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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   7/31 ヨセフ(14)神が私をあなたがたより先に 創世記45:1〜7
☆聖書箇所  創世記45:1〜7
1ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆を私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
2ヨセフは声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。
3ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。
4ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私は、あなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
5私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
6というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、またあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。

☆説教  ヨセフ(14)神が私をあなたがたより先に

今日はヨセフ物語の恐らく一番大切な所に入ろうとしています。で私は全部一気に行かないで、ここをちょっと分けてみました。
今日は(創世記45章)7節まで読んでいただきましたが、ヨセフがこう言うんですね。
【画面:創世記45章7節「神が私を〜なったのは」「大いなる救い〜生き延びさせるためだった」にオレンジの傍線。「残りの者」に同色の囲み。8節「私をここに遣わしたのは」「神なのです」に同色の傍線】

<創世記45:7〜8>
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
8ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。・・・

と言って、「神が私をあなたがたより先にエジプトに遣わしてくださった」と自分の人生をこう解釈した、捉えた――この話から始めていきたいと思います。
3つのポイントでお話をいたします。

1)私たちは、自分の人生を物語として把握している。

私は聖書の様々な物語から話をするのが大好きです。それが一番聖書にふさわしい読み方だと思っています。
勿論物語という時に、「昔あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」という意味の物語ではないです。
パウロが書簡を書く時には、その書簡には背景があり、読み手があり、そして記した手紙は一つの物語になっています。
預言書であっても、同じように一つの物語、詩篇であったとしても、その詩篇に込められている祈り・願いはその人物の物語となっています。
私たち人間というのは、自分の人生を物語として把握しています。
単純なことですけれども、ちょっとあるたとえを使ってお話ししたいと思います。

「語り部」という働きがありますよね。例えば戦争や被災地の出来事、それを体験した人物から伝え聞くということです。
その人は全部を体験しているわけではない。その悲惨な出来事の一部を自分なりに体験して、そして全部を話すんですけれども、
その自分なりの体験の味わいが、全体に非常に生き生きとした響きを持たせるわけですね。
物語は脚本ではありません。決して何かが脚色されているわけでもありません。
でも独特な味わいをもって、何が起こったかを語ろうとするのが「語り部」なのだろうと思います。

3.11の時に、私(藤本牧師)の妻の圭子はA(長女)を訪ねてロサンジェルスにいました。あちらでテレビをつけると津波と原発のニュースが、ず〜っと24時間延々と流れていたそうです。
私たちが体験したこともない津波であった、被災であった。それをアメリカにいて体験できなかった、という負い目を感じて、圭子はそれから毎年、3.11の被災地ツアーに参加しています。
ある時、こんなことがあったと、帰ってから話してくれました。
一人の男性が「語り部」になって、バスツアーを率いてくれるわけですよね。
様々な被災ポイントを案内して、説明してくださった。
非常に明るくて元気な男性だった。

ある場所で一人の男性が、「初めて話すことだけれども」と言って、皆さんを前にしてバスの中でこんな話をしてくれたと言うんですね。
真っ黒な津波が襲って来た時に、自分と奥さんは階段を駆け上って、そこから逃げて行く最中であったと。
そして振り返ると、奥さんの少し下におばあさんがいまして、奥さんはおばあさんを引き上げようとして、一生懸命その手を引いていた。
ご主人は階段数段上で、そして下に奥さんが、その下におばあさんが。
奥さんはおばあさんの所まで降りて行って、一生懸命引き上げるんですけれども、
おばあさんの行動は遅いですし、それから津波はすぐそこまで来ている。
その時、男性は階段の上から叫んだそうです、奥さんに「手を放しなさい」と。
「手を放さなければおまえも呑み込まれてしまう。」
次の瞬間、奥さんとおばあさんは津波に呑まれて見えなくなってしまったそうです。
それは一瞬の出来事であった。
その一瞬の出来事の中で、最後、自分と奥さんと目と目が合った、その目の表情がいまだに忘れられないと。

3.11の被災の体験というのは、ものすごく大きなものですよね。
でもその人物にとりまして、自分の奥さんに最後掛けた言葉と、答えは返って来なかったけれども、
おばあさんが手を放さずに、そして津波に呑まれて行った、その目が合ったという出来事から、
すべてその自分の人生、そして津波の出来事というものを旦那さんは捉えていらっしゃるわけでしょう。
帰って来て、そのことを話してくれた圭子(夫人)に私は、思わず言いました。
《今回の被災地訪問は、この「語り部」の内に秘めた悲しみと苦悩の出来事を聞いてあげるために、みんなツアーに参加したようなものだね。行ってよかったね》と。

色んなことを語って来たけれども、語ることができなかったこと。
しかしもしその出来事を語ったとしたならば、出来事すべて、そしてなぜ自分がいまだに「語り部」として働きをしているのか、ということの理由づけになる程、秘められた大きな出来事だったわけですよね。

