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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/8 戸塚伝道師:ペテロのいる風景M 土の器にある宝 使徒の働き1:15〜26
☆聖書箇所 使徒の働き1:15〜26

   15そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集まっていたが、ペテロがこれらの兄弟たちの中に立って、こう言った。
16兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。
17ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。
18(このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。
19このことは、エルサレムの全住民に知れ渡り、その地所は彼らの国のことばでアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになっていた。)
20詩篇にはこう書いてあります。
  『彼の宿営が荒れ果て、
  そこから住む者が絶えますように。』
また、  
  『彼の務めは、ほかの人が取るように。』
21ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、
22すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
23そこで彼らは、バルサバと呼ばれ、別名をユストというヨセフと、マッティアの二人を立てた。
24そしてこう祈った。「すべての人のお心をご存じである主よ。この二人のうち、あなたがお選びになった一人をお示しください。
25ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった、この奉仕の場、使徒職に就くためです。」
26そして、二人のためにくじを引くと、くじはマッティアに当たったので、彼が十一人の使徒たちの仲間に加えられた。
    
☆説教 戸塚伝道師:ペテロのいる風景M 土の器にある宝

《ペテロのいる風景》の第14回目になりますが、早速みことばに心を留めてみたいと思います。
福音書に登場するペテロは、ひとまず終わります。
まだまだ沢山あります。ペテロのいる風景を福音書から探し出すと、もう数えきれない程、まだまだ沢山ありますけれども、ひとまず終わりまして、今回から《使徒の働き》に移ります。

イエスさまは十字架、復活後40日に亘って使徒たちに現れ、神の国のことを語られました。
聖霊が間もなく臨む約束のことばを最後に、イエスさまは天に上って行かれました。
その後のペテロの姿が、今日お読みしたところです。

今日お読みしたところ、前にもここをお話ししたことがあると思いますけれども、今日の箇所を読めば読むほど、書かれているペテロの言葉や行動に違和感を感じさせられるような、そんなことはないでしょうか?
私(戸塚伝道師)はありますので、その違和感を二つ上げてみたいと思います。

1)一つ目の違和感は、ペテロのユダに対する否定的な表現

使徒の働きの1章のペテロの言動を追って行きたいと思いますが、先ず15節をご覧ください。

<使徒1:15>
   15そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集まっていたが、ペテロがこれらの兄弟たちの中に立って、こう言った。

その後、ペテロの言葉が続くわけですが、ここに、「そのころ」とありますが、
それはイエスさまの言われた《父の約束してくださった聖霊を待ち望んでいた時》です。
「百二十人ほどの人々が一つになって集まっていた」――その百二十人ほどの人々の中に、13節の11人もいたと思われます。
13節、読んで行きたいと思いますが――

<使徒1:13>
13彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

この11人ですね。この11人を含む120人ほどの人たちが、一つのところに集まっていたわけですね。
その120人ほどが集まっている中で、ペテロはすくっと立ってこう言いました。16節――

16「兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。
17ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。

ここにペテロがこう言っているんですね。16節――「イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖書のことばが成就したことなのだ」。
成就した、その聖書のことばというのが、20節に書かれています。

<使徒1:20>(※詩篇69:25より引用したものと思われる)
20詩篇にはこう書いてあります。
  『彼の宿営が荒れ果て、
  そこから住む者が絶えますように。』・・・

この「彼」というのは、ペテロから見るとユダのことですね。
「ユダの宿営が荒れ果て、そこから住む者が絶えますように」
さらには、18節と19節には、この詩篇の引用(***20節)に先立って、その時の状況を説明するためのルカの書き込みが【※( )にして】書かれています。
ユダの状況ですね。どんな状況かと言いますと、ユダが「真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった」という、こういう状況です。

マタイの福音書(***27:5)には「首をつった」と書いてありますけれども、首を吊った後こういう状態になったのか、あるいは別の伝承記事からこの使徒の働きを書いたルカがこの記事を引用したのか、それは定かではありません。
でもそのようなことが生々しく綴られている、その箇所が挿入されているわけですね。

