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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   8/7 ヨセフ(15)ヨセフの使命の自覚 創世記45:5〜15
☆聖書箇所  創世記45:5〜15
5私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
6というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
8ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。
9どうか、急いで父上のところに上って行き、言ってください。『息子のヨセフがこう言いました。「神は私をエジプト全土の主とされました。ためらうことなく私のところに下って来てください。
10ゴシェンの地に住んで、私の近くにいてください。父上も、子と孫、羊と牛、また父上に属するすべてのものも。
11飢饉はあと五年続きますから、父上も家族も、また父上に属するすべてのものも、困ることのないように、私が父上をそこで養いましょう」と。』
12さあ、あなたがたも、弟のベニヤミンも、自分の目でしっかり見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
13あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉と、あなたがたが見た一切のことを父上に告げ、急いで父上をここに連れて来てください。」
14彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
15彼はまた、兄弟みなに口づけし、彼らを抱いて泣いた。それから兄弟たちは彼と語り合った。

☆説教 ヨセフ(15)ヨセフの使命の自覚  創世記45:5〜15
 ――大いなる救いによってあなたがたが生き延びるために――

先に今日はこの聖書の個所を見ていただきたいと思います。
前回と続きますけれども、ここですね。
【画面:創世記45章7節「神が私を〜お遣わしになったのは」「大いなる救いによって〜生き延びさせるためだったのです」にオレンジ色の傍線。「残りの者を」同色で囲み】
<創世記45:7>
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し(***ということは、要するに、アブラハムの子孫が飢饉によって根絶やしにされないために、ということですね、と説明)、また大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。

というこの「ためだったのです」という言葉に今日は注目していただきたいと思うんです。
どういうことなのか?
前回は、ヨセフ物語の大きな転換点ということをお話しいたしました。
これまで、妬まれ、殺されかけ、売られ、濡れ衣を着せられ、忘れられ、
人生の青年期としてこれほどまでに苦労した人物はいない、と言うほどの人生を送ってまいりました。
そのヨセフが王の前に立ち、そしてエジプトの宰相になった時に、彼は既にもう備えができていたと言っても過言ではなかったと思います。
批判されても屈せず、自分の信念を固く保ち、エジプト全土に食料を供給するということを彼はやってまいりました。

それらの人生の出来事、その連続、パレスチナから穀物を買いに来た兄弟たちの真実な姿勢、正直な話に触れているうちに、
彼は一つの物語として、今までの自分の人生をまとめることができたわけですね。

「若い時に買ってでも苦労をしなさい」とか、また、「たまたま運が良くて偉くなった」とか、自分の人生をバラバラに考えているのではなく、そして今、兄弟たちが現れて、
「ざまぁみろ」と、「今では自分はこんなに偉くなっている。兄たちは昔の夢のように、私の前にひれ伏しているではないか」――そういうおごり高ぶりを持つことなく、
ヨセフは一つのアイデアを神さまからいただきました。

つまり自分の人生の様々な苦労の出来事も、そして今こうして兄がパレスチナからエジプトに穀物を買いに来ていることも、一つ、神が私をあなたがたより先にエジプトに遣わされたという。
神の摂理のうちにこれらの出来事があった、ということにヨセフは気がついたわけです。
ですから、8節の「ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです」という言葉に集約されているわけですね。

神は私という楽器を握って、ずっと演奏してくださっていた。
神さまはヨセフとともにあって、「夢を解き明かすのは、私ではありません。神です」ということを、ヨセフも人々に伝えています。(***創世記40:8、41:16、41:25.41:32)
この低音部分がいつも彼の人生の底にあって、その上で様々な人生の出来事が幸も不幸も神さまによって奏でられて来ていたのだということを、ヨセフは気がついたんですね。
人生の通奏低音に恨みつらみ、不幸悲しみというものを持ってくるのでなく、神が私を見そなわし、私の人生に起こる様々な出来事をここまで運んでいてくださったというのが、ヨセフが気がついたことの前半部分です。

で、今日はヨセフが気がついたことの後半部分をお話しします。
ヨセフが気がついたのは、自分の人生に神という通奏低音がいつも存在していて、自分の人生は神さまによって切り開かれていたという霊的な現実だけではありませんでした。
ヨセフは神の摂理の目的に気がついたんですね。
45章の7節をもう一回見ていただきますが、
【画面:創世記45章7節「神が私を〜お遣わしになったのは」「大いなる救いによって〜生き延びさせるためだったのです」にオレンジ色の傍線。「残りの者を」同色で囲み】