一つの惨事でも、一人一人体験の仕方は違うでしょう。
そして私たちの人生、30年、40年、80年生きていれば、無数の出来事があります。人それぞれ固有な物語が生まれて行きます。それが人生です。
最初はただバラバラな出来事で、何の関わりもなかったかもしれません。
でも誰もが、自分の人生をやがて一つの物語として捉えて、この世を去って行きます。

よく考えてみますと、その人固有の物語でありながら、共感できることが沢山出て来ます。
それゆえに、聖書に出て来るアブラハム物語、今回のヨセフ物語、パウロの物語、すべて私たちはヨセフになり、アブラハムになり、パウロになることができるほど、
通って来た体験が、或いは内に持てる感情がどこかで共通していくんですよね。

物語は説明文章ではないです。
私たちは何かを「軸」として、何かを「つなぎ」として、人生の物語を一つとして、
つまり自分の人生を、「これが自分の人生だった」という納得をもって見つめるわけではありませんか。

2)ヨセフは自分の人生を一つの物語として作り上げていた「つなぎ」――つなぎという言い方がいいのかどうか分かりませんけれども――或いは物語の「軸」、物語の基本的な「流れ」――そんなものを前から知っていたのだろうか、と思いますよね。

単純に考えて、そんなはずはないと思います。
彼は父親から特別に愛されて、一番良い洋服をいつも着ていました。愛情いっぱい受けて育ちました。
それが良かったのか、悪かったのか。
そういう出来事が聖書に記されています。

将来兄たちが自分の前にひざまずく、という夢を見たんですが、それを不用意に兄たちの前で発言してしまい、恨みを買います。
まことに愚かでした。

その恨みが実行に移され、彼は殺されかけ、止められますけれども、エジプトに奴隷として売られて行きます。
その恐ろしさ、その不安、そして悲しみ。

彼は黙々と努力したんだろうと思います。
エジプトのポティファルという高官の信頼を勝ち取り、彼の家の会計すべてを任されるようになります。

しかし誘惑してくる奥さんを退けた途端、濡れ衣を着せられ、彼は牢屋に放り込まれます。
そういう物語が散らばるかのように、聖書の中に記されているんですよね。
あの主人の期待に必死で応え、任され、誠実を尽くしたにもかかわらず、すべて踏みにじられてしまいました。

彼は二年以上、将来の希望も何もなく、先の見えないトンネルの中、牢獄で過ごして行きます。
これが人生という時の流れの中で、彼の印象に残っているいくつかの「出来事」ですね。
それに一体どういう繋がりがあるのか、意味があるのか、ヨセフは知るよしもなく、今まで生きて来ました。

そこで、ある日エジプトのファラオが、不吉な夢を見ます。
傍にいた献酌官長が以前牢獄で不思議な夢を見た時に、そこにいたヨセフという人物にその夢の解き明かしをしてもらった。
そのことを思い出してヨセフを呼び寄せ、ヨセフはなんとエジプトのファラオの前に立ちます。
その夢を見事に解いて、そればかりか、迫り来る七年の干ばつを前に、ヨセフは対策を提案します。
彼はいきなりエジプトの宰相に抜擢されるわけです。
いきなり責任ある職に就いたところで、教育もない、エジプト人でもない、経験もない、そんなヨセフを人々は簡単に信用したとは思えないですよね。
でも、その世界で彼は地道に七年間の豊作を過ごし、結婚し、子どもが与えられ、そして飢饉が二年間始まったというところで――

パレスチナから、あの自分を殺そうとした兄たちが、穀物を買いにエジプトにやって来て、そして十数年ぶりの出会いを果たすわけです。
こうした出来事というのは、ヨセフの人生に起こった膨大な数の出来事の中から、非常に印象に残ったものを取り上げながら、
ようやくここに来て、ヨセフは一つの「つなぎ」をもって自分の人生を理解する、捉えるようになるんですよね。

兄たちは気がつきませんでした。しかしヨセフは彼らに食糧を取らせながらも、次につなぐ手段を考えます。
穀物の袋の中に、売ったところの銀貨、代価の銀貨をもとに戻してしまいます。
そしてシメオンを人質に捕り、「次に買いに来る時には、一番下の弟を連れて来い」と。

で、実際次に買い取りに、穀物を買いに来ることになります。
ヨセフはまた罠を仕掛けて、下の弟ベニヤミンをエジプトに人質に捕ろうとします。
その時でありました。かつてヨセフをエジプトに売り飛ばす提案をした、四男のユダが、

