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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/20 エリヤ(4)この世にあって生き抜く信仰者  T列王記18:1〜15
☆聖書箇所    T列王記18:1〜15

1それから、かなりたって、三年目に、次のような【主】のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」
2そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。
3アハブは王宮をつかさどるオバデヤを呼び寄せた。――オバデヤは非常に【主】を恐れていた。
4イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、五十人ずつほら穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養った――
5アハブはオバデヤに言った。「国のうちのすべての水の泉や、すべての川に行ってみよ。たぶん、馬と騾馬とを生かしておく草を見つけて、家畜を殺さないで済むかもしれない。」
6ふたりはこの国を二分して巡り歩くことにし、アハブはひとりで一つの道を行き、オバデヤはひとりでほかの道を行った。
 7オバデヤがその道にいたところ、そこへ、エリヤが彼に会いに来た。彼にはそれがエリヤだとわかったので、ひれ伏して言った。「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」
8エリヤは彼に答えた。「そうだ。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」
9すると、オバデヤが言った。「私がどんな罪を犯したというので、あなたはこのしもべをアハブの手に渡し、私を殺そうとされるのですか。
10あなたの神、【主】は生きておられます。私の主人があなたを捜すために、人をやらなかった民や王国は一つもありません。彼らがあなたはいないと言うと、主人はその王国や民に、あなたが見つからないという誓いをさせるのです。
11今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。
12私があなたから離れて行っている間に、【主】の霊はあなたを私の知らない所に連れて行くでしょう。私はアハブに知らせに行きますが、彼があなたを見つけることができないなら、彼は私を殺すでしょう。しもべは子どものころから【主】を恐れています。
13あなたさまには、イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、私のしたことが知らされていないのですか。私は【主】の預言者百人を五十人ずつほら穴に隠し、パンと水で彼らを養いました。
14今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。彼は私を殺すでしょう。」
15するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の【主】は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」

☆説教   エリヤ(4)この世を生き抜く信仰者

列王記第一からエリヤの物語を学んでいます。今日は第4回目になります。
18章の1節にこのように始まりますね。

1それから、かなりたって、三年目に、次のような【主】のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」

三年前、エリヤは「ここ2〜3年間は、露も雨も降らないであろう」(***同17:1)と宣言し、そして風のように姿を消してしまいました。
そしてその三年間、彼は烏に養われるような出来事を通して、《どんな方法をもっても、神さまは自分を支えてくださる》いう信仰を培い、その後ケリテ川の水が枯れますと、
ツァレファテのやもめのもとに身を寄せ、自分の信仰をツァレファテのやもめに教え、
《神を第一とするとき、神もまだ私たちを第一としてくださる》ということを教えました。

そして先週学びました、息子を病気で亡くして《神を見失いかけているやもめの、この問題を受け取り、抱えて、その上に伏して祈る》エリヤの姿。
私たちもまたエリヤのように、祈り、祈られるということを先週学びました。

さて、このエリヤに、一番最初に登場してから三年後、神が声をもう一度かけます。
今度は「アハブに会いに行け」と。アハブというのは北のイスラエルの王であります。
預言者はようやく腰を上げました。
という、この出来事の中から、非常に私たちに身近な問題として、3つ学んでみたいと思います。
第一番目に、ここに描かれているのは――

1)エリヤの知らなかった非常に難しい世界です。そしてそこに生きて来た信仰者オバデヤであります。

私(藤本牧師)は、大学を卒業しまして神学校に行き、そして大学院に行き、そのまま教会の牧師になりました。
私が知っている世にあるキリスト者の難しさというのは、バイト時代の、その程度の出来事であります。
この世界にあって皆さんは様々な形で、近所づきあい?あるいは地域の出来事?そして会社の様々なやりくり?社会人としてのお立場?この世界のしがらみ?――実は私(藤本牧師)はそういうものを持っていません。
友だちはほとんど牧師でありますし(笑)、そういう牧師のような立場と、この世界の真っ只中に生きていながら、自分の信仰を貫きたくても貫けない世界に生きている人々の苦悩というものは、角度が違うわけですね。

エリヤはオバデヤがどれほど苦労をしていたのかということは、全く知りませんでした。
そして、ここで初めてその事情を知る、というその事情を一緒に見ていただきたいと思うんですが――

