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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   10/29 召天者記念:信仰の人として死にました へブル11:13〜16
☆聖書箇所 へブル11:13〜16

 13これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
14そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
15もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
16しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されていたのです。

☆説教 召天者記念:信仰の人として死にました。

今、動画にしておりますけれども、以前はこのような紙(※召された方の写真に、名前と日付、享年が順番に載っている名簿)を皆さんにお届けいたしました。
ちょっと映していただいて、【画面:その召天者の写真名簿】
昨年から召された方々、昨年の召天者記念礼拝から召された方々として、山田孝一さんが10月の12日で、召天者記念礼拝の以前でした。
ですから、11月11日の古屋多恵子さんからになります。
【画面:一人ずつ遺影を大きく出して、駆け足で改めて偲んでいく藤本牧師】

*【古屋多恵子さん】は、礼拝、朝の祈祷会、婦人会に、いつも昭島からお出でになっていました。WMさんのお姉さんでいらっしゃいます。ほんとによく通われたなぁと思います。
また詳しくでもないですが、後で触れます。

*【長尾宣紹(のぶつぐ)君】は39歳の若さでありました。職場で大動脈乖離で、それはどうしようもないほどあっという間でありました。
神さまは引き上げてくださったいのちでありますけれども、39歳という若さはあまりにも短かったなぁと思います。納骨式の時に、お父さんがご自分で納骨されたのを見て、本当にご両親のご心痛をひしと感じました。

*【田口 保(たもつ)さん】は、TRさんのご主人でいらっしゃいます。この方は脳溢血で倒れて、病院、リハビリ施設、病院、そして最後は家で看取りという様々なご苦労の中を移動して来られました。ご家族も良く助けられたなぁと思います。

*【高橋 武さん】はず〜っと様々な手術を繰り返されましたけれども、一番大きな問題は腎臓でありました。小さな頃からもう片方がもう影を為していない。もう片方の方は大分歪んでいる中、いつ透析にするか迷っていた矢先のことでありました。ま、お医者さんにしてみれば、もっと早く透析に行くべきだったということでありましょうが、でもそれも本人の判断でございます。

*【石井 寛(ひろし)さん】、90歳で二子新地に越されて来た時に、奥さまと一緒に高津教会に通うようになり、奥さまが先に召されました。
その後十年、二子から通い、足元が不安になってからは、なかなかいらっしゃることができませんでしたけれども、その信仰が明確なうち――今日はお嬢様が来ていらっしゃいますけれども――天に召されました。

*【高橋正義さん】、このお写真は70代のお写真ですので、何とも言えないんですけれども、最後までお元気でした。
教会の中で一番――ま、水泳のメダルをいくつも持っている位ですから――お元気なはずがなかなか思わしくなく、そして84歳で天に召されました。
先程の動画で字幕が武さんになっていたことを、失礼いたします。

*【窪倉三郎さん】はKさんのお父さまでいらっしゃいます。このお父さん、95歳で天に召されますが、Kさん夫妻はお父さんが85歳の時に、お父さんの世話をするために長崎から戻って来られました。10年間息子さんとお嫁さんと過ごすことができ、また最後息子さんの手によって、洗礼を授けられ、そして召されました。

*【相澤京子さん】、ある日突然、心臓が弱くなり、弱くなった心臓を手術することができない程弱くなり、ということで、心不全の形で天に召されました。86歳で、今もなおそこらへんに相澤さんが座っておられるような気がいたします。

*【十時好子さん】、T家は一番最初にTさんが洗礼を受け、その影響を受けてお母さんが福島で洗礼を受け、そしてお父さんは当時末期がんで、最後病床で洗礼をお受けになり、お父さんが亡くなった後、福島からTさんがお母さんを呼んで、ず〜っと高津教会でいらっしゃいました。
しかし、これもまた手術の生活が長く、でも96歳までお孫さんに囲まれて元気であったことを感謝しています。

*【三浦洋子さん】、この方は高津教会に在籍しておられたのはそんなに長くありません。4〜5年だったと思います。またその話は後にいたしますけれども、74歳で若い頃に海外青年協力隊、そしてずっと大きな病院の婦長さんを務め、それをさっと年齢と共に辞められて、梶ヶ谷に引っ越して来られたという所から高津教会員になられたわけです。
割と早かったなぁと思いますけれども、でも元気な人生を最後まで全うされたことは感謝であります。