7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。

あなたがたが生き延びることができるように、神は私の人生を守り、導き、救い出し、そしてそのようにして、ここまで運んでくださったのだ。
つまり7節の最後にあるように「〜のためであった」と、神さまはヨセフを導いて祝福の中を歩ませてくださったのは、また苦労の中にあってヨセフを支えてくださったのは、
父ヤコブの一家を、アブラハムの子孫を、最終的に根絶やしにせずに生き延びさせるためであったということを、ヨセフはこの時気がついたわけです。

(創世記45章8節)「神は私をエジプトの全土の統治者とされました」と。
エジプトの全土の統治者となるのは、自分が幸せになり、自分が偉くなり、自分の人生を楽しむためでない。
それはあくまでもアブラハムの子孫を残すために、民族が絶やされることのないために、私は用いられたんだということに、彼は気がついたわけですね。

ちょっと話を飛ばしますが、だいぶ飛びますが、聞いていただきたいと思います。

先月、キリスト新聞社から一冊の本の書評を頼まれました。「アメリカキリスト教入門」という関西学院大学の教授が書かれた本で、入門って書いてあるように非常に平易に書かれているんですけれども、しかし専門家でなければ書けないような優れた内容でありました。
9月にウェスレー・メソジスト学会の講師として――大宮先生と仰るんですけれども――お招きいたしました。
ウェスレ−・メソジスト学会というのはこの教会では、私(藤本牧師)と馬渕(彰)さんと、山本みき先生が三人とも理事をしています。
本の中で、アメリカの歴史をざぁ〜っと色々記してあるんですけれども、私が全く知らないことが記されていました。

20世紀の初めに石油王ロックフェラー、聞いたことがありますよね。
鉄鋼王カーネギー、ニューヨークのカーネギーホールですよね、
そして鉄道王バンダービルト、南の方にあるバンダービルト大学っていうのがありますね。この三人が巨額な富を築き上げた。そして財閥を作り上げた。
ま、富めるアメリカの象徴であったという話が出ていました。

非常に石油と鉄鋼と鉄道で、巨額な財を成したというだけでなく、アメリカに多くの大学を創り、そして音楽、芸術、文化、様々な面でこの三人は慈善活動をしていたと。
つまりアメリカという国に慈善活動の本格的なものが生まれるのは、この一生懸命お金を稼いだ三人から始まったというような流れで記されていました。

西部開拓から始まって、確かに歴史も文化も大したことがない、ま、歴史的に浅いアメリカですよね。
でもこの三人の大富豪は、富を大きくする以上に、アメリカの文化歴史を形作ったと言うんですね。
大宮先生の専門は、解放をテーマに旧約聖書、新約聖書における差別されていた小さな小さな不遇のグループの研究なんです。
その先生が大富豪の話をするというのは、一見すると奇妙なんですけれども、
しかし、そのように神さまが富ませてくださったときに、彼らは自分たちが富んでいる以上に、アメリカの国の文化とその貧富の格差を埋めるために一体何ができるだろうか、ということを必死に考えた。
ま、そういう意味で慈善活動が非常に多いのは、やっぱりアメリカですよね。

本の最後の方で、彼はまた違う話をして、1990年代に始まっていくアメリカのメガチャーチの話が書いてありました。
メガチャーチというのは、会員が3千人4千人いる、いわばショッピングモールのような教会だと(笑)書いてありました。
礼拝だけでなく、音楽のコンサートがあったり、喫茶店があったり、保育園があったり、学校やありとあらゆるものがあって、一日中過ごすことができる
子どもを預けて一日中過ごすことができる。色んな学びのグループもある。
礼拝だけのために3千人集まっているわけではない、ということが書いてありました。
ま、豊かな教会だなぁと思いますけれども、しかし大宮先生の本の中には、こうした教会は殊更、慈善活動に熱心だと書いてありました。
お金持ちが集まって自分たちのためだけに楽しむ教会ではない。殊更、慈善活動に熱心だ。

表参道に東京ユニオンチャーチという、アメリカ系の古い古い教会があります。
ちょうどアップルストアの斜め向こう側だと思いますけれども、
コロナの期間中もず〜っと代々木公園のホームレスの方々のための炊き出しを、東京ユニオンチャーチはやっていました。日本の教会ではないですね。

Kさんはアメリカ滞在中に伝統的な大きな教会に所属しておられましたけれども、そこで感動したのは、彼らの信仰的な熱心さだけではない。
ともかく社会にあって、愛を実践することに非常に熱心だ。
ま、Kさんもご友人たちも、ボランティア活動をしておられますけれども、
それが、ま、アメリカのキリスト教のお国柄と言ってもいいのかもしれませんね。