エリヤが姿を消している間、イスラエルの情勢はもうイゼベルの欲しいままでありました。
預言者たちは次から次へと抹殺され、王宮は偶像信仰の巣と化していました。
ちょっと19節を見ていただきます?ページを捲って、19節にこうありますね。

<T列王記18:19>
19さあ、今、人をやって、カルメル山の私のところに、全イスラエルと、イゼベルの食卓につく四百五十人のバアルの預言者と、四百人のアシェラの預言者とを集めなさい。」

ということは合計850名。この850名が王妃イゼベルの食卓についていたということは、王宮は偶像崇拝の匂いをぷんぷんさせて、不道徳をまき散らす預言者たちのサロンになっていたということがよくわかります。

その中で、このサマリヤの王宮で、神を恐れるオバデヤが生き延びていたということは先ず奇跡ですよね。
ちょっと18章の4節に戻っていただきたいと思いますが、4節に――

4イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、五十人ずつほら穴のなかにかくまい、パンと水で彼らを養った――

というのは、驚くべきことです。
なぜかと言いますと、オバデヤは王宮の政務長官に抜擢されるほど、アハブの信用を得て、アハブとイゼベルのひざ元にいたからです。
遠く離れていた誰かが、神の預言者をかくまうというのはわかりますけれども、王宮のすぐそばにいた彼が百人、ほら穴に五十人ずつ分けて養っていたというのは、まさに神さまの奇跡としか言いようがないでしょう。

サマリヤの飢饉がますます深刻化する中、アハブとオバデヤは二手に分かれます。5節、私(藤本牧師)が5節を読みますので、皆さん6節をちょっと読んでください。

5アハブはオバデヤに言った。「国のうちのすべての水の泉や、すべての川に行ってみよ。たぶん、馬と騾馬とを生かしておく草を見つけて、家畜を殺さないで済むかもしれない。」
6ふたりはこの国を二分して巡り歩くことにし、アハブはひとりで一つの道を行き、オバデヤはひとりでほかの道を行った。

今さら国民を養う食料を探しに行ったのではないです。
せめて王宮の家畜のえさ、水を手に入れることができるように、ま、探しに行ってみよう。
王さまが「私はこっちを行くから、おまえはそっちへ行け」と言う、
このオバデヤがどれほど王の信用を得ていたか、どれほどこの偶像の巣となっていた王宮で、オバデヤが熱心に仕えていたか、オバデヤはアハブの腹心の部下として活躍していました。

これはもう明らかですね。つまり、神のみこころを真実に生き、聖書の教えに従っている人は、この世にあって活躍できないとは聖書は教えてないです。
ダニエルは異教の王、4人のもとに仕えました。(***ダニエル書:次々に要職に抜擢され、異教世界で、信仰の敵や試練の中をたくましく生き、活躍しました)。
ヨセフはエジプトの宰相となることができました(***創世記37章以降)。
いずれも信仰ゆえに追い詰められるような場面は何度かありましたけれども、不思議に神の手によって守られて、生き延びるのみならず、この世界にあって活躍していきます。
それでいて、自分の信仰を否定はしていないですね。

旧共産圏、東ドイツにヨハンネス・ハメルという牧師がいました。
彼の書物は日本語にも訳されていますが、それは『東ドイツにおけるキリスト教』(***アソシエーション社)です。
いま東西ドイツは統一されましたので、東も西も共にこの宗教改革500年を同じように祝っていますが、共産圏の東ドイツに於いて、キリスト教というのは迫害の対象でありました。
そこをこのハメルという牧師は生き抜いていきます。オバデヤのように。あるいはヨセフのように、ダニエルのように、矛盾の世界を生き抜いていきます。
で、クリスチャンは東ドイツの共産主義体制、神の存在を否定する共産主義体制、それから個人の自由、信仰の自由を認めない世界にあって、時に体制批判をすべきなのか?
つまり聖書のみことば通りに生きるべきなのか?
それとも表面的にはごまかして、その体制と不正を受け入れるふりをすべきなのか?
ということをハメル牧師は悩んで悩んで、この『東ドイツにおけるキリスト教』という書物を記しています。

これはきっと日本の社会に生きるクリスチャンにとっても、私たちはきっと同じような課題を突きつけられ続けて来たと思いますが、ちょっとハメル牧師の言葉を読んでいきますね。
すごく含蓄のある言葉ですので、よく聞いていただきたいと思うんです。

