして、東南アジアにとりまして、この1931年の日本の満州侵略というのは、決して忘れ去るべき出来事ではないです。 ここから東アジアの戦争が始まって行ったといっても誤解はないと思います。 そして1945年の原爆投下、8月15日の敗戦をもって戦争は終わりました。 いまでも世界の各地で戦いはありますけれども、私たち日本人といたしましては、この1931年の始まり、そして1945年の終わりというのは大変身近なことであります。
1931年に日本が満州を侵略した時に、アメリカの教会で大きな神学的な議論が始まりました。 それは満州を侵略した日本に対して、すぐに軍事的なプレッシャーをかけるべきだ、いや、少し様子を見るべきだ、というこの二つの見解ですね。 最も大きく割れたのが、当時のアメリカでキリスト教を指導していた二人のニーバー兄弟。
兄のラインホールド・ニーバー(1892〜1971米自由主義神学者)はコロンビア大学・ユニオン神学校で教える。 弟のH・リチャード・ニ―バー(1894〜1962)は、イェール大学で教える。 この二人の神学というのは、アメリカのキリスト教会を引っ張りました。 この兄と弟が神学の雑誌で、アメリカの軍事介入をすべきか、すべきでないかを言って、論争を巻き起こします。 満州事変をアメリカは侵略戦争と捉えていました。
そういう中で、弟のリチャードの方は侵略戦争で、これが大きな戦争になる、だからこそ介入すべきでないという姿勢を取って、彼は「非行動(行動しないこと)の恵み」という論文を発表いたしました。 それはこれ以上の拡大と犠牲を恐れて、行動を起こすべきではない。 つまり打つ手がないという諦めのゆえに行動を起こさないというのではなく、 神さまが必ず事態に変化を起こしてくださる――その希望を持って、私たちは信仰による祈りを奉げて、忍耐をしよう。 「何もしないことの勇気」といいますか、何もしないというよりも、「行動を起こさなくても、神に期待する勇気をもって、事態に今は介入しないで、アメリカは祈るべきだ」ということを言いました。
それに反論して、ラインホールド・ニーバー、兄さんの方は、「いや、介入すべきだ。それが正義を主張する者の道徳的な責任だ」と。 私たちはいつも、この狭間に立たされるわけです。 道徳的に責任を持って行動するならば、そのような侵略戦争を私たちは阻止すべきだと。 兄のラインホールド・ニーバーの方は―― 「人間が人間である限り、悪の暴走を食い止める手段を常に考えなければいけない。そして、それに従って行動を起こさなければ、暴力は広がる一方だ」と。
この兄のラインホールド・ニーバーという人物は、恐らくアメリカが生み出した最大の神学者です。 特に彼が優れていたのは、人間の罪に対する深〜い洞察でありました。 彼は人間の罪を、私たちの罪深さを現実的に見据えて、神学をした人です。
その彼は、マーティン・ルーサー・キング牧師(アメリカ1929〜1968)の公民権運動に危機感さえ覚えていました。 もちろんラインホールド・ニーバーは、黒人に対する偏見をいち早くアメリカという国は払拭すべきだということを主張していました。
で、キング牧師が展開していたのは、「非暴力の抵抗」です。 「非暴力主義」――それを彼はインドのマハトマ・ガンディー(1869〜1948)から学びました。 人種差別に猛烈な抗議運動を展開いたします。 黒人を差別するような法律には従わない。 逮捕されることも辞さない、徹底してデモをもって抗議する。 絶対に暴力はふるわない。 ですから抗議活動をいたしますけれども、暴力はふるわない。 デモの中で、丸腰の黒人青年に警察犬をけしかけ襲わせている警官や、あるいは警棒で滅多打ちにする警官、高圧ホースで水をかける警官などの姿が映し出されて、 世論は次第にそれらの暴力に拒絶反応を示していきました。
やがてデモの勢いは、あのワシントンに20万人集まって、キング牧師の「私には夢がある」“I Have a Dream”というあの有名な説教に至ります。
同じ神学者として、ラインホールド・ニーバーは、黒人の大衆抗議運動に懸念を抱いていました。 それはいつなんどき、大衆の抗議運動というものは暴動に進展するか、わからないからです。 それが非暴力の抗議運動として広まったとしても、その輪が広がれば広がるほど、いつなんどき民衆運動が暴力に進展するかわからない、というのがラインホールド・ニーバーの考え方でありました。 たとえ非暴力を謳いながらも、いったん火がついてしまったら、民衆がどれほど大きな暴力を振るうかということを、彼は想像をしていました。
そしてこの公民権運動は、1965年に大きな試練に発展します。 あのワシントン大行進の後、キング牧師が牧会していたバーミンガムの教会が爆破されます。 なんと教会学校のクラスに座っていた4人の女の子のいのちが奪われます。 これが公民権運動において最も危機的な瞬間でありました。
キング牧師もこれで運動は終わったと思ったそうです。 ここまでされたら――自分の牧会している黒人の教会で爆破騒動が起こり、教会学校の子ども4人が犠牲になったとしたならば――もはや非暴力の抵抗など意味がない。 大衆は一気に暴力を振るうに違いないという風に、キング牧師も腹をくくりました。