私(戸塚伝道師)が思うには、ペテロが「イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖書のことばが成就したことなんだ」っていうこの物言い。
このような言い方に、何か強い違和感を感じます。
このような言い方で、仲間の死、ユダの死を果たして片付けてよいものなのでしょうか?
ここに登場するペテロ、ヨハネの福音書21章でイエスさまによる赦しと信仰の回復をいただいたあのペテロとは、何か別人であるかのようです。
「ユダがそんな目に遭ったのは、聖書のことばが成就したからなんだ。」

私たちはユダをどう評価するか?――これは私たちに突き付けられる大事な問いだと思います。
私(戸塚伝道師)は、このユダをどう評価するか?については、今日は、今日は(笑)お話はちょっと控えたいと思います。
また別の機会に、ユダについては取り上げたいと思いますけれども、
私たちにも、同じことが問われている――私たちがユダをどう評価するか?は。

でも、このペテロの言動に対する違和感を、私はこの記事から否めない――そのように思います。
なんでこんな言い方を、ペテロはするんだろうか?

2)二つ目の違和感――ユダの空席を強引に埋める行動

ペテロはこの後、(使徒の働き1章)20節後半で別の旧約聖書の聖書箇所を引用しています。
20節の後半に、「また」という言葉が書いてあります。

<使徒1:20後半>
20(前半の続き)・・・
また、
  『彼の務めは、ほかの人が取るように。』
(※詩篇109:8を引用したものと思われる)

『彼の務めは、ほかの人が取るように。』――この「彼」というのも、ペテロから見るとユダのことです。
「ユダの務めは、ほかの人が取るように」――このみことばから、この後、いなくなったユダの代わりの弟子を選ぶ提案をしています。21節――

21ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、
22すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」

つまり、ユダの代わりの使徒をもう一回代わりに選ぶ、ということをペテロは提案するわけですね。
「使徒」というのは、弟子とは違います。使徒というのは特別な条件があって、ここに書かれているように、
「主イエスが私たちと一緒に生活をしておられた間」――つまり生活を共にした、そして共に行動をした、ということですね。
「ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から」(22)、選ばなければならない。
「使徒」という資格がこれです。
更に加えられるとするならば、復活を目撃した使徒。
目撃と言いますか、復活されたイエスさまを目撃したということですね――それが使徒の資格です。

イエスさまは十二弟子をお選びになった。
ペテロはこう思ったでしょうね――イエスさまは十二弟子にこだわった。だけど今は、ユダがいなくなって十一弟子になってしまった。
ユダという人物がいなくなったという状態は、恐らくペテロにとっては嫌だったんだと思う。
十二人じゃなければならなかった。イエスさまだって、十二弟子をお選びになったんだから十二人でなければだめなんだ、ということですね。
十一弟子のまんまではいけない。十二人いなければならない。きっとイエスさまもそう思っておられるだろう。
そんなこと、イエスさまは一言も仰ってない。でもペテロはそう考えて、十二弟子にしようと提案したんでしょう。

そしてこの後、強引にもユダの代わりを、くじを引いて決めるわけですよ。
「くじ引き」って酷ですよね。何を決めるにしても、くじ引きって酷です。
一番公平なのかもしれない。だけれども、文句を言わせない選択の仕方、くじ引き。
じゃあ、外れた人はどうなるのでしょう?