――ハメル牧師の言葉を読みながら説明を加える藤本牧師――

「福音の働きに私たちが身をゆだねて行く時、思いがけない所で扉が開かれ、この世の生活の難関を切り抜けることができるようになる。」

おおよそ切り抜けられないという程、社会の矛盾と自分の信仰の良心的な対立があるわけですけれども、しかし福音の働きの力強さに身をゆだねていく時に、思いがけない所で、神さまは扉を開いて、この世の難関を切り抜けさせてくださる。彼はこう書きます――

「確かに多くの場合、この扉は最後の瞬間になるまで見えて来ない。扉のない壁に向かって、壁にぶつかる直前まで走って行く信仰を、信仰者は持たなければならない。」

つまり最初から妥協路線を行くと決めないで、神はどこかで扉を開いてくださると信じて、壁にぶつかる直前まで走って行く信仰を、人は持たなければならない。
そのように走る人を神は必ず報いてくださるという希望を、そして首の骨が折れないようにしてくださるという希望を持たなければならない。

「もうこれで終わりだ、と思った瞬間は何回もあった。……すると最後の瞬間に神が介入してくださったのだ。
そして我々が考えていたのとは、全く違う道に導くために、神はほんの小指を一本動かすだけで足りるのだということを、我々に明らかにしてくださった。」

神は私たちの信仰とこの世界の問題が矛盾でぶつかり合っているその瞬間、ぼ〜っと見ているわけではない。
私たちの苦悩を知っておられ、そして時には、ヤコブのように殉教する場合もあるのかもしれません。
しかし私たちは、どこまでも「神は必ず扉を備えていてくださる」という信仰をもって、壁にぶつかる直前まで走って行く信仰を、ハメル牧師もオバデヤも味わった。
もうこれで終わりだ、もうだめだと思うようなことが何度もあった。
しかし扉のない壁に、不思議に神さまは、最後の瞬間に扉を用意してくださる。
という希望を失ってしまったら、この世にあって、キリストの光とはなれない。なれないですね。

ハメル牧師の信仰もオバデヤの生き方も、この世と妥協する信仰ではありませんでした。
この矛盾する世界の中を必ず生き抜けると、神は必ず突破口を用意してくださるということを信じて、できる最善を為していった――それがエリヤの知らない世界でした。

エリヤはケリテ川で烏(カラス)に養われ、そしてツァレファテのやもめに養われ、それで自分の信仰を培って来ました。
でもエリヤの全く知らない所で、実はもっと苦労をしながら、いのちの危険を感じながら、同じように神の信仰を保っていたオバデヤという人物がいたということです。

2)オバデヤの勇気が試されている瞬間があります。

6節をちょっと見ていただきたいと思いますが――

6ふたりはこの国を二分して巡り歩くことにし、アハブはひとりで一つの道を行き、オバデヤはひとりでほかの道を行った。

とありますね。
エリヤは「アハブに会いに行け」と神さまに言われたんです。
だったら、直接にアハブの所に行けばいいんです。直接にアハブの所に行けば一対一の対面が可能だったわけです。

でも彼はわざわざアハブの所に直接に行かずに、アハブの腹心の部下で、なおかつ神を恐れるオバデヤにまず姿を現すんですね。
どういう意味があったんだろうか?
恐らくエリヤはアハブと会う前に、先ず自分の信仰を理解している仲間のオバデヤに会いたかったんではないかと思いますね。

既にエリヤの胸の内はカルメル山で、バアルの預言者と決闘しなければいけないというシナリオは出来上がっていたと思います。
しかしその前に、神を心から恐れ、主の預言者を百人匿う程の力のあるオバデヤと会って、彼を味方につけておきたかった。
私(藤本牧師)はそういう思いがエリヤにあったと思うんですね。

で、ここに非常に面白い二人のやり取りが出て来ます。7節――

 7オバデヤがその道にいたところ、そこへ、エリヤが彼に会いに来た。彼にはそれがエリヤだとわかったので、ひれ伏して言った。「あなたは私の主人エリヤではありませんか。」

ちょっと皆さんで、8節読んでいただけます?