*【安田和子さん】というのは、2月に召されていますから、リストはもうちょっと前なのかもしれません。私たちの直接の教会員ではないですが、KKさんのお母様です。
朝の祈祷会に何度かいらっしゃいました。そしてどうしても墓地は高津教会ということで、先週納骨をいたしました。末期ガンで88歳の人生でありました。

聖書の箇所を見ていただきたいと思いますが――
昨年11月に天に召されました古屋多恵子さんは、ずっと(コロナの)以前からパーキンソンを患っておられました。あまり教会では申し上げませんでしたけれども、パーキンソンを患っていながらも、初期の症状でしたので、普通に教会にいらっしゃることができました。

ある日私(藤本牧師)は講壇から見ていて、目に力がないということをWMさんに申し上げたことがありました。その頃には「時々つまずくんです」ということをMさん仰られて、パーキンソンの専門のお医者さんに掛り、よい薬を飲んでいたのですが、ある時、薬を変えたところでガクンと落ちてしまいました。それからというもの、数カ月の期間で入退院を繰り返され、大変苦労されました。

これから三カ月入院という時に、ご主人に包丁の使い方から全部教えて、ま、それもそんなにうまくいきませんよね。ですから近くにおられるお嬢さんの助けを借りながら――今日お嬢さん、来ておられますけれども――お父さんもまた苦労され、お父さんは施設で洗礼を受け、今年ですかね、洗礼を受け、八王子の方でありますので、なかなか行けなくて申し訳ないですが、Mさんと一緒にまた行こうね、と言っていることであります。

最後にお見舞いに伺いました。私(藤本牧師)と圭子(夫人)とMさんで。その時に、背を向けたままで、向こう側にぐっと顔を乗り出して、耳元で「藤本です」と言った時に、「先生」って仰いました。
ところが一言「先生」と言ったら、ずっと「先生」「先生」「先生」で、何かを言おうとしておられるんだろうと思いますけれども、次の言葉が出て来ないんですね。

ですから、私は汲み取ってお祈りをいたしました。「大変でしたね」と。
古屋さんの言葉を汲み取ると、
「先生、私大変でした、この数年。人生の晩年、割と早い時期に、このような事態になるとは想像していませんでした。でも何か月も入院リハビリを繰り返しながら、頑張りました。もうすぐ天国へ行きます。先生」という言葉と私は理解しました。
それで古屋さんの気持ちを汲み取るように、
「よく頑張りましたね。この数年、そしてコロナでほとんど会えずに、よく頑張りました。もうすぐ天の御国です。」
という風にお祈りをいたしました。

言葉が出なくても、またご高齢の方々でいらっしゃるならば認知症になっても、家族の感謝というのはたましいの中に残っています。
そして自分の苦労と最後までの耐え抜く忍耐、そしてはるかに仰ぎ見る希望、
それを私たちの先に逝きました故人は語りたいんだろうと思います。特にこの礼拝において。
のぶちゃん(※長尾宣紹のぶつぐ君のこと)は39歳で、あっという間でありましたけれども、天国に行ってから、改めて改めて信仰の大切さというものを彼は実感して、召天者記念礼拝で語りたいんだろうと思います。

そこで短く3点でお話しします。
1)労苦

今挙げた方々の多くが、病院のお医者さんに「看取りに入ります」と言われました。
で、「看取りに入ります」と言われると、家族はちょっとびっくりするんですよね。
そして「いま会わせたい方がいらっしゃったら、大丈夫ですから家族の方を呼んでください」と。
すると、何か今日明日にでも、ってこう感じてしまうじゃないですか。

でも人によっては、それが二カ月であったり、半年であったり。
要は「もうご飯は上げることはできません」と。
そして「点滴も段々量を減らして行きます」「これからの方向、治療を維持するというよりは、もっぱら下向きになって行きます」というのが、「看取りに入ります」という意味なんですよね。

家族は大変でございました。記録を見ますと、1月2月に4人天に召されています。
8月に二人でありました。
【※6月7月も今年は真夏でしたから酷暑の時とすると5人では?
高橋正義(2023.6.23 84歳)窪倉三郎(※KTさん父上2023.6.29 95歳)
相澤京子(2023.7.19 86歳)
十時好子(※Tさん母上 2023.8.10 96歳)
三浦洋子(2023.8.19 74歳)】