くじはマッティアに当たるわけですね。
もう一人の名前もちゃんと聖書に残されています――ユストというヨセフ。
それにマッティア。
そしてくじを引いて選ばれたのがマッティア。ユストは選ばれなかった。

旧約聖書では、神さまの御心を知るために、くじを引いて決める。
くじを引いて決めるということがありました。神さまの御心を知るためにくじを引く。
恐らく旧約聖書の時代はそうだったのでしょう。
だからペテロは当然同じようなやり方で、神さまの御心を知るためにそのようにしたのでしょう。
だけれども、何かこの強引なやり方というものがある。
このマッティアの名前はそれ以降、聖書には登場しません。
「くじを引いて決める」ということは、これが最後になります。
この後全部、使徒の働き2章からは、「聖霊が直接示される」――そういうことになります。

ペテロが十一弟子のまんまでは嫌な理由、本当の理由はいったいどこにあるのか?
それはペテロの立場に立って思い巡らすと――ユダがいない。
ユダがいないということは――常にペテロ自身も、自分がイエスさまを三度知らないと言ってしまった――同じイエスさまを一度は裏切ったという罪意識を掻き立てるような情景が、ユダがいないという情景だったに違いない、ペテロにとって。
それが十一弟子のままじゃ嫌な理由だったのかも知れません。
「ペテロよ、おまえだって裏切ったじゃないか!」そういう声がユダの空席を見る度によみがえってくる。「おまえだって、裏切ったじゃないか!」
そんな湧き上がる罪責感を、ペテロは何とかして埋めたいと思った。
そして無理にでも、残る一人を強引にもくじ引きで、まるで急かすかのように選んでしまった印象――これがペテロの姿ではないか?
こういう違和感を二つ目に感じるんですね。

私はこの二つの違和感、ペテロの心の揺れのようなものを感じさせられる。
イエスさまに愛されて、赦されて、回復の恵みをいただいて、教会の働きへの召命と、殉教の預言まで聞かされても、ああ結局はペテロはペテロだったんだなぁ。
ペテロはペテロだった。ユダのことを裁いたり、そしてユダは自分と同じなのかもしれない。ああ嫌だなぁと思った。
ペテロの心の揺れというものを、この使徒の働きの(1章)15節から後に読み取れるのではないかと思うんです。
このペテロの心の揺れ、「わたしにしたがいなさい」と言われて、イエスさまに従いたい思いは充分あるにもかかわらず、このような心の定まらない複雑な思いがこのような言動に現れている状況、これはペテロのみならず、弱い私たちの、人間の現実ではないかと思います。

皆さんのお祈りとご支援によって支えられた二年間の神学校の学びを思い出します。
学びは本当に楽しかったんですよ。もっとやっていたかった、学びは(笑)。それぐらい楽しい学びでした。
曲がりなりにも、二年間の短期コースを終えて、卒業を許されました。
あれからもう6年半が経ちます。
皆さんのお祈りに支えられて、ここまで藤本満先生や圭子先生にお仕えし、
定住伝道師として、ここまで神さまに使っていただいている。
憐れみのゆえに、様々の病を抱えていますけれども、健康が支えられている、皆さんのお祈りのおかげで。

あの二年間の学び、その中の最大の収穫――それは私の福音理解が変えられたことなのです。
かつて私の信仰の根底には、こうあらなければならない、という律法主義的な聖書理解がありました。
またこれは絶対にこうだ、という決めつけが信仰の確かさだと思い込んでいたこともありました。
こうあらなければならないという、ある意味では真面目な、ある意味ではカチカチな価値基準が、自らの信仰生活を束縛していた面があった。

誘惑に負けるのではないだろうか、罪を犯してしまうのではないだろうか、神さまの罰を受けるのではないだろうか、こうしたら、神さまが悲しんでしまうのではないだろうか、神さま、ほんとに申し訳ない――もう罪責感と悔い改めの連続、その繰り返し。
このような不安を解消するために、一生懸命奉仕をし、一生懸命集会出席に励み、聖書を通読し、お祈りも長い時間をかけ、もう努力して信仰生活を送っていた自分を思い出します。

そしてこの価値基準で人を裁いていた。一つの価値基準、律法主義的な価値基準。自分で思い込んでいた価値基準です。
このような者というのは、イエスさまが一番嫌われるんですよ。
ある意味では、真面目というのは、イエスさまが一番嫌われるんですよ(笑)。
私、なんか真面目に見えるらしいんですよ。でもイエスさま、一番嫌われるんです(笑)。
なぜか?真面目じゃない人を裁きますから。
それはイエスさまが一番嫌われたパリサイ人や律法学者と同じなのです。