「私がベニヤミンの身代わりになります。どうか私が人質になりますから、私を捕ってください。そしてベニヤミンを帰してやってください。
老いた父親が待っています。父はヨセフという11番目の最愛の息子を亡くしました。
今ここで12番目の最愛のベニヤミンが帰って来なければ、父は悲しみながら世を去って行きます」と言う。

それを聞いたヨセフは、ユダの変貌ぶり、父ヤコブの思い、自分が育って来た家族のことを思い、涙が込み上げて来て、ヨセフは声をあげて泣きます。
聖書を見ていただきますと、(創世記45章)3節に、彼は兄弟にこう言うのです。
【画面:創世記45章2節「声をあげて泣いた」3節「ヨセフは兄弟たちに〜お元気ですか」に黄色のハイライト」

<創世記45:2〜3>
2ヨセフは声をあげて泣いた。・・・
3ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」・・・

と言って始まるんですね。
彼の人生の様々な出来事、喜びも悲しみも、裏切りも悔しさも、その様々な出来事を一つに結び合わせる「つなぎ」を彼は見つけた。
それが7節です。
【画面:創世記45章7節「神が〜お遣わしになったのは」「大いなる救い〜生き延びさせるためだった」8節「私をここに遣わしたのは」「神です」にオレンジ色の傍線。7節「残りの者」に同色の囲み。】

<創世記45:7〜8>
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、・・・あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
8ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。・・・

ということは、「神が私をあなたがたより先にお遣わしになった」というのは、
今のこの飢饉の出来事を神は既に見ておられ、
既に見ておられた神は、その助ける方法として、先にヨセフを遣わした。
つまりヨセフは、《神さまの摂理》というものに気がついたんです。

奴隷に売られた。ポティファルの家に仕えた。濡れ衣を着せられ牢獄に入れられた。王の前に立った。そして豊作がやって来た。備蓄を始める。批判される。そして自分は結婚し、子どもを得た。
それらすべての出来事を、神は見そなわし、前もって見ておられて運ばれた、ということに彼は初めて気がついたんですよね。

6節をご覧になりますと――まだ飢饉は続くんですよ。
【画面:創世記45章6節「この二年の間〜起きて」「まだあと五年は〜刈り入れる」にオレンジ色の傍線】

<創世記45:6>
6というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。

と言って、彼が提案するのは、「父上も共に、一家全員エジプトに引っ越して来なさい。」
ということです。
飢饉があと何年続くかということは、だれも知らない。
でも政府の中枢の部分は、ヨセフから聞かされているんですよ。あともう五年、全部で七年続くということを、王が見た夢の解き明かしから知っているわけですよ。
そういう意味で――
「何度も何度も穀物を買いに来るのではない。一時の飢えを凌ぐわけでもない。
私がこのエジプトにいる限り、一族みなエジプトに引っ越してください。
私があなたがたのために家を用意することができます」と。
そんなことは、今までヨセフは考えたこともなかったわけです。

振り返ってみますと、ポティファルの家でも、牢獄でも、王の前でも、宰相となってからも、神はいつも共におられた。
私の人生を、ご自身の目的のために神さまは用いておられた。

人生の試練も成功も、喜びも悲しみも、全てが《神の摂理》という「つなぎ」の中で、繋がっていたんだという納得を得るわけです。
裏切られた、忘れられた、殺されかけた――それが彼の人生(の物語)を繋いでいるものではない。
彼の人生を繋いでいるのは、《神の摂理》です。

彼の人生の出来事の中で、突出したものがありますでしょう。
殺されかけた、売られた、裏切られた、忘れられた――それが彼の人生の「つなぎ」となって、ヨセフ物語を作ることもできるんですよ。
それは私たちに問われているんですね。
私たちも様々な失敗をし、様々なことがトラウマとなり、それが自分の性格まで作り込んでしまい、それを背負って自分の人生を生きていく、という風に考えるならば、
それは、裏切られた、酷い扱いを受けた、殺されかけた、死にかけたというものが、私たちの人生すべての物語を繋いでいってしまいます。

ヨセフ物語から、私たちは考えなければいけない。
一体何が、私たちの人生の物語のつなぎとなっているのか?

3)ちょっとここは難しいんですけれども聞いていただきたいと思うのですが、
様々な出来事の「つなぎ」と言う言葉で表現いたしましたが、(※しゃれた言葉では通奏低音です)。

昨日「この話するから」と、妻に話しました。
圭子(夫人)に話しまして、「『つなぎ』って言葉はどうなのかなぁ」と。
それって、僕はハンバーグのつなぎって(笑)いう意味って考えたんですよね。
つなぎを突っ込まないと、ハンバーグは一つにならないんですから、ま、その意味の「つなぎ」なんですけれども。