8エリヤは彼に答えた。「そうだ。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」

これは言葉遊びみたいな感じですね。
7節の最後に、オバデヤはエリヤに言います。「あなたは、私の主人エリヤではありませんか?」と言った時に、8節に「そうだ」と言いますよね。
でも次の瞬間、「オバデヤよ、行ってエリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい」
「あなたの主人は、本当はアハブとイゼベルだろう?」と言っているんですよね。
「本当にあなたが神を心から恐れ、そしてその信仰を貫きたいなら、あなたの主人アハブとイゼベルに背を向けて、私を主人として一緒に神に仕えよう」ということを彼は言っているんです。
「あなたの主人はどっちなのだ?あなたは私のことを、エリヤ先生、私の主人と言うけれども、でも現実はあなたの主人はアハブではないか?」と。
いやこれからは――対決が始まるわけですけれども――あなたはいったいどちらにつくのかな?と。
これは一つの挑戦として、私(藤本牧師)は解釈できると思うんです。

「オバデヤよ。あなたは私を主人と呼ぶが、あなたの主人は、本当はアハブではないのか?どちらなんだ?
わたしの側につかないのか?そして、堂々と神の預言者として、アハブへの挑戦状を私に代わって届けてくれるか?」と。

この時のオバデヤの反応を、ちょっと9節から見てください。(***続けて14節まで)。
オバデヤは断り(渋り)ます。

9すると、オバデヤが言った。「私がどんな罪を犯したというので、あなたはこのしもべをアハブの手に渡し、私を殺そうとされるのですか。
10あなたの神、【主】は生きておられます。わたしの主人があなたを捜すために、人をやらなかった民や王国は一つもありません。彼らがあなたはいないと言うと、主人はその王国や民に、あなたが見つからないという誓いをさせるのです。
11今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。
12私があなたから離れて行っている間に、【主】の霊はあなたを私の知らない所に連れて行くでしょう。私はアハブに知らせに行きますが、彼があなたを見つけることができないなら、彼は私を殺すでしょう。しもべは(私は、と言い替えて)子どものころから【主】を恐れています。
13あなたさまには、イゼベルが【主】の預言者たちを殺したとき、私のしたことが知らされていないのですか。私は【主】の預言者百人を五十人ずつほら穴に隠し、パンと水で彼らを養いました。
14今、あなたは『行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え』と言われます。彼は私を殺すでしょう。」

もう絶対に殺される、という恐怖に立つんですね。15節に――

15すると、エリヤは言った。「私が仕えている万軍の【主】は生きておられます。必ず私は、きょう、彼の前に出ましょう。」

というのはどういうことかと言うと――
「オバデヤ、安心しろ。私は逃げも隠れもしない。絶対ここにいる。だから、私からの挑戦状をアハブに持って行ってくれないか?」
で、オバデヤはそれができませんでした。

できなかったということを、私たちは責めることはできないですね。
私たちが、ね、オバデヤであって、そしてイゼベルが主の預言者たちを次々と抹殺したのを、このオバデヤは目の当たりに見て来たのです。
その叫び、その恐怖、それを見て来たオバデヤは、今この時点で、アハブに背を向けるということがどれほど恐ろしいことになるのか、ということはわかっていました。
これは彼の人生の最大の岐路であった。
オバデヤは神の側に、エリヤの側に走り込むということはできませんでした。

でも私たちは、オバデヤの信仰にがっかりする以上に、エリヤもそうだったと思いますが、
彼が神の預言者百人を匿った、匿うことができたということに彼のすごさはあるんですよ。最後の最後でエリヤにつくことはできなかった。
でも自分にできるベストを尽くして、預言者百人を匿っていのちを張って来た、ということを神さまは見過ごしになさるはずはないですね。
エリヤもオバデヤもまた、扉のない壁に神さまが扉を設けてくださるその寸前まで、ぶつかる寸前まで、自分の信仰を守り通そうと思って走った人物である、と私たちは考えるべきであろうと私(藤本牧師)は思います。

3)その上で、エリヤのすごさに近づきたいと思います。

エリヤの信仰はぶれることはありませんでした。
(T列王18章)16節、17節、18節をちょっと交読したいと思います。18節は一緒に読みましょう。

<T列王記18:16〜18>
  16そこで、オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。
17アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」
18エリヤは言った。「私はイスラエルを煩わしません。あなたとあなたの父の家こそそうです。現にあなたがたは【主】の命令を捨て、あなたはバアルのあとについています。