暑い中の葬儀、或いは寒〜い中の葬儀、そういう意味で、最後看取って葬儀まで事を運ぶ、ということの大変さ。
葬儀屋と交渉し、そして牧師と話をし、どういう形で葬儀をするか、
ま、コロナ禍で家族葬であったというのは、一番私は感謝なことであったなぁと思いますけれども、
しかしそれでも最後を看取り、そこからもう一走りしなければいけない家族。
葬儀の終わった後に、そこからもう一走りしなければいけない皆さんのことを思い浮かべますと、それはそれは大変だったんだろうと思います。

でも、やっぱり何よりも大変なのは、本人です。
相澤さんは心臓の弁が弱くなり、これからカテーテルを入れていっぱい治そうとしても、「今はカテーテルを入れることができない位、心臓が弱っている」と言う中、
一応弁は治しました。しかしそこからもう心臓は治り切ることができませんでした。

高橋 武さんはいつも手術をする度に、弱くなるたびに、「先生、俺はもうだめかもしれない」という、そのお電話を何回聞かされたか分かりません。
最後に言われた時に、
「高橋さん、その言葉って何回も聞きましたよ。だから今回も乗り切れるんじゃないでしょうか」って私は言ったんですけれども(笑)、
しかし乗り切ることはできませんでした。

腎臓のアンモニアが脳に回りっていう風に、それは十分予想されたことなんだなぁって。
本人が一番予想していたことなんですけれども、奥さまが看護師さんということもあって、本人はどこかで「自分は家でこのままで大丈夫なんだ」という思いがございました。
息子さんも医療従事者でいらっしゃいますので、でも本人の苦労は大変なものであったと言えます。

聖書を開きましたが、へブル人への手紙は、信仰の人たちがはるか天国を慕いつつ、地上を旅人として歩む、というその姿が書いてあります。
ちょっと聖書を映しますね。(へブル11章の)13節ですね。

【画面:へブル11章13節「信仰の人として死にました」「はるか遠くにそれを〜告白」に黄緑のハイライト】

13これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、(***神の約束を地上で、と説明)はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。

この言葉から、色々先に至るまで、今日は見ていただきたいと思うんですが――

「寄留者で、旅人である」というのは、アブラハムのことです。
約束された地に到着しながらも、定住地を持つことがなく、彼は天幕で遊牧民的な生活をしていました。ま、遊牧民ですね。
家族もしもべも、大家族となります、何百人の。
しかし、定住地は持たずに、唯一持っていた土地は、亡くなった妻サラのために購入した、墓を建てる土地だけでありました。
ですから9節に「天幕に住み」という風に、アブラハムの生涯がまとめられています。
「同じ約束を共に受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました」(へブル11:9)というのは、ある意味、私たちの姿です。

田口 保(たもつ)さん、どれほど病院、施設、病院、家での看取り、そんなに動かしたら、さぞしんどいだろうと思います。

(高橋)武さんも、何度も入退院を繰り返し、次また検査だと。
検査の度にメールをくださるんですね。
「どうか検査の値が良いようにお祈りください」と。
でも大きな病院ですから、結局その検査だけでも半日かかってしまう。
それによって体力も衰弱していく。
晩年になって、皆さんよく仰いますよね。「一週間、ほとんど病院でした。」
検査、歯医者、長い病院待ち、それがどれ程疲れるか。
そして医療関係者の方々も、介護関係の方々も本当に良くしてくださいます。
でも本人にとりましては――自分の人生の最後の場面というのは、ほとんどの場合、天幕生活で移動していく――そしてベッドに縛られ、そこだけで生きていく。
痛みと闘い、食べたいものが食べられない。

2)そういう中をよく忍耐して走り抜けて行かれました。

17世紀のピューリタン革命にあって、イギリスですね、牢獄の中で「天路歴程」(てんろれきてい)という、キリスト教の歴史に残る名著を書いたジョン・バニヤン(***1628〜1688)という人がいます。

「天路歴程」というのは日本語で、原題はピルグリム・プログレスです。(The Pilgrim's Progress )
ピルグリムというのは巡礼者。プログレスというは、旅はするんですけれども、ある場所に向かっているという。
巡礼の旅が進んで行く過程に起こる様々な出来事が、書物になっています。