じゃ、ちょっと違うものの言い方で、もうちょっとしゃれた言葉で、「通奏低音」という音楽の言葉を聞いたことがありますでしょう?「通奏低音」。
バロックの音楽の一つの言葉なんですけれども、ま、YouTubeで通奏低音と引きますと、《パッヘルベルのカノン》が出て来ます。
そうすると、低音部分がず〜っと繰り返されているのが分かります。
上がどういう風に変わろうとも、低音部分は変わらないんですね。

少しインターネットで調べてみました。
通奏低音のバロックの音楽の楽譜は、譜面に低音部分の旋律と数字が書いてある。
で、高音部分の和音は演奏者が即興的に付けるように書いてない。

低音部分の旋律に書いてある数字は、その音から幾つ上なのかということを示しているんだけれども、実際に音譜は書いてない。
なぜそうなったのかと言うと――私(藤本牧師)も音楽理論は全くずぶの素人で分からないんですけれども――当時は作曲者と演奏者が同じであったから、というのが一つの考え方だそうです。
自分が作曲したわけですから、下の部分だけ書いておけば、後は即興的に上の部分をつけることができるという。
ま、人によってつけ方が違うんだろうと思いますけれども。
その低音部分を弾くのがオルガンや、チェンバロや、或いはチェロという重低音の得意な音がず〜っと演奏中続いていくわけですよね。

その低音部分と時にぶつかり合うように、時に調和するように、寄り添うように連動して、高音部分の和音が全体の演奏を成り立たせているというのが、通奏低音という音楽の手法で、それは今でいうならば、コード付けと非常に似ていると言うんですね。
私はね、その説明を見ながら、それが私たちの人生という物語だろうなぁという風に思いました。

聖書の物語は、それぞれの人物によって異なります。
でも、低音の旋律は同じかもしれない。つまり私たちがよく聞く――
「神はあなたを助けられる。
あなたを覆う右の手。
神はあなたと共におられる。
神はあなたを導き、あなたを養い、あなたを守り、あなたを助け、あなたを顧みてくださる。
神はあなたを救い出してくださる」
というず〜っと響いていた同じ旋律の低音に、ヨセフはこの時気がついたんですよね。
そうか、私がエジプトに来たのは、兄弟に裏切られたからではない。
兄弟に売られたからではない。
神が私を先にエジプトに遣わされたんだ。
私が牢獄に入れたのは、ポティファルの妻に裏切られたからではない。
やがて神が私をファラオの前に立たせるために、牢獄に入れられたんだ。
すべてが《神の摂理》という旋律の上に載せられていた出来事であったと。

バロックの通奏低音というその音楽理論を、私もちゃんと理解していないんですけれども、
読んだ文章では、上の部分というのは即興演奏で、下の部分とぶつかる時もあれば、寄り添う時もあれば、調和する時もある。
すると、上の部分というのは、私たちの人生の出来事ですね。
時に神の守りと反するような出来事も生じる、時にそれと寄り添うような出来事も生じる。
でもそれが一つのすばらしい音楽として成立しているのは、その曲を作る人も、演奏する人も実は神だと。
私たちの人生を作ってくださるのは神であるから、そしてその神が私たちを演奏してくださるのだから、一見すると合わないと思えるものも、一見すると即興的だと思える出来事も、それは一つにまとまるように神さまは運んでくださる。
神は私と共におられた、いつも。ポティファルの家にあっても、牢獄にあっても、宰相としての労苦の中でも神はおられた。

人生の一貫した旋律部分に、恨みや辛みを持って来る人は沢山います。
それは出来事ですし、事実ですし、その人の性格、その人の人生観と深く関わっていることも事実です。
でも私たち神を信じる信仰者は、それを一貫した人生の通奏低音にしてはいけない。
ヨセフは持って来ませんでした。
むしろ《神があなたがたより先に私をエジプトに遣わされた》という、《神の摂理》を自分の人生の一番根底に、この時置くんですね。

私たちはヨセフの物語に、自分の人生を重ねることができる。
なぜなら、ヨセフにとっても私たちにとっても、その同じ低音の旋律部分は同じ。
それに合わせて神さまが起こしてくださる上の旋律部分は、それぞれ違う。
でも一つの曲となって、神さまは私たちの人生を演奏していてくださる、ということがヨセフ物語のすばらしさですね。
これがヨセフ物語で、一番大切な要素だろうと思います。

☆一言お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、私たちはともしますと、自分の人生で起こる目に見える出来事に翻弄され、それがあまりにも印象強いために、自分の人生を不幸に思い、残念に思い、苦労ばかり味わって来たかのように思いますけれども、
確かに苦労ばかり味わって来たヨセフがこの瞬間気がついたように、《神はいつも共におられ、私を守り、私を導き、これから先も私を用いてくださる》という、その真理に私たちも到達することができるように。

《神われらと共にいます》という響きを、私たちの人生をもって演奏してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2022.07.31 - 19:05
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