ところが、キング牧師が驚いたことに非暴力の方が勝利します。 彼の言葉をちょっと読んでみますね。 「私は、3千人の黒人の男女青年たちが、爆破されたバーミンガム16番街のバプテスト教会から、祈りの集会に向かって行くのを、この目で見た。 彼らの前には、犬をけしかけ、消火栓のホースを手に持つ警官隊がずらりと並んでいた。 しかし、彼らはその場で恐れることなく跪き、動かなかった。」
キング牧師は雑誌のインタビューで、この時のことを振り返ってこう語っています。 「この時、私は平和の誇りと、平和の力を見た。」
平和の誇りと平和の力を見た――3千人の黒人の群衆は、なんとけしかけられる犬の前で、消火栓をかけられるその警官隊の前で、彼らは跪き、祈ったんです。 「この時、私は平和の誇りと、平和の力を見た。」
これは実は、先ほど言いました偉大な神学者、ラインホールド・ニーバーが予想してなかったことです。 ラインホールド・ニーバーが予想していたのは、大きな非暴力の民衆運動だったとしても、それに火が点いた時に、人間は必ず暴力に走る。 それはもう無秩序な暴力運動となって広がり始めて行くと、彼は予想していた。 それをこの黒人の公民権運動は、「祈り」によってその予想を裏切ったわけですね。 熱い主義主張のために、いのちを賭けて立ち上がっていた人々が、その憤りの頂点に達して、平和を放り投げて剣に対して剣を持って立ち向かおうとした、その瞬間、彼らの報復へのエネルギーを違う方向に持っていったのは「祈り」でした。
これは別に戦争だけのことではない。私たちの日常生活の中でもそうです。 私たちも不当な圧力を受けて、そして本当の意味で立ち上がり報復しなければ、この不当な力の勢いは止まらないと思う瞬間が、きっと人生の中で何度もあったに違いない その時、皆さんがそれに耐え、それを我慢するということはむしろ屈辱に感じたかもしれない。 自分はどうしてここで我慢しなければいけないんだろうか? 同じように剣を持って相手に向かうこともできたのにと思って、歯を食いしばりながらそれを我慢したこともあったでありましょう。 しかしその我慢が大切なんだということを、イエス・キリストは教えています。 そしてその我慢する力を与えるのは、「祈り」である。
私たちだって、もしこの教会が爆破され、そして教会学校の子どもたちが犠牲になったとしたならば、それは剣を持って立ち向かわなければ、私たちの正義に対する思いが、何とも言えず心の中で爆発しそうになりますね。
でも、マタイの福音書の5章の44節で、イエスさまは(仰いました)。 「しかし、(わたしは)あなたがたに言います」と、イエス・キリストが本来あるべき論理をひっくり返している場面ですね。 (本来あるべき論理は、43節で語られています――『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』)
「しかし、わたしはあなたがたに言います。 自分の隣人を愛したからと言って、あるいは自分の敵を憎んだからと言って、それは普通の人がしていることと同じです。 (***46〜47節では当時の社会でさげすまれていた取税人・異邦人でも同じことをすると言われるイエス) ――国を守ること、仲間を守ること、家族を守ること、それはもちろんクリスチャンの責任です。 そのためには、敵を撃退し、愛する者を守ることは人間として当然です。 ――だから(普通の)人は隣人を愛し、そして敵を憎むのです」
「しかし、わたしはあなたがたに言います」と、その論理をひっくり返すんですね、イエスさまは。 「わたしはあなたがたに言います。あなたがたは自分の敵を愛しなさい」(44節)。 「自分の敵を愛する」ということは非常に難しいです。 ですから、その言葉を言い換えて―― 「自分の敵のために祈りなさい。迫害する者のために祈りなさい」
で、私(藤本牧師)の話は、いつも言うあのエリック・リデルの所に行くわけですね(笑)。 エリック・リデルという人物は、本当の英雄ですね。 「炎のランナー」“Chariots of Fire”(1981年公開映画)の主人公ですが、 1924年のパリ・オリンピック大会で、彼は100メートル走の英国の代表でした。 その彼は、礼拝を重んじるために、日曜日に開催された100メートル競技への出場を断念して、そして彼は400メートルのリレーを走ります。 100メートルは、彼は走れば金メダルを取ったんですね。 しかし彼はそれを断念して、400メートルリレーのアンカーとして、最下位でバトンを受けて、そしてトップに躍り出て、金メダルをイギリスにもたらすんですね。
彼はスコットランド出身で、そしてあの有名なハドソン・テイラーの中国奥地伝道に、キャリアを捨てて宣教師となって生涯を捧げます。 大学時代からず〜っと陸上をやって来たその彼は、オリンピックで金メダルを取ったことを一つの区切りとして、そしてハドソン・テイラーの中国奥地伝道に身を捧げて生涯を終えます。