「謙遜の谷」を通り――病に打たれ、謙遜の谷を私たちは通りますね。
そして、その谷の次の谷が、話の中では「死の陰の谷」です。(***詩篇23:4)
主人公は、どうしてもその中を通らなければならなかったわけです。
なぜなら、「天の都」に行く道が、その「死の陰の谷」の真ん中を通っている。
ですから、その谷を通らずして、天の都に辿り着くことはない。

私たちの運命ですね。宿命です。
「謙遜の谷」――病に陥ってボロボロにされ、自分の痛みとキリストの十字架の痛みを重ねながら、時に自分の元気であった頃の愚かしさ、また罪深さを悔い改め、
ひたすら主の御前に謙遜を学びながら、次の谷は「死の陰の谷」。
そこを忍耐して、人によっては一日かも知れません。
だけど多くの人にとっては、それは数年かけて、私たちは行かなければいけない。

イエスさまはペテロに仰いました。
「あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年を取ると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」(ヨハネ21:18)

「あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。」
皆さん、そうでありましょう。ね、自由と元気が効く間は(笑)、ぜひ好きなことをうんと楽しんでください。
こんなにすばらしい秋の日が続くんですもの、家に閉じこもってないで。
それでも、人によっては、「家に閉じこもっていた方が、私にとってはいいんだ」(笑)という人もいるんですが――

今年に入って姉と話をしていた時に、姉は昨年ぐらいから連続して大好きな山に登るようになりました。
危険な山ではなく、安全な山なんですけれども。
とは言え、何日も山に入って、ず〜っと登って行くんですが、
「そんなに登ってばかりで大変じゃないの?」
「元気な内に、登れるだけ登っておきたい」と。
私(藤本牧師)はこれだと思いましたね。

数年待って、「時間ができたらこんなことをしていたい」という、その数年は来ないんだろうと思いますね。
その頃には、ボロボロになって、山も登れない。
姉は教えている学校から、「ぜひ非常勤でいいから、とどまってこの科目を」ってず〜っとこう引っ張られるんですが、それをもう振り払うように、
「私(Tさん)、学校で教えるより(笑)山に登りたい。いま登らなければ、もう登る時がない」
というのは、それは正解だなと思います。

私はパソコンを一つ買ったんですけれども、今買わなければ買う時がないと(大笑)。
「山は観るものであって、登るものじゃない」という圭子(夫人)のモットーを、私自身も共有していますので(笑)、「山は観るものであって、登るものではない。あ、そうだな。富士山もそうだな」という風に思っていますが(笑)、
でも本当に自分がしたいことがあるならば、自分が本当に手に入れたいものがあるならば、それを先に先に延ばしていたらだめですね。
それはね、苦労の年月というのはかなり長い。
それは、元気な時の年月よりも長く感じるほど、長いのかも知れない。 

(2008.3.3召された)勝間田保生(かつまた・やすお)さんは年齢を見ましたら、81歳と書いてありましたけれども、最後の7年間、施設の中でじっと天井を見て、或いは目を閉じて生活をするようになりました。
その7年間というのは、看護の方がいらっしゃって、痛くならないように体を反転させ、胃ろうのために、食物を送っていただく位のことで、その7年というのは、勝間田さんにとっては、大変縛られた7年でありました。

「あなたは若いときには、自分で帯をして、好きな所へ行きます。しかし年を取ってからは、人に帯をされて行きたくないところへ連れて行かれます」(***ヨハネ21:18)という、その《若いとき、年を取ってから》というのは、必ずしもその順ではいかないと言いますかね、
結構早い時期に前倒しになって、「あれだけ元気だった人が――」という事態に私たちははまるんだなという風に思います。

それを考えて私たちは、日頃から食事に気をつけたり、歩くことに頑張ったりしますけれども、
これはバニヤンの「天路歴程」にあるように、これは避けて通れない道。
つまり、天の御国に迎えられるためには、「謙遜という谷」を通り、「死の陰の谷」を通り、「死の陰の谷」の入り口が長〜い場合もある。
そして入退院を繰り返す場合もある。
でもそこを、人に帯されながらも従順に従い、静かに平安をもって、忍耐をもって、走り抜いていく――それが私たちの人生だと思います。