私には一体何が欠けていたのだろうか?そのことを二年間の神学校の学びで、はっきり示していただきました。
私の信仰生活、こんなにも一生懸命やっている。こんなにも神さまのために頑張っている。私に何が欠けていたんだろうか?
それは人間理解でした――弱い人間の現実。深刻な人間の現実。それを真正面から見据える視点でした――私はそれに欠けていた。

考えるならば、人間理解の視点というのは、受肉されたイエスさまの視点なのです。
神さまが「受肉」してくださった、人間になってくださったというのは、人間のドロドロとした醜い、もう他人にも言えないような、罪深い、そして解決のない、そういうど真ん中にイエスさまが来てくださったということです。
さらに言うならば、イエスさまは、こんなダメな私のような者になってくださったということです。

「受肉」ってそうです。人間の現実。様々な深刻な現実。心の病から来るものもあるかも知れないし、自らの性格から来るものもあるかも知れないし、老化現象という避けられないところから生まれるものもあるかも知れない。
どうすることもできないような状況、そのただ中にイエスさまが来てくださった。
そしてイエスさまは丸ごと人間になって、私たちの、人間の現実に向き合ってくださったお方です。
そのために、人間になってくださったんです、まことの神さまが。

自分のそのような現実を、信仰一本で蓋をしないように。
信仰があれば、大丈夫だ。そうです。でも現実を見ないで、信仰、信仰、信仰で蓋してしまうことがあった。
そして「こうあるべき」というその言葉で片づけてしまわないように。
そしてそれがきれいごとになって、一つの単なる目標になって、到達できない単なる目標になって、
「どうか、こうしてください」「ああしてください」――勿論お祈りすることは尊いでしょう。
だけれども、その前に、現実に降りて来てくださったイエスさまに心を留めたいと思います。
人間と人間性に真剣に向き合っていくことの大切さ。そのことに二年間の神学校での学びに気づかせてくださいました、神さまが。

私たちの信仰生活というのは、どうか本音の信仰生活でありますように。
勿論人に言うことは必要はないでしょう。でも何か一つのきれいごと、目標、聖書に書いてある理想、それを追い求めるだけではなくて、
自分の現実を見据えて、そしてそこに来てくださったイエスさまと共に神さまと向き合う、神さまを待ち望む、白黒をはっきりできないグレーゾーンの中で、それも含めてです。
神さまの前に心を開く、そういう信仰の姿勢を、私は教えられたような二年間でありました。

こうして月に一回説教することが許されていますけれども、皆さんのお祈りのおかげです。皆さんの証人のおかげです。
今までシリーズでお話ししたこと、3つあります。
「ヨナ書に自分を問う」「サマリア・ストーリー」そして今の「ペテロのいる風景」。
この三つのシリーズに出て来るヨナも、サマリアの女性も、ペテロも、神さまの前に開けっ広げなんですよ。
神さまの前に開けっ広げな状況を、この説教シリーズでお話しさせていただいて来た。
人間理解の視点で。
ペテロも神さまの前に開けっ広げな状況で、イエスさまと共に歩んできている状況が、福音書の中にいっぱい書かれているわけですね。
使徒の働きにまで及んでいます。

でも、(使徒の働きの)2章から先のペテロを見ますと、私たちはその先のペテロを知っているわけです。
こんな欠けだらけのまんまのペテロ、そのど真ん中に、イエスさまは聖霊を通して臨まれました。これがペンテコステですね。
この記念すべきペンテコステの日を境に、ペテロの風景は、ガラリと変えられて行きます。
「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてわたしの証人となります」(***使徒の働き1:8)
聖霊に満たされたペテロにも、このお言葉は成就しました。
勿論、聖人君子に変えられたわけではありません。スーパーマンになったわけでもありません。
「わたしの証人になる」――イエスさまの証人になりました。イエスさまの復活を証しし、福音を宣べ伝える存在になりました。
ペテロはペテロらしさのまんまで、そのままで神さまに変えられながら、神さまに用いられて行くわけですね。

そしていま現在の私たちも、こんな欠けだらけの私たち、そこにも聖霊が与えられるわけです。
土の器、本当に私たちは土の器です。人は誰でも非常にデリケートで、傷つき易くて、弱くて、壊れやすい土の器。
土の器のくせに、自己中心で、すぐ傲慢になり易くて。
でもそんな土の器にも、聖霊が与えられている。聖霊を通して、イエスさまが臨まれている。
「土の器に宝」です。やっと説教題に辿り着きました。

ここからがメインです。でもあと3分しかありません(笑)。
一か所聖書を開いて終わります。Uコリント4章の7節。
コリント人への手紙(第二の)4章の7節。新約聖書359ページの下の段。
お読みいたします。
<Uコリント4:7>
 7私たちは、この宝を土の器の中にいれています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。

「土の器」、でもその中に宝が入っている。
「この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではない」――私ではない。私のうちにおられるイエスさまです。
キリスト、わがうちに、われ、キリストの愛の中に。
土の器に宝。俗なるものは聖なる方の器。
なんとすばらしい恵みでしょうか!
今日、週報の裏に、「土の器」というゴスペルソングの歌詞を書きました。
オンラインの方はすみません、出ないかもしれませんけれども、「土の器」。
この間、藤本先生、独唱されましたよね(笑、そうでした、堂々と、「君もそこにいたのか」を)。独唱します?皆さんも歌えたら(※とても嬉しそうに笑ってから、歌い始める)。

<土の器> (※会衆の歌う声も段々聞こえてくる。)

土の器 欠けだらけの私
その欠けからあなたの 光がこぼれ輝く

土の器 ヒビだらけの私
そのヒビからあなたの 愛があふれ流れる

こんな私でさえも
主はそのままで愛してくださる

だから今 主の愛に 応えたい私のすべてで
用いてください主よ
私にしかできないことが 必ずあるから

ありがとうございました。
こんな土の器の集まりが、主にある家族となっているのが、高津教会です。
ペテロのように心が揺れる。そんな弱い私たち。
そんな私たちがいていい場所が高津教会。
お互いにその土の器、自分も土の器、相手も土の器。
その土の器を認め合いながら、許し、許され合いながら、信仰生活をイエスさまと共に歩んでいく。
そしてそのお互いの中にある土の器には、イエスさまが聖霊を通して臨在されている。
何らかのきっかけで、お互いにある、その土の中にあるイエスさまが輝く時があるに違いない思います。
そんなすばらしい恵みが私たちに与えられていることを心から感謝したいと思います。

そのことが本当に実感できた時に、あのイエスさまがただ一つの戒めとして語られた言葉が心によみがえってまいります。

「わたしはあなたがたに(新しい)戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(※ヨハネ13:34〜35)

☆お祈りいたします――戸塚伝道師

イエスさま、信仰がなくならないように、ペテロのために祈られたあなたでした。あなたにとことん愛され、許されたにもかかわらず、ユダの空席をどうすることもできずに埋めようとしてしまうような、そんな心が揺れるペテロでした。しかしあなたはそんな弱く欠けだらけであるペテロを、そして私たちを、聖霊で満たして、このままの姿で私たちを用いてくださるお方です。感謝いたします。

どうか私たちが真正面から自分の弱さを見据え、本音を見据え、また私たちが「土の器」であることを認め合いながら、あなたの戒めにあるように、愛なき私に愛を与えてください。互いの間の愛を増し加えてください。そしてペンテコステという教会の暦に関わらず、聖霊がいま私たち一人一人に新たにお臨みくださいますように。

今週も生活のただ中で、ヒビだらけの私から、あなたの愛が溢れ流れていき、どなたかの心に届けることができるような、そんな機会を備え導いてくださいますようによろしくお願いいたします。愛するあなたのお名前でお祈りいたします。アーメン。

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