ハドソン・テイラーの中国奥地伝道というのは、独特でしたね。 それは都会には行かない。都会に行かずに奥地、奥地へと福音の届かない所に入って行く。 そして、非常に厳しい宣教師グループを作り上げていきました。 「現地の洋服を着なさい。現地の言葉を話しなさい」 ですから当時、イギリスからもアメリカからも様々な宣教師が出て行きますけれども、ハドソン・テイラーのこの宣教団体だけは独特でありまして、決してアメリカ人であってもイギリス人であっても、その国の文化は持ち込まない。 「福音だけを持ち込み、その地の人々として、あなたがたは生きて行きなさい」
戦後OMFとして名前を変えて、いま現在日本に100名以上の宣教師がいます。 日本だけでなく世界中にOMFは宣教師を送っていますが、OMFの規律は非常に厳しくて、まずは言語習得。 現地の言語をフルに使えて初めて、宣教師としての任命をいただくようになります。
エリック・リデルはなんと中国で日本軍に捕えられ、日本軍の強制収容所で1945年に43歳の若さで天に召されます。
収容所でエリック・リデルは聖書のクラスを開いていました。 みんなでこの聖書の箇所を学んでいた時に、一人の青年がリデル先生に質問をします。 「『あなたの敵を愛せよ』というのは、全く心に響いて来ない。 私たちはいま日本軍に捕えられて、この収容所で強制労働に就かされている。 そんな時に、『あなたの敵を愛せよ』というイエスさまの言葉が、どういう風に私たちの心に響いて来るのか、それは先生、全然理解できません」
その時、リデル先生はこう仰いました。 「私もそう思う所だった。でも次に続く言葉に気がついた。 『あなたを迫害する者のために祈れ』と書いてある。 私たちは自分を愛する家族のためには、何時間も費やして祈るけれども、 イエスさまは『愛せない者のために祈れ』と仰った。 だから君も日本のために祈りなさい。日本のために祈りなさい。 祈る時に、君は考え方が変わる。祈る時に、神中心の人間になれる。 祈る前は、私たちは自分中心の人間だ。でも祈りは君の姿勢を変える。 祈る時に、神が愛する人を憎むことは、もはやできなくなる。 きっと私たちは、祈るならば、自分の敵をも愛することができるようになる」
こう仰ったエリック・リデルは収容所で亡くなりました。 でもそう教わった青年は、やがてOMFの宣教師として、1953年に来日して、なんと38年間日本のために伝道をいたします(※スティーブン・メティカフ先生)。
「祈る時に、君は神中心の人間になる。……祈りは君の姿勢を変える」ということは、私たちクリスチャンにとっては、とっても大切ですね。 私たちも正義を果たしたいと思って、剣に対して剣を持って向かおうとします。 私たちも言われたことは言い返す、という姿勢をもって、強さを鍛えているかのように思いますが、 実は「我慢する強さ」そして「人の悪意さえも受け留める強さ」は、もしかしたら言い返す強さよりもはるかに強いのかもしれません。
暴動への思いを、平和への思いに変えた公民権運動は最終的に勝利します。 憤りの拳(こぶし)を平和への祈りに変える。 怒りに満ちたこの私たちの心を、私たちは祈りをもって(イエスさまに)愛の心に変えていただく。 世界は憤りで満ちています――それは私たちが実は、日々私たちの周辺で体験していることです。 家族の中でさえ、時に憤りに満ちています。 時に教会の中でさえ、私たちはいがみ合いの心で満たされて行きます。祈らないからです。 「祈りは、私たちを神中心の人間に変えるんだ」ということを思いながら、イエスさまの 「あなたを迫害する者のために、あなたは祈らなければいけない」と(仰った言葉の通りに)思えるクリスチャンになりたい、そういう信仰者になりたいと心から信じています。
☆お祈り――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、戦争のことをひしと感じる季節になりました。もちろん他の国では、日本の侵略戦争に遭ったことのゆえに、他の月に平和を覚えていることでありましょう。いま現在も、あのイスラム国シリアの難民の姿を見ますと、戦争がすぐそばにあることを感じますし、テロが至る所で勃発している中、私たちも暴力に対して暴力をもって制止する以外に道がないかのように思います。でもそう思った瞬間に、私たちは「祈り」を忘れている人間になっていることに気がつかせてください。
「平和を祈る」ということは、「神中心の人間になる」それはすなわち「あなたを迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)。どうか私たちも日常生活の中で、自分に対して牙をむいて来る者のために祈ることができるように、私たちを強い信仰者としてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
|
|
175.133.12.55 - Mozilla/5.0 (Windows NT 6.3; Win64; x64; Trident/7.0; MALNJS; rv:11.0) like Gecko
|