で、その道というのは選べない。
亡くなる時期も選べないんですけれども、それだけでなくて、いつ人に帯されて、自分の自由を奪われるかということも、実は選べないです。
男性の多くがこのコロナ禍にあって、散歩の途中で倒れて救急車で運ばれて、そこから先、難しくなりました。
散歩の先っていうのは、このコロナ禍にあっても少しは運動しようという思いで散歩しているんです。
でもそこで倒れるということが、ままある。

ですから、私は思い切って高津教会の皆さんに申し上げますけれども、きちっと遺言は書いて、家族の方と自分の財産の管理はきちっとしておいていただきたい。
そしてもう一歩申し上げますと、私はよく分かりませんけれども、教会には税理士のNさんがいらっしゃいます。
で、皆さんの中にも、Nさんのお世話になった方々が、沢山いらっしゃいます。
大した遺産が無いんだったら、それでいいです(笑)。いいですか。
だけど最後税理士に見てもらったら、相当額を納税しなければいけません、っていうケースですね、そういう方もいらっしゃいます。
だったら、遺言の中に、教会への遺留分として献金を献げておきなさいと。
それを文章として、記しておきなさい――という講演を、Nさんは教会でなさいました。
Nさんは全国の様々なカトリックから色んな所で講演をなさるわけですけれども、ま、そのことを強く訴えておられます。

遺留分を遺すというのは、遺言がない限りは無理ですよね。
そして、遺言の書き方まで、Nさんは講演してくださったんですけれども、
あの時遺言を書いた人は一人もいない(笑)と思いますね。
だから、もう少しネットで調べたら簡単に出て来ますし、息子さんに相談したら簡単に分かるわけですけれども、ま、国に持っていかれるのも悪いことではない。
それはお国のためと思えばいいわけですから。社会のためと。
でも、ある部分は教会に献げる位の知恵をもって、この世を生きるということは私(藤本牧師)は大切ですね。

三浦洋子さんは若いときに海外青年協力隊におられただけあって、ご子息はご本人もパスポートを全部取っておかれました。
そしてそのパスポートに、行かなかった国はないじゃない位のスタンプがわんさか載せられていました。
で、あれほど自由に飛び回り、生き生きと活動しておられましたけれども、やっぱり三浦洋子さんも、だれもが通るべき最後の道のりを、人に帯されながら、従順に、静かに、忍耐をもって走り抜いて行かれました。

三浦洋子さんの話を、葬儀の後、礼拝でした時に、Iさんが「あ、三浦さん、覚えてます」。
震災の後、福島に支援に行った時に、「あんなにてきぱきと動くこの人は、一体誰なんだろうか?」とご夫婦で思われたと。
それはやっぱり婦長さんをやっていただけあって、からだは動く、頭は動くという人材でいらっしゃいました。
尊い信仰の人生を送られました。

3)(へブル書)11章の2節以降、ずっと「信仰の人」と呼ばれています。

私たちが記念しているのは、教会家族の一人一人が「信仰の人」として天に召されて地上生涯を全うしていくからです。
信仰の意識を最後の最後まで明確に持っておられた石井 寛さん(いしい・ひろし)さん、最後のホスピスに至っても、直筆で書いた聖書のみことばを、看護師さんやまたお嬢さんに読んでもらう、という意識を持っていた石井 寛さんのように、
中には長尾君のように、わずか39歳で動脈瘤乖離で一瞬にして召された人も、
また「信仰の人」です。

「信仰の人」という時の定義は、複雑で様々だろうと思いますけれども、
へブル人への手紙は、「キリストの十字架を信じて、洗礼を受けた」とは定義していません。
16節を見ていただきますと。ちょっと16節を写しますね。こういう風になっていますね。

【画面:へブル11章16節「彼らが憧れていたのはもっと良い故郷」「天の故郷でした」「神が彼らのために都を用意されたのです」に黄緑のハイライト】

16しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。
(***天の故郷への憧れを抱いている人を「信仰の人」、と説明)
ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。(***というのは、喜んで神さまは彼らの神となった、そして、と説明)神が彼らのために都を用意されたのです。