そしてそのアメリカのキリスト教のお国柄に、当然キリスト教的な博愛主義があるんだろうと思いますけれども、もう少し繊細にものごとを言いますと、
自分の信仰、自分の人生、自分が受けてきた祝福は自分のためにあるのではない。
《神はあなたがたより先に私をエジプトの地に送り込み、私をエジプトの統治者とし、
その目的は、神の約束の民が絶えることがないように、この飢饉にあって生き残ることができるようになるためであったと。》

今朝、HMさんが、思いと祈りを形にしてくださって、私たちもまた参加できるようにしてくださいました。
決して大きなことではないと思います。(企画されたMさんは大変だったことでしょう)。
とっても素敵なデザイン。
またウクライナ大使館と掛け合ってくださり、また皆さんが買ってくださる千円、三千円、五千円のものが、直接にウクライナの人道支援の活動のために用いられるようになった。
巨額の富をウクライナに拠出して武器を買うわけではない。
小さな富かも知れない。千円、三千円かも知れない。でもそれを祈りと愛をもって、人道支援のために用いていただきたいという橋本さんの思いと言うのは、非常に尊いと思いますね。

私(藤本牧師)はこの夏――ま、夏と言っても数か月ですね――パウロ研究のために様々な書物を読み、そしてパウロ研究の本を書いて来ました。
今イギリスで、世界中で一番有名な新約学者のN.T. ライトという人がいるんですけれども、その方の書物を何冊か読んでいきました。
この方は初期ユダヤ教の専門家でもあるんですけれども、一つのテーマがありまして、こういうことなんですね。
「礼拝というのは、教会というものは、救いの喜びを表現している場所だ。
その私たちが救われたという喜びをより強く、最も強く実感できる場所が礼拝なんだ」と。

「ところが、私たちが礼拝している神が神であり、イエスが救い主であり、悪と堕落、死それ自体の力が打ち負かされ、(***復活によってね、と説明)そして神の新しい世界が始まったことを、一体教会は世界に向かって、どのように宣言しているのだろうか?」

昔,教会という存在を、有名な伝道者のD.L.ムーディーは「救いの救命ボート」と表現しました。
世の中で溺れかけている人は沢山いる。今もそうですね。
何とかその人たちの手を取って、救いのボートに入れてあげることが教会の仕事だと。
でもN.T.ライトは、そのようにして作られて来た教会の概念というのは、いつもこの世をいかに乗り越えて天国に辿り着くか、そのことしか考えていない。
既にイエス・キリストの十字架と復活をもって始まった新しい神の国、地上に於いて私たちが宣言すべき神の愛と平安というものを、教会はどういう風に実践しているんだろうか?というのが、N.T.ライトの問いかけなのですね。

十字架と復活によって、約束の聖霊は私たちに与えられ、世界は決定的に変えられたと私たちは信じています。
勿論いまだ完成は見ていません。しかし新しい創造は既に始まっているということを、私たち教会として、どういう風に宣言しているんだろうか?――言い方を変えると、伝道しているんだろうか?
世界で正義がなされていることを、積極的に私たちは求めているんだろうか?
世界の正義、社会悪というものに対する反対ののろしを、教会は積極的に挙げているんだろうか?
芸術、音楽を通して、神の良い被造物と堕落からの救いを喜び祝っているんだろうか?
キリストによって産み出された新創造の様々な兆候、前兆を教会は宿しているんだろうか?それをこの世界に向かって表現しているんだろうか?

明らかにライトの問いかけは、キリスト者はあまりにも内向きで、自分のたましいの救いと自分が最終的に辿り着く天の御国のことだけを考えている。
しかし神さまが救おうとしているのは、あなたのたましいだけではない。
神さまが救おうとしているのは、この被造物全体であり、この世界全体を救おうとしている。
そしてこの世界全体に存在している悪を打ち負かすということを、イエス・キリストの十字架はできると。
その力を、教会は宣言しているんだろうか?と言うのですね。

ライトは面白いことを言います。
「もし私たちが自分のたましいの救いと、そして教会の幸せと、いかにしてその教会を大きくすること――それ位しか考えてなかったとしたならば、私たち教会はイエスやパウロの時代のイスラエルと同じようになってしまう」と言うのですね。
どういうことなんでしょうか?
イエスやパウロの時代のイスラエルは、自分たちは神さまに選ばれた。
神に生かされている。神に祝福されたという、この恵みを自分自身の中に閉じ込めてしまった。自分たちのために閉じ込めてしまった。
でも本来その恵みというのは、その恵みを全世界に伝えるために、神はイスラエルに与えたものであった、と言うんですね。
キリスト教の救いを自分だけのために閉じ込めてしまう。
でも本来それは、周囲のために、世界のためにあるという、大きな目的があるはずなのに、
ま、言うなれば神さまがロックフェラーを、カーネギーをバンダービルトを祝福されたのは、彼らの生涯を通じて、この世界を祝福するために、この三人の大富豪を祝福された。

ヨセフがエジプトの宰相になることができたのは、それはヨセフを立派にするためではない。
ヨセフを通して、ヤコブの家族が救われるためになさった、というその目的を忘れて、自分だけに祝福を独り占めしてしまうというのは、一体どういうことか?
ライトはこういう風に表現するんですよね。

イスラエルは神さまからラブレターを渡された。そのラブレターに神さまの戒めがあり、契約の愛が記されている。
しかしイスラエルの決定的な間違いは、彼らはそのラブレターが自分宛のものだと勘違いしてしまった。
本来その神さまのラブレターはイスラエルが読んで、次に周囲の世界に運んでいくはずのものだったのに、誰にも渡さず、そのラブレターを自分の中にしまい込んでしまった。
と言われると、「ああ、教会はそういうことがあってはならないなぁ」という風につくづく考えさせられます。

私たちには疑問があります。この私に何ができるのだろうか?この小さな教会に何が問われているのだろうか?
その答えは小さなものであれ、大きなものであれ、神さまが教えてくださいます。

ヨセフには少なくとも分かった――ああ、私はこのために、エジプトの統治者になったのだということが分かった。

「天の窓」(6ページ)に記されていますけれども、しばらく前に、TMさんの結婚式がありました。
彼女は相模女子大学で教育学を学び、幼稚園の先生になりました。
Mちゃんは子どもが好きで、よく教会では礼拝の時間に、(長女の)Eちゃんと一緒に教会学校を、礼拝に来る小さな子どもたちのためにしてくださっていました。
ちょうどコロナの2020年に彼女は転職して、母校の職員になりました。
結婚式には女子大学の事務長さんが主賓として招かれていまして、そして私はそのスピーチを聞いていました。
Mちゃん、入ってすぐ、大学の中で学生が投票するナンバーワン・スタッフに選ばれているんですよ(笑)。
「学生が一番親近感と信頼を感じるスタッフは誰かと投票した時に、就職して間もなくのMちゃんが選ばれる。この方は大した方です」という風に、主賓の事務長さんが挨拶され、
そして披露宴が始まりましたら、ま、本来私が行くべきだったんですけど、事務長さんが真っ先に私のところに来てくださいまして、
「高津教会でいい信仰を育ててくださいまして、感謝します」と仰っていました。
「ま、壁のない子で、優しい子で、元気な子ですね」――私はそれを聞いて大変誇らしく思いました。

高津教会にはボランティアをしている方々が沢山いらっしゃいます(笑)。
いや、そもそもお仕事そのものがボランティアだ(笑)という方々も沢山いらっしゃいますね。そういうことではないですね。
誰がどんな仕事をしているか、だれがどういうボランティアをしているか、ということではない。

ヨセフは気がついた。自分が受け留めた神さまからのラブレターは、自分だけに宛てられているものではない。
自分がそれを読んだら、それは周囲の人々に渡して、周囲の人々も神さまの愛を理解してもらうためだ。
私がエジプトに遣わされて、統治者になったのは、自分のためではない。自分を通して、契約の民が生き延び、地が生かされるためだということが分かった。
私たちも同じように神さまに祝され、救われている事実を、なにか小さな目的のために気づくことができたならば感謝であります。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、ヨセフはこの時気づきました。自分の不可解な人生に神さまの目的があったことを。単に救われただけでなく、単にエジプトの統治者になっただけではなく、神さまは統治者となったヨセフをある目的のために用いなさいました。

それと同じように、私たちが学校にあって、社会にあって、ある立場に就いた時に、それは自分の誇りのためにあるのではなく、きっと周囲にある悩める方々、励ましを必要としている方々、時にキリストの平安、力を必要としている方々を助けるために、自分はこの立場にあるんだ、というせめてそれ位の自覚を持つことができるように、私たちを招いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

(※ご自分は頌栄の間にZoom のIDとパスコードを捜して来ますのでと言って、お祈りの間に、マスクを手で押さえながら、ピアノの横に座っている姉妹と何か話し合い、講壇から姿を消す藤本牧師)

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DATE: 2022.08.07 - 20:46
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