エリヤの信仰は「私の仕える神、【主】は生きておられる」でした。(同17:1)
アハブとイゼベルが支配する偶像に満ちた世にあって、彼は、神は必ず壁の突破口を用意してくださると信じて、壁にぶつかる直前まで全速力で走った人物であります。

エリヤはバアルの預言者と対決する前に、彼らに信仰の決心を迫る一大説教をします。
後にその説教を見ますけれども、イスラエルの人々をみな集めて彼らに、
「あなたがたは今日、まことの神に仕えるのか、もの言わぬいのち無き偶像に仕えるのか、どちらか決めなさい」
でも、そうエリヤが説教したところで、人々は決めることはありませんでした。
その中に、実はオバデヤもいたんでしょう。
あるいは後に出て来ます、「バアルにひざをかがめない七千人」(***同19:18)というのがイスラエルにいたと神さまは仰いますけれども、その七千人も何もしませんでした。
オバデヤも真実に神を信じる七千人も、エリヤが
「今ここで、まことの神に仕えるか、偶像に仕えるのか、あなたがたの生き方を決めなさい」
と迫った時に、七千人、オバデヤは沈黙を守ったままでありました。

でも、私たちは容易に想像することができますよね。それは、彼らは必死にエリヤのために祈っていたということです。
エリヤのように雄々しくなくとも、勇敢に信仰を貫くエリヤのために、必死に彼らは祈っていたんですね。

戦争のような、教会が弾圧する場面になりますと、教会全員が国のターゲットになります。
70数年前の日本はそうでありました。
先ず牧師が憲兵に連れて行かれます。そして尋問されて、教会は解散をさせられます。
解散された皆さんは陰で何をされるのか?陰で必ず祈られるでしょう。

蔦田二雄先生は二年半、東京拘置所に収監されました。
終戦と同時に出て来られて、インマヌエル綜合伝道団というこの群れを、蔦田先生は始めて今に至る訳ですね。
東京拘置所の中で記されていた日記があります。その日記の一文に――

ある日の夕方、掘の外から「いつくしみ深き友なるイエスよ」のトランペットが聞こえて来た。
それは、その先生の教会員だったわけですけれども、きっとこの讃美歌の音色が先生の耳に届くだろうと信じて、彼は夕方に賛美歌を吹いたんですね。
そしてその彼は、先生が東京拘置所を出て来られた時に、先生を一番最初に出迎えました。
その彼が、この教会の創設者、勝間田忠先生です。

私たちは誰もが同じ境遇でこの世の矛盾と闘っているわけではない。
でも時に、ある方が「今、仕事が大変難しい局面にある」という風に聞かされたら、私たちは一緒に職場に行って、上司に談判して会社を動かすわけにはいかないですね。
でも私たちはオバデヤのように、あるいはバアルに膝をかがめなかった七千人のように、静かに祈りながら、エリヤを支える。皆さんを支えることができる。

ですから、この世の荒波の中で戦っておられるお一人お一人、もしそういう場面に来ましたら、ぜひ祈ってもらうように、私の方に、あるいはM兄の方に仰っていただければ、私たちは心を尽くして祈ります。
そして、それが非常にプライベートなことであれば、別に外に漏らしたりしません。礼拝でいきなり申し上げたりしません。
でも心を尽くして支える。
その信仰が最後の最後まで貫かれ、神さまがもうここでダメかと思う瞬間、その小さな小指を動かしてくださり、想像もしなかった扉を開けて逃げ道を作ってくださることを心から信じて、私たちは祈る者でありたいと思います。

☆お祈り――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、心から感謝いたします。聖書の中に、このような矛盾した世界の中にあって、信仰を貫いた人物が沢山登場するのみならず、歴史の中で、また私たちの教会の中で、そのような方々がいらっしゃることを感謝いたします。

いや事実、私たちもそうでした。信仰を取るか、世を取るのか、そのように迫られた場面も何度かあったに違いありません。その度ごとに、私たちはあなたを第一としてまいりました。時に、大胆にエリヤの側につくことができなかったかも知れません。

でも陰ながら一生懸命祈り、陰ながら預言者百人を匿ったオバデヤのなんとすばらしいことか!私たちはその置かれた立場で、それぞれが神の小指が動くことを待ちながら、祈る者であらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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