それが「信仰の人」。天の御国への憧れをもっている人は、限りなく「信仰の人」となることができる。

今日の二番目の讃美歌は、あの教会福音讃美歌になって、中田羽後先生の翻訳からそのまんま載せられる讃美歌の数が制限されてしまいました。
そこでこの讃美歌は、聖歌から教会福音讃美歌に持って来た時に、訳を現代訳に直さざるを得なかったんです。
でもそもそもの訳を皆さまは良く知っておられるでしょう。
これはやっぱり中田羽後(なかだ・うご 1896〜1974)先生の名訳ですね。
(※と言って歌い出す藤本牧師)

♪まもなくかなたの流れのそばで
楽しく会いましょう また友だちと
神様のそばのきれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや

これはインマヌエルでは子ども讃美歌に載っていますね。
「♪みんなで集まる日の ああなつかしや〜」というのは、1800年代のアメリカの讃美歌の原詩にはないんですよ。
「懐かしい」という言葉はないんです。これが中田羽後先生の名訳ですね。
なぜ懐かしいか?それは、故郷に帰るからですよ。

私たちは天の故郷を見たこともない。にもかかわらず、天の門をくぐった途端に、これほどの自分の故郷はないと。
そして地上で、「天の父なる神さま」と呼び、そして私たちのことを「友」と呼んでくださる主イエス・キリストに会い、そして家族に再会した時に、
「あ、こここそが自分の故郷なんだ」と、
その故郷を慕う思いを、中田羽後先生は「♪ああ、なつかしや〜」とこれがずっと繰り返し、折り返しで続くんですね。
この思いを持っている人が信仰者です。

そしてこの讃美歌で、これは原詩にはあるんですけれども、
(※また歌い出して)「♪みんなで集まる日の」
「みんなで集まる」って、そもそもこの讃美歌の原題です。
みんなで集まる。

Kさんのお父さまは、95歳で最後洗礼を受ける前に、ご子息に尋ねた言葉は、
「イエスさまを信じたら、また会えるのか?みんなで」でした。
イエスさまを信じたら、また会えるのか、みんなで。
そして自分が今まで息子に対して、また奥さま、嫁さん(N子さん)に対して、十分なことをできなかったことを謝り、そして息子さんの手から洗礼を受けて、4日後に天に召されました。

懐かしい天国と共に、そこにみんなで集まる日の「ああ、懐かしや」なんですよ。
だから、《召天者記念礼拝や墓地の記念会には来てください》なんです。
なぜかと言いますとね、私たちは日常的に天への憧れを持って生きていません。
やっぱりベッドに横たわるようになって、ほんとに苦しみ抜いて初めて、
「私がやがて迎え入れられる世界は、天の御国だ」なんですけれども、
今は天の御国を考えるよりも、そりゃ、天ざる一杯とか(笑)、
美味しい食べ物とか、自分がゆったりできる部屋とか、空間とか、
そういうことを考えるではないですか。

いま元気な内に天への憧れはあんまり持たない方がいいです。
それよりも地上で、主によって為すべきことを課せられた、任されている自分のいのちをどうしたら全うできるかを、真実に考えることの方が大切です。
でもせめて召天者記念礼拝の時には、「天への憧れ」(***へブル11:16)、
そしてやがて私たちもそこをくぐった時に「懐かしい」という思いと共に、
「あ、みんなで集まるっていうことは、こういうことなんだ」と。
そして愛する家族と共に、再会を果たす。
たとえ他人に帯され、自分の行きたくないところへ連れて行かれ、自分の人生は晩年にあって苦労の連続であったかも知れない。
しかし《召天者記念礼拝にあって、私たちは天への憧れを取り戻す》ということを大切にしていただきたいと思います。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした」(へブル11:16)、その天の故郷を私たちは見たことがありません。しかし、私たちが先に天に送りし愛する家族は、既にあなたの懐で憩っていることを考えますと、最終的にそこが私たちの故郷になるんだ、ということが分かって来ます。

あなたが地上で苦労した者たちを天において憩わせてくださっている、報いてくださっていることを心から感謝いたします。それを慰め・励ましとして、いま地上で課せられている私たちの人生を精一杯生きていきたいと思います。

しかし終わりの日が始まるのも、終わりの日が来るのも、私たちには分からない、ということをたましいに刻みながら、信仰を大切にすることができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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