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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   11/26 へブル(23)励まし合いましょう へブル10:19〜39
☆聖書箇所  へブル10:19〜39

   19こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。
20イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。
21また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、
22心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
23約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
24また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
25ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。
 26もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、
27ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。
28モーセの律法を拒否する者は、二人または三人の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死ぬことになります。
29まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。
30私たちは、
  「復讐はわたしのもの、
  わたしが報復する。」
また、
  「主は御民をさばかれる」
と言われる方を知っています。
31生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。
 32あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。
33嘲られ、苦しい目にあわされ、見せ物にされたこともあれば、このような目にあった人たちの同志となったこともあります。
34あなたがたは 牢ににつながれている人々と苦しみをともにし、また、自分たちにはもっとすぐれた、いつまでも残る財産があることを知っていたので、自分の財産が奪われても、それを喜んで受け入れました。
35ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。
36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。
37 「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。
  遅れることはない。
38 わたしの義人は信仰によって生きる。
  もし恐れ退くなら、
  わたしの心は彼を喜ばない。」
39しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

☆説教 へブル(23)励まし合いましょう

前回へブル書の10章を見ていただきました。その時に申し上げました。
10章はへブル書のクライマックスのようなものだと。
難しい説教だったと思います。でも(藤本牧師)を責めないでください。難しいのは、へブル書が難しいのです(笑)。

私はなるべく、何て言うんですかね、「木を見て森を見ず」ではなく、「木は見なくていいから、森を見てくれ」という全体像を話して、聖書に沿ってポイントを作っているんですけれども、
非常に熱心に説教を聞いてくださる方からメールをいただきまして、
「すごく難しくて、何回か動画を聞き直し、そしてインターネットでまとめてくださっている原稿を読んで、何とか理解できました」と。
その方が仰ったら、ここにいらっしゃった方は(笑)果たしてどれ位理解できたんだろうか?と思う位、やっぱ難しかったと思います。

それで簡単に復習させてください。ポイントは3つあります。もう一番目のポイント、二番目のポイントは何度も話しています。

@古い契約の不備――祭司は普通の人間、いけにえは動物、贖いは不完全。到底それは私たちの罪を取り去ることはできず、良心をきよめることができない。

ということを、へブル人への手紙の記者は何度も強調しています。
もう一つ強調するのは、それと比較すると――
Aキリストによる新しい契約の完全さ――御子自身が大祭司であり、ご自身を十字架の上で贖いのいけにえのために(神に)献げられ、のみならず、天に昇られたキリストは神の右に座して、私たちのとりなしをしてくださる。
「右に座す」というのは、裁判官の座に座るということで、その方が同時に私の弁護士となってくださるという位、私を守ってくださる。

それは旧約聖書の預言の成就であった。
ですから、(へブル)10章の15節に「聖霊」という言葉が出て来ます。
新しい新約の時代が始まり、ヨエルの預言のとおりに、聖霊が私たちに注がれ、
(へブル10章の)17節にこうありますよね。ちょっと映しますけれども、いいですか。
詩篇からの引用ですけれども
【画面:へブル10章17節「わたしは、もはや 彼らの罪と不法を思い起こさない」に< >で括る「彼らの罪と不法を思い起こさない」に肌色のハイライト】

<へブル10:17>
17 「わたしは、もはや 
  彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言われるからです。

というのが、「新しい契約」で、これは何度も何度もヘブル人への(手紙の)記者は強調しています。

つまり、@不備な古い契約、A勝ち得て余りある新しい契約、そして、
B最後のポイントは、へブル書が現代の私たちにいったい何を語っているか?なんです。
古い契約は不完全、新しい契約は完全。
しかしそれに連なっていたイスラエルと、いま連なっているキリスト者と大差ないとしたら、それは大きな問題だというお話しをいたしました。

私たちは勝ち得て余りある贖いにあずかっているのに、
依然として自分の不完全さという良心の自責の泥沼にはまって行くわけです。
すると、キリストは完全な贖いを成し遂げられたのに、私の足は依然として泥沼にはまったまま――後悔という泥沼、失敗という泥沼、過ち、罪深さという泥沼、弱さという愚かさという泥沼、泥沼は無数にあります。

「自責の泥沼から引き上げられなさい」という意味で、私は最後に、学生の頃に観た「野生の王国」のシーンの話をしました。
アフリカのサイが泥沼にはまる。それを引き上げようとして、何台かのジープがロープをかける。
しかし神の愛というロープをかければかけるほど、サイはもがく。
もがくと必然的に泥沼に、底なし沼にはまって沈んでいく。
それが10章の前半のメインのポイントです。

(今日は10章の)後半なんですけれども、後半も3つのポイントで大要を押さえて行きます。
改めて19節〜22節までを映しますね。
そうしますと、新しい契約と古い契約の比較がよく出て来ますので、納得いただけると思うんですが
【画面:へブル10章19節「私たちはイエスの血によって〜できます」にオレンジのハイライト、20節「ご自分の〜垂れ幕を通して」に肌色のハイライト「私たちのために」に茶色のハイライト、「新しい生ける道を開いて」に黄緑のハイライト22節「邪悪な良心をきよめられ〜神に近づこう」に肌色のハイライト】

<へブル10:19〜22>
 19 こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。(***これまでのすべての要約ですよね、と説明)
20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。
21 また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、
22 心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。

というのが、いわば《へブル人への手紙の前半の要約》なんです。
でその要約の一部というのは、有名な4章の最後に既に出て来ました。
<へブル4:16>
16ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

むしろ、こちら(へブル4章16節)の聖句の方が有名ですよね?
でも本当はこの(へブル10章)22節「邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか」(※が後半の要約だ)と。
なぜなら、「心にキリストの血が振りかけられている」(10:22)という。
で、私たちは「神の家を治める」(10:21)ようなキリストに繋がっている、ということを改めて考えてほしい。

そして改めて23節から――(※へブル人への手紙の後半の要約です)
【画面:へブル10章23節「約束して〜動揺しないで」に黄緑のハイライト
「しっかりと希望〜ありませんか」に黄土色のハイライト】

<へブル10:23>
23約束してくださった方は真実なお方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

というのが、実はへブル人への手紙の《後半の要約》なんです。
ま、13章までしかありませんから、10章までが前半と言われてもちょっと戸惑いますけれども、実はここまでが前半なんですね。

そして、後半が一体どこから始まるか?というと、私(藤本牧師)は23(節)から始まると思っています。(23節をもう一度読む)
「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。」

「〜し続ける」というのは、告白することを止めない、という意味です。
皆さん、覚えていらっしゃいます?
2020年コロナが始まったのが、ま、2月3月なんですけれども、
その年、私たちは共にゼカリヤ書を学びました。
で、ゼカリヤ書は一言で言えば、「信仰のサバイバル」なんです。

私この前九州の聖会で、3回の聖会メッセージをしたんですね。
で、「ゼカリヤ書の全体タイトルを教えてください」と言われた時に、私は「信仰のサバイバル」と。そしたらチラシを作る人が
「え、先生、これ間違ってんじゃないですか?信仰のリバイバルじゃないんですか?」って言ったんですよね(笑)。問い合わせが来て
「いや、リバイバルじゃありません。サバイバルです」と。

それはコロナの年ですから――普通信仰と言えば、ま、リバイバル(※信仰復興、信仰覚醒、原点に戻り、信仰が新たに活発化する現象)となるんでしょうけれども――
いかにして「生き残るか」で私たちは必死・サバイバル(※コロナなど困難な状況で生き続けること)だったわけですよ。
そしてそれは今も続いているわけですよね。
今年へブル人への手紙を導かれ、ほぼ一年かけてやったわけですけれども、テーマは非常に似ています。
それは「信仰から落ちるな」です。
今日も、第二番目のポイントはそれを学びますけれども、「信仰から落ちるな」
告白し続ける、希望を告白し続ける。そして大胆に恵みの座に近づくことを止めない。
そのために、先ず一番目に――

1)互いを励ます

ちょっと見ていただけます?映します、24節です。こうありますよね。
【画面:へブル10章24節「愛と善行を促すために」に肌色のハイライト。「互いに注意を払おうではありませんか」にオレンジのハイライトと黒ペンで( )でくくり。
25節「自分たちの〜励まし合いましょう」に黄緑のハイライトと「むしろ励まし合いましょう」「ますます励もうではありませんか」に黒ペンで( )のくくり。
26節「進んで罪にとどまり続けるなら」にオレンジのハイライトと黒ペンで( )のくくり】

<へブル10:24〜26>
24 また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
25ある人たちの習慣に倣って、自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。・・・(※飛ばして、26節に)
 26もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、

罪にとどまるのでなく、互いに励まし(※24節を指差して)そして集まりをやめたりせず(※25節を指差して)むしろ励まし合いましょう(同じく25節)。
つまり信仰から落ちないためには、互いに注意を払い(24)、互いに励まし合う(25)必要があるということで、これがコロナ禍、或いはそれを越えていく教会の課題です。

私たちの礼拝は、オンラインの礼拝もここに集まる礼拝も一つとして推奨しています。
共に集まるのは、オンライン上でも同じです。
で、とっても工夫が必要ですよね。

先程フルートを吹く前に、TT子さんが「お父さんの今年召されたことを覚えて」と言う。
そして「お父さんのことを思い出すと、お父さんは数学を教えてくださって、お父さんが長い期間入院していた時に、ちょうど教会学校の担任であったTさんがずっと数学を教え、いつも玉木さんと一緒にいた」のを、私(藤本牧師)も思い出しました。
信仰者同士が互いを支え合うということの大切さ、励まし合うということの大切さ、

それはあえて挙げる必要はないと思いますけれども、たとえばオンライン下で高津教会に来てくださった新しい層の方々がいらっしゃいます。
なかなか教会として、取り入れることはできないですよね。
みんなマスクしているので、一体誰が誰だかよく分からないというのがありますよね。
今年の総会で、皆さんに小さなオンラインのZoomのBible Studyを引き受けてくれませんか?というアピールをしました。
OさんとIさんが引き受けてくださいまして、いま月に一回、小さなグループを率いています。
で、私(藤本牧師)は、聖書の学びのために、テキストも書いてお渡ししています。

HHさんは、ここずっと礼拝の後に、お茶をたてるみんなで楽しみの交わりをずっと続けてくださっています。

子どもたちの「おあそびひろば」は月一回、NさんやIさんが率いて、礼拝の後子どもたちが走り回って遊んでいます。

戸塚先生は月に一度Yさんのお宅を訪問して、Yさん、もう90歳超えていらっしゃいますので。そしてYさんと共に、聖書の勉強の時を持っていらっしゃいます。

私(藤本牧師)と言えば、私は十分なことができないのが実際です。
しかし教会総会の課題、それは来年にも引き継がれていきますが、どうしたら、互いに注意を払い、励まし合うシステムを作り上げていくのか、この日本のコロナ禍で。
それはある意味で一から出直さなければいけない部分がある。

Oさんがハワイの日本人教会からいらっしゃいまして、ハワイの関(真士)先生――私たちの教会にもお迎えしたことがありますが――ぜひよろしくお願いしますと。
ハワイのような交わりは日本ではちょっと難しいかも知れませんが、ぜひよろしくお願いしますと。
Mさんのお嬢さんがハワイですよね。
そしてYT君が、よくハワイの関先生の所で(笑)、何回も行っている。一年に二回位行ってんじゃないかと思いますけれども、今年も60人位の方を癒して、そして聖書を読む会に参加しておられました。
繋がっているんですね。でもなかなかその繋がりが、実際見えて来ない人もいる。
そういう方にどういう風にして手を伸ばすかというのが、私たちの教会の課題です。

先週役員会がありまして、「あ、先生、役員会開いてください」ってずっとN君から言われていて、なかなか開けなかった。
ほんとに申し訳ないなぁと思いますけれども、なかなかいい役員会でありました。
非常に難しい課題、会堂(問題)を含めて、話し合いましたけれども、何が良かったか?
それは役員一人一人が、高津教会は自分の教会だという明確な意識を持っておられる、ということが私に改めて感じ取られた。

キリストの教会なんです。そこに皆さんが集っておられるんです。
でもそれだけではない。あなたの教会ですよ。
私、初めて来た方にも申し上げていますよね。
「おじゃましている」とか「客員です」とか思わないでください。
ここに来た人皆さんが、第一回目からここは自分の教会だと、でかい顔して(笑)、堂々と、この教会に居座ってください。(笑)
誰の教会でもない。キリストの教会である。イコールこの教会はあなたの教会です、という意味ですね。

2021年にオンラインで繋がった岐阜県のKTさん、毎回日曜日、礼拝終わった後にメールをくださいます。
真実な信仰を生きて来た方で、Kさんが高津に来るきっかけになったのは、
大きな手術の後に、ある日、健康状態が最悪で「祈ってください」というメールが突然やってまいりました。
私はどなたかよく分からなかったんですけれども、もはや距離関係はないです。
完全に教会家族で、私はKさんとのメールのやりとりが一番多い位。
で、何かあれば、新幹線で私(藤本牧師)は飛んでいきます。
別に遠い所に住んでおられるとは、私は思っておりません。
何かあれば、呼んでくだされば、すぐ行きますので、ご連絡ください。

へブル人への手紙の記者は、こういう言い方すると聖書に失礼ですけれども、「オドシが上手い」(笑)。
ね、前もあったでしょう。オドシがあまりにも上手いので、正典に入るか入らないか、ちょっと難しかったってありますよね。
強烈なオドシが来ますよ。29節映しますね。これは。

【画面:へブル10章29節「神の御子を踏みつけ」「恵みの御霊を侮る者は」にオレンジのハイライト】
<へブル10:29>
29まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するか分かるでしょう。

(※読み終わらぬ内に噴出して)というのは、これはね、す〜ごいオドシですよね(笑)。
一旦キリストの贖いの血潮にあずかり、それをなかったかのごとくに離れて行く方って、これ、実際おられます。
で、私たちは残念だなぁと思いますし、でもどこかでまた違う教会に繋がってくださるんだな、と信じています。

でもヘブル人への手紙の記者は、「神の御子を踏みつけ」ですよ。
前回見た上手いオドシは、「キリストをもう一度十字架に架け」でした(笑)。
そこまで言わなくてもいいのに、と思う位――つまり申し上げましたよね、
キリスト教はいまだにローマ帝国の迫害の宗教。
ユダヤ教はローマ帝国の公認の宗教で、ユダヤ教に戻って行くということに関しては、全く迫害から離れて行くわけですよね。
だからこんなに迫害を受けているのなら、「どうせ神は同じなんでしょう」っていう言い方で、「いや、もう古い契約で結構です」ってユダヤ教に戻って行くわけですよ。
すると、《キリストがあなたのために十字架に架かったというのは、一体何の意味があったのか?》ということを、彼は必死に、ま、上手なオドシで述べているわけですよね。

「集まることをやめてはいけない」――25節ですね――「集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう」という、
この「集まる」というのは、ギリシャ語で「エピシュナゴゲー」です。
シュナゴゲーというのは、シナゴグ――会堂――集まるですね。
エピというのは色んな場面に出て来ます。
強調語ですから、ただ「集まる」でなく、恐らく「一緒に集まる」位がいいんだろうと思います。
一緒に集まるというのは、運命共同体ですよね。
ですから、「互いに霊的なケアをどうするか」ということに重荷を感じなければいけない、互いに。
初めて来た人でも「どうぞ、気軽に、後ろの人に、前の人に声をかけてください」と。
で、なかなか名前が明確でないんですよね。ですから名前をごまかすんですけれども、
自分から何か話しかける時に、「藤本ですけれども」っていう風に名前を仰っていただけると、大変ありがたいと思います。

2)32節を見てください。

<へブル10:32>
 32あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。

文字通りです。光に照らされた日々を思い起こしなさい。
苦難との厳しい戦いに耐えた、日々を思い起こしなさい。
そして、初めの日々を思い起こしなさい。

私(藤本牧師)はね、この教会の働きの中で、「天の窓」の役割は大変大きいということを、特にコロナ禍の中で強調してまいりました。
今回例えばMさんのお母さんの葬儀の写真と、その葬儀の様子の報告が出て来ますね。
今回特にIYさんに原稿をお願いしました。私の方から。
IYさんは高津教会に来て35年だと思うんですが、千葉の方に引っ越されて(2006年)から、もう15年位、もっと経つんでしょうかね?
でも変わらずに高津教会の人なんですよね。

僅かな紙面なんですけれども、35年間の高津教会との関わりを、こう振り返るように、
クリスマスの生誕劇の写真が出ているんです。
S君がまだ小学校二年生、TS君もいますし、IH君が真ん中にいる写真なんですけれども、
H君は小学校一年生か二年生で、あの年に――Tさんも思い出して、その写真を見ながら、「あ、H君は詩篇23篇を暗唱してみんなの前で言ってくれたよね」っていう――
そのH君がもうすぐ30(歳)位になるんですかね?(笑)

そういうことを思い出すっていうのは、すごく大切。
自分が最初に来た頃、いやそれだけでなく様々な試練を通過し、そして自分の信仰が磨かれ、苦労しながら立ち上がり、そういうことも全部、喜びも苦労も思い起こすということがとっても大切です、と。
それを「思い起こす」(32)ということが、変わらずに「希望を告白し続ける」(23)ということに繋がって行くわけですよね。
「互いに励まし合おうではありませんか」(25)
もう一つは、ちゃんと自分と教会との関わり、自分とキリスト教信仰との関わりを、また自分と誰かとの関わりを忘れずに思い起こそうではありませんか、ですね。

3)やっぱり忍耐ですね。ちょっと映します。

【画面:へブル10章36節「約束のものを手に入れるために必要な」「忍耐です」にオレンジのハイライト。
37節「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる」にピンクのハイライト。
38節「わたしの義人は信仰によって生きる」にピンクのハイライト。
39節「恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」にピンクのハイライト】

<へブル10:36〜39>
36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。
37 「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。
   遅れることはない。
(***もうしばらくすれば、あなたは地上の人生の幕を閉じる、遅れることはないと(笑)、同じことですよ、と説明)
38 わたしの義人は信仰によって生きる。
  もし恐れ退くなら、
  わたしの心は彼を喜ばない。」
39しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

この39節――これが今日の、或いは《後半の要約、今日の説教》ですね。
「しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(39)
これがへブル人への手紙の、聖句の中で最も重要な言葉です。

「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる」(37)ということは、キリストは必ず私たちを迎えに来てくださる。それまでの忍耐だ、ということ。
それから38節の「わたしの義人は信仰によって生きる」というのは、ハバククからの引用で(***2:4)、パウロもロマ書で引用しています(***1:17)。
わたしの義人は何によって生きるか?それは信仰によって生きる。

で、11章に入りますと、信仰っていうのは、一体何なのか?
「まだ見ていないものを待ち望むことが信仰だ」っていうのが、11章の1節から始まるんですよね。
「信仰によって生きる」(36)っていうのは、いま体験している苦悩をひしと実感して生きることではない。
「希望を告白し続ける」(23)というのは、これから私たちを待っている栄光を待ち望んで生きる。

アメリカから娘が帰って来て、昔の話をすると、私も家内も何も覚えてないんですよね。
「ほんとに覚えてないの?」「うん、ほんとに覚えてない」って(笑)言う。
覚えてないだけじゃないんですよ。違うストーリーを自分で創っているんですよ。
「いや、こうだったに違いない。」
すると、娘は混乱して、違うストーリーはそのストーリーなりに完全に出来上がってるんですよ。
でも自分の頭で創ったストーリーで(笑)、実際は全然違うという、この記憶の曖昧さ。

私(藤本牧師)は火曜日に脳のMRIを撮りました。
それは母(故・藤本幸子牧師)が60で動脈瘤が4つあって、その内の一つが破裂してクモ膜下出血でしたので、私も動脈瘤は遺伝するから、
前回のMRI撮った時に、それは喘息のお医者さんが診てくださったんですよ。
で、写真がこんなに(※両手の指で四角を作って見せて)小っちゃくて、その段階で間違えたな、と(笑)。
その先生がそれを見ながら「大丈夫です」って言った時に、却って不安になってしまった(笑)。

それで今度は脳神経外科の先生に、新しい機械が入ったということで、3Dの動脈の映しが出て来て、「大丈夫ですね」って。
それで娘に「他は大丈夫だったの?」と言われ「あ、他は聞かなかった」(笑)と。
「ほか聞かなきゃダメじゃない」と。
「脳梗塞の痕が幾つありますね、とか、ま、脳の状態はこんな感じですね、とか、ほかを聞かないでどうするの?」と(笑)、
私はその「他を聞く」というアイデアすら無くて、先生も「う〜ん」と言いながら眺めただけですが、何て言うんですかね・・・・・・

自分の人生の終わりを見ながら生きる、じゃないんですよ。
終わりの先にある、《イエスが私たちを迎えに来てくださって、神の国を共に支配するという希望を見ながら生きる》ということが、私たちにはできない。
なかなかできないです。
これもできなくなったとか(笑)、これも覚えてないとか(笑)、最近どうも疲れやすいとか、現実を見て生きて、そして毎日聖書を開くんですが・・・・・・

へブル人への手紙は、そのローマ帝国の迫害、それを見つめて生きるなと。
キリストは必ずあなたを迎えに来る。
そしてあなたは、そこに向かって、信仰によって生きる者であって、少なくとも言えることは、「恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です」(39)と。
それを見落としがちなんですね。
そういう意味で、へブル人のこの姿は私たちとものすごく重なるんだなぁと。

「人とはいったい何ものなんでしょう」(へブル2:6)というみことばから始まりましたよね。
その人っていうのは、ダビデにとっては人であり、自分であり、そしてヘブル書の記者にとってはキリストなんです。
キリストとはいったい何ものなんだろう?(へブル2:6)
「私とはいったい何ものなんだろう?」という問いを問い続けて、ここまでやってまいりました。
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく(10:39)、
私たちは、キリストの血潮を振りかけられ、良心をきよめられ(10:22)、
そして共に励まし合い(10:25)、
初めの日々を思い起こし(10:32)、
苦難に耐えた自分を思い起こし(10:32)、
そして必ず私たちの人生は老いに向かうわけですから、老いに向かうということはイコール様々なことが難しくなる。
しかし、「終わりに向かって生きている」というのは、《人生の終わりではない、この世界の終わり。》
旧約聖書が言う「終わりの日が来る」(Uペテロ3:10)という時には、私たちは御国に上げられる時を待ち望んで生きる者ですと、そのことを大切に覚えておいてください。

☆お祈りをして終わりにいたします。――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、人とはいったい何ものなのでしょう。私はいったい?と言われた時に、「私は信じていのちを保つ者です」(へブル10:39)と。

一旦受けたいのちを途中で失わずに、最後まで保つことができるように、「互いに励まし合い」(25)、教会や信仰を初めの初々しさ、試練の中での助け、様々なことを思い起こし(32)、そして忍耐(36)を与えてください。

「義人は信仰によって生きる」(38,ハバクク2:4より引用)とあるように、忍耐無くして信仰無し。忍耐を培うことができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2023.11.26 - 